UA-135459055-1

霊的身体について  About the spiritual body

霊的身体とチャクラについての誤解

 

1.霊的身体についての誤解

古神道の四魂説と、神智(しんち)学の身体観

現在のスピリチュアリズムにおいて、誤解されがちな問題の一つが、人間の霊的身体についての見解です。“古神道”では人間の身体構成を「四魂説」で説いていますが、この四魂説がスピリチュアリズムの身体観と一致すると考える人々がいます。四魂説でいう荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)は、肉体・幽体・霊体・本体(神体)に相応すると言うのです。四魂説では、肉体以外に3つの霊的身体の存在があるということになりますが、浅野和三郎がこの四魂説を主張したことはよく知られています。その浅野和三郎の影響が、現在の日本のスピリチュアリズムにも引き継がれています。

またスピリチュアリストの中には、“神智学”の身体観をそのまま信じている人々もいます。神智学では、肉体以外に、エーテル体・アストラル体・メンタル体・コーザル体といった複数の霊的身体があって、それらが肉体に重複しているとします。その「多次元的身体」から、それぞれ異なるオーラが放射されていると言います。

さらにはR・シュタイナーは、神智学から出て、別の身体観をつくり出しました。シュタイナーも、神智学同様、多次元的な身体観を説いています。シュタイナーは、肉体以外に、エーテル体・アストラル体といった霊的身体の存在を主張していますが、それらは神智学と同じ名称を使いながらも、内容的には異なったものとなっています。

この他にも、さまざまな宗教で独自の身体観が説かれています。

「神智学の身体観」と「スピリチュアリズムの身体観」は一見似ているが……

このうち最もスピリチュアリスト達に影響を与え、誤解と混乱を生じさせているのが神智学の身体観です。スピリチュアリズム関連の書物の中で、神智学の「多重身体観」が取り上げられ解説されることがあります。そこでは神智学の身体観は無条件に正しいものとして紹介されています。そのため多くのスピリチュアリストが、スピリチュアリズムの身体観と神智学の身体観は同じものであると錯覚するようになっています。

重要な結論を言えば、神智学や古神道の身体観と、スピリチュアリズムの身体観特にシルバーバーチの身体観)は、一見似ているようで、実は本質的な違い・根本的な違いがあるということです。この違いを明確にすることは、スピリチュアリズムをより深く理解することに通じます。

以下では、シルバーバーチの説明を手がかりにして、スピリチュアリズムの正しい身体観を見ていくことにします。

「霊界の界層」と「霊的身体」の関係

身体は、神の分霊である人間の「霊(真我)」にとっての表現形式の一つです。身体は霊という無形の分霊を表すための個性的な表現形式で、霊を種子とすれば、それを包む果実と考えられます。地上人にとっての身体は2種類あり、すでにご存じのように霊的身体と肉体がそれに相当します。死後の世界において用いる身体が霊体であることは、スピリチュアリズムにおいては常識です。霊体について今さら何の説明が必要なのかと思われるに違いありませんが、この「霊的身体」に対する見解が、現在の多くのスピリチュアリストの間に、誤解と混乱を引き起こしているのです。

死後の世界(霊界)が、さまざまな界層からできていることは、スピリチュアリズムを学んだ方ならば誰もが知っています。霊界はバイブレーションの異なる多くの界層から成り立っています。そしてそれぞれの界層には、その世界にふさわしい霊的成長を遂げた霊達が住んでいます。すなわち高い世界には霊的に進化した霊達が住み、霊界の下層には霊的進化の程度が低い霊達が住むというように、はっきりとした住み分けがなされているのです。高級霊の霊的身体は、高い世界に見合った精妙なバイブレーションをともない、低級霊の霊的身体は、低い世界に合った粗雑なバイブレーションをともなっています。

さて死後の世界である霊界ですが、ある人は霊界は大きく3つの界層から成り立っていると言い、別の人は7つの界層から成り立っていると言います。また9つの界層から成り立っていると言う人もいます。このうち最も多く信じられているのが、7つの界層から成り立っているという見解です。マイヤースやインペレーターは、世界は物質世界を含め7つの界層から、そして神智学も、世界は7つの界層から成り立っているとしています。

厳密に言えばインペレーターは、世界を3つに分け、それぞれの世界は7つの界層から成り立っていると言います。そして地球は、一番下の世界の7つある界層の最上層の世界であるとしています。つまり地球の位置する世界の上に、さらに7つの界層を含む2つの世界があるとして、トータル21の界層を想定しています。

またコナン・ドイル霊は、地球の上に、それぞれ3つの界層からなる幽界・霊界・神界と1つの超越界があるとして、10の死後の界層の存在を述べています。

霊界で使用する霊的身体は、各界層に適合する材質からなる身体と考えられます。したがって界層が4つあるなら4つの異なる霊的身体が必要になり、界層が7つであるなら7つの異なる霊的身体が必要になるということです。こうした見解は、とても理論的で筋が通った説明のように感じられます。事実、大半のスピリチュアリスト達がそのように考えています。しかし、この見解には大きな矛盾があるのです。

霊界は、グラデーション的変化をともなう一つの世界

ここで問題としなければならないのは、状態の異なるそれぞれの界層は、明確に区切られているかどうか、明確な境界線があるかどうか、ということです。7つの界層というと普通は、7つの別々の層が、上へ上へと積み上げられているようなイメージを描きがちです。バームクーヘンを大きくしたような、地理的に層をなしている状態を思い浮かべます。多くの人々は無意識のうちに、この7つの界層には区切りがあると考えているのです。

一方、スピリチュアリズム関係の多くの霊界通信では、界層の境界は明確なものではないとしています。7つの世界があるといっても、それは虹のように上下の界層が交じり合って連続していると言うのです。「上下の界層間には明確な境界線は引けないが、全体的に見ると、虹が7色から成り立っているように区分がある」と言うのです。

スピリチュアリズムでは“界層”という言葉を用いていますが、それはどこまでも便宜上、使っているに過ぎません。現実には――「霊界は一つの世界であり、それがグラデーション的に状態が変化している」ということなのです。シルバーバーチは、次のように明快に述べています。

「霊界は7つの界に分かれているなどと、まるで地図でも見るような言い方をする人がいますが、そのようなものではなく、すべてが融合し合っているのです。」

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.95

「私はその“7つの界”とやらを知りません。第1から第7まで番号のついた界というものを私は知りません。私が知っているのは、たった一つの界があって、それが無限の階梯をなしているということです。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)  p.51~52

霊体は、グラデーション的変化をする一つの身体

霊界における状態の異なった場を界層と名付けるならば、グラデーション的変化をともなう霊界は、無数の界層から成り立っているということになります。3つだ7つだ、9つだというようなものではなく、無数の界層が存在するということです。その無数の界層には、それに見合った霊的レベルの霊達が生活しています。ここまで言えば、人間には3つの霊体がある、7つの霊体があるという考え方の矛盾に気がつかれるはずです。

霊界が無数のグラデーション的変化をともなう世界ならば、そこに住む人間の霊的身体も、無数のグラデーション的変化をしなければなりません。霊界の無限の状態変化に対して、人間の霊的身体も無限の変化をして初めて適応することができるようになります。これが霊的身体について考える際の、一番の原則であり、最も重要な点なのです。人間の霊体は、3つ、7つというように複数あるのではなく――「グラデーション的に変化する一つの身体である」ということがポイントなのです。

とは言うものの、シルバーバーチ自身が、人間には多くの身体があって、死後それを脱ぎ捨てていくというような言い方をしている箇所があります――「あなたには沢山の身体が備わっています」『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.104)

これを文字どおり受け取るならば、シルバーバーチの身体観は、神智学や古神道の身体観と同じということになってしまいます。しかし『シルバーバーチの霊訓』は、神観を理解するときもそうであったように、一部の言葉だけを鵜呑みにすると、大きな誤解をしてしまうことになります。他の説明箇所も含めて、トータル的に判断しなければなりません。この場合も、まさにそれが当てはまるのです。

私達は、シルバーバーチの次のような別の言葉に注目しなければなりません――「あなたは常に、その時点での霊格にふさわしい身体で自我を表現しているわけです。死後の身体はそういう過程をたどります。それが無限に続くのです『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.104)「一連の身体があり、それをアストラルだのエーテルだのと呼んでおられますが、それも一個の霊が顕現したものなのです。用語に惑わされてはいけません」『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.106)

シルバーバーチは、3つ、7つというような独立した複数の身体の存在を肯定しているわけではありません。

「古い霊的身体を脱ぎ捨てる」という言葉の真意は?

シルバーバーチは――「そしてさらに進化すると、昆虫が脱皮するようにそれを脱ぎ捨てます」『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.104)と言っています。この言葉をそのまま受け入れるならば、霊界では、霊的進化につれて古くなった霊体を脱ぎ捨て、新しい霊体をまとって次の界層に行くということになります。

霊的身体はグラデーション的変化をしながら、さまざまな様相を示すことになるという基本的原則を正しく理解していないと、シルバーバーチの「霊体を脱ぐ」という表現に惑わされ、ここでも大きな勘違いをすることになってしまいます。シルバーバーチの「古い霊的身体を脱ぎ捨てる」という言葉の真意を理解するためには、次の説明を正しく知っておくことが必要です。

「自然に成長し、自然に進化していくのです。程度の低い要素が高い要素に、その場を譲っていくのです。何度も死に、何度も誕生するのです。幽体は肉体の死と同じ過程で失われていくのではありません。低級なものが消えるにつれて浄化され、精妙になっていくのです。それが幽体の死です。そもそも死とは、変化であり復活であり、低いものから高いものへの上昇です。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.128下線は筆者記)

ハート出版『不滅の真理』の218頁には――「人間には幾つもの霊的身体が備わっているわけです」とあります。この原文は、“You have bodies.”であり、文脈から判断すれば霊体と肉体の2つの身体と考えなければなりません。それを幾つもの霊体としたのは、明らかな誤訳です。

全く同じ原文が、潮文社『シルバーバーチの霊訓(3)』の195頁、2行目では――「幾つかの身体が備わっているわけです」となっています。こちらが正しい翻訳です。

「肉体の死」と「幽体の死」の違い

ここ(『シルバーバーチの霊訓(4)』p.128)では、「幽体の死」についての説明がなされています。シルバーバーチは、「幽体の死」は、「肉体の死」とは異なると明確に述べています。

まず「肉体の死」ですが、これは言うまでもなく、霊的身体が「肉体という古くなった身体(衣)を、文字どおり脱ぎ捨てること」です。霊体と肉体という2つの身体が、永遠に分離することです(図1)。

一方「幽体の死」については、幽体にも死の状態があるが、その死は「肉体の死」とは内容的に異なると述べています。すなわち幽体の死とは、肉体の死のように「古くなった身体を脱ぐことではない」と言っているのです。「幽体の死」とは、新旧2つの身体が永遠に分離するということではないのです。

【図1】 霊体と肉体の分離

霊的身体は一つですが、それが地上人の場合や死後間もない霊の場合は、幽体と呼ぶことがあります。つまり霊体の低い状態のことを幽体と言っているだけのことで、全く同じものなのです。

「幽体の死」とは精妙化のプロセスのこと

シルバーバーチは、「幽体の死」とは、浄化であり精妙化のプロセスであるとも言っています。これは新しい身体が古い身体を脱ぎ捨てるのではなく、一つの身体の状態が変化することを意味しています。私達の肉体は、古い細胞を捨て去り新しい細胞をつくり出しながら、常に同じ一つの身体を維持しています。外皮のすべてを一度に剥ぎ取って、突如新しい身体が生まれるわけではありません。

幽体の変化も、これとよく似ています。幽体は、古い衣服を脱ぎ捨てるように変化するのではなく、幽体の古くなった幽質細胞を捨て去り、新しい幽質細胞に徐々に場を譲っていくプロセスで変化していきます。それをシルバーバーチは比喩的に、「古い身体を脱ぎ捨てる」と言ったのです。つまり「状態の変化・身体の精妙化」ということを指しているのです(図2)。

【図2】 同一体(霊体)の変化

霊界では、こうした「幽体の死」と同じプロセスが、永遠に続いていきます。霊的な進化にともない、自動的に霊的身体の精妙化という過程が続くということなのです。こうして一つの霊的身体はグラデーション的に変化し、無限の変化の様相を持つことになります。この一連の変化を時間をおいて観察すれば、別々の身体をまとっているように見えるのです。

「幽質接合体」の脱ぎ捨て

地上人は、多くの霊体を重ね着しており、霊界での進化にともないそれらを一枚ずつ脱ぎ捨てていくという、一般的に信じられている身体観の間違いが明らかになりました。霊体はそれ自体が変化していくのであって、脱ぎ捨てるという文字どおりのプロセスがあるわけではありません。

さて、ここでは「脱ぎ捨てる」という表現がまさにそのまま当てはまるような、特別な事例を取り上げることにします。それが死の直後に生じる、「幽質接合体」の脱ぎ捨てなのです。

スピリチュアリズムでは一般に、人間を、霊体と肉体の二重構造の存在と説明します。そして“死”とは、霊体と肉体を結ぶシルバーコードが切れ、2つの身体が永遠に分離することだと言っていますが、次に地上人の身体構成を、もう少し詳しく見ていくことにします。

実は、霊体と肉体という2つの身体の中間に、これらを結合する「幽質の中間身体」が存在しています(図3)。幽質でできた衣のような接合身体と言ってよいでしょう。霊体と肉体という2つの身体を結ぶ“接着剤”が、身体のような形をしている状態を思い浮かべたら分かりやすいと思いますが、そうした中間体があるのです。その中間身体は、肉体に近い部分は物質性が濃厚で、霊体に近いところは幽質に近い状態となっています。全体として見れば半物質・半幽質の中間身体と言えるでしょう。

【図3】 地上人の身体構造

睡眠中の幽体離脱時には、この中間接合体が分離し、シルバーコードが形成されます(図4)。シルバーコードは無限に伸びる不思議な性質を持っていますが、肉体の死にともない、切断されることになります。その際、接合体の一部は霊体の外皮のような形で、霊体に引っ付いていきます。地上の時間にして数日間ほどは、霊体は「幽質接合体」という外皮をまとい、そして徐々に、この外皮を脱ぎ落としていくことになります(図5)。この外皮は、マイヤースが言っているダブル(複体)の“ハスク”に相当します。

もし、この幽質の外皮が拭えないと“自縛霊”になり、いつまでも地上臭を持ち続けることになります。実際は、自分自身の意志が外皮を脱ぐことを阻害しているのです。)

【図4】 地上人の睡眠中の身体状態

【図5】 死後の霊体と幽質接合体の分離

普通は死の自覚とともに、幽質の外皮は自動的に脱げ落ちるようになり、純粋な霊体だけの存在になって、新たな霊界での生活を始めることになります。

この幽質の外皮(接合体の遺物)が霊体から分離されるプロセスは、まさに文字どおり「古い衣を脱ぎ捨てる」のと同じ状況になっています。あるいは「さなぎが蝶に脱皮する」状態にたとえることもできます。

脱ぎ捨てられた接合体の遺物(幽質外皮)は、時間とともに分解していきます。しかし、もとの持ち主である“霊”が、何らかの意識を向け、霊的エネルギーを注ぎ込むようになると、捨てられた遺物が操り人形のように活動を始めるようになります。これが霊視能力のある人には“幽霊”として認識されることになります。

一般に“幽霊”と言われるものには、2つのケースがあります。一つはここで取り上げた、幽質外皮がリモートコントロールされたような状態で動き回るというものです。

もう一つのケースは、低級霊・自縛霊が、地上人から霊的エネルギーを奪って物質化したものです。

高級霊の「仮の霊的身体」の着脱

これ以外にもう一つ、「霊体を脱ぎ捨てる」という言葉がピッタリのケースがあります。高級霊は、高級霊界から仕事のためにわざわざ地上圏に降りてくることがあります。シルバーバーチをはじめとする多くの高級霊達は、スピリチュアリズムの大事業推進のために、本来の高い霊界から地上圏の霊界に降り、活発に活動しています。

その際、一時的にその界層に見合った「仮の幽質外皮」を身にまとうことになります。地上圏に身を置くためには、その界層の幽質を素材として仮の身体をつくり上げ、それを身につけることが必要となるのです。そして再び本来の高い世界に戻るときには、その仮の外皮(幽質衣・幽質身体)を脱ぐことになります(図6)。まるで地上人がコートを脱ぐように、「幽質衣(幽質身体)を脱ぎ捨てる」のです。そしてまた地上圏の霊界に降りてくるときには、以前脱ぎ捨てておいた幽質外皮を身にまといます。

【図6】 高級霊の仮の霊的身体の着脱

シルバーバーチは、年2回の高級霊界での大集会に参加するために、地上圏との間を往復していました。その度ごとに、こうした「仮の幽質身体」を脱いだり着たりしていたのです。高級霊界の集会に参加するときには、それを脱ぎ捨て、本来の自分の身体状態になって上昇することになります。その際、脱ぎ捨てた「幽質の衣(仮の身体)」には、意識を残し分解しないようにすると言っています。

それは丁度、肉体の死後、霊体から脱ぎ落とされた幽質外皮が、意識エネルギーを投射されることによってしばらくの間、分解を免れる状況と似ています。遺物となった幽質外皮に意識エネルギーが与えられ、ある種の操り人形・幽霊が出現することになりますが、それと同じようなことが、さらに上層の霊界においても行われているのです。

スピリチュアル・ヒーリングの理論化には、「正しい霊的身体観」が不可欠

スピリチュアル・ヒーリングは、間違いなくこれからの医学(ホリスティック医学)の中心的立場に立つようになります。スピリチュアル・ヒーリングがそうした立場を確立するためには、スピリチュアル・ヒーリングを含めた明確な「医学モデル・医学理論」の確立が必要となります。

ホリスティック医学が、医学理論を確立する際に最も議論の対象となるのが――「霊の問題を、いかに明確な形で医学の中に組み込むか?」ということです。人間は霊性・精神性・身体性の3次元的要素から成り立つ存在である以上、ホリスティック(総合・全体)的な医学理論の中には当然、霊的なもの・霊的要素が含まれなければなりません。そしてそれについて重要な手がかりを与えることができるのがスピリチュアル・ヒーリングなのです。

これまでも、一部の研究者や医師達によって、ホリスティック医学の総合的な理論化の試みがなされてきました。その中で、米国人医師リチャード・ガーバーによる新しいホリスティック医学モデルは、「バイブレーショナル・メディスン(波動医学)」として知られ、現在における最も進んだホリスティック医学モデルの一つとして評価されています。

リチャード・ガーバーは、神智学の「多重身体論」を導入して、意欲的に、そして大胆に総合的な医学理論の確立を目指してきました。彼は、多次元にわたって存在する複数の身体とそこを流れるエネルギーを土台として、健康観・病気観・治療観をつくり上げてきました。それと同時に、これまで存在してきたさまざまな民間療法を、自らの治療メカニズムの観点から解説し、あらゆる治療法がバイブレーショナル・メディスンの中に位置づけされることを証明しようとしました。このようにして彼は、壮大な医学モデルをつくり上げました。

しかし、そうした彼の総合的な医学モデルも、スピリチュアリズムの観点から見れば、残念ながらそのすべてが空論に過ぎないことになります。それは彼が、神智学の霊的身体論を理論体系化の前提とし、理論展開上の出発としているからです。間違った土台の上に築かれた理論は、いかに壮大な理論体系であっても、すべて事実から懸け離れたものとなってしまいます。前提とした身体観が間違っていたために、せっかくの労作も、すべてが空論となってしまいました。

これからのホリスティック医学には、スピリチュアル・ヒーリングという実践と、それを理論化したモデルが必要となってきます。そのためにはスピリチュアリズムの正確な身体観の理解が、何よりもまず不可欠なものとなるのです。今後のホリスティック医学の発展のために――「スピリチュアリズムの身体観」を土台とした医学モデルづくりが、早急に求められることになるのです。

2.“チャクラ”についての誤解

「チャクラ思想」の影響

チャクラは、古代インド思想(ウパニシャッド)や、それを踏襲する神智学における重要な概念です。チャクラは微細身という不可視の身体上にある霊的中枢で、皿状の渦巻き形態をしているとされ、これが回転することによって、プラナーというエネルギーを出し入れすると言われています。また瞑想時にチャクラに意識を集中することによってチャクラが開発され、超能力が身につくとも言われています。

チャクラを巡っては諸説があり、その数にしても6つから9つといったように、さまざまな解釈が入り乱れています。チャクラの数については、現在では一般的に7つと考えられています。精神世界や神秘主義、あるいはニューエイジでは、チャクラの存在は常識のように思われています。また超能力の開発といえばチャクラと瞑想がすぐに取り上げられるほど、人々の間に浸透しています。

この“チャクラ”は、これまで見てきた複数の霊的身体論と同じく、現在のスピリチュアリストの中に大きな影響を及ぼしています。チャクラの存在を無条件に正しいものとして受け入れるような傾向が見られ、スピリチュアリズム関連の書物には、たびたびチャクラの解説が掲載されます。また海外のスピリチュアリズム関連機関での霊能開発セミナーでも、チャクラの存在が当たり前のこととして取り上げられ、チャクラについて学び、チャクラを意識した瞑想が取り入れられています。現在の多くのスピリチュアリストは、「チャクラ思想」に洗脳されていると言えるでしょう。

“チャクラ”に否定的なシルバーバーチ

神智学で言うような“チャクラ”という霊的中枢器官が現実に存在するものならば、スピリチュアリストがそれを信じたとしても何の問題もありません。

シルバーバーチには、ありとあらゆる難問が寄せられています。そしてシルバーバーチは、その一つ一つの質問に誠意をもって答えています。これまで寄せられた多くの質問内容が多岐にわたることを考えると、当然のこととしてチャクラについても何らかの説明があるのではないかと思われます。チャクラについては霊的能力との深い係わりが指摘されている以上、シルバーバーチがこの問題に触れないはずはないと思われます。シルバーバーチは、霊体やシルバーコードなど霊的事実について詳細に、しかも何度も繰り返して述べています。

ところが膨大な量に上る『シルバーバーチの霊訓』の中には、チャクラに関する説明は、全くといってよいほど見当たらないのです。

そうした中で唯一、シルバーバーチの“チャクラ”に対する考え方を窺い知ることができる発言が残されています。有名な英国の女性霊能者ドリス・ストークがシルバーバーチの交霊会に招待された折に語られたものです。その席でシルバーバーチは、チャクラについて次のような見解を述べています。

「伝統的ということは古くさいということを意味し、進歩がないということの証明でもあります。たとえばチャクラについて説くことは必ずしも必要とは考えません。」

『古代霊シルバーバーチ 最後の啓示』(ハート出版)  p.55

これによるとシルバーバーチは、チャクラについての世間一般の姿勢に対して、明確な否定的立場を取っていることが分かります。チャクラを意識した伝統的な霊的能力開発の方法に対して、シルバーバーチは明確な批判的態度を示しているのです。もしチャクラについての従来の見解が正しいものなら、あるいはチャクラの開発が霊能力獲得に本当に効果があるのなら、シルバーバーチがわざわざここまで否定的な見解を述べることはなかったでしょう。

シルバーバーチ以外の通信霊で、人間の霊的身体について詳細で分析的説明を身上としていたのがマイヤース霊です。このマイヤースからの通信にも、不思議なことにチャクラについて言及した箇所が見当たらないのです。ダブルや神経魂などの極めて細部にわたる霊的身体の観察の中に、チャクラに関係する内容が見つからないのです。

こうした状況をどのように考えるべきでしょうか。結論を言えば、“チャクラ”というタントラ・ヨーガや神智学で言われてきたような独立した霊的器官は、もともと実在しないということなのです。霊的事実に対して、常に詳細な説明を心がけているシルバーバーチやマイヤースの霊界通信にそうした記述が見られないということは、チャクラそのものが存在しないからなのです。

“チャクラ”とは、霊体と肉体の接合点

とは言っても、『シルバーバーチの霊訓』の中には、チャクラを連想させるような記述が全くないというわけではありません。例えば――「いにしえの賢人が指摘している“第3の目”とか“太陽神経叢”などを使用することもあります。そこが霊と精神と肉体の三者が合一(link up)する場なのです」『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)  p.39)とか、「そこから(ヒーラーのエネルギーが)患者の松果体ないしは太陽神経叢を通って体内に流れ込みます」『シルバーバーチの霊訓(6)』(潮文社)  p.40)といったようなことが述べられています。

第3の目とか太陽神経叢は、位置的にはチャクラと一致します。しかしこれは、チャクラという独立器官の存在を示唆するものではなく、従来“チャクラ”と言われてきたものが、実は霊体と肉体の接合点を、地上サイドから観察したものであることを意味しているのです。この接点を通って霊体から肉体へ霊的エネルギーが流れ込み、反対に肉体から霊体へもエネルギーが入っていくことになります。この接点は、先に述べた霊体と肉体を連結する「幽質接合体」に存在します(図7)。

【図7】

接点を通って霊体から多くの霊的エネルギーが肉体に流れ込むとき、その接点の状況を霊的視力で見ると、まるで一つの器官が活発に活動しているように見えます。そこからエネルギーがほとばしって流れ込んでくるように見えるのです。こうして大量の霊的エネルギーが肉体に流れ込むことにより、霊体に備わっている能力が肉体を通じて部分的に発現されるようになります。これがチャクラ開発にともなう超能力の発現なのです。

睡眠中など、幽体が肉体から離脱する時、シルバーコードによって2つの身体が結ばれています。その際、特別太い2本のシルバーコードがあります(図8)。

【図8】

一つが霊体と肉体の頭部第3の目の部分)を結ぶもの、もう一つが霊体と肉体の腹部太陽神経叢の部分)を結ぶものです。霊体と肉体は、シルバーコードによって分離中もエネルギーの交換をしています。これは“チャクラ”が、霊体と肉体のエネルギーの通路となる接点のことであり、霊体と肉体が分離するときには両者を結ぶシルバーコードになることを示しています。

霊的なエネルギーを接合部に集中的に投射することによって、いっとき接合部が拡大し、急激に超能力を持つようなことが起こります。またドラッグなどの薬物によっても、部分的に接合部が広げられ、霊通するなどの現象が生じることがあります。言うまでもなく、こうした形での霊能力開発は邪道であり、“低級霊”のいいオモチャにされることになります。

Misconceptions about spiritual bodies and chakras

1. Misconceptions about the spiritual body
The four soul theory of old Shinto and the physical view of Shinchi studies

One of the most often misunderstood problems in spiritualism today is the view of the human spiritual body. In “Old Shinto,” the human body composition is explained by the “four-soul theory”, but there are people who think that this four-soul theory is consistent with the body view of spiritualism. The rough soul (Aramita), the Japanese soul (Nigimitama), the soul of luck (Sakimitama), and the odd soul (Kushimitama) of the four soul theory are the body, ghost, spiritual body, and body It is said that it corresponds to. In the four soul theory, there are three spiritual bodies in addition to the physical body, but it is well known that Kasaburo Asano claimed this four soul theory. The influence of Kasaburo Asano has been inherited in the current spiritualism of Japan.

Also, some spiritualists still believe in the physical view of “theosophy”. In the theosophy, it is assumed that there are multiple spiritual bodies other than the physical body, such as the ether body, the astral body, the mental body, and the causal body, which overlap with the physical body. It is said that different “aura” are emitted from the “multidimensional body”.

* Furthermore, R. Steiner came out of Theosophy and created another view of the body. Like Steinology, Steiner also preaches a multidimensional view of the body. In addition to the physical body, Steiner insists on the existence of spiritual bodies such as the ether body and the astral body, but they use the same name as the theosophy, but are different in content.

In addition to this, various religions preach a unique view of the body.

At first glance, “Theological view of the theosophy” and “Body view of spiritualism” are similar…

It is the theosophical view of the body that affects the most of these spiritualists, causing misunderstanding and confusion. In the books related to spiritualism, the theosophical “multi-body view” is sometimes taken up and explained. The theosophical view of the body is unconditionally introduced as correct. As a result, many spiritualists have come to the illusion that the spiritualistic view of the body and the theosophical view of the body are the same.

The important conclusion is that the theological views of theology and ancient Shintoism and the spiritualism (*especially Silver Birch’s view of body) seem to be similar at first glance. Is that there is. Clarifying this difference leads to a deeper understanding of spiritualism.

In the following, I will use the explanation of Silver Birch as a clue to see the correct physical view of spiritualism.

Relationship between “spiritual world” and “spiritual body”

The body is one of the forms of expression for the human “spirit” that is the spirit of God. The body is a unique form of expression for the intangible spirit called spirit, and if the spirit is a seed, it is thought to be the fruit that wraps it. There are two types of bodies for terrestrials, and as we already know, the spiritual body and the physical body correspond to that. It is common knowledge in spiritualism that the body used in the post-mortem world is a spirit body. It must be wondering what more needs to be said about the spiritual body, but this view of the “spiritual body” is causing misunderstanding and confusion among many present-day spiritualists.

Everyone who has learned spiritualism knows that the world after death (the spiritual world) is made up of various world layers. The spirit world is made up of many world layers with different vibrations. And in each layer, the spirits who have achieved the spiritual growth suitable for the world live. In other words, the spirits that have evolved spiritually live in the higher world, and the spirits that have a lower degree of spiritual evolution live in the lower layers of the spirit world, so that there is a clear segregation. The spiritual body of the higher spirits has a subtle vibration that matches the higher world, and the spiritual body of the lower spirits has a rougher vibration that matches the lower world.

Now, in the post-mortem world of the spirit world, some say that the spirit world is largely made up of three world layers and another is made up of seven world layers. Others say that it is made up of nine layers. The most believed of these is the view that it is made up of seven layers. Myers and imperators say that the world consists of seven layers, including the physical world, and theology also comprises seven layers.

* Strictly speaking, the imperator says that the world is divided into three, and each world consists of seven layers. And the earth is the world at the top of the seven world layers at the bottom. In other words, assuming that there are two worlds, including seven more, above the world where the earth is located, we assume a total of 21 world layers.

Conan Doyle also describes the existence of ten post-death world layers, saying that there are three world layers, a ghost world, a spirit world, a god world, and a transcendental world.

The spiritual body used in the spirit world is considered to be a body made of a material compatible with each layer of the world. So if you have 4 layers of the world you need 4 different spiritual bodies, if you have 7 layers of the world you need 7 different spiritual bodies. These views feel like a very theoretical and coherent explanation. In fact, most spiritualists think so. But there is a big contradiction in this view.

The spirit world is a world with gradational changes

The question here is whether each boundary layer in different states is clearly separated or has a clear boundary. The seven layers of layers usually tend to give the image of seven separate layers, stacked one on top of the other. Imagine a state in which the layers are geographically layered, such as the larger Baumkuchen. Many people unconsciously think that there are divisions in these seven layers.

On the other hand, many spiritual communications related to spiritualism say that the boundaries between layers are not clear. Even if there are seven worlds, it is said that the upper and lower layers of the world are mixed and continuous like a rainbow. “There is no clear boundary between the upper and lower boundary layers, but overall there are divisions such that the rainbow consists of seven colors,” he says.

Spiritualism uses the word “boundary layer”, but it is used for convenience only forever. The reality is that-“the spirit world is one world, and that is a gradationally changing state.” Silver Birch clarified:

“Some people say that the spirit world is divided into seven worlds, but it’s not like that, but they are all fused together.”

“Silver Birch Spiritual Lecture (8)” (Toshibunsha) p.95

“I don’t know that “seven worlds”. I don’t know the numbered worlds from 1 to 7. I know that there is only one world. And that means it’s an infinite hierarchy.”

“Ancient Spirit Silver Birch Last Revelation” (Heart Publishing) p.51-52

A spirit body is a body that undergoes gradational changes

If we call the fields of different states in the spirit world the world layers, it means that the spirit world with gradational changes consists of innumerable world layers. It is not like three, seven or nine, but that there are innumerable layers of boundaries. In the myriad layers of the world, spirits of a spiritual level commensurate with it live. So far, you should be aware of the contradiction of the idea that humans have three spirit bodies and seven spirit bodies.

If the spirit world is a world with a myriad of gradational changes, the human spiritual bodies that live there must also undergo a myriad of gradational changes. The human spiritual body can adapt to infinite changes in the spirit world only after infinite changes. This is the number one principle and most important point when thinking about the spiritual body. The point is that there are not multiple human spirit bodies such as three or seven—it is one body that changes in gradation.

That said, there is a point where Silver Birch himself says that humans have many bodies, and that after death they take off them-“You have many bodies. (“Silver Birch Spiritual Training (8)” (Toshibunsha) p.104)

If we take this literally, the view of silver birch’s body will be the same as that of the theosophy or the ancient Shintoism. However, “Silver Birch’s spiritual lesson” is a big misunderstanding when only a few words are swallowed, as was the case when understanding the view of God. You must make a total judgment, including other explanations. This is exactly the case again.

We have to pay attention to another word from Silver Birch: “You are always expressing your ego with a body that fits your spirituality at the time. The body follows such a process. It continues indefinitely.” (“Silver Birch’s Spiritual Lessons (8)” (Shiobunsha) p.104) “There is a series of bodies, which are astral ethers. It’s called the No., but it’s also a manifestation of one spirit. Don’t be confused by the terminology” (“Silver Birch Spiritual Lessons (8)” (Shioubunsha) p.106. )

Silver birch does not affirm the existence of multiple independent bodies such as three or seven.

What is the true meaning of the word “strike off the old spiritual body”?

Silver Birch says: “And if it evolves further, it will be stripped off like an insect,” (Silver Birch’s Spirit (8) (Shiobunsha) p.104). If you accept this word as it is, in the spirit world, you will take away the old spirit body as you spiritually evolve and wear the new spirit body and go to the next world layer.

If you do not understand the basic principle that the spiritual body will change in various ways, it will be confused by Silver Birch’s expression of “getting off the spiritual body”, and here again a big misunderstanding Will end up doing In order to understand the true meaning of Silver Birch’s word “throw away the old spiritual body”, it is necessary to know the following explanations correctly.

“It grows naturally and evolves naturally. It gives up its place to elements with a low degree of highness. It dies and is born again and again. It is not lost in the same process as the death of the. It is purified and becomes subtle as the low-grade ones disappear. It is the death of the ghost. Death is change and resurrection in the first place. , From low to high.”

“Silver Birch Spirit (4)” (Shiobunsha) p.128 (* Underlined by the author)

* On page 218 of Heart Publishing, “The Immortal Truth,” it says: “Humans have many spiritual bodies.” This original text is “You have bodies.” and should be considered as two bodies, a spiritual body and a physical body, from the context. It is a clear mistranslation to make it a number of spirit bodies.

The exact same original text is on page 195, line 2 of Shiobunsha’s “Silver Birch’s Spiritual Training (3)”-“It has several bodies.” Here is the correct translation.

The difference between “body death” and “ghost death”

Here, “Silver Birch Spiritual Lessons (4)” p.128, explains “Death of the Ghost”. Silver Birch clearly states that “dead death” is different from “dead body.”

First of all, it is “the death of the body”. Needless to say, this is because the spiritual body is “the physical body (cloth)

死後も生きつづける幽体(アストラル体)  An astral body that remains alive after death

仏陀の成仏法と霊魂

死後も生きつづける幽体(アストラル体)

アメリカ・ジョージア州立大学哲学科のロバート・アルメダー教授は、その著書『死後の生命』(TBSブリタニカ)の「まえがき」と「本文」において、つぎのように述べています。
『私たちは今や、死後にもなんらかの生命が存在するという考え方を強力に裏づける、事実に基づいた一連の証拠を手にしている』
(まえがきより)
『以上のように考えると、あらゆる人間は、“幽体”(すなわち、ある種の状況以外では肉眼には見えない物質類似の希薄な要素からなる第二の体)を持っているという、霊能力者がしばしば行う主張がある程度真実味を帯びてくる。
この第二の体は、形状的には肉体と瓜二つで、肉体の死後も存在を続けるとされている』
(本文より)
では、仏教では、どのように考えているのでしょうか。

仏教では、人間は、色〈しき〉(物質)・受〈じゅ〉(感覚)・想〈そう〉(表象)・行〈ぎょう〉(意志)・識〈しき〉(意識)の五つの要素からできていると考えます。この五つの要素を「五蘊(ごうん)」と呼び、この五蘊が仮に寄り集まって人間(自我・霊魂)ができあがっているのです。
では、人間が死んだらどうなるのでしょうか?
日本の仏教者の大半は、釈尊が「霊魂」の存在を否定してしまったと考えています。つまり、死んだらすべてが消滅すると考えているのですが、これはまちがいです。
死んだらすべてが消滅してしまうという考え方は仏教ではありません。釈尊直説の経典である『阿含経』を学び修行していないから、このような誤った見解を抱いているのです。
釈尊は決して、霊魂の存在を否定しておられません。むしろ肯定しておられます。ただし、「霊魂」という名称ではなく、「異蘊(いうん)」という表現を用いておられます。

凡夫が死んで「五蘊」が滅しても我執(タンハー)のエネルギーによって「異蘊」(異なる構成要素)を生じて存在をつづけます。

 雑阿含経の中の「仙尼経」において、釈尊は次のように説かれております。
慢〈まん〉(我執〈がしゅう〉)断(だん)ぜざるがゆえに、この蘊〈うん〉を捨て已(おわ〉りて(死んで) 異蘊〈いうん〉相続して生ず。
つまり、異蘊とは生きている人間の構成要素(五蘊=色・受・想・行・識)とは異なった構成要素(蘊=集積)という意味で、現代風にいえば「異次元の薀(存在)」ということです。
また、雑阿含経「身命経」においても、「意生身(いしょうしん)」ということばで、死後の存在を説かれております。意生身とは意識(心)だけで出来た身体をいいます。
このように釈尊は、人間は死んでも、我執煩悩(タンハー)が残るかぎり「なにか(異蘊・意生身)」が存在をつづけると説かれております。この死後の存在こそが霊魂なのです。
そして我執(タンハー)が残った霊魂は、死後の世界を経て再生し、現世で成仏法の縁に逢わなければ、果てしなく輪廻転生を続けます。
また、この我執が非常に強い場合は、不成仏霊や霊障のホトケとなって迷い、その怨念のバイブレーションが子孫の心に強く悪影響をおよぼします。

サールナートの仏陀像
 釈尊は、古代インドのバラモンが説いた「永遠に変化することも滅することもない自我(アートマン)(霊魂)」という考えは否定しておられますが、
縁によって生じ、縁によって滅するという「縁起の法」の上での「死後の存在」は認められております。
つまり、「永劫不変の自我(アートマン)」というものは存在しませんが、「無常(変化)の中や縁起において成立する自己(アートマン)」はあるのです。
修行によって向上し、涅槃(ニルヴァーナ)に入る「自我(霊魂)」は存在するのです。
「不変」ではなく縁によって「変化」するために、死んで(その霊魂・霊体が)異蘊となる縁に逢えば、異蘊となって輪廻転生し、成仏法の縁に逢えば、解脱して仏界に生ずるのです。
死んだからといってまったく「無」になって消滅してしまうというのは、仏陀の説かれた縁起の法則に反するものです。

修行によって霊体(生者)は、清められ、高められ、しだいに悪因、悪業から解脱してゆきます。
「シュダオン」「シダゴン」「アナゴン」という聖者の段階を経て、究極の大聖者「アラハン」(仏陀)に到達します。
この世において、仏陀に到達できない場合は、つぎの世においても、ひきつづき成仏法の修行を続け、究極的にはかならず仏陀になるのです。
死者の場合は、自分で修行することはできませんから、成仏法を成就した聖者に、成仏法をもって供養していただきます。
つよい怨念や執念によって不成仏霊となり霊障を発し、迷っているホトケは、聖者の発する悟りのバイブレーションを受けて解脱し成仏します。
ただし、この場合の成仏とは、完全に因縁・業煩悩といったものを解脱したという意味ではありません。
成仏法を成就した聖者( 有余依涅槃(うよえねはん)の聖者)の霊的テレパシー(霊力)によって、聖者の悟りをそのまま受け止めて、迷い執念などを離れて、冥界(死者のほんとうの世界=安らぎの場)へ向かうということです。
これが、仏陀釈尊の教えられた「仏法」です。

 


死者たちの怨念が、すべての人の深層意識を動かす

いま、この世界が壊滅の危機に瀕しているのは、この世界に充ち満ちている死者の怨念、悪念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしているためです。
その結果、人類はますます衝動的、闘争的、反道徳的になり、結果的に自分自身を虐殺しようとしつつあります。
まず、家庭が崩壊しはじめています。
これらの苦しみに満ちた死者の霊魂に全き安らぎを与えないかぎり、生きている人間に全き安らぎは訪れません。
仏陀釈尊の成仏法は、これらの苦しみを持ったまま死後生存している存在(霊魂)に安らぎをあたえ救済する力を持っているのです。

Buddha’s Buddhist Law and Spirit

An astral body that remains alive after death

Professor Robert Almeder of the Department of Philosophy, Georgia State University, in his book “Life after Death” (TBS Britannica), wrote in the “Foreword” and “Text”:
“We now have a body of evidence-based evidence that strongly supports the idea that there is some life after death.”
(From the preface)
“Thinking above, every human being has a “ghost” (ie, a second body consisting of a dilute element that resembles a substance that is invisible to the naked eye except in certain circumstances). The assertions often made by abilities have a certain degree of realism.
This second body is a body and a gourd in shape, and is said to continue to exist even after the body’s death.”
(From the text)
Then, what do you think in Buddhism?

In Buddhism, human beings have five elements: color (material), receiving (ju) (sense), thought (so) (representation), line (gyo) (will), and knowledge (consciousness). I think it is made of. These five elements are called “Go”, and these five elements temporarily gather to form a human being (ego, soul).
But what if a human dies?
Most Buddhists in Japan believe that Buddha has denied the existence of a “spirit.” In other words, I think that when I die, everything disappears, but this is wrong.
Buddhism is not the idea that everything will disappear when you die. He has such a false view because he has not learned and practiced the scripture of the Buddha’s Buddhist theory, “Agukkei.”
Buddha never denied the existence of souls. I am rather affirmative. However, instead of the name “soul”, the expression “unidentified” is used.

Even if the ordinary husband dies and the “five” disappears, the energy of tanha creates a “different” (different components) and continues to exist.

The Buddha is explained as follows in the “Sen’an Sutra” in the Zoua Sutra.
Because of the pride, I abandoned this (yes) because I had no choice but to die (dead).
In other words, the alien substance means a component (蘊=aggregation) that is different from a living human component (five colors=color, reception, thought, behavior, knowledge). It means that it is a “existence”.
In addition, the word “Ishoshin” is also used to describe the existence after death in the Zhao Sutra Sutra. Involuntary body refers to a body made up only of consciousness (mind).
In this way, Buddha is said to have “something (anomaly, will)” as long as humans die, but as long as the anguish remains (tanha). This being after death is the soul.
And the soul with the remaining tanha regenerates after the death, and if it does not meet the edge of the Buddhist law in this world, it will continue to reincarnate indefinitely.
In addition, when this patience is very strong, it becomes a ghost of imperfect Buddha spirits and spiritual disorders, and the vibration of that remorse strongly affects the hearts of descendants.

Buddha statue in Sarnath
Shakyamuni denies the idea of ​​”an ego (artman) (soul)” that Brahmin of ancient India preached, but that will never change or die.
The “post-mortem” of the “law of auspices” that is caused by the edge and destroyed by the edge is recognized.
In other words, there is no such thing as an “eternally immutable ego (artman),” but there is an “ego (artman) that is established in a state of invariance (change) or auspicious occasions.”
There is an “ego (soul)” that improves through training and enters Nirvana.
In order to “change” not by “immutability” but by the edge, if you meet the edge that becomes dead (the soul or spiritual body) becomes strange, you become a stranger and reincarnate, and if you meet the edge of the Buddhist Law, It is released and it occurs in the French world.
It is contrary to the Buddha’s preaching law of auspiciousness that the death of a dead person means that it disappears completely.

..
As a result of the training, the spiritual body (living person) will be purified and enhanced, and will gradually be freed from the cause of evil and the bad work.
Through the stages of saints such as “Shudaon”, “Sidagon” and “Anagon”, the ultimate saint “Arahan” (Buddha) is reached.
If you cannot reach the Buddha in this world, you will continue to practice the Buddhist law in the next world, and you will eventually become a Buddha.
If you are a dead person, you will not be able to practice by yourself, so you will have to sacrifice the holy person who has fulfilled the law.
Stiff grudges and obsessions cause a spiritual disorder in the Buddhist spirit of the Buddhist Buddha, and he is astounded and receives liberation from the enlightenment of the saints and breaks into Buddha.
However, in this case, Seibutsu does not mean that we have completely eliminated the cause and labor trouble.
By the spiritual telepathy (spiritual power) of the saints who have fulfilled the Buddhist law (Saints of Uyoenehan), they take the enlightenment of the saints as they are, leave the lost obsession and leave the underworld (the true meaning of the dead It means that we are heading for the world of peace.
This is the Buddhist law taught by Buddha Shakyamuni.

 

The grudges of the dead drive deep consciousness for all

The reason why this world is in danger of destruction now is that the violence of the vengeance and wickedness of the dead, which is full of this world, moves the deep consciousness of all people.
As a result, mankind has become increasingly impulsive, fighting, and immoral, and is eventually trying to slaughter himself.
First, the home is beginning to collapse.
Unless we give the souls of these suffering souls full peace, no living peace will come to living humans.
The Buddhist Buddha’s Buddhist law has the power to provide peace and relief to those who survive after death with these sufferings (souls).

今日の運勢   7月27日  Today’s Fortune July 27

 

The Empress  皇后

二黒土星の日
仕事の事、旅行の事、病人の事、などが出やすい日。こみいった事が多い。いそがしい割に成果は少ない。 短慮は禁物。いやな仕事も進んで引き受ける位の気持ちが大切。

栄の日
良くない事が栄えてしまう日。
思い通りに事が運ばなかったり、怪我や病気などの災難に遭うことが多いです。
無理して事を進めるよりも、先送りにした方がよいでしょう。
積極的に動くことは避けて、十分に注意を払った行動を心がけてください。

Nikuro Saturn Day
Day when work, travel, sickness, etc. are easy to come out. There are a lot of things that get mixed up. Even though it is busy, there are few results. Don’t be too quick. It is important to be willing to accept unpleasant work.

Sakae Day
The day when bad things flourish.
Often, things do not go exactly as you want, and you often get injured or sick.
It is better to put it off rather than force things to proceed.
Please avoid moving aggressively and try to act with extreme caution.

今日の運勢 7月26日  Today’s Fortune July 26

The justice  正義

 

三碧木星の日
望み事を持った人が来訪する。思い掛けない事が起こる。善因善果。神、親、社会、衆生、物のご恩をかみしめ精神本位で行動すべき日 今まで9日間の行動の善悪によって思いがけない吉凶が生じます。

事の日
過去の自分の行動が原因で失敗やトラブルにつながりやすい日。
この日を正念場だと捉えて、諦めずにやりぬくことが大切です。
さらに大きな怪我や病気にも注意が必要です。
持病を持っている人は突然の発作などに備えて薬の携帯を忘れずに。

Sanki Jupiter Day
People with a desire come to visit. Things that you can’t think of happen. Good cause good fruit. The day when you should act in a spiritual way, with the grace of God, parents, society, sentient beings, and things. The good and evil of the behavior for the past 9 days will cause unexpected evils.

Thing day
A day that is prone to failure or trouble due to your past behavior.
It is important to think of this day as a critical moment and do it without giving up.
You also need to be careful about larger injuries and illnesses.
If you have a chronic disease, be sure to carry your medicine with you in case of sudden attacks.

悟りの段階 -1 Enlightenment Stage -1

 

純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)

真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。

方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。

 

真我は、常に実在として存在しています。ただ、一般の人では、無知の曇 (くもり) で覆い隠されています。

 

、無知の曇 (くもり) を消していきます。無知の曇 (くもり) が消えるほどに、真我の光と愛が自然に現れます

 

つの果得 (定) を、「向 (進み入る段階) 」と「果 (成就した段階) 」に分けています。向と果の名称が同じで、八種の段階にある人という意味で、八種の段階のことを、四双八輩 (しそうはっぱい) と言います。

 

無知の曇 (くもり) を払う

悟りへと至る道は、シンプルです。

真我は、常に実在として存在している。(注:真我は、すでに実現している。という事です。) という事実を受け入れます。

真我を実現するためには、自己受容が大事です。神を受け入れるためには、まず、自己を受け入れます。

 

真我実現は、今すでに得ているもの (実在として在るもの) を無知の曇 (くもり) を払うことで、「この自分が知覚している世界」へ現す作業です。

 

 

Pure Heart-1.

The truth is simple. The knowledge of Jignani is also simple. Get knowledge of Jignani, meditate, and ponder. Awareness will occur and understanding will deepen.

In a way, it rewrites unconscious assumptions and beliefs (feelings and thoughts of attachment and aggression). In this way, you will become confident and confident by repeating small successful experiences.

Self is always a reality. However, for the average person, it is covered with clouds of ignorance.

, I will remove the cloud of ignorance. The light and love of ego naturally appear so that the cloudiness of ignorance disappears

The two outcomes (constant) are divided into “progress (advancing stage)” and “perspective (fulfilling stage)”. The eight kinds of stages are called Shiso Happai, in the sense that they have the same names for Ko and Hana and are in eight kinds of stages.

Pay the cloud of ignorance

The road to enlightenment is simple.

The self always exists as a reality. (Note: I have already realized that.) I accept the fact.

Self-acceptance is important for realizing the self. To accept God, first accept yourself.

Realization is the work of revealing what you already have (what you really have) to the “world you perceive” by paying the cloud of ignorance.

 

覚り

http://add-spot.com/wordpress/category/subconscious/pure_mind/enlightenment

今日の運勢 7月24日  Today’s Fortune July 24

 

The World  世界

五黄土星の日
小さな自我は破れやすい。絶望的な思いの人の来訪を受けたりする。名利を離れ天を相手にの心境を養え。

友の日
人間関係の悪化する日。
普段は楽しいはずの交流でもストレスを感じる事が多い日です。
人から恨みや反感を買うことがないよう、控え目に過ごすことが大切です。

Wheat Saturn Day
The small ego is easy to tear. We receive visits from people with desperate thoughts. Leave the interest and cultivate the feeling of being against heaven.

Friend’s day
The day when relationships deteriorate.
It’s a day when there are many stresses even though the exchanges are usually fun.
It’s important to be conservative so you don’t get grudges or dislikes from others.

今日の運勢 7月23日   Today’s Fortune July 23

 

The Magian  マジシャン

六白金星の日

新しい企画を持った人との接触あり。気が高ぶり争いが起りやすい。負けるは勝ち。怒ったら損、自己を誇るなかれ。心豊かにほのぼのと。

壊の日
自信を持って物事に取り組む日。
少々の失敗は気にせず、色々なことに積極的にチャレンジしましょう。
多少強引でも、自分の思ったように進めることで結果が表れます。
前後の凌犯期間の不運を振り払うためにも、ポジティブに、アクティブに行動したい日です。

● Six platinum stars day

There is contact with people who have new plans. There is a high degree of concern, and it is easy for conflicts to occur. Win is to lose. If you get angry, don’t lose yourself and be proud of yourself. Heartwarming and warm.

Broken day
The day you work with confidence.
Don’t worry about a few mistakes, let’s actively challenge various things.
Even if it is a little forcible, you can achieve results by proceeding as you think.
It is a day when you want to act positively and actively in order to get rid of the bad luck of the criminal period before and after

悟りの段階   Stage of enlightenment  まず 預流向 (ヨルコウ)に目指して

純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ) 心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、すべてが記憶の投影です。雑音の世界では、人生が錯覚に支配される。真我は、愛です。全ての欲求は、真我(タンハー)への愛を満たそうとする為の表現です心 (マインド) は、相対的な世界です。そして、錯覚に支配される。欲求と恐怖が一体としてあります。
快楽と苦痛が一体としてあります。
自分の愛するものの為に、対立をして、争います。
自分の愛するものの為に、戦争や犯罪を犯します。預流果は、三結 (3つの束縛) が絶たれている。預流果は、有身見 (うしんけん:五蘊を自己とみなす見解) が錯覚だと理解したのです。このような方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。

個我は、記憶の創造物です

心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。

精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、すべてが記憶の投影です。

心 (マインド、潜在意識) にある情報や記憶は、本来の自己に様々な制限を与えています。

例えば、過去世の記憶は覚えていませんが、過去世に持ち越した情報や記憶は、誕生してからの環境に様々な制限を与えています。

例えば、天才と呼ばれる人たちは、過去世から持ち越した情報や記憶を今回の生で有効に使い、その結果をだしています。

今回の生で真理になる人も、過去世から持ち越した情報や記憶を今回の生で有効に使い、その結果をだしています。

    ◎ 預流 – 聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。須陀洹 (シュダオン) を指す。

 

記憶を消去する

真理の知識は、記憶になります。そして、記憶は体験になります。 真理の知識は、種になります。芽を出して、大きく成長します。そして、今回の生か、次の生 (最大7回、欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く) で、無知を払い去ります。

    ◎ 預流 – 聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。須陀洹 (シュダオン) を指す。

過去世から持ち越した情報や記憶は、曇 (くもり) になります。その曇 (くもり) は、無知と呼ばれます。この無知を払い去ると、本来の自己の光が完全に現れます。

本来の自己の光は、今という瞬間の中で輝いています。

心 (マインド、潜在意識) にある情報や記憶は、曇 (くもり) になり、本来の自己の光を制限しています。

本来の自己の光は、純粋な意識です。濁りがありません。この無知を払い去る方法は、真理の知識を得て、黙想して熟考します。

 預流向 (ヨルコウ) とは、真理の知識を得ているもの。

    • の知識を得ているものとは、真理の知識を黙想しての。

    真理の知識を得る

    無知を払い去る方法 真我の愛の力を引き出して、無知を払い去る方法です。真我の愛は、調和です。

     

    実践 (唱える)

     預流向 (ヨルコウ) は、真理の知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。 黙想をすると、気づきに気づくことができます。沈黙は、雄弁です。

    知識は、記憶になります。記憶は、体験になります。理解が深まると、体験へと続きます。

    預流果 (ヨルカ) とは、真理の知識を実践しているもの真理の知識を実践しているものとは、毎日、読経をするもの。

    真理の知識を実践しているものとは、毎日、真言を唱えるもの。

    心 (マインド) の中は、多様性の世界です。その世界では、その人にふさわしい内容を実践します。

    毎日、読経をするものとは。真理の知恵 (経典) を読む、聞くもの。
    毎日、真言を唱えるものとは、真我の愛の力を引き出して無知を払っているもの。

方論

1  仏教を信じ  釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃりをもつ。

成仏法(じょうぶつほう)」
 生者、死者を問わず、カルマ(業)を断ち切り、因縁解脱(成仏)してブッダ(真理に目覚めた人)になる方法です。
釈尊が阿含経の中で説かれている、「七科三十七道品」がその成仏法をもつ

「求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)」
古くから真言密教に伝わる、人を天才にする法です。
「求聞持聡明法」の原点が、釈迦の成仏法「七科三十七道品」の中にあることを発見されました。
七科三十七道品の中の「四神足法(しじんそくほう)」こそ、人間の頭脳を改造し、凡夫をして仏陀のさとりに至らしめる法である。  これを輪廻転生瞑想法を実行する。

1  仏教を信じ  釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃりをもつ。

2  成仏法(じょうぶつほう)」
生者、死者を問わず、カルマ(業)を断ち切り、因縁解脱(成仏)してブッダ(真理に目覚めた人)になる方法です。
釈尊が阿含経の中で説かれている、「七科三十七道品」がその成仏法をもつ

3  「求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)」
古くから真言密教に伝わる、人を天才にする法です。
「求聞持聡明法」の原点が、釈迦の成仏法「七科三十七道品」の中にあることを発見されました。
七科三十七道品の中の「四神足法(しじんそくほう)」こそ、人間の頭脳を改造し、凡夫をして仏陀のさとりに至らしめる法である。  これを輪廻転生瞑想法を実行する。

 

Enlightenment Stage -3
Pure Mind-2. Yoruka Mind, subconscious mind is a bundle of memories. An individual is a creation of memory. Mental habits create the environment for the person (individual). The person’s environment is all a projection of memory. In the world of noise, life is illusionally controlled. Self is love. All desires are expressions for trying to satisfy the love for the true self (mind) The mind is a relative world. And it is controlled by the illusion. There is one desire and one fear.
Pleasure and pain are in one.
Conflict and fight for what you love.
You commit wars and crimes for what you love. The three fruits (three shackles) have been cut off from the fruit buns. I understood that “Kanryu” is an illusion of the existence (Ushinken: the view of seeing Gokan as self).

In this way, unconscious assumptions and beliefs (feelings and thoughts of attachment and aggression) are rewritten. In this way, you will become confident and confident by repeating small successful experiences.

Individuals are creations of memory
The mind (mind, subconscious) is a bunch of memory. An individual is a creation of memory.

Mental habits create the environment for the person (individual). The person’s environment is all a projection of memory.

Information and memories in the mind (mind, subconsciousness) impose various restrictions on the true self.

For example, I do not remember the memories of the past life, but the information and memories carried over to the past life impose various restrictions on the environment after birth.

For example, people called geniuses make effective use of the information and memories carried over from the past life in this life and produce the results.

Even the person who becomes the truth in this life effectively uses the information and memory carried over from the past life in this life and produces the result.

◎Keiryu – By enrolling in the flow of the saints, you will gain enlightenment if you reborn between the heavenly person and heaven up to seven times. Refers to Sudaon.

Clear memory

Knowledge of truth becomes memory. And memory becomes an experience. Knowledge of truth is the seed. It sprouts and grows large. Then, in this life, or in the next life (up to 7 times, you will gain enlightenment if you live between the greedy person and the heavens), and dispel ignorance.

◎Keiryu – By enrolling in the flow of the saints, you will gain enlightenment if you reborn between the heavenly person and heaven up to seven times. Refers to Sudaon.

Information and memories carried over from past life will be cloudy. The cloudiness is called ignorance. When this ignorance is dispelled, the true light of self is fully revealed.

The original light of self shines in the moment.

The information and memory in the mind (mind, subconsciousness) becomes cloudy and limits the original light of the self.

The true light of the self is pure consciousness. There is no turbidity. The way to get rid of this ignorance is to get the knowledge of the truth and meditate on it.

網流流(Yoruko) is a person who has the knowledge of truth.

One who has the knowledge of the truth of the knowledge of the truth.

Gain the knowledge of truth

A way to get rid of ignorance. It is a method to get rid of ignorance by drawing out the power of true love. Ego love is harmony.

Practice (chanting)

Yoruko learns the truth, meditates, and ponders. Awareness will occur and understanding will deepen. If you meditate, you will be able to notice. Silence is eloquent.

Knowledge becomes memory. Memory becomes an experience. Once you have a better understanding, you will continue to experience.

Yoruka means practicing the knowledge of truth and practicing the knowledge of truth means reading daily sutras.

Those who practice the knowledge of truth are those who say the truth every day.

Inside the mind is a world of diversity. In that world, we practice what is appropriate for that person.

What do you read every day? A person who reads and hears the wisdom of truth.
To say the truth every day is to bring out the power of self-love and pay ignorance.

Dialect
1 Believing in Buddhism As a sacred object in which the Holy Spirit of Buddha lives, it has been deeply revered by Buddhists since ancient times.
2 Buddhist Law”
It is a method of cutting off the karma (work) regardless of whether it is a living person or a dead person, and releasing the causal relationship (seibutsu) to become Buddha (a person who has awakened to the truth).
Buddha’s Buddhist Buddhism is said to be in the Buddhist sect of Buddhism.
3 “Kumoji possession method”
It is a method of making a person a genius that has been passed down in Shingon esoteric Buddhism since ancient times.
It was discovered that the origin of the “Kyokumochi-Shomeiho” lies in the Buddha’s Buddhist Buddhist law, “Seven-thirty-seven department stores.”
The “Shijinshouho” in the Shichika 37 Buddhist products is the method of remodeling the human brain and making an ordinary husband to reach the Buddha’s satori. I perform the reincarnation meditation method on this.

1 Believing in Buddhism As a sacred object in which the Holy Spirit of Buddha lives, it has been deeply revered by Buddhists since ancient times.

2 Buddhist Law”
It is a method of cutting off the karma (work) regardless of whether it is a living person or a dead person, and releasing the causal relationship (seibu) to become Buddha (a person who has awakened to the truth).
Buddha’s Buddhist Buddhism is said to be in the Buddhist sect of Buddhism.

3 “Kumoji possession method”
It is a method of making a person a genius that has been passed down in Shingon esoteric Buddhism since ancient times.
It was discovered that the origin of the “Kyokumochi-Shomeiho” lies in the Buddha’s Buddhist Buddhist law, “Seven-thirty-seven department stores.”
The “Shijinshouho” in the Shichika 37 Buddhist products is the method of remodeling the human brain and making an ordinary husband to reach the Buddha’s satori. I perform the reincarnation meditation method on this.

 

宮沢賢治の傑作は永訣の朝  Kenji Miyazawa’s masterpiece is a permanent morning

宮沢賢治の傑作は永訣の朝

宮沢賢治の傑作は永訣の朝(訳あり)

宮沢賢治と言えば銀河鉄道の夜、雨にも負けずなどが有名であるが、私が一番好きで傑作だと思っている詩は春と修羅に収められている永訣(えいけつ)の朝である。
永訣という言葉はあまり使われないが、永遠の別れを意味する。

この詩は賢治の最大の理解者であると共に、最愛の妹だったトシ(作中ではとし子)が24歳の若さでこの世を去る折の心情を綴ったものである。
トシがどのような人物だったかについてだが、大正7年トシが母に宛てた手紙の一節にこうある。
私は人の真似はせず、できるだけ大きい強い正しい者になりたいと思います。
御父様や兄様方のなさることに何かお役に立つように、そして生まれた甲斐の一番あるように求めていきたいと存じて居ります。

かなり真っ直ぐな心の持ち主だったことが伺われる。
学生時代は秀才と言われた兄よりも学業が優秀なほどで、小学校の同級生によると容貌もやさしくにこやかで、だれに向かっても親切でていねいで、ものを話すときの声も実に澄んでいてきれいな人でしたという証言もある。
また教師時代の生徒は、物静かでしたが朗らかでユーモアのわかる優しい先生でしたと述べている。

長い詩なのだが、是非一度は読んでいただきたい詩である。
現代語訳はおこがましいのだが、時間が無い人の一助になれば。


永訣の朝(えいけつのあさ)

けふのうちに
今日のうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
遠くへ行ってしまう私の妹よ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
みぞれが降って、表は変に明るいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
※( )内は妹の言葉、一般的には雨雪(みぞれ)取ってきてください(ほしいな)という意味。
最後のけんじゃが賢治を指すという説は間違いだそうです。

うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
薄赤く、いっそう陰惨な雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
みぞれはびちょびちょ降ってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
( 雨雪  取ってきてください )

青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
青いじゅんさいの模様のついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
これら二つの欠けた陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
おまえが食べる雨雪を取ろうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
私は曲がった鉄砲玉のように
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
この暗いみぞれの中に飛び出した
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
( 雨雪  取ってきてください)

蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
蒼鉛色の暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
みぞれはびちょびちょ沈んでくる

ああ とし子
ああ、とし子
死ぬといふ いまごろになって
死ぬという今頃になって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
私を一生明るくするために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
こんなさっぱりした雪の一椀を
おまへは わたくしに たのんだのだ
おまえは私に頼んだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
ありがとう、私の健気な妹よ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
私も真っ直ぐに進んでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
( 雨雪  取ってきてください )

はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
激しい、激しい、熱や喘ぎの間から
おまへは わたくしに たのんだのだ
おまえは私に頼んだのだ

銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
銀河や太陽、気圏などと呼ばれた世界の
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……
空から落ちた雪の最後の一椀を

…ふたきれの みかげせきざいに
二切れの御影石材に
みぞれは さびしく たまってゐる
みぞれは寂しく溜まっている

わたくしは そのうへに あぶなくたち
私はその上に危なく立ち
雪と 水との まっしろな 二相系(にそうけい)をたもち
雪と水との真っ白な二相系を保ち
すきとほる つめたい雫に みちた
透き通る冷たい雫に満ちた
このつややかな 松のえだから
この艶やかな松の枝から
わたくしの やさしい いもうとの
私の優しい妹の
さいごの たべものを もらっていかう
最後の食べ物を貰っていこう

わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
私たちが一緒に育ってきた間
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
見慣れた茶碗のこの藍の模様にも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
もう、今日おまえは別れてしまう
(Ora Orade Shitori egumo)
私は私で一人逝くから

ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ
本当に今日、おまえは別れてしまう

ああ あの とざされた 病室の
ああ、あの閉ざされた病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
暗い屏風や蚊帳の中に
やさしく あをじろく 燃えてゐる
優しく青白く燃えている
わたくしの けなげな いもうとよ
私の健気な妹よ

この雪は どこを えらばうにも
この雪はどこを選ぼうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんまりどこも真っ白なのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
あんな恐ろしい乱れた空から
この うつくしい 雪が きたのだ
この美しい雪が来たのだ

(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる)
(生まれてくるにしても
今度はこんなに自分のことばかりで
苦しまないように生まれてくる)
※人様の役に立って苦労したい

おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
おまえが食べるこの二椀の雪に
わたくしは いま こころから いのる
私は今、心から祈る
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
どうかこれが兜率の天(仏教用語で天界の一つ)の食に変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
やがてはおまえとみんなとに聖い資糧をもたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ
私のすべての幸いを懸けて願う

個人的な解釈だが、
この雪はどこを選ぼうにも
あんまりどこも真っ白なのだ
あんな恐ろしい乱れた空から
この美しい雪が来たのだ
の部分は

私の妹はどこを選んでも
あんまりどこも純粋なのだ
こんな恐ろしい世の中にも関わらず
この純粋な妹は生まれてきたのだ
とも読み取れるかも。
蓮は泥の中にも関わらず美しい花を咲かせるにリンク

Ora Orade Shitori egumo  だけなぜローマ字表記なのかについて
文字では無く音として留めたかったから。
あまりに辛い言葉で、その現実を受け入れたくないという抵抗を示している。
聞こえてはくるのだが、 まるで機械語のように頭に入ってこない様をローマ字を使うことで暗に示している。
など考えられるが人により解釈が異なるところだろう。

また作中に あめゆじゅ とてちて けんじゃ と4度繰り返されているのは賢治自身がその言葉を何度も思い出す様を表していると思われる。(この作品は妹の死後に書かれたもの)
発せられた言葉は痛いでも辛いでも苦しいでもありがとうでも無くて雨雪を取ってきてくださいだった。
それは妹が何もしてあげられないと悶々とする賢治に頼みごとをして、それを賢治が叶えることによって少しでもその後の悲しみを和らげたかった節があるのではないか。

死に際に飲み物や食べ物を頼んで満足したように旅立った人たち。
もしかしたら親や兄弟の気持ちを考えてのことだったのだろうか(実際そんな余裕は無いのかもしれないが)
そうすることで少なからず救われた人がいるのもまた事実である。
私は死に瀕した経験が無いのでどういう心情だったのか本当のところは分からないのだが、看取るほうは何かできることがあってよかったと思えるのではないだろうか。

 

 

 

人物[

秀才さと相まって、真面目で淑やかな性格をしていたとされる

日本女子大学校進学後、夏休みに帰郷した際には賛美歌をきょうだいに教えて合唱したことが、清六の文章に記されている

母校の高等女学校の教員を務めた当時は「人のためになりたい、郷土のために働きたい」という思いを抱いていたとされ、同校の後身に当たる岩手県立花巻南高等学校では、2018年に制定した「グランドデザイン」の「中長期ビジョン」にこの言葉を(トシの理念として)採用している

賢治に与えた影響

トシが日本女子大学校、賢治が盛岡高等農林学校に進学して離れて生活した時期には、トシは週に一度は手紙を賢治に送っていたという]。現存する賢治宛の手紙には自身の将来の相談に加え、賢治の将来についてその「天職」と宮沢家の方針の一致を望む内容が記されている。一方、現存する賢治からのトシ宛書簡にも、トシの学業に対する不満の訴えに答える内容のもの(1915年10月21日付)がある。トシが1915年に学校に提出した「夏期休暇中ノ体験」という課題答案には「敬愛する兄より或暗示を得た」(原文はカタカナ)という文章が見られる。このようにトシは賢治を敬愛し、親密に相談する間柄だった。

賢治の生前唯一の詩集『春と修羅』は、トシの晩年から死後にかけての時期に執筆された(各作品に日付が付され、その日付順に配列されている)。その中で1922年3月20日の日付を持つ「恋と病熱」には「妹」や「つめたい青銅(ブロンヅ)の病室で透明薔薇の火に燃される」「あいつ」が登場する。そして、トシ死去の日付を持つ3つの作品(「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」)でその臨終に至る模様が描かれた。トシが死去した直後、賢治は押し入れに頭を入れて「とし子、とし子」と号泣し、乱れた髪を火箸ですいた。2日後の葬儀に賢治は宗旨の違いを理由に出席しなかった[64]出棺の際に路上に現れてともに棺を運び、火葬場(焼失していたため、野辺焼きであった)では棺が燃えつきるまで読経して、遺骨の一部を持参した缶に入れた。遺骨は翌年国柱会本部(当時は静岡県三保に所在)に分骨した。『春と修羅』における詩作品は、「無声慟哭」のあとは1923年6月3日の日付を持つ「風林」まで7ヶ月飛んでいる[65]。同年7月から8月にかけて、賢治は農学校生の就職斡旋の目的で樺太に旅行するが、一方でこの旅行でトシの魂との「交信」を求め、その心理を綴った詩を残した(「青森挽歌」「津軽海峡」「宗谷挽歌」「オホーツク挽歌」「噴火湾(ノクターン)」)[66]天沢退二郎は、『春と修羅』における「とし子」の存在は「恋と病熱」において「暗示・予告されて、以後『永訣の朝』に至るまで、決して詩句の水準に現れてこないこの病熱に燃されている妹の存在を各詩篇各詩句の背後に隠しつつ、隠すことによって示しつづけている」と指摘している[62]

山根知子は、トシの生前には既存の特定宗教に帰属する信仰が強かった賢治が、トシの死後に執筆したとされる著作(『銀河鉄道の夜』や「農民芸術概論綱要」)や手紙では、「宗教の根底で通じ合う価値観」や「宇宙意志」といった、トシが成瀬仁蔵やモーリス・メーテルリンク(『自省録』に著書からの引用がある)を通じて形成した宗教観・死生観に接近したとしている[67]。また、童話集『注文の多い料理店』の広告チラシにおける「テパーンタール砂漠」というタゴールの詩「新月」からの引用などの賢治のタゴールへの関心に、トシが直接タゴールと接した体験が反映している可能性も指摘している

賢治の残した「菩薩像」と呼ばれる水彩画(原画は戦災により焼失)は、トシの肖像写真と似た顔立ちを持つと指摘されている[7