意訳 般若心経
なる自在は、世のひとすべてのみを救う真理を求めて、いとふかきの行に入りえり。 において、なる観自在菩薩は、この世のものすべて、
いっさいは、本来空な ものと見たまいて、この真理をもって、世のひとすべての悩み苦しみを解きほどく真実のとなし えり。
その教えをここに説くならば、ありとてにとらわるべからず。縁あってかりにを生じたものな れば、緑によっては、また、形なき空なるものにらん。また、なしとて無しと思うな、縁によって を生じをあらわす。たとえば、かの村を見よ。 するという縁をあたうれば熱湯となり、蒸気 となって空にとけこむ。さむればふたたび水となり、雨となって地に降りそそぐ。 寒の縁にあわばか たき氷となり、つめたきの柱となる。 水の自生に変りなく、ただ緑によってかく変化す。 世のことす べてみなこの嬉し、あるも無きも本は一体にして、すべて因縁次第なり。人の心の作用の、受識のはたらき、すべてこの理にほかならず。人はき、悲しみ、あるいは喜ぶ、されど、人の性 の内に驚き、悲しみ、喜びの、一定の性のあるにはあらず。因縁因果の理法により、因に応じ、縁が 動いて、かりに相をあらわすのみ。 これを空の理と云うぞ。
舎利子よ
このように、
の本は、空なるである故に、現象の上にては緑によって様々に変化をあらわ
すけれども、その本体はいささかもることなし。生ずることもなければ、することもなく、るる こともなければ、まるということもなし。減ることもなければ、増すこともなし、ただあるものは変化
のみ。
舎利子よ。
この道理を作って、この世の成立を見るならば、あるものもなきにひとしく、も、 も、 のはたらきすべて有ることなし。また、それらの本なる駅ももももももあるにあらず。ま ただのたる色も声も香りも味わいも もまたあることなし。また、”界もなく、て 意識界もなし、明も無ければ、従って、無明の尽くるところもなく、また、老もなく、死もなく
よって
尽くるところもなし、苦も、 も、滅も、道も智慧もなく、所得もなしと心 にとどむべからず、これを悟らば、心より去るべし。心になければ、いも恐れも生ぜず、菩提境はすべからく此の空の真理をすべし を離れてかならずをつくさん。 世に住みたまえるのは、このさとりによって解説を成就し給えり。この故に、解説を めんとする人は、すべからく、般若波羅蜜多の大神を知らねばならぬ。この大神は無上の呪文に 無の呪文なり。いっさいの苦難を解る呪文にして、その威力はかりし、すべての真理 の中の真理と云うべし 真理であるが故に、いつの世、いかなる時においても変らず、ならず。
その呪に説いてく
「空の真理を身につけて、
あゆめばやがて行き着かん。
自在の慈悲のもと、せよ、ぜよ、ただひたすらに。
因縁解脱の彼のに」