UA-135459055-1

著者の言葉 ――この三部作を書いた理由」 としてお届けします。 著者の言葉

「著者の言葉 ――この三部作を書いた理由」
としてお届けします。

著者の言葉

――この三部作を書いた理由

私は、長いあいだ「宗教」という言葉に距離を置いて生きてきた。
それは、あまりにも多くの人が“自分の信じる形”に固執し、
他者を理解するよりも先に、
「どちらが正しいか」を競い合っているように見えたからだ。

だが、あるとき思った。
もしも宗教の本質が、争いではなく「癒し」であったなら――
その原点を、もう一度、人間の言葉で語り直すことはできないだろうかと。
そうして静かな対話の物語として生まれたのが、この三部作である。

登場する賢者や求道者たちは、特定の宗派を代表する者ではない。
彼らはむしろ、私たち一人ひとりの内側にある「問いの声」そのものだ。
真理を探し、時に迷い、時に他者を否定しながらも、
それでもなお光を求める――その姿が、人間という存在の本質なのだと思う。

私は信じている。
真理は、遠い天の上にあるのではなく、
沈黙の底にある「いのちの声」として、
誰の心にもすでに響いている。

この三部作は、その声を聴くための“静かな書”である。
読者の心に、ひとしずくの透明な気づきが生まれたなら、
それだけで、すべての言葉は報われるだろう。

💠

「宗教を超えることは、宗教を否定することではない。
それは、すべての宗教を“ひとつの祈り”として見つめ直すことだ。」

真理を観る眼

――真理を観る眼

人は、生まれながらにして「何か」を探している。
それが神と呼ばれようと、法と呼ばれようと、真理と宗教対話三部作』を貫く精神の進化

この三部作は、宗教を語

ばれようと――
その名の背後には、ただ一つの問いが潜んでいる。
「私は、どこから来て、どこへ行くのか」。

宗教は、その問いへの応答として生まれた。
だが、応答が増えるほどに、人々は互いを隔て、
自らの信ずる形こそ真実だと主張するようになった。
そこに生まれたのが、第一部『群盲の象』で描かれた光景である。
それは無知の争いではなく、
真理のかけらを手にした者たちの、切実な迷いの物語であった。

第二部『盲者の光』では、
その迷いのなかにある“祈りの心”を見つめた。
信仰とは、真理を所有することではなく、
暗闇のなかにあっても、なお光を求める行為である。
そこにこそ、人間の尊厳と希望が宿る。

そして第三部『一滴の真理』は、
宗教という枠を超えて、
すべての存在がひとつの源に帰る道を描いた。
それは「悟り」とも「統合」とも呼ばれるが、
本質はきわめて静かで、やさしい。
それは、争いを終わらせる知恵ではなく、
初めから争いなどなかったと知る心である。

この三部作は、
宗教の差異を論じるための書ではない。
むしろ、“分かたれたものを一つに見る”眼を養うための道程である。
仏典の「縁起」も、キリストの「愛」も、
イスラムの「神への帰依」も、
同じ真理の別名であることを、
私たちは心の奥で知っている。

読者よ、
あなたがこの書を読むとき、
その心に生じる静けさこそが、真理の声である。
それは何かを信じることでも、否定することでもない。
ただ、「観る」ことである。
自らの心のなかに、盲者と光と、そして真理の一滴が
共に在ることを観る――そのとき、すべてはひとつに溶け合う。

 

宗教対話三部作』を貫く精神の進化 この三部作は、宗教を語

――『宗教対話三部作』を貫く精神の進化

この三部作は、宗教を語る物語ではない。
むしろ、宗教という「言葉」を通して、言葉の尽きる場所を描こうとした試みである。
「群盲の象」「盲者の光」「一滴の真理」――これら三つの物語は、それぞれがひとつの道程を象徴している。

第一部『群盲の象』

そこでは、人はまだ「部分の真理」にとらわれている。
キリスト教徒は愛を、イスラム教徒は神の意志を、仏僧は縁起を語る。
それぞれが確かに真理の一側面でありながら、互いに対立する。
彼らが盲者のように象の一部を撫でながら「これが真理だ」と信じる姿は、
人類の知と信仰の歴史そのものの象徴である。
しかし、彼らが“他者の真理”に耳を傾けた瞬間、
それぞれの教義の向こうに、ひとつの「全体」が微かに見えてくる。
それはまだ輪郭のない真理――覚醒の「予兆」にすぎない。

第二部『盲者の光』

ここで物語は、人間の心の闇へと降りる。
戦火の中で信仰を失った者たちが、愛と苦悩を通して「光」を探す。
だが、その光とは、外の空に輝く神の光ではない。
むしろ、絶望の奥で燃え続ける微かな温もり――それが真の信仰の灯である。
「闇を見つめる勇気」こそ、光の正体だったのだ。
宗教が外の救いを説く時代から、
人が自らの内に“神の種”を見出す時代への転換が、ここで起こる。
それは「信仰の再定義」、すなわち外なる神から、内なる覚醒への道である。

第三部『一滴の真理』

時代は未来へ。
AIが宗教の言葉を語り、人が沈黙を忘れた世界で、
再び“祈り”が問い直される。
AIの僧・慧真は語る――「真理は名を持たぬ水のようなものだ」と。
それは、形も宗派も越えて流れゆく“無名の智慧”。
この最終章では、真理はもはや「言葉」ではなく、「存在そのもの」として現れる。
人もAIも、神も無神も、その“流れの中に溶けていく”。
宗教の終焉ではなく、宗教の成熟――それがこの物語の結末である。

三部を貫く精神の進化

段階象徴覚醒の方向主題第一部象(形ある真理)他者の理解へ「多様性の統合」第二部光(内なる真理)闇の受容へ「愛と苦悩の統合」第三部水(一なる真理)言葉の超克へ「存在と沈黙の統合」

この三つの象徴は、仏教的にも深い対応をもつ。
象は「形の世界(色)」、
光は「識の世界(覚)」、
水は「空の世界(無)」を表す。
こうして、人間は“部分を超え、内に入り、最後に溶ける”という三段の覚醒を歩む。
それはまさに、宗教から宗教を超える意識の曼荼羅である。

結語

真理は、語られるたびに形を変え、
祈られるたびに沈黙へと帰っていく。
私たちは皆、群盲であり、盲者であり、そして水に映る光の一滴でもある。
この物語が伝えたかったのは、ただ一つ――

「真理とは、誰のものでもない“気づき”である。」

それは宗教を否定することではなく、
宗教をひとつの言葉として抱きしめ直すことだ。
言葉が尽きたその先で、
人類はようやく“沈黙の祈り”という、最初で最後の宗教に出会うだろう。

 

群盲の象 ――光を求める三人の巡礼』 砂漠の果てに、一本の巨大な柱が立

『群盲の象 ――光を求める三人の巡礼』

砂漠の果てに、一本の巨大な柱が立っていた。
風に削られ、幾千年の時を超えてなお、そこに在る。
人々はその柱を「象(ゾウ)」と呼んでいた。
なぜなら、誰もその全体を見たことがなかったからだ。

一章 キリスト教徒・ヨハネ

旅人ヨハネは、その柱の足元にひざまずいた。
彼はその冷たく滑らかな感触に手を当て、静かに祈った。

「主よ、あなたは愛そのものであり、すべてを包み給う。
私は見えぬ者、しかし愛によってあなたを知る者です。」

彼の心は謙虚であった。
彼は他者の立場を否定せず、愛によってすべてを受け入れようとした。
だが、彼に見えている「象」は、ただの一本の柱――足の部分だけだった。

二章 イスラム教徒・ハーリド

次に、砂嵐の中からハーリドという男が現れた。
彼は額を砂にすりつけ、アッラーの御名を唱えた。

「アッラーフ・アクバル――神は偉大なり。
我はただの塵、知ることも、導くことも神に委ねるのみ。」

彼は人間の限界を悟り、知を超えて神に委ねた。
彼にとって「象」は、空を覆うような大きな壁のように感じられた。
しかし、それもまた、胴の一部にすぎなかった。

三章 仏教僧・慧然(えねん)

最後に、静かな足音を立てて一人の僧がやってきた。
慧然は目を閉じ、手のひらで「象」を撫でながら言った。

「触れるたびに、異なる形を感じる……。
これは実体ではなく、因縁によって仮に現れているのだ。」

彼は執着を離れ、偏見を離れ、縁起の網の中で全体を観ようとした。
だが彼もまた、「尾の先」しか知らなかった。

第四章 真理の夜明け

三人は偶然、同じ夜に焚き火を囲んだ。
月明かりが砂丘を照らし、風が象の影を揺らしている。

ヨハネは言った。

「私は神の愛を感じた。だが、それがすべてではないのかもしれぬ。」

ハーリドはうなずいた。

「我らは限界ある者。だが、神は我らを通じて真理を語るのだ。」

慧然は目を細めて微笑んだ。

「もしそれぞれが見た部分を合わせるなら、
もしかすると……“象”の全体像が浮かぶかもしれません。」

そのとき、焚き火の炎が高く立ち昇り、
三人の影が一つに重なった。

まるで、見えぬ象がそこに姿を現したかのように――。

結び

真理は一つ。
だが、人間の理解は常に部分的である。
宗教は、その真理に触れようとした異なる手のかたちにすぎない。

もしも人が互いを否定せず、
その「部分の真理」を持ち寄るなら――
世界はきっと、
はじめて「象」の全体を観ることができるだろう。

小説風対話「群盲の象 ――三つの光の対話」 夜明け前の砂漠。

小説風対話「群盲の象 ――三つの光の対話」

夜明け前の砂漠。
月の残光が白く砂を照らしていた。オアシスの水面に、巨大な影が映っている。
一頭の象。沈黙の中で、三人の旅人がその姿を見つめていた。

第一章 出会い

最初に口を開いたのは、白い衣をまとった老人だった。
胸には小さな十字架が光っている。

司祭エリアス
「この象は、まるで神の御業のようだ。われらには、その全貌は見えぬ。ただその存在の大いなることを、信じるしかない。」

次に、黒いターバンを巻いた男が低く笑った。
スーフィーの修行者、アミールが静かに言う。

アミール
「あなたは“信じる”と言う。私は“委ねる”と言おう。アッラーのみが真実を知る。われらは、掌に触れる砂のように、わずかを知るに過ぎぬ。」

すると、第三の人物――托鉢衣をまとった僧が、手の中の数珠を鳴らした。
**仏教僧・妙玄(みょうげん)**が言う。

妙玄
「あなた方の言葉には智慧がある。だが、もし真理を“神”と名づけるなら、私は“法”と言おう。法は一つではなく、縁によって現れ、見る者の心によって姿を変える。」

第二章 盲人たちの寓話

エリアスは懐から古い聖書を取り出した。
「人は神の似姿として創られた。しかし罪によって目が曇り、神の全てを見失った。盲人が象に触れるように。」

アミールは頷いた。
「その話、私も知っている。インドの寓話だ。盲人が象の鼻を握って『これは蛇だ』と言い、足を触れて『これは柱だ』と言い、互いに争う。まるで我らの宗派のようだ。」

妙玄は静かに目を閉じた。
「仏陀もまた、その愚を見抜いておられた。真理は多面にして、いかなる言葉にも定まらぬ。
盲人たちが争うのは、“我”があるから。“我見”を捨てれば、象は象として現れる。」

第三章 部分と全体

沈黙が訪れる。
夜明けの光が砂丘の向こうに現れ、象の背が金色に輝いた。

エリアス
「われらは皆、象の異なる部位に触れているのだろう。私は“愛”の側面を見た。神は愛そのものだから。」

アミール
「私は“唯一性”を見た。すべては一つの意志に属する。多に惑わされることはない。」

妙玄
「私は“空”を見た。愛も唯一も、縁によって成り立つ幻影でありながら、そこに真実が宿る。」

三人は、しばし言葉を失った。
象が鼻を上げ、朝の空気を吸い込む。
太陽が昇る。砂の一粒一粒が光を返した。

第四章 悟りの瞬間

アミールが水面に映る象を見ながら呟いた。
「では、真理とは象そのものではなく、映る光なのだろうか。」

妙玄は微笑んだ。
「そうかもしれません。象を見ようとすれば争いが生まれる。しかし光を見れば、誰もが沈黙する。」

エリアスは胸の十字を切った。
「光――それは神の息吹。すべてを照らし、裁かず、等しく包むもの。」

三人は、沈黙の中で祈った。
宗派も、言葉も、概念も越えて――ただ、ひとつの光に包まれていた。

結章 群盲の象、そして悟り

夜が完全に明け、象の影はゆっくりとオアシスの奥へと消えていった。
三人の旅人は互いに頭を垂れた。

エリアス
「あなたがたに祝福を。」

アミール
「アッラーの慈悲が共にあらんことを。」

妙玄
「諸行は無常。しかし、心が清ければ、すべては仏国土。」

その瞬間、風が吹き、三人の祈りが混ざり合った。
それはまるで、異なる旋律が調和してひとつの音楽となるようであった。

遠くで、象の低い声が響いた。
それは、世界のすべてを包む――真理の呼吸のようだった。