夜の僧院は静寂に包まれていた。満天の星が空を彩り、月光が薄く差し込む広間の中で、一人の若き僧侶が膝を抱えて座っていた。その名はアナンダ。彼の顔には深い苦悩の影が漂い、額には冷や汗が滲んでいる。
「なぜだ……なぜ私は解脱に至れないのか……」
彼は自問するたびに、その答えが見つからず、心の奥深くに焦燥感が広がるばかりだった。釈迦如来の教えに従い、修行を積んできたはずだった。瞑想、戒律、慈悲の実践——すべてを心血を注いで行ってきたつもりだった。それなのに、自分の内なる煩悩の炎は消えるどころか、ますます強く燃え上がっているように感じる。
そのとき、背後から柔らかな声が響いた。
「アナンダ、何をそんなに悩んでいるのだ?」
振り返ると、そこには釈迦如来が立っていた。穏やかな微笑みを浮かべながらも、その眼差しは鋭く、彼の心を見透かすようだった。
アナンダは、膝をついたまま深く頭を下げた。
「師よ、私は成仏を目指して修行してまいりました。しかし、いまだに心の平穏も、解脱の境地も得られません。私のどこに問題があるのでしょうか?」
釈迦はゆっくりとその場に腰を下ろし、アナンダと目線を合わせた。そして、静かに語り始めた。
「アナンダよ、そなたは真摯に修行を行ってきたが、重要なことを見落としている。」
「重要なこと、ですか?」
「そうだ。四念処、四正断、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道——これらを修めていないのではないか?」
アナンダは息を飲んだ。それはまさに「七科三十七道品」と呼ばれる修行の核心、釈迦が説いた成仏のための道そのものだった。しかし、それらは膨大で、難解で、彼はどこから手をつければいいのか分からず、避けてきたのだ。
「師よ……私は、すべてを理解し、実践する自信がありません。それほどまでに深遠な教えに対し、私のような未熟な者が成仏など……」
釈迦は微笑みを浮かべながら、静かに首を横に振った。
「アナンダ、完全解脱とは漏尽——煩悩が尽きた状態のことだ。だが、煩悩は無知と怠惰によって育まれる。七科三十七道品は、無知を取り除き、怠惰を克服するための道だ。それを実践しない者が、いかに成仏を願おうとも、それは叶わぬ夢に過ぎない。」
その言葉はアナンダの胸を深く突き刺した。同時に、彼の中に微かな希望の灯がともった。
「師よ、私は愚かでした。これからは七科三十七道品を学び、全力で実践いたします。」
釈迦は静かに頷いた。
「それでよい。成仏への道は一朝一夕ではない。だが、一歩を踏み出した者にのみ、その道は開かれるのだ。」
その夜、アナンダの心に新たな決意が生まれた。そして彼は、釈迦が説いた成仏の教えを、己の血肉に変えるべく、長き修行の旅へと踏み出したのであった。