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は思いません、宗教が

いのです。 常に説いている愛と想意が、人間に欠けているとは、わたくしには思え

愛と慈悲は、本来、人間が生まれつき持っている特質です。その特質を持った人間どうしが、憎み合い、傷つけ合い、殺し合い、奪い合うという行動をするのはなぜでしょうか?

それは、愛と慈悲が欠けているのではなく、叡智が欠けているからだとわたくしは考えます。人間が本来持っている特質である愛と慈悲を目ざめさせ、発現させ、正しく伸展させて行くのは叡智であるとわたくしは思います。そしてその叡智も、愛と慈悲と同様、人間が本来持っている特質であります。ですから、わたくしは、この特質を、人類はもっと重く考え、 大切にすべきであると主張します。

いま、わたくしは、わたくしの主張という言葉を使いましたが、実は、

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するため、とか。まさに誇大妄想といわれてもしかたない。

どう思って、ああいう発言をしたのか?

おねえしよう。

わたくしは、 志をのべたのである。

世界の中心ともいうべきニューヨークに出かけていって、護摩を焚き、講演会をひらくということは、わたくしにとって一大決意を要することであり、聖生の事業である。

その出発にあたり、わたくしは、 決意を語り、志をのべたのである。

志は詩であるという。古人は、詩に託して”志をのべた。詩とはロマンであり、夢である。志も詩も、できるかぎり高く、大きく、華やかに、キラキラ輝いているほどよいのである。

それを解せぬ人の目には、大風呂敷と映り、誇大妄想狂と思われても、わた

ーナ」である。 宗教の究極は、「魂の安息」を得ることであろう。ブッダのいう「ニルヴァ

それは、智慧によって得られるものと思う。

愛と慈悲はどうであろうか。

うか? 愛と慈悲は、他にたいするものである。魂の安息は、自分自身にたいするものである。他にたいする慈悲と愛によって、自己の救済がなし得るものであろ

自己を救済するためには、当然、(今までにない、なんらかのあたらしい) 力量なり、才能が自分に加わる必要がある。それをなすものは、智慧か、愛

か、慈悲かという問題である。

神の絶対の「愛」、仏の絶対の「慈悲」を信ずることにより、「魂の安息」が得られ、自己の「救済」が完成するという考えかたもある。

「智」と「信」との対極の構図となる。

の「智の探求」には、肉体は邪魔であり、哲学こそ、「死の演習」でなければならぬというプラトンの考えは、厳粛、かつ壮絶きわまるものであり、 この構図にたいし深く示唆するものがあろう。

二十世紀最の歳、十二月二十八日

桐山靖雄

 

。 🐘「群盲の象」と三大宗教

とても良いテーマですね。
寓話「群盲象を評す(ぐんもうぞうをひす)」を「宗教(キリスト教・イスラム教・仏教)」に当てはめて説明すると、以下のように深い意味が見えてきます。

🐘「群盲の象」と三大宗教

■ 物語の意味(再確認)

インドの寓話では、数人の盲人が一頭の象に触れ、

牙に触れた人は「象は槍のようだ」

足に触れた人は「象は柱のようだ」

尾に触れた人は「象は縄のようだ」

耳に触れた人は「象は団扇のようだ」
と、それぞれ部分だけを見て全体を論じ、互いに争う――という話です。

この寓話は、「部分的理解を絶対視する愚かさ」と、「真理の全体像を見失う人間の限界」を示しています。

✝ キリスト教の視点

キリスト教では「真理は神のみぞ知る」とされ、人間はその一端を信仰を通して受け取る存在です。
つまり、盲人が象の一部しか知らないように、人間も神の創造の全体像を知ることはできません。

🔹 教訓として:
神の御心は無限であり、人間の理解は有限。だからこそ「謙虚な信仰」が求められる。
イエスは「裁くなかれ」と言いましたが、それも他者の信仰や考えを部分的理解で決めつけないようにという戒めです。

☪ イスラム教の視点

イスラムでは「アッラーこそ唯一の真理」であり、人間はその真理を完全には測りえません。
クルアーンにも「あなたがたは知識のわずかしか与えられていない(17:85)」とあります。

🔹 教訓として:
人間の理性や感覚で神の全貌を測ろうとすることは、盲人が象を語るようなもの。
だからこそ「全託(タウヒード)」――アッラーにすべてを委ね、部分的理解に執着しない姿勢が重んじられます。

🕉 仏教の視点

仏教では、この寓話の発祥地でもあり、より哲学的に解釈されます。
ブッダは「多くの論者たちは真理の一部を見て、それをすべてと見なす」と説きました。
つまり、人は自分の見た「一つの側面」から世界を判断し、そこに「我見(がけん)」=偏った見方を生じさせてしまうのです。

🔹 教訓として:
真理(法)は多面的で、部分を絶対視すると「我執」が生まれる。
智慧とは、部分と全体の関係を見抜き、「縁起」によって全体を理解する力のこと。
これが仏教における「中道」の実践にもつながります。

🌏 総合的なまとめ

宗教部分を超えて真理を観る方法キリスト教謙虚な信仰と愛により、他者の立場を受け入れるイスラム教人間の限界を認め、神の全知に委ねる仏教偏見を離れ、縁起と中道によって全体を観る

💡 結論

「群盲の象」は、
どの宗教も「真理は一つ、だが人間の理解は部分的」という共通の洞察を持つことを示しています。

それぞれの宗教は象の異なる部位を触っているかのようですが、
もし互いの理解を持ち寄り、補い合うなら――
はじめて「真の象(真理)」の全体像が見えてくるのかもしれません。

ご希望があれば、
この内容を小説風(宗教対話形式)や講話原稿風に再構成することもできます。
どちらの形式で発展させますか?

 

小説風対話「群盲の象 ――三つの光の対話

素晴らしい選択です。
では、「群盲の象」をテーマに、三人の宗教者――キリスト教徒・イスラム教徒・仏教僧――が一頭の象を前にして語り合う寓話的対話として構成してみましょう。
舞台は静かな砂漠のオアシス、夜明け前の光の中です。


小説風対話「群盲の象 ――三つの光の対話」

夜明け前の砂漠。
月の残光が白く砂を照らしていた。オアシスの水面に、巨大な影が映っている。
一頭の象。沈黙の中で、三人の旅人がその姿を見つめていた。


第一章 出会い

最初に口を開いたのは、白い衣をまとった老人だった。
胸には小さな十字架が光っている。

司祭エリアス
「この象は、まるで神の御業のようだ。われらには、その全貌は見えぬ。ただその存在の大いなることを、信じるしかない。」

次に、黒いターバンを巻いた男が低く笑った。
スーフィーの修行者、アミールが静かに言う。

アミール
「あなたは“信じる”と言う。私は“委ねる”と言おう。アッラーのみが真実を知る。われらは、掌に触れる砂のように、わずかを知るに過ぎぬ。」

すると、第三の人物――托鉢衣をまとった僧が、手の中の数珠を鳴らした。
**仏教僧・妙玄(みょうげん)**が言う。

妙玄
「あなた方の言葉には智慧がある。だが、もし真理を“神”と名づけるなら、私は“法”と言おう。法は一つではなく、縁によって現れ、見る者の心によって姿を変える。」


第二章 盲人たちの寓話

エリアスは懐から古い聖書を取り出した。
「人は神の似姿として創られた。しかし罪によって目が曇り、神の全てを見失った。盲人が象に触れるように。」

アミールは頷いた。
「その話、私も知っている。インドの寓話だ。盲人が象の鼻を握って『これは蛇だ』と言い、足を触れて『これは柱だ』と言い、互いに争う。まるで我らの宗派のようだ。」

妙玄は静かに目を閉じた。
「仏陀もまた、その愚を見抜いておられた。真理は多面にして、いかなる言葉にも定まらぬ。
盲人たちが争うのは、“我”があるから。“我見”を捨てれば、象は象として現れる。」


第三章 部分と全体

沈黙が訪れる。
夜明けの光が砂丘の向こうに現れ、象の背が金色に輝いた。

エリアス
「われらは皆、象の異なる部位に触れているのだろう。私は“愛”の側面を見た。神は愛そのものだから。」

アミール
「私は“唯一性”を見た。すべては一つの意志に属する。多に惑わされることはない。」

妙玄
「私は“空”を見た。愛も唯一も、縁によって成り立つ幻影でありながら、そこに真実が宿る。」

三人は、しばし言葉を失った。
象が鼻を上げ、朝の空気を吸い込む。
太陽が昇る。砂の一粒一粒が光を返した。


第四章 悟りの瞬間

アミールが水面に映る象を見ながら呟いた。
「では、真理とは象そのものではなく、映る光なのだろうか。」

妙玄は微笑んだ。
「そうかもしれません。象を見ようとすれば争いが生まれる。しかし光を見れば、誰もが沈黙する。」

エリアスは胸の十字を切った。
「光――それは神の息吹。すべてを照らし、裁かず、等しく包むもの。」

三人は、沈黙の中で祈った。
宗派も、言葉も、概念も越えて――ただ、ひとつの光に包まれていた。


結章 群盲の象、そして悟り

夜が完全に明け、象の影はゆっくりとオアシスの奥へと消えていった。
三人の旅人は互いに頭を垂れた。

エリアス
「あなたがたに祝福を。」

アミール
「アッラーの慈悲が共にあらんことを。」

妙玄
「諸行は無常。しかし、心が清ければ、すべては仏国土。」

その瞬間、風が吹き、三人の祈りが混ざり合った。
それはまるで、異なる旋律が調和してひとつの音楽となるようであった。

遠くで、象の低い声が響いた。
それは、世界のすべてを包む――真理の呼吸のようだった。


ご希望があれば、この作品を

  • 🎭 朗読台本風(語り+三者のセリフ)
  • 📜 宗教哲学エッセイ調(物語+解説)
    のどちらかの形に発展させることもできます。

どちらの方向に進めましょうか?