すべてを修める必要はなく、二科目位を修すれば、完全解脱=ニルヴァーナに至り、ブッダに成れるとされます。 (但し、四念住法・四神足法は、それのみで成仏する一乗道とされる) というのは、その修行者の資質・性格、等に合わせ、組み合わせて修行させていたからです。 修行内容を大雑把に分けると、 ①実践行(戒行&善根功徳を積む行で、性格・善業悪業を調整制御する) ②瞑想行(止観の行=定・慧・解脱の行をする) ③特殊な釈尊のクンダリニーヨーガ 以上がその人の個性・得意なものに合わせ、課せられます。 ちなみに日本では、 真言宗空海様がその著書「弁顕密二教論」の中に、 「三十七菩提分法是れ法宝なり」と書かれ、また、 曹洞宗道元禅師様が「正法眼蔵」の第六十で、 「この三十七菩提分法、即ち仏祖の眼晴鼻穴、皮肉骨髄、手足面目なり。 仏祖一枚、これを三十七菩提分法と参学しきたれり」 と書かれています。 また中国天台智者大師 智顗様は「摩訶止観」にこれを取り上げています。 ただし、これは智者大師の癖だと思うのですが、五時八教の教相判釈と同様に、これは科目毎に優劣を判定しています。 一乗道とされる四念住法を外凡の位にしてるところを拝見すると、智者大師は七科三十七道品をやってみもしなかったんだなぁ、ということが理解できます。 (時代の壁、情報不足でしょうがなかったんでしょうが) その他、瑜伽唯識派・瑜伽中観派らによって後期大乗(密教)に七科三十七道品が導入されました。 たとえば、金剛界法の三十七尊がそれです。 それぞれ仏様になってはいますが、本来は七科三十七道品であり、それを仏様として象徴したものです。 これは、判る人には判るように編成したものだったのですが、時代を経るうちに、本来の意味を理解する人が減り、ただ仏様を観想し仏様と一体化して自分の中の仏性・仏心を顕わにし悟りを得る、という修行法に変わってしまいました。 これは中国、特に日本では悲劇ともいうべきもので、本来、日本にはない知識である瑜伽の素養、つまりヨーガ(ことにクンダリニーヨーガ)の素養がなければ、出来ない修行法でした。 たとえば修法(行法)の最初の方で、加持香水といってお水に火を観想するのですが、その際、軍茶利真言「オン アミリテイ ウン ハッタ」を唱えます。 これは軍茶利明王様のご真言となってますが、実は文字通り、クンダリニーのことであり、修法開始にあたって、クンダリニーを覚醒させておく、といった意味があります。 そして、その爆発的なエネルギーで空などの瞑想をし、仏菩薩の聖霊を全身全霊で勧請し、困っている人々の願楽を叶えるとともに、自身の解脱を図る、といった非常に組織された修行法でした。 これがそのまま当時(後期大乗)の姿で伝えられているのが、いわゆるチベット密教といわれるものです。 ただし、後期密教のクンダリニーヨーガがそのまま釈尊のクンダリニーヨーガかというと、そういうわけではありません。 というのも、後期大乗が採用したクンダリニーヨーガは、シャクティーを利用したものだからです。(インドから仏教が消滅した理由の一つでもあります) もしそれが釈尊のクンダリニーヨーガだとしたら、阿含経に記載がないはずはありません。 プラーナルートなど非常に参考になるところはありますが、あくまでも、煩悩即菩提に基づくものなので、似て非なるもの、というのが実のところです。 いづれにしても、前出①②番はともかく、③番の修行法については、チベット僧のように厳格な資質ある出家で、かつ、良師がいなければ不可能ともいうべき修行法のようでアリマス。 あぁ、ちなみに、チベット密教では十四世紀頃にシャクティー等の概念化を図り、戒律との矛盾を解消し、今日では、世界一戒律が厳しいといわれる程の、緻密かつ組織化された教えと修行法を併せ持つ大乗仏教の最終形態を維持しています。