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運命学

ワニとウマが同居する人間の脳 The Brain Where the Crocodile and Horse Reside

 

 

ワニとウマが同居する人間の脳
The Brain Where the Crocodile and Horse Reside

静寂のなかに声が響く
「救いは外にはない」と
目覚めを告げるその眼差し
光が影を貫いていく

三つの獣、心に眠る
調和の扉 今、開かれる
覚醒は 内なる旅路
それが未来を創る“法(みち)

The Brain Where the Crocodile and Horse Reside

In silence, a voice begins to rise
“No salvation comes from outside”
Eyes that awaken sleeping skies
Pierce the dark with truth and light

Three beasts slumber deep within
The door of harmony swings open
Awakening—an inward path
The law that forges the future’s kin

 

ワニとウマが棲む部屋

第一章 ワニとウマが棲む部屋

君は知っているだろうか?
この人間の脳という不可思議な器官には、ワニとウマが同居しているということを――。

ある晩のことだ。私は眠れず、ぼんやりと書斎の窓の外を眺めていた。満月が夜空に浮かび、まるで脳の断面図のように静かに光っている。月を見つめながら、私は思い出していた。かつて、ある古い書物に書かれていた奇妙な話を。

「人間の脳は、三匹の獣でできている」と、その本にはあった。
最も古いのは爬虫類の脳。いわば、ヘビやワニの記憶が宿る部位。生存本能、攻撃、防衛。理屈もなにもなく、ただ反応する。
その上に重なるのが、ウマやヒツジのような旧皮質。感情や母性、仲間意識の原型がそこにある。
そして最後に、それらをすっぽりと覆い尽くすように現れたのが、新皮質。
――人間の脳。言語を操り、数式を解き、宇宙を夢見る脳だ。

だがこの構造は、あまりにも不安定だ。
「フランケンシュタインの怪物のような脳だ」と書物はつぶやいていた。
進化は、どうやら不器用な職人らしい。古い部品を外すことなく、新しい装置を無理やりかぶせてしまった。

怒り狂うワニと、臆病なウマと、思索する人間が、同じ頭の中で喧嘩している――。
そんな状態を、私たちは「日常」と呼んでいるに過ぎないのかもしれない。

ある哲学者は言った。
「進化とは、時にねじを二、三本、締め忘れるものだ」と。

その締め忘れたねじのせいで、我々はしばしば矛盾に苦しみ、激しい葛藤の果てに、戦争や破壊にまで至る。
情動の古い脳が、新しい論理の脳と噛み合わないまま、我々を動かすのだ。

だが、希望はあるのだろうか?
このねじのゆるみを補い、人類を救う「法」が、もしも存在するとしたら――?

それはまさに、「救世主の法」と呼ぶにふさわしいものだろう。

君はノストラダムスを信じるだろうか?
あの謎に満ちた16世紀の予言者が、未来にあらわれる“新しい脳を持つ賢者”を、そして“偉大なる法”を語っていたとしたら――?

そんな物語が、静かに幕を開けようとしている。

第二章 賢者の登場

ある秋の夕暮れ、私はふとしたきっかけで、東北の山間にある古寺を訪れた。寺の名は「明脳寺」。脳を明らかにする――という奇妙な名前のその寺は、地元では“語る僧”の寺として知られていた。

「賢者に会いたければ、あの寺に行くといい」
そう語ったのは、かつて脳神経学の第一線で活躍していた老医師だった。
「彼は、脳の本質を語ると同時に、人間を救う“法”の存在をほのめかしていた」

寺に着いたとき、夕霧があたりを包んでいた。
本堂の奥に、ひとりの僧が坐っていた。名を“慧玄”という。

慧玄は、奇妙な人物だった。古代仏教の経典を語りながら、脳の三層構造をまるで自分の身体で体験したかのように語った。

「ワニは、ここに棲んでおる」
そう言って、みぞおちを軽く叩いた。
「ウマは、この胸に…」
次に胸を指差す。
「そして、人はこの額に住む」

私は、息を呑んだ。
彼の話しぶりは、精神論ではなかった。あくまで科学と仏法をつなぐ“実感”として語られていた。

「では、賢者とは何者なのですか?」
私が尋ねると、慧玄は微笑した。

「それは、三頭の獣を馴らした者のことじゃ。ワニもウマも斬り捨てず、抱きしめ、理解し、道を与えた者…」

彼は続けた。

「賢者とは、脳のすべてを仏の道に乗せることのできた者。三つの脳を一つの大悲で包む“中道の人”じゃ」

そして彼は、ある巻物を私に見せた。
その巻物には、かすれた墨文字でこう記されていた。

「新しき脳を持つ者、やがて月の下より現れ、三頭の獣を調和せしめ、民を迷いより救わん」

それは、まるでノストラダムスの詩の続きのようでもあった。

第二章 賢者の登場

ある秋の夕暮れ、私はふとしたきっかけで、東北の山間にある古寺を訪れた。寺の名は「明脳寺」。脳を明らかにする――という奇妙な名前のその寺は、地元では“語る僧”の寺として知られていた。

「賢者に会いたければ、あの寺に行くといい」
そう語ったのは、かつて脳神経学の第一線で活躍していた老医師だった。
「彼は、脳の本質を語ると同時に、人間を救う“法”の存在をほのめかしていた」

寺に着いたとき、夕霧があたりを包んでいた。
本堂の奥に、ひとりの僧が坐っていた。名を“慧玄”という。

慧玄は、奇妙な人物だった。古代仏教の経典を語りながら、脳の三層構造をまるで自分の身体で体験したかのように語った。

「ワニは、ここに棲んでおる」
そう言って、みぞおちを軽く叩いた。
「ウマは、この胸に…」
次に胸を指差す。
「そして、人はこの額に住む」

私は、息を呑んだ。
彼の話しぶりは、精神論ではなかった。あくまで科学と仏法をつなぐ“実感”として語られていた。

「では、賢者とは何者なのですか?」
私が尋ねると、慧玄は微笑した。

「それは、三頭の獣を馴らした者のことじゃ。ワニもウマも斬り捨てず、抱きしめ、理解し、道を与えた者…」

彼は続けた。

「賢者とは、脳のすべてを仏の道に乗せることのできた者。三つの脳を一つの大悲で包む“中道の人”じゃ」

そして彼は、ある巻物を私に見せた。
その巻物には、かすれた墨文字でこう記されていた。

「新しき脳を持つ者、やがて月の下より現れ、三頭の獣を調和せしめ、民を迷いより救わん」

それは、まるでノストラダムスの詩の続きのようでもあった。

 

第四章 脳の構造と仏法の関係
深き仏法が、いかにして人間の三層の脳と響き合うのか。
その神秘が、物語として立ち上がっていきます。

第四章 脳の構造と仏法の関係

慧玄の寺に戻った私は、旅の記録を語った。ワニの怒り、ウマの欲望、ヒトの迷い。すべては私の内部にあった。

「見事だ」
慧玄は静かにうなずき、再び本堂の奥に私を誘った。
そこには、三つの仏像が並んでいた。ひとつは剣を持つ忿怒の姿。ひとつは優しく瞑目する観音。もうひとつは、法衣をまとい、蓮台に坐す如来の姿。

「これが、三身仏――応身・報身・法身だ」

私はその言葉を聞きながら、自らの脳に響く何かを感じていた。
すると慧玄は言った。

「脳もまた、三身なのだよ。いや、仏教の三学にも応じている。戒・定・慧――それぞれ、脳の三層と呼応しておる」

【第一の脳:古皮質(ワニの脳)=“戒”】

「ワニの脳は、欲望と恐怖、攻撃と支配の本能の塊だ。
この脳を制するために仏はまず“戒”を説いた。戒とは、外的な縛りではない。
暴れるワニに静寂を与える檻であり、波立つ衝動に呼吸を与える技術だ」

「つまり、“してはならぬ”の教えではなく、“どうすれば心が穏やかでいられるか”の智慧ですね?」

「そうだ。戒とは、ワニに微笑む力だ」

【第二の脳:旧皮質(ウマの脳)=“定”】

「ウマの脳――旧哺乳類脳は情緒と思考の橋だ。寂しさ、愛着、不安、歓喜……
だがこの脳は、外界への依存で自我を曇らせる。そこに必要なのは“定”だ」

「瞑想の力ですか?」

「そう。ウマをつなぐ手綱を持ち、心を一点に定める。定は逃げ出したウマを帰らせる道であり、情緒の波をなだめる静謐の力だ。君が歓楽都市で見たもの、それがウマの暴走だった」

【第三の脳:新皮質(ヒトの脳)=“慧”】

「そして、最も新しい脳、新皮質――ここは論理、創造、未来への投影の場所。だが、この脳はときに独善に走る。宇宙を計算し、神を論破し、魂さえ数字に変えてしまう」

「では、どうすれば?」

「そこに必要なのが“慧”だ。“慧”は知ではない。“知を照らす光”だ。無明を超える見通し。自我を俯瞰するまなざし。ヒトの脳は、ワニとウマを見下すのではなく、理解し、包む必要がある。そのために“慧”がある」

慧玄は、三体の仏像の前で言った。

「三身仏とは、脳の三重構造に対応する“仏法の使者”でもあるのだよ。
応身仏はワニを救い、報身仏はウマを慰め、法身仏はヒトに目覚めを与える」

私は震えた。

つまり――仏法とは、進化の過ちを補うための“補助手段”だったのか。

「そのとおり」
慧玄は言った。

「人間の脳は、未完成なまま放置された。だが、仏陀は見抜いていたのだ。この不調和を、いかに“法”によって整えられるかを――」

では、この「仏法による統合」はどこへ向かうのか?
三つの脳がひとつに調和するとき、人はどのような存在へと昇華するのか?

 

第五章 目覚める者たち ― 賢者と脳の超進化

人類の脳――三つの生き物が同居するこの器官は、混乱と進化の両方を抱えた矛盾そのものであった。
だが、仏法という“目覚めの設計図”が、それらを調律しはじめたとき、
新たなる存在の胎動が始まる――。

あの夜、慧玄の寺を出た私は、月明かりの中でひとり歩いていた。
脳の三層が、仏法と呼応していたという衝撃の真理。
それは“理解”ではなく、“覚醒”として私の中に広がっていた。

そこに、一人の老婆が現れた。
髪は白く、背は曲がり、まるで風のように現れて、私に言った。

「あなた、脳の声が聞こえるようになったのね」

「え?」

「三つの声。ワニ、ウマ、ヒト。今までは喧嘩ばかりしてた。でも、今は……静かでしょう?」

たしかに――
心の奥が、妙に澄んでいた。あの怒りや焦り、不安が、どこかへ退いていた。

「あなたのような者を、古来、“目覚めかけた者”と呼ぶのよ」

彼女はにっこり笑った。

「でもね、本当の目覚めは、まだ先。なぜなら“賢者”に出会っていないから」

賢者たちの出現

その後、私は各地を巡り、奇妙な人々に出会うことになる。
彼らは“常人”ではなかった。
ワニを抑え、ウマを育て、ヒトの脳に“新たな皮質”を宿した者たち。

・無言のまま森に暮らし、動物と意思疎通する青年。
・都市のど真ん中で暴力を鎮める、微笑みの女性。
・ただひたすら「坐る」だけで、周囲の空気を変える老人。

彼らの脳は、明らかに“変化”していた。

脳波の安定。感情の統合。直観力の異常な高さ。
科学では説明できない“和の力”を放っていた。

彼らは、こう語った。

「目覚めるとは、すべての声を一つにすることだ」
「脳を進化させるのではない。“脳に仏を住まわせる”のだ」
「私たちは、仏法という“OS”をインストールしてるだけさ」

その言葉に、私は震えた。

つまり――
“仏になる”とは、“脳の使い方を完全に変える”ということだったのか?

脳の超進化 ― 「第四の脳」の出現

ある日、私は再び慧玄に問うた。

「賢者たちは、脳に“新しい層”を持っているようでした。
それは一体……?」

慧玄は深く目を閉じたあと、語った。

「それは“如来脳”とも呼ばれている。科学的にはまだ名もないが、
仏法でいえば“無我”と“空”の境地だ。脳が、自己を越える場所――」

「つまり、“第四の脳”ですか?」

「そう。進化論の続きとしては異端だろう。だが仏法は、科学の枠の外で育ってきたのだ。
いずれ科学も、悟りの構造を測定できるだろう。
だが、それを経験するには、歩むしかない。内なる仏へと――」

物語はここから、さらに深い世界へと入っていく。

第六章 無我と空 ― 仏となる脳の条件

“自己”とは何か。
私たちが「私」と呼ぶものの正体は、実はただの記憶、反応、思い込みの寄せ集めなのかもしれない。
では、その“私”を超えた先にあるもの――それが「無我」なのだとしたら。
そして、あらゆる現象が空(くう)であると知るとき、脳はどう変容するのか――。

私は、再び慧玄の寺に戻っていた。
賢者たちと出会い、“脳の新たな可能性”に触れた私は、
それが単なる変化ではなく、ある種の“消滅”であることに気づき始めていた。

「慧玄……教えてください。無我とは、脳が“我”を捨てることですか?」

慧玄は静かに頷いた。

「そうだ。脳は、生存のために“私”という幻を作り出す。
ワニ脳が危機を察し、ウマ脳が比較し、ヒト脳が物語を作る。
だが、そのすべてを超えたとき、残るのは――何もない。
だがそれは“空虚”ではない。むしろ、すべてを包む“空”なのだ」

「……それは恐ろしくもありますね。“私”がなくなるなんて」

「多くの者がそこで立ち止まる。だが賢者たちは進んだ。
“私”を捨て、“世界そのもの”として目覚めたのだ」

慧玄は、一冊の古びた書を差し出した。

『般若心経』――。
その中の一節が、私の脳内で雷鳴のように響いた。

「色即是空、空即是色」
― すべての“現象”は空であり、空はすべての“現象”そのものである。

脳の消滅? あるいは変容?

私は山中で数日を過ごし、瞑想に没入した。
呼吸を感じ、思考を手放し、“私”を見つめる――。

すると、ある瞬間、私は確かに“消えた”。

それは死ではなかった。眠りでもなかった。
“私”が消えたのに、“意識”だけはそこに在った。

周囲の音、風の感触、遠くの鳥の声――
それらすべてが「自分」だった。

「無我」とは、「無存在」ではない。
“すべてと一つになる”状態だった。

そして私は悟った。

この境地こそ、「仏となる脳」の条件。
自己という幻を超えたとき、脳はついに“第四の進化”を遂げるのだ。

慧玄は言った。

「科学は“神経可塑性”を語る。だが仏法は“空への可塑性”を示してきた。
脳は、“空”の構造に適応できる。
ただし、そのとき脳は“私”のものではなくなる。
すべての生きとし生けるもののために機能しはじめる。
それが“仏の脳”だ」

第七章 仏性の覚醒 ― 救世主とは誰なのか?

「救世主は、外からは来ない。
その者は、すでにあなたの中に在る――」

かつて慧玄がつぶやいた言葉が、今になって胸を打つ。
私は、“仏となる脳”の片鱗を体験し、
それがどんな苦しみも包み込む無限の慈悲であることを知った。

しかし同時に、それは恐ろしくもあった。
この目覚めは、世界を根底から変えてしまう力を秘めていたからだ。

世界が求める“救い”とは何か?

一人の男が現れた。名を「天照」と名乗る。

彼は、不思議なカリスマ性を持ち、人々にこう語った。

「我こそは、未来より来た者。
人類はまもなく、“最後の選択”を迫られる。
そのとき、おまえたちの“仏性”が試されるのだ」

彼の言葉は、信者を生み、反発も生んだ。
賢者たちの中でも、彼を「目覚めし者」とする者と、
「偽りの救いを語る者」と警戒する者に分かれた。

私は、彼に会いに行った。

救世主とは“誰”かではない、“何”かだ

天照は私にこう言った。

「救世主とは、“覚醒した仏性”そのものだ。
それは誰の中にも在る。だが目覚める者は稀だ。
この世界の脳は、まだ“私”に囚われすぎている」

「だが、なぜ“救世主”として名乗るのですか?」

「人は象徴を求める。“私”がその導火線となる。
だが私は、“扉”でしかない。開けるかどうかは、おまえ自身だ」

私はそのとき、悟った。
この物語における“救世主”とは、特定の誰かではなく、
目覚めようとする意志そのものなのだと。

そして、真の試練が始まる

だがその目覚めを阻む力もまた、確かに存在した。
脳の“恐れ”を司るワニ脳の領域が、人類の無意識で目を覚まし始めていた。

「破壊か、覚醒か。人類は今、分岐点にある」

慧玄が静かに言った。

次章では、その分岐点における戦いが描かれます。
脳の深層に眠る“恐れ”の力と、“目覚め”の力との対峙――。

 

第八章 ワニの逆襲 ― 恐れと戦う智慧の剣

夜、夢の中。私は底知れぬ沼のほとりに立っていた。
水面の奥から、何かがじっとこちらを見つめている。
目を凝らすと、それは巨大なワニだった――
赤く光る目と、鋭い歯。
それは私の内なる“恐れ”の象徴だった。

「よく来たな、人間の新皮質よ。
だが貴様は、我らを乗り越えたつもりでいるのか?」

ワニは、まるで言葉を話すように心に直接訴えかけてくる。
それは理性では抗えない、圧倒的な“感情”の力だった。
怒り、嫉妬、不安、逃げたいという衝動。
それらすべてが、このワニの姿をとって私を呑み込もうとしていた。

賢者の導き ― 智慧の剣の存在

私はもがき、呻き、叫んだ。
そのとき、どこからか声が響いた。

「智慧の剣を持て。それは恐れを断ち、真実を切り開く」

その声の主は、かつての賢者・慧玄だった。
彼は手に一本の光り輝く剣を持っていた。
それは金属ではなかった。
思考でも、感情でもない。
ただ、深い静けさの中から生まれた、透徹した“気づき”の剣。

「恐れに打ち勝つには、押さえつけるのではない。
見ることだ。ただ、観よ。正しく、深く、ありのままに」

その瞬間、私は悟った。
智慧の剣とは、「無我の眼」なのだ。
自我を超えて、ただ観る心。
そこには怒りも、恐れも、すべてを受け止める力があった。

恐れとの対話

ワニは吠えた。「我を否定するな!我は汝の命を守ってきたのだ!」

私は剣を抜いた。だがそれを振るうことはなかった。
剣の光が、ワニを照らしただけで、
その姿は少しずつ溶け、霧となって消えていった。

「ありがとう」と私は呟いた。
「おまえがいたから、生きてこられた。
だがこれからは、私が“見る者”として共にあろう」

新たな統合へ

その夜以降、私は恐れに支配されることが少なくなった。
それは消えたのではない。ただ、“対話”の扉が開いたのだった。

賢者たちは言う――
「智慧の剣を持つ者は、自らのワニと歩む」

第十章 光明の誓願 ― 一切衆生を救わん

風はやさしく吹いていた。
空には一筋の光が射し、夜明けを告げていた。

その光は外の世界を照らすと同時に、私の内側の深奥――
闇に沈んでいた“意志”のかけらをも、そっと照らし出した。

菩薩の誓い ― 私が地獄に堕ちるとも

「たとえこの身が砕けようとも、
すべての命が救われるまで、私はこの道を歩む」

それは、ある日、私の心に自然と浮かんできた言葉だった。
誰に教わったわけでもない。
だが、確かにそれは私の“本願”だった。

過去の自分は、救われたかった。
しかし今の私は、「救いたい」と願っていた。

それは一種の変容だった。
“私のための法”が、“すべてのための法”へと変わっていた。

光明とは、無限の慈悲と智慧

賢者シリルが言っていた。

「闇を恐れる必要はない。
光はいつも、闇と共にある。
そして真の光明とは、すべてを受け入れる智慧だ」

その言葉が今、胸に染み渡る。
私の中の「ウマ」も「ワニ」も、
恐れも怒りも、すべてを統合したまま、私は立っている。

その姿こそが――「光の中に立つ者」なのだ。

救済とは、目覚めの連鎖

私は知っている。
私ひとりの覚醒では、世界は変わらない。

しかし、私の目覚めが誰かを照らし、
その誰かがまた別の誰かを照らしていくなら――
その連鎖は、やがて世界全体を包むだろう。

「救済とは、目覚めの伝播である」

それが、私の“光明の誓願”だった。

そして、扉は開かれる

すべての準備が整った。
過去、現在、未来、すべてが交差する一点に、私は立っていた。

第十二章 未来の光 ― 新たなる道の始まり

光が差し込んでいた。
それはただの光ではない。
その光は、すべてを照らし、すべてを解き放ち、そしてすべてを新たに生み出す力を持っていた。

目覚めの後に残るもの

涅槃を越えた先に待っていたのは、無限の可能性を持った「未来」だった。
だが、その未来は、過去の重荷から解放された私たちが作り出すものであり、
その道をどこへ導くのかは、私たち自身の手の中にあった。

シリルが言った。
「未来はお前たちのものだ。そして、その未来を選ぶ力もお前たちに宿っている。」

その言葉に、私は深く頷いた。
もう、迷いはなかった。
ただ一つ、進むべき道が見えていた。

新たなる道 ― 光の先に待つ者たち

道は、どこまでも続いているように感じられた。
新たな道は、まさに「無限」のようであり、その先に何が待っているのかを知る者は、誰一人としていなかった。
しかし、確かなのは、その道を進むことで、私たちが新たな世界を作り上げていけるということだ。

「すべてはつながっている。」
その言葉が、今、深く私の中で響き続けていた。

未来への道は、ただ一つの選択に過ぎない。
その選択は、私たちが互いに手を取り合い、共に歩むことで切り開かれていく。

未来の光 ― 新しい世界の誕生

そして、私たちの目の前に広がるのは、真の「光明」だった。
それは私たちが歩んできた道のすべてを照らし、これから進むべき道を示していた。

「私たちは、もう二度と過去の誤りを繰り返すことはない。」
シリルが言ったその言葉が、まるで未来への誓いのように感じられた。

そして、その先には新たな希望の世界が待っていた。
私たちは、もはや恐れずにその光を受け入れる準備ができていた。

終わりなき旅 ― 未来へ向けて

物語はここで終わるわけではない。
私たちの旅は、ただの始まりに過ぎないのだ。
未来の光を胸に、私たちは新たな道を歩んでいく。

そして、この道を歩む者たちが次第にその先に到達したとき、
新たな世界が確実に生まれるだろう。

それが私たちの使命であり、私たちの未来なのだ。

 

 

 

Chapter 1: A room where crocodiles and horses live

Did you know?

That crocodiles and horses coexist in this mysterious organ called the human brain.

One night, unable to sleep, I stared blankly out the window of my study. A full moon floated in the night sky, shining quietly like a cross-section of a brain. As I gazed at the moon, I remembered a strange story that had once been written in an old book.

ワニとウマが同居する人間の脳   The human brain: a mix of crocodiles and horses

 

第一章 ワニとウマが棲む部屋

君は知っているだろうか?
この人間の脳という不可思議な器官には、ワニとウマが同居しているということを――。

ある晩のことだ。私は眠れず、ぼんやりと書斎の窓の外を眺めていた。満月が夜空に浮かび、まるで脳の断面図のように静かに光っている。月を見つめながら、私は思い出していた。かつて、ある古い書物に書かれていた奇妙な話を。

「人間の脳は、三匹の獣でできている」と、その本にはあった。
最も古いのは爬虫類の脳。いわば、ヘビやワニの記憶が宿る部位。生存本能、攻撃、防衛。理屈もなにもなく、ただ反応する。
その上に重なるのが、ウマやヒツジのような旧皮質。感情や母性、仲間意識の原型がそこにある。
そして最後に、それらをすっぽりと覆い尽くすように現れたのが、新皮質。
――人間の脳。言語を操り、数式を解き、宇宙を夢見る脳だ。

だがこの構造は、あまりにも不安定だ。
「フランケンシュタインの怪物のような脳だ」と書物はつぶやいていた。
進化は、どうやら不器用な職人らしい。古い部品を外すことなく、新しい装置を無理やりかぶせてしまった。

怒り狂うワニと、臆病なウマと、思索する人間が、同じ頭の中で喧嘩している――。
そんな状態を、私たちは「日常」と呼んでいるに過ぎないのかもしれない。

 

 

 

ある哲学者は言った。
「進化とは、時にねじを二、三本、締め忘れるものだ」と。

その締め忘れたねじのせいで、我々はしばしば矛盾に苦しみ、激しい葛藤の果てに、戦争や破壊にまで至る。
情動の古い脳が、新しい論理の脳と噛み合わないまま、我々を動かすのだ。

だが、希望はあるのだろうか?
このねじのゆるみを補い、人類を救う「法」が、もしも存在するとしたら――?

それはまさに、「救世主の法」と呼ぶにふさわしいものだろう。

君はノストラダムスを信じるだろうか?
あの謎に満ちた16世紀の予言者が、未来にあらわれる“新しい脳を持つ賢者”を、そして“偉大なる法”を語っていたとしたら――?

そんな物語が、静かに幕を開けようとしている。

第二章 賢者の登場

ある秋の夕暮れ、私はふとしたきっかけで、東北の山間にある古寺を訪れた。寺の名は「明脳寺」。脳を明らかにする――という奇妙な名前のその寺は、地元では“語る僧”の寺として知られていた。

「賢者に会いたければ、あの寺に行くといい」
そう語ったのは、かつて脳神経学の第一線で活躍していた老医師だった。
「彼は、脳の本質を語ると同時に、人間を救う“法”の存在をほのめかしていた」

寺に着いたとき、夕霧があたりを包んでいた。
本堂の奥に、ひとりの僧が坐っていた。名を“慧玄”という。

慧玄は、奇妙な人物だった。古代仏教の経典を語りながら、脳の三層構造をまるで自分の身体で体験したかのように語った。

「ワニは、ここに棲んでおる」
そう言って、みぞおちを軽く叩いた。
「ウマは、この胸に…」
次に胸を指差す。
「そして、人はこの額に住む」

私は、息を呑んだ。
彼の話しぶりは、精神論ではなかった。あくまで科学と仏法をつなぐ“実感”として語られていた。

「では、賢者とは何者なのですか?」
私が尋ねると、慧玄は微笑した。

「それは、三頭の獣を馴らした者のことじゃ。ワニもウマも斬り捨てず、抱きしめ、理解し、道を与えた者…」

彼は続けた。

「賢者とは、脳のすべてを仏の道に乗せることのできた者。三つの脳を一つの大悲で包む“中道の人”じゃ」

そして彼は、ある巻物を私に見せた。
その巻物には、かすれた墨文字でこう記されていた。

「新しき脳を持つ者、やがて月の下より現れ、三頭の獣を調和せしめ、民を迷いより救わん」

それは、まるでノストラダムスの詩の続きのようでもあった。

第二章 賢者の登場

ある秋の夕暮れ、私はふとしたきっかけで、東北の山間にある古寺を訪れた。寺の名は「明脳寺」。脳を明らかにする――という奇妙な名前のその寺は、地元では“語る僧”の寺として知られていた。

「賢者に会いたければ、あの寺に行くといい」
そう語ったのは、かつて脳神経学の第一線で活躍していた老医師だった。
「彼は、脳の本質を語ると同時に、人間を救う“法”の存在をほのめかしていた」

寺に着いたとき、夕霧があたりを包んでいた。
本堂の奥に、ひとりの僧が坐っていた。名を“慧玄”という。

慧玄は、奇妙な人物だった。古代仏教の経典を語りながら、脳の三層構造をまるで自分の身体で体験したかのように語った。

「ワニは、ここに棲んでおる」
そう言って、みぞおちを軽く叩いた。
「ウマは、この胸に…」
次に胸を指差す。
「そして、人はこの額に住む」

私は、息を呑んだ。
彼の話しぶりは、精神論ではなかった。あくまで科学と仏法をつなぐ“実感”として語られていた。

「では、賢者とは何者なのですか?」
私が尋ねると、慧玄は微笑した。

「それは、三頭の獣を馴らした者のことじゃ。ワニもウマも斬り捨てず、抱きしめ、理解し、道を与えた者…」

彼は続けた。

「賢者とは、脳のすべてを仏の道に乗せることのできた者。三つの脳を一つの大悲で包む“中道の人”じゃ」

そして彼は、ある巻物を私に見せた。
その巻物には、かすれた墨文字でこう記されていた。

「新しき脳を持つ者、やがて月の下より現れ、三頭の獣を調和せしめ、民を迷いより救わん」

それは、まるでノストラダムスの詩の続きのようでもあった。

 

第四章 脳の構造と仏法の関係
深き仏法が、いかにして人間の三層の脳と響き合うのか。
その神秘が、物語として立ち上がっていきます。

第四章 脳の構造と仏法の関係

慧玄の寺に戻った私は、旅の記録を語った。ワニの怒り、ウマの欲望、ヒトの迷い。すべては私の内部にあった。

「見事だ」
慧玄は静かにうなずき、再び本堂の奥に私を誘った。
そこには、三つの仏像が並んでいた。ひとつは剣を持つ忿怒の姿。ひとつは優しく瞑目する観音。もうひとつは、法衣をまとい、蓮台に坐す如来の姿。

「これが、三身仏――応身・報身・法身だ」

私はその言葉を聞きながら、自らの脳に響く何かを感じていた。
すると慧玄は言った。

「脳もまた、三身なのだよ。いや、仏教の三学にも応じている。戒・定・慧――それぞれ、脳の三層と呼応しておる」

【第一の脳:古皮質(ワニの脳)=“戒”】

「ワニの脳は、欲望と恐怖、攻撃と支配の本能の塊だ。
この脳を制するために仏はまず“戒”を説いた。戒とは、外的な縛りではない。
暴れるワニに静寂を与える檻であり、波立つ衝動に呼吸を与える技術だ」

「つまり、“してはならぬ”の教えではなく、“どうすれば心が穏やかでいられるか”の智慧ですね?」

「そうだ。戒とは、ワニに微笑む力だ」

【第二の脳:旧皮質(ウマの脳)=“定”】

「ウマの脳――旧哺乳類脳は情緒と思考の橋だ。寂しさ、愛着、不安、歓喜……
だがこの脳は、外界への依存で自我を曇らせる。そこに必要なのは“定”だ」

「瞑想の力ですか?」

「そう。ウマをつなぐ手綱を持ち、心を一点に定める。定は逃げ出したウマを帰らせる道であり、情緒の波をなだめる静謐の力だ。君が歓楽都市で見たもの、それがウマの暴走だった」

【第三の脳:新皮質(ヒトの脳)=“慧”】

「そして、最も新しい脳、新皮質――ここは論理、創造、未来への投影の場所。だが、この脳はときに独善に走る。宇宙を計算し、神を論破し、魂さえ数字に変えてしまう」

「では、どうすれば?」

「そこに必要なのが“慧”だ。“慧”は知ではない。“知を照らす光”だ。無明を超える見通し。自我を俯瞰するまなざし。ヒトの脳は、ワニとウマを見下すのではなく、理解し、包む必要がある。そのために“慧”がある」

慧玄は、三体の仏像の前で言った。

「三身仏とは、脳の三重構造に対応する“仏法の使者”でもあるのだよ。
応身仏はワニを救い、報身仏はウマを慰め、法身仏はヒトに目覚めを与える」

私は震えた。

つまり――仏法とは、進化の過ちを補うための“補助手段”だったのか。

「そのとおり」
慧玄は言った。

「人間の脳は、未完成なまま放置された。だが、仏陀は見抜いていたのだ。この不調和を、いかに“法”によって整えられるかを――」

では、この「仏法による統合」はどこへ向かうのか?
三つの脳がひとつに調和するとき、人はどのような存在へと昇華するのか?

 

第五章 目覚める者たち ― 賢者と脳の超進化

人類の脳――三つの生き物が同居するこの器官は、混乱と進化の両方を抱えた矛盾そのものであった。
だが、仏法という“目覚めの設計図”が、それらを調律しはじめたとき、
新たなる存在の胎動が始まる――。

あの夜、慧玄の寺を出た私は、月明かりの中でひとり歩いていた。
脳の三層が、仏法と呼応していたという衝撃の真理。
それは“理解”ではなく、“覚醒”として私の中に広がっていた。

そこに、一人の老婆が現れた。
髪は白く、背は曲がり、まるで風のように現れて、私に言った。

「あなた、脳の声が聞こえるようになったのね」

「え?」

「三つの声。ワニ、ウマ、ヒト。今までは喧嘩ばかりしてた。でも、今は……静かでしょう?」

たしかに――
心の奥が、妙に澄んでいた。あの怒りや焦り、不安が、どこかへ退いていた。

「あなたのような者を、古来、“目覚めかけた者”と呼ぶのよ」

彼女はにっこり笑った。

「でもね、本当の目覚めは、まだ先。なぜなら“賢者”に出会っていないから」

賢者たちの出現

その後、私は各地を巡り、奇妙な人々に出会うことになる。
彼らは“常人”ではなかった。
ワニを抑え、ウマを育て、ヒトの脳に“新たな皮質”を宿した者たち。

・無言のまま森に暮らし、動物と意思疎通する青年。
・都市のど真ん中で暴力を鎮める、微笑みの女性。
・ただひたすら「坐る」だけで、周囲の空気を変える老人。

彼らの脳は、明らかに“変化”していた。

脳波の安定。感情の統合。直観力の異常な高さ。
科学では説明できない“和の力”を放っていた。

彼らは、こう語った。

「目覚めるとは、すべての声を一つにすることだ」
「脳を進化させるのではない。“脳に仏を住まわせる”のだ」
「私たちは、仏法という“OS”をインストールしてるだけさ」

その言葉に、私は震えた。

つまり――
“仏になる”とは、“脳の使い方を完全に変える”ということだったのか?

脳の超進化 ― 「第四の脳」の出現

ある日、私は再び慧玄に問うた。

「賢者たちは、脳に“新しい層”を持っているようでした。
それは一体……?」

慧玄は深く目を閉じたあと、語った。

「それは“如来脳”とも呼ばれている。科学的にはまだ名もないが、
仏法でいえば“無我”と“空”の境地だ。脳が、自己を越える場所――」

「つまり、“第四の脳”ですか?」

「そう。進化論の続きとしては異端だろう。だが仏法は、科学の枠の外で育ってきたのだ。
いずれ科学も、悟りの構造を測定できるだろう。
だが、それを経験するには、歩むしかない。内なる仏へと――」

物語はここから、さらに深い世界へと入っていく。

第六章 無我と空 ― 仏となる脳の条件

“自己”とは何か。
私たちが「私」と呼ぶものの正体は、実はただの記憶、反応、思い込みの寄せ集めなのかもしれない。
では、その“私”を超えた先にあるもの――それが「無我」なのだとしたら。
そして、あらゆる現象が空(くう)であると知るとき、脳はどう変容するのか――。

私は、再び慧玄の寺に戻っていた。
賢者たちと出会い、“脳の新たな可能性”に触れた私は、
それが単なる変化ではなく、ある種の“消滅”であることに気づき始めていた。

「慧玄……教えてください。無我とは、脳が“我”を捨てることですか?」

慧玄は静かに頷いた。

「そうだ。脳は、生存のために“私”という幻を作り出す。
ワニ脳が危機を察し、ウマ脳が比較し、ヒト脳が物語を作る。
だが、そのすべてを超えたとき、残るのは――何もない。
だがそれは“空虚”ではない。むしろ、すべてを包む“空”なのだ」

「……それは恐ろしくもありますね。“私”がなくなるなんて」

「多くの者がそこで立ち止まる。だが賢者たちは進んだ。
“私”を捨て、“世界そのもの”として目覚めたのだ」

慧玄は、一冊の古びた書を差し出した。

『般若心経』――。
その中の一節が、私の脳内で雷鳴のように響いた。

「色即是空、空即是色」
― すべての“現象”は空であり、空はすべての“現象”そのものである。

脳の消滅? あるいは変容?

私は山中で数日を過ごし、瞑想に没入した。
呼吸を感じ、思考を手放し、“私”を見つめる――。

すると、ある瞬間、私は確かに“消えた”。

それは死ではなかった。眠りでもなかった。
“私”が消えたのに、“意識”だけはそこに在った。

周囲の音、風の感触、遠くの鳥の声――
それらすべてが「自分」だった。

「無我」とは、「無存在」ではない。
“すべてと一つになる”状態だった。

そして私は悟った。

この境地こそ、「仏となる脳」の条件。
自己という幻を超えたとき、脳はついに“第四の進化”を遂げるのだ。

慧玄は言った。

「科学は“神経可塑性”を語る。だが仏法は“空への可塑性”を示してきた。
脳は、“空”の構造に適応できる。
ただし、そのとき脳は“私”のものではなくなる。
すべての生きとし生けるもののために機能しはじめる。
それが“仏の脳”だ」

第七章 仏性の覚醒 ― 救世主とは誰なのか?

「救世主は、外からは来ない。
その者は、すでにあなたの中に在る――」

かつて慧玄がつぶやいた言葉が、今になって胸を打つ。
私は、“仏となる脳”の片鱗を体験し、
それがどんな苦しみも包み込む無限の慈悲であることを知った。

しかし同時に、それは恐ろしくもあった。
この目覚めは、世界を根底から変えてしまう力を秘めていたからだ。

世界が求める“救い”とは何か?

一人の男が現れた。名を「天照」と名乗る。

彼は、不思議なカリスマ性を持ち、人々にこう語った。

「我こそは、未来より来た者。
人類はまもなく、“最後の選択”を迫られる。
そのとき、おまえたちの“仏性”が試されるのだ」

彼の言葉は、信者を生み、反発も生んだ。
賢者たちの中でも、彼を「目覚めし者」とする者と、
「偽りの救いを語る者」と警戒する者に分かれた。

私は、彼に会いに行った。

救世主とは“誰”かではない、“何”かだ

天照は私にこう言った。

「救世主とは、“覚醒した仏性”そのものだ。
それは誰の中にも在る。だが目覚める者は稀だ。
この世界の脳は、まだ“私”に囚われすぎている」

「だが、なぜ“救世主”として名乗るのですか?」

「人は象徴を求める。“私”がその導火線となる。
だが私は、“扉”でしかない。開けるかどうかは、おまえ自身だ」

私はそのとき、悟った。
この物語における“救世主”とは、特定の誰かではなく、
目覚めようとする意志そのものなのだと。

そして、真の試練が始まる

だがその目覚めを阻む力もまた、確かに存在した。
脳の“恐れ”を司るワニ脳の領域が、人類の無意識で目を覚まし始めていた。

「破壊か、覚醒か。人類は今、分岐点にある」

慧玄が静かに言った。

次章では、その分岐点における戦いが描かれます。
脳の深層に眠る“恐れ”の力と、“目覚め”の力との対峙――。

 

第八章 ワニの逆襲 ― 恐れと戦う智慧の剣

夜、夢の中。私は底知れぬ沼のほとりに立っていた。
水面の奥から、何かがじっとこちらを見つめている。
目を凝らすと、それは巨大なワニだった――
赤く光る目と、鋭い歯。
それは私の内なる“恐れ”の象徴だった。

「よく来たな、人間の新皮質よ。
だが貴様は、我らを乗り越えたつもりでいるのか?」

ワニは、まるで言葉を話すように心に直接訴えかけてくる。
それは理性では抗えない、圧倒的な“感情”の力だった。
怒り、嫉妬、不安、逃げたいという衝動。
それらすべてが、このワニの姿をとって私を呑み込もうとしていた。

賢者の導き ― 智慧の剣の存在

私はもがき、呻き、叫んだ。
そのとき、どこからか声が響いた。

「智慧の剣を持て。それは恐れを断ち、真実を切り開く」

その声の主は、かつての賢者・慧玄だった。
彼は手に一本の光り輝く剣を持っていた。
それは金属ではなかった。
思考でも、感情でもない。
ただ、深い静けさの中から生まれた、透徹した“気づき”の剣。

「恐れに打ち勝つには、押さえつけるのではない。
見ることだ。ただ、観よ。正しく、深く、ありのままに」

その瞬間、私は悟った。
智慧の剣とは、「無我の眼」なのだ。
自我を超えて、ただ観る心。
そこには怒りも、恐れも、すべてを受け止める力があった。

恐れとの対話

ワニは吠えた。「我を否定するな!我は汝の命を守ってきたのだ!」

私は剣を抜いた。だがそれを振るうことはなかった。
剣の光が、ワニを照らしただけで、
その姿は少しずつ溶け、霧となって消えていった。

「ありがとう」と私は呟いた。
「おまえがいたから、生きてこられた。
だがこれからは、私が“見る者”として共にあろう」

新たな統合へ

その夜以降、私は恐れに支配されることが少なくなった。
それは消えたのではない。ただ、“対話”の扉が開いたのだった。

賢者たちは言う――
「智慧の剣を持つ者は、自らのワニと歩む」

第十章 光明の誓願 ― 一切衆生を救わん

風はやさしく吹いていた。
空には一筋の光が射し、夜明けを告げていた。

その光は外の世界を照らすと同時に、私の内側の深奥――
闇に沈んでいた“意志”のかけらをも、そっと照らし出した。

菩薩の誓い ― 私が地獄に堕ちるとも

「たとえこの身が砕けようとも、
すべての命が救われるまで、私はこの道を歩む」

それは、ある日、私の心に自然と浮かんできた言葉だった。
誰に教わったわけでもない。
だが、確かにそれは私の“本願”だった。

過去の自分は、救われたかった。
しかし今の私は、「救いたい」と願っていた。

それは一種の変容だった。
“私のための法”が、“すべてのための法”へと変わっていた。

光明とは、無限の慈悲と智慧

賢者シリルが言っていた。

「闇を恐れる必要はない。
光はいつも、闇と共にある。
そして真の光明とは、すべてを受け入れる智慧だ」

その言葉が今、胸に染み渡る。
私の中の「ウマ」も「ワニ」も、
恐れも怒りも、すべてを統合したまま、私は立っている。

その姿こそが――「光の中に立つ者」なのだ。

救済とは、目覚めの連鎖

私は知っている。
私ひとりの覚醒では、世界は変わらない。

しかし、私の目覚めが誰かを照らし、
その誰かがまた別の誰かを照らしていくなら――
その連鎖は、やがて世界全体を包むだろう。

「救済とは、目覚めの伝播である」

それが、私の“光明の誓願”だった。

そして、扉は開かれる

すべての準備が整った。
過去、現在、未来、すべてが交差する一点に、私は立っていた。

第十二章 未来の光 ― 新たなる道の始まり

光が差し込んでいた。
それはただの光ではない。
その光は、すべてを照らし、すべてを解き放ち、そしてすべてを新たに生み出す力を持っていた。

目覚めの後に残るもの

涅槃を越えた先に待っていたのは、無限の可能性を持った「未来」だった。
だが、その未来は、過去の重荷から解放された私たちが作り出すものであり、
その道をどこへ導くのかは、私たち自身の手の中にあった。

シリルが言った。
「未来はお前たちのものだ。そして、その未来を選ぶ力もお前たちに宿っている。」

その言葉に、私は深く頷いた。
もう、迷いはなかった。
ただ一つ、進むべき道が見えていた。

新たなる道 ― 光の先に待つ者たち

道は、どこまでも続いているように感じられた。
新たな道は、まさに「無限」のようであり、その先に何が待っているのかを知る者は、誰一人としていなかった。
しかし、確かなのは、その道を進むことで、私たちが新たな世界を作り上げていけるということだ。

「すべてはつながっている。」
その言葉が、今、深く私の中で響き続けていた。

未来への道は、ただ一つの選択に過ぎない。
その選択は、私たちが互いに手を取り合い、共に歩むことで切り開かれていく。

未来の光 ― 新しい世界の誕生

そして、私たちの目の前に広がるのは、真の「光明」だった。
それは私たちが歩んできた道のすべてを照らし、これから進むべき道を示していた。

「私たちは、もう二度と過去の誤りを繰り返すことはない。」
シリルが言ったその言葉が、まるで未来への誓いのように感じられた。

そして、その先には新たな希望の世界が待っていた。
私たちは、もはや恐れずにその光を受け入れる準備ができていた。

終わりなき旅 ― 未来へ向けて

物語はここで終わるわけではない。
私たちの旅は、ただの始まりに過ぎないのだ。
未来の光を胸に、私たちは新たな道を歩んでいく。

そして、この道を歩む者たちが次第にその先に到達したとき、
新たな世界が確実に生まれるだろう。

それが私たちの使命であり、私たちの未来なのだ。

 

 

 

Chapter 1: A room where crocodiles and horses live

Did you know?

That crocodiles and horses coexist in this mysterious organ called the human brain.

One night, unable to sleep, I stared blankly out the window of my study. A full moon floated in the night sky, shining quietly like a cross-section of a brain. As I gazed at the moon, I remembered a strange story that had once been written in an old book.

The book said that “the human brain is made up of three beasts.”

The oldest is the reptilian brain. In other words, it is the part that contains the memories of snakes and crocodiles. Survival instinct, attack, and defense. It simply reacts without any logic.

Layered on top of that is the paleocortex, like that of horses and sheep. It contains the prototypes of emotions, motherhood, and camaraderie.

And finally, the neocortex appeared, completely covering all of that.
–The human brain. This is the brain that manipulates language, solves mathematical equations, and dreams of the universe.

But this structure is far too unstable.

“It’s like a Frankenstein’s monster brain,” the book muttered.

Evolution seems to be a clumsy craftsman. It has forced a new device onto the brain without removing the old parts.

An angry crocodile, a timid horse, and a thinking human are all fighting inside the same head.

This state of affairs may be what we call “everyday life.”

A philosopher once said,
“Evolution is like forgetting to tighten a couple of screws sometimes.”

It is these forgotten screws that often cause us to suffer from contradictions, leading to intense conflict and even war and destruction.
The old emotional brain drives us without meshing with the new logical brain.

But is there any hope? What if there was a law that could fix this loose screw and save humanity?

That would be something worthy of being called the “Law of the Savior.”

Do you believe in Nostradamus?

What if that mysterious 16th century prophet spoke of a “wise man with a new brain” who would appear in the future, and of a “great law”?

Such a story is quietly about to unfold.

Chapter 2: The Sage’s Appearance

One autumn evening, I happened to visit an old temple in the mountains of Tohoku. The temple’s name was “Myōno-ji Temple.” This strangely named temple, which means “revealing the brain,” was known locally as the temple of a “talking monk.”

“If you want to meet a wise man, go to that temple,”

That’s what an old doctor who was once active at the forefront of neurology told me.
“He spoke of the true nature of the brain, and at the same time hinted at the existence of a ‘law’ that saves humans.”

When I arrived at the temple, evening mist enveloped the surroundings.

A monk was sitting at the back of the main hall. His name was ‘Egen’.

Egen was a strange man. As he recited the ancient Buddhist scriptures, he spoke of the three-layered structure of the brain as if he had experienced it with his own body.

“The crocodile lives here,” he said, tapping his solar plexus.

“The horse lives here in this chest…”

He then pointed to his chest.

“And humans live here on their foreheads.”

I gasped.

His way of speaking was not spiritual. It was spoken of as a ‘real experience’ that connects science and Buddhism.

“So then, who is a wise man?” I asked, and Egen smiled.

“It is the one who tamed the three beasts. The one who did not cut down the crocodile or the horse, but embraced, understood, and gave the way…”

He continued.

“A wise man is one who has been able to place all of his brain on the path of Buddhism. He is a ‘middle man’ who wraps the three brains in one great compassion.”

Then he showed me a scroll.

Then, written in faded ink on the scroll was:

“One with a new brain will soon appear from under the moon, harmonize the three beasts, and save the people from confusion.”

It was like a continuation of Nostradamus’ poem.

Chapter 2: The Appearance of the Sage

One autumn evening, I happened to visit an old temple in the mountains of Tohoku. The name of the temple was “Myōno-ji Temple.” This strangely named temple, which means it reveals the brain, was known locally as the temple of the “talking monk.”

“If you want to meet a wise man, go to that temple.”
So said an old doctor who was once active at the forefront of neurology.
“He spoke of the true nature of the brain, and at the same time hinted at the existence of a ‘dharma’ that saves humans.”

When I arrived at the temple, evening mist enveloped the surroundings.
A monk was sitting at the back of the main hall. His name was ‘Egen.’

Egen was a strange man. While reciting the ancient Buddhist scriptures, he spoke of the three-layered structure of the brain as if he had experienced it with his own body.

“The crocodile lives here.”
And then he tapped his solar plexus.
“The horse lives here in this chest…”
He then pointed to his chest.
“And humans live here in this forehead.”

I gasped.
His way of speaking was not spiritual. He spoke as a ‘real feeling’ that connected science and Buddhism.

“So who is a sage?” I asked, and Keigen smiled.

“It is someone who has tamed the three beasts. He has not slashed away at the crocodile or the horse, but has embraced, understood, and given them a way…”

He continued.

“A sage is someone who has placed his entire brain on the path of Buddhism. He is a ‘middle-way person’ who envelops his three brains in one great compassion.”

Then he showed me a scroll.

On the scroll, written in faded ink, was the following:

“One with a new brain will soon emerge from beneath the moon, bring the three beasts into harmony, and save the people from their delusions.”

It was like a continuation of Nostradamus’ poem.

Chapter 4: The relationship between the structure of the brain and Buddhism
How does the profound Buddhism resonate with the three layers of the human brain?

This mystery emerges as a story.

Chapter 4: The relationship between brain structure and Buddhism

I returned to Egen’s temple and told him the story of my journey. The rage of the crocodile, the desire of the horse, the delusion of man. All were inside me.

“Amazing.”
Egen nodded quietly and invited me back to the back of the main hall.

There were three Buddha statues lined up. One was a wrathful figure holding a sword. One was a Kannon with its eyes closed gently. The other was a Tathagata wearing a robe and seated on a lotus pedestal.

“This is the Buddha with three bodies – the Buddha with the three bodies of the Buddha, … “The brain is also one of the three bodies. In fact, it corresponds to the three Buddhist studies. Precepts, concentration, and wisdom – each of these correspond to the three layers of the brain.”

[First brain: Archocortex (crocodile brain) = “Precepts”]

“The crocodile brain is a mass of desire, fear, and instincts of attack and control.

To control this brain, the Buddha first preached “precepts.” Precepts are not external restrictions.

They are a cage that gives silence to a raging crocodile, and breathes to its raging impulses. “It is the skill to be able to remain calm.”

“In other words, it is not a teaching of what not to do, but the wisdom of how to keep one’s mind calm, right?”

“That’s right. Precepts are the power to smile at a crocodile.”

[Second brain: Paleocortex (horse brain) = “Contemplation”]

“The horse brain – the paleocortex is the bridge between emotion and thought. Loneliness, attachment, anxiety, joy…

But this brain clouds the ego with dependency on the outside world. What is needed is “contemplation.” “It’s the power of meditation?”

“Yes. Hold the reins that hold the horse and focus your mind on one point. Concentration is the path to bring back a runaway horse, and the power of serenity that calms the waves of emotion. What you saw in the pleasure city was a horse running wild.”

[The third brain: the neocortex (human brain) = “wisdom”]

“And the newest brain, the neocortex – this is the place of logic, creativity, and projection into the future. But this brain is They are self-righteous. They calculate the universe, refute God, and even turn souls into numbers.”

“So what should we do?”

“What is needed here is wisdom. Wisdom is not knowledge. It is the light that illuminates knowledge. A perspective that transcends ignorance. A perspective that overlooks the self. The human brain needs to understand and embrace the crocodile and the horse, not look down on them. That is what wisdom is for.”

Egen said in front of the three Buddha statues.

“The Three-Buddha Body is also a ‘messenger of Buddhism’ that corresponds to the triple structure of the brain.
The Buddha of Mankind saves the crocodile, the Buddha of Reward for the horse, and the Buddha of Dharmakaya awakens humans.”

I was shocked.

So that means — Buddhism was a ‘supporting measure’ to make up for the mistakes of evolution.

“Exactly,” Egen said.

“The human brain was left in an incomplete state. But Buddha saw through it. How can this disharmony be rectified through the ‘Dharma’?”

So where does this ‘integration through Buddhism’ lead?
When the three brains are harmonized into one, what kind of being will humans evolve into?

Chapter 5: The Awakened – The Wise Men and the Super Evolution of the Brain

The human brain – this organ where three living things coexist – is a contradiction that contains both confusion and evolution.
However, when the ‘blueprint for awakening’ that is Buddhism begins to tune them,
the stirrings of a new existence begin.

That night, after leaving the temple of Egen, I was walking alone in the moonlight.
The shocking truth is that the three layers of the brain were in resonance with the Buddhist Dharma.
It was not ‘understanding’ but ‘awakening’ that spread within me.

Then an old woman appeared.
Her hair was white, her back was bent, and she appeared like the wind and said to me.

“So you can now hear the voices in your brain.”

“Huh?”

“Three voices. Crocodile, horse, and human. Up until now, we’ve always been fighting. But now… it’s quiet, isn’t it?”

Indeed–
My heart felt strangely clear. All that anger, impatience, and anxiety had retreated somewhere.

“People like you have been called ‘almost awakened’ since ancient times.”

She smiled.

“But you know, true awakening is still a long way off. That’s because you haven’t met the ‘wise man’ yet.”

The Appearance of the Sages

After that, I traveled around the country and met strange people.
They were not “ordinary people.”
People who subdued the crocodile, raised the horse, and had a “new cortex” in their human brains.

・A young man who lived silently in the forest and communicated with animals.
・A smiling woman calming down violence in the middle of the city.

・An old man who changes the atmosphere around him just by “sitting” for a long time.

Their brains had clearly “changed”.

Energy waves were stable. Emotions were integrated. An extraordinary level of intuition.

They were emitting a “power of harmony” that science cannot explain.

They said this:

“Awakening is the unification of all voices.”

“It’s not about evolving the brain. It’s about “inhabiting the Buddha in the brain.”

“We are just installing the “OS” of Buddhism.”

I was shocked by those words.

In other words–
“Becoming a Buddha” meant “completely changing the way you use your brain”?

Super evolution of the brain – the emergence of the “fourth brain”

One day, I asked Keigen again.

“The wise men seemed to have a new layer in their brains.
What is it…?”

Egen closed his eyes deeply and then spoke.

“It is also called the Tathagata brain. It has no scientific name yet, but in Buddhism it is the state of “no self” and “emptiness”. The place where the brain transcends itself–”

“In other words, the ‘fourth brain’?”

“Yes. It may be a heretical continuation of evolutionary theory. But Buddhism has developed outside the bounds of science.
Scientists will eventually be able to measure the structure of enlightenment.
But the only way to experience it is to walk. Towards the Buddha within–”

From here, the story goes deeper.

Chapter 6: No Self and Emptiness – The Conditions for the Brain to Become a Buddha

What is the “self”?
The true identity of what we call “I” may actually be just a collection of memories, reactions, and preconceptions.
So what is beyond that “I”–what if that is “no self”?
And how will the brain change when it realizes that all phenomena are empty?

I had returned to Keigen’s temple once again.

Having met the wise men and come into contact with the “new possibilities of the brain,”
I began to realize that this was not just a change, but a kind of “disappearance.”

“Keigen… please tell me. Does selflessness mean the brain abandons its ‘self’?”

Keigen nodded quietly.

“That’s right. The brain creates the illusion of the ‘self’ in order to survive.
The crocodile brain senses danger, the horse brain makes comparisons, and the human brain creates a story.
But when you overcome all of that…

ワニとウマが同居する人間の脳 あなたはご存じだろうか?

ワニとウマが同居する人間の脳

The human brain: a mix of crocodiles and horses

 

ワニとウマが同居する人間の脳

あなたはご存じだろうか?

人間の脳は、三つの部分の脳から成り立っている。「進化」がそのようにヒトの脳hは人間の脳には、ワニとウマが同居しているのである。

まさに、手あたりしだいあちこちから生物の部品をかきあつめてつくったというフランケンシュタインの怪物さながらである。

最も古い脳である古皮質は、基本的に爬虫類の脳であり、二番目の旧皮質は、下等哺乳類から受けついだ脳である。三番目の新皮質は、後期哺乳類から発達した脳だ。

つまり、こういうことになる。

古皮質ヘビ・ワニの脳

旧皮質ウマ・ヒツジの脳

か? ところで、こんなにも異質の脳が同居していて、うまく機能していくものだろう

なぜか?

新皮質――ヒトの脳

この三つが、人間の大脳のなかで同居しているのである。

この三つのうち、古皮質と旧皮質の脳は、原始的構造の脳であり、進化によって成長した人類特有の新皮質脳とは、解剖学的にも機能的にも根本的に異質のものとなっている。いま、ヒトの脳である新皮質脳にたいし、古皮質、旧皮質を、ヘビ・ワニの脳、ウマ・ヒツジの脳と表現した所以である。

もちろん、うまくいくはずがない。「進化」はどこかで手ちがいをしてしまったように思われるのだ。というのは、本能的、情緒的行為をつかさどる先祖伝来の脳構造古皮質・旧皮質と、人間に言語、論理、象徴的思考をもたらした新皮質とは、うまく噛み合わないのである。両者は不安定のまま共存し、しばしば鋭く対立し、時に激しく爆発するのである。

このアンバランスー「型」のと、「古代明乳類型」の脳は、ともに、いわゆる辺縁系を構成しており、人間の脳の中核にあって、本能・激情・生物的衝動をコントロールしているが、 この古い脳構造は、ほとんど進化の手の影響を受けていないのである。つまり、ややオーバーにいえば、ヘビ、ワニ、ウマ、ヒッジのままの脳なのである。

これにたいし、ヒト科の新皮質は、過去五〇万年の間に、近代史上、例を見ない爆発的スピードで発達をとげたのである。解剖学者のなかには、その急成長ぶりを、 の成長にたとえるものさえいる位である。

人間の論理的・創造的・受的思考をあたえる新皮質は、異常なスピードで進歩していくのに、情緒専門の古い脳は動物時代のまま、置き去りにされた。この両者は、 適切に統合調整されることなく、あたらしい脳は古い脳の上にすさまじいスピードで覆いかぶさって成長していった。

古い構造の中間と新皮質をつなぐ神経経路は、どうしても不十分だと、専門学者は指摘している。

われわれの多くは、ヒトの脳の進化過程を、誤って考えやすい。

つまり、われわれは、原始的な脳が、徐々に高度の器官へと変化していったものと考えやすい。ちょうど、魚のエラが肺に、爬虫類の前脚が鳥の翼、クジラの前ビレが、 人間の手へと変化したように、脳もまた、古い脳があたらしい機能を持つものに変化していったものと考えてしまう。

しかし、じっさいはそうではなかったのである。神経生理学が、それを明らかにした。「進化」は、古い脳をあたらしい脳に変えはしなかったのである。古い脳をそのままにしておいて、あたらしい複雑な構造の脳を、古い脳の上に覆いかぶせたのである。しかも、あたらしい脳をどんどん成長させていったのである。

この場合、このあたらしい脳が、古い脳を完全に統御できるか調整できる装置を持っていれば問題はなかったのだが、専門学者は、この二つの脳をつなぐ神経回路が十分ではないといっているのである。

つまり、いうならば、「進化」は新皮質と視床下部の間をつなぐ回路を、二、三本、 手抜きしたのである。あるいは、マクリーンのいうように「ねじを二つ三つ、締め忘

た。 むかし、狂暴な独裁者は、自分の国の人間を殺すだけだったが、新皮質脳が強烈な武器をつぎつぎとつくり出した結果、いまでは、世界中の人間を殺すおそれが出てき人類を滅亡に追いこむこの人間の脳の欠陥を改造して、人類を救う方法はないものだろうか?

もしもそういう法があったとしたら、それこそそれは、人類待望の救世主の法ともいうべきものではなかろうか?

たしかに! そういうと、そんな法などあるはずないとあなたはいうかも知れない。

だが――

われわれはなんとしてでも、この救世主の法を発見せねばならない。

そうかも知れない。人間の脳を改造するなどという考えは、ふつうの常識を持った人間には、考えることさえ出来ないことかも知れない。

むかしから、幾人かの賢人たちが、そういう法のあることを予言しているといったら、あなたはどう思うだろう。

その予言を紹介しよう。

たかが予言などといってはいけない。われわれは、いま、どんなにわずかであったとしても、その可能性を追求せねばならぬ瀬戸ぎわにいるのではないか。ましてこれらの予言には首肯せざるを得ない裏づけがあるのである。

まず、「進化したあたらしい脳を持つ賢人」の出現を予言した詩がある。

La lune au plain de nuict sur le haut mont, Le nouveau sophe d’vn seul cerveau la veu: Par ses disciples estre immortel semond, Yeux au mydi, en seins mains corps au feu.

その平原の高い山の上に、夜、嘆きの月が昇る新しい脳の賢人がひとり、じっとそれを見る

彼は弟子たちによって不死に招かれ

眼は南に、見せかけ、両腕と胴は火の中にある

ノストラダムス「諸世紀』4巻

五島勉氏訳

書名なノストラダムス学者五島勉氏によると、この詩は、そのナンバーからいって、 日の国、日本を示す神であり、日本人の中に、進化した新しい脳を持つ人たちがあらわれていることを示す時であるという。

そしてさらに、三行目に出てくる「不死」という語は、そういう日の国の新脳人間

たちがやがて不死の技術さえ持つようになる、または「生命は永遠だ」という証拠をつかむまでになるという意味ではないか、とのべている。

この時の、べつな解釈もあとでのせるが、いずれにせよ、あたらしい話を持つ賢人が、日本にあらわれるという予言時である。

そう一つ、おなじように、新しい画期的な証を持つ賢人の出現をしたノスト

ラダムスの詩がある。しかも、その賢人をつくり出す法を「偉大なる救世主の法」であるとかれはいっているのである。

La loy du Sol & Venus contendus Appropriant l’esprit de prophetie, Ne l’un ne l’autre ne seront entendus, Par Sol tiendra la loy du grand Messie.

グエニュ日の国の法と金星の法が競い合う予言のエスプリをわがものとしながら双方たがいに耳をかたむけないが

偉大なメシー(メシア)の法は日の国によって保たれるだろう

『諸世紀』5巻535

五島

 

この詩について、五島勉氏は、つぎのようにのべている。

これが「大きなメシーの詩」である。ノストラダムスの全予言の中で、たった一編、『メシー」という究極の言葉が入っている特別な詩だ。

そのためか、闇の勢力からの干渉はすごかった。絶対に知ってはならない詩、

知らせてもならない詩、とプロの研究者のあいだで古くから言い伝えられてきた。 詩の原文そのものも、一六世紀には、『諸世紀』に載せられていたが、一七、八世紀ごろには(ほか何編かの空白詩の一部とともに)、しばしばこの詩が『諸世紀』から削りとられ、印刷されなかった。

しかしノストラダムス自身は生前、「この詩(の原文)を見た人は、それだけ。 でも恵まれるようになる。とくに四行目(の原文)を声に出して読めば、いっそう幸運に恵まれる。詩の真の意味を知れば、さらに輝く人生を送れる。なにしろこの詩は、わたしが精魂込めて書き、『大きなメシーの法』とつながっているんだからね」と友人に話したという。

もしそうならば、ごく短く

もしそうならば、ごく短くしかもさりげないこんな語句が、なぜそれほど強な力を持つのか。またそんな強い力を与える「メシー」とは何なのだろうか。

わかりやすい発音でいえば、それはメシアだ。英語でいえばメサイアになる。 辞書では「救世主」と訳されている。つまり『世界と人類を救うもの”がメシーだ。

「じゃ、もちろん、わが主イエス・キリストのことですね」とクリスチャンは思うだろう。イスラム教の人は「われらの神アッラーのことに違いない」と思うだろうし、ユダヤ教の人は、「われわれの聖典(旧約聖書)に記された唯一の神ヤーウェ(エホバ)こそ真の救世主」と言い切るだろう。

しかし、この詩に予言された『大きなメシー』は、それらのどれでもないようだ。これは未来へ向けての予言なので、古代のイエス・キリストや聖書に記された古代の神のことが、一六世紀になって予言されたはずはないからだ。