UA-135459055-1

瞑想  meditation

メシアの法   messianic law

 

人類がいまかかえている問題を見てみよう

人類がいまかかえている問題を見てみよう。
―殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合いI-そして地球上に急速にひろがりっつある有害物質―。それらはどこに原因があるのであろうか? わかりきったことである。
それは、ヒトが愚かなためである。
人類学者リンネは、人間を分類して「知恵あるヒト」と学名をつけた。
生川学者シヤルルーリシエは、愚かなヒト、ホモースツルッスと名をつけた。ノーベル賞受賞者のリシエは、その著、「人間-この愚かなるもの」の序文で、人類のかずかずの愚行をつぎっぎとあげ、実にあれかえったおろかな動物であるとして、超愚人類と呼びたいところだが、まあ、最上級の形容詞はがまんして、愚人類ぐらいでかんべんしておこうと書いている。
たしかに、ヒトには、この二つの面がある。賢い知恵ある面と、愚かで弱い面と、二つの面がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホモーサピエンスは全く影をひそめ、ホモースツルチッシムスが妖怪のごとく横行している。
殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い、
それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はヒトの力を無限に拡大したが、同時に、ヒトの殺戮と搾取と憎悪と闘争をも無限に増大させた。このままでは、問もなく、ホモーサピエンスは絶滅する。

いま、人類にもっとも必要なものはなにか?
それは高度の知能である。
この地上に展開する恐るべき大愚行は、なによりもまず人類の知能が低いところに原因する。いま、人類に必要なものは、科学でもなければ技術でもない。革命でもなければイデオロギー
でもない。人種闘争でもなければ階級闘争でもない。そんなものはなんの役にも立たぬ。

何十回、革命を起こしても、何百回、闘争をくりかえしても、人類の知能がいまの水準にあるかぎり、それはむなしい儀式のくりかえしに過ぎぬ。
歴史をみてみよう。機械と技術、科学と文明と称するものがいくら進歩発達しても、おろかな人間たちの行動パターンは少しも変わっていない。つねに、憎み合い、殺し合い、奪い合う、このパターンのくりかえしではないか。どこに変化が見られるか。
若ものよ。エネルギーのむだな燃焼をやめたまえ。革命を思うなら、全人類の知能革命に前進せよ。ネアンデルタールの昔から、ヒトの知能は一歩も前進していない。なによりもまず人類の知能を高めねばならぬ。
ホモースツルチッシムスを絶滅せよ。そうせぬかぎりわれわれにもはや未来はない。それはすでに秒読みの段階に入っている。
このとき、ここに、ヒトを改造し、社会機構を一変させる技術がある。この技術は、ふるき社会体系をすべて解体し、そこから生まれるあたらしい文明は、次元をひとつ超えるだろう。この技術によってのみ、世界はよみがえり、この革命だけが全人類を破滅から救う


若ものよ。君たちはなぜこれに視線を向けぬのだ。
なぜ、君たちは、この、地上いまだかつて比類なき壮大にしてドラマチックな革命に情熱をたらぬのだ。

教育?
それは無力である。
それは知能を高めるものではなく、ただ、知識をひろげるだけのものに過ぎない。教育は、ただ、その人の本来持っているところの知識をひろげるだけで、知能そのものを高めはしない。知能を高める技術とは、ものを教え、ものをおぼえさせることではなく、おぼえる能力そのものを高めるシステムでなければならない。馬鹿はいくら教育したって馬鹿である。馬鹿に教育はまったく無力だ。馬鹿を利口にするためには特別の技術がなければならぬ。

宗教?
それは、知能ひくきものたちの愚行をなんとか良心にうったえて思いとどめさせようとするブレーキに過ぎず、知能を高めるためのなんの力も技術もない。念仏をとなえ、題目を高唱し、経典教学をそらんじ、神のみ名を呼んでも、心の安らぎ、なぐさめ、信念というたぐいのものは得
られても、知能そのものが高くなるということはない。
最高度に進化発達した知能を持つ未来社会に、宗教という特別な分野はなくなるだろう。

高度の知能怯局度に発達した倫理観、道徳意識をともなうから、現在の宗教や、宗教家あたりが説いている「教え」など、まったく低俗な、次元の低い幼稚なものとしてかえりみられず、宗教意識はごくあたりまえの常識になってしまって、ことさらにカミやホトケを念ずることなどなくなる

だろう。ヒトが、カミ、ホトケとびとしくなるのである。
そういう未来社会が、すぐ足もとに来ていることに君は気づくべきだ。
今までとはまったく構造の変わった社会体系があらわれようとしていることを、君は知らねばならぬ。

君はそれを疑うのか? ではいおう。
もしも。
そういう高度の知能が出現しないかぎり、世界は間もなく終わるだろう。ホモーサピエッスが今の知能水準であるかぎり、もはや、ヒトに未来はない。ホモーサピエッスの文明はすでに限界に達した。 だか。
未来社会があるとすれば、どうしてもそれは、高度なまったく新しい社会でなければならぬのだ。

 

-超・ヒトt脳発速度係数三・九もう間もなくやってくる未来社会で、人類は二つの種属にわかれるだろう。

それは、二つの民族でもないし、二つの階級でもない。二つの種属である。
そうして、その二つの種属は、しばらくのあいだ共存するけれども、間もなくその一方はおとろえ、急速にこの世界からすがたを消してゆくだろう。
そういうと、人類が二つの対立を示すのは、なにも未来社会にかぎったことではなく、いまだってそうではないかと、いくつかの例をあげる人がいるかも知れない。
たしかに、それは、有色人種と白色人種、自由社会と共産圏社会、富める者と貧しき者、支配
する者とされる者、と、いくつか、かぞえることができるだろう。
だが、ちがうのだ。
そういう分類とはまったく異質の区分が、ごく近い将来、われわれの世界にあらわれようとしている。そういう動きが、すでに現在おこりつつある。
それは、二つのヒト属である。
あたらしい人類とふるい人類.
ひとつは普通の現代人、ホモーサピエンスHomo sapiensである。これがふるい人類だ。
もうひとつは、特殊な能力を身につけた未来人、ホモーエクセレンスHomo eχcellens であ
る。つまりあたらしい人類だ。
ホモ・廿ピエンスとは、ほかならぬわれわれ自身のことであるが、ホモーエクセレッスとは、
どういうヒトか?
ホモーエクセレンスとは、ホモーサピエンスが持だない特別な能力を身につけた「優秀なるヒト」という意味である。ある人たちは、この未来人に、ホモーイッテリダンス(聡明なるヒト)と
いう名をつけている。
では、この優秀なる未来人、ホモーエクセレンスは、どういう特殊な能力を持っているのか?
彼の持ついくつかの特長をあげてみよう。
「未来の種属、超・ヒトは、おそらく、三・九という脳発速度係数を持つだろう」
と、世界的に著名な人類学者、パリ大学のジョルジューオリヴィエ教授は、その著「ヒトと進化、過去現在そして未来」のなかでこう語りはじめる。
「(こういうきわめてすぐれた生物の能力を、それよりはるかに劣ったわれわれが、あれこれいうことはできないが)とにかく、この超・ヒトの知的能力は、辛うじて想像することができる。

それは、たとえば、
1 第四次元の理解。
2 複雑な全体をとっさに把握する能力。
3 第六感の獲得。
4 無限に発展した道徳意識の保有。
5 とくにわれわれの悟性には不可解な精神的な特質。
などである。
わたしは、脳発速度係数三・九をもつ生き物の体のかたちや、すばらしい知能や、われわれにはとうてい理解できない行動がどんなものであるかは、想像力のゆたかな人達にまかせることに
する。われわれがメクラであるのに対して、われわれの後継者たちは千里眼の持ち主なのだろうから」(芦沢玖美訳・みすず書房刊)
と述べている。

オリヴィエ教授は、出版社の紹介文によるとフハリ大学理学部人類学教授であり、人類学、解剖学のかず多い論文のほかにいくつかの著書を持ち、そのなかでも「人類学的解剖学」はフランス学士院宣を受けた。自己の専門分野の研究に多くの業績をあげているばかりでなく、若い研究
者の育成にも心をそそぎ、フランス人類学の名実ともにすぐれた指導者である”と記されている。

まさに、当代一流の科学者であるといわねばならない。
その科学者が未来人ホモーエクセレンスの出現を、このように予告しているのである。著者
が、なんの根拠ももたず、ただいたずらに鬼面ひとをおどろかす筆をとっているのではないの
だ。それはかならずやってくる。では1、そのホモーエクセレンスは、いったい、どこから、

 

いつやってくるのだろうか?
未来人、ホモーエクセレンスの到来は、歴史の必然であるとオリヴィエ教授はいう。
では人類の歴史をたどってみよう。
まずあらわれたのは、オレオピテクス、ラマピテクスから進化してきたオーストラロピテクス
(猿人)であった。が、しばらくして、ピテカントロプスーエレクトス(原人)がこれにとってかわった。しかし、まもなく、ネアンデルタール人(旧人)がやってきて、そのあとを継ぎ、彼らの時代はおよそI〇万年ちかくつづく。
けれども、今から四、五万年ほど前、かなり進んだ知能を持つクロマニョッ人(新人)が出現すると、彼らは急速に姿を消して絶滅してしまった。しかしそのクロマニョッ人も、今から一万年ほどまえに、オーストラロイド(ジャワ、
モンゴロイド(中国)、ネグロイド(アフリカ)、コーカソイド(ヨーロッパ)というあたらしい現世人類の種のなかにあわただしく消滅してしまった。こ
れは、歴史のごく表面にあらわれているだけの事実で、このほかにも、いくっかの知られざるヒト・属、あるいはその分枝が、無数にあらわれ
歴史をつくる間もなく消滅していったと考える学者はかず多い。
ある著名な科学者は、ひとつの種の寿命はI〇〇万年だと語り、ホモーサピエッスは出現以
来、間もなくこの年令に達するはずだという。そうして、オリヴィエ教授もまた「いま、われ
われが、われわれの後継者であるつぎの人類のことを考えるのは、まったく筋みちの立ったことりあるLといっているのだ。

だが、
いったいその新しいビトは、いっあらわれるのか?
一万年さきか? 二万年?・
だいたい、ホモーサピエンスのつぎの人類なんて、それはちょうどあの太陽がいつか燃えつき
てしまうぞ、というのと同じことで、空想ではないにしても、おそらくそれは天文学的数字のはるか未来の出来事にちがいなく、そんな心配をしているほどわれわれはヒマ人ではない、とあなたはいうかも知れない。

とんでもない
そんなことをいっていたら、それこそあなたは、〃間抜け”になってしまうぞ。’
オリヴィエ教授は、生物学の進化の法則の上に立ってこう予一日するのだ。
「……未来のヒトは間もなく不意に来ることになる」え? そんなに早く? とあなたはびっくりするだろう。だが、あなたはここでさらにもっと
びっくりしなければならないのだ。
というのは、
この新しいヒト、ホモーエクセレンスは、″間もなく不意に来る″のではなく、それはもうすでにこの地上に来ているのである。この地球上に、はるか以前からすでに出現しているのだ。
いつから?
いつからだとあなたは思うか?
昨日から?

日から?
では、去年?
それは五〇〇〇年よりもっと以前からなのである!

ホモーエクセレンスの資格
ここにひとつの技術がある。
その技術によって訓練すると、ヒトはだれでもいくつかのすぐれた力を持つようになる。
その力をあげてみよう。

1極度に発達した知能いちど目にふれ、いちど耳にしたことは、ぜったいに忘れることのない記憶力。どのように複雑な構造でも組織でも、瞬間的に分析し、推理し、理解し
て、本質を把握してしまう演鐸と帰納の力。コトバという間接思考を経ない純粋思考から発する超飛躍的な創造力。
それは、ヒトの平均知能をI・〇とナるならば、おそらく、二・五から三・五に達するであろう。このグループの最高の頭脳は、やすやすと四次元を理解する。
ニ 感覚器官の増幅-彼は、不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を間くことができる。その異常感覚と高度の知能の結合からくる予知力。それらは、自分の肉体
を思うままに統御する能力からくる。
三 環境の制御と創造1思うままに自分を変え、他人を動かし、集団や環境を、自分の理念の通りに創造してゆく。
四 物質を超え、物質を自由に統御する力。
五 無限に発達した道徳意識。
だいたい、以上の能力である。
これを、前の項で述べたオリヴィエ教授の未来人、ホモーエクセレンスの持つ能力とくらべて
みよう。
それは、おどろくほど酷似している、というよりも、そっくりそのままといったほうがよいの

それは`県乱が`オリヴィエ説をそっくりそのままう
つし持ってきたのではないのか、と。
そうではないのだ。それは、むしろ、私のほうがいいたいことだ。私は、最初、オリヴィエ教
授がこの特殊技術の存在を知っていP1 9の技術の習得を未来人の貧緋ごしたのではないかと思
ったくらいなのである。もちろん、それは、そうではなく、オリヴィエ教授は学術的に、未来人、この暗黙の一致を、あなたはどのように考える
つたくらいなのであるの能力をそのように予測したのにちがい江いがヽこの暗黙の一致を、だろうか?
もっとも、オリヴィエ教授は、実際にこの特殊技術の存在を知っていて、その上に立ってホモしり把力を、このように書いたのである、ということも考えられたいことではな
アメリカやヨーロッパで知ヽむしろ、アメリ’エクセレンスの能力を、このよう られ、高く評価されはじめているのだからI。
しかし、それはとにかくとして、実際に、こういう能力をヒトにあたえる特殊な技術が、数千
年も前からこの地上に存在し、それはそのまま現在も一部の人びとの間に伝えられているという
ことは、まぎれもない事実である。いや、現に、その技術の訓練を受け、そういう能力を身につけた人びとがたん人かいる。
つまりホモーエクセレンスは、すでにこの地上にあらわれつつあるということである。それは、ま
だ、ごくわずかな数ではあるけれどもI。
未来人、ホモーエクセレンスは、これからさき、長い時間をかけて進化の結果あらわれてくる
『Iユータット
のでもないし、突然変1 体としてフランケンシュタインの怪物のごとく登場するのでもない。そ
れは、ひとつの特殊な人間開発技術により、ホモーサピエンス自身が変身するのだ。それは自然
に生まれてくるのではなく、つくられるのだ。
もっとも、いちばん最初にあらわれ恕ホモーエクセレンスは、あるいは一種のミユークットで
あったかも知れない。あるいは、未来社会への環境適応の結果あらわれた超・ヒトの先行者であ
ったのかも知れぬ。ちょうど、ネアンデルタール人の群れのなかに出現した最初のクロマニョッ
人のようにI。
ルーガリックの法則によると、すでに存在する属のなかでの新しい種の形成は、三〇〇年から
六〇万年の時間を要するという。今から五〇〇〇年まえという数字は、ホモーエクセレッスの先
行者があらわれて、ホモーサピエンスのなかに次第に新しい同族の種属を形成してゆくのにちょうど手頃な時間である。
最初のホモーエクセレンスは非常に孤独であったろう。彼はその持てるすぐれた能力ゆえに、
おのずと、予言者となり、指導者となり、教育者とならざるを得なかった。また、彼は、その持
つ異常な能力によって、数千年さきの未来を洞察し、ヒトの歴史の上における彼自身の位置をさ

とったにちがいない。
彼は、まだ低い段階のホモーサピエンスたちを教育するための「教え」を説くと同時に、これ
からやがて次第にあらわれてくる同 族たちを教育するためのカリキュラムもつくった。
彼は、周囲に何人かの崇拝者を持った。そのなかからすぐれた素質を持つ者をえらんで、彼は
このカリキごフムで訓練した。あるいは、その弟子たちのなかには、彼と同じホモーエクセレクト。だが、あまりにも高度
スのヽなその開発技術は、ひろく受け入れられるためにはあまりに難解で、入びとの進歩と熟成のため
の時が必要であった。その長い間、この技術は、しばしば、誤解されたり、誹談されたり、あるいは分裂の危機を迎えた。けれども、その技術が滅亡しよ
いは分裂の ホモーエクセレンスがあらわれて、これを継いだ。この技術は、このようにして、ひろく世にうけいれられ
る時を静かに待った。多くの人びとが、この技術を必要とし、受け入れようと努力しはじめる時期を静かに待った。 いまII、その時がきたようである。
ホモーサピエンスは生物としてその限界に到達した。いま、この世界を覆う混乱と当惑と憎悪
は、なによりも、それをものがたるものである。つぎにくるものは絶望でしかない。いまこのひろい世界に、一瞬たりとも生命の危険を感ぜずして生きている入開かひとりもいない。あなた自身そうであろう。
つねに機械と技術―科学がその危機を乗り越えてきた。しかし、いまは、その機械と技術が先頭に立って人間に打撃を加えている。 もう「さきは見えて」しまった。
ホモーサピエンスの知能がっくり出した文明は極限に達した。もしもこの世界が生き残ろうと望むならば、あらたな文明が生まれ出なければならない。ホモーサピエンスの生み出したものはすべて、科学も技術も宗教も、芸術さえも限界に達した。倫理も道徳も崩壊した。古い人類は必
死に古い文明にしがみついているけれども、これらはすべて過去の世界のものになった。
限界に達した生物がさいごにえらぶ道は「集団自殺」である。いま、その集団自殺が地上に展開している。環境汚染と公害と戦乱-すべてホモーサピエンス自身がっくり出したものである。結局、ホモーサピエンスは集団闘争による集団自殺によって絶滅するであろう。
見よ。宗教ですら闘争の仲間に加わった。最も進歩的だと称するこの国の宗教団体は最も闘争的である。
すべての生物かたどる最後の道を、ホモーサピエンスはっいにたどりはじめたということであろう。
陶汰がはじまっているのである。滅びるべきものは滅び去るがよい。それでヒト・属は絶えは
しない。あたらしい種の胎動がここにある。あたらしい文明と古い文明、ホモーサピエンスとホモーエクセレンスはしばらくのあいだ共存するであろう。それは三世代から七世代つづく。ネアンデルタールとクロマニョンの共存は、一〇〇世代から一五〇世代つづいた。ネアッデルタールが消滅するのにそれだけかかった。われわれの共存は、促進されてごくわずかの時間で完了す
る。五〇年から一五〇年これだけの時間のうちに、滅びるべきものは滅びるだろう。
そのあとに、ホモ・エクセレンスはあたらしい科学、あたらしい技術、あたらしい宗教、あたらしい芸術をつくり出す。それは、ホモーサピエンスとは比較にならぬ高度の知性と悟性が生み
出したあたらしい次元のものである。
ところでお聞きするのだが、あなたは、ネアンデルタールか、クロマニョンか?

―殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合いI-そして地球上に急速にひろがりっつある
有害物質―。それらはどこに原因があるのであろうか? わかりきったことである。
それは、ヒトが愚かなためである。
人類学者リンネは、人間を分類して「知恵あるヒト」と学名をつけた。
生川学者シヤルルーリシエは、愚かなヒト、ホモースツルッスと名をつけた。ノーベル賞受賞者のリシエは、その著、「人間-この愚かなるもの」の序文で、人類のかずかずの愚行をつぎっぎとあげ、実にあれかえったおろかな動物であるとして、超愚人類と呼びたいところだ
が、まあ、最上級の形容詞はがまんして、愚人類ぐらいでかんべんしておこうと書いている。
たしかに、ヒトには、この二つの面がある。賢い知恵ある面と、愚かで弱い面と、二つの面がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホモーサピエンスは全く影をひそめ、ホモースツルチッシムスが妖怪のごとく横行している。
殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い、
それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はヒトの力を無限に拡大したが、同時に、ヒトの殺戮と搾取と憎悪と闘争をも無限に増大させた。このままでは、問もなく、ホモーサピエンスは絶滅する。

いま、人類にもっとも必要なものはなにか?
それは高度の知能である。
この地上に展開する恐るべき大愚行は、なによりもまず人類の知能が低いところに原因する。
いま、人類に必要なものは、科学でもなければ技術でもない。革命でもなければイデオロギーでもない。人種闘争でもなければ階級闘争でもない。そんなものはなんの役にも立たぬ。

何十回、革命を起こしても、何百回、闘争をくりかえしても、人類の知能がいまの水準にあるかぎり、それはむなしい儀式のくりかえしに過ぎぬ。
歴史をみてみよう。機械と技術、科学と文明と称するものがいくら進歩発達しても、おろかな
人間たちの行動パターンは少しも変わっていない。つねに、憎み合い、殺し合い、奪い合う、こ
のパターンのくりかえしではないか。どこに変化が見られるか。
若ものよ。エネルギーのむだな燃焼をやめたまえ。革命を思うなら、全人類の知能革命に前進せよ。
ネアンデルタールの昔から、ヒトの知能は一歩も前進していない。なによりもまず人類の知能を高めねばならぬ。
ホモースツルチッシムスを絶滅せよ。そうせぬかぎりわれわれにもはや未来はない。それはすでに秒読みの段階に入っている。
このとき、ここに、ヒトを改造し、社会機構を一変させる技術がある。この技術は、ふるき社会体系をすべて解体し
、そこから生まれるあたらしい文明は、次元をひとつ超えるだろう。この
技術によってのみ、世界はよみがえり、この革命だけが全人類を破滅から救う。
若ものよ。君たちはなぜこれに視線を向けぬのだ。
なぜ、君たちは、この、地上いまだかつて比類なき壮大にしてドラマチックな革命に情熱をたらぬのだ。

教育?
それは無力である。
それは知能を高めるものではなく、ただ、知識をひろげるだけのものに過ぎない。
教育は、ただ、その人の本来持っているところの知識をひろげるだけで、知能そのものを高めはしない。知能を高める技術とは、ものを教え、ものをおぼえさせることではなく、おぼえる能
力そのものを高めるシステムでなければならない。馬鹿はいくら教育したって馬鹿である。馬鹿に教育はまったく無力だ。馬鹿を利口にするためには特別の技術がなければならぬ。

宗教?
それは、知能ひくきものたちの愚行をなんとか良心にうったえて思いとどめさせようとするブ
レーキに過ぎず、知能を高めるためのなんの力も技術もない。念仏をとなえ、題目を高唱し、経
典教学をそらんじ、神のみ名を呼んでも、心の安らぎ、なぐさめ、信念というたぐいのものは得
られても、知能そのものが高くなるということはない。
最高度に進化発達した知能を持つ未来社会に、宗教という特別な分野はなくなるだろう。高度

の知能怯局度に発達した倫理観、道徳意識をともなうから、現在の宗教や、宗教家あたりが説い
ている「教え」など、まったく低俗な、次元の低い幼稚なものとしてかえりみられず、宗教意識
はごくあたりまえの常識になってしまって、ことさらにカミやホトケを念ずることなどなくなる
だろう。ヒトが、カミ、ホトケとびとしくなるのである。
そういう未来社会が、すぐ足もとに来ていることに君は気づくべきだ。
今までとはまったく構造の変わった社会体系があらわれようとしていることを、君は知らねばならぬ。
君はそれを疑うのか? ではいおう。
もしもI。
そういう高度の知能が出現しないかぎり、世界は間もなく終わるだろう。ホモーサピエッスが
今の知能水準であるかぎり、もはや、ヒトに未来はない。ホモーサピエッスの文明はすでに限界
に達した。 だかI。
未来社会があるとすれば、どうしてもそれは、高度なまったく新しい社会でなければならぬのだ。
⑤-超・ヒトtL脳発速度係数三・九
もう間もなくやってくる未来社会で、人類は二つの種属にわかれるだろう。
それは、二つの民族でもないし、二つの階級でもない。二つの種属である。
そうして、その二つの種属は、しばらくのあいだ共存するけれども、間もなくその一方はおとろえ、急速にこの世界からすがたを消してゆくだろう。
そういうと、人類が二つの対立を示すのは、なにも未来社会にかぎったことではなく、いまだってそうではないかと、いくつかの例をあげる人がいるかも知れない。
たしかに、それは、有色人種と白色人種、自由社会と共産圏社会、富める者と貧しき者、支配
する者とされる者、と、いくつか、かぞえることができるだろう。
だが、ちがうのだ。
そういう分類とはまったく異質の区分が、ごく近い将来、われわれの世界にあらわれようとしている。そういう動きが、すでに現在おこりつつある。
それは、二つのヒト属である。
あたらしい人類とふるい人類.
ひとつは普通の現代人、ホモーサピエンスHomo sapiensである。これがふるい人類だ。
もうひとつは、特殊な能力を身につけた未来人、ホモーエクセレンスHomo eχcellens であ
る。つまりあたらしい人類だ。
ホモ・廿ピエンスとは、ほかならぬわれわれ自身のことであるが、ホモーエクセレッスとは、
どういうヒトか?
ホモーエクセレンスとは、ホモーサピエンスが持だない特別な能力を身につけた「優秀なるヒト」という意味である。ある人たちは、この未来人に、ホモーイッテリダンス(聡明なるヒト)と
いう名をつけている。
では、この優秀なる未来人、ホモーエクセレンスは、どういう特殊な能力を持っているのか?
彼の持ついくつかの特長をあげてみよう。
「未来の種属、超・ヒトは、おそらく、三・九という脳発速度係数を持つだろう」
と、世界的に著名な人類学者、パリ大学のジョルジューオリヴィエ教授は、その著「ヒトと進
化、過去現在そして未来」のなかでこう語りはじめる。
「(こういうきわめてすぐれた生物の能力を、それよりはるかに劣ったわれわれが、あれこれい
うことはできないが)とにかく、この超・ヒトの知的能力は、辛うじて想像することができる。
それは、たとえば、
1 第四次元の理解。
2 複雑な全体をとっさに把握する能力。
3 第六感の獲得。
4 無限に発展した道徳意識の保有。
5 とくにわれわれの悟性には不可解な精神的な特質。
などである。
わたしは、脳発速度係数三・九をもつ生き物の体のかたちや、すばらしい知能や、われわれに
はとうてい理解できない行動がどんなものであるかは、想像力のゆたかな人達にまかせることに
する。われわれがメクラであるのに対して、われわれの後継者たちは千里眼の持ち主なのだろう
から」(芦沢玖美訳・みすず書房刊)
と述べている。
オリヴィエ教授は、出版社の紹介文によるとフハリ大学理学部人類学教授であり、人類学、解
剖学のかず多い論文のほかにいくつかの著書を持ち、そのなかでも「人類学的解剖学」はフラン
ス学士院宣を受けた。自己の専門分野の研究に多くの業績をあげているばかりでなく、若い研究
者の育成にも心をそそぎ、フランス人類学の名実ともにすぐれた指導者である”と記されている。
まさに、当代一流の科学者であるといわねばならない。
その科学者が未来人ホモーエクセレンスの出現を、このように予告しているのである。著者
が、なんの根拠ももたず、ただいたずらに鬼面ひとをおどろかす筆をとっているのではないの
だ。それはかならずやってくる。では1、そのホモーエクセレンスは、いったい、どこから、

いつやってくるのだろうか?
未来人、ホモーエクセレンスの到来は、歴史の必然であるとオリヴィエ教授はいう。
では人類の歴史をたどってみよう。
まずあらわれたのは、オレオピテクス、ラマピテクスから進化してきたオーストラロピテクス
(猿人)であった。が、しばらくして、ピテカントロプスーエレクトス(原人)がこれにとって
かわった。しかし、まもなく、ネアンデルタール人(旧人)がやってきて、そのあとを継ぎ、彼らの時代はおよそI〇万年ちかくつづく。
けれども、今から四、五万年ほど前、かなり進んだ知能を持つクロマニョッ人(新人)が出現
すると、彼らは急速に姿を消して絶滅してしまった。しかしそのクロマニョッ人も、今から一万年ほどまえに、オーストラロイド(ジャワ、
モンゴロイド(中国)、ネグロイド(アフリカ)、コーカソイド(ヨーロッパ)というあたらしい現世人類の種のなかにあわただしく消滅してしまった。こ
れは、歴史のごく表面にあらわれているだけの事実で、このほかにも、いくっかの知られざるヒト・属、あるいはその分枝が、無数にあらわれ
歴史をつくる間もなく消滅していったと考える学者はかず多い。
ある著名な科学者は、ひとつの種の寿命はI〇〇万年だと語り、ホモーサピエッスは出現以
来、間もなくこの年令に達するはずだという。そうして、オリヴィエ教授もまた「いま、われ
われが、われわれの後継者であるつぎの人類のことを考えるのは、まったく筋みちの立ったことりあるLといっているのだ。

だがI、
いったいその新しいビトは、いっあらわれるのか?
一万年さきか? 二万年?・
だいたい、ホモーサピエンスのつぎの人類なんて、それはちょうどあの太陽がいつか燃えつき
てしまうぞ、というのと同じことで、空想ではないにしても、おそらくそれは天文学的数字のは
るか未来の出来事にちがいなく、そんな心配をしているほどわれわれはヒマ人ではない、とあな
たはいうかも知れない。
とんでもない
そんなことをいっていたら、それこそあなたは、〃間抜け”になってしまうぞ。’
オリヴィエ教授は、生物学の進化の法則の上に立ってこう予一日するのだ。
「……未来のヒトは間もなく不意に来ることになる」
え? そんなに早く? とあなたはびっくりするだろう。だが、あなたはここでさらにもっと
びっくりしなければならないのだ。
というのは!―、
この新しいヒト、ホモーエクセレンスは、″間もなく不意に来る″のではなく、それはもうす

でにこの地上に来ているのである。この地球上に、はるか以前からすでに出現しているのだ。
いつからII?
いつからだとあなたは思うか?
昨日から?

日から?
では、去年?
それは五〇〇〇年よりもっと以前からなのである!

⑥Iホモーエクセレンスの資格
ここにひとつの技術がある。
その技術によって訓練すると、ヒトはだれでもいくつかのすぐれた力を持つようになる。
その力をあげてみよう。

1極度に発達した知能IIいちど目にふれ、いちど耳にしたことは、ぜったいに忘れること
のない~憶力。どのように複雑な構造でも組織でも、瞬間的に分析し、推理し、理解し
て、本質を把握してしまう演鐸と帰納の力。コトバという間接思考を経ない純粋思考から発する超飛躍的な創造力。
それは、ヒトの平均知能をI・〇とナるならば、おそらく、二・五から三・五に達するであろう。このグループの最高の頭脳は、やすやすと四次元を理解する。
ニ 感覚器官の増幅-彼は、不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を間く
ことができる。その異常感覚と高度の知能の結合からくる予知力。それらは、自分の肉体
を思うままに統御する能力からくる。
三 環境の制御と創造1思うままに自分を変え、他人を動かし、集団や環境を、自分の理念
の通りに創造してゆく。
四 物質を超え、物質を自由に統御する力。
五 無限に発達した道徳意識。
だいたい、以上の能力である。
これを、前の項で述べたオリヴィエ教授の未来人、ホモーエクセレンスの持つ能力とくらべて
みよう。
それは、おどろくほど酷似している、というよりも、そっくりそのままといったほうがよいの

それは`県乱が`オリヴィエ説をそっくりそのままう
つし持ってきたのではないのか、と。
そうではないのだ。それは、むしろ、私のほうがいいたいことだ。私は、最初、オリヴィエ教
授がこの特殊技術の存在を知っていP1 9の技術の習得を未来人の貧緋ごしたのではないかと思
ったくらいなのである。もちろん、それは、そうではなく、オリヴィエ教授は学術的に、未来人、この暗黙の一致を、あなたはどのように考える
つたくらいなのであるの能力をそのように予測したのにちがい江いがヽこの暗黙の一致を、だろうか?
もっとも、オリヴィエ教授は、実際にこの特殊技術の存在を知っていて、その上に立ってホモしり把力を、このように書いたのである、ということも考えられたいことではな
アメリカやヨーロッパで知ヽむしろ、アメリ’エクセレンスの能力を、このよう られ、高く評価されはじめているのだからI。
しかし、それはとにかくとして、実際に、こういう能力をヒトにあたえる特殊な技術が、数千
年も前からこの地上に存在し、それはそのまま現在も一部の人びとの間に伝えられているという
ことは、まぎれもない事実である。いや、現に、その技術の訓練を受け、そういう能力を身につけた人びとがたん人かいる。
つまりホモーエクセレンスは、すでにこの地上にあらわれつつあるということである。それは、ま
だ、ごくわずかな数ではあるけれどもI。
未来人、ホモーエクセレンスは、これからさき、長い時間をかけて進化の結果あらわれてくる
『Iユータット
のでもないし、突然変1 体としてフランケンシュタインの怪物のごとく登場するのでもない。そ
れは、ひとつの特殊な人間開発技術により、ホモーサピエンス自身が変身するのだ。それは自然
に生まれてくるのではなく、つくられるのだ。
もっとも、いちばん最初にあらわれ恕ホモーエクセレンスは、あるいは一種のミユークットで
あったかも知れない。あるいは、未来社会への環境適応の結果あらわれた超・ヒトの先行者であ
ったのかも知れぬ。ちょうど、ネアンデルタール人の群れのなかに出現した最初のクロマニョッ
人のようにI。
ルーガリックの法則によると、すでに存在する属のなかでの新しい種の形成は、三〇〇年から
六〇万年の時間を要するという。今から五〇〇〇年まえという数字は、ホモーエクセレッスの先
行者があらわれて、ホモーサピエンスのなかに次第に新しい同族の種属を形成してゆくのにちょうど手頃な時間である。
最初のホモーエクセレンスは非常に孤独であったろう。彼はその持てるすぐれた能力ゆえに、
おのずと、予言者となり、指導者となり、教育者とならざるを得なかった。また、彼は、その持
つ異常な能力によって、数千年さきの未来を洞察し、ヒトの歴史の上における彼自身の位置をさ

とったにちがいない。
彼は、まだ低い段階のホモーサピエンスたちを教育するための「教え」を説くと同時に、これ
からやがて次第にあらわれてくる同 族たちを教育するためのカリキュラムもつくった。
彼は、周囲に何人かの崇拝者を持った。そのなかからすぐれた素質を持つ者をえらんで、彼は
このカリキごフムで訓練した。あるいは、その弟子たちのなかには、彼と同じホモーエクセレクト。だが、あまりにも高度
スのヽなその開発技術は、ひろく受け入れられるためにはあまりに難解で、入びとの進歩と熟成のため
の時が必要であった。その長い間、この技術は、しばしば、誤解されたり、誹談されたり、あるいは分裂の危機を迎えた。けれども、その技術が滅亡しよ
いは分裂の ホモーエクセレンスがあらわれて、これを継いだ。この技術は、このようにして、ひろく世にうけいれられ
る時を静かに待った。多くの人びとが、この技術を必要とし、受け入れようと努力しはじめる時期を静かに待った。 いまII、その時がきたようである。
ホモーサピエンスは生物としてその限界に到達した。いま、この世界を覆う混乱と当惑と憎悪は、なによりも、それをものがたるものである。つぎにくるものは絶望でしかない。いまこのひろい世界に、一瞬たりとも生命の危険を感ぜずして生きている入開かひとりもいない。あなた自身そうであろう。
つねに機械と技術―科学がその危機を乗り越えてきた。しかし、いまは、その機械と技術が先頭に立って人間に打撃を加えている。 もう「さきは見えて」しまった。
ホモーサピエンスの知能がっくり出した文明は極限に達した。もしもこの世界が生き残ろうと望むならば、あらたな文明が生まれ出なければならない。ホモーサピエンスの生み出したものは
すべて、科学も技術も宗教も、芸術さえも限界に達した。倫理も道徳も崩壊した。古い人類は必死に古い文明にしがみついているけれども、これらはすべて過去の世界のものになった。
限界に達した生物がさいごにえらぶ道は「集団自殺」である。いま、その集団自殺が地上に展開している。環境汚染と公害と戦乱-すべてホモーサピエンス自身がっくり出したものである。結局、ホモーサピエンスは集団闘争による集団自殺によって絶滅するであろう。
見よ。宗教ですら闘争の仲間に加わった。最も進歩的だと称するこの国の宗教団体は最も闘争的である。
すべての生物かたどる最後の道を、ホモーサピエンスはっいにたどりはじめたということであろう。
陶汰がはじまっているのである。滅びるべきものは滅び去るがよい。それでヒト・属は絶えはしない。あたらしい種の胎動がここにある。あたらしい文明と古い文明、ホモーサピエンスとホモーエクセレンスはしばらくのあいだ共存するであろう。それは三世代から七世代つづく。ネアンデルタールとクロマニョンの共存は、一〇〇世代から一五〇世代つづいた。ネアッデルタールが消滅するのにそれだけかかった。われわれの共存は、促進されてごくわずかの時間で完了す
る。五〇年から一五〇年これだけの時間のうちに、滅びるべきものは滅びるだろう。
そのあとに、ホモ・エクセレンスはあたらしい科学、あたらしい技術、あたらしい宗教、あたらしい芸術をつくり出す。それは、ホモーサピエンスとは比較にならぬ高度の知性と悟性が生み
出したあたらしい次元のものである。
ところでお聞きするのだが、あなたは、ネアンデルタールか、クロマニョンか?

 

Let’s look at the problems that humankind is facing.
-Killing, competing, hating, hurting each other-and rapidly spreading on the earth
Hazardous substance-. Where are they causing? This is what I understand.
That is because humans are stupid.
The anthropologist Linne classified humans and gave them the scientific name “wisdom humans”.
Ikukawa scholar Syaru Lulicier named the foolish human, homothrus. Nobel Prize winner
One of the authors, Rishie, was the first man in the book, “Human-This Stupid”.
I want to call it a super foolish man because it is a terrible animal
However, he wrote that the highest adjectives would be confused and confused as much as fools.
Certainly, humans have these two aspects. The wise wisdom side, the foolish and weak side, and the two sides
The contradicting creatures that come together are exactly humans, but now we are
Looking around me, Homo Sapiens is completely shadowed, and Homo Tsuru Chissimus is
It is rampant like a youkai.
Kill, scramble, hate, hurt each other I-,
It will gradually escalate. Science and technology have expanded human power indefinitely, but at the same time have increased human slaughter and exploitation, hatred and struggle indefinitely. As it is, there is no problem, homo sapien
Su is extinct.

What is most necessary for humanity now?
It is a high degree of intelligence.
This terrible folly on earth is caused by the low intelligence of humanity.
What humanity needs now is neither science nor technology. Ideology if not a revolution
not. It is neither a racial struggle nor a class struggle. Such a thing is useless.

The human intelligence is at the current level no matter how many times it has revolutionized or hundreds of times
As long as it is a repetition of a wasteful ritual.
Let’s look at history. No matter how much progress is made on what we call machinery and technology, science and civilization,
Human behavior patterns have not changed at all. Always hate each other, kill each other, scramble, this
Isn’t the pattern repeated? Where can I see changes?
Young ones. Stop wasting energy. If you think of a revolution, move forward to the intellectual revolution of all mankind.
Since the days of Neanderthal, human intelligence has not made any progress. First and foremost, we must improve human intelligence.
Eliminate the homostruth sims. Unless we do so, we no longer have a future. It has already entered the countdown stage.
At this time, there is a technology that modifies humans and changes social mechanisms. This technology dismantles all social systems
The new civilization born from it will be one dimension higher. this
Only through technology will the world be restored, and only this revolution will save all mankind from destruction.
Young ones. Why aren’t you gaze at this?
Why are you guys passionate about this unprecedented magnificent and dramatic revolution on earth?

education?
It is powerless.
It doesn’t increase intelligence, it just expands knowledge.
Education simply increases the knowledge of what the person originally has and enhances the intelligence itself.
I do not. The technology to improve intelligence is not the ability to teach and remember things, but the ability to remember
It must be a system that enhances the power itself. A fool is a fool no matter how much you educate. fool
Education is completely powerless. In order to make a fool smart, there must be a special technique.

religion?
It is a buoy that tries to convince the conscience of the intelligence hunters with some conscience.
It’s just a rake, and there is no power or technology to improve intelligence. You can become a Buddha, sing the subject,
Even if you call on the name of God, you won’t be able to get peace of mind, nourishment, and belief.
Even if it is done, intelligence itself does not increase.
The special field of religion will disappear in a future society with the most advanced and advanced intelligence. Altitude

With the ethical and moral consciousness that has been developed to the degree of intelligence, the current religion and per-religious people preach
Religious consciousness, such as “teaching”, which is totally vulgar, low-dimensional childish
Will become common sense, and you won’t have to worry about anything more
right. The human becomes addicted to Kami and Hotoke.
You should be aware that such a future society is just around the corner.
You have to know that a social system with a completely different structure is about to appear.
Do you doubt it? Let’s go.
If I.
Unless such advanced intelligence emerges, the world will end soon. Jomo Sapies
As long as it is the current level of intelligence, humans no longer have a future. Homo Sapies civilization is already limited
Reached. Daka I.
If there is a future society, it must be an advanced and completely new society.
⑤-Super-human tL brain rate coefficient
In the upcoming future society, humanity will be divided into two species.
It is not two ethnic groups or two classes. There are two species.
So, the two species will coexist for a while, but soon one of them will soon come together and quickly disappear from this world.
In that case, it is not limited to the future society that the human race shows two conflicts, but there may be some people who still give examples.
Certainly, it is colored and white, free and communist, rich and poor, dominated
You can compare some with those who are supposed to be.
But it is different.
A completely different category from that is about to appear in our world in the very near future. Such a movement is already taking place.
It is two human genera.
New humanity and sieving humanity.
One is an ordinary modern person, Homo sapiens Homo sapiens. This is sieving mankind.
The other is a future person with special abilities, Homo Excellence Homo eχcellens.
The In other words, it is a new human race.
Homo 廿 Pience is nothing but our own, but Homo Excels is
What kind of person is it?
Homo excellence means “excellent humans” who have acquired special abilities that homo sapiens do not have. Some people say that to this future person, a homo-itelli dance
The name is given.
What kind of special ability does this excellent future person, Homo Excellence, have?
Here are some of his features.
“The future species, super-human, will probably have a brain rate coefficient of 3, 9”
The world-renowned anthropologist, Professor Georges Olivier of the University of Paris,
It begins to talk in this way.
“(We are all inferior to the ability of these great creatures.
Anyway, this superhuman ability is barely imaginable.
For example,
1 Understanding the fourth dimension.
2 Ability to quickly grasp the complex whole.
3 Acquisition of the sixth sense.
4. Infinitely developed moral awareness.
5 Especially spiritual traits that are inexplicable for our enlightenment.
Etc.
I want to give us the shape of a creature with a brain rate coefficient of 3, 9, wonderful intelligence,
It ’s up to the imaginative people to decide what kind of behavior they ca n’t really understand.
To do. Whereas we are Mekura, our successors are the owners of a thousand miles
(From Ayumi Serizawa, published by Misuzu Shobo)
It has said.
Prof. Olivier is a professor of anthropology at the Faculty of Science at Fuhari University, according to the publisher’s introduction.
He has a number of books in addition to a large number of papers on anatomy, among which “Anthropological Anatomy”
Received a bachelor’s mission. Not only has he made many achievements in his own field of research, but also young research.
“It is also an instructor who has a strong sense of French anthropology in the field of human anthropology.”
It must be said that this is the first-class scientist of the day.
The scientist thus foretells the emergence of future homosexual excellence. Author
However, there is no basis, and I’m not just taking a brush that makes the devil face weird
It is. It always comes. So, 1, where did that homo excellence come from?

When will it come?
Professor Olivier says the arrival of the future, homo excellence, is inevitable in history.
Let’s follow the history of mankind.
First of all, Australopitex has evolved from Oreopitex and Ramapitex
(Monkey). But after a while, Pitecantropus-electus
changed. Soon, however, the Neanderthals (old people) will come and take over, and their era will continue for about 10 million years.
However, about 4,000 to 50,000 years ago, Kuromanyo (newcomer) with considerably advanced intelligence appears.
Then they disappeared rapidly and disappeared. However, the Kuromanyok also had australoid (Java,
It disappeared rapidly among the new species of modern human beings: Mongoloid (China), Negroid (Africa) and Caucasian (Europe). This
This is just the fact that it appears on the very surface of history, and there are countless other unknown humans and genera, or their branches.
Many scholars think that it disappeared soon after making history.
A prominent scientist says that one species has a lifespan of 100 million years, and homosapies
It is said that this age will be reached soon. So Professor Olivier also said, “Now,
I think of the next human race that is our successor, L, who has always been in a struggle.

But I,
Will the new bit appear at all?
Is it 10,000 years old? 20,000 years?・
Mostly, the next humanity of Homo sapiens is that the sun will burn someday
It ’s the same thing, but if it ’s not fancy, it ’s probably an astronomical number.
It must be an event in the future, and we are not so humane that we are worried.
You might say.
No way
If you say something like that, you’re going to be a fool.
Prof. Olivier stands on the evolutionary laws of biology for a day.
“… future people will soon come unexpectedly”
Huh? Is it so early? You will be surprised. But you are even more here
You must be surprised.
I mean! –
This new human, homo excellence, is not “coming soon”, it is

He has come to this earth. It has already appeared on this earth for a long time.
Since when II?
When do you think it is from?
since yesterday?
no
From the day?
Then last year?
That is from before 500 years!

⑥ I homo excellence qualification
There is one technology here.
When trained with that technique, every human has some great power.
Let’s raise that power.

1 Extremely developed Intelligence II
There is no memory. Analyze, infer and understand in any complex structure or organization
The power of deduction and induction that grasps the essence. It originates from pure thought that does not go through indirect thinking called Kotoba

 

密教・超能力の秘密

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 駄如求聞持明法 memorization ability and intelligent system

 

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天才にする求聞持聡明法

求聞持聡明法は、ヒトを聡明にし、天才にするという真言密教に伝わる秘法である。 弘法大師空海が、若くしてこれを修し、大天才となったということで、肌に知られ ている。また、新義真言宗の開祖、興教大師覚義(一〇九五一一四三)が、 七度、 この法をして成功せず、八度目に悉地を 覚上人の 成功したと伝えられる。 のこされた業績をみれば、上人もまた天才であったことは疑いない。ただ残念なに、四十八歳で亡くなられている。

 

 

真言密教の求聞持聡明法には、三種の法がある。

 

虚空蔵求聞持

観音求聞持

如意輪寺 であるが、

ふつう、求聞持法といえば、空海が修して有名な虚空求聞持をさす。 この法を具には「仏説虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」という。 しかし、わたくしがこのたびこの本で発表する求聞持明法は、これらのいずれでもない。わたくし名づけた。

 

、わたくしはこれに

駄如意求聞持明法

この都如意求聞持聡明法は、真言密教につたわる求聞持法とはまったくちがうも のである。

二つの特徴がある。

それは、

クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的エネルギーを発生させる。 その超人的エネルギーを、中国・道教につたわる導引・気功の持つ生気ルー にのせて、体の各要所要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に大脳の中 である視床下部に送りこむ。

この二つの方法を、独特の方法で完成したのである。これは、前人未踏の領域であ るといってよいであろう。

わたくしは、半生を、というより、一生をこの法の完成に注いだ。 いまから約三〇 年前に発行した「変身の原理」以来、わたくしの著書はこの本で四〇になるが、そ これらの著書のすべてが、この法の完成に至る道のりをあらわしたものであるといって

わたくしは、この本で、わたくしの得たほとんどのものを、出来るかぎり、明らか にした。

クンダリニー・ヨーガも、道教の導引・気功、いずれも超人的能力を獲得するた めの最高の法である。この世界にこれ以上の超能力開発法はない。この二つの法の欠 を補正して融合させ、さらにあらたな創案をくわえて完成したこの都如意求聞持 明法は、ヒトにおける究極の超能力開発法であると自負するのである。

もちろん、後世おそるべし”という諺の通り、今後これ以上の超能力開発法も出 るかも知れないが、しかし、それも、クンダリニー・ヨーガと導引・気功を融合させ たこの駄都如意求聞持明法のライン以外のものではないであろうと確信している。 この法を指導通りに修行するならば、確実に、ヒトの知能は二倍に、体力は三倍 飛躍強化されるであろうことを断言する。

天才は不老長寿でなければならない

求聞持聡明法は、たしかにヒトを天才にする。

しかし、いくら天才になっても、そのために、病弱になったり、若死にしたりした では、なんにもならない。

天才は、いつまでも若々しく、健康で、世のため人のため、その才能を発揮する ものでなくてはならない。(寝たっきりの天才など、まっぴらである)

求聞持明法修得をこころざしたわたくしは、つねに、四十八歳という惜しむべき 短命に終わった興教大師覚上人が念頭にあった。 上人は、おそらく、過酷な求聞持 法修行のため法は成就したものの、体を痛め、寿命を損じたのにちがいなかった。 このことは、年少 結核を病んで何年も病床に伏した苦しい経験を持つわたくしに とり、その恐れの念が特に深刻であった。

しかし、この憂慮は、幸いにして憂におわった。

道の導引・気功の秘法をとり入れたことが、この心配を吹きとばしてくれたので

すなわち、道教の導・気功は、仙道の流れを汲むものである。 そして仙道の理想 は、不老長寿、生きながら神仙に化することを目標とする。

都如意求聞持聡明法は、特に不老長寿を目ざすものではなかったのだが、結果は そうなってしまったのである。

期せずして、仙道の理想が実現されることになったのだ。

神に化することだけはちょっとむずかしいが、不老長寿はかならず達成される。

わたくしは断言してよい。 仙道の秘法がとり入れられているこの都如意求聞持聡 明法は、二十歳代の人ならば、三歳から五歳、中年以上の人ならば、十歳から十五歳、 返ることができるであろう。

だから、もしもー。

もしも、である。

あなたが高年者として修行に入り、年齢のために天才になれなかったとしても、い つまでも若々しい肉体と、そして決してボケることのない未聞だけは獲得できる であろう。

のか。

求聞持聡明法があたえる不思議な知

さいごに、都如意求聞持明法という名称の由来をのべておこう。

真言密教の胎蔵界マンダラ第三重南面に、除障院というマンダラがえがかれてい

障というのは、人間と人間社会におけるすべての直隆(文字の通り、のよう 覆っている障害)をとりのぞくという意味で、その障をとり除く仏たちがまつら れているのが、除障院である。

この院の主尊、すなわち中心の仏を「不思議慧」という。

そのおすがたは、左手に蓮華を持ち、蓮華上に摩尼宝珠(如意宝珠)を置き、右の 手は無印を組んで、胸の前に上げている。 このおすがたはなにを表現している

仏のさずける不思議をしているのである。

というのは、一切の災禍をとり除いて、いかなる不安もない平穏無事の世界 を実現するということで、それを実現するのが、不思議な仏のであるというの である。

不思議というのは、人間の思慮ではおしはかることのできない次元のことをいい

不思議慧菩薩は、その不思議な智慧を象徴した仏である。 では、その不思議な仏の智慧はどこから来るのか?

それは左の手の蓮華の上に奉安された、摩尼宝珠から来るのである。

持法のあたえる智慧は、この不思議な仏の智慧なのである。この仏の智慧

不思議なはたらきによって、

この地上の一切の笑

核戦争・環境破壊・貧困

という。

等を減除して、無異なる世界を実現するのである。

都如意求聞持明法の奥の修行に入ると、この摩尼宝珠が、特殊な観法の中心 となる。これなくしてこの法の成就はない。(如意宝珠法に関係があるのである) 宝珠というのは、仏陀シャカの御聖真身舎利のことで、真身を「駄都」

これを以て、都如意求聞持聡明法と名づけたのである。

真身舎利を本尊としてまつる阿含宗が、この都知求聞持明法を完成したのは、 決して偶然ではなかったのだと、つくづく思わざるを得ないのである。

 

 

How to become a genius

Gumonji Shumeiho is a secret method passed down in Shingon Esoteric Buddhism that makes people smart and geniuses. It is well known that Kobo Daishi Kukai practiced this at a young age and became a great genius. It is also said that Kokyo Daishi Kakugi (1095-1143), the founder of the Shingi Shingon sect, practiced this method seven times without success, but on the eighth time he gave it up and succeeded. . Looking at his accomplishments, there is no doubt that Shonin was also a genius. Unfortunately, he passed away at the age of 48.

 

 

 

There are three types of methods in Shingon Esoteric Buddhism:

 

Kokuzo Gumonmochi

Kannon Gumonmochi

Although it is Nyoirinji Temple,

Usually, when we talk about Gumonjiho, we mean Koku Gumonji, which was famously practiced by Kukai. This method is called “Buddhist theory of Kokuzo Bodhisattva, Noman, Man, and All Vows, Most Winning Mind Darani, Gumonji,”. However, the method I am presenting in this book is none of these. I named it.

 

, I do this

Danyoinkyomonjimeiho ​

This Miyako Nyoi Gomonji Somyoho is completely different from the Gomonjiho that is related to Shingon Esoteric Buddhism.

There are two characteristics.

it is,

Awaken the Kundalini Yoga chakra and generate superhuman energy. That superhuman energy is circulated and distributed to each important part of the body by placing it on the vitality lu of Qigong, a guiding technique that has been passed down to China and Taoism. In particular, it is sent to the hypothalamus in the cerebrum.

These two methods were completed using a unique method. It can be said that this is unexplored territory.

I have devoted half my life, or rather, my whole life, to perfecting this law. This is the 40th book I have written since “The Principle of Transformation,” which I published about 30 years ago, and all of his books express the path to perfection of this law. to say that it is a thing

I have made it as clear as possible that most of what I got from this book.

Kundalini yoga, Taoist guidance, and Qigong are all the best methods for him to acquire superhuman abilities. There is no better way to develop superpowers in this world. We are proud to say that this method, which has been completed by correcting and merging the deficiencies of these two methods and adding new ideas, is the ultimate method for developing psychic abilities for humans.

Of course, as the proverb says, “I am afraid of future generations,” there may be other methods of developing psychic abilities in the future, but that is not the case with this Dato Nyoi-shu, which combines Kundalini Yoga with Guidance and Qigong. I am convinced that it is nothing other than the line of Kikiji Myoho. If you practice this method as instructed, your intelligence will definitely double and your physical strength will be tripled. Assert what will happen.

A genius must be eternally young and long-lived.

It is true that the method of learning to be intelligent makes a person a genius.

However, no matter how much of a genius he becomes, if he becomes sickly or dies young as a result of that, it will never amount to anything.

A genius must be forever young, healthy, and able to demonstrate his talent for the good of the world and people. (A bedridden genius is a complete stranger.)

When I set out to acquire Gumon Jimyoho, I always had in mind Kokyo Daishi Kaku Shonin, whose life was unfortunately short at the age of 48. The priest probably achieved the Dharma due to the harsh practice of Gumonjiho, but it must have hurt his body and shortened his lifespan. This fear was especially acute for me, who had the painful experience of being hospitalized for many years with tuberculosis as a young child.

However, this concern was fortunately put to rest.

By adopting the secret techniques of Tao Guidance and Qigong, I was able to dispel this worry.

In other words, Taoist guidance and qigong are descended from Xiando. The ideal of Sendo is to achieve eternal youth and longevity, and to become a divine being while still alive.

Although his “Do Nyoi Gumon Jisomeiho” did not specifically aim for eternal life and longevity, that is what he ended up achieving.

Unexpectedly, the ideal of Sendo was realized.

It is a little difficult to become a god, but eternal youth and longevity can definitely be achieved.

I can definitely say that. This method, which incorporates the secret method of Sendo, is recommended for people in their 20s between the ages of 3 and 5, and for middle-aged and older people between the ages of 10 and 15. You will be able to do it.

So, what if?

What if?

Even if you enter training as an old man and are unable to become a genius because of your age, you will always have a youthful body and a new knowledge that will never fade. Dew.

Is it?

Mysterious knowledge provided by Gumonjisomeiho

Finally, let me explain the origin of the name “Tonyoi Gumon Jimyoho.”

On the south side of the third layer of the Womb World Mandala of Shingon Esoteric Buddhism, there is a mandala called Jōshōin.

“Disability” means removing all the obstacles that exist in humans and human society, and the Buddhas who remove these obstacles are enshrined at the Disabled Temple. .

The main deity of this temple, the central Buddha, is called “Mysterious Kei”.

The figure holds a lotus flower in his left hand, places the Mani Jewel (Nyoi Jewel) on top of the lotus, and his right hand is folded in a muji pattern and raised in front of his chest. What does this figure represent?

They are doing the wonders of the Buddha.

He says that by eliminating all disasters, we can create a peaceful and safe world free of any anxiety, and that the person who will make this happen is the mysterious Buddha.

Mystery refers to dimensions that cannot be measured by human thought.

Bodhisattva Mysterious Wisdom is a Buddha who symbolizes this mysterious wisdom. So where does this mysterious Buddha’s wisdom come from?

It comes from the Mani Jewel, which was enshrined on the lotus in his left hand.

The wisdom imparted by the Dharma is the wisdom of this mysterious Buddha. This wisdom of Buddha

Due to its mysterious workings,

All the laughter on this earth

Nuclear war, environmental destruction, poverty

That’s what it means.

By subtracting and dividing etc., we can realize a world without differences.

When one enters into the deep training of Dunyo Gumon Jimyoho, this Mani Jewel becomes the center of a special way of viewing. Without this, this law cannot be fulfilled. (It is related to the Nyoi Hoju Dharma.) The Hoju refers to Buddha Shaka’s Holy True Body Shari, and the True Body is “Dato”.

This is why he named it “Du Nyoi Gumon Jishimeiho.”

I can’t help but think that it was no coincidence that the Agon sect, which enshrines the Shinshin Shari as its principal object of worship, perfected Tochigumon Jimyoho.

視床下部の役割は?自律神経系、内分泌系を調節する重要な機能

視床下部の役割は? 自律神経系、内分泌系を調節する「本能の総合職」

視床下部の機能・役割

間脳にある視床下部。自律神経系や内分泌系を調整する、いわば「本能の総合職」です

視床下部は、脳の中心あたりにある間脳に属し、自律神経系や内分泌系を調節することで、生きていくために必要な本能の中枢として機能しています。

脳幹のうち、脊髄から中脳までの下位の部分が、呼吸運動、心臓血管運動、嘔吐、咳、嚥下など、個別の機能だけを専門的に担当しているのに対して、視床下部は、全身に張り巡らされた自律神経系や内分泌系をコントロールすることによって、生命維持に必要な体の働きを全体として総合的に調節しています。

具体的な役割としては、本能的欲求である食欲、睡眠、性欲をコントロールしたり、体温の調節、体内水分量の調節、体内時計の調節、血圧や消化機能の調節なども担当しています。このうち、今回は、視床下部による体温調節の仕組みを解説します。

 

人間の体温を一定に保つ「ホメオスタシス」……哺乳類が生き延びた要因の一つ

多くの哺乳動物と同じように、私たち人間の体温は、暑いところでも寒いところでも、いつもだいたい同じに保たれていますが、どうしてそうなっているのでしょうか。

体の中で、食べ物を消化するために働く消化酵素や、不要物を分解するために働く代謝酵素などは、ある決まった温度で機能しますから、もし外気に応じて体温が上がったり下がったりすると、酵素の働きも変わってしまいます。酵素以外にも、機能が温度に依存している仕組みはたくさんあります。そうした体の働きを変えないためには、体の内部環境をできるだけ一定の状態に保つことが必要です。そして、実際に私たち人間の体にはそういう仕組みが備わっています。それが「ホメオスタシス(恒常性)」です。体温調節は、ホメオスタシスの一つなのです。

また、外気温が変化しても体内温度を一定に保つことができるようになったことで、私たちは、行動範囲を広げることができるようになりました。例えば、すごく寒い日に外に出かけて、体温が下がってしまい体の機能がストップしてしまったらたいへんですね。逆に猛暑日でもたいへんなことになりますね。暑くても寒くても、服装を少し変えるだけで、遠方へ旅行できるのは、体の内部環境を一定に保つ仕組みを獲得できたからに他なりません。

 

恐竜は、約2億3000万年前に誕生し長い間地球を支配していたのに、約6,600年前に絶滅してしまいました。隕石衝突の影響で気温が著しく下がったことが主要因だと言われています。地球上のおよそ75%の命が奪われたとされる時代を、哺乳類が生き延びられたのは、体温調節の仕組みを持っていたからだと思われます。

体温調節の仕組みを応用して作られたサーモスタットやエアコン

サーモスタット(thermostat)という装置をご存知でしょうか。thermoは「温度」、statは「制御」「一定に保つ」と言う意味です。理科の実験などで、温度を一定に保つために使う装置で、「自動温度調節器」とも訳されます。多くの場合、お湯をわかすためのヒーターと、2種類の金属が組み合わされたセンサーが組み込まれており、浴槽に溜めた水につけて使われます。水温が設定温度より低いときには、ヒーターがONになって加熱が行われ、水温が設定温度を超えるとヒーターを切って冷ます、ということを繰り返すことで、水温が設定温度に保たれるのです。同じような仕組みは、湯沸かし器やオーブン、エアコンなどにも使われています。

 

私たちの体に備わっている体温調節の仕組みも同じです。と言うか、実際は逆とも言えます。体温調節の仕組みを研究した結果、その原理を応用して作られたのが、サーモスタットやエアコンなのです。

視床下部の視索前野にある体温調節中枢

私たちの体温をコントロールする制御部は、体温調節中枢と呼ばれ、下図に示したように、視床下部の前の方にある「視索前野」という場所にあります。

体温調節中枢,視床下部,視索前野

体温調節中枢は、視床下部の視索前野にあります(ガイドが作成したオリジナル図)。

ここで、体温はだいたい36~37℃になるように設定されています。一方、温度センサーは、皮膚の下、脊髄、脳の中などにあります。皮膚の下にあるセンサーは、外気にさらされた皮膚の温度を測り、外気温の変化を敏感に察知します。脊髄や脳の中にあるセンサーは、体の内部の温度を測り、体内で発生する熱を敏感に察知します。センサーとは言っても金属でできた装置があるわけではありません。知覚神経の先端に、一定範囲の温度に反応する複数の特別なタンパク質(温度受容器と呼ばれる)があって、それらの応答によって、暑い冷たいが判別されているのです。

温度センサーとしての役割を果たす知覚神経の末端で捉えられた情報は、神経線維を通して、脳の視床下部の体温調節中枢に伝えられ、体温が設定温度(36~37℃)より高いか低いかが判断されます。皮膚あるいは体の内部が高いと判断されると、体温調節中枢は、体温を下げようとして、体に必要な反応を引き起こす指令を出します。例えば、自律神経系を調節して皮膚の血管を拡張させて、体表面にたくさんの血液を流し、体にたまっている熱を体表面から外気へ逃がそうとします。また、皮膚の汗腺を刺激してたくさんの汗を出し、汗の蒸発によって体表面から熱を失わせようとします。外気が暑いまたは体の中が熱いと感じると、顔が赤くなったり、汗がでてくるのは、このためです。

皮膚あるいは体の内部が設定温度より低いと判断された場合、体温調節中枢は、体温を上げようとして、体に必要な反応を引き起こす指令を出します。例えば、自律神経系を介して皮膚の血管を収縮させ、体から外気へ熱が逃げないように防ぎます。内分泌系の甲状腺や副腎皮質からのホルモン分泌を促して、内臓や骨格筋の代謝による熱産生を促進します。また、体性神経系を介して手足の筋肉を小刻みに動かして熱を産生して体を温めようとします。外気が寒いまたは体の中が冷たいと感じると、皮膚が白くなったり手足がブルブルと震えるのは、このためです。

まとめると、私たちの体に備わった体温調節は、視床下部の視索前野にある神経細胞が、血管の収縮・拡張や発汗を引き起こす自律神経系、代謝による熱産生を生じる内分泌系、骨格筋を動かす体性神経系を総合的に動かすことによって成り立っているのです。これがすべて、生まれつき備わっていて、無意識のうちに間違いなく行われているとは、驚きですね。

視床、視床下部、松果体、脳下垂体

間脳は視床、視床下部、松果体、脳下垂体から構成されています(図1)。

 

  • 視床:全身の感覚、視覚、聴覚などの情報を認識し、大脳皮質、大脳基底核に伝達しています。
  • 視床下部:自律神経系の中枢です。体温調節、血圧、心拍数、摂食行動や飲水行動、性行動、睡眠など本能行動および怒りや不安などの情動行動を調節します。内分泌ホルモン系の中枢も担っており、尿量の調節、子宮収縮、乳汁分泌なども司っています。
  • 松果体概日リズムを調節するホルモンや、メラトニンを分泌しています。
  • 脳下垂体:ホルモンを分泌する本管で、前葉と後葉に分かれ、それぞれから異なるホルモンが分泌されます。(図2表1表2

 

memo:概日リズム

睡眠は1日を単位とするリズム現象であって、脳内に存在する生物時計に管理されている。これを概日リズムと呼ぶ。
夜になると眠くなるのは体内時計機構が働いているからで、疲れていなくても、いつもの就寝時刻になると眠くなる。

memo:メラトニン

眼などから入った光の信号は、視神経 → 視交叉上核 → 上頸神経節 → 松果体へと達する。松果体では、睡眠を促すホルモン物質「メラトニン」が産出され、光を感知すると、その分泌が抑制される。夕方~夜になるとメラトニンの分泌が始まり、やがて全身の臓器に行き渡って睡眠をとる。

 

図1間脳の構造

 

★1 下垂体腺腫
★2 下垂体性巨人症
★3 先端巨大症
★4 クッシング病

 

図2脳下垂体の構造

 

 

表1下垂体前葉ホルモン

 

★1 GH(growth hormone)
★2 TSH(thyroid-stimulating hormone)
★3 ACTH(adrenocorticotropic hormone)
★4 FSH(follicle stimulating hormone)
★5 LH(luteinizing hormone)
★6 PRL(Prolactin)

瞑想に環境に整える Prepare the environment for meditation

五法とは、一に飲食を調節すること。二に睡眠を調節すること。三には身を調えること。四に気息を調えること。五には心を調えることである。

 

 第一に、食を調えるというのはつぎのようなことである。

 食事はほんらいからだをたすけ正しい道にすすましめるためのものである。

それなのに、もし食べすぎているような状態でいると、気はあせり、からだけ

だるく、心がとぎれがちで、座禅をしても心は安らかになりにくい。

 だが、もし食べることが少なすぎて足りないと、からだけ疲れ、心は呆け、

思うところも考えることもしっかりとしない。この二つは、どちらも禅定を得る道にはならない。

 また、もしけがれたものやよごれたものを食べていると、ひとの心を悟くし、迷いやすくする。もしからだによくない刺激物を食べていると、かねてからの病が動いてくるし(持病が出ること)、からだの調子も悪くなる。だから禅定を修習しようとするなら、そのはじめにぜひとも深くこれらをつつしまなければならない。

 

第二に、睡眠を調えるというのは、眠とはこれ無明が心に覆いかぶさるので

あるから、これをほしいままにしてはならないということだ。

 もし眠ることが必要度を過ぎて多いときは、それだけ仏法を修習する時間が廃されるだけでなく、努力の心も失われがちで、しかも心をくらくし、善い心を沈没させる。まさに人生が無常であることをさとり、睡眠をよく調伏して、気分を清白に、心を明るくきよからしめるがよい。

 

 第三には、身を調え、第四には息を調え、第五には心を調えるのであるが、

この三つの条件は、まさに合わせて用うべきなので、べつべつに説明することはできない。以下これについて述べてみよう。

 第一に身を調えるとは、われわれが正しい瞑想をするためには、からだを正しく調えなければならないということである。 瞑想をはじめる前から、歩くときにも立ち止まるときにも、動くときも静かにしているときも、なにかをしているときでも、いちいちがみな注意深く綿密でなければいけない。

 

The five methods are to adjust food and drink in one. Second, regulate sleep. The third is to prepare yourself. To keep your breath in the fourth. The fifth is to adjust your mind.

 

First of all, preparing food is as follows.

Meals are for helping the body and recommending the right path.

And yet, if you’re eating too much, you’re rushed, just because

I tend to be sluggish and choppy, and even if I do zazen, my heart is hard to feel at ease.

However, if I eat too little and I don’t have enough, I get tired and my heart is stunned.

I don’t really think or think. Neither of these two is a way to get a meditation.

Also, if you eat something that is injured or dirty, you will realize the heart of the person and make it easier to get lost. If you eat a stimulant that is not good for your body, your illness will start to move (you will have a chronic illness) and your body will become ill. Therefore, if you want to learn Zen meditation, you must first deeply dig into these.

 

Secondly, adjusting sleep is because sleep is overwhelmed by avidyā.

So don’t leave this as you want.

If you sleep too much, not only will you lose the time to learn Buddhism, but you will also tend to lose your effort, and it will make you feel at ease and sink your good heart. It’s a good idea to take into account the fact that life is unrelenting, to sleep well, to refresh your mood, and to brighten your mind.

 

The third is to adjust the body, the fourth is to adjust the breath, and the fifth is to adjust the mind.

These three conditions should be used together, so they cannot be explained separately. Let’s talk about this below.

First of all, to be in good shape means that in order for us to meditate properly, we must be in good physical condition. Before starting meditation, every time you walk, stop, move, be quiet, or do something, you have to be careful and meticulous.

記憶 2

記憶

記憶は感覚記憶、短期記憶、長期記憶の3つに大きく分類される

感覚記憶 (sensory memory) とは、外部からの刺激を与えた時に起こる、最大1~2秒ほどの最も保持期間が短い記憶である。各感覚器官に特有に存在し、瞬間的に保持されるのみで意識されない。外部からの刺激を与えた時の情報は、まず感覚記憶として保持され、そのうち注意を向けられた情報だけが短期記憶として保持される。

短期記憶の情報は時間の経過とともに忘却されるが、維持リハーサルによって情報の保持時間を伸ばすことができる。リハーサルが妨げられた場合、数秒から十数秒で情報は忘却される[3]

また短期記憶の情報はリハーサルにより長期記憶に転送される[5]と言われている。

短期記憶の分かり易い例であると、感情がこもっているかこもっていないかで簡単に分けられる。長期記憶の場合は、自分が感じた感情が強ければ強い程覚える。反対に自分の感じた感情が弱い程覚えていないのが短期記憶である。

多くの研究によると、後ろ向きに歩いたり、後ろ向きに歩いていると想像したり、後ろ向きに歩いているビデオを見たりした人は、後ろ向きに歩くことはあなたの短期記憶を後押しするのに役立つかもしれないと示唆した。虚偽の記憶を誘発することなく、できるだけ正確な情報を入手できる。後ろ向きに歩いた人は、年齢やその他の要因に関係なく、より多くの目撃に関する質問に正しく答える可能性が非常に高いことを発見した。

長期記憶 (long-term memory, LTM) とは、記憶の二重貯蔵モデルにおいて提唱された記憶区分の一つであり、大容量の情報を保持する貯蔵システムである。二重貯蔵モデルにおいては、一旦長期記憶に入った情報は消えることはないとされた[5]

長期記憶の忘却の原因については、減衰説と干渉説、さらに検索失敗説が存在する。減衰説とは、時間の経過とともに記憶が失われていくという説である。干渉説とは、ある記憶が他の記憶と干渉を起こすことによって記憶が消えるという説である。検索失敗説とは、想起の失敗は記憶された情報自体が消失しているのではなく、適切な検索手がかりが見つからないため、記憶内の情報にアクセスできないという説である。 βエンドルフィン(=脳内ホルモンの一つ)が分泌されたり、A10神経が活性化すると、海馬における長期記憶が増強する。

長期記憶は陳述記憶・非陳述記憶の2つに分類される。長期記憶を近時記憶と遠隔記憶の2つに分類する説も存在する

自分自身に関する事柄についての記憶である。ある個人のなかにある自分に関する記憶を体系的に説明する一つの記憶モデルであり、エピソード記憶と意味記憶によって構成される[7]

将来行う行動についての記憶である。これに対して、過去の出来事についての記憶は回想的記憶と呼ばれる。一般に記憶の内容は「過去」の事柄だと思われているのに対し、展望的記憶は未来(将来)に関わるものであるため、その点でユニークな記憶であるとされる。スケジュール帳、PDAなどの予定を管理する機器類の使用方法、使用行動と絡めて研究されることも多い

手続き記憶、プライミング記憶、意味記憶、短期記憶、エピソード記憶

の順に、左の記憶ほど原始的で、生命の維持に直接関わり、右の記憶ほど高度な記憶になる。

記憶の過程は記銘保持想起再生、再認、再構成)、忘却という流れになっている。

記銘(符号化)編集

情報を憶えこむことを記銘という。情報を人間の記憶に取りこめる形式に変えるという情報科学的な視点から符号化と呼ばれることが多い。

保持(貯蔵)編集

情報を保存しておくことを保持という。情報科学的な視点から貯蔵と呼ばれることが多い。

想起、起憶(検索)編集

情報を思い出すことを想起、起憶という。情報科学的な視点から検索と呼ばれることが多い。想起のしかたには以前の経験を再現する再生、以前に経験したことと同じ経験をそれと確認できる再認、以前の経験をその要素を組み合わせて再現する再構成などがある。

忘却

記憶されていたことを想起できなくなることを忘却(ぼうきゃく)という

観自在菩薩深般若波羅蜜多時照見五蘊度一切苦厄舎利子不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故

 

空中無色無受想行識

 

三科(さんか)とは部派仏教における、世界を在らしめる『一切』を分類した三範疇、五蘊(五陰)・十二処十八界をいう。蘊・処・界、または陰・界・入と略すこともある[2]。また、六根六境六識の三範疇をいうこともある。

五蘊・十二処・十八界[1]

五蘊(五陰)・十二処・十八界編集

全てのは、下記の五蘊の一つの蘊、十二処の一つの処、十八界の一つの界とにおさまる[3]。およそはそれぞれの自性を保持するものであるから、あるがそれと別個な自性をもつ他の法の中におさまるということは決して無い[3]。諸を五蘊、十二処、十八界と説くのは、衆生(有情)の愚かさ、あるいは資質、あるいは希求するところに3通りがあるから、それらの各々に応ずるためとされる[3]。また、原始仏典においては、我々の全経験領域をさしてこれらを一切(sabbam、我々の全経験領域)と呼ぶものの、「がある」とは明言されず、しかもそのどれもが無常であり、であり、非我であり、それらを厭離し離欲すれば解脱して悟るといわれる[4]

五蘊編集

五蘊(ごうん、pañca-skandha) – 五陰(ごおん、旧訳)とも。人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示したもの。

  • (しき、rūpa) – すべての物質。
  • (じゅ、vedanā) – 感受作用。
  • (そう、saṃjñā) – 表象作用。
  • (ぎょう、saṃskāra) – 意志作用。
  • (しき、vijñāna) – 認識作用。

十二処編集

十二処(じゅうにしょ)または十二入(「」はāyatana) – 12の知覚を生じる場。六根六境[5]。 後に「処」の字をつけて呼ぶこともある。「処」とは、阿毘達磨倶舎論においては、と心作用(心所)の生じてくる門(生門(しょうもん))のこと[3]

  • 六根(ろっこん、ṣaḍ-indriya) – 主観の側の六種の器官[6]、感官[7]のこと。六内入処(ろくないにゅうしょ)とも。
  • (げん、cakṣus) – 視覚能力もしくは視覚器官
  • (に、śrotra) – 聴覚能力もしくは聴覚器官
  • (び、ghrāṇa) – 嗅覚能力もしくは嗅覚器官
  • (ぜつ、jihvā) – 味覚能力もしくは味覚器官
  • (しん、kāya) – 触覚能力もしくは触覚器官
  • (い、manas) – 知覚能力もしくは知覚器官[8][9]
眼・耳・鼻・舌・身の5つを「五根」といい[10]、人間の感覚能力[8] すなわち五感であり、意は認識するはたらきの拠り所となる感官である[11]
  • 六境(ろっきょう、ṣaḍ-viṣaya) – 客観の側の六種の対象[6]、感官の対象[7]のこと。六外入処(ろくげにゅうしょ)とも。
  • (しき、rūpa) – 眼根によって見られる色彩と形象[8][9]
  • 顕色けんじき[12](いろ)と形色ぎょうしき[12](かたち)の2種類に分たれ、また、青、黄、赤、白、長、短、方、円、高(凸形)、下(凹形)、正(規則的な形)、不正(不規則な形)、雲、煙、塵、霧、影、光、明、闇の20種に分たれる[13]
  • (しょう、śabda) – 聴覚の対象[6] [9]
  • 苦楽の感覚を発する有情身の発する音とそうでない音、意味を伝える音とそうでない音、および快い音とそうでない音との別により8種に分たれる[13]
  • (こう、gandha) – 嗅覚の対象[6] [9]
  • 良い香りと悪い香り、適度な香りとそうでない香りの別により4種に分たれる[13]
  • 甘さ、酸っぱさ、しおからさ、辛さ、苦さ、渋さの6種に分たれる[13]
  • (そく、sparśa) – 身根によって感じられる堅さ、熱さ、重さなど[8][9]
  • 滑らかさ、粗さ、重さ、軽さ、冷たさ、ひもじさ、渇きの7種、およびの4種(四大もしくは四大種という)の合計11種に分たれる[14]
  • (ほう、manas) – 意根によって知覚される概念を含むすべての存在[8][9]
また、五根に対応する境の部分(色・声・香・味・触)を五境、そこに生じる欲を五欲(五塵)と表現したりもする[15]。五根と五境をあわせて十色界という[16]

 

眼耳鼻舌身意

 

色声香味触法

眼界乃至無意識界

無明亦無無明尽乃

至無老死亦無老死尽無

苦集滅道

無智亦無得以無所得故菩提薩埵

 

 

 

フロイトは、ヒステリー(現在の解離性障害や身体表現性障害)の治療に当たる中で、人は意識することが苦痛であるような欲望を無意識に抑圧することがあり、それが形を変え神経症の症状などの形で表出されると考えた。そのため、無意識領域に抑圧された葛藤などの内容を自覚し、表面化させて、本人が意識することによって、症状が解消しうるという治療仮説を立てた

ユング心理学(分析心理学)は個人の意識、無意識の分析をする点ではフロイトの精神分析学と共通しているが、個人的な無意識にとどまらず、個人を超え人類に共通しているとされる集合的無意識(普遍的無意識)の分析も含まれる。ユング心理学による心理療法では能動的想像法も取り入れられている。能動的想像法とは、無意識からのイメージが意識に表れるのを待つ心理療法的手法である。また、ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している現象」でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる

シャドウとは

上記でも説明したように、自分では認めたくない自分の事を「シャドウ」と呼びますが、そもそもシャドウとは何なのかについて説明していきます。

シャドウとは誰もが持つ「影」の事で、人はそれぞれ自分では認めたくない自分を持ちます。
認めたくない気持ちが強いほど影は濃くなりその影響力は強くなります。

また、西洋と東洋それぞれに伝わる神話や伝説には
共通したテーマを扱った物も多いことから、
洋の別を問わず人類の心の奥深くには
共通した「集合的無意識」が存在すると考えたのです。

図のように、意識や個人的無意識よりもさらに深いところにある層で、
民族や国家、人種を問わず普遍的に存在しています。

レオポルド・ソンデ

ハンガリー出身の心理学者レオポルド・ソンディ(Leopold Szondi,1893-1986)は、運命分析学という深層心理学の学派を創設したり、『ソンディ・テスト』という人物写真を利用した投影法の心理テストを開発したことで知られる。日本語での名前表記は、レオポルド・ソンディ以外にも、英語読みで『リポート・ソンディ』という風に表記されることも多い

集合的無意識(Kollektives Unbewusstes)」

とは、偉大な心理学者カール・ユング(Carl Gustav Jung)によって提唱された。
人間の意識の奥には、個人的無意識が存在し、さらにその奥には集合的無意識が存在するという概念だ。
集合的無意識は、個人のみならず集団や民族、人類全体、さらには時空を超えて森羅万象、宇宙の意識ともつながっている。
集合的無意識に共通する基本的形を「元型(Archetyp )」と呼び、この元型から集合的無意識が生じ、原始心像が意識化され、元型そのものが意識化されることは決してない。



ソンディ・テストで知られる精神医学者のレオポルド・ソンディ(Léopold Szondi)は

、フロイトの説いた個人的無意識とユングの説いた集合的無意識の中間に位置する家族的無意識という概念を提唱した。
ソンディは、精神医学の世界で「運命分析学」という未だに学問的価値を認められてない分野にメスを入れた稀有な存在であった。
「家族的無意識」とは、先祖の抑圧された意識が子孫の運命に重大な影響を与えるといった考えで、運命が子孫に遺伝していくことを意味する。「

親の因果が子に報い」と呼ばれる病気や負債の運命は「強制運命」と呼ばれ、個人の自由意志から生まれる「自由運命」と常に拮抗している。



しかし、強制運命の支配下に置かれた不幸な人生も先祖のせいだけではない。
そのような先祖の子孫として生まれてくることにより、過去世でのカルマを解消させられているのだから、よく理解し受け入れた上で、人生を自由運命に傾くよう舵取りをしなければならない。
カルマの解消には、自分を第三者的に観る行法を身に付けるのが一番である。

 

ソンディは子孫が祖先から先祖代々継承している意識(衝動)のことを『

衝動感情(衝動意識)』と呼び、『人間の運命とは選択である』といった。人間は祖先から受け継いだ衝動感情(衝動意識)をベースにして、『結婚選択・職業選択・疾患の選択・死亡形式の選択』という4つの人生の分野で重大な選択をしていくというのがソンディの理論である。



L.ソンディの運命観には『自分が主体的に選択する要素』と『祖先からの意識・感情によって決定されるという要素』の2つがあり、人間が自分の運命を選択する(選択させられる)要因になる遺伝子には以下の8つの種類があるとした。『運命分析法』という心理テストでは、この8種類の遺伝子の働きの趨勢(強さ)とバランスを知ることができるとされている。

Sch(自我衝動)……p(存在遺伝子),k(所有遺伝子)

C(接触衝動)……m(依存遺伝子),d(獲得遺伝子)

P(感情衝動)……hy(道徳遺伝子),e(倫理遺伝子)

S(性衝動)……s(攻撃遺伝子),h(情愛遺伝子)

レオポルド・ソンディの想定した祖先から受け継ぐという無意識は『家族的無意識』と呼ばれており、ジークムント・フロイトの『個人的無意識』よりは広く、C.G.ユングの『普遍的無意識(集合無意識)』よりはその範囲が狭いと考えられている。ソンディの運命分析学を前面に出した深層心理学の究極の目的は、『個人的無意識と家族的無意識と普遍的無意識の経験的・理論的な統合』であった。

Psychoanalysis is based on the basic hypothesis that humans have an unconscious process and that human behavior depends on the unconscious. Freud, in the treatment of hysteria (currently dissociative and somatic symptom disorders), can unknowingly suppress desires that are painful for humans to change shape and neurosis. I thought that it would be expressed in the form of symptoms such as. Therefore, we made a treatment hypothesis that the symptoms can be resolved by being aware of the content of the conflict suppressed in the unconscious area, exposing it to the surface, and being aware of it.

Carl Gustav Jung

Jung’s psychology (analytical psychology) is similar to Freud’s psychoanalysis in that it analyzes the individual’s consciousness and unconsciousness, but it is not limited to the individual unconsciousness, but is common to all humankind beyond the individual. It also includes an analysis of the collective unconscious (universal unconscious). Psychotherapy by Jung Psychology also incorporates the Active Imagination. The active imagination is a psychotherapeutic method that waits for the image from the unconscious to appear in the consciousness. In addition, Jung Psychology emphasizes dream analysis in clinical psychology more than other groups. Dreams are said to be a “phenomenon in which the archetype image is expressed on a daily basis” as a collective unconscious, and also a manifestation of the personal unconscious.

What is a shadow?

As I explained above, I call myself a “shadow” that I don’t want to admit, but I will explain what a shadow is in the first place.

A shadow is a “shadow” that everyone has, and each person has a self that he or she does not want to admit.
The stronger the feeling of not wanting to admit, the darker the shadow and the stronger its influence.

Also, in the myths and legends of the West and the East,
Since there are many things that deal with common themes,
Deep in the hearts of mankind, regardless of the ocean
I thought that there was a common “collective unconscious”.

As shown in the figure, in a layer deeper than consciousness or personal unconsciousness,
It exists universally regardless of ethnicity, nation, or race.

Leopold Szondi

Hungarian psychologist Leopold Szondi (1893-1986) founded a school of deep psychology called fate analysis and developed a projection psychological test using portraits called the Szondi test. Known for doing. In addition to Leopold Szondi, the name notation in Japanese is often written in English as “Report Sondy”.

“The Collective Unconscious (Kollektives Unbewusstes)” was advocated by the great psychologist Carl Gustav Jung.
The concept is that there is a personal unconscious in the depths of human consciousness, and there is a collective unconscious in the depths.
The collective unconscious is connected not only to the individual but also to the group, the people, the entire human race, and even the consciousness of the universe and the universe beyond time and space.
The basic form common to the collective unconscious is called the “archetyp”, and the collective unconscious arises from this archetype, the primitive image is conscious, and the archetype itself is never conscious.

Léopold Szondi, a psychiatrist known for the Szondi test, proposed the concept of a family unconscious, which lies between Freud’s personal unconscious and Jung’s collective unconscious.
Sondy was a rare figure in the world of psychiatry, putting a scalpel into the field of “fate analysis,” which has not yet been recognized for its academic value.
“Family unconscious” means that the fate is inherited by the offspring, with the idea that the suppressed consciousness of the ancestors has a significant impact on the fate of the offspring. The fate of illness and debt, which is called “the cause and effect of the parent rewards the child,” is called “forced fate,” and is always in conflict with the “free fate,” which is born from the free will of the individual.

But the unfortunate life under the control of forced fate is not just due to ancestors.
By being born as a descendant of such an ancestor, the karma of the past life has been eliminated, so we must understand and accept it well and steer our lives toward free destiny.
The best way to eliminate karma is to learn how to look at yourself as a third party.

Sondy calls the consciousness (impulse) that offspring inherit from their ancestors from generation to generation, “impulsive emotion (impulsive consciousness),” and says that “human destiny is a choice.” Based on the impulsive emotions (impulsive consciousness) inherited from our ancestors, human beings make important choices in the four fields of life: marriage choice, occupation choice, disease choice, and death form choice. Sondy’s theory.

L. Sondy’s view of fate has two elements: “elements that he chooses independently” and “elements that are determined by the consciousness and emotions of his ancestors.” ) The following eight types of genes are considered to be factors. A psychological test called “fate analysis method” is said to be able to know the trend (strength) and balance of the functions of these eight types of genes.

Sch (ego impulse) …… p (existing gene), k (owned gene)

C (contact impulse) …… m (dependent gene), d (acquired gene)

P (emotional impulse) …… hy (moral gene), e (ethical gene)

S (sexual drive) …… s (attack gene), h (love gene)

The unconsciousness inherited from Leopold Szondi’s envisioned ancestors is called the “family unconscious”, wider than Sigmund Freud’s “personal unconscious” and more than CG Jung’s “universal unconscious (collective unconscious)” The range is believed to be narrow. The ultimate purpose of deep psychology, which brought Sondy’s fate analysis to the fore, was “the empirical and theoretical integration of the personal unconscious, the family unconscious, and the universal unconscious.”

 

運命学から見た 心理学ーソンディ学  Psychology from the perspective of fate-Sondy

 

 

ソンディは子孫が祖先から先祖代々継承している意識(衝動)のことを『衝動感情(衝動意識)』と呼び、『人間の運命とは選択である』といった。

 

人間は祖先から受け継いだ衝動感情(衝動意識)をベースにして、

『結婚選択・職業選択・疾患の選択・死亡形式の選択』という4つの人生の分野で重大な選択をしていくというのがソンディの理論である。

 

 

結婚選択

恋愛も含め 、結婚を先祖から決定させる。

とくに女性とって深刻ある。

職業選択

どのような職業が選びとるか?

 

疾患の選択

病気の選択

ガン 心臓  脳 その他の

病の選択

死亡形式

自殺  事故  他殺 の運命

 

 

Sondy calls the consciousness (impulse) that offspring inherit from their ancestors from generation to generation, “impulsive emotion (impulsive consciousness),” and says that “human destiny is a choice.”

 

Humans are based on the impulsive emotions (impulsive consciousness) inherited from their ancestors.

Sondy’s theory is to make important choices in the four areas of life: marriage choice, occupation choice, disease choice, and death form choice.

 

 

 

Marriage choice

Let your ancestors decide on marriage, including romance.

Especially for women.

Occupation selection

What kind of profession will you choose?

 

Disease selection

Disease choice

Cancer Heart Brain Other

Disease selection

Death form

Suicide Accident Fate of homicide

 

 

 

〔3}ソンディは、その中間にある家族的無意識の層を発見したのである。

つまり、個人と群衆のあいだに「宗族」を発見したのだ。これは、当然、出ずべくして出でたものである。個人

にしても群衆にしても、だれひとりとして「家族」でなかったものはない。とすると、当然そこにひとつの無意識司が存在(または形成)されるはずである。

 では、その無意識層の中に、ゾンデ″はなにを発見したか?

 かれは、「家族的無意識」と名づける無意識層の中に、特殊な抑圧意識を発見したのである。

 それは、ひと口でいうならば、

  「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が、恋愛・友情・職業・疾病および死亡における無意識的選択行動とたって、個人○運命を決定する」

というのである。

 

 ソンディはこういう。

  「恋愛・友情・職業・疾病および死亡における選択の分析にもとづいて、選択の根源はこの家族欲求」

 つまり、ひとの、恋愛、友情、職業、病気、死にかたまで、すべて、それらを決定するのは、そのひとのこころの深奥にひそんでいる祖先の抑圧された意識である、というのである。

 

 これは、個人の運命を形成するこれらの選択行動は、意識的・理性的な考慮の上に立つ決断にょって決定されるのではなく、(もちろん表面的にはそれがなされるが、実際には)選択行動は衝動行為であり、衝動的に選択する無意識的なものによって動かされるのだということである。(ここまではフロイトもほとんどおなじである。フロイトとちがうのは、その衝動が、その宗族-祖先-にふかい関連、かおるというのである)

 

 それはなにかというと、ひとの運命を決定するものが、抑圧された祖先の欲求ばかりではないということである。それがすべてではないということだ。それは非常に大きな要因ではある、が、そればかりではないということである。

 なぜかというと、密教占星術によれば、運命の「時期」まで決定されているからである。ソンディ理論によれば、「形式」の形成の説明はつくけれども、「時期」が決定される説明はつかない。それは先祖の抑圧意識のほかにも要因、かおるからである。それについてのわたくしの理論と意見はここでは述べない。べつな機会にゆずることにする。かなりに厖大な址となるからである。

ソンディ理論は「平面彬成」(空間)の理論であり、このほかに「立体構成」(時間)の理論かおる。㈲の理論は、ソンディのごとく、心理学的方法でなされるが、時間の理論は数学的方法でなされ、かなりに難解なものになる。これはまたべつな一冊の書物となるであろう。

 

3} Sondy discovered a layer of family unconsciousness in between.

In short, he discovered a “sect” between the individual and the crowd. This, of course, was something that wasn’t done. Individual

No one in the crowd was not a “family”. Then, of course, one unconscious boss should exist (or be formed) there.

Then, what did the sonde “discover in that unconscious layer?”

He discovered a special repressive consciousness in the unconscious layer named “family unconscious”.

It is, in a nutshell,

“The desires of ancestors that are suppressed in an individual determine the fate of the individual as an unconscious selection behavior in love, friendship, occupation, illness, and death.”

That is.

 

..

Sondy is like this.

“Based on an analysis of choices in romance, friendship, occupation, illness and death, the source of choices is this family desire.”

In other words, it is the oppressed consciousness of the ancestors hidden in the depths of the person’s heart that determines them, from love, friendship, occupation, illness, to death.

 

This is because these choice behaviors that shape an individual’s destiny are not determined by decisions that are based on conscious and rational considerations (of course, on the surface, they are, but in fact). The choice behavior is an impulse act, which is driven by the unconscious one who chooses impulsively. (Up to this point, Freud is almost the same. The difference from Freud is that the impulse is related to the sect-ancestor-and is Kaoru.)

 

It is that it is not only the desires of oppressed ancestors that determine a person’s destiny. That’s not all. That’s a huge factor, but it’s not the only one.

The reason is that according to esoteric astrology, the “time” of fate is determined. According to Sondy’s theory, the formation of “form” can be explained, but the “timing” cannot be determined. This is because there are other factors besides the oppressive consciousness of our ancestors. My theory and opinion about it is not mentioned here. I will give it to another opportunity. This is because it will be a fairly large site.

Sondy’s theory is the theory of “plane formation” (space), and in addition to this, it is the theory of “three-dimensional composition” (time). The theory of ㈲ is made by a psychological method like Sondy, but the theory of time is made by a mathematical method, which is quite esoteric. This

グモンジ法 求聞持聡明法

 

http://buddha.sub.jp/custom27.html

 

グモンジ法 求聞持聡明法

 

真言宗に伝わる、人を天才にするという秘法です。

その行法としては、まず、金星を凝視しながら、本尊の印を結び、本尊の真言を100万遍唱えるのです。50日または、100日で読誦するのですが、結願の日は、日蝕または、月蝕の日でなければなりません。

真言宗の口伝です。非常に、簡単ですが、しかし、ここに重大な秘密が隠されています。

この秘密を解かないと、成就できません。 ※ほとんどの僧侶が失敗しています。

求聞持聡明法は、原始仏教と関係があるのです。

伝説では、釈尊は、教団で、優れた弟子たちに、ある特殊な修行法を教えておられたようです。
それは、「三つの明知を獲得する法」とよばれていたようです。
この法が、大乗仏教に流出し、最後に密教の求聞持聡明法になったのではないかと思われます。

さらに、求聞持聡明法は、原始仏教 阿含経に書かれている、最高の瞑想法「安那般那念法」と、密接な関係があるのです。

弘法大師空海さまは、中国で、これらの秘密を解いたものと思われます。ですから、空海さまが、求聞持聡明法を完全に成就されたのは、中国に留学されてからではないかと思われます。

求聞持聡明法は、まず、安那般那念法の初段階の呼吸法をマスターしていくことから始まるのです。この法は、秘伝なのですが、実は、ヨーガのマニュピューラ チャクラ覚醒法なのです。そこから、順次、段階を経て、上級のチャクラを覚醒させていくのです。このとき、気(プラーナ、霊気)をめぐらせる、身体のルートが大事になってきます。

 

ところが、ヨーガには、この詳しい解説が無いのです。しかし、道教の導引気功法には、経絡(けいらく)という経穴(けいけつ、ツボ)を含めたルートがあって、この経絡、経穴を把握しながら、プラーナをめぐらせていくのです。

 

真言を100万遍唱える秘密のヒントも書かれています。

この求聞持聡明法は、人類を悟りに導き、人類を進化させる法なのです。是非、実地体験されることをお勧めします。

 

虚空蔵菩薩真言 ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリ・キャマリ・ボリ・ソワカ

 

 

 

 

 

集合的無意識(Kollektives Unbewusstes)」

フロイトは、ヒステリー(現在の解離性障害や身体表現性障害)の治療に当たる中で、人は意識することが苦痛であるような欲望を無意識に抑圧することがあり、それが形を変え神経症の症状などの形で表出されると考えた。そのため、無意識領域に抑圧された葛藤などの内容を自覚し、表面化させて、本人が意識することによって、症状が解消しうるという治療仮説を立てた

ユング心理学(分析心理学)は個人の意識、無意識の分析をする点ではフロイトの精神分析学と共通しているが、個人的な無意識にとどまらず、個人を超え人類に共通しているとされる集合的無意識(普遍的無意識)の分析も含まれる。ユング心理学による心理療法では能動的想像法も取り入れられている。能動的想像法とは、無意識からのイメージが意識に表れるのを待つ心理療法的手法である。また、ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している現象」でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる

シャドウとは

上記でも説明したように、自分では認めたくない自分の事を「シャドウ」と呼びますが、そもそもシャドウとは何なのかについて説明していきます。

シャドウとは誰もが持つ「影」の事で、人はそれぞれ自分では認めたくない自分を持ちます。
認めたくない気持ちが強いほど影は濃くなりその影響力は強くなります。

また、西洋と東洋それぞれに伝わる神話や伝説には
共通したテーマを扱った物も多いことから、
洋の別を問わず人類の心の奥深くには
共通した「集合的無意識」が存在すると考えたのです。

図のように、意識や個人的無意識よりもさらに深いところにある層で、
民族や国家、人種を問わず普遍的に存在しています。

レオポルド・ソンデ

ハンガリー出身の心理学者レオポルド・ソンディ(Leopold Szondi,1893-1986)は、運命分析学という深層心理学の学派を創設したり、『ソンディ・テスト』という人物写真を利用した投影法の心理テストを開発したことで知られる。日本語での名前表記は、レオポルド・ソンディ以外にも、英語読みで『リポート・ソンディ』という風に表記されることも多い

集合的無意識(Kollektives Unbewusstes)」

とは、偉大な心理学者カール・ユング(Carl Gustav Jung)によって提唱された。
人間の意識の奥には、個人的無意識が存在し、さらにその奥には集合的無意識が存在するという概念だ。
集合的無意識は、個人のみならず集団や民族、人類全体、さらには時空を超えて森羅万象、宇宙の意識ともつながっている。
集合的無意識に共通する基本的形を「元型(Archetyp )」と呼び、この元型から集合的無意識が生じ、原始心像が意識化され、元型そのものが意識化されることは決してない。



ソンディ・テストで知られる精神医学者のレオポルド・ソンディ(Léopold Szondi)は

、フロイトの説いた個人的無意識とユングの説いた集合的無意識の中間に位置する家族的無意識という概念を提唱した。
ソンディは、精神医学の世界で「運命分析学」という未だに学問的価値を認められてない分野にメスを入れた稀有な存在であった。
「家族的無意識」とは、先祖の抑圧された意識が子孫の運命に重大な影響を与えるといった考えで、運命が子孫に遺伝していくことを意味する。「

親の因果が子に報い」と呼ばれる病気や負債の運命は「強制運命」と呼ばれ、個人の自由意志から生まれる「自由運命」と常に拮抗している。



しかし、強制運命の支配下に置かれた不幸な人生も先祖のせいだけではない。
そのような先祖の子孫として生まれてくることにより、過去世でのカルマを解消させられているのだから、よく理解し受け入れた上で、人生を自由運命に傾くよう舵取りをしなければならない。
カルマの解消には、自分を第三者的に観る行法を身に付けるのが一番である。

 

ソンディは子孫が祖先から先祖代々継承している意識(衝動)のことを『

衝動感情(衝動意識)』と呼び、『人間の運命とは選択である』といった。人間は祖先から受け継いだ衝動感情(衝動意識)をベースにして、『結婚選択・職業選択・疾患の選択・死亡形式の選択』という4つの人生の分野で重大な選択をしていくというのがソンディの理論である。



L.ソンディの運命観には『自分が主体的に選択する要素』と『祖先からの意識・感情によって決定されるという要素』の2つがあり、人間が自分の運命を選択する(選択させられる)要因になる遺伝子には以下の8つの種類があるとした。『運命分析法』という心理テストでは、この8種類の遺伝子の働きの趨勢(強さ)とバランスを知ることができるとされている。

Sch(自我衝動)……p(存在遺伝子),k(所有遺伝子)

C(接触衝動)……m(依存遺伝子),d(獲得遺伝子)

P(感情衝動)……hy(道徳遺伝子),e(倫理遺伝子)

S(性衝動)……s(攻撃遺伝子),h(情愛遺伝子)

レオポルド・ソンディの想定した祖先から受け継ぐという無意識は『家族的無意識』と呼ばれており、ジークムント・フロイトの『個人的無意識』よりは広く、C.G.ユングの『普遍的無意識(集合無意識)』よりはその範囲が狭いと考えられている。ソンディの運命分析学を前面に出した深層心理学の究極の目的は、『個人的無意識と家族的無意識と普遍的無意識の経験的・理論的な統合』であった。

Psychoanalysis is based on the basic hypothesis that humans have an unconscious process and that human behavior depends on the unconscious. Freud, in the treatment of hysteria (currently dissociative and somatic symptom disorders), can unknowingly suppress desires that are painful for humans to change shape and neurosis. I thought that it would be expressed in the form of symptoms such as. Therefore, we made a treatment hypothesis that the symptoms can be resolved by being aware of the content of the conflict suppressed in the unconscious area, exposing it to the surface, and being aware of it.

Carl Gustav Jung

Jung’s psychology (analytical psychology) is similar to Freud’s psychoanalysis in that it analyzes the individual’s consciousness and unconsciousness, but it is not limited to the individual unconsciousness, but is common to all humankind beyond the individual. It also includes an analysis of the collective unconscious (universal unconscious). Psychotherapy by Jung Psychology also incorporates the Active Imagination. The active imagination is a psychotherapeutic method that waits for the image from the unconscious to appear in the consciousness. In addition, Jung Psychology emphasizes dream analysis in clinical psychology more than other groups. Dreams are said to be a “phenomenon in which the archetype image is expressed on a daily basis” as a collective unconscious, and also a manifestation of the personal unconscious.

What is a shadow?

As I explained above, I call myself a “shadow” that I don’t want to admit, but I will explain what a shadow is in the first place.

A shadow is a “shadow” that everyone has, and each person has a self that he or she does not want to admit.
The stronger the feeling of not wanting to admit, the darker the shadow and the stronger its influence.

Also, in the myths and legends of the West and the East,
Since there are many things that deal with common themes,
Deep in the hearts of mankind, regardless of the ocean
I thought that there was a common “collective unconscious”.

As shown in the figure, in a layer deeper than consciousness or personal unconsciousness,
It exists universally regardless of ethnicity, nation, or race.

Leopold Szondi

Hungarian psychologist Leopold Szondi (1893-1986) founded a school of deep psychology called fate analysis and developed a projection psychological test using portraits called the Szondi test. Known for doing. In addition to Leopold Szondi, the name notation in Japanese is often written in English as “Report Sondy”.

“The Collective Unconscious (Kollektives Unbewusstes)” was advocated by the great psychologist Carl Gustav Jung.
The concept is that there is a personal unconscious in the depths of human consciousness, and there is a collective unconscious in the depths.
The collective unconscious is connected not only to the individual but also to the group, the people, the entire human race, and even the consciousness of the universe and the universe beyond time and space.
The basic form common to the collective unconscious is called the “archetyp”, and the collective unconscious arises from this archetype, the primitive image is conscious, and the archetype itself is never conscious.

Léopold Szondi, a psychiatrist known for the Szondi test, proposed the concept of a family unconscious, which lies between Freud’s personal unconscious and Jung’s collective unconscious.
Sondy was a rare figure in the world of psychiatry, putting a scalpel into the field of “fate analysis,” which has not yet been recognized for its academic value.
“Family unconscious” means that the fate is inherited by the offspring, with the idea that the suppressed consciousness of the ancestors has a significant impact on the fate of the offspring. The fate of illness and debt, which is called “the cause and effect of the parent rewards the child,” is called “forced fate,” and is always in conflict with the “free fate,” which is born from the free will of the individual.

But the unfortunate life under the control of forced fate is not just due to ancestors.
By being born as a descendant of such an ancestor, the karma of the past life has been eliminated, so we must understand and accept it well and steer our lives toward free destiny.
The best way to eliminate karma is to learn how to look at yourself as a third party.

Sondy calls the consciousness (impulse) that offspring inherit from their ancestors from generation to generation, “impulsive emotion (impulsive consciousness),” and says that “human destiny is a choice.” Based on the impulsive emotions (impulsive consciousness) inherited from our ancestors, human beings make important choices in the four fields of life: marriage choice, occupation choice, disease choice, and death form choice. Sondy’s theory.

L. Sondy’s view of fate has two elements: “elements that he chooses independently” and “elements that are determined by the consciousness and emotions of his ancestors.” ) The following eight types of genes are considered to be factors. A psychological test called “fate analysis method” is said to be able to know the trend (strength) and balance of the functions of these eight types of genes.

Sch (ego impulse) …… p (existing gene), k (owned gene)

C (contact impulse) …… m (dependent gene), d (acquired gene)

P (emotional impulse) …… hy (moral gene), e (ethical gene)

S (sexual drive) …… s (attack gene), h (love gene)

The unconsciousness inherited from Leopold Szondi’s envisioned ancestors is called the “family unconscious”, wider than Sigmund Freud’s “personal unconscious” and more than CG Jung’s “universal unconscious (collective unconscious)” The range is believed to be narrow. The ultimate purpose of deep psychology, which brought Sondy’s fate analysis to the fore, was “the empirical and theoretical integration of the personal unconscious, the family unconscious, and the universal unconscious.”

念力をつよくして 一バランスをたもつ  成仏法  七覚支法(しちかくしほう) Psychokinesis and balance

念力をつよくして 一バランスをたもつ

 

念覚支(ねんかくし」

 

これはどういう修行法かと申しますと、仏教辞典などを見ますと、「おもいを平らかにする」 うように説明しております。念覚支とは「おもい」つまり念を平安にすることである、とこ ’うように説明しておりますけれども、わたくしは、それだけでは念覚支の修行の説明になっ ないと思います。

わたくし自身の修行体験によりますと、そんな簡単なものではなくて、こころを平安にする、 いは確かにそうでありますけれども、それは結果から出てくるものであって、修行そのもので らいわけです。おもいを平安にするというのは、念覚支を修行した結果、つねにおもいが平安 なる、おもいが平らかになる、ということであって、それ自体が修行ではない。

わたくしは、この修行を二つに分けることができると思うんです。まず 、念の力を強化する。

活力といってしまうと、なにか安っぽくなってしまいますね。自分で『念力』という本を書い おきながら、そういうことをいうのはおかしいけれども、念力、と言でいってしまうと、ち っと安っぼくなってしまう。念の力を強化する、要するに、精神力というものを非常に強化す ということですね。

それをただたんに精神力というと、漠然としますけれども、要するに、意志の力、知能の力。 ういったものを非常に強化する訓練である。

もっというならば、人間の精神作用というものは、知・情・意、この三つから成り立っていま

知性の力、知能の力、そして情緒的なはたらき、それから意志の力です。

要するに念の力を強化するというのは、この三つの部門(知・情・意)のはたらきを強化し、し かも、そのいずれにもかたよらないようにする、ということです。それが、結局、結果的におも いが平安になるということじゃないですか。

 人間の精神力というものは、この知・情・意のはたらきから成り立っています。ところが、こ いがかたよりやすいわけです。

 夏目漱石の『草枕』の書き出しに、

-知にはたらけば角が立つ。情に棹させば流される。とかくこの世は住みにくい」とあるでしょう。

 だから知というものにかたよると、とかく理くつっぽくなって角が立ちやすい。頭が非常 よいと、知能のはたらきがつよいですから、すぐ理くつでものをわりきろうとします。

 情に棹させば流される それはそうでしょう、人情的になりすぎれば流されてしまいます。

意志がつよかったらどうかというと、これは強情で、どうにもしようがないということにな りますね。

 ですから、知・情・意、それぞれのはたらきを強化し、たかめる、そういう修行です。しか

そのいずれにもかたよらないように平均化する、これがいちばん大切なことじゃないです 知的にも非常に高度で、情緒面においても、いわゆる情操がゆたかであるというように、芸術 面などでもよく理解することができる。情操的な情のないひとというのは、無昧乾燥にな力やす いわけです。芸術的なことは、なにもわからない、はなしをしてもちっともおもしろくない、シャレ をいったって、ニコリともしない。今日きいたシレを、三日ぐらいたっ七急に笑,い出じ て、「ああ、そうだ,ったのか」なんて(笑)、それじやあおはなしにならんでしょう。 

 意志がつよいのはけっこうだけれども、それが頑固になってしまうのではいけない。

 だから、知・情・意の精神作用を、非常に強化し、たかめるという訓練をする。そしてそのい ずれにもかたよらないということ。これがまず第一です。

 しかし、それだけじやない。

 念そのものの力を、神秘的にまで強化する。一点に集中したとき、火を発するほどの力を出 す。ですから、この念覚支の修行には、クンダリ’’ー ヨーガの修行が入るわけです。

 つぎに「空観」を体得する。ですから、この七覚支には、「四念処法」の修行が入っている。

この空の体得により、諸法の実相がわかるようになります。つまり、「縁起の法」を如実 にさ とることになるわけです。                                

 この念覚支が、七覚支法の中の、目玉といつてよいでしよう。いや、三十七道晶の中でも

 これは、宗教、信仰、哲学というたくさんの教法、。思想のなかから真実なるものをえらびだす

ということです。

択というのは、「選択」のタクでず。 略ど ない本漢字は「選揮」と書いて、選 えらぶ、「揮」。もえらぶ、という字です。

 つまり、ほんとうに真実なる教法をえらびとる、ということですね。この世の中には、さまざ まな宗教、信仰、思想があびます。そのなかから真実なるものをえらびとる。そうして、まちが ったものや、いつわりのものを捨て石、取捨選択するということです。

 正しい信仰をえらびとって、正しくないものを捨てさるということが修行というのは、どうい うことなんだろう? そう思ったことかありますけれども、考えているうち、やはりそれは修行 なんだなと思うようになった。というのは、それが修行であるというのは、自分自身の勉強、知 能によってそれをなすというところにあるわけです。         、

 たとえば、つぎのようなことです。

 お釈迦さまが出家されて、自分がさとりをひらくに到るまでには、当時のさまざまな信仰や宗 教、いろいろなことを教える思想家、そういったかたがたに、肘あたりしてぶつかっていってい るわけです。いろいろな仙人にもあって、はなしを聞く、それだけではなくて、それが正しい か、正しくないか、ということをご自分でI生けんめい考えられたということです。

 そうして結局、当時のインドにあったところのあらゆる教え、宗教というものは、みな正しく ないという結論に達したわけです。それには、釈迦ご自身のふかい修行と勉強によってそこに到 達したわけです。

 ですから、わたくしたちも、この択法覚文が修行であるというのは、自分自身の勉強と修行に よって、ほんとうに真実なるものをえらびとり、正しくないものは捨てさる、ということをしな ければいけないんです。

瞑想ひつとっても、日本に、瞑想を教える学校みたいなところや、瞑想 の先生、そういったものがたくさんあるでしょう。そのたくさんの瞑想のなかから、どれが正し い瞑想法なのか? どの先生が、正しい瞑想法を教えているのか? ということを自分自身がは っきりと取捨選択しなければいけないということです。

 たいていの場合は、自分自身の研究や勉強、あるいは修行によって取捨選択するというひとは すくない、たいてい評判を聞くだけです。

「あのニホンーメディテーションセンターというのはどうなの?」

「あれは、桐山さんというひとがやっていて、いいよ」

 といったり、

 「あれはダメだ、インチキだよ」

 なんていう。そうかなあ、どうなんだろうか。T・M(、rranscendental Meditationo超越瞑 想の略語)というのがいいというひともいれば、T・Mというのはダメだというひともいる。そ の評判だけできめてしまう人が多い。

 それをお釈迦さまは、ありとあらゆるいろいろな教法をご自分でぶつかって調べてみる。瞑想 についても、すぐそれがいいとかわるいとか、ひとの評判とか、そういったものにはまどわされ ない。ご自分がその瞑想をやってみて、、これはいかん、これはいい、というように選択される。

 そういう意味で、択法覚支というのが修行になるわけです。

 

 

Psychokinesis and balance

 

Seven Factors of Awakening

 

As for what kind of training this is, when you look at Buddhist dictionaries, it explains that it “flattens your mind.” I explain that the Seven Factors of Awakening is “the feeling”, that is, the peace of mind, but I don’t think that alone is an explanation of the practice of the Seven Factors of Awakening.

According to my own training experience, it is not such an easy thing, and it makes my heart peaceful, or it is certainly true, but it comes from the result, and it is not the training itself. Making the weight peaceful means that as a result of practicing the Seven Factors of Awakening, the weight is always peaceful and the weight is flattened, and it is not a practice in itself.

I think this training can be divided into two. First, strengthen the power of mind.

When it comes to vitality, it’s kind of cheap. He wrote a book called “Psychokinesis” by himself, and it is strange to say such a thing, but when he says “Psychokinesis”, he feels a little cheap. He is the one who strengthens the power of mind, in short, greatly strengthens the mental power.

It is vague to say that it is just mental power, but in short, it is the power of will and the power of intelligence. It is a training that greatly strengthens such things.

In other words, human mental action consists of knowledge, affection, and will.

The power of intelligence, the power of intelligence, the emotional work, and the power of will.

In short, strengthening the power of mind means strengthening the functions of these three divisions (knowledge, affection, and will) so that he does not depend on any of them. Doesn’t that mean that in the end, it will be peaceful?

Human mental power is made up of the functions of this knowledge, affection, and will. However, he is easier than he is.

For writing out Natsume Soseki’s “Kusamakura”

-If you work in your knowledge, you will get a corner. If you let the emotions flow, you will be swept away. Anyway, this world is hard to live in. ”

Therefore, depending on what you know, it’s easy to get angry because it’s just a matter of reason. If you are very smart, your intelligence will work well, so you will immediately try to make sense.

He will be swept away if he is sentimental, and he will be swept away if he becomes too humane.

If you have a strong will, this is stubborn and you can’t help it.

Therefore, it is such a practice to strengthen and strengthen each function of knowledge, affection, and will. Deer

It’s not the most important thing to average so that it doesn’t depend on any of them. It’s intellectually very advanced, and it’s well understood in terms of art as well as emotional and so-called emotional. can do. A person with no emotional feelings is the one who is easy to help with innocence. I don’t understand anything about art, it’s not interesting to talk about it, and it doesn’t make me smile. I laughed at the sire I heard today in a hurry for about three days, and said, “Oh, that’s right, was it?” (Laughs).

It’s fine to have a strong will, but it shouldn’t be stubborn.

Therefore, we will train to strengthen and strengthen the mental effects of knowledge, affection, and will. And that he doesn’t depend on the gap. This is first and foremost.

However, that is not the case.

Strengthen the power of the mind itself to mystery. When you concentrate on one point, it exerts enough power to make a fire. Therefore, this training of the Awakening includes the training of Kundalini “-Yoga.

Next, learn the “view of the sky”. Therefore, this Seven Factors of Awakening contains the practice of “Satipatthana”.

By learning this sky, you will be able to understand the reality of various laws. In other words, the “law of auspiciousness” is to be taken. ‥

This reminder can be the centerpiece of the Seven Factors of Awakening. No, even among the thirty-seven road crystals

This is a lot of teachings such as religion, faith, and philosophy. Select the truth from the thought

about it.

Choice is not a “choice” tact. The abbreviation of this kanji is written as “Kenki”, and it is selected, “Ki”. The word “moerabu” is used.

In other words, it means choosing a truly true teaching method. There are various religions, beliefs, and thoughts in this world. Select the truth from them. Then, the town throws away what he has and what he has, and sorts it out.

What does it mean to practice by choosing the right faith and throwing away the wrong ones? Although I had thought so, while thinking about it, I came to think that it was training. For, it is a practice in that it is done by one’s own study and intelligence. ,

For example, it is as follows.

By the time Buddha was born and he opened Satori, he was hit by the various beliefs and religions of the time, the thinkers who taught various things, and those who hit his elbows. There are various hermits, and I heard the story, and not only did I think about whether it was right or wrong.

In the end, I came to the conclusion that all the teachings and religions that existed in India at that time were not correct. That was achieved through Buddha’s own training and study.

Therefore, we also do not say that this alternative memorial is a practice, that he chooses what is truly true and throws away what is not correct by his own study and practice. I have to be him.

There are many meditation schools in Japan, such as schools that teach meditation, meditation teachers, and so on. Which of the many meditations is right for him? Which teacher teaches the correct meditation method? That means that I have to make a clear choice for him.

Most of the time, the person who chooses by his own research, study, or training only hears his poor reputation.

“What about that Japanese meditation center?”

“That is good because there is a person named Mr. Kiriyama.”

Or something like that

“That’s no good, it’s a fake”

What is it? I wonder what it is. Some people say that TM (an abbreviation for transcendental meditation) is good, while others say that TM is not good. There are many people who can only make that reputation.

Shaka-sama tried to find out by colliding with all kinds of various teaching methods. As for meditation, I’m not confused by the fact that it’s good or bad, or the reputation of people. You try the meditation, and you are chosen to say, “I don’t care, this is good.”

In that sense, the training of the alternative method is the practice.