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阿含経

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ここでお釈迦さまは、 布施をしなければ、信と戒があっても完全な優婆塞とは呼べないと説 かれております。

なぜならば、 布施によって初めて徳が生じるからです。 信を持ち戒を保つということは、自分 だけのことをやっているにすぎません。自分にとってプラスになることだけをやっているわけで す。一方、他の人になにかを施すということは、他の人にプラスを与えることになります。

どのような難行苦行であっても、自分のことばかりを考えていたのでは、徳は生まれません。 他の人になにかを与えてこそ、自分の身に徳が生じるのです。人間というものは、徳がなければ なに一つ成功させることはできません。 これは、仕事でもなんでも同じです。

わたくしはいつも、

「人の不幸の元凶は因縁である。 その因縁を切る成仏法を実践することによってのみ、人は本当 の幸福を得ることができる」

と申し上げております。 しかし、不徳の身では、その成仏法でさえやり通すことができないの です。 徳があってこそ、修行は順調に進みます。徳がなければ、因縁を切る修行でさえも途中で だめになるのです。修行に嫌気がさしたり、経済的に不如意になったり、あるいは周囲の者が意 味もなく反対します。 とにかく、うまくいかなくなってしまうわけです。

さきほど、白隠禅師の「施行歌』についてお話ししました。 わたくしはこれを読んで、徳の大 切さを初めて身に染みて感じました。「施行歌』とは、布施の行の大切さを分かりやすく民衆の

ために説いたものですが、その中に、

阿含経切事

「富貴に大小ある事は蒔種大小あるゆへぞ

この世はわづかの物なればよい種ゑらんでまきたまへ

たねを惜みてうざれば 穀物取たる例なし

田畑に神ずして麦ひへ取たるためしなし

いっと

むぎひ壱升まきをけば 五升や壱斗はみのるぞや 熱れば少しの施しも 果報はあるものぞ 況や施し多ければ くわほうも多しとりしれ」

という言葉があります。 わたくしは、これはまさに真理だと思います。

功徳の種をまかずに、徳の実が実るはずはありません。 功徳の種を少しでもまくならば、必ず それよりも大きな徳の実を得ることができるのです。 功徳の種をまく、これこそが布施の行なの です。

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