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純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)-2

純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)-

心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。

精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、すべてが記憶の投影です。

雑音の世界では、人生が錯覚に支配される。

    • 真我は、愛です。全ての欲求は、真我への愛を満たそうとする為の表現です。

 

    • 全ての生命は、一つの生命、一つの存在、愛です。

 

    • 生命は一つであり、反対はあっても対立はありません。分離はなく、平和です。

心 (マインド) は、相対的な世界です。そして、錯覚に支配される。
欲求と恐怖が一体としてあります。
快楽と苦痛が一体としてあります。
自分の愛するものの為に、対立をして、争います。
自分の愛するものの為に、戦争や犯罪を犯します。

預流果は、三結 (3つの束縛) が絶たれている。預流果は、有身見 (うしんけん:五蘊を自己とみなす見解) が錯覚だと理解したのです。

このような方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。

 

個我は、記憶の創造物です

    •  心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。

精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、すべてが記憶の投影です。

心 (マインド、潜在意識) にある情報や記憶は、本来の自己に様々な制限を与えています。

例えば、過去世の記憶は覚えていませんが、過去世に持ち越した情報や記憶は、誕生してからの環境に様々な制限を与えています。

例えば、天才と呼ばれる人たちは、過去世から持ち越した情報や記憶を今回の生で有効に使い、その結果をだしています。

今回の生でジニャーニになる人も、過去世から持ち越した情報や記憶を今回の生で有効に使い、その結果をだしています。

    ◎ 預流 – 聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。須陀洹 (シュダオン) を指す。

 

記憶を消去する

 ジニャーニの知識は、記憶になります。そして、記憶は体験になります。 ジニャーニの知識は、種になります。芽を出して、大きく成長します。そして、今回の生か、次の生 (最大7回、欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く) で、無知を払い去ります。

    ◎ 預流 – 聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。須陀洹 (シュダオン) を指す。

過去世から持ち越した情報や記憶は、曇 (くもり) になります。その曇 (くもり) は、無知と呼ばれます。この無知を払い去ると、本来の自己の光が完全に現れます。

本来の自己の光は、今という瞬間の中で輝いています。

心 (マインド、潜在意識) にある情報や記憶は、曇 (くもり) になり、本来の自己の光を制限しています。

本来の自己の光は、純粋な意識です。濁りがありません。この無知を払い去る方法は、ジニャーニの知識を得て、黙想して熟考します。

 ジニャーニの知識を得て、黙想して熟考している人は、預流向 (ヨルコウ) になります。以前の内容:悟りの段階 -1
http://add-spot.com/wordpress/enlightenment-1純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)

真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。

    • 預流向 (ヨルコウ) とは、ジニャーニの知識を得ているもの。
    ジニャーニの知識を得ているものとは、ジニャーニの知識を黙想しているもの。

ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジとの対話を黙想します

 

悟りの段階 どうすれいいか?

まず私の場合

1  仏教を信じ  釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃりをもつ。

 

成仏法(じょうぶつほう)」
 生者、死者を問わず、カルマ(業)を断ち切り、因縁解脱(成仏)してブッダ(真理に目覚めた人)になる方法です。
釈尊が阿含経の中で説かれている、「七科三十七道品」がその成仏法をもつ

「求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)」
古くから真言密教に伝わる、人を天才にする法です。
「求聞持聡明法」の原点が、釈迦の成仏法「七科三十七道品」の中にあることを発見されました。
七科三十七道品の中の「四神足法(しじんそくほう)」こそ、人間の頭脳を改造し、凡夫をして仏陀のさとりに至らしめる法である。  これを輪廻転生瞑想法を実行する。

 

これで

純粋な心-預流向 (ヨルコウ)

までいけます。

 

 

護摩木

護摩木 (ごまぎ)とは、護摩を焚く時に燃やすのことである。ヌルデゴンズイなどのやわらかい木材が使用されていることが多い。

護摩木の種類

願い事を書く祈願の護摩木と先祖の供養などを書く供養の護摩木の2種類がある。阿含宗阿含の星まつりなどでは「祈願」と「供養」の二壇の護摩壇で祈願と供養の護摩木を別々に焚き上げている。

お護摩って何のためにやるの?護摩の意味とは?

護摩木

お寺に行くと、お供えするローソクや線香と一緒に護摩木が置かれている場合があります。
名前や年齢、祈願したいことを書いてお寺に納めるのですが、そのあとどうなるのでしょうか?

護摩は天への供物

「護摩」というのは、サンスクリット語の「ホーマ」を音写したもので、「物を焼く」という意味です。
物を焼くと、炎があがりますが、実はその炎が重要なんです。
燃え上がる炎は「天の口」であって仏の智慧の象徴でもあり、その口から供物を食します。

つまり納めた護摩木は、供物として焼かれるのです。

そして、煙が天に届くことで、天は食を頂くことができ、代わりに人に福を与えるとされています。
このような考え方、由来はバラモン教にあります。
バラモン教が儀式で行っていたやり方を、大乗仏教も取り入れたんです。

今では主に天台宗や真言宗など、密教系の仏教宗派が護摩行(護摩供ごまく)という修行の一環として行います。
やり方は宗派によって違いますが、主に寺院内の護摩堂というお堂の中に護摩壇を用意し、そこに護摩木を投げ入れて、焚き続けます。

また、修験道においては、護摩堂内ではなく、野外で護摩法要を行います。
下の写真のように、山伏達が火の中に、お寺に納められたお護摩をどんどん投げ入れます。

護摩法要
護摩法要

一般に、「お火焚き」や「火祭り」という呼び方で行われているお寺の行事は、この護摩供のことだと思って良いと思います。

基本的にお寺の行事ですが、神社でも明治以前の神仏習合の色が強く残っている神社では護摩供を行う場合があります。

悟りの段階 1 – 預流 (よる)

悟りの段階 -1

純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)

真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。

    • 預流向 (ヨルコウ) とは、ジニャーニの知識を得ているもの。

 

    ジニャーニの知識を得ているものとは、ジニャーニの知識を黙想しているもの。

ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジとの対話を黙想します。

このような方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。

真我は、常に実在として存在しています

 真我は、常に実在として存在しています。ただ、一般の人では、無知の曇 (くもり) で覆い隠されています。 ジニャーニの知識を得ることで、無知の曇 (くもり) を消していきます。無知の曇 (くもり) が消えるほどに、真我の光と愛が自然に現れます。

注記:
釈迦から始まった仏教の上座部では、悟りの段階があります。4つの「果 (成就した段階) 」を合わせて、「四沙門果」(ししゃもんか) と言います。 さらに、4つの果得 (定) を、「向 (進み入る段階) 」と「果 (成就した段階) 」に分けています。向と果の名称が同じで、八種の段階にある人という意味で、八種の段階のことを、四双八輩 (しそうはっぱい) と言います。

参考サイト:
悟りの段階 1 – 預流 (よる) | 道 (way)・アドオンスポット
http://way.add-spot.com/wordpress/satori

 

無知の曇 (くもり) を払う

 悟りへと至る道は、シンプルです。 真我は、常に実在として存在している。(注:真我は、すでに実現している。という事です。) という事実を受け入れます。

真我を実現するためには、自己受容が大事です。神を受け入れるためには、まず、自己を受け入れます。

     「私は在る。」という事実を受け入れます。「私が在る。」から、この自分が知覚している世界が在る。という事実を受け入れます。

真我実現は、今すでに得ているもの (実在として在るもの) を無知の曇 (くもり) を払うことで、「この自分が知覚している世界」へ現す作業です。

 

ジニャーニの知識

 ジニャーニの知識は、シンプルです。その知識を黙想して、熟考します。

    •  ジニャーニの知識を得るには、その知識を黙想して、熟考することが大事です。これは、自分の理解したことしか、無知の曇 (くもり) を払うことができないからです。

理解したことからは、解放されて自由になります。

ジニャーニの知識を語る存在は、真理を説明するほど表現は、シンプルになります。

対話を読み (聞き) して、自分でその知識を黙想して、熟考することが大事です。内面からの気づきを得るようにします。気づきを得ることで、理解が深まります。

それをしている人が、預流向 (ヨルコウ) になります。預流向 (ヨルコウ) は、「自灯明、法灯明」を実践しているもの。になります。

ジニャーニ (真我を実現した存在) は、進む道を示すことはできますが、その道を進むのは、自力でしか進めません。

    • 預流向 (ヨルコウ) とは、ジニャーニの知識を得ているもの。
    ジニャーニの知識を得ているものとは、ジニャーニの知識を黙想しているもの。

ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジとの対話を黙想します。

悟りの段階は4つの段階がある  There are four stages of enlightenment

悟りの段階 -10

悟りの段階 -10 純粋な心-8. 阿羅漢果 (アラカンカ)  阿羅漢果 (アラカンカ) とは、無になったもの。無になったものとは、一つを体現して、沈黙へ入ったもの。 I_Am_That-30. You are Free…続きを読む

悟りの段階 -9

悟りの段階 -9 純粋な心-7. 阿羅漢向 (アラカンコウ) I_Am_That-30 より抜粋 マハラジ:生きる存在 (生き物) であることは、究極の状態ではありません。 それ以上のもの、はるかに素晴らしいものがあるの…続きを読む

悟りの段階 -8

悟りの段階 -8 純粋な心-6. 不還果 (フゲンカ)  執着と険悪は、記憶から来ています。 全ては、一つである。自分の意識の中に、すべての個人がいる。と理解します。 私が在るから、この世界がある。と理解します。 「執着…続きを読む

悟りの段階 -7

悟りの段階 -7 純粋な心-5. 不還向 (フゲンコウ)  根本仏教は、「心を浄める」教えであり、実践である。  一来果になると、欲と怒りがなくなります。肉体と心に対して執着が減ると、その分、怒りと欲が減っていきます。不…続きを読む

悟りの段階 -6

悟りの段階 -6 純粋な心-4. 一来果 (イチライカ)-2  一来果でなくなるのは、「欲と怒り」です。一来果は、「執着と険悪がとれたもの」です。自分の「執着と険悪」の動機を探ります。  「あなたが動機の中に入っていけば…続きを読む

悟りの段階 -5

悟りの段階 -5 純粋な心-4. 一来果 (イチライカ)  願望を実現するために、潜在意識を活用する方法は、数多くあります。輪廻転生を止めるための方法は、真我を実現する悟りの段階に入ることです。  「宇宙の覇者 (王) …続きを読む

悟りの段階 -4

悟りの段階 -4 純粋な心-3. 一来向 (イチライコウ)  一来向 (いちらいこう) とは、須陀洹 (預流) から、斯陀含 (一来) へと向かっている者です。  一来 (いちらい、巴: sakadāgāmin サカダー…続きを読む

悟りの段階 -3

悟りの段階 -3 純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)-2  心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。  精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、す…続きを読む

悟りの段階 -2

悟りの段階 -2 純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)  預流向 (ヨルコウ) は、ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。  知識は、記憶になります。記憶は、体験になります。理解が…続きを読む

悟りの段階 -1

悟りの段階 -1 純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)  真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。 預流向 (ヨルコウ) とは…続きを読む
Four four fruitsShika ShikaThe four stages of training for “Yoko and Shikou”
“Four fruits, Shika” Four levels of enlightenment (person who fulfilled)
It is also known as “Shisohachi, Shisohachihai”.

After the death of Butta, it will be prepared in four stages according to Satori’s training,
It is a concept that is classified into eight types: “people who go towards it” and “people who fulfill it.”

4, Arkanka
“People who have reached the ultimate satori, people who should be memorialized” (Ignored/Mugaku)
“A person who has broken down Gojo and Gojo”
“A person who has lost his anxieties, a person who has broken out by looking at the four points (Egedatsu), and a person who has both broken down (Gubundatsu)”
“People who have lost their worries about Rojinchi”
It is also called “Ougu”.

“Gojo Junjo/Gojobunketsu”
Connecting people to the color world and the colorless world
Don’t let go
The upper bond.

1. Shikiton
2. Mushikiton
3, Jyoko
4, pride
5, invisible

“Gogebunketsu”
Three worlds (desire world)
Five bondages that connect people to

1. Real-life (Ushinken)
2, doubt
3. Prohibition (Kaigonshu)
4. Greedy
5, Shinni

3, non-returnable fruit
“A person who reaches the predicament of Satori in heaven without returning to this world again”
He is the person who destroys Goshita-no-Kai and becomes a living person (Keisha) and becomes the Jyoten of the Color World.
It is also called “Anago-Anagon”.

The person who goes to it is “irreversible.

Four types of creatures

1. Embryos… born in the stomach
2. Eggs… born from eggs
3. Wet weather… Born from moisture such as moss
4. Metamorphosis… Born in heaven and hell from nothing.

2, Ichirai Fruit
“A person who reincarnates once between the heavenly world and the human world and reaches the boundary of Satori”
A man who destroys three bonds and is greedy
It is also called “Sudagon”.

The person heading for it is “Ichikou Ichirai.”

1、Fresh fruit

Ruka means “reaching the flow of Satori”.

“A person who reaches this state before reaching the state of Satori without having to fall into the world of the secular world before that, while training seven times between the human world and the heavenly world, and training.
It is also called “Gokushikaku Return/Gokushichi Ponnu” or “Gokushikaku Return/Gokushichi Ponsho”.

Yoruka is a person who has completely destroyed Sankei (seeing, suspicion, and prohibition).

“Sanyu Sankeitsu” is “Gogebunketsu”.
Three bondages

1. Real-life (Ushinken)
2, doubt
3. Prohibition (Kaigonshu)
4. Greedy
5, Shinni

It is also called “Sudan and Shudaon”.

Eyes
Those who transcend the world of the secular world above the age of deposit are called “Saints and Seijas” in “Seize and Shutsuken,” and those below that are called “Samurai and Bonpu.” I’ll call you. Pon!

The person heading for it is “Courage flow/Yorukou”.

Sariptta
Hogan is to get the logical understanding of the four sides of the law and become a depository! !! !!
Did you gradually come to understand that “Four Lords” is important? I’ll talk again! Grinning!

Further divided into 10 stages

Enlightenment Stage -10
Enlightenment Stage -10 Pure Mind-8. Arachanka Arachanka is nothing. What is lost is one that embodies one and enters silence. I_Am_That-30. You are Free… Read more
Enlightenment Stage -9
Enlightenment Stage -9 Pure Mind-7. Extracted from I_Am_That-30 Arakankou Maharaj: Being a living being (creature) is not the ultimate state. There’s more than that and much more… Read more
Enlightenment Stage -8
Stage of Enlightenment -8 Pure Mind -6. Unreturned Fruit (Fugenka) Obsession and urgency come from memory. Everything is one. In my consciousness, there are all individuals. I understand. There is this world because I am there. I understand. “Obsession…Read more
Enlightenment Stage -7
Enlightenment Stage -7 Pure Mind -5. Irreversible (Fugenkou) Nemoto Buddhism is a “purifying the mind” teaching and practice. When it comes to fruition, greed and anger disappear. The less attached to the body and mind, the less anger and greed. Non… The continuation is read
Enlightenment Stage -6
Stage of Enlightenment -6 Pure Mind-4. Ichiraika-2: It is “greed and anger” that cease to be Iraikai. Ichirai fruit is “a thing of attachment and aggression.” Explore the motivation for your “attachment and evil”. “If you get into the motive… read more
Enlightenment Stage -5
Enlightenment Stage-5 Pure Mind-4. Ichiraika There are many ways to utilize the subconscious mind to realize the desire. The way to stop reincarnation is to enter the stage of enlightenment to realize the self. ”The universe champion (king)… Read more
Enlightenment Stage -4
Stage of Enlightenment -4 Pure Mind-3. Ichiraikou Ichiraikou is a person who is heading from Sudake (deposited flow) to Sadatsu (Ichirai). .. Ichirai (Ichirai, Tomoe: sakadāgāmin sacada… Read more
Enlightenment Stage -3
Stage of Enlightenment -3 Pure Mind -2. Outflow Fruit (Yorka) -2 Mind (mind, subconsciousness) is a bundle of memories. An individual is a creation of memory. Mental habits create the environment for that person (individual). The environment of that person (individual) is… Read more
Enlightenment Stage -2
Enlightenment Stage -2 Pure Mind -2. Defensive Fruit (Yorka) Defective Agent (Yorukou), with the knowledge of Jinani, meditates and ponders. Awareness will occur and understanding will deepen. Knowledge becomes memory. Memory becomes an experience. Understanding… Read more
Enlightenment Stage -1
Enlightenment Stage -1 Pure Mind -1. Depository Direction (Yoruko) The truth is simple. The knowledge of Jignani is also simple. Get knowledge of Jignani, meditate, and ponder. Awareness will occur and understanding will deepen. What is “Yoruko”? Continue reading

仏教の真髄 釈尊直説の唯一の成仏法「七科三十七道品」

「阿含経」(あごんきょう)に書かれている「七科三十七道品」(しちかさんじゅうしちどうほん)あるいは 「三十七菩提分法」(さんじゅうしちぼだいぶんぽう)あるいは、単に「道品法」(どうぼんほう)と呼ばれている修行法です。

成仏法とは、人が仏陀に成ることができる修行法のことです。他の修行法は、人を高めることはできますが、仏陀にまでは成ることはできません。ここが、単なる修行法と、成仏法の違いです。成仏法は、釈尊直説の唯一の経典「阿含経」(あごんきょう)にしか書かれていません。 「七科三十七道品」は、7科目37種類の修行法があります。詳しくは、阿含宗のこちらのページをご覧下さい。http://www.agon.org/about/about_000012.php

この成仏法が、仏教にとって、最も重要であることは、言うまでもありません。仏陀に成るための法そのものなのですから。ところが、大乗仏教は、この成仏法を隠ぺいし、黙殺してしまったのです。

後世の大乗仏教は、仏教を大衆化するため、その障害となる、真の成仏法が書かれている阿含経を「小乗仏教」とさげすみ、厳しい、難しい修行法は、どんどん削除していきました。そうして、最終的には、菩薩という概念を作り出し、菩薩の慈悲におすがりすれば、修行は不要という他力本願の概念まで作り出してしまったのです。その大乗仏教が、今日の日本仏教の中心となってしまっているのです。もちろん、密教や禅宗は、他力本願ばかりではないので、多少とも違うというご意見がおありかと思いますが、それでも、阿含経を隠ぺい、黙殺し、阿含経に唯一書かれている肝心の成仏法を修行していない点には、変わりは無いのです。こうして大乗仏教は、大衆化のために、成仏法を隠ぺい、黙殺したニセの仏教となっていったのです。

「成仏法」が、どのようにしてできたのか、そのいきさつについても、きちんと阿含経に書かれています。阿含経には、お釈迦様が「成仏法」をお作りになられた状況が、克明に記載されているのです。 ご紹介します。

このお経は、お釈迦さまが、ご自分の成道の経緯をお説きになられた経典です。

<中阿含経 羅摩経>

お釈迦さまは、心機一転して、それまでの六年麻麦(まばく)の苦行を離れ、ネーランジャラー河において、村長の娘スジャータの乳ガユの供養を受け、聖地 ガヤーのピッパラ樹(菩提樹)の下に瞑想の座を定めました。ここでお釈迦さまは、悟りを開き、仏陀と成なれるのですが、その時の、状況が記されたお経です。

『我、すなわち座を解かずして、漏尽を得るに至れり。
我、無病無上安穏涅槃を求めて、すなわち、無病無上安穏涅槃を得、
無老無死無愁憂慼(むしゅううせき)無穢汚(むえわ)無上安穏涅槃を求めて、すなわち、無老無死無愁憂慼無穢汚無上安穏涅槃を得、
知を生じ、見を生じ、「道品法」を定む。

生すでに尽き、 梵行すでに立ち、所作すでに弁じて、更に有を受けずと如真を知りぬ。』

大意

「私は、菩提樹の下で、瞑想を数十日間(50日間近く。)つづけ、ついに、漏尽解脱することができたのである。
涅槃を得ることが出来たのである。
これにより、智慧が生じ、解脱したという自覚(解脱知見)が生じた。
さらに、成仏するための修行方法の体系、 成仏法(七科三十七道品)を決定した。

涅槃を得て、成仏したことにより、私は、この生涯が最後のものとなって、もう二度とこの迷いの世界に生を受けることのないことを、はっきり知ったのである。」

この他に、仏陀が、あとから二つも三つも、成仏法を追加されるわけが無いからです。あるとすれば、間違いなく後世の偽作です。仏教徒は、このことを一番に考えなくてはならないと思います。

この成仏法を修行しない限り、絶対に成仏はできないのです。
パーリ文「中阿含」第百三の kinti sutta につぎのように述べられています。

「 ここに比丘らよ、われによりて法は悟られ、汝らに説かれたり。 すなわち四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道これなり。 それゆえにすべての比丘らは相和し相欣び、争うことなくして、これを学ばざるべからず。」

「学ばざるベからず」とあります。絶対に修行しなさいという意味です。大乗仏教のかたがたは、この意味が分かっていないのです。

「雑阿含経(ぞうあごんぎょう) 応説経(おうせつきょう)」
においては、つぎのようにのべられています。

「釈尊:いろいろな方法を駆使して修行を行っても成就しないものが、もろもろの煩悩が尽き、心に解脱を得たいと思っても、あの修行者たちは、ついに漏尽解脱を得ることはできない。
弟子:それはなぜでしょうか。
釈尊:修行していないからである。
弟子:何を修行していないのでしょうか。
釈尊:いわゆる、七科三十七道品を修行していないからである。
弟子たちよ。七科三十七道品を修行し、成就する者がいたならば、その修行者が、漏尽解脱をしたいと思わなくても自然に漏尽解脱を得るのである。
弟子:それはなぜでしょうか。
釈尊:修行したからである。
弟子:何を修行したのでしょうか。
釈尊:いわゆる七科三十七道品である。(後略)」

いろいろな方法を駆使しても無駄である、 阿含経の七科三十七道品を修行しない限り、絶対に成仏できないと説かれています。

ですから、仏教徒は、全員、七科三十七道品を修行しなければいけないのです。それ以外に、方法はないのです。どんなに厳しくても、何度生まれ変わってでも、七科三十七道品を修行する以外に方法はないのです。

大乗仏教が説くよう に、修行法を捨て、仏の慈悲にすがるだけでは、冥土などにはいけるかもしれませんが、絶対に、成仏はできないのです。

上記のように、成仏法は、七科三十七道品しかありません。しかし、この七科三十七道品は出家者用のプロ用の修行法であり、大乗仏教が言うように、厳しく、難解であることは、事実です。

しかし、お釈迦様は、この成仏法 七科三十七道品へ至るまでの、その橋渡しとなる修行法も、きちんと用意してくださっていたのです。その修行法の一つが、「安那般那念法」(あんなぱんなねんほう)と呼ばれる呼吸法、瞑想法です。この瞑想法は、七科三十七道品の中の瞑想法の一つと考えてよいと思います。

お釈迦様が、「最高の呼吸法・瞑想法」と呼ばれるものです。

この法は、空海弘法大師様が、伝えて下さった、人を天才にする秘法といわれる、密教の「求聞持聡明法」(ぐもんじそうめいほう)とも密接に関係しています。

この法の習得が、成仏法 七科三十七道品への足がかりとなります。安那般那念法とは、「雑阿含経 安那般那念経」に書かれている、初歩から最高奥儀に至るまでの呼吸法・瞑想法のことです。10数種類の呼吸法・瞑想法が説かれています。

さらに、「雑阿含経 止息経」には、「勝止息、奇特止息、上止息、無上止息」の4つの呼吸法が説かれており、「この4つの呼吸法は、すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である。」とお説きになられています。この4つの呼吸法は、安那般那念法の最上のものということです。お釈迦様が、「最上の呼吸法・瞑想法」であるとおっしゃられているのですから、当然のことながら、この呼吸法・瞑想法をマスターしなければ成仏はできないということです。

大乗仏教は、この点も、全く理解していません。単なる呼吸法とは、わけが違うのです。仏教の実践的な修行は、この安那般那念法から始まるといっても過言ではないのだそうです。「息」とは、「生き」なのです。詳しくは、阿含宗管長 故 桐山靖雄大僧正猊下 ご著書「仏陀の法」をご覧ください。実践法は、「求聞持聡明法秘伝」に書かれています。

安那般那念法は、密教の求聞持聡明法、ヨーガのチャクラ覚醒法、道教の導引気功法、そして、神道の呼吸法とも密接に関係しています。また、ノストラダムスは、これらの法が、人類を救う法だと言うことを予言しています。そのこともこの「仏陀の法」に書かれています。
http://www.agon.org/books/books_list_04.php

大乗仏教は、釈尊直説の唯一の経典 阿含経を小乗仏教とけなし、以上のことを隠ぺい、黙殺し、まるで理解していません。これでは、絶対に成仏はできないのです。ノストラダムス氏が言われる通り、これらの法が、人類を救うのです。お釈迦様は、そのために、修行法、成仏法を残して下さったのですから。不老長寿、超人類社会への道は、ここに開かれているのです。すべての実践的な修行は、安那般那念法、求聞持聡明法の習得から始まるのです。

正法を知っていただくため、参考になれば幸いです。
合掌

追記

大乗仏教の特に、法華経系の宗派に、時代によって修行法、成仏法が変化するというような教えを解く教団があります。本尊や、時代(正、像、末の三時)などの違いによって、成仏法が変化するというのです。

しかし、これも全くのでっちあげです。真理は、いつの世も一つであって、その真理を体得するための方法、成仏法も、絶対に変化するはずがないのです。大乗仏教は、いろいろな簡略化した成仏法を作り出しましたが、全て偽作です。

その根拠を示します。釈尊直説の経典は、阿含経しか存在しませんが、阿含経には、上記のとおり、釈尊直説の唯一の成仏法、「七科三十七道品」が書かれています。 さらに、阿含経には、いつの世でも、どんな如来でも、如来は弟子たちを、「七科三十七道品」によって、修行させ、成仏させると書かれた経典が存在するのです。

「雑阿含経 石柱経」 です。

「過去にあらわれた仏も、未来にあらわれる仏も、また、いま現在あらわれている仏も、仏はすべて、五つの煩悩の心を断滅して涅槃を得、仏になったのであり、 仏は真実の智慧をみがく能力弱くして、自ら涅槃を得ることができないものたちをして、七科三十七道品の修行をさせて、阿耨多羅三藐三菩提を得さしめ、それによって成仏させるのである。」

したがって、過去仏も、未来仏も、現在仏も、すべての仏は、「七科三十七道品」を修行して成仏し、また、弟子たちを修行させ、成仏させるのです。本尊や、正、像、末の三時の違いなどによって、成仏法は変化しないのです。正法は、一つしかないのです。

また、次のような阿含経もあります。

「中阿含経・七宝経」 です。

『よく憶えておきなさい。転輪王がこの世に出現するときは、まず七宝がこの世に出現するのである。
七宝とはなにか? それは輪宝・象宝・馬宝・珠宝・女宝・居士宝・主兵臣宝の七つである。
転輪王がこの世に出現するときには、まずこの七宝が出現するのである。

同様に、如来・無所著・等正覚がこの世に出現するときには、 七覚支(法という)宝が、まずこの世に出現するのである。 なにをもって七覚支法とするのか? 念覚支(という)法をはじめとして、択法覚支・精進覚支・喜覚支・息覚支・定覚支・捨覚支(という)宝の七つが七覚支法である。
如来・無所著・等正覚がこの世に出現するときは、この七覚支法がこの世に出現するのである。』

七覚支法とは、七科三十七道品の中の一科目です。如来が出現するときは、必ずあらわれるとされているのです。

準提観世音菩薩

準提観世音菩薩の百字真言】

以下に因縁因果を超脱する力を引き出す観音菩薩の真言(マントラ)をしるす。

できれば準提観音のご尊像をもとめ、開眼して、その仏像を対象に百字の秘呪を念唱するのがよい。

昨日、納め観音のご縁日に、この秘呪を伝授資料の中から再発見した。
(※観音様の縁日は毎月18日であり、12月18日は一年の最後の縁日なので「納め観音」という)

12月18日は、特にこの佛尊の縁日(記念日)であると感得したので、本日は特別に、大々呪の秘伝を記す。


中国密教に伝わる秘伝の絵図

『ナモ・ブッダヤ ナモ・ダルマヤ ナモー・サンガヤー
ナモ・サルバ・ブッダ・ボディサトバヤ ナモ・ラトナ・トラヤーヤ
ナマー・アーリャー・マハー・チュンデイ
ナモ・サプタナム・サンミャクサンブダ・コチナム・タドゥヤター
・オン・チャレ・チュレ・チュンデ・スバーハー
マナー・ビドヤー・アプラチハタ・サーサナー マハーベラ・パラークラミ
アシムサラブラ・シバサ グリヒターサテ・マハークル ダクル・ティスバリ・バクラ・ルビニ
アナンダムケ サハスラ・ブジャ・アジアテ・パラージャテ
アモガ・ナクスメ・サハスラ・アクシ サルバ・タターガタ アディスタナ・アディシチェ
サルバ・バターナーム マンディチャプジテ・プラサーディチェ バジュラ・グニ バジュリ・バジュラバチュ バジュラ・ユデ バジュラ・ゴメデ バジュロ・タメ・リタス
アクシ・サビ・アグリ・グラルビニ・ビクルタ・ダルサン
バジュラ・バイチュラ・ラムクリタサッリ
オン・バガバテ・チュンデ・ドゥ・ドゥ ムル・ムル・ル・ル・スル・スル・ドゥル・ドゥル
グルナ・グラーナ・アービィシャーヤ・アービィシャーヤ グルナバヤ・グルナバヤ
ハラハラ・サラサラ バラーヤ・バラーヤ パンジャ・パンジャ バラーヤ・バラーヤ
パチャ・パチャ ナハナハ・グルナグルナ イダム・ドゥスタ・タグラ・ハム・ジュバラム
エカーヒカム ドバイヒカム トライティヤヒカム・チャートゥルタカム
サプターヒカム・ニディヤ・ジュバラム ムホリティカム グラハー・ブタベターナム
ヤクサ・ラークササ クムバンダナム アーユジジャン・ガリバジャン
サットバラム・ナガマム アーユマムヒ・サムディケチ ドゥスター・ダムサルバム
サーダーヤ・サーダーヤ スサヤ・スサヤ ダバヤ・ダバヤ サラサラ・マラマラ
フン・フン・フン チュル・チュル ドゥル・ドゥル ドゥム・ドゥム・ドゥム
オン・チャレ・チュレ・チュンデ サルバ・サーダーヤ・スバーハー オン・スバーハー
チャレ・チュレ・スバーハー チュンデ・マ・マ サンティム・クル・スバーハー
サルベサム・サーダーヤ・スバーハー』

この佛尊(準提観世音菩薩)は、在家・出家を問わずに因縁因果・悪業から超脱する功徳を与えるものである。
※当然「債主」から逃れるための功徳を与えてくださるのである。

法には、小呪・中呪・大呪とあるが、この百字真言が最奥義の大々呪のご真言である。

「観音経」でいう観音菩薩は、この佛尊であるとも言われており、同経典には「大清浄の願を発せり」とある。準提は梵語の「チュンディ」を音写したもので、「清浄」という意味がある。故に本質は同体の観音菩薩と考えるのである。

「水」に関係しているところから、「清浄」を司り、眷属には二体の竜王が仕える。水であるから安産の佛尊であり、水を以って悪業・悪因縁をすべからく浄めるとされている。

詳しく言うと、チベット密教、中国密教、真言宗醍醐派、天台密教に、この佛尊の法は伝承されている。しかし、日本には、大々呪(最奥真言)の伝承はない。

有名なところでは、高名な密教の師匠・アバヤカラブクタの「五十尊法」の一つとして伝承されている。ゾクチェンなど教えに連なるものでこの尊に関連したものはない。

まあ、とにかくこの呪を大切にして、蘊奥を究めていただきたいと思う。

川島金山 謹んでしるす

念佛三十七菩提分法の研究

念念従心起①

念佛三十七菩提分法の研究

◎念念 心より起こり

「念念従心起」である。いよいよ第九句まで来た。

念念、一瞬一瞬、観世音菩薩を念ずるんだ。心より起こるんだ。はじめの「観世音 南無佛」

に引っ掛けて、是く言うわけです。ですが、この「心より」というヤツがクセモノだ。

ここは本当に大切なポイントです。ここを理解しないと、何となく観音信仰でやって

心が洗われるだとか、観音様はありがたいとか、抹香臭い信仰・信心になってしまう。

私は抹香臭いの大好きですが、今の時代には即応していない。

「心が大切」という、この「心」が如何なるものか?

肝心なのは、ここです。

◎念仏の聖者山崎弁栄の「念佛三十七菩提分法」

山崎弁栄師は、1859年(安政6年)~1920年に在世した念仏聖者である。

筑波山に篭り、相模原の原当麻にある時宗本山の無量光寺の住職歴任など、様々な

業績を持つ。何といっても、歴史上在世した釈迦牟尼の遺された三十七菩提分法を

念仏で為すことに成功したことは、金字塔である。師の光明主義運動は、修養会に

引き継がれている。他心通などの神通をもっていたことでも知られている。

古代仏教、お釈迦様がお説きになったダルマは「四諦八正道」であるが、これを

様々な形でお説きになった。「戒・定・慧」の三学が仏道修行であることは周知であろう。

この三学を七つの方法に分類し、細かく分けると三十七のダルマになる。

それを後代の仏教で、三十七菩提分法とか、七科三十七道品と名付けた。ともあれ、

釈迦牟尼佛の説いたダルマは此れである。その三十七菩提分法の一科目に、「七覚支法

(しちかくしほう)」がある。七つの覚支、七つの覚りに至る支え(修行)がある。

弁栄聖者は、「念佛三十七菩提分法」「念佛七覚支」というものを確立したのです。

◎大乗仏教は非仏説なのか?

山崎弁栄(やまざきべんねい)聖者が佛法をお説きになったのは、明治~大正の近代です。

八宗兼学で、とにかく広く仏教を研究された。念仏行者でありながら、駒沢大学の前身に

入学し、時宗の本山の住職になっていることからも窺える。

明治初頭に「廃仏毀釈」の風が吹き、西洋の学問による仏教学が入ってきた。

大乗仏教は釈迦牟尼佛の説いた経典(教え)に基づいていないものである。釈迦牟尼の

説いたものではない「大乗仏教非仏説」であると。

さらに神智学の女性覚者H・P・ブラヴァツキー夫人の同志である、神智学協会初代会長の

オルコット大佐などが、南方仏教に帰依し「仏教概論」などが出版され、日本に来日し、

仏教僧を悉く破折した。東京大学でもサンスクリット語研究が進んで、仏教研究の潮流は

原始仏教研究になっていった。

日本人の霊性に根をおろしている、念仏・題目が、危機に瀕した。少なくとも学問の世界

では、大乗仏教は釈迦牟尼が説いたものではないと決定した。だが信仰上は、大乗仏教を

行ない、遥か昔のお祖師たちの教えを出ることはない。100年以上も前から、こういう状態

になっていたのです。これは各僧侶の問題です。ほとんど手付かずである。

だが山崎弁栄聖者は、念仏と釈尊の遺法である「三十七菩提分法」を念仏実践の角度から

理解し、咀嚼して、統合することに成功したのである。

その一に「念仏七覚支」があり、七つの覚支とは、択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支

・定覚支・捨覚支・念覚支である。

◎「念仏七覚支」中の『念覚支』

山崎弁栄聖者は、釈尊のダルマを念仏実践と結合させた。仔細に見ていくと、まさに

「念仏三十七菩提分法」である。このことは、真言宗でも法華宗でも、どの宗旨宗派でも

「三十七菩提分法」との結合・統合ができることを意味している。

チベット仏教ではとっくに昔にこれは解決している。

仏教の様々な修行法は、その人の機根に応じて出てきたもので、釈尊の根本法との

結合は信仰上の問題である。文化の上に宗教もあり、インドと日本では文化だけでなく

風習や環境が違う。すべての仏教というものを統合して、自分の「信」に応じて、

仏果をめざす。生きた信仰は、学問的研究とは別ものである。信仰に学問を取り入れる

ことはできても、学問に信仰は取り入れることはできない。

弁栄聖者は、次のように説く。

「… 念覚支とは、念とは、一人一日の中に八億の念ありと。すでに仏子の核となりしうえ

よりは、寝ても覚めても、念念にその核が中心となりて、あたかも果実がだんだんに長養

するがごとし。これすなわち各自の人格を形成する元素なり。もし悪人にして地獄の性格

となる者の核は、枳の如き果を成熟するために、日々、悪業増上の働きを積んで地獄の種子

を造り、それが熟すれば身は人間に在りながら、すでに地獄の業識が熟するなり。もし

念仏三昧をもって業事成弁(往生の因が完成して必ず極楽浄土に生ずる事が決定)するときは、

身はこの土(娑婆世界)に在りながら、すでに弥陀の種子が、その人の心霊に成熟するを

もってのゆえに、菩薩聖衆といわれ、その中心よりおこる三業(身・口・意)の所作は、

悉く仏子・仏心・仏行となるなり。」

「… 念。念とはすでに如来心中の自我なれば、如来の泉源より流れ出るわが心念である

故に、仏心すなわち自心、自心すなわち仏心、念念仏心と相応す。いな仏心が自己の心を

通じて発す。

『さざなみに すがたはちぢに くだけても 月の光は 映らぬはなし』」

「(念覚支とは) 仏が自分の心に入った状態。仏心仏行、如来心中の自我、度我行を

行じます。」

◎唯一の如来は釈尊だけである

この念仏三昧、念仏七覚支の「念覚支」まで到達すると、「入の境界」となる。

三身四智三昧(大乗仏陀釈迦の三昧)という境地に入る。無生法忍といい、不還という

境界に至る。古くは、浄土教の善導大師、法然上人、甲斐の徳本行者、弁栄聖者は、

皆な、大乗仏陀釈迦の三昧に悟入しておられた。弁栄聖者によれば、これにも浅い深いが

あって、究極の一切智を得て居られたのは、この地球上ではお釈迦様唯一人であると。

「念念」とは、仏心を見たてまつること。その仏心で行ないを為す、仏行を為すことで

ある。「延命十句観音経」でも、ここのところを指して(直指)しているわけである。

弁栄聖者は「念念」とは『見佛』であると言われている。

禅で言うたら『見性』だ。

釈尊の「念覚支」とは、『見佛・見性』の修行であるということです。

摩訶般若波羅蜜多で、照見(正見)して、己が阿耨多羅三藐三菩提心(究極の菩提心)を

『見佛・見性』する。なんといっても、「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多…」ですから、

自分が観自在菩薩に成る。そのためには、観世音大菩薩に祈る。

ここです、大切なのは。では「延命十句観音経」をお唱えしましょう。

延命十句観音経ー
観世音  南無佛
与佛有因  与佛有縁
佛法僧縁  常楽我浄
朝念観世音  暮念観世音
念念従心起  念念不離心ー

では、

七覚支法(しちかくしほう)

七覚支法(しちかくしほう)
択法覚支(ちゃくほうかくし)・精進覚支(しょうじんかくし)・喜覚支(きかくし)・軽安覚支(きょうあんかくし)・捨覚支(しゃかくし)・定覚支(じょうかくし)・念覚支(ねんかくし)の七つをいう。ニルヴァーナへみちびく七つの修行。

 

七覚支(しちかくし、satta bojjhaṅgāサッタ・ボッジャンガー)とは、仏教における修行内容の1つ。悟りの7つの支分をなす項目。「七等覚支」(しちとうがくし)[1]、「七菩提分」(しちぼだいぶん)[2]とも。「三十七道品」の中の1つ。

七覚支の内容は以下の通り[3]

  1. 念覚支(sati-sambojjhaṅga) – 気づき(サティ)。心で今の瞬間の現象を自覚すること
  2. 択法ちゃくほう覚支(dhamma-vicaya–sambojjhaṅga) – 法の中から真実のものを選ぶ
  3. 精進しょうじん覚支(viriya-sambojjhaṅga) – 努力
  4. 喜覚支(pīti-sambojjhaṅga) – 喜びに住する
  5. 軽安きょうあん覚支(passaddhi-sambojjhaṅga) – 心身に軽やかさ・快適さを感じる
  6. 定覚支(samādhi-sambojjhaṅga) – 心が集中して乱れない
  7. 捨覚支(upekkhā-sambojjhaṅga) – 。対象に囚われない