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四種の呼吸法

四種の呼吸法

この本で教える瞑想の呼吸法は、四種の呼吸法から成り立つ。

ちょうしゅつにゆうそく一、長出入息呼吸法

ちょうしゅつそく

二、長出息呼吸法

はんしき三、反式呼吸法

四、強短息呼吸法(火の呼吸法) きょうたんそく

である。

簡単に説明すると、一の長出入息呼吸法は、出る息、入る息、どちらも、できるだけ細く長く深く呼吸する。一呼吸に二十秒から三十秒、一分くらい、時間をかける。

二の長出息呼吸法は、出る息のみをできるかぎり細く長く吐いて、吸う息はふつうに吸う。

三の反式呼吸法は、ふつうの呼吸とちがって、息を吸うとき、腹部をひっこ

お言本代表などがともに「六つのめくくられ、 が響く中、参者たちが行い、ブータンではブーいりとによって、 によるまれた神らから新たなる力を授かったときんでいく。

め、息を吐くとき、腹部をふくらませる。ちょうど逆になるわけである。

四の強短息呼吸法は、「火の呼吸法」とよび、片方の鼻孔を指で押さえて閉

じ、片方の鼻孔で強く短く呼吸する。

それでは、四種の呼吸法の訓練を説明しよう。

長出入息呼吸法の訓練

跌坐、あるいは椅子坐、いずれにしても、頭部、頸部をごく自然に、まっすぐ、きちんとした姿勢をとる。ただし、あまり緊張しすぎて力んだり、確たりしてはいけない。ゆったりと、リラックスすることが大切である。

にする。 そのためには、頭部、頸部の緊張を解くために、前頭部を心もち前に出し、 下顎を少し中へ引くようにして、頭部をやや下げるようにするとよい。同時に、前胸部も少しひっこめるようにし、腹部は少し前に出し、両肩は力を入れず、自然な姿勢をとる。背中は心もち前に曲げ、腹部の容積を大きくするよう

真言

内々時にれ、中はブータン最大」のャンパーが中心となって、ひたむき

たるりとのお田中本代表などともに「六つのして軽い

口と唇はごく自然に軽く閉じる。両眼も軽く閉じるが、かすかに外光を感じる程度にひとすじの期間を残す。すなわち半眼にして、視線は、鼻の先、鼻頭に持っていく。

肛門をきゅっと締め、上へ引き上げるようにする。

まず、最初、軽く息を吸い、ついで口をすぼめ開き、力いっぱい吐き出す。 下腹部に力をこめ、上体を少し前に折りかがめるようにしながら、吐いて吐いて吐き尽くす。このとき、前に書いたように、体中の悪気、不浄の気をことごとく吐き出してしまう気持ちで、鳩尾が背骨にくっついてしまうくらいに、吐くのである。吐き尽くしたら、また大きく吸い、二、三回、これをくり返す。 みぞおち

大事なことは、呼吸法をはじめるときには、かならず、まず最初に息を吐くことである。まず吐いて、つぎに吸うときから第一回の呼吸がはじまるのであ

歯は軽くかみ合わせて、かみ合わせた歯の間を通して、ゆっくりと息を吐く。歯は上下が軽くふれるかふれない程度で、決して強くかみ合わせてはいけ

た。 い祈りと供養によって、関根神仏から新たなる力を授かった一同は、師の御心を胸に正法の言るへと突き混んでいく。

ない。

自然に、長出入息呼吸法に移る。

まず、軽く息を吸う。

歯の間を通してゆっくりと息を吐き終わったら、今度は唇を閉じ、歯をきちんと合わせて、鼻からゆっくりと吸うのである。

びこう少しずつ、時間をかけて、鼻から空気を吸う。このとき、鼻から入ってくる空気の量をできるだけ少なくするために、鼻をすぼめて鼻腔をせまくする。こうすると、入ってくる空気の量が少なくなるだけではなく、せまくなった鼻腔の壁が空気でマサツされて、その刺激が脳に伝わり、脳の興奮を静める効果もあるのである。

また、息を吸い込むとき、舌の先を、上顎部(上の正面の歯ぐきのやや上部、つ ひようがくぶまり、督脈バートの眼交のところである)につける。なぜつけるのかというと、わたくしは、さきに、任脈と督脈のニルートは、元来一本の線であるとのべた。

しかし、じつは、口のところでとぎれているのである。これを、舌の先で接続

真言

内陣に教をなでて読経を行った。 正を導師に護摩法要がれ、法要中はブータンも彼の演奏へ、曲目は、修験来の夫の指導者、師作の休憩を挟み、阿含宗修太鼓阿含宗「火」の大護摩供にて「人た類の聖火」が大きく燃えしほり、表が勢いよく舞い踊る様子を表現したYAN なって、ひたむきにがでた。 太鼓」のメンバーが中心と

あられた「

が鎮座

ちへの誓いを胸に、開とともに

「わがい。今またる折りもに歩もうとのお言本代表などが田中正ともに「六つのしてめくくられ、 その後、本が響く中、

させるのである。これによって、じっさいに、任脈・督脈のニルートは、一本のルートとなるのである。(ここから意念との共同訓練に入っていくのだ)

そこで、ごく自然に息を吸い込んでいく。

きゆうびちゆうかんしんけつこのとき、息を吸い込む鼻の奥から、(任脈ルートの)鳩尾、中院、 中院、神闕(勝) かんげんを通って、男性は気海(臍の下約四センチ)、女性は関元(臍の下約八センチ)のところまで、一本の気管(プラーナ管)が通じていると観想せよ。太さは細めのストローくらいで、赤色である。

こんかんほうのうほうきゆうふくろこの気管の根本、つまり根管部(気海、関元)に、胞宮という三センチ四方くらいの特殊な細胞の場のあることを意識せよ。胞糞という、うすいオレンジ色を帯びた透明の袋と考えてもよい。鍛錬によって収縮・拡大するから、糞と考えたほうが把握しやすい。

静かに深く息を吸い込んでいく。気管を通じて息はまっすぐに胞嚢に吸い込まれていく。吸い込む最初、鳩尾は軽くひっこみ、このとき、胞宮に強く意識をかけ、少し力を入れる。息が吸い込まれるにしたがって、鳩尾はふくらみ、

などが 6に「六つの合して締めくくられ、 その後、絵本殿ではが響く中、参列者たち行い、ブータンではブー僧侶による法要も営まれた。 い祈りと供養によって、開祖・ 神仏から新たなる力を授かった一同は、聖師の御心を胸に正法の宣布へと突き進んでいく。

収縮していた胞嚢もふくらんでいく。(注意。あとでのべる「反式呼吸法」のときは、この逆になる)

息を吸い終わったら、もう一度、軽く息をのみ、鳩尾は十分に落とし、肛門をぐっと閉じ、胞宮にウムと力を入れる。この力を入れるとき、同時にかならず鼻からちょっと息を漏らす。これが非常に大切で、これをやらないと、胸から頭部にかけて圧がかかり、体を痛めるおそれが出てくる。腹式呼吸をやって、頭痛を起こしたり、内臓下垂で苦しんだりするのは、これを知らないからである。禅宗の原田祖岳老師が、原垣山和尚の極端な下腹入力禅をやったところ、頭が鳴って苦しくなった。また腸の位置が変則的になって難病をしたと本に書いておられる。注意が必要である。

この肛門を締めて、胞宮にウムと力を入れる動作を、二、三回おこなう。

つぎに、長出息呼吸に移る。

胞宮に一段と力をこめ、下腹部を収縮させながら、どこまでも腹の力をもって静かに息を吐き出していく。ふくらんでいた胞嚢がしだいにしぼられ、収縮

を行い、プーチン豊ではブータンい物かとによって、とうたなる力を授かったの心を胸にのとき進んでいく。

いである。

しかし、反式呼吸にすると、なんと十センチ以上も動くのである。

人間の腹腔の上下の幅は、どんなに胴長の人でも、だいたい三十センチもあるかどうかというところである。その三十センチの中で、横隔膜が十センチ以上も上下に動くのである。その影響は、たいへんなものである。横隔膜が下に下がれば、腹の中にある内臓は非常な圧力を受け、上に上がった場合は、逆に

大きなマイナスの圧力を受けることになる。

、この呼吸法によって、腹腔内で内臓が、強い力で動かされ、刺激さ

れるということである。

それがどんな利益をもたらすか?

反式呼吸法の四つの利点

1、体の新陳代謝を盛んにする。

肺の機能が高まり、これまでの何倍も大量の酸素を血液の中に吹き込

183

先普礼享

次神界真言

楽の

しほり、表が勢いよく舞い踊る様

済の御聖火」が大きく増えに問

手を表現した同曲を、「TAN S

りに満ちあふれ 内陣降にれた「教をなでて読経を行った。 正を導師に護摩法要が膚をれ、法要中はブータンもの奉納演奏曲目は、同修験株を、阿含宗太鼓太鼓の指導者・藤悦作の含宗「火」阿合の大護摩供にて「人

修験太鼓」のメンバーが中心とたる所もに歩も

なって、ひたむきに楽でた

ともに

していく。

このとき、息を吐き出しながら、それまで、上顎部につけていた舌を離し、 吐き出す息に乗せるような気持ちで、低い声で真言を誦する。

「オン」

真言を誦しながら息を吐き出していく。静かに、ゆっくりと、できるだけ細く長く吐き出していく。息がすっかり出てしまうと、下腹はくぼみ、腹壁が背骨にくっつくような気持ちになる。つまり、そうなるような気持ちで吐き出していくのである。

吐き出し終わったら、また、静かに鼻で吸う。吸うときは、舌を上顎につけること。前とおなじである。

吸い込んだら、前と同じ動作で吐き出していく。前とおなじように、吐き出マントラ

しながら、真言を誦する。

マントラ真言はつづいて、

「シンタマニ」

輪転生購想法】

正法の宿へと突き進んでいく。

「ダト」

「ウン」

で、これを、それぞれ、吐くひと息ごとに、一句ずつ、唱える。

「オン、シンタマニ、ダト、ウン」

この真言は、守護仏、仏舎利尊(輪廻転生瞑想法の本尊、準胝尊の本体)の真言あつしやりそんである。深く念ずることにより、守護仏の加護を得て、魔境に陥ることなく、 無事、修行を成就するのである。

この長出入息呼吸法は、一呼吸についての時間は問わない。できるだけ細く

長く、長出入息させるのである。

長出息呼吸法の訓練

前の、長出入息呼吸法は、出る息、入る息、ともにできるだけ長く細く呼吸するものである。できるだけ細く長く、というだけで、どれほどの時間をかけて細く長く呼吸するのか、という時間は問わ

真言

次神界真言 オン

りに満ちあふれ内にれ、中はブータンにがで、目を行った。

のの導者・作のた真の大きくえ 「火」の大学にて人しほり、勢いよくいる種子を表現した同曲を、「YAN 太鼓」のメンバーが中心となって、ひたむきにでた

歩むために開からとか 「わが子い、今までのたる断りの心もにあらう」 とのお言動を田中本

しかし、長出息呼吸法は、時間が目安になる。

だいたい、成人の呼吸は、健康な人の平静な状態で、ふつう一分間に十八回とされている。

一般に虚弱体質の人は、息を吸う時間が非常に短い。重病人などは、肩でせわしく浅い短い呼吸をしている。虚弱体質でなく健康な人でも、興奮したり、 激しい怒り、おそれ、悲しみなど、心が激動すると、呼吸はずっと速くなる。 激怒して言葉が詰まったりするのは、呼吸が速くなりすぎて、切迫するためである。

心の病気を持つ人の呼吸も速い。一分間に二十数回、あるいは三十回以上も呼吸している人は、明らかに異常で、心因性の病気を持つ人である。精神科の医師は、患者の呼吸の速さを、診断の目安のひとつとしているのである。

す。 この長出息呼吸法は、一呼吸を、一分間に三回ないし四回くらいにまで落と

呼吸のしかたは、長出入息呼吸法とおなじでよい。ただし、呼吸を、一分間

とともに

わんわんに三回にまで落とすということは、ふつうの呼吸法では不可能である。それができるコツは、出す息をできるかぎり細く長く、総々と吐いていって、吸うほうの息は、ふつうの呼吸に近い吸い方で吸うのである。

この呼吸法に熟達すると、一分間に一回くらいにまでなれる。

この呼吸で、前記した長出入息呼吸法とまったく同様に、気管の観想、守護

仏真言の読誦をおこなう。

練習時間は三十分ないし一時間である。

反式呼吸法の訓練

反式呼吸法というのは、ふつうの呼吸とまったく反対の呼吸をするので、こ

うよぶのである。

つまり、自然の呼吸では、息を吸い込んだとき、腹部がふくれ、息を吐いたとき、腹部がひっこむ。

この反式呼吸法は、それがまったく逆になる。すなわち、息を吸い込んだと

き、腹をひっこめ、息を吐いたとき、ふくらませる。つまり、自然に反した呼

吸法なのである。

なぜ、そういう反自然の呼吸法をするのか?

いくつもの利点があるからである。

その利点は、横隔膜を極限に近く使うことから生ずる。

げいとうちょっと考えると、腹をふくらませながら、息を吐くなどという芸当は、とてもできないと思われるかもしれない。

しかし、それができるのである。それは、内臓の中で胸腔と腹腔の境目になっている横隔膜をはたらかせることによって可能となるのである。 さかいめ

ふだんは、意思の支配の外で、自律的に、胸や腹がポンプの役目をして空気を吸ったり吐いたりするのにまかせっきりでいるけれども、反式呼吸のように自然ではないかたちで呼吸をしようということになると、横隔膜を動かすしか方法がない。

ふつうの呼吸の場合、横隔膜が上下に動く幅は、せいぜい四~六センチくら

輪転生联想法1 18

 

 

181 第四章

輪転生联想の呼吸法

联想法 180

 

 

 

 

 

 

第四章想の呼吸法

 

 

 

178

 

 

 

177 第四章輪転生联想の呼吸法

 

 

輪転生联想法11 176

 

175

第四章輪転生類想の呼吸法

 

輪転生联想

174

 

 

 

373

 

 

輪廻転生瞑想法Ⅱ

172

准胝観音

准胝観音
深い虚空の奥、光はひとつの心臓のように脈打っていた。
それは生きた仏陀、仏舎利の存在。
時空を超え、無数の衆生の苦悩を胸に抱き、静かに呼吸する。

光は揺らめき、形を変え、やがて輪廻の彼方から訪れる声に応じた。
その瞬間、無限の慈悲と智慧が、一つの姿に凝縮された。

――准胝観音。

一面三目の顔は、過去も未来も映す静かな鏡。
十八本の手が、宇宙の秩序を示すかのように広がる。
中央の二本の手は胸の前で説法印と施無畏印を結び、言葉なき教えを語る。

手のひとつひとつには意味が宿っていた。
蓮華は清浄を、数珠は輪廻の流れを、斧は無明を断つ力を、
水瓶は癒しと浄化を示す。

表情は穏やかで優美、蓮華座に座し、まるで世界のすべてを包み込む慈母のようであった。

その光の背後では、不動明王、愛染明王、阿弥陀如来、薬師如来、普賢菩薩、文殊菩薩──
無数の仏たちの気配が、微かに重なり、祝福の波紋を広げていた。

そして、仏舎利は微かに震え、光を強めた。
瞬間、形が溶け、流動し、准胝観音そのものへと変化したのである。

その姿は単なる仏ではなかった。
すべての仏の智慧が、慈悲が、力が一つに結晶した存在。

光は拡がり、静かに世界を満たす。
小さな命も、迷いの深い魂も、すべてがその光の中で揺らぎ、解かれていく。

准胝観音は微笑んだ。
その微笑みは、光として広がり、やがて無限の仏の波となった。

――そして、世界のすべてが知った。
仏舎利は、ただの遺物ではなく、命ある仏陀そのもの。
変化し、准胝観音となり、さらに一切の仏へと繋がる存在であることを。

 

虚空は静かに応え、世界の中心に、新たな法の鼓動が生まれた。

 

准胝観音 未来の菩薩 Cundā— Bodhisattva of the Future

准胝観音 未来の菩薩
Cundā— Bodhisattva of the Future
深い虚空に 光が脈打つ
生きた仏陀 胸に抱く苦悩
揺れる光が 姿を変え
輪廻の彼方 慈悲が宿る

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

 

准胝観音 微笑み広がる
手に蓮華、智慧と力を握り
すべての魂 光に溶けて
無限の仏波 世界を満たす

Namosattanan
sanmyaksanmodaktinan
taniyata
on shaley shurei juntei
sowaka

In the silent void, a sacred pulse awakens
A living Buddha carries the sorrow of worlds
The trembling light begins to take form
And from the tide of samsara, compassion is born

Namosattanan Sanmyaksanmodaktinan Taniyata On Shaley Shurei Juntei Sowaka

Juntei Kannon — your smile becomes the dawn
Holding lotus, wisdom, and boundless power
Every wandering soul melts into your light
Until the infinite wave of Buddhas fills the world

Namosattanan Sanmyaksanmodaktinan Taniyata On Shaley Shurei Juntei Sowaka

准胝観音

准胝観音
深い虚空の奥、光はひとつの心臓のように脈打っていた。
それは生きた仏陀、仏舎利の存在。
時空を超え、無数の衆生の苦悩を胸に抱き、静かに呼吸する。

光は揺らめき、形を変え、やがて輪廻の彼方から訪れる声に応じた。
その瞬間、無限の慈悲と智慧が、一つの姿に凝縮された。

――准胝観音。

一面三目の顔は、過去も未来も映す静かな鏡。
十八本の手が、宇宙の秩序を示すかのように広がる。
中央の二本の手は胸の前で説法印と施無畏印を結び、言葉なき教えを語る。

手のひとつひとつには意味が宿っていた。
蓮華は清浄を、数珠は輪廻の流れを、斧は無明を断つ力を、
水瓶は癒しと浄化を示す。

表情は穏やかで優美、蓮華座に座し、まるで世界のすべてを包み込む慈母のようであった。

その光の背後では、不動明王、愛染明王、阿弥陀如来、薬師如来、普賢菩薩、文殊菩薩──
無数の仏たちの気配が、微かに重なり、祝福の波紋を広げていた。

そして、仏舎利は微かに震え、光を強めた。
瞬間、形が溶け、流動し、准胝観音そのものへと変化したのである。

その姿は単なる仏ではなかった。
すべての仏の智慧が、慈悲が、力が一つに結晶した存在。

光は拡がり、静かに世界を満たす。
小さな命も、迷いの深い魂も、すべてがその光の中で揺らぎ、解かれていく。

准胝観音は微笑んだ。
その微笑みは、光として広がり、やがて無限の仏の波となった。

――そして、世界のすべてが知った。
仏舎利は、ただの遺物ではなく、命ある仏陀そのもの。
変化し、准胝観音となり、さらに一切の仏へと繋がる存在であることを。

 

虚空は静かに応え、世界の中心に、新たな法の鼓動が生まれた。

 

阿弥陀の光に呼ばれて Amida’s Calling Light

阿弥陀の光に呼ばれて
Amida’s Calling Light

闇の端を染める ひとすじの光
雲海にひざまずき 名を呼ぶ聲(こえ)
ほどけゆく悲しみは 春雪のように
やすらぎは風に乗り 胸へと降りる

オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン

On Amirita Tei Ze Kara Un

अमिरिता तेइ ज़े करा उन पर

阿弥陀の光よ 今も誰を抱きしめる
呼ぶ名ひとつあれば 扉はひらく
救いの手は静かに 闇のほとりへ伸び
その光は絶えず 魂を照らす

オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン

On Amirita Tei Ze Kara Un

अमिरिता तेइ ज़े करा उन पर

 

A single beam of light dyes the edge of the night,
Kneeling above the sea of clouds, I whisper Your name.
Sorrows quietly loosen, like snow in the warmth of spring,
And gentle peace rides the wind, falling into my heart.

On Amirita Tei Ze Kara Un
On Amirita Tei Ze Kara Un
अमिरिता तेइ ज़े करा उन पर

O Light of Amida—whom do You embrace today?
Call His name just once, and every gate will open.
His saving hand reaches softly toward the edge of night,
A timeless glow that never fails to shine upon the soul.

On Amirita Tei Ze Kara Un
On Amirita Tei Ze Kara Un
अमिरिता तेइ ज़े करा उन पर

阿弥陀の光に呼ばれて ―

阿弥陀の光に呼ばれて ―

夜の終わりを告げる前触れのように、東の空がわずかに白みはじめたころ、老僧・蓮鏡(れんきょう)は崖の上に佇んでいた。足元には雲海が広がり、彼方には闇を割くように一条の光が射している。

――あれは、阿弥陀の光。

誰に教わるともなく、老僧はそう直感した。限りない智慧の光、限りない命の光。その光は、衆生をひとり残さず救おうと誓った仏の気配を湛えていた。

伝承によれば、阿弥陀如来はかつて法蔵菩薩と名乗り、四十八の誓いを立てたという。

「南無阿弥陀仏」と名を呼ぶ者があれば、必ず極楽浄土へ導こう。
その誓いは、果てしない慈悲そのものとなり、今も世界を照らし続けている。

光が近づくにつれ、蓮鏡はふと、耳の奥で響く響きを感じた。
――オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン。
古より伝わる阿弥陀の真言が、風に乗り、魂に染みるようにささやく。

やがて雲の切れ間から、静かに姿が現れた。
宝冠も装飾も持たぬ、質素でありながら威厳に満ちた仏の影。
その手は、来迎印と呼ばれる印相を結び、こちらへと穏やかに差し伸べられている。
極楽浄土に迎えに来た者だけが示す印――そう伝えられていた。

その左右には二人の菩薩が寄り添っていた。
聖観音は月光のように柔らかく、勢至菩薩は朝日にも似て凛然としている。さらに背後には多くの菩薩たちが集い、二十五の影が雲に乗り、往生者を迎える旅に同行しているようだった。

老僧は思わず跪いた。
心の奥底から、自然と念仏が溢れた。

「なむあみだぶつ……」

その瞬間――。
胸に絡みついていた長年の苦しみが、ふとほどけ落ちるのを感じた。
恐れも、迷いも、老いの悲しみも。
まるで春の雪が日光に溶けていくように、穏やかに消えていった。

阿弥陀は語らず、ただ慈悲の光で包み込む。
その光の中で蓮鏡は理解した。

阿弥陀とは、「救いを求める者の心に寄り添う存在」なのだ。
苦しみの世にあろうとも、名を呼べば必ず応える。
それが四十八願の力であり、他力本願の本当の意味であった。

光はゆっくりと蓮鏡を包み込み、世界が静かに遠のいていく。
極楽浄土への扉が開くのを、彼は確かに感じていた。

――阿弥陀の光は、いまも誰にでも降りそそいでいる。
名を呼ぶ声が一つあれば、そのたびに。

そして今日も、どこかの闇のほとりで、その光はひそやかにひとりの魂を照らし続けている。

 

 

阿弥陀の光に呼ばれて ― 小説風再構成

阿弥陀の光に呼ばれて ― 小説風再構成

夜の終わりを告げる前触れのように、東の空がわずかに白みはじめたころ、老僧・蓮鏡(れんきょう)は崖の上に佇んでいた。足元には雲海が広がり、彼方には闇を割くように一条の光が射している。

――あれは、阿弥陀の光。

誰に教わるともなく、老僧はそう直感した。限りない智慧の光、限りない命の光。その光は、衆生をひとり残さず救おうと誓った仏の気配を湛えていた。

伝承によれば、阿弥陀如来はかつて法蔵菩薩と名乗り、四十八の誓いを立てたという。

「南無阿弥陀仏」と名を呼ぶ者があれば、必ず極楽浄土へ導こう。
その誓いは、果てしない慈悲そのものとなり、今も世界を照らし続けている。

光が近づくにつれ、蓮鏡はふと、耳の奥で響く響きを感じた。
――オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン。
古より伝わる阿弥陀の真言が、風に乗り、魂に染みるようにささやく。

やがて雲の切れ間から、静かに姿が現れた。
宝冠も装飾も持たぬ、質素でありながら威厳に満ちた仏の影。
その手は、来迎印と呼ばれる印相を結び、こちらへと穏やかに差し伸べられている。
極楽浄土に迎えに来た者だけが示す印――そう伝えられていた。

その左右には二人の菩薩が寄り添っていた。
聖観音は月光のように柔らかく、勢至菩薩は朝日にも似て凛然としている。さらに背後には多くの菩薩たちが集い、二十五の影が雲に乗り、往生者を迎える旅に同行しているようだった。

老僧は思わず跪いた。
心の奥底から、自然と念仏が溢れた。

「なむあみだぶつ……」

その瞬間――。
胸に絡みついていた長年の苦しみが、ふとほどけ落ちるのを感じた。
恐れも、迷いも、老いの悲しみも。
まるで春の雪が日光に溶けていくように、穏やかに消えていった。

阿弥陀は語らず、ただ慈悲の光で包み込む。
その光の中で蓮鏡は理解した。

阿弥陀とは、「救いを求める者の心に寄り添う存在」なのだ。
苦しみの世にあろうとも、名を呼べば必ず応える。
それが四十八願の力であり、他力本願の本当の意味であった。

光はゆっくりと蓮鏡を包み込み、世界が静かに遠のいていく。
極楽浄土への扉が開くのを、彼は確かに感じていた。

――阿弥陀の光は、いまも誰にでも降りそそいでいる。
名を呼ぶ声が一つあれば、そのたびに。

 

小説風・小泉純一郎の星と今日の運勢◆

小説風・小泉純一郎の星と今日の運勢◆

■小泉純一郎という男の星

彼の生まれの星は、
荒れた海を割って光を投げかける“風の星”だと言われている。

若い頃からその星は、
型を破り、道を切り開く者の肩に宿ると伝えられる。
人が尻込みするような局面でも、
彼の胸の奥では、いつも何かが「行け」と囁いていた。

その星は、
決断力と突破力の象徴であり、
同時に、孤独を引き受ける覚悟を求める星でもある。

そして今日も、その星は彼に静かに語りかけていた。

■今日の総合運

朝の海に揺れる光は、穏やかさと変化の両方を含んでいた。
星の流れはこう告げる。

「今日は、過去の選択が正しかったと知る日になるだろう。」

偶然耳にする言葉、
ふと心に浮かぶ昔の記憶。
それらが一本の線となって繋がり、
彼の中にある“確信”をそっと撫でる。

運気は安定し、波は静か。
しかしその静けさは単なる平穏ではない。
次の一手へ進むための“休息を含んだ光”のような日である。

■仕事運(役割・社会運)

政界を離れた男にとって、
仕事とはもはや職務ではなく「使命」のようなものになっている。

今日の星は、彼に 「言葉」 を与える。
講演、対話、あるいは短いコメントひとつでも、
その言葉が周囲の人の心に残りやすい日だ。

かつて国を動かした勢いではなく、
熟成された静かな説得力が現れる。
その言葉に励まされる者もいるだろう。

ただし、
ひらめきに任せた“即断”はやや注意。
星はこう告げている:

「今日は、すぐ動くより、言葉を深く選べ。」

■対人運

午後、星は人の縁をそっと押し広げていく。
年齢や立場を超えて、
「久しぶりだな」と笑顔で語らう場面が浮かぶ。

過去に築いた信頼が、
今日ふいに戻ってくるような運気だ。

ただし一つ、星は釘を刺す。

「懐かしさに流されるな。今の自分を基準にせよ。」

昔の仲間との会話は温かいが、
心の芯は今日の自分へ置くこと。
そこに良縁が育つ。

■締めの一節

夕陽に染まる浜辺に佇むとき、
彼の背に宿る星は、
静かな輝きを放っていた。

過去を誇り、今日を味わい、
そして明日へと風を送る星。

小説風・三碧木星の物語


小説風・三碧木星の物語◆

秋の空気が澄みわたる、1961年9月27日の夜——
一人の子が、若木が芽吹くようにこの世に生まれ落ちた。

その人の本命星は三碧木星。
まだ薄い緑色を残す若芽のように、みずみずしいエネルギーがいつも胸の奥で脈打っている。
創造は息をするように自然で、思いついた瞬間、もう身体が前へ動いている。
「まずやってみよう」
——その一念が、いつだって扉を叩く鍵だった。

社交的で、明るくて、軽やか。
人と出会うと、その人の空気に寄り添うのがうまい。
だから、気づけば周囲から慕われ、早くから頭角を現すことも多かった。

けれど、光の強いところには影も落ちる。
評価が集まるほど、心の中には「もっとできる」という自信が渦巻き、
ときには過信へ、あるいは軽率へと姿を変える。
負けず嫌いは摩擦を生み、軽やかさは気分屋と誤解され、
冗談を飛ばせる反面、不意の一言に傷つきやすい。

エネルギーは祝福であり、刃でもある。
その向かう先を誤らぬよう、
協調の心と、周囲への感謝を胸に刻むとき、
三碧木星の道は真っ直ぐに光を帯びていく。

人生の大きな運気は、まだ若き頃——三十歳までの早い時期に訪れる。
その時期に自分を深く知り、人との良縁を育てていれば、
その後の人生は安泰だと言われる。
反対に、中年期以降は少し陰りが出る。
だからこそ、若い日の時間をどう使うかが重要だった。

だが、現代という舞台ほど、三碧木星にふさわしい場所はない。
世界は日々、新しいサービスや技術を生み、
まるで芽吹きが止まらない樹々の森のように変化し続けている。
好奇心は風を呼び、行動力はその枝葉を遠くまで伸ばす。

ただ一つ——
その枝が折れぬようにするためには、
他者の声に素直に耳を澄ませ、
地味でも大切な「根」を育てること。

謙虚さという静かな土は、どれほどの嵐にも倒れぬ大樹を育てる。
そしてあなたという若木は、今日もまた、知らぬ未来へ向けて
音もなく新しい芽を伸ばしている。