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密教の仏たち 27 荼枳尼天

荼枳尼天

荼枳尼天

荼枳尼天の起源であるインドのダーキニーは、裸身で虚空を駆け[5]、人肉を食べる魔女である[6]。ダーキニーの起源は明らかでないが[5]ヒンドゥー教もしくはベンガル地方の土着信仰から仏教に導入されたと考えられている[7]立川武蔵によれば、ダーキニーは仏教に取り入れられたのち、ヒンドゥー教でも女神として知られるようになった

この尊天は祀るのが非常に難しく、一度祀ると自分の命と引きかえに最後までその信仰を受持することが必須とされ、もしその約束を破ると、その修法を止めた途端に没落する、あるいは災禍がもたらされるとも考えられていた[要出典]。したがって、これは外法として考えられることもある忌まれる信仰でもあった。荼枳尼天の修法を外法と呼んだ例は中世文学に見られ、『平家物語』には「かの外法行ひける聖を追ひ出さんとす」、『源平盛衰記』には「実や外法成就の者は」、『太平記』には「外法成就の人

 

の有けるに」との記述がある[24]

 

真言・種子編集

  • 真言
オン・ダキニ・ギャチ・ギャカニエイ・ソワカ[36]
オン・キリカク・ソワカ (除行垢呪)[36]
ナウマク・サマンダ・ボダナン・キリカ・ソワカ[37]
オン・シラバッタ・ニリウン・ソワカ

 

 

 

 

 

 

密教の仏たち 26 吉祥天

吉祥天

吉祥天

吉祥天(きっしょうてん / きちじょうてん、Śrī-mahādevī [1] [シュリー・マハーデーヴィー]、音写:摩訶室利など)は、仏教の守護神である天部の1つ。もとヒンドゥー教女神であるラクシュミーLakṣmī)が仏教に取り入れられたもの。功徳天宝蔵天女ともいう[1]。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃とされ、また愛神カーマの母とされる。 仏教においては、父は徳叉迦(とくさか)、母は鬼子母神であり、夫を毘沙門天とする[1]。妹に黒闇天がいる。 毘沙門天脇侍として善膩師童子と共に祀られる事もある。

早くより帝釈天大自在天などと共に仏教に取り入れられた。後には一般に弁才天と混同されることが多くなった。 北方・毘沙門天の居所を住所とする。不空訳の密教経典『大吉祥天女十二契一百八名無垢大乗経』では、未来には成仏して吉祥摩尼宝生如来(きちじょうまにほうしょうにょらい)になると説かれる。

吉祥とは繁栄・幸運を意味し幸福を顕す神とされる。また、美女の代名詞として尊敬を集め、金光明経から前科に対する謝罪の念(吉祥悔過・きちじょうけか)や五穀豊穣でも崇拝されている。

天河大弁財天社の創建に関わった天武天皇は天河の上空での天女=吉祥天の舞いを吉祥のしるしととらえ、役行者とともに、伊勢神宮内宮に祀られる女神([天照坐皇大御神荒御魂瀬織津姫)を天の安河の日輪弁財天として祀った。この時、吉祥天が五回振袖を振ったのが、五節の舞として、現在にいたるまで、宮中の慶事の度に催されている。

日本においては、神社でも信仰の対象としているところもある。また、埼玉県久喜市など、七福神に吉祥天を加え八福神として信仰している地域もある[2]

吉祥院天満宮の吉祥院に菅原清公卿、菅原是善公、伝教大師孔子と共に祀られる。菅原道真公の幼名の一つは吉祥丸であった。道真の祖父清公の遣唐使霊験譚以降菅原家は代々吉祥天信仰になったという。また、道真の正室島田宣来子と習合したとされる。[3

 

 

 

吉祥天

美・幸福・富を授ける美しき女神

吉祥天(きっしょうてん)とは?

もとはインド神話の女神・美と豊穣と幸運を司るラクシュミーであり、密教では美女の代名詞といわれて信仰されていました。毘沙門天を夫に持ち5人の子供がいます。妹の黒闇天(こくあんてん)は災いと不幸を呼ぶ神です。

 

貴族階級の人達に広く信仰されました。しかし一般の民衆に支持のあった弁財天に次第に人気を取られ、いつのまにか七福神の座も奪われてしまったといいます。

ご利益

財宝金銭、五穀豊穣、商売繁盛、天下泰平、家内安全などのご利益があるとされています。

吉祥天(きっしょうてん)の像容

中国・唐の貴婦人の姿で優雅な衣装に身にまとい、何でも願いが叶うとされる如意宝珠を持っています。

密教の仏たち 25 弁戝天

弁戝天

 

弁戝天

弁才天(べんざいてん、Sarasvatī[1][2]Sarassatī[2])は、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名である。神仏習合によって神道にも取り込まれ、様々な日本的変容を遂げた。

 

日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インド中国で伝えられるそれらとは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されることが多い。「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっている。古くから弁才天を祭っていた社では明治初頭の神仏分離以降は、宗像三女神または市杵嶋姫命を祭っているところが多い。瀬織津姫が弁才天として祀られる例もあるが少ない。

金光明最勝王経』における弁才天は、金光明経を人に説いたり、他者から聞く者に智慧、長寿、富を与えるとされる[1]弁天(べんてん)または弁天さんとも言われ、弁才天(弁財天)を本尊とする堂宇は、弁天堂・弁天社などと称されることが多い。

 

真言・種子編集

  • オン・ソラソバテイエイ・ソワカ (弁才天呪)[8]
    • Oṃ sarasvatyai svāhā.[8]
  • オン・ウカヤジャヤギャラベイ・ソワカ (宇賀神呪)[9]

種子(種子字)はस(ソ[9]sa[9])、उ(ウ、u),ह्रीं(キリーン、hrīṃ)[10]

 

 

密教の仏たち 24 多聞天 毘沙門天

多聞天  毘沙門天

多聞天

毘沙門天(びしゃもんてん、梵名: ヴァイシュラヴァナवैश्रवणVaiśravaṇaVessavaṇa)は、仏教における天部神で、持国天増長天広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされる[1]。また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方がある。種子はベイ(वै , vai

 

インド編集

ヴェーダ時代から存在する古い神格であり[3]インド神話のヴァイシュラヴァナを前身とする[3]この称号は本来「ヴィシュラヴァス (viśravas) 神の息子」という意味で、彼の父親の名に由来する。[要出典] ヒンドゥー教にはおいてはクベーラともいう[3]。 インドにおいては財宝神とされ、戦闘的イメージはほとんどなかった。この頃の性格についてはクベーラの項を参照。

中国編集

中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王の一尊たる武神・守護神とされるようになった。毘沙門という表記は、ヴァイシュラヴァナを中国で音写したものであるが「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天(たもんてん)とも訳された。帝釈天の配下として、仏の住む世界を支える須弥山の北方、水精埵の天敬城に住み、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち北倶盧洲ほっくるしゅうを守護するとされる。また、夜叉羅刹といった鬼神を配下とする。また、密教においては十二天の一尊で北方を守護するとされる。

日本編集

日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代鞍馬寺である。福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿大黒天にならぶ人気を誇るようになる。室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。

 

毘沙門天に捧げられた真言としては以下のもの等がある。

  • オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ[2]
  • オン・シチロクリ・ソワカ[2]

陀羅尼編集

  • アリ・ナリ・トナリ・アナロ・ナビ・クナビ[4]

 

 

密教の仏たち 23 広目天

広目天

広目天

広目天(こうもくてん、梵名: ヴィルーパークシャविरूपाक्षVirūpākṣaVirūpakkha)は、仏教における天部持国天増長天多聞天と共に四天王の一尊に数えられる。ヴィルーパークシャとは本来サンスクリット語で「種々の眼をした者」あるいは「不格好な眼をした者」という意味だが、「尋常でない眼、特殊な力を持った眼」さらに千里眼と拡大解釈され、広目と訳された。又は毘楼博叉とも称する。三昧耶形は三鈷、羂索(両端に金具を付けた捕縛縄)。種子はビ(vi)。

 

広目天は四天王の一体、西方を護る守護神として造像されることが多い。仏堂内では本尊の向かって左後方に安置するのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた代の武将風の姿で表される。持物は、古くは筆を持ち巻物に何かを書き留めている姿で表現された。しかしこれは主に天平時代のもので、平安時代以後は徐々に別の持物を持つようになった。例えば密教胎蔵界曼荼羅では体色は赤色、右手は三鈷戟を持ち、左手は拳にして右腰に置く姿で描かれる。また羂索を持った姿で表されることもある。また、中国の民間信仰においては赤い顔でを持った姿で表される。 右図は鎌倉時代作の四天王像のうちの広目天(左)と多聞天(右)で、広目天は邪鬼の上に静かに立ち、筆と巻物を持つ姿に表されている。

本来はインド神話に登場する雷神インドラ帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられた。仏の住む世界を支える須弥山の4方向を護る四天王の1員として白銀埵(はくぎんた)に住み、西の方角、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち西牛貨洲(さいごけしゅう)を守護するとされる。 また、諸龍王富単那(ふたんな、梵名: pūtana。子供の熱病を引き起こす病魔)を配下とする。

四天王

帝釈天に仕え、仏教世界の東西南北を守る守護神

四天王(してんのう)とは?

帝釈天の配下で仏教世界を護る神様です。東方を護る持国天(じこくてん)、南方を護る増長天(ぞうちょうてん)、西方を護る広目天(こうもくてん)、北方を護る多聞天(たもんてん)からなります。 多聞天のみ単独で祀られることがあり、単独では毘沙門天(びしゃもんてん)と呼ばれています。

 

生前の釈迦の教えを聞いており、釈迦から自分が亡くなった後に仏法を守護するように託されたといわれています。ちなみに、武勇や技芸に優れた4人が「○○四天王」と呼ばれるのは仏教の四天王から来ています。

ご利益

聖徳太子が物部氏との戦いで戦勝祈願をしたのが四天王です。戦勝祈願・国家鎮護のご利益があります。

四天王(してんのう)の像容

甲冑を着た武将姿の像で、岩や邪鬼の上に立っています。広目天以外は武器を持っており、広目天は筆と巻物を持っています。

有名寺院と像

・奈良県:東大寺
・奈良県:興福寺
・奈良県:法隆寺旧食堂
・奈良県:唐招提寺金堂

四天王(してんのう)の真言

持国天:オン・ヂリタラシュタラ・ララ・ハラマダナ・ソワカ
増長天:オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ヂハタエイ・ソワカ
広目天:オン・ビロバクシャ・ノウギャ・ヂハタエイ・ソワカ
多聞天:オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ

 

 

アップル「iPhone 14 Max」10万円以下に?

 

 

 

 

アップルが2022年後半に発売するiPhone 14 Max(仮称)は、これまでで一番安い価格になる? アップル関連の著名アナリスト、ミンチー・クオ氏が6月23日に予測を出した。

 

同氏によると、iPhone 14シリーズは6.1インチのiPhone 14と6.7インチのiPhone 14 Max、そして6.1インチのiPhone 14 Proと6.7インチのiPhone 14 Pro Maxの、合計4モデルが用意されているという。

そしてこのうちiPhone 14 Maxは、6.7インチモデルにおいて史上最安価格となる900ドル(約9万9000円)未満で販売されるとのことだ。

  • ディスプレーの大きなiPhoneを安く、と思っていた人にはうれしい話になるかもしれない。

密教の仏たち 21 孔雀明王

孔雀明王

孔雀明王

元来はインドの女神マハーマーユーリーमहामायूरीMahāmāyūrī)で、パーンチャ・ラクシャー(五守護女神)の一柱。

マハーマーユーリーは「偉大な孔雀」の意。摩訶摩瑜利(まかまゆり)、孔雀仏母、孔雀王母菩薩[1]とも呼ばれる。憤怒の相が特徴である明王のなかでは珍しく、慈悲を表した菩薩形をもつ。孔雀の上に乗り、一面四臂の姿で表されることが多い。4本の手にはそれぞれ倶縁果吉祥果、蓮華、孔雀の尾を持つ。なお、京都・仁和寺の画像(北宋時代、国宝)のように三面六臂に表された像もある。

 

「おん まゆらきらんてい そわか」
(oṃ mayūrā krānte svāhā)

孔雀明王

孔雀の背に乗る優美な姿、怒れる明王の紅一点

孔雀明王(くじゃくみょうおう)とは?

語源は「偉大なる孔雀」の意味で、インドの国鳥でもある孔雀が神格化され仏教に取り入れられました。インドでは元々は女神でした。そのため、仏母大孔雀明王菩薩とも呼ばれ像容も女性的にあらわされます。

 

古代インドでは毒蛇は煩悩にたとえられており、毒蛇を捕らえて食べる孔雀が災いや苦痛を取り除いてくれると考えられていました。また孔雀が雨季の到来を告げることから、恵みの雨をもたらす吉鳥ということで大変尊重されました。孔雀が仏教に取り入れられてからも雨乞いの儀式に用いられました。また煩悩や苦悩、恐怖などを追い払って幸福をもたらす明王として信仰され、人気を集めました。

ご利益

雨乞い、息災延命、災難除去のご利益があるとされています。

孔雀明王(くじゃくみょうおう)の像容

最も特徴的なのが孔雀の背中に乗っていることです。明王の中で唯一怒りの形相ではなく、慈悲を表した女性的な菩薩姿をしています。そして4本の手が一般的で、他の明王とは違い武器を持っていません。


 

密教の仏たち 20 愛染明王

愛染明王

 

愛染明王

愛染明王の密号は『離愛金剛』である。ここでの「離」は生死のとなる因子の煩悩や渇愛を離れる意味で、「愛」は菩提(覚り)の妙果を愛する意味であるので、『離愛金剛』は「愛欲(煩悩)を離れ、大欲に変化せしむ」の意味となる。

 

本誓と功徳

いわゆる愛染明王の姿の特徴は、一面三目・六臂で、頭上には獅子の冠を頂き、冠の上には五鈷鉤が突き出ていて、その身は赤色で宝瓶の上にある紅蓮の蓮華座に、日輪を背にして座っている。これらの相が示すその象徴的な意味は以下のようになる。

  • 燃え盛る日輪を「織盛日輪」と言い、日輪は仏のもつ無上の浄菩提心を表し、燃え盛る炎は智火煩悩に基づく執着や愛欲をことごとく焼き尽くし、その「愛染三昧」の禅定が不退転となる仏の勇猛心であることを表している。
  • 頭上に獅子の冠を頂き、髪の毛を逆立てて怒髪天を突くさまを表すのは、百獣の王である獅子が吼えるとあらゆる猛獣もすぐに静かになる譬えのように、憤怒の怒りの相と獅子吼によって諸々の怨敵を降伏して、一切衆生を救済することを表している。
  • 冠の上に五鈷鉤が突き出ているのは、衆生の本有(ほんぬ)の五智を呼び覚まして、邪欲を捨てさせて正しい方向へと導くことを意味し、愛染明王の大愛が衆生の心に染み入り、仏法の真実を体得せしめることを表している。
  • 一面三目で身体が赤色であり、その身を五色の華鬘で荘厳する点は、三つの眼は法身と般若と解脱を意味し、世俗面においては仁愛と知恵と勇気の三つの徳を表す。身体が赤く輝いているのは、愛染明王の大愛と大慈悲とがその身体からあふれ出ていることを意味し、五色の華鬘でその身を荘厳するのは、五智如来の持つ大悲の徳を愛染明王もまたその身に兼ね備えていることを意味し、両耳の横から伸びる天帯[注は、「王三昧」に安住して如来の大法である真理の教えを聞くことを表している。
  • 六臂として手が六本あるのは、六道輪廻の衆生を救う意味をもつ。また、左右の第一手は二つで「息災」を表していて、左手の五鈷鈴は、般若の智恵の音と響きにより衆生を驚愕させて、夢の如きこの世の迷いから覚醒させることを表し、右手の五鈷杵は、衆生に本有の五智を理解し体得させて、愛染明王の覚りへと到達せしめることを表している。
  • 左右の第二手は二つで「敬愛」と「融和」とを表していて、左手の弓と右手の矢(箭)は、二つで一つの働きをするので、この世の人々が互いに協力して敬愛と和合の精神を重んじ、仏の教えを実践する菩薩としての円満な境地に至ることを意味している。また、愛染明王の弓矢は、大悲の矢によって衆生の心にある差別や憎しみの種を射落とし、菩提心に安住せしめることを意味し、そして矢は放たれるとすぐに目標に到達することから、愛染明王への降魔や除災、男女の縁結び[12]における祈念の効果が早く現れることをも表している。
  • 左右の第三手は二つで人生の迷いや煩悩による苦しみの世界を打ち払う「増益」と「降伏」とを表していて、左手に拳を握るのは、その手の中に摩尼宝珠を隠し持っていて、これは衆生が求めるあらゆる宝と財産や、生命を育むことを意味していて、右手の赤い未敷蓮華(みふれんげ)は、それらの衆生の財産や生命を奪おうとする「四魔に対して、大悲の鞭を打ち振るい、魔を調伏することを表している。
  • 愛染明王が座っている紅蓮の蓮華座は、「愛染三昧」の瞑想から生じる大愛の境地を実現させた密教的な極楽浄土を意味していて、その下にある宝瓶は、仏法の無限の宝である三宝を醸し、経と律と論の三蔵を蔵することを表している。また、その周囲に宝珠や花弁が乱舞するのは、愛染明王が三宝の無尽蔵の福徳を有することを意味している。

愛染明王十二大

更に、愛染明王は一切衆生を諸々の苦悩から救うために十二の広大な誓願を発しているとされ、その内容は以下のようになる。

  1. 智慧の弓と方便の矢を以って、衆生に愛と尊敬の心を与えて、幸運を授ける。
  2. 悪しき心を加持して善因へと転換し、衆生に善果を得せしめる。
  3. 貪り・怒り・愚かさの三毒の煩悩を打ち砕いて、心を浄化し、浄信(菩提心)を起こさしめる。
  4. 衆生の諸々の邪まな心や、驕慢の心を離れさせて、「正見」へと向かわせる。
  5. 他人との争いごとの悪縁を断じて、安穏に暮らせるようにする。
  6. 諸々の病苦や、天災の苦難を取り除いて、信心する人の天寿を全うさせる。
  7. 貧困や飢餓の苦悩を取り除いて、無量の福徳を与える。
  8. 悪魔や鬼神・邪神による苦しみや、厄(やく)を払って、安楽に暮らせるようにする。
  9. 子孫の繁栄と、家運の上昇、信心する人の一家を守って、幸福の縁をもたらす。
  10. 前世の悪業(カルマ)の報いを浄化するだけでなく、信心する人を死後に極楽へ往生させる。
  11. 女性に善き愛を与えて良い縁を結び、結婚後は善根となる子供を授ける。
  12. 女性の出産の苦しみを和らげ、その子のために信心すれば、子供には福徳と愛嬌を授ける。

種字

  • ウーン (hűṃ、हूं)BonjiHuum2.png
  • ウン(hhuṃ) BonjiHhum.png

  • 愛染明王根本印

真言

  • オン・マカラギャ・バゾロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク
  • ウン・タキ・ウン・ジャク (一字心明)

愛染明王

東洋の恋愛の神様。愛欲を仏の悟りに変える力を持つ

愛染明王(あいぜんみょうおう)とは?

仏教では愛欲は煩悩の1つであり、煩悩を捨てることが悟りを開く道であるとされていました。しかし密教では「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という煩悩があるからこそ、人々から悟りを求める心が生まれると考えられています。その教えを象徴したのが愛染明王であり、愛欲・煩悩を悟りを求める心に導き、様々な悩みを救ってくれるとされています。

 

ちなみに戦国武将・直江兼継の頭兜には「愛」の文字の前立てがあることで有名です。「愛」の1字は愛染明王から取ったとする説があります。

ご利益

良縁、結婚成就、夫婦円満、無病息災、延命、戦勝、染物屋・水商売守護のご利益があるとされています。

愛染明王(あいぜんみょうおう)の像容

全身赤色で、3つの目に6本の手があるのが一般的です。西洋の愛の神・キューピッドと同じで弓矢を持っています。

 

 

密教の仏たち 19 大黒天

大黒天

 

大黒天

大黒天(だいこくてん、Mahākāla[1]、[マハーカーラ]、音写:摩訶迦羅など)とは、ヒンドゥー教シヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたもの[1]七福神の一柱

 

ヒンドゥー教シヴァ神の化身であるマハーカーラは、インド密教に取り入れられた。“マハー”とは(もしくは偉大なる)、“カーラ”とはあるいは(暗黒)を意味するので大黒天と名づく。その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。

 

歴史編集

日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。後に大国主神と習合した。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。「大黒さん」として親しまれている。

偉容編集

本来の像容は、一面二臂、青黒(しょうこく)か黒色で忿怒(いかり)の相で表現される。『大黒天神法(嘉祥寺神愷記)』には、烏帽子・袴姿で右手の拳を腰に当てて、左手で大きな袋を左肩に背負う厨房神・財神として描かれている[2]。この袋の中身は七宝[3]が入っているとされる。

  • 胎蔵生曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。

ほとんどが一面だが、上述のように毘沙門天・弁才天と合体した三面六臂の大黒天も作られた。

 

歴史編集

日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。後に大国主神と習合した。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。「大黒さん」として親しまれている。

偉容編集

本来の像容は、一面二臂、青黒(しょうこく)か黒色で忿怒(いかり)の相で表現される。『大黒天神法(嘉祥寺神愷記)』には、烏帽子・袴姿で右手の拳を腰に当てて、左手で大きな袋を左肩に背負う厨房神・財神として描かれている[2]。この袋の中身は七宝[3]が入っているとされる。

  • 胎蔵生曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている立像で身の丈は通常は五尺である。

ほとんどが一面だが、上述のように毘沙門天・弁才天と合体した三面六臂の大黒天も作られた。

以上のような憤怒相は鎌倉期の頃までで、これ以降、大国主神と習合して現在のような柔和相で作られるようになるが、まれに観世音寺福岡県)にある大黒天立像のように憤怒相の像も見られる。

真言

  • おん まかきやらや そわか

 

日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。室町時代以降は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の民族的信仰と習合されて、微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると米俵に乗るといった現在よく知られる像容となった。現在においては一般には米俵に乗り福袋打出の小槌を持った微笑の長者形で表される。

袋を背負っているのは、大国主が日本神話で最初に登場する因幡の白兎の説話において、八十神たちの荷物を入れた袋を持っていたためである。また、大国主がスサノオの計略によって焼き殺されそうになった時にが助けたという説話(大国主の神話#根の国訪問を参照)から、鼠が大黒天の使いであるとされる。

春日大社には平安時代に出雲大社から勧請した、夫が大国主大神で妻が須勢理毘売命(すせりひめのみこと)である夫婦大黒天像を祀った日本唯一の夫婦大國社があり、かつて伊豆山神社(伊豆山権現)の神宮寺であった走湯山般若院にも、像容が異なる鎌倉期に制作された夫婦大黒天像が祀られていた(現在では熱海の古屋旅館に存在する)。

大黒と恵比寿編集

日本一大きいえびす、大黒の石像は舞子六神社にあり商売繁盛の神社とされている。

大黒と恵比寿は各々七福神の一柱であるが、寿老人と福禄寿が二柱で一組で信仰される事と同様に、一組で信仰されることが多い。神楽などでも恵比寿舞と大黒舞が夙(つと)に知られ、このことは大黒が五穀豊穣の農業の神である面と恵比寿が大漁追福の漁業の神である面に起因すると考えられている。また商業においても農産物や水産物は主力であったことから商売の神としても信仰されるようになっていった。