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「軟酥」の法

「軟酥」の法  輪転生联想法Ⅱ

この法は、「摩訶止観』(中国の坐禅の古典、天台智顗[五三八一五九七]の著書) を学んだ白幽という道人から、臨済禅の白隠禅師に伝えられたもので、青年時 代に、わたくし自身、実行して、これにより重症の結核をなおす糸口をつかん だものである。

単に結核をなおしただけではない、後年、わたくしが密教に入っての修行、 また、求聞持法の修行にも、この青年時代の体験が、どれだけ役に立ったか、 はかりしれないものがあった。 なんそ あらゆる方法を研究した結果、日光浴と、この白隠禅師の「軟酥の法」による 内観療法しかないという結論に達した。わたくしが第三期に入りかけていた結 核を克服することができたのは、まったく、この二つの療法のおかげであると思います。

ストレプトマイシンもパラアミノサリチル酸もない時代であるから、医学的 にはどうしようもなく、ビタミンとカルシウムの注射を打ち、消化剤を飲んで 寝ているよりほか手がないのである。

そこで、この「軟酥の法」をご紹介しよう。

まず、床の上に、体をまっすぐ伸ばして仰臥する。体の中の力を抜き、眼を 閉じる。それから、鼻の先に一枚のごく軽い羽毛がついていると考える。その はね

 

ひたい 呼吸が調ったら、数を数える。つまり、数息観である。心が安定したら、観 想に入る。鶏の卵くらいの大きさの丸薬が、額の上に乗っていると観ずるので ある。この丸薬は、なんともいわれぬよい香りのするさまざまな妙薬を練りか ためたもので、バターのようにやわらかい。ちなみに、「なんそ」というのは牛 の乳から製したバターかチーズのようなものであるという。

た「なんそ」にひたされる

夜明け前、いままさに、東の空に日が昇らんとしている。あっ、いま、はる か向こうの山の頂に太陽が顔を出した。ぐんぐん昇っていく。その太陽の光 が、わたくしの全身をやわらかくつつむ。すると、その太陽のほどよいぬくも りとわたくしの体温で、頭のてっぺんの「なんそ」がしだいに溶けはじめるの である。バターが溶けるように溶けはじめる。じりじりと溶けはじめて

 

リーブ油のように流れはじめる。ほら、額の上、耳のうしろのほうにも流れて いく。

ごぞうろつぶ しだいに流れてゆく。しかもただ皮膚の上を流れていくだけではなく、眼の中 に入って眼を洗い、耳の中から入って脳を洗い、さらに鼻の穴から咽喉を通っ て気管、肺、胃、腸、肝臓と、五臓六腑にしみわたって、薬効を発揮していととの

なんといういい香りだろう。頭全体がくまなく、「なんそ」の妙薬におおわた。じつにいい気持ちである。「なんそ」は、香油のようによい香りを放ちなが ら、しだいに体の下のほうに流れていく。首から肩、胸、腹、背中のほうにもく。ことに肺の悪いところを、「なんそ」は念入りに循環して洗い清めてくれる。

わたくしには、この霊薬が、肺の黒くなった細胞の間をゆっくりとしみ透っていくのが如実に感じられるのである。「なんそ」は、内臓を全部洗い清める と、今度はそのまま下腹から、腿、膝となおも流れくだり、両足の爪先からし たたり落ちる。そのしたたりはしだいにベッドの中にたまり、背中から腰、腹、胸、とひたし、ついに、あごの下まで、風呂の中につかったように、溶ける。 かれた蛮の中におさまってしまう。この壺はまた明日の朝、開かれるのであ る。わたくしはそこで、じつに心身さわやかになって、静かに眼を開くのである「なんそ」にひたされる。

やがて、「なんそ」は、ベッドの一隅から徐々に流れ落ちはじめ、その下に置よく 約一時間かけて、わたくしは毎日、この「なんそ」浴をやった。というもの の、一時間の「なんそ」浴ができるようになるまで、二、三カ月かかったので ある。最初のうちは、日の光が射しはじめ、「なんそ」が額のあたりまで流れて きたところで、ほかのことに心が行ってしまっていることに気がつき、あわて て戻ってくる。これではいけないというので、もう一度太陽の出るところから やりなおす、ということで、これがあまりくり返されると、腹が立って、つい には寝ていられなくなって床の上に起き上がり、狂人のように目を怒らせてあ たりを見まわしたりしたものである。

しかしわたくしは、なんとしてでも生きぬきたかった。二十歳そこそこで、

肺病なんかで死にたくなかった。それには、これしか治療法がないと思った。 その死にもの狂いの気持ちが、ついに、一時間の「なんそ」浴をできるように

したのであろう。

わたくしの入院していたサナトリウムには、常時、百人近くの患者が療養し ていたが、午前中二時間、午後三時間の安静時間を守る者はほとんどなかった。

重症患者以外は、ほとんど全員起き上がって雑談をし、はなはだしいのは、 トランプや花札をやっていた。看護師や医師がまわってくると、見張り役が合あわててベッドにもぐり込む。いったいだれのために療養をしてい るのか? 若いわたくしは多少腹立ちを感じながら見ていた。安静時間中、 たくしは、この「なんそ」の法をやっていないときは、眼を閉じ、呼吸を調え て、額に直径二センチくらいのゴルフボール程度の水晶が乗っていると観じ、この水晶玉が転げ落ちないように、右にも行かず、左にも転げず、じっと静止 しているように心をそこに置いていた。

 

 

 

 

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