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未分類

大日如来

すべての生き物の根本となる仏

 

 

大日如来(だいにちにょらい)とは?

大日とは「大いなる日輪」という意味です。太陽を司る毘盧舎那如来がさらに進化した仏です。密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。

 

大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの異なる捉え方があります。金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。また、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。この2つが揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がるのです。

ご利益

現世安穏、所願成就。また、未・申年生まれ守り本尊です。

大日如来(だいにちにょらい)の像容

本来、如来は出家後の釈迦の姿をモデルとしているため装飾品は身に付けていませんが、大日如来だけは別格で豪華な装飾品や宝冠を付けています。また、螺髪(らほつ)ではなく、髪を結い上げています。

 

金剛界、胎蔵界の姿でそれぞれ印の形が違います。金剛界の大日如来は、左手の人差し指を立て、その人差し指を右手で包みこむ智拳印の印相をしています。一方、胎蔵界の大日如来は、腹の前で両手の全指を伸ばして組み合わせる定印です。

Thirty-seven department seven items   三十七科七道品    

 

 

 

 

 

シャカの成仏法「七科三十七道品」

ニルヴァーナの智慧を獲得する修行法
「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法(ぼだいぶんぽう)」

神聖なる智慧を獲得するための七種類のシステムと、三十七種類のカリキュラム
ブッダの説かれた阿含の経典群の中には、ニルヴァーナを表現したと思われる経典、仏典を見出すことができるのです。
それどころか、ニルヴァーナの智慧を獲得する修行法までも、発見できるのです。
その修行法とは、「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」と名づけられた修行法です。これは、七科目・三十七種類にわたる教科目であり、桐山管長は、これを「神聖なる智慧を獲得するための七種のシステムと、三十七種類のカリキュラム」と呼んでいます。世の人々は、大乗仏教だけしか知らないために、仏教にこういう経典のあることをほとんど知りません。
パーリ文「中阿含」第百三の kinti sutta につぎのように述べられています。
ここに比丘らよ、われによりて法は悟られ、汝らに説かれたり。すなわち四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道これなり。それゆえにすべての比丘らは相和し相欣び、争うことなくして、これを学ばざるべからず。
ブッダによってさとられた智慧の獲得の修行法、実践法が、ここに明らかにのべられています。
阿含経に説かれたこの七科目の修行法は、アビダルマ論師によって「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」と名づけられました。さとりにいたる三十七の修行法という意味です。

四念住法(しねんじゅうほう)
旧訳では四念処(しねんじょ)といいます。四念処観ともいいます。さとりを得るための四種の内観・瞑想法です。身念住(しんねんじゅう)・受念住(じゅねんじゅう)・心念住(しんねんじゅう)・法念住(ほうねんじゅう)の四つです。

四正断法(ししょうだんほう)
旧訳では四正勤といいます。断断(だんだん)・律儀断(りつぎだん)・随護断(ずいごだん)・修断(しゅだん)の4つの修行。

四神足法(しじんそくほう)
四如意足とも訳す。
四つの自在力を得るための根拠となるもの。超自然的な神通力を得るための4種『欲神足(よくじんそく)・勤神足(ごんじんそく)・心神足(しんじんそく)・観神足(かんじんそく)』の修行法。

五根法(ごこんほう)
信根(しんこん)・精進根(しょうじんこん)・念根(ねんこん)・定根(じょうこん)・慧根(えこん)の五つ。根とは自由にはたらく能力をいう。仏法僧の三宝にたいする信と、精進・念・禅定(瞑想)・智慧が、ニルヴァーナに向かって高い能力を発揮する修行。

五力法(ごりきほう)
信力(しんりき)・精進力(しょうじんりき)・念力(ねんりき)・定力(じょうりき)・慧力(えりき)(または智力)。ニルヴァーナに至る高度な力を得る修行。

七覚支法(しちかくしほう)
択法覚支(ちゃくほうかくし)・精進覚支(しょうじんかくし)・喜覚支(きかくし)・軽安覚支(きょうあんかくし)・捨覚支(しゃかくし)・定覚支(じょうかくし)・念覚支(ねんかくし)の七つをいう。ニルヴァーナへみちびく七つの修行。

八正道法(はっしょうどうほう)(八聖道とも書く)
理想の境地に達するための八つの道『正見(しょうけん)・正思惟(しょうしゆい)・正語(しょうご)・正業(しょうごう)・正命(しょうみょう)・正精進(しょうじん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)』

以上が、「七科三十七道品」です。

 三十七科七道品とはつぎのようなものである。

四念処法-‐-身念処法 受念処法 心念処法 法念処法

四正断法--断断法 律儀断法 随護断法 修断法

四神足法--‐欲神足法 勤神足法 心神足法 観神足法

五根法--信根法 精進根法 念根法 定根法 慧根法

五力法-信力法 精進力法 念力法 定力法 慧力法

七竟支法-択法覚支法 精進覚支法 喜覚支法 軽安覚支法 捨竟支法 定覚支法 念竟

 支法

八正道法-正見法 正思惟法 正語法 正業法 正命法 正精進法 正念法 正定法

以上である。

 

この七科目、三十七種のカリキュラムは、

 1、瞑想

 2、実践

 3、lapas(練行)

に分類できる。

 四念処法・五根法は、瞑想である。

 四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想である。

 四神足法は、特殊なtapasである。

 神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、超自然の神通力を得るための四種の

修行法である。前に述べたわたくしの{召aはこれに属するものである。

 この七つの科目のうち、tapasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて修行するのであ

る。どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、聖師が決定する。

219——-一霊性完成の方法と体系

Thirty-seven departments and seven-way items are as follows.

Four-minded method — Thought method, Accepted method, Mind method,

Four straight cutting methods–cutting method ritual cutting method escort cutting method cutting method

Four Gods Act — Gyokushimpo

Gone method-Shine method, Shinjin method

Five power method-power method, spiritual power method, mind power method, constant power method, repulsion method

Nanakuma support method-choice method support method, sensation support method, Kisaku support method, light safety support method, abandonment support method, fixed support method

Supporting law

Eight Masamichi method-Masami method Masamiko method

That’s it.

These seven subjects, 37 kinds of curriculum,

1. Meditation bowl

2. Practical practice

3. Lapas

Can be classified.

The Shimonen method and the Gone method are meditations.

The four straight cutting methods, the five power methods, the seven senses method, and the eight Masamichi methods are practice and meditation.

The Shigami foot method is a special tapas.

Kamikashi is a mythical power (super power), and this four-god foot method has four kinds of spears for supernatural power.

It is a practice method. My {call-a belongs to this.

の う ち Of these seven subjects, focusing on tapas, training is carried out by incorporating subjects of meditation and practice.

The The saint decides which courses to take and how to train.

219 ——- Method and system for completing spirituality

ヒトはだれでも天才になれる

ヒトはだれでも天才になれる

あなたは信じられるだろうか?
ヒトはだれでも、自分の持つ知能のわずか数パーセントしか使っておらず、あとの九〇なんパ
ーセットかは、まるでそのへんの押し入れにボロきれでもっっこんで忘れてしまったかのごと
く、ほうりっぱなしで、だれひとりこれを使おうともしないというのである。
もちろん、あなたもそのひとりである。
そこで、ギャラップ世論調査研究所のジョージーギャラップはこういうのだ。
「これは脳生理学者の定説であるが、ヒトは、その持つ知能の、ニパーセントから五八Iセント
しか使っていない。あとの九〇なんパーセントはほうりっぱなしで、だれひとりこれをとり出し
て活用しようと考える者がいない。まことに皮肉きわまるはなしではないか。いや、それはむし
ろナンセンスというべきである」
と、この著名な情報研究家はふんがいナる。
「この国の最も熟練した専門家たちが、最新の電子計算機の潜在能力を開発するために、日夜、
研究、努力しているのに、その一方で、どんな巨大な電子計算機よりもけるかに偉大な機械であ
るこの人回の頭脳の潜在能力についてはなにひとつ知らず、研究しようという気さえも起こさな
いれわれがこれらの眠れるニューロンを目ざめさせ、使用するなら、これらの潜在的特質はその姿
をあらわすであろう」
では、いったい、われわれは、どれはどの。眠れるニューロン″を持っているのだろうか?
有名な大脳生理学者ラルフ・W・ジェラード博士はこう述べている。
「……脳神経系の単位はニューロンという個々の極微の細胞である。人間の頭脳のなかには百億
以上のニューロンがあり、それぞれの比較的大きいものは、他のニューロンと平均一万個以上の
シナプスという連結を持っている。それによって作り得るネットワークーパターツや、神経の
インパルスを伝え得る道の数は、宇宙のなかの物質を作る粒子の総数よりもはるかに大きいので
ある」
ニューロンの数は、正確にはおよそ一四〇億ある。
ところが、われわれが実際に使っているのは、わずかにそのニパーセットから五八Iセットに
過ぎないのである。もしも、われわれが、この眠れる脳細胞をゆり起こして、それをフルに利用
することができたらI? どんなにすばらしい仕事ができることであろう/
しかし、現実には、われわれはその1〇〇分の二、三しか使っていないのである。
私は、私自身にたいしてまことに残念でならない。
それは、ちょうど、莫大な埋蔵量を持つ金鉱か、無尽蔵なダイヤモンド鉱を目の前にして、こ
れを掘り出すことのできない口惜しさである。
あなたもそう感じないか?
われわれは、いまや、頭脳に関する迷信を即刻あらためなければならぬ。
頭がいいとか、わるいとかいうのは間違いなのだ。
問題は、人がどれだけのニューロンを使っているか、または使っていないかということなので
ある。
Hが天才であるのは、ひとよりI、ニパーセントよけいにニューロンを動かしているというだ
けのことだ。Tの知能が低いのは、ひとよりI、ニパーセントよけいにニューロンが眠っている
というだけのことだ。
もしも君が天才であるなら傲るのはやめたまえ。たかが人よりわずかI、ニパーセントのニュ
ーロンかよけいにはたらいているというだけに過ぎない。たかがそれだけのことではないか。
もしも君が頭がわるく、知能が低いと歎くなら、悲観ナるのはやめたまえ。人よりわずかに
一、ニパーセント、ニューロンの動きが少ないというだけのことだ。ただそれだけのことに過ぎ
ない。奮発して、五、六八Iセントもよけいにニューロンを動かしたらいいではないか。
なに?・
そんなことは不可能だって?
バカをいいたまえ、ここにちゃんとその方法がある。
知能開発、ニューロン覚醒、大脳皮質改造の技術がここにある。
このシステムで訓練すれば、眠れる君のニューロンはたちまち目ざめ、君の知能は三倍にな
る。
それは、ヒトを全くべっな生物に変えてしまう超技術だ。
その超技術がここにある。
③-ヒトを改造する超技術

もしも。
ヒトの知能が倍増し、人類の知的水準が現在の二倍ないし三倍になったら、世界はどのように
変わるであろうか? おそらく、人類は、いまかかえているあらゆる問題を、すべて解決してし
まうであろう。
いやI、それよりも、全く新しい構造の社会が出現するのではないか?
人類がいまかかえでいる問題を見てみよう。
I殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合いIそして地球上に急速にひろがりつつある
有害物質-。それらはどこに原因があるのであろうか? わかりきったことである。
それは、ヒトが愚かなためである。
人類学者リンネは、人間を分類して「知恵あるヒト」と学名をつけた。
生洲学者シャルルーリシエは、愚かなヒト、ホモースツルッスと名をつけた。ノーベル賞受賞
者のリシエは、その著、「人間-この愚かなるもの」の序文で、人類のかずかずの愚行をつぎ
っぎとあげ、実にあきれかえったおろかな動物であるとして、超愚人類と呼びたいところだ
が、まあ、最上級の形容詞はがまんして、愚人類ぐらいでかんべんしておこうと書いている。
たしかに、ヒトには、この二つの面かおる。賢い知恵ある面と、愚かで弱い面と、二つの面が
ひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われ
われの周囲をながめてみると、ホモーサピエンスは全く影をひそめ、ホモースツルチッシムスが
妖怪のごとく横行している。
殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合い、
それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はヒトの力を無限に拡大したが、同時に、ヒ
トの殺戮と搾取と憎悪と闘争をも無限に増大させた。このままでは、問もなく、ホモーサピエン
スは絶滅ナる。
いま、人類にもっとも必要なものはなにか?
それは高度の知能である。
この地上に展開する恐るべき大愚行は、なによりもまず人類の知能が低いところに原因する。
いま、人類に必要なものは、科学でもなければ技術でもない。革命でもなければイデオロギー
でもない。人種闘争でもなければ階級闘争でもない。そんなものはなんの役にも立たぬ。
何十回、革命を起こしても、何百回、闘争をくりかえしても、人類の知能がいまの水準にある
かぎり、それはむなしい儀式のくりかえしに過ぎぬ。
歴史をみてみよう。機械と技術、科学と文明と称するものがいくら進歩発達しても、おろかな
人間たちの行動パターンは少しも変わっていない。つねに、憎み合い、殺し合い、奪い合う、こ
のパターンのくりかえしではないか。どこに変化が見られるか。
若ものよ。エネルギーのむだな燃焼をやめたまえ。革命を思うなら、全人類の知能革命に前進

せよ。
ネアンデルタールの昔から、ヒトの知能は一歩も前進していない。なによりもまず人類の知能
を高めねばならぬ。
ホモースツルチッシムスを絶滅せよ。そうせぬかぎりわれわれにもはや未来はない。それはす
でに秒読みの段階に入っている。
このとき、ここに、ヒトを改造し、社会機構を一変させる技術がある。この技術は、ふるき社
会体系をすべて解体し、そこから生まれるあたらしい文明は、次元をひとつ超えるだろう。この
技術によってのみ、世界はよみがえり、この革命だけが全人類を破滅から救う。
若ものよ。
君たちはなぜこれに視線を向けぬのだ。
なぜ、君たちは、この、地上いまだかつて比類なき壮大にしてドラマチックな革命に情熱をた
ぎらせぬのだ。

④-未来社会かあるとすれば

教育?・
それは無力である。
それは知能を高めるものではなく、ただ、知識をひろげるだけのものに過ぎない。
教育は、ただ、その人の本来持っているところの知識をひろげるだけで、知能そのものを高め
ぼしない。知能を高める技術とは、ものを教え、ものをおぼえさせることではなく、おぼえる能
力そのものを高めるシステムでなければならない。馬鹿はいくら教育したって馬鹿である。馬鹿
に教育はまったく無力だ。馬鹿を利口にするためには特別の技術がなければならぬ。
宗教?
それは、知能ひくきものたちの愚行をなんとか良心にうったえて思いとどめさせようとするブ
レーキに過ぎず、知能を高めるためのなんの力も技術もない。念仏をとなえ、題目を高唱し、経
典教学をそらんじ、神のみ名を呼んでも、心の安らぎ、なぐさめ、信念というたぐいのものは得
られても、知能そのものが高くなるということはない。
最高度に進化発達した知能を持つ未来社会に、宗教という特別な分野はなくなるだろう。高度の知能は高度に発達した倫理観、道徳意識をともなうから、現在の宗教や、宗教家あたりが説い
ている「教え」など、まったく低俗な、次元の低い幼稚なものとしてかえりみられず、宗教意識
はごくあたりまえの常識になってしまって、ことさらにカミやホトケを念ずることなどなくなる
だろう。ヒトが、カミ、ホトケとびとしくなるのである。
そういう未来社会が、すぐ足もとに来ていることに君は気づくべきだ。
今までとはまったく構造の変わった社会体系があらわれようとしていることを、君は知らねば

ならぬ。

君はそれを疑うのか?
ではいおう。

もしも。
そういう高度の知能が出現しないかぎり、世界は間もなく終わるだろう。ホモーサピエッスが
今の知能水準であるかぎり、もはや、ヒトに未来はない。ホモーサピエッスの文明はすでに限界
に達した。
だからII。
未来社会があるとすれば、どうしてもそれは、高度なまったく新しい社会でなければならぬの

だ。

⑤-超・ヒトF-脳発速度係数三・九
もう間もなくやってくる未来社会で、人類は二つの種属にわかれるだろう。
それは、二つの民族でもないし、二つの階級でもない。二つの種属である。
そうして、その二つの種属は、しばらくのあいだ共存するけれども、間もなくその一方はおと
ろえ、急速にこの世界からナがたを消してゆくだろう。
そういうと、人類が二つの対立を示すのは、なにも未来社会にかぎったことではなく、いまだ
ってそうではないかと、いくつかの例をあげる人がいるかも知れない。
たしかに、それは、有色人種と白色人種、自由社会と共産圏社会、富める者と貧しき者、支配
する者とされる者、と、いくつか、かぞえることができるだろう。
だが、ちがうのだ。
そういう分類とはまったく異質の区分が、ごく近い将来、われわれの世界にあらわれようとし
ている。そういう動きが、ナでに現在おこりつつある。
それは、二つのヒト属である。
あたらしい人類とふるい人類-。
ひとつは普通の現代人、ホモーサピエンスHomo sapiensである。これがふるい人類だ。
もうひとつは、特殊な能力を身につけた未来人、ホモーエクセレンスHomo eχcellens であ る。つまりあたらしい人類だ。
ホモ・ サ ピエンスとは、ほかならぬわれわれ自身のことであるが、ホモーエクセレンスとは、

どういうヒトか?
ホモーエクセレンスとは、ホモーサピエンスが持だない特別な能力を身につけた「優秀なるヒ
ト」という意味である。ある人たちは、この未来人に、ホモーインテリダンス(聡明なるヒト)と
いう名をつけている。
では、この優秀なる未来人、ホモーエクセレンスは、どういう特殊な能力を持っているのか?
彼の持ついくつかの特長をあげてみよう。
「未来の種属、超・ヒトは、おそらく、三・九という脳発速度係数を持つだろう」
と、世界的に著名な人類学者、パリ大学のジョルジューオリヴィエ教授は、その著「ヒトと進
化、過去現在そして未来」のなかでこう語りはじめる。
「(こういうきわめてすぐれた生物の能力を、それよりはるかに劣ったわれわれが、あれこれい
うことはできないが)とにかく、この超・ヒトの知的能力は、辛うじて想像することができる。

それは、たとえば、
I 第四次元の理解。
2 複雑な全体をとっさに把握する能力。
3 第六感の獲得。

1 無限に発展した道徳意諏の保有。
5 とくにわれわれの悟性には不可解な精神的な特質。
などである。
わたしは、脳発達度係数三・九をもつ生き物の体のかたちや、すばらしい知能や、われわれに
はとうてい理解できない行動がどんなものであるかは、想像力のゆたかな人達にまかせることに
する。われわれがメクラであるのに対して、われわれの後継者たちは千里眼の持ち主なのだろう
から」(芦沢玖美訳・みすず書房刊)
と述べている。
オリヴィエ教授は、出版社の紹介文によると″パリ大学理学部人類学教授であり、人類学、解
剖学のかず多い論文のほかにいくつかの著書を持ち、そのなかでも「人類学的解剖学」はフラン
ス学士院賞を受けた。自己の専門分野の研究に多くの業績をあげているばかりでなく、若い研究
者の育成にも心をそそぎ、フランス人類学の名実ともにすぐれた指導者である″と記されてい
る。
まさに、当代一流の科学者であるといわねばならない。
その科学者が未来人ホモーエクセレンスの出現を、このように予告しているのである。著者
が、なんの根拠ももたず、ただいたずらに鬼面ひとをおどろかす筆をとっているのではないの
だ。それはかならずやってくる。では、そのホモーエクセレンスは、いったい、どこから、いっやってくるのだろうか?
未来人、ホモーエクセレンスの到来は、歴史の必然であるとオリヴィエ教授はいう。
では人類の歴史をたどってみよう。
まずあらわれたのは、オレオピテクス、ラマピテクスから進化してきたオーストラロピテクス
(猿人)であった。が、しばらくして、ピテカントロプスーエレクトス(原人)がこれにとって
かわった。しかし、まもなく、ネアンデルタール人(旧人)がやってきて、そのあとを継ぎ、彼
らの時代はおよそ1〇万年ちかくっづく。
けれども、今から四、五万年ほど前、かなり進んだ知能を持つクロマニョッ人(新人)が出現
すると、彼らは急速に姿を消して絶滅してしまった。しかしそのクロマニョッ人も、今から一万
年ほどまえに、オーストラロイド(ジャワ)、モンゴロイド(中国)、ネグロイド(アフリカ)、コーカ
ソイド(ヨーロッパ)というあたらしい現世人類の種のなかにあわただしく消滅してしまった     ‐
れは、歴史のごく表面にあらわれているだけの事実で、このほかにも、いくつかの知られざるヒ
ト・属、あるいはその分枝が、無数にあらわれ、歴史をつくる間もなく消滅していったと考える
学者はかず多い。
ある著名な科学者は、ひとつの種の寿命は1〇〇万年だと語り、ホモーサピエッスは出現以
来、間もなくこの年令に達するはずだという。そうして、オリヴィエ教授もまた「いま、われ
われが、われわれの後継者であるっぎの人類のことを考えるのは、まったく筋みちの立ったこと
であるLといっているのだ。
―だが、
いったいその新しいヒトは、いっあらわれるのか?
一万年さきか? 二万年?
だいたい、ホモーサピエンスのつぎの人類なんて、それはちょうどあの太陽がいつか燃えつき
てしまうぞ、というのと同じことで、空想ではないにしても、おそらくそれは天文学的数字のは
るか未来の出来事にちがいなく、そんな心配をしているほどわれわれはヒマ人ではない、とあな
たはいうかも知れない。
とんでもない・・‐・
そんなことをいっていたら、それこそあなたは、″間抜け″になってしまうぞ。
オリヴィエ教授は、生物学の進化の法則の上に立ってこう予言するのだ。
「……未来のヒトは間もなく不意に来ることになる」

え? そんなに早く? とあなたはびっくりするだろう。だが、あなたはここでさらにもっと
びっくりしなければならないのだ。
というのはI、
この新しいヒト、ホモーエクセレンスは、。間もなく不意に来る″のではなく、それはもうすでにこの地上に来ているのである。この地球上に、はるか以前からすでに出現しているのだ。
いつからI?
いつからだとあなたは思うか?
昨日から?
否!・
一昨日から?
否!
では、去年?
否’‐・
それは五〇〇〇年よりもっと以前からなのである!

ホモーエクセレンスの資格

ここにひとつの技術がある。
その技術によって訓練すると、ヒトはだれでもいくつかのすぐれた力を持つようになる。
その力をあげてみよう。

極度に発達した知能‐―いちど目にふれ、いちど耳にしたことは、ぜったいに忘れること
のないが協力。どのように複雑な構造でも組織でも、瞬間的に分析し、推理し、理解し
て、本質を把握してしまう演棒と帰納の力。コトバという間接思考を経ない純粋思考から
発する超飛躍的な創造力。
それは、ヒトの平均知能をI・〇とするならば、おそらく、二・五から三・五に達する
であろう。このグループの最高の頭脳は、やすやすと四次元を理解する。
ニ 感覚器官の増幅―彼は、不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を聞く
ことができる。その異常感覚と高度の知能の結合からくる予知力。それらは、自分の肉体
を思うままに統御する能力からくる。
三 環境の制御と創造―-思うままに自分を変え、他人を動かし、集団や環境を、自分の理念
の通りに創造してゆく。
四 物質を超え、物質を自由に統御する力。
五 無限に発達した道徳意識。
だいたい、以上の能力である。
これを、前の項で述べたオリヴィエ教授の未来人、ホモーエクセレンスの持つ能力とくらべて
みよう。
それは、おどろくほど酷似している、というよりも、そっくりそのままといったほうがよいのではないか?
そういうと、あなたはいうかも知れぬ。それは、著者が、オリヴィエ説をそっくりそのままう
つし持ってきたのではないのか、と。
そうではないのだ。それは、むしろ、私のほうがいいたいことだ。私は、最初、オリヴィエ教
授がこの特殊技術の存在を知っていて、その技術の習得を未来人の資格にしたのではないかと思
ったくらいなのである。もちろん、それは、そうではなく、オリヴィエ教授は学術的に、未来人
の能力をそのように予測したのにちがいないが、この暗黙の一致を、あなたはどのように考える
だろうか?
もっとも、オリヴィエ教授は、実際にこの特殊技術の存在を知っていて、その上に立ってホモ
・エクセレンスの能力を、このように書いたのである、ということも考えられないことではな
い。なぜならば、最近、この特殊技術は、この国でよりも、むしろ、アメリカやヨーロッパで知
られ、高く評価されはじめているのだから。
しかし、それはとにかくとして、実際に、こういう能力をヒトにあたえる特殊な技術が、数千
年も前からこの地上に存在し、それはそのまま現在も一部の人びとの間に伝えられているという
ことは、まぎれもない事実である。いや、現に、その技術の訓練を受け、そういう能力を身につ
けた人びとがなん人かいる。
つまり、にあらわれつつあるということである。それは、まだ、ごくわずかな数ではあるりれども。、ホモーエクセレンスは、これからさき、長い時間をかけて進化の結果あらわれてくる
のでもないし、突然変異体としてフランケンシュタインの怪物のごとく登場するのでもない。そ
れは、ひとつの特殊な人間開発技術により、ホモーサピエンス自身が変身するのだ。それは自然
に生まれてくるのではなく、つくられるのだ。
もっとも、いちばん最初にあらわれたホモーエクセレンスは、あるいは一種のミュータントで
あったかも知れない。あるいは、未来社会への環境適応の結果あらわれた超・ヒトの先行者であ
ったのかも知れぬ。ちょうど、ネアンデルタール人の群れのなかに出現した最初のクロマニョン
人のようにI。
ルーガリックの法則によると、ナでに存在ナる属のなかでの新しい種の形成は、三〇〇年から
六〇万年の時間を要するという。今から五〇〇〇年まえという数字は、ホモーエクセレンスの先
行者があらわれて、ホモーサピエンスのなかに次第に新い同族の種属を形成してゆくのにちょ
うど手頃な時間である。
最初のホモーエクセレンスは非常に孤独であったろう。彼はその持てるナぐれた能力ゆえに、
おのずと、予言者となり、指導者となり、教育者とならざるを得なかった。また、彼は、その持
つ異常な能力によって、数千年さきの未来を洞察し、ヒトの歴史の上における彼自身の位置をさとったにちがいない。
彼は、まだ低い段階のホモーサピエンスたちを教育するための「教え」を説くと同時に、これ
からやがて次第にあらわれてくる同 族たちを教育するためのカリキュラムもつくった。
彼は、
このカリキュラムで訓練した。あるいは、その弟子たちのなかには、彼と同じホモーエクセレッ
スの先行者たちもいたであろう。こうしてこの技術はあとへ伝承された。だが、あまりにも高度りに離解で、人びとの進歩と熟成のため
彼は、周囲に何人かの崇拝者を持った。そのなかからすぐれた素質を持なその開発技術は、ひろく受け入れられるためにはあまりに難解で、
なその開発技術昧ひろく回の時が必要であった。その長い間、この技術は、しばしば、誤解されたり、誹誘されたり、ある
いは分裂の危機を迎えた。けれども、その技術が滅亡しようとするたびに、すぐれたホモ・エク
セレンスがあらわれて、これを継いだ。この技術は、このようにして、ひろく世にうけいれられ
る時を静かに待った。多くの人びとが、この技術を必要とし、受け入れようと努力しはじめる時
期を静かに待った。
いま、その時がきたようである。
ホモーサピエンスは生物としてその限界に到達した。いま、この世界を覆う混乱と当惑と憎悪
は、なによりも、それをものがたるものである。つぎにくるものは絶望でしかない。いまこのひ
ろい世界に。一瞬たりとも生命の危険を感ぜずして生きている人間がひとりもいない。あなた白
身そうであろう。
今よではりねに機械と技術―科学がその危機を来り越えてきた。しかし、いまは、その機械
と技術が先頭に立って人間に打撃を加えている。
もう「さきは見えて」しまった。
ホモーサピエンスの知能がっくり出した文明は極限に達した。もしもこの世界が生き残ろうと
望むならば、あらたな文明が生まれ出なければならない。ホモーサピエンスの生み出したものは
すべて、科学も技術も宗教も、芸術さえも限界に達した。倫理も道徳も崩壊した。古い人類は必
死に古い文明にしがみついているけれども、これらはすべて過去の世界のものになった。
限界に達した生物がさいごにえらぶ道は「集団自殺」である。いま、その集団自殺が地上に展
開している。環境汚染と公害と戦乱-すべてホモーサピエンス自身がっくり出したものであ
る。結局、ホモーサピエンスは集団闘争による集団自殺によって絶滅ナるであろう。
見よ。宗教ですら闘争の仲間に加わった。最も進歩的だと称するこの国の宗教団体は最も闘争
的である。
すべての生物がたどる最後の道を、ホモーサピエンスはついにたどりはじめたということであろう。
陶汰がはじまっているのである。滅びるべきものは滅び去るがよい。それでヒト・属は絶えは
しない。あたらしい種の胎動がここにある。あたらしい文明と古い文明、ホモーサピエンスとホ
モーエクセレンスはしばらくのあいだ共存するであろう。それは三世代から七世代つづく。ネアンデルタールとクロマニョンの共存は、一〇〇世代から一五〇世代つづいた。ネアッデルタール
が消滅するのにそれだけかかった。われわれの共存は、促進されてごくわずかの時間で完了す
りま威びるだろう。五〇年から一五〇年―、これだけの時間のうちに、滅びるべきものは滅び
らしい芸術をつくり出す。それは、ホモーサピエンスとは比較にならぬ高度の知性と悟性が生み
そのあとに、ホモーエクセレンスはあたらしい科学、あたらしい技術、あたらしい宗教、あた
出したあたらしい次元のものである。
ところでお聞きするのだが、あなたは、ネアンデルタールか、クロマニョンか?

ホモーエクセレンスのカリキュラム

ホモーエクセレンスのカリキュラムとはなにか?
いまからI〇〇万年まえに出現したピテカントロプスーエレクトスの大脳のなかには、こんに
ちのホモーサピエンスの知恵が秘められていた。しかし、それがホモーサピエッスになるまで
に、一〇〇万年の時が必要だった。自然の進化にまかせたからだ。
いま、進化したホモーサピエンスが、ホモーエクセレンスの能力を獲得するのに、それはどな
かい時間は必要でない。
ここに、その能力を開発する特殊な技術かおる。
この技術につて教竹すれば、ヒトはだれでも一変する。ピテカントロプスーエレクトスが、
ホモーサピエンスに変身し、地を這うサナギがコ伐で空飛ぶ蝶になる。
″近い未来に実現する全く変形した新しい世界を叙述するために、科学者たちは、新しいコトバ
を手さぐりで求め″ながら(アルバート・ローゼンフェルトThe second genesis邦訳第二創世紀)、ジ
ュリアンーハクスリ卿は、新しい高い能力を待った未来人を「超人問」と呼んでその出現を待
ち、ケニスーボールディング博士は来るべき新しい文明こそ「脱文明」と呼ばれなければならぬ
ような飛躍をなしとげることになると考え、バーロー・シャプリ博士はそれを精神動物王国と呼
び、科学者であり哲学者であったテイヤールードーシャルダン神父は″オメガ点″を設定して
超・ヒトの到来を信じ、創造理論の権威市川亀久弥教授はごく近い未来に実現する超人類社会
(ciety of super state homo SaPience)を予見し、人類学者のジョルジューオリヴィエ教授は、
高い知能を持つホモーエクセレンスは間もなく来ると説き、彼らすべてかがやく未来を期待しつ
つ、しかし、そのいずれも、それを実現すべき方法を持たない。
だが、ここに、それを実現する技術がある。
超人間を、脱文明を、精神動物王国を、超・ヒトを、超人類社会を、ホモーエクセレンスを、
んとうに生み出し、ほんとうに実現させる技術と体系がここにある。
″クンダリニー密教”と名づける秘密技術がそれである。
これこそ、五〇〇〇年のむかし、超・ヒトによって開発編成されたホモーエクセレッスのカリ
キュラムであった。
さきに、拙著「変身の原理」で、私は密教の持つ「秘密神通の力」について語った。
冴えない彼女の育てかた
科学であり、システムであることを解明した。未来社会が要求するあたらしい精神科学であることを実証した。
それではII、密教があたえる超能力とはいったいいかかる能力であるのか?
密教はたんなる宗教や信仰ではなく、人間に超能力をあたえるサイェッスであり、
そしてまた、密教はいかなる方法と原理によってそれをなそうとするのか?
それにまた、なによりもまず第一に、いったいヒトはなにがゆえに超能力を開発せねばならぬ
のか?
それに答えようとするのが本書である。
私は、ここに、密教五〇〇〇年の秘密の智恵と技術を能うかぎり公開した。それは、ヒトが、
いまはじめて目にし、耳にする智恵と技術である。ヒトは、おそらく、おどろき、おそれ、惑う
であろう。
しかし、私は信ずる。人類の未来はここからはじまる。これなくしてヒトの未来は無い、と

-Anyone can be a genius
Can you believe it?
All humans use only a few percent of their intelligence, and the remaining 90
-A set is as if you have forgotten because you’ve been messed up in the closet of it.
Nobody wants to use it without being boiled.
Of course, you are one of them.
So, this is what George Gallup at Gallup Institute of Polls looks like:
“This is a classic theory of brain physiologists, but human beings are from two percent to eighty-five cents of intelligence.
I only use it. Ninety percent of the rest are boiled and everyone takes it out
There is no one who thinks to use it. Isn’t it really ironic? No, that’s a bug
It should be nonsense. ”
And this prominent information researcher is Fuganaru.
“To develop the potential of the latest computers, the most skilled experts in this country, day and night,
On the other hand, it is a great machine to squeeze out any huge electronic computer.
I don’t know anything about the human brain’s potential, and I don’t even want to study it.
If we awaken and use these sleeping neurons, these potential attributes are
Will be expressed. ”
So, what are we? Do you have a sleeping neuron?
“The famous cerebral physiologist Dr. Ralph W. Gerrard said:
“… The unit of the cranial nervous system is the individual minute cells called neurons. There are 10 billion in the human brain.
There are more neurons, and each relatively large one has an average of more than 10,000 with other neurons.
It has a synapse connection. Network patterns that can be created
The number of paths that can carry impulses is much larger than the total number of particles that make up the matter in the universe.
There is 1 ”
The exact number of neurons is about 140 billion.
However, what we are actually using is slightly from the nipper set to the Goiha I set.
It is not too much. If we wake this sleeping brain cell and make full use of it
I can do it? How wonderful work can be done /
However, in reality, we use only a few thirds of that.
I am very sorry for myself.
It is just a gold mine with huge reserves or an inexhaustible diamond ore.
It is a mustache that cannot be excavated.
Do you feel that way too?
We now have to renew the superstition about the brain.
It’s wrong to be smart or bad.
The problem is how many neurons a person uses or does not use
is there.
H is a genius because it moves the neurons more than I, two percent.
That’s it. The intelligence of T is low because the neuron is sleeping more than I, two percent.
It’s just that.
If you are a genius, stop speaking. Takashi is only I, a few percent new
-It’s just that it’s working for Ron. Isn’t that just that?
If you are clever and swearing that your intelligence is low, don’t be pessimistic. Slightly more than people
It ’s just two percent, less movement of neurons. It ’s just that.
Absent. Inspire and move your neuron as much as you can.
What?・
Is that impossible?
♪ Say a fool, here’s how to do it.
This is the technology of intelligence development, neuron awakening, and cerebral cortex remodeling.
If you train with this system, your sleeping neurons will wake up quickly and your intelligence will triple.
The
It is a super technology that turns humans into completely different creatures.
That super technology is here.
③-Super technology to remodel humans
Moshi II.
How will the world be when human intelligence doubles and human intellectual level doubles or triples the current level?
Will it change? Perhaps the human race has solved all the problems that are currently being solved.
Will be.
No, I, a society with a completely new structure will emerge?
Let’s take a look at the problems that humankind is making.
I kill each other, scramble, hate each other, hurt each other I are spreading rapidly on the earth
Hazardous substance-. Where are they causing? This is what I understand.
That is because people are stupid.
Anthropologist Rinne classifies humans and gives them the scientific name “wisdom human”.
18
. Otsu ~~~~~ 轟 ‘
Ikusu scholar Charlie Rissier named the foolish human, homothrus. Nobel Prize winner
One of the authors, Rishie, was the first man in the book, “Human-This Stupid”.
I want to call it a super foolish man because it is a messy animal that I really gave up.
However, he wrote that the highest adjectives would be confused and confused as much as fools.
Certainly, humans have these two aspects. The wise wisdom side, the foolish and weak side, and the two sides
The contradicting creatures that come together are exactly humans, but now we are
Looking around me, Homo Sapiens is completely shadowed, and Homo Tsuru Chissimus is
It is rampant like a youkai.
Murder, scramble, hate, hurt each other,
It will gradually escalate. Science and technology have expanded human power infinitely, but at the same time,
The slaughter, exploitation, hatred, and struggle of Toto increased indefinitely. As it is, there is no problem, homo sapien
Su is extinct.
What is most necessary for humanity now?
It is a high level of intelligence.
¡The tremendous folly that develops on this ground is caused by the low level of human intelligence.
Now, what humanity needs is neither science nor technology. Ideology if not a revolution
not. It is neither a racial struggle nor a class struggle. Such a thing is useless.
No matter how many times you have revolutionized or hundreds of times you have struggled, human intelligence is at the current level.
As long as it is a repetition of a wasteful ritual.
Let’s look at the history. No matter how much progress is made on what we call machinery and technology, science and civilization,
Human behavior patterns have not changed at all. Always hate each other, kill each other, scramble, this
Isn’t the pattern repeated? Where can I see changes?
Wakamono. Stop wasting energy. If you think of a revolution, advance to the intellectual revolution of all mankind
Let ’s go.
Since the days of Neanderthal, human intelligence has never advanced. First of all, human intelligence
I have to raise it.
«Extend the homostruth sims. Unless we do so, we no longer have a future. It is
In the countdown stage.
At this time, there is a technology that transforms humans and transforms social mechanisms. This technology is Furukisha
The new civilization that is born from the dismantling of the society system will be one dimension higher. this
Only through technology will the world be restored, and only this revolution will save all mankind from destruction.
Wakamono.
Why are you guys not looking at this?
Why are you guys passionate about this unprecedented magnificent and dramatic revolution on earth?
Don’t let it go.
20
④-If there is a future society
Education?・
It is powerless.
It is not something that enhances intelligence, it is just something that expands knowledge.
Education is just raising the knowledge of what the person originally has and improving the intelligence itself.
Don’t panic. The technology to improve intelligence is not the ability to teach and remember things, but the ability to remember
It must be a system that enhances the power itself. A fool is a fool no matter how much you educate. fool
Education is completely powerless. In order to make a fool smart, there must be a special technique.
Religion?
It is a buoy that tries to dissuade the fools of the intelligent heroes with some conscience.
It’s just a rake, and there is no power or technology to improve intelligence. You can become a Buddha, sing the subject,
Even if you call on the name of God, you won’t be able to get peace of mind, nourishment, and belief.
Even if it is done, intelligence itself does not increase.
In the future society with the intelligence that has evolved and developed to the highest degree, there will be no special field of religion. Advanced intelligence is accompanied by highly developed ethical and moral consciousness.
Religious consciousness, such as “teaching”, which is totally vulgar, low-dimensional childish
Will become common sense, and you won’t have to worry about anything more
right. The human becomes addicted to Kami and Hotoke.
You should be aware that such a future society is just around the corner.
You have to know that a social system with a completely different structure is about to appear
Not.
Do you doubt it?
Let’s go.
Moshi I.
As long as such advanced intelligence does not appear, the world will end soon. Jomo Sapies
As long as it is the current level of intelligence, humans no longer have a future. Homo Sapies civilization is already limited
Reached.
So II.
If there is a future society, it must be an advanced and completely new society.
It is.
twenty two
⑤-Super-human F-brain rate coefficient
In the future society that will come soon, humanity will be divided into two species.
It is not two ethnic groups or two classes. There are two species.
So, the two species coexist for a while, but soon one of them
Let’s erase Na from this world rapidly.
That being said, it wasn’t just the future society that humanity showed two conflicts.
That may be the case, some people may give some examples.
Surely, it is colored and white, free and communist, rich and poor, dominated.
You can compare some with those who are supposed to be.
However, it is different.
[This kind of classification is going to appear in our world in the very near future.
ing. Such a movement is currently taking place in Na.
It is two human genera.
New humanity and sieving humanity.
One is an ordinary modern person, Homo sapiens Homo sapiens. This is sieving mankind.
The other is a future person with special abilities, Homo Excellence Homo eχcellens. In other words, it is a new human race.
Homo sapiens is nothing but our own, but homo excellence is
What kind of person is it?
“Homo excellence” refers to “excellent performance” that has acquired special abilities that homo sapiens do not have.
It means ” Some people, to this future person, with homo-intelligence
The name is given.
So, what special ability does this excellent future person, Homo Excellence, have?
Here are some of his features.
“The seed of the future

霊性とはなにか 

1. 「釈尊の深遠なる叡智:霊性と過去生の謎」
2. 「第三の目で見る人間の移り変わり:ショウジョウバエと釈尊の比喩」
3. 「無明からの覚醒:釈尊の成仏法と人間の真の進歩」

 

 

1. 釈尊は瞑想によって、前世や未来の生命形態を透視し、成仏法を修行することでその真実を理解することができると説いている。
2. 人の生命は一つの生涯だけで終わるのではなく、前生や後有(未来の人生)までを含む輪廻として続くと述べている。
3. 釈尊が得た三つの智慧:前生の光景を知る第一の智慧、衆生の宿業を見る第二の智慧、四諦を知り解放される第三の智慧。
4. 人が霊的に進歩し発展するためには、「来所を知り、往所を知る」霊性の智慧が必要である。
5. 「無明」には完全な無知と真っ暗闇の状態を指し、釈尊の「第三の目」はこの無明を超えて真実を見通す力を象徴している。
6. 釈尊の十生や二十生を見通す力を持つことに対し、著者はショウジョウバエの短い世代交代を例に挙げ、釈尊の叡智が原因と結果を短時間で知ることに似ていると指摘している。

 

 

 

霊性とはなにか

 

 わたくしは、人間は霊的存在だと考えている。

 なぜならば、人間が、特殊な生命形態を持っているからである。

 特殊な生命形態とはどういうものか?

 釈尊の「成仏法」を修行すると、それがよくわかるようになるのであるが、ここは、瞑想によって悟りを完成し、仏陀になられた大霊覚者ゴータマーブッダ、釈尊の語るところによって、それを知っていただこう。

 中阿含経という釈尊直説の経典で、釈尊はこう語るのである。

中阿含経「黄蘆園経」

 しょうじょう   ぇ   ぼん   にゅうなん    よ じゅう

……我已に是の如き定心を得、清浄にして機無く煩無く柔軟にして善く住

し不動心を得、憶宿命智通を覚りて作証しぬ。我行有り相貌有り、本

無量の昔経歴せる所を憶うに、謂く一生・二生・百生・千生・成劫・敗

劫・無量の成敗劫なり。彼の衆生某と名づけ、彼昔更に歴ぬ。我曾て彼に生じ、是の如き姓、是の如き字にして、是の如く生じ是の如く飲食し、是の如く苦楽を受け、是の如く長寿し是の如く久しく住し是の如く寿詑り、此に死して彼に生じ、彼に死して此に生じ、我生じて此に在り、是の如き姓、是の如き字にして是の如く生じ是の如く飲食し、是の如く苦楽を受け、是の如く長寿し是の如く久しく住し是の如く寿詑りぬと。これを我その時初夜にこの第一明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠離に楽住し、修行し精勤し、謂く無智滅して而も智生じ、闇壊れて而も明成り、無明滅して而も明生じ、謂く憶宿命智を作証し明達しぬ。また次に梵志、我已に是の如き定心を得、清浄にして機無く煩無く、柔軟にして善く住し不動心を得、生死智通を学び作証し、我清浄の天眼の人〔眼〕を出過せるを以て、この衆生の死時生時、好色悪色、妙と不妙と、善処及び不善処に往来するを見、この衆生の所作業に随いてその如真を見、若しこの衆生身悪〔行〕、口・意悪行を成就し聖人を誹誇し、邪見にして邪見業を成就すれば、彼これに因縁して身壊れ、命終りて必ず悪処に至り地獄の中に生ぜん。若しこの衆生身妙行、口・意妙行を成就し、聖人を誹膀せず、正見にして正見業を成就すれば、彼これに因縁して身壊れ、命終りて必ず善処に昇り天中に上生せんと〔見亘。これを我その時中夜にこの第二明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠

離に楽住し修行精勤し、謂く無智滅して而も智生じ、闇壊れて而も明成り、無明滅して而も明生じ、謂く生死智を作証し明達しぬ。また次に梵志、我已に是の如き定心を得、清浄にして機無く煩無く、柔軟にして善く住し不動心を得、漏尽智通を学び作証し、我この苦の如真を知り、この苦の習を知り、この苦の滅を知り、この苦滅遣の如真を知り、この漏の如真を知り、この漏の習を知り、この漏の滅を知り、この漏滅遣の如真を知り、我是の如く知り、是の如く見、欲漏心解脱し、有漏・無明漏心解脱し、解脱し已りてすなわち解説を知り、生已に尽き梵行已に立ち所作已に弁じ、更に有を受けずと如真を知る。これを我その時後夜にこの第三明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠離に楽住し修行精勤し、謂く無智滅して而も智生じ、闇壊れて而も明成り、無明滅して而も明生じ、謂く漏尽智を作証し明達しぬ。……

(読下しは「国訳一切経」を参照させていただいた)

[大意]

 わたし(釈尊)は、つねに努力精進し、その想いは確立してすこしもみだれず、体は安楽で動揺せず、心は禅定に入って静かである。そのわたしがあるとき、瞑想に入ってしだいに禅定が深まってきた。第一禅定から第二、第三、第四禅定まで深まるにつれて、心に想い浮かぶなにものもなくなり、喜びや楽しみだけとなり、そして遂にはそれもなくなって、ただ清浄な想いだけとなった。

 そのとき、わたしの心は、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動であった。そしてわたしの心の眼はおのずから前世の光景に向けられていった。それは一生だけではなく、二生、三生、十生、二十生、そして無限の生涯の、生きかわり死にかおりした光景が展開してきた。これが第一の智慧である。

それからわたしの心は、あらゆる衆生の相に向けられてきた。わたしぱ超人的な眼力でその相を見た。そこには貰いもの、賤しいもの、美しいもの、醜いもの、幸福なもの、不幸なものの、それぞれの宿業が渦巻いていた。これが第二の智慧である。

 それからわたしは、苦・集・滅・道の四諦(四つの真理)をありのままに知り、わたしの心は、あらゆる存在の相から、全く解放され、ふたたびそれに執着することはなくなった。これが第三の智慧である。

 釈尊は瞑想によって、自分の前生の、二生、三生、十生、二十生、さらには無限の生涯の、生き変わり死に変わりしてきた光景を見ているのである。それは自分だけではなく、あらゆる人間の前生と、さらに後有(このっぎの人生)を見ているのである。

 釈尊はここで、決しておとぎ話や、たとえ話、寓話をのべているのではない。

釈尊の成仏法を修行すれば、その真実であることがすぐわかる。その修行により、わたくし自身、人の三、四世代前、そしてつぎの世代における存在までは透視できるようになっているのである。

 人間の生命は、多くの人たちが考えているように、決してひとつの生涯だけで終わるものではないのである。ある生涯が終わったら、またひきつづき、つぎの生命形態に移っていくのである。

 多くの人たちはその認識がなく、ひとつの生涯のみで、人の生命は終わるものと思っている。ここに、決定的な、そして致命的な生命観の欠陥があるのである。

霊性とはじつにそれを知る趨性なのだ。

 人の依って来たるところを知り、去るところ、往くところを知る能力である。

いわゆる来所を知り、往所を知る智慧である。これを得れば、人はおのずから、なにをなすべきか、なにをなさざるべきかがわかってくる、そこから人間の真の進歩、発展がスタートするのである。それがないから、人間は、霊的に少しも進歩せず、発展せず、いつまでも低いところを輪廻して、無限にさまよい歩いてい

るのである。いや、それだけではない。その果てに、人間は、自分の住む人切な世界を、自らの手で壊滅させてしまうことになるのである。

 この無知を、釈尊は、「無明」(自民罵)と名づけたのである。

 

ショウジョウバエの論理

 この「無明」という言葉には、二つの意味がある。

 まったくの無知と、完全な闇である。

 「明」には明知(智慧)と、光明、の二つの意味がある。

 真実を悟る智慧を持たず、真っ暗闇の中を、手さぐりで歩いている状態である。まことに人間はそのとおりではないか。来たるところを知らず、往くところを知らず、ただ現在(現生)あるのみである。その現在を、ひたすら目先の利益追求に狂奔する。その結果、いかなるところに往くのか、いかなる世界に、いかなる生命形態として存在することになるのか、まったくお先真っ暗である。

 「第三の目」は、このお先真っ暗な闇の世界を見通すのである。「第三の目」に闇はない。真昼のごとく明らかに見ることができるのである。

 奇妙なことに思われるかもしれないが、わたくしは、釈尊の十生、二十生を見通す力を思うごとに、ショウジョウバエを想い起こすのである。

 ショウジョウバエは、その世代が極端に短い。ふつう、一世代がわずかに約一ヵ月である。だから、何十世代もの変遷を短時間で見ることができる。

 そこで、生物学者や、遺伝学者は、ショウジョウバエを使って、その変化を実

験する。ひとつの遺伝子の変化が、何十世代のうちに、どういう結果を生ずる

か、目のあたりに知ることができるのである。

 釈尊の叡智もそれである。

 彼のように、何十世代もの人間の移り変わりを如実に見ることのできる力をそなえていれば、ひとつの原因が、どのような経過を経て、どのような結果をもたらしたか、つぶさに知ることができる。彼がじっさいに語っているように、その人間がなんという名前で、いつ、どこに生まれて、どういう人生を送ったか、またその人生を終わって、つぎにまたどういう人生を迎えたか、ある生涯のどんな

 

 

 

脳内の明星が開く扉!求聞持法で感じる奇跡の瞬観   The door that opens to the star in your brain! The miraculous instantaneous experience you can experience with the Gomonji method

「明星の秘密解明!求聞持法で身につける驚きの力」

 

1. 弘法大師空海の求聞持法では、結願の日、天気晴朗にして宝剣が現れ、明星が口に入り悉地成就の相を現すと伝えられている。
2. 求聞持聡明法の口伝は秘伝であり、修行者はこれを目標に努力するが、失望することが自然であると述べられている。
3. 明星は実際の天体ではなく、修行者の脳内に現れる閃光であり、それが明星の秘密であると説明されている。
4. 修行者が特殊なトレーニングを通じて大脳の視床下部を刺激すると、眼前に光が浮かび上がり、それが明星となる。
5. 明星の見え方は個人の努力や工夫に依存し、成功する修行者だけがその秘密を理解できると述べられている。
6. 求聞持法の口伝は間違っていなかったが、その秘密は修行者の努力によって解明されるべきであり、導師は直接には教えないことが強調されている。
7. 文中では作者が自らの修行体験を通じて、求聞持聡明法の秘密を理解し、それを技術として編成したことが述べられている。
8. 修行者は生化学と生理学に基づいた正しい指導のもとで訓練を積むことで、必ず効果を得られる技術としている。
9. 最後に、このような技術は本来秘伝として伝えられるべきだが、作者はこれを広く伝えるべきだと示唆している。

 

 

 

 

 

されるのである。弘法大師空海の場合は、結願の日、天気晴朗にして、 宝剣、

いずれからともなく忽然と座の前に落ち、明星飛んで口に入って悉地成就の相を現じたと伝えられる。

以上が、求聞持聡明法成就に関する口伝であり、秘伝なのである。したが って、修行者はこれを目標に必死に修行を重ねる。 そして失望する。当 然なのだ。なぜならば、この秘伝が間違っているのだ。 ケ こういう伝や秘伝を頼りにいくら修行しても、気の毒だが求聞持法は成 就しない。まるっきり違うのだ。どう違うのか?

明星とは、現実の明星ではないのである。 はるか彼方の空間にきらめく明 星ではないのだ。それは、なんと! 修行者自身の脳の内部にまたたく閃光 なのだ。 受

私の体験を語ろう。

夜明け

「ああっ!」

私は三度目の必死の修行に入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニン

グのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、 それに、古代ヨ ガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘伝から私が創案した特殊な印契 とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、 微妙な変化を起こしつつあることが感じられていた。 チャクラの開発も順調 にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。 しびれの 感覚であった。かるい失神、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その 刹那、

私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流が流れる感覚が走った。

落雷かと感じ、瞼の裏を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明! という考えがチラリと脳裡をよぎった。 と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリと明かりがともったのだ。そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、 しずか にしずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる一〇〇日前、 山にこもって凝っと見つめたあのときの明星 暁けの明星のように、それ はつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

明星とは現実の明星ではなかったのである。

大脳の或る部分を或る方法で刺激すると、目の前に光が見えるようになる のである。その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を 記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色にな って、しずかに眼の奥でまたたく。 それはちょうど明星そっくりに見えるの である。

これが明星なのだ!

或る特殊なトレーニングにより、この部位 大脳の視床下部のあたり)への 刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目を或る角度に向けると、目 開いていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

この光が見えるようになると、大脳の記憶の座が自由にあやつれるように なるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力が出てくる。す なわち、求聞持聡明法の成就である。

これが、求聞持法、明星の秘密である。 大空を一〇〇年ながめて空中の明 星を見つめていてもムダだ。 明星はわが大脳の奥にあるのだから。

このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてつかんだ秘密である。 私以外にこれを知る者はついになかった。 求聞持法の秘密を私はついにつか んだ。私はそれを誇りに思う。

私は先に、求聞持聡明法の口伝は間違っていると言った。しかし、この口

伝は決して間違っていたのではなかったのである。修行が成就すればたしか

同じことである。

に明星は眼前に現われるのである。ただし、それが頭の深奥に現われるのだ ということは、修行者自身が心血を注ぐ努力、工夫をしてつかまねばならぬ 秘密なのである。その秘密が解けない修行者は、失格なのだ。つまり、天才 にはなれないのだ。

密教の秘伝とか、口伝というものは、つねにこのような表現で真実を現わ (あるいは隠しているのである。その隠されたナゾ解きが、密教の「修 行」というものなのである。 法を成就した導師は、決してそれを素直に表現 して教えようとはしない。 それは決して意地悪や不親切なのではないのであ る。ストレートに密教の秘密の技術を出してしまったのでは、その秘密技術 を弟子は身につけることができないのである。それを身につける力が生じな いからである。

禅宗には、「公案」がある。一つの公案のナゾ解き (悟り)に何年も、時 には何十年も心血を注ぐ。 ナゾを解くことはもちろん大切でありそれが目的 だが、ナゾを解く過程の努力が、その修行者に力をつけるのである。それとそれにしても、明星が眼前を「遊現する」とはなんという巧みな比喩であ ろうか。空海の場合には、「明星が飛んで口の中に入った」という。法が成 就して、その秘密を身を以て体験した者には、「なあんだ」といおうか、「な るほど」といおうか、拍子抜けするような感じであるが、真剣になって、虚 空はるかにまたたく金星をなんとか目の前に遊曵させようと必死になり、時 には口の中に飛びこませようと大きな口をあけて待った無数の修行者を考え ると、おかしくもあり、気の毒でもあるという思いである。私はこれをもと にして、私の「求聞持聡明法」を編成した。これは、今までの「法」などと いうアイマイなものではない。生化学と生理学をもとにした「技術」であり、 システムである。正しい指導のもとに訓練を積めば、必ず、だれでも効果を 得られる技術である。

本来ならば、こういうことは、私の「大極秘伝」として、ごく限られた者 だけに、ひそかに伝えてゆくべきものなのだろう。

 

It will be done. In the case of Kobo Daishi Kukai, on the day of his wish, the weather was clear, the treasured sword,

It is said that out of nowhere, it suddenly fell in front of the throne, flew into the morning star, and entered its mouth, manifesting the aspect of complete fulfillment.

The above is an oral tradition and a secret regarding the fulfillment of the Law of Gumonji and Sage. Therefore, practitioners train desperately to achieve this goal. And disappointed. Of course. Because this secret is wrong. I feel sorry for him, but no matter how much he practices by relying on these traditions and secrets, he will never be able to achieve the practice of gimonjiho. It’s completely different. What’s the difference?

The morning star is not an actual morning star. It is not a bright star twinkling in a faraway space. It’s amazing! It’s a flash of light that flashes inside the brain of the practitioner himself. Receiving

Let me tell you about my experience.

dawn

“Ah!”

I was on my third desperate training.

It was almost the 100th day, the 100th training in my legal system.

It was at the time of I trained using the nine types of inmei of Gyomonjiho passed down in the Shingon sect, special breathing techniques passed down in ancient yoga, and special inji and poses that I created from the secrets of ancient yoga. It was felt that subtle changes were occurring in his body, cerebral cortex and brain spinal cord. Chakra development was also progressing smoothly. My six senses knew that the time was ripe.

It felt like I was dozing off. But it wasn’t sleepy. It was a feeling of numbness. It was similar to faint fainting and dizziness. It was a moment of forgetfulness. That moment,

I was screaming in pain. I felt a current flowing through a corner of my brain.

It felt like lightning, and purple electricity ran behind my eyelids. The next moment, my field of vision went black, as if a flash had been fired right in front of my eyes. A thought flashed through my mind: I’m going blind! That was then. A light suddenly lit up deep inside my head. Then, it began to beat again and again, in the same rhythm as my heartbeat. It twinkled with a cold, yellowish whiteness, just like the dawn star that I had gazed upon while holed up in the mountains 100 days before I began this practice.

I patted my knee as hard as I could.

“I see! This was the morning star!”

I looked up and screamed. I finally discovered the secret of the star!

The morning star was not a real morning star.

If you stimulate a certain part of your brain in a certain way, you will be able to see light in front of your eyes. The light appears to be of various shapes, colors, and sizes, but when you turn your attention to the seat of memory and calm down, it turns into a cold, slightly yellowish silver color, and quietly shines again in the back of your eyes. Taku. It looks exactly like a morning star.

This is the star!

Through some special training, stimulation of this part of the brain (around the hypothalamus) causes light to appear in the eyes. If you turn your eyes at a certain angle, whether your eyes are open or closed, you will see a flash of light floating in your eyes.

When he becomes able to see this light, he not only becomes able to freely manipulate the memory seat of his cerebrum, but also a variety of powers that can only be considered miraculous emerge. In other words, it is the fulfillment of the law of wisdom.

This is the secret of Gumonjiho and Myojo. There is no point in staring at the sky for 100 years, staring at the morning star in the sky. Because the morning star is deep within my cerebrum.

This is the first secret I have discovered in the 5,000 year history of Esoteric Buddhism. In the end, no one else knew this except me. I finally grasped the secret of Gumonjiho. I’m proud of it.

I said earlier that the oral tradition of Gumon Jisomeiho is wrong. But this mouth

The legend was never wrong. It is true if the training is successful

It’s the same thing.

The morning star will appear before your eyes. However, the fact that he appears in the depths of one’s mind is a secret that the practitioner must put his whole heart and soul into and use his ingenuity to grasp. A practitioner who cannot solve the secret is disqualified. In other words, he can’t be a genius.

The secrets and oral traditions of Esoteric Buddhism always reveal (or hide) the truth using expressions like this. Unraveling the hidden mysteries is what is called “training” in Esoteric Buddhism. Fulfilling the Dharma. A master who has done this will never try to express it honestly and teach it. This is not because he is mean or unkind.If he just gives out the secret techniques of esoteric Buddhism straight away, he will never try to teach them by expressing them honestly. Disciples cannot acquire it because they do not have the strength to acquire it.

In Zen Buddhism, there are “koans.” People spend years, even decades, pouring their heart and soul into solving the mystery (enlightenment) of a single koan. Solving the riddles is of course important and the goal, but the effort in the process of solving the riddles gives the practitioner strength. By the way, what a clever metaphor it is to say that the morning star “appears” before our eyes. In Kukai’s case, “Myojo flew into his mouth.” For those who have experienced the Dharma’s fulfillment and its secrets firsthand, they may say, “Wow!” or “I see!”, but when they become serious, they realize that the sky is far away. When I think of the countless practitioners who desperately tried to get the twinkling Venus to float in front of them, sometimes with their mouths wide open in hopes of letting it fly into their mouths, it was both strange and pitiful. I also believe that there is. Based on this, I organized my “Gumonjisōmeiho.” This is not what he calls the “law” of the past. It is a “technology” and a system based on biochemistry and physiology. It is a technique that anyone can benefit from if trained with the right guidance.

Normally, this should be my “big secret” and should be passed on to only a very limited number of people.

霊的な冒険:師との出会いと衝撃のミラクルの池


 

 

– 小高い丘の上で師の説明を聞いていた。
– 突然、強いバイブレーションの衝撃を感じ、目の中に白い閃光が走る。
– 師が「待ってください」と制止し、その方向を指し示す。
– 師によると、それは「ミラクルの池」で、仏陀が奇蹟を起こした場所。
– 師が仏陀の奇跡を説明し、自分がそのバイブレーションを感じたことを伝える。
– 自分の修行や学問は一瞬で無意味に感じられ、この霊的なバイブレーションが究極だと悟る。
– 師はその地で聖者であることを自覚し、この輝きをひとびとに広める使命を誓う。
– 最後に、文章は昭和55年11月8日に書かれたことが記されている。

 

 

 

小高い丘の上に立って、わたくしは師の説明を聞いていた。

 

 

そのとき、突然、それがやってきたのだった。

師の大きな声が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、 がぁんと、頭か らにかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。

目の中を白い閃光が飛んだ。剣道で力いっぱい面を打たれたとき、目の中を走るあの 光に似ていた。わたくしは思わずくらくらとして、額に手をあてた。一種のバイブレーシ ョンであることはわかった。わたくしも密教の修行者として各地の霊場をあるき、何度か 霊的なバイブレーションをうけている。しかし、こんなすさまじい叩きつけるようなバイ ブレーションははじめてであった。しかもまったく無防禦だったので、完全に不意をつか れたという感じだった。どこでも霊場へ入るときには、それなりの心がまえをして入る。

だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめられるのだが、ここでは全く無防禦だ

「待ってください」

ったので、その衝撃はことにつよかったのだ。数秒つづいたように感じたが、それはほんの一瞬のようであった。師の大きな声がふたたび耳によみがえってた。

わたくしは手をあげて師を制した。

「ちょっと待って。わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じたのです。 それ はものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からきました。あれはなんですか? あの地は

わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。五十メートルほど前方に、 雑草の生いしげった凹地があった。そこから、それがきたと思われた。

「ああ、あれですか」

と師はうなずいた。

「あれは、ミラクルの池です。」

「ミラクルの池?」

 

「そう、ミラクルの池。仏陀が奇蹟をおあらわしになった。 そこであそこを、ミラクルの池とよぶのです」

 

 

「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」

それは、仏陀が空中浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半身を水に変えた

「ほう、それはどういうことですか?」

それはですね、と師の説明によると、こうであった。

 

 

それは突然ななめ前方からやってきた。

一瞬、目がくらむほどの衝撃だった。

そんなことなどぜんぜん予期しておらずまったく無防備だった自分は、あっというま その衝撃に叩きのめされてしまったのだ。

修行、学問、そんなものはなんの役にも立たぬものであることを思い知らされた。 こころひそかに誇っていたこれまでの自分の修行も教学も、あっというまに消しとん でしまった。叩きのめされてしまった。

これなんだ、これでなくてはならないのだ。これしかないのだ。目もくらむようなあ

この白銀の輝きにみちたバイブレーション!

一〇〇年の修行も万巻の教学も、ただ一瞬のこの霊的バイブレーションに如かぬこと を思い知らされた。

これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそわたくしはこ こにやってきたのだ。

おお、サイト・マト、聖なる地、

あなたはここに待っていてくださった。

わたくしがいまあなたから受けたものを、これからわたくしはひとびとにあたえねば ならぬ。

いま、わたくしは聖者であることをつよく自覚する。

すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることのできる聖地を、わた くしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたサイト・マトの地を、そ

そうですか。

のまま、日本の国にうつさねばならぬ。 それがわたくしの使命だったのですね。それ をかならずはたすことをわたくしはあなたに誓います。

もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね。だが、そのときなにが 起きるのでしょうか? そのとき起きる或ることを、わたくしは非常なおそれの感情 とともに予感します。

ああ、あの一瞬の霊的バイブレーション!

一〇〇年の苦行も万巻の書物も、このバイブレーションなくしては、路傍の石ころに も劣るのだった。このバイブレーションをあたえることのできる聖者こそ、真の導師 だったのだ。 理解できました。

聖師よ、ありがとう!

書き終えて、わたくしは虚脱状態になった。

昭和五十五年十一月八日

バイブレーションの奇跡:小高い丘での驚きの瞬間 Miracle of vibrations: A surprising moment on a small hill”」

やがてひき合わされたところによると、リンポーチェの先輩すじにあたる聖師で、メ チワラサンガラターナというかたであった。

「スリランカの出身で、非常な学僧です。 去年、ここへ寺院を建てたのだそうです。 わた しもここへ来るまで知りませんでした」

そう、リンポーチェがいった。

「仏陀が十八年間説法されたこの精舎のそばで、生涯を終えるのが、わたくしのかねてか らの念願でした」

サンガラターナ師は、あたりに響きわたるような大きな声で語った。ややなまりのある 英語であった。 がっしりとした頑丈そうな体格で、声が大きいのは健康なのだろう。八十 一歳という年齢を聞いてびっくりした。 どうみても六十歳代としかみえないのである。 師が先に立って、精舎を案内してくださった。われわれが師をガイドに得たことはじつ にしあわせであった。観光会社がつけてくれたガイドも、この地のことにはあまり知識が なく、リンポーチェにしても、数年前に一度しか来たことがなかったのである。 他の仏跡 地のように、 サヘト・マヘトには案内人がいないのである。もし、サンガラターナ師がおられなかったら、われわれは、祇園精舎をただあるきまわるだけで、ひとつひとつの遺跡 について、くわしいことはなにひとつ知ることはできなかったであろう。師は、わが家の 庭のごとく、愛情をこめて、あれこれと指さしながら説明して行く。

小高い丘の上に立って、わたくしは師の説明を聞いていた。

 

 

そのとき、突然、それがやってきたのだった。

師の大きな声が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、 がぁんと、頭か らにかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。

目の中を白い閃光が飛んだ。剣道で力いっぱい面を打たれたとき、目の中を走るあの 光に似ていた。わたくしは思わずくらくらとして、額に手をあてた。一種のバイブレーシ ョンであることはわかった。わたくしも密教の修行者として各地の霊場をあるき、何度か 霊的なバイブレーションをうけている。しかし、こんなすさまじい叩きつけるようなバイ ブレーションははじめてであった。しかもまったく無防禦だったので、完全に不意をつか れたという感じだった。どこでも霊場へ入るときには、それなりの心がまえをして入る。

だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめられるのだが、ここでは全く無防禦だ

「待ってください」

ったので、その衝撃はことにつよかったのだ。数秒つづいたように感じたが、それはほんの一瞬のようであった。師の大きな声がふたたび耳によみがえってた。

わたくしは手をあげて師を制した。

「ちょっと待って。わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じたのです。 それ はものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からきました。あれはなんですか? あの地は

わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。五十メートルほど前方に、 雑草の生いしげった凹地があった。そこから、それがきたと思われた。

「ああ、あれですか」

と師はうなずいた。

「あれは、ミラクルの池です。」

「ミラクルの池?」

 

「そう、ミラクルの池。仏陀が奇蹟をおあらわしになった。 そこであそこを、ミラクルの池とよぶのです」

 

 

「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」

それは、仏陀が空中浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半身を水に変えた

「ほう、それはどういうことですか?」

それはですね、と師の説明によると、こうであった。

スラバスティの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じてここに土地を 求め、大精舎を建立した。 仏陀の名声は四方につたわり、教えを乞うもの踵を接した。 この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それらの寺院の指導 者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷、批難した。 中でもとくに、仏陀 口のうまい師にすぎないといいふらした。 さきで理論を説くだけで、なに一つ神通 力を持っていない、要するに口舌の徒であるという批難であった。当時のインドの宗教界 では、指導者となるためには、なんらかの神通力を持つことが、必須の条件とされてい た。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この地に来てから一度もその力を示すことがなかったのである。

他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、これを攻撃した わけである。 仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っている高弟たちは、一度、ぜひ その力を示されるようおねがいしたが、仏陀は承知されなかった。 いよいよ神通力などな いと思いあがった他教団の指導者たちは、自分たちのパトロンである他の長者や勢力者た ちを通じて、スダッタに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこの地を去る という条件である。スダッタもついにことわりきれず、仏陀に試合を通した。あるい は、スダッタも仏陀の神通力を見たかったのかも知れない。仏陀もスダッタの立場を考慮 され、ついにこれを承諾された。

その日、他の教団の指導者たちが、 これみよがしにさまざまな神通力を競い合ったさい ごに、仏陀がすがたをあらわされた。

 

仏陀は三層の高楼の舞台にそのおすがたをあらわされたのである。いかなる神通力をあ らわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと仏陀は露台の手すりを無雑作に 乗り越えられ、空中に足を踏み出されたのである。一瞬、手をはなされる。 仏陀墜落!

とみるまに、仏陀はそのままゆっくりと空中を浮揚して、庭園にむらがる大衆の頭上を越 え、きよらかな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波をたてる清 池の水の上に、仏陀はしずかに立っておられるのである。 群衆が思わずわが目をうた がったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃え上がり、下半身は玉のような水と化 したのである。

目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力者をはじめ、す べてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかったー。

わたくしは、額に手をあてて師の説明を聞いていた。途中からふいに、やわらかなバイ ブレーションとともに、ひとつの概念 思考の流れがしずかにわたくしの脳髄ふかく流 れこんでくるのを感じたのである。 わたくしは、自分の思念をまったくとめて、それをす なおにうけいれていた。突如、さいごに、すさまじい戦慄が走った。全身の血がいっぺん にひいてゆくような、 名状しがたい恐怖感の衝撃だった。それが終わったとき、師の説明 も終わった。

先生、その上半身が火となって、下半身が水となる、というのは、どういうことでし

ょうか?

だれかがわたくしに質問した。

「ああ、それはね、全身のチャクラが、すさまじいパワーで、エネルギーを放射したので しょう。 空中浮揚をするために、仏陀は全身のチャクラにすさまじいエネルギーを集中し た。池の上に降り立って、そのエネルギーが放射したのでしょう。そのエネルギーの放射 が、炎のように見えたのだね。 チャクラがエネルギーを放射すると、全身が炎につつまれ たようになって見えます。 これは、ヨーガ・スートラなどにも書いてある。 そういうと きしばしば、からだが透明状になることがある。 下半身が水になったというのは、仏陀 のすがたがそのとき、透明になったので、池の水が反映して、水のように見えたのでし ょう。このミラクルは、 クンダリニー・ヨーガの最高の技術をみせられたものと、わたく しは考えます。 そういえば、わたくしは、以前、仏陀は、クンダリニー・ヨーガの熟達者 だった、と本に書いたことがあります」

そう、わたくしは説明しながら、はやく、ひとりになって、思考をまとめたいと思って いた。さきほど流れこんできたあの思念の流れあれはいったいなんであったのか?

必死に、わたくしは、それを散らすまいとしてみつめつづけていた。はやく、ひとつのも のにまとめたいと思っていた。

それができたのは、それから数時間後、ラクノウという都市に着いて、ホテルに入った ときであった。

わたくしは、あわただしく自分の室に入って、シャワーを浴びると、すぐに定にはいっ た。ミラクルの池でのあの体験を、もう一度再現しようと思ったのである。

定にはいると、すぐに手がはげしく動いた。「自動書記だな」と直感した。 これは、霊 的状態になって手が無意識に動き、文字を書くのである。 すぐに、ノートを、と思った が、あいにく、このホテルは、宿泊するのではなく、午後九時発の夜行列車に乗るまでの 三、四時間を、休息と食事のために入ったので、トランクその他、筆記用具を入れたは すべて、みんなの荷物といっしょに、下のロビーに預けてしまっていた。手もとには何も ない。しかし、とりにいっているひまはない。 時期を逸したら、もう二度とこの手の動き はもどって来ないかも知れぬのだ。

わたくしはあわただしく座を立って、机のひき出しをさがした。あった! さいわい、

ホテルのメモ用紙が数枚あった。 ボールペンもある。 むしゃぶりつくようにペンをにぎる と、それは勢いよくメモの上を走った。

最初、それは、脈絡のない単語や名詞の羅列であった。しかし、それは、ミラクルの 池のあの思念の流れと一致していた。わたくしは、食事もとらず、出発までの時間を挙げ これに傾注した。整理して、さいごに書きあげたのがつぎの文章であった。

それは突然ななめ前方からやってきた。

一瞬、目がくらむほどの衝撃だった。

そんなことなどぜんぜん予期しておらずまったく無防備だった自分は、あっというま その衝撃に叩きのめされてしまったのだ。

修行、学問、そんなものはなんの役にも立たぬものであることを思い知らされた。 こころひそかに誇っていたこれまでの自分の修行も教学も、あっというまに消しとん でしまった。叩きのめされてしまった。

これなんだ、これでなくてはならないのだ。これしかないのだ。目もくらむようなあ

この白銀の輝きにみちたバイブレーション!

一〇〇年の修行も万巻の教学も、ただ一瞬のこの霊的バイブレーションに如かぬこと を思い知らされた。

これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそわたくしはこ こにやってきたのだ。

おお、サイト・マト、聖なる地、

あなたはここに待っていてくださった。

わたくしがいまあなたから受けたものを、これからわたくしはひとびとにあたえねば ならぬ。

いま、わたくしは聖者であることをつよく自覚する。

すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることのできる聖地を、わた くしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたサイト・マトの地を、そ

そうですか。

のまま、日本の国にうつさねばならぬ。 それがわたくしの使命だったのですね。それ をかならずはたすことをわたくしはあなたに誓います。

もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね。だが、そのときなにが 起きるのでしょうか? そのとき起きる或ることを、わたくしは非常なおそれの感情 とともに予感します。

ああ、あの一瞬の霊的バイブレーション!

一〇〇年の苦行も万巻の書物も、このバイブレーションなくしては、路傍の石ころに も劣るのだった。このバイブレーションをあたえることのできる聖者こそ、真の導師 だったのだ。 理解できました。

聖師よ、ありがとう!

書き終えて、わたくしは虚脱状態になった。

昭和五十五年十一月八日

ラクノウのホテルにて しるす。

その虚脱状態は、帰国するまでつづいたといってよい。 デリーでのパーティー、アジャ タエローラ石窟寺院、と、その後の旅はつづいたが、わたくしのこころは、つね あのミラクルの池の思念の流れに向けられていた。 ホテルで一応ああいうかたちに整理 したけれども、文字に表現できないものがいくつかあった。そのなかに、どうしてもわた くに理解できないものもあった。

あの思念の流れは、わたくしにもう一度このミラクルの池のほとりに来いとつよく命じ ていた。かならず来なければならぬと命じていた。しかし、それと同時に湧きおこったあ 名状しがたい戦慄と恐怖はいったいなんであろうか? どう考えてもわからなかった。 それと、来いとつよく命じているけれども、いつ来いとはいわないのだ。また、なんの ために、ということも知らせてくれない。いま、文字に表現できないものがいくつかある

Eventually, I learned that he was a sage who was Rinpoche’s senior, and whose name was Mechivarasangarathana.

“He is a very learned monk from Sri Lanka.He apparently built a temple here last year.I didn’t know about him until he came here.”

Yes, Rinpoche said.

“It has always been my wish for the Buddha to end his life near this monastery where he preached for 18 years.”

Master Sangaratana spoke in a loud voice that echoed all around. His English was slightly accented. He has a sturdy and sturdy physique, and his loud voice is probably due to his health. He was surprised to hear that he was 81 years old. No matter how you look at him, he looks like he’s in his sixties. The master stood in front of me and showed me around the temple. He was indeed lucky that we had the Master as our guide. The guide provided by the tourist company didn’t have much knowledge about the area, and Rinpoche had only been there once, a few years ago. Like other Buddhist sites, there are no guides at Sahet Mahet. If it were not for Sangaratana, we would have simply wandered around the Gion Shosha and would not have been able to learn anything in detail about each of the ruins. The teacher lovingly points out various things as he explains things, as if it were his own garden.

I was standing on a small hill listening to my teacher’s explanation.

 

 

 

Then, suddenly, it came.

Just as the teacher’s loud voice suddenly seemed to fade away, I felt a thud from in front of me to the right, as if someone had hit me on the head or back.

A white flash flashed in his eyes. It was similar to the light that flashed through his eyes when he was hit hard in the face in kendo. I felt dizzy and put my hand on his forehead. I realized that it was a kind of vibration. As a practitioner of Esoteric Buddhism, I have visited sacred sites around the country and received spiritual vibrations several times. However, it was my first time to experience such a tremendous blow from him. Moreover, he was completely defenseless, so it felt like he was completely caught off guard. Whenever you enter a sacred place, you enter with a certain amount of heart in mind.

That’s why I can accept strong vibrations, but here I am completely defenseless.

“please wait”

The shock was especially strong. It felt like it lasted several seconds, but it was only a moment. My master’s loud voice echoed in my ears once again.

I raised my hand and stopped my master.

“Wait a minute. I just felt a tremendous vibration. It was a tremendous vibration, and yes, it came from that direction. What is that?

I waved in the direction I thought the impact had come from. About 50 meters ahead, there was a depression overgrown with weeds. That’s where it seemed to come from.

“Oh, is that it?”

The master nodded.

“That’s Miracle Pond.”

“Miracle Pond?”

 

“Yes, the Miracle Pond. Buddha performed miracles there. That’s why it’s called the Miracle Pond.”

 

 

 

“What kind of miracle is that miracle?”

The Buddha levitated and stood above this pond, his upper body turned into fire and his lower body turned into water.

“Huh, what does that mean?”

Well, according to my teacher’s explanation, it was like this.

Sudatta, the great ruler of Sravasti, invested a large sum of money to acquire land here and built a great shrine for the Buddha. The Buddha’s fame spread to all directions, and he touched those who asked for his teachings. There were many Jain and other temples in this area. The leaders of those temples were jealous of the Buddha’s fame and slandered and criticized him in many ways. Among other things, he pretended that the Buddha was nothing more than a master of speech. He was criticized for only preaching theories and having no divine powers; in short, he was a talker. In the religious world of India at the time, it was considered a prerequisite to have some kind of divine power in order to become a leader. However, the Buddha did not want to display his divine power needlessly, and once he came to this place,

He never showed his power.

The leaders of other sects thought this was because the Buddha lacked that power, and attacked him. The Buddha’s disciples, who knew that he possessed great divine powers, once begged him to demonstrate his power, but the Buddha did not consent. The leaders of other sects, who were finally convinced that they wanted him because of his supernatural powers, approached Sudatta through their patrons, other wealthy and influential people, and challenged Sudatta to a match of divine powers with the Buddha. The condition is that if he loses, he will leave this land. Finally, Sudatta could no longer refuse and asked Buddha to pass the match. Or perhaps Sudatta also wanted to see the divine powers of the Buddha. The Buddha also considered Sudatta’s position and finally agreed to it.

That day, the Buddha revealed himself to him as the leaders of other sects competed with him in their various supernatural powers.

 

The Buddha manifested himself on the stage of a three-story tower. As the crowd watched with bated breath, wondering what kind of divine power he would display, the Buddha was able to effortlessly climb over the railing of the stall and step into the air. For a moment, his hand is released. Buddha falls!

In an instant, the Buddha slowly levitated into the air, passing over the heads of the masses of people gathered in the garden, and standing on top of the garden’s pond filled with clear, clear water. The Buddha is standing calmly on the water of the clear pond, which is rippling in the breeze. The crowd couldn’t help but sing, and the next moment the Buddha’s upper body burst into flames, and his lower body turned into a bead of water.

At the great divine power he witnessed, all his people, including Namiru, the leaders of other religious groups and local powerful people, fell prostrate on the spot and could not lift their heads.

I put my hand on his forehead and listened to his teacher’s explanation. Halfway through, I suddenly felt a stream of conceptual thinking slowly flowing into my brain, accompanied by a soft vibration. I completely ignored his thoughts and accepted them as his own. Suddenly, a terrible shudder ran through me. It was a shock of indescribable fear, as if all the blood in his body was rushing towards him. When that was finished, the teacher’s explanation was also finished.

Teacher, what does it mean that the upper half of a person’s body becomes fire and the lower half of his body becomes water?

Is it okay?

Someone asked me a question.

“Ah, that’s right, the chakras in his entire body must have radiated energy with tremendous power. In order to levitate, Buddha concentrated tremendous energy in his entire body’s chakras. It must have been radiated by the chakras.The radiation of energy looked like flames.When the chakras radiate energy, the whole body appears to be surrounded by flames.This is similar to the Yoga Sutras, etc. It is also written: At such times, the body often becomes transparent. The lower half of the body turned into water because the Buddha’s form became transparent at that time, and the water in the pond turned into water. It probably looked like water because of the reflection.I believe that this miracle was a demonstration of the highest technique of Kundalini Yoga.Come to think of it, I once thought that the Buddha I once wrote in a book that he was a master of Kundalini Yoga.

Yes, while I was explaining to him, he wanted to be alone quickly and collect his thoughts. What on earth was that flow of thoughts that just flowed in?

Desperately, I continued to stare at it, trying not to let it scatter. I wanted to get one for him as soon as possible.

He was able to do this a few hours later, when he arrived in the city of Lucknow and entered a hotel.

I hurried to my room and took a shower, and he immediately settled down. I wanted to recreate that experience at Miracle Pond.

As soon as I entered the room, my hands began to move furiously. I instinctively thought, “It’s automatic writing.” This is when the person enters a spiritual state and their hands move unconsciously to write. I thought I’d take my notebook right away, but unfortunately, I didn’t stay at this hotel for the night, but instead stayed for three or four hours to rest and eat before catching the night train at 9 p.m. My trunk and all my writing materials had been left in the lobby downstairs, along with everyone else’s luggage. He has nothing at hand. However, I don’t have time to go and get it. If the timing is missed, this kind of movement may never come back.

I hurriedly got up from my seat and searched my desk drawer. There it was! Fortunately,

There were some notes from the hotel. There’s also a ballpoint pen. As I gripped the pen, it ran swiftly across the note.

At first, it was just a list of unrelated words and nouns. However, it matched the flow of thoughts in the Miracle Pond. I didn’t eat, and he concentrated on this as we had time until departure. After sorting things out, I finally wrote the following sentence.

It suddenly came from diagonally in front.

For a moment, I was so shocked that I was blinded.

He had not expected such a thing at all and was completely defenseless, but in the blink of an eye, he was knocked out by the shock.

I realized that training, learning, and such things are of no use. All of his training and teaching, which he had secretly been proud of, disappeared in the blink of an eye. I was beaten down.

This is it, it has to be this. This is the only option. It’s so dizzying

Vibrations filled with this silvery shine!

I realized that even a hundred years of training and ten thousand volumes of teachings are nothing like this momentary spiritual vibration.

This was it. This was the ultimate one. It is for this reason that I have come here.

O Site Mat, holy land,

You were waiting here.

What I have received from you now, I must give to others.

Now, I am acutely aware that I am a saint.

We must create a sacred place in the land of East where all people can receive this sacred vibration. The land of Saito Mato is full of brilliance.

is that so.

They must be transferred to Japan as they are. That was my mission. I promise you that I will accomplish this without fail.

I have to come to this place again. But what will happen then? I have a feeling of great fear that something will happen then.

Ah, that momentary spiritual vibration!

Without this vibration, he would be no better than a stone on the side of the road, even after a hundred years of penance and ten thousand volumes of books. The saint who could give this vibration was the true master. I understand.

Thank you, Holy Master!

After I finished writing, I felt depressed.

November 8, 1975

At a hotel in Lucknow, he signs.

It can be said that this state of weakness continued until he returned to Japan. The trip continued, with a party in Delhi and a visit to the Ajata Ellora cave temple, but my mind was always focused on the stream of thoughts in his miracle pond. I sorted it out like that at the hotel, though.


1. “釈尊の智慧:多世代を超えた人生の軌跡”
2. “霊性の眼:人間の歴史を垣間見る”
3. “ショウジョウバエと人生の比喩:釈尊の教えから学ぶ”

 

 

1. 釈尊は瞑想によって前世からの生涯の光景を明らかにし、それを「成仏法」を修行することで理解できると語った。
2. 人は一生だけでなく、前世からの転生を経てさまざまな生命形態を経る存在である。
3. 釈尊は三つの智慧を得た:第一は前世の光景を見る智慧、第二は衆生の相を見る智慧、第三は苦・集・滅・道の四諦を理解する智慧。
4. 人が霊的に進歩し発展するには、「来所を知り、往所を知る」霊性の能力が必要である。
5. 「無明」はまったくの無知と完全な闇を指し、釈尊の叡智はこれを打破し、真実を知る智慧を示している。
6. 釈尊の叡智は、短い間に何十世代もの人間の移り変わりを見通す力であり、それを通じて原因と結果を理解することができる。

 

 

 

霊性とはなにか

 

 わたくしは、人間は霊的存在だと考えている。

 なぜならば、人間が、特殊な生命形態を持っているからである。

 特殊な生命形態とはどういうものか?

 釈尊の「成仏法」を修行すると、それがよくわかるようになるのであるが、ここは、瞑想によって悟りを完成し、仏陀になられた大霊覚者ゴータマーブッダ、釈尊の語るところによって、それを知っていただこう。

 中阿含経という釈尊直説の経典で、釈尊はこう語るのである。

中阿含経「黄蘆園経」

我已に是の如き定心を得、清浄にして機無く煩無く柔軟にして善く住

し不動心を得、憶宿命智通を覚りて作証しぬ。我行有り相貌有り、本

無量の昔経歴せる所を憶うに、謂く一生・二生・百生・千生・成劫・敗

劫・無量の成敗劫なり。彼の衆生某と名づけ、彼昔更に歴ぬ。我曾て彼に

生じ、是の如き姓、是の如き字にして、是の如く生じ是の如く飲食し、是の

如く苦楽を受け、是の如く長寿し是の如く久しく住し是の如く寿詑り、此

に死して彼に生じ、彼に死して此に生じ、我生じて此に在り、是の如き姓、

是の如き字にして是の如く生じ是の如く飲食し、是の如く苦楽を受け、是の

如く長寿し是の如く久しく住し是の如く寿詑りぬと。これを我その時初夜に

この第一明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠離に楽住し、修行し精勤

し、謂く無智滅して而も智生じ、闇壊れて而も明成り、無明滅して而も明生

じ、謂く憶宿命智を作証し明達しぬ。また次に梵志、我已に是の如き定

心を得、清浄にして機無く煩無く、柔軟にして善く住し不動心を得、生死智

通を学び作証し、我清浄の天眼の人〔眼〕を出過せるを以て、この衆生の

死時生時、好色悪色、妙と不妙と、善処及び不善処に往来するを見、この衆

生の所作業に随いてその如真を見、若しこの衆生身悪〔行〕、口・意悪行を

成就し聖人を誹誇し、邪見にして邪見業を成就すれば、彼これに因縁して身

壊れ、命終りて必ず悪処に至り地獄の中に生ぜん。若しこの衆生身妙行、

口・意妙行を成就し、聖人を誹膀せず、正見にして正見業を成就すれば、彼

これに因縁して身壊れ、命終りて必ず善処に昇り天中に上生せんと〔見

亘。これを我その時中夜にこの第二明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠

離に楽住し修行精勤し、謂く無智滅して而も智生じ、闇壊れて而も明成り、

無明滅して而も明生じ、謂く生死智を作証し明達しぬ。また次に梵志、我已

に是の如き定心を得、清浄にして機無く煩無く、柔軟にして善く住し不動心

を得、漏尽智通を学び作証し、我この苦の如真を知り、この苦の習を知り、

この苦の滅を知り、この苦滅遣の如真を知り、この漏の如真を知り、この漏

の習を知り、この漏の滅を知り、この漏滅遣の如真を知り、我是の如く知

り、是の如く見、欲漏心解脱し、有漏・無明漏心解脱し、解脱し已りてすな

わち解説を知り、生已に尽き梵行已に立ち所作已に弁じ、更に有を受けずと

如真を知る。これを我その時後夜にこの第三明達を得と謂い、本放逸無きを

以て遠離に楽住し修行精勤し、謂く無智滅して而も智生じ、闇壊れて而も明

成り、無明滅して而も明生じ、謂く漏尽智を作証し明達しぬ。……

(読下しは「国訳一切経」を参照させていただいた)

[大意]

 わたし(釈尊)は、つねに努力精進し、その想いは確立してすこしもみだ

れず、体は安楽で動揺せず、心は禅定に入って静かである。そのわたしがあ

るとき、瞑想に入ってしだいに禅定が深まってきた。第一禅定から第二、第

三、第四禅定まで深まるにつれて、心に想い浮かぶなにものもなくなり、喜

びや楽しみだけとなり、そして遂にはそれもなくなって、ただ清浄な想いだ

けとなった。

 そのとき、わたしの心は、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動で

あった。そしてわたしの心の眼はおのずから前世の光景に向けられていっ

た。それは一生だけではなく、二生、三生、十生、二十生、そして無限の生

涯の、生きかわり死にかおりした光景が展開してきた。これが第一の智慧で

ある。

それからわたしの心は、あらゆる衆生の相に向けられてきた。わたしぱ

超人的な眼力でその相を見た。そこには貰いもの、賤しいもの、美しいも

の、醜いもの、幸福なもの、不幸なものの、それぞれの宿業が渦巻いてい

た。これが第二の智慧である。

 それからわたしは、苦・集・滅・道の四諦(四つの真理)をありのままに

知り、わたしの心は、あらゆる存在の相から、全く解放され、ふたたびそれ

に執着することはなくなった。これが第三の智慧である。

 釈尊は瞑想によって、自分の前生の、二生、三生、十生、二十生、さらには無限の生涯の、生き変わり死に変わりしてきた光景を見ているのである。それは自分だけではなく、あらゆる人間の前生と、さらに後有(このっぎの人生)を見ているのである。

 釈尊はここで、決しておとぎ話や、たとえ話、寓話をのべているのではない。

釈尊の成仏法を修行すれば、その真実であることがすぐわかる。その修行により、わたくし自身、人の三、四世代前、そしてつぎの世代における存在までは透視できるようになっているのである。

 人間の生命は、多くの人たちが考えているように、決してひとつの生涯だけで終わるものではないのである。ある生涯が終わったら、またひきつづき、つぎの生命形態に移っていくのである。

 多くの人たちはその認識がなく、ひとつの生涯のみで、人の生命は終わるものと思っている。ここに、決定的な、そして致命的な生命観の欠陥があるのである。

霊性とはじつにそれを知る趨性なのだ。

 人の依って来たるところを知り、去るところ、往くところを知る能力である。

いわゆる来所を知り、往所を知る智慧である。これを得れば、人はおのずから、なにをなすべきか、なにをなさざるべきかがわかってくる、そこから人間の真の進歩、発展がスタートするのである。それがないから、人間は、霊的に少しも進歩せず、発展せず、いつまでも低いところを輪廻して、無限にさまよい歩いているのである。いや、それだけではない。その果てに、人間は、自分の住む人切な

世界を、自らの手で壊滅させてしまうことになるのである。

 この無知を、釈尊は、「無明」(自民罵)と名づけたのである。

ショウジョウバエの論理

 この「無明」という言葉には、二つの意味がある。

 まったくの無知と、完全な闇である。

 「明」には明知(智慧)と、光明、の二つの意味がある。

 真実を悟る智慧を持たず、真っ暗闇の中を、手さぐりで歩いている状態である。まことに人間はそのとおりではないか。来たるところを知らず、往くところを知らず、ただ現在(現生)あるのみである。その現在を、ひたすら目先の利益追求に狂奔する。その結果、いかなるところに往くのか、いかなる世界に、いか

なる生命形態として存在することになるのか、まったくお先真っ暗である。

 「第三の目」は、このお先真っ暗な闇の世界を見通すのである。「第三の目」に闇はない。真昼のごとく明らかに見ることができるのである。

 奇妙なことに思われるかもしれないが、わたくしは、釈の十生、二十生を見通す力を思うごとに、ショウジョウバエを想い起こすのである。

 ショウジョウバエは、その世代が極端に短い。ふつう、一世代がわずかに約一

ヵ月である。だから、何十世代もの変遷を短時間で見ることができる。

 そこで、生物学者や、遺伝学者は、ショウジョウバエを使って、その変化を実験する。ひとつの遺伝子の変化が、何十世代のうちに、どういう結果を生ずる

か、目のあたりに知ることができるのである。

 釈尊の叡智もそれである。

 彼のように、何十世代もの人間の移り変わりを如実に見ることのできる力をそなえていれば、ひとつの原因が、どのような経過を経て、どのような結果をもた

らしたか、つぶさに知ることができる。彼がじっさいに語っているように、その人間がなんという名前で、いつ、どこに生まれて、どういう人生を送ったか、またその人生を終わって、つぎにまたどういう人生を迎えたか、ある生涯のどんな人生送ったか、

 

 

 


 

1. 「死後の世界の謎解き:仏教の視点から見る霊魂と成仏法」
2. 「釈尊の教え:死者の存在と成仏への道」
3. 「霊魂の旅:仏陀の言葉で知る死後の成仏法」

 

– 人間は、仏教では色(物質)、受(感覚)、想(表象)、行(意志)、識(意識)の五つの要素から成り立っており、これを「五蘊(ごうん)」と呼ぶ。
– 仏教では、死後に人間が完全に消滅するのではなく、我執(タンハー)のエネルギーによって「異蘊」が生じ、存在が続くと考えられる。
– 釈尊は霊魂の存在を否定しておらず、「異蘊」や「意生身」という表現を用いて死後の存在を説明している。
– 我執(タンハー)が残った霊魂は、輪廻転生を経て再生し、成仏法の縁に逢わない限り続くとされる。
– 釈尊は永遠の自我(アートマン)を否定しつつも、「縁起の法」による死後の存在を認めている。
– 成仏法により霊体は悪因縁や悪業から解放され、涅槃(ニルヴァーナ)に入る。成仏は生者と死者で異なる方法がある。
– 怨念や執念にとらわれた不成仏霊は、聖者の悟りによって解脱し、霊的テレパシーによって冥界へ向かう。
– 今世界が壊滅の危機に瀕している理由は、死者の怨念や悪念のバイブレーションが深層意識を動かし、人類を衝動的で反道徳的にさせているとされる。
– 仏陀釈尊の成仏法は、これらの苦しみを持ったまま生存している霊魂に安らぎを与えることを目的としている。

 

 

 

人間は死ぬとどうなるのか?


 

仏教では、人間は、色〈しき〉(物質)・受〈じゅ〉(感覚)・想〈そう〉(表象)・行〈ぎょう〉(意志)・識〈しき〉(意識)の五つの要素からできていると考えます。この五つの要素を「五蘊(ごうん)」と呼び、この五蘊が仮に寄り集まって人間(自我・霊魂)ができあがっているのです。
では、人間が死んだらどうなるのでしょうか?
日本の仏教者の大半は、釈尊が「霊魂」の存在を否定してしまったと考えています。つまり、死んだらすべてが消滅すると考えているのですが、これはまちがいです。
死んだらすべてが消滅してしまうという考え方は仏教ではありません。釈尊直説の経典である『阿含経』を学び修行していないから、このような誤った見解を抱いているのです。
釈尊は決して、霊魂の存在を否定しておられません。むしろ肯定しておられます。ただし、「霊魂」という名称ではなく、「異蘊(いうん)」という表現を用いておられます。

凡夫が死んで「五蘊」が滅しても我執(タンハー)のエネルギーによって「異蘊」(異なる構成要素)を生じて存在をつづけます。

 雑阿含経の中の「仙尼経」において、釈尊は次のように説かれております。
慢〈まん〉(我執〈がしゅう〉)断(だん)ぜざるがゆえに、この蘊〈うん〉を捨て已(おわ〉りて(死んで) 異蘊〈いうん〉相続して生ず。
つまり、異蘊とは生きている人間の構成要素(五蘊=色・受・想・行・識)とは異なった構成要素(蘊=集積)という意味で、現代風にいえば「異次元の薀(存在)」ということです。
また、雑阿含経「身命経」においても、「意生身(いしょうしん)」ということばで、死後の存在を説かれております。意生身とは意識(心)だけで出来た身体をいいます。
このように釈尊は、人間は死んでも、我執煩悩(タンハー)が残るかぎり「なにか(異蘊・意生身)」が存在をつづけると説かれております。この死後の存在こそが霊魂なのです。
そして我執(タンハー)が残った霊魂は、死後の世界を経て再生し、現世で成仏法の縁に逢わなければ、果てしなく輪廻転生を続けます。
また、この我執が非常に強い場合は、不成仏霊や霊障のホトケとなって迷い、その怨念のバイブレーションが子孫の心に強く悪影響をおよぼします。

 


サールナートの仏陀像
 釈尊は、古代インドのバラモンが説いた「永遠に変化することも滅することもない自我(アートマン)(霊魂)」という考えは否定しておられますが、
縁によって生じ、縁によって滅するという「縁起の法」の上での「死後の存在」は認められております。
つまり、「永劫不変の自我(アートマン)」というものは存在しませんが、「無常(変化)の中や縁起において成立する自己(アートマン)」はあるのです。
修行によって向上し、涅槃(ニルヴァーナ)に入る「自我(霊魂)」は存在するのです。
「不変」ではなく縁によって「変化」するために、死んで(その霊魂・霊体が)異蘊となる縁に逢えば、異蘊となって輪廻転生し、成仏法の縁に逢えば、解脱して仏界に生ずるのです。
死んだからといってまったく「無」になって消滅してしまうというのは、仏陀の説かれた縁起の法則に反するものです。
仏陀の成仏法により、霊体は悪因縁、悪業、悪念から解放されます。
完全に解放された霊体は、涅槃(ニルヴァーナ)に入ります。
これを成仏というのです。
しかし、成仏といっても、生者と死者によって、それぞれちがいます。
生者の場合は、自分自身で成仏法・七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうぼん)を修行することができます。
修行によって霊体(生者)は、清められ、高められ、しだいに悪因、悪業から解脱してゆきます。
「シュダオン」「シダゴン」「アナゴン」という聖者の段階を経て、究極の大聖者「アラハン」(仏陀)に到達します。
この世において、仏陀に到達できない場合は、つぎの世においても、ひきつづき成仏法の修行を続け、究極的にはかならず仏陀になるのです。
死者の場合は、自分で修行することはできませんから、成仏法を成就した聖者に、成仏法をもって供養していただきます。
つよい怨念や執念によって不成仏霊となり霊障を発し、迷っているホトケは、聖者の発する悟りのバイブレーションを受けて解脱し成仏します。
ただし、この場合の成仏とは、完全に因縁・業煩悩といったものを解脱したという意味ではありません。
成仏法を成就した聖者( 有余依涅槃(うよえねはん)の聖者)の霊的テレパシー(霊力)によって、聖者の悟りをそのまま受け止めて、迷い執念などを離れて、冥界(死者のほんとうの世界=安らぎの場)へ向かうということです。
これが、仏陀釈尊の教えられた「仏法」です。

死者たちの怨念が、すべての人の深層意識を動かす

いま、この世界が壊滅の危機に瀕しているのは、この世界に充ち満ちている死者の怨念、悪念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしているためです。
その結果、人類はますます衝動的、闘争的、反道徳的になり、結果的に自分自身を虐殺しようとしつつあります。
まず、家庭が崩壊しはじめています。
これらの苦しみに満ちた死者の霊魂に全き安らぎを与えないかぎり、生きている人間に全き安らぎは訪れません。
仏陀釈尊の成仏法は、これらの苦しみを持ったまま死後生存している存在(霊魂)に安らぎをあたえ

知・情・意の調和: 釈尊の七覚支修行法解説  Harmony of knowledge, emotion, and will: Explanation of Shakyamuni Buddha’s seven enlightenment training methods

1. 釈尊の教え: 七覚支法で知る成仏の秘密
2. 知・情・意の調和: 釈尊の七覚支修行法解説
3. 芸術的な心、強靭な意志: 七覚支で育むバランスの魔法

 

1. 釈尊は七覚支を成仏法として説き、念覚支・択法覚支・精進究支・喜覚支・狩覚支・定覚支・捨覚支の七つの修行法を説明した。
2. 七覚支の修行により、阿羅漢果、阿那含果、斯陀含果、須陀百果が得られるとされた。
3. 釈尊の成仏法は七科三十七道品から成り立ち、その中で七覚支は重要な修行法とされた。
4. 成仏法において、七覚支の解説は外道の出家の質問に対する釈尊の因縁や配慮に基づくものと考えられる。
5. 釈尊は弟子に対して、七科目の中から選択的に修行を指導し、異なる修行法が同様なものもあるため、具体的な修行内容を選別したと推測される。
6. 七覚支の修行は、念覚支の強化や空観の体得を含み、知・情・意の精神作用を均衡させるトレーニングとして説明されている。
7. 念覚支の修行には、神秘的な力を発揮するためにクンダリニー・ヨガの要素が含まれている。
8. 空観の体得により、「四念処法」の修行が七覚支に組み込まれ、諸法の実相や縁起の法を明らかにすると述べられている。

 

 

 

 

釈尊は、「七覚支」こそそ`の成仏法であるとおっしゃって、念覚支・択法覚支・精進究支・’喜覚支・狩覚支・定覚支・捨覚支の七つの修行法をお説きになった。  

 そしてでこの七覚支を修行すれば、阿羅漢果、阿那含果、斯陀含果、須陀百果が得られると解説された王で、阿那含果にも五種の涅槃の得かたがあるとくわしくお教えになられたのであった。

 釈尊の成仏法は、前にのべましたように、七科三十七道品といって、~七科目、三十七種類のカリキュラムから成り立っています。すなわち、四念処法、四正勤法、。四神足法、五根法、五力法、七覚文法、八正道です○         

 うこのうちの七覚支法について、解説されたものです。

 成仏法について質問した外道の出家に、釈尊がなぜ、七科目の中の一つである七覚支について解説したのかと申しますと、これはわたくしの体験からの推測ですが、この異比丘がもし釈尊の

お弟子となっ▽て成仏法を修行するとしたら、七覚支の修行が二番よいどお考えになったからだと思い支す。

 というのは、ヽ釈尊の成仏法は、七科目三ナ七種の修行包全部やらなければならないどい ではないのです。七科目の中の、二科目位をやればいいわけです。というのは、七科目の修行法の中にはクおなじような修行法が、ダブつて入っております。それで、釈尊は、’お弟子の因縁を

みてい七科目の中から、yおまえはこの修行をせよ、おまえはこれとこれの修行法がよい、というように選別されてあたえたのであろうと思われます。。時には、科目にに恥まわず、一三十七種の修行法の中から自由にいくつかえらび出して、修行者に課したものと思われます。 

 そこで、この七覚支の修行法というのが、どんなものであるか/

念力をつよくしてバランスをたもつト知的にも非常に高度で、情結面においても、いわゆる情操がゆたかであるというように、芸術面などでもよく理解することができる。情操的な情のないひとというのは、無味乾燥にな’りやすいわけです。’芸術的なことは、なにもわからない、はなしをしてもちっともおもしろくない、シャレをいったって、ニコリともしない。今日きいたシ″レを、三日ぐらいたっ七急に笑。い出て、「ああ、そうだうたのか」なんて(笑)、それじゃあおはなしにならんでしょダ。。

 意志がつよいのはけっこうだけれども、それが頑固になってしまうのではいけない。

 だから、知・情・意の精神作用を、非常に強化し、八かめるという訓練をする。そしてそのいずれに右かたよらないということ。これがまず第一です。しかし、それだけじゃない。

 念そのものの力を、神秘的にまで強化する。一点に集中したとき、火を発するほどの力を出す。ですから、この念覚支の修行には、クンダリニー・ヽヨトガの修行が入るわけです.。     

 つぎに「空観」を体得する。ですから、この七覚支には、「四念処法」の修行が入っている。

この空観の体得により、諸法の実相がわかるようになけます。つまり、「縁起の法」を如実に‘さとることになると思います。

 この念覚支が、七覚支法の中の、目玉といってよいでしょう。いや、三十七道品の中でも、代表的な修行法です。                                

1. Shakyamuni’s teachings: The secret to becoming a Buddha through the Seven Awakening Dharma
2. Harmony of knowledge, emotion, and will: Explanation of Shakyamuni Buddha’s training method for the Seven Awakenings
3. Artistic mind, strong will: The magic of balance cultivated through the Seven Gakushu

 

1. Shakyamuni Buddha preached the Seven Gakusho as the method of attaining Buddhahood, and explained the seven training methods of Nen Gakusho, Shoho Gakusho, Shojin Gakusho, Ki Gakusho, Kari Gakusho, Jo Gakusho, and Sakugakusho.
2. It was said that through the practice of the seven enlightenments, one could obtain Arhat, Ana, Suda, and Suda.
3. Shakyamuni Buddha’s method of attaining Buddhahood consisted of seven disciplines and thirty-seven practices, and among these, the Seven Gakushu were considered important training methods.
4. In the Dharma for attaining Buddhahood, the explanation of the Seven Gakushu is considered to be based on Shakyamuni’s connection and considerations regarding the question of the exorcism.
5.Shakyamuni taught his disciples selective training from among the seven subjects, and since some of the different training methods were similar, it is assumed that he selected the specific training content.
6. The training of the Seven Gakushu is described as training to balance the mental functions of knowledge, emotion, and will, including strengthening the mind sense and mastering the idea of emptiness.
7. The practice of Nen Kakusho includes elements of Kundalini Yoga to unleash mystical powers.
8. It is said that by mastering the concept of emptiness, the training of the “Four Mind Treatment Methods” will be incorporated into the Seven Gakkushi, and will clarify the reality of various dharmas and the law of dependent origination.

 

 

 

 

 

 

Shakyamuni Buddha said that the “Seven Gakushu” are the way to attain Buddhahood, and he said that the “Seven Gakusho” are the Dharma for attaining Buddhahood. He taught one method of training.

He was the king who explained that if one practiced these seven enlightenments, one would obtain Arhat, Anana, Sida, and Sudha Hyaku. He taught me in detail that there is someone.

As mentioned earlier, Shakyamuni Buddha’s method of attaining Buddhahood consists of seven subjects and thirty-seven types of curriculum, called the Seven Subjects and Thirty-Seven Ways. In other words, the Four Thought Treatment Methods, the Four True Work Methods. These are the Four Divine Foot Law, the Five Root Law, the Five Power Law, the Seven Awakening Grammar, and the Eightfold Path○

This is an explanation of Ukouchi’s Shichikakusho.

Why did Shakyamuni explain the Seven Awakenings, one of the Seven Subjects, to a monk who asked him about the Dharma for attaining Buddhahood?This is my guess based on my own experience, but I believe that this different bhikkhu If Buddha’s

If you were to become a disciple and practice the Dharma for attaining Buddhahood, I believe that it is because you believe that the training of the Seven Awakenings is the second best.

This is because Shakyamuni Buddha’s method of attaining Buddhahood is not his, as it requires you to do all seven subjects and seven kinds of training packages. All you have to do is do two of the seven subjects. This is because the training methods for the seven subjects contain many similar training methods. Therefore, the Buddha said, “The fate of his disciples

It seems that out of the seven subjects, the subjects were selected and given, such as y, you should do this training, and you should practice this and that. . At times, it seems that he chose some of the 137 types of training methods and imposed them on his practitioners, without being ashamed of the subject.

So, what is this Shichikakushu training method?

He possesses strong psychokinesis and balance, and is also highly intellectually advanced.He is also emotionally rich, and can be well understood in terms of art. People who are emotionally devoid of compassion tend to become apathetic. ‘I don’t know anything about artistic things, I don’t find the stories interesting at all, I don’t even smile when I tell a joke. About three days later, I suddenly laughed at the scene I heard today.If I came out and said, “Oh, that’s right, that’s what I said,” (lol), then that wouldn’t be a story. .

It’s fine to have a strong will, but it shouldn’t turn into stubbornness.

That’s why we greatly strengthen the mental functions of knowledge, emotion, and will, and train ourselves to become eight-minded. And don’t lean towards either of them. This is the first thing. But that’s not all.

It mysteriously strengthens the power of thought itself. When concentrated on one point, it generates enough power to start a fire. Therefore, the practice of kundalini and yotoga is included in this practice of nen-gakusho.

Next, learn how to see the sky. Therefore, this Seven Gakkushi includes the training of the “Four Thought Treatment Methods”.

By acquiring this sense of emptiness, you will be able to understand the reality of various laws. In other words, I believe we will truly understand the law of dependent origination.

It can be said that this Nen Gakusho is the highlight of the Seven Gakusho. No, it is the most representative training method among the 37 Ways.

 

 

 

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