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密教占星術の世界へ

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. 「運命の旅:密教占星術の世界へ」

その書『密教占星術I』に込められたのは、一人の宗教家が自らの運命に挑み、運命の本質を探求する旅路であった。

仏教の因縁解脱についての教えに触れ、運命とは何かを問いかけた。多くの坊さんが説く因縁の存在を疑問視し、自らの運命について深く考えた。

刑獄の因縁に苦しみ、家族の病によって因縁の実在を痛感した彼は、運命をかたちづくる因縁についての確信を得た。

運命学の知識を持ち、自らの運命を分析してきた彼は、因縁によって運命が形成されることを理解していた。だが、一般の人々には理解し難い現実である。

彼の目には、運命は生まれた瞬間に既に決まっているという。胎宮術を例に挙げ、赤ちゃんの運命すらも予知されることを語った。

彼は、自らの運命を見極め、他人の運命を読み解くことに三十年を費やしてきた。その結果、運命の法則を理解し、運命学の体系化を果たした。

『密教占星術I』は、運命の原理と法則を紹介し、実証的な観点から運命の存在を示した書である。彼は、運命学の初伝、中伝、奥伝としてこの書を執筆し、秘伝は選ばれた弟子にのみ伝授するつもりであった。

彼は運命学が本業ではないものの、宗教に関する研究に没頭し、続巻の執筆に難航していた。しかし、余生をかけて様々な占術について執筆する意志を持っていた。

そして、その書中で語られる香港の占星術者との出会い。彼女は彼の運命を鑑定し、彼が宗教家となった後の人生の変化や未来について予言した。

『密教占星術I』と運命について
わたくしがこの本でいいたかったことは、運命とは何かということであった。
仏教では、因縁解脱ということをいうが、多くの坊さんは、それをいきなり、人間には
因縁というものがあるから、それから解脱しなければならない、と説くわけである。しか
し、わたくしは、そう説く前に、因縁というものが本当にあるのか、考えたわけである。
仏教を運命学の面から解明しようとしたのが本書である。したがって、この本はわたくしでなければ書けない本であると密かに自負している。
因縁とは何かというと、それは人間の運命をかたちづくるものである、とわたくしは考えたわけである。。
わたくしは、自分の中にある刑獄の因縁に苦しみ、妹まつ子の眸臓癌や母の乳癌によって知った癌の因縁と闘ったから、因縁というものが実際に存在するということをはっきりと認識していた。
しかし、一般人には、人間の運命は生まれながらにして決まっていて、その運命は因縁によって形成されているということがなかなか納得しがたいかもしれない。
わたくしには、幸い運命学の知識があり、自分の運命をよく分析していたから、運命の実在に確信をもっていた。したがって、仏教に入って、因縁というものを深く考えるようになって、運命の因子が因縁であることを容易に実感できたわけであるが、一般の人びと
にはそれはなかなかわかりにくいと思う。どうしてそれを伝えたらよいか、いかにすれば納得してもらえるか、といろいろ考えながら書いたのが、この『密教占星術I』である。
わたくしは、自分の運命を分析し、人の運命を見はじめて、すでに三十年近く経ってい
る、ということは、生まれたばかりの赤ちゃんを見て予知したことを、いま二十数歳とな
った青年の中に確認することができる。二十歳の人は、いま、もう四十数歳になっている。
四十歳の人は六十数歳となっている。つまり、二十数年も人の運命を見ていると、人の一生のデータがほぼそろうわけである。
そうなると、生まれたばかりの赤ちゃんがこういう星をもっていると、何歳の時にはどうなる、何歳から何歳のうちにはこうなるというようなことが、九〇パーセントの確率でわかってくる。だから、わたくしは、人の運命は、生まれた瞬間にもう決まっていると断
言できるのである。
それどころか、胎宮術という占術がある。お母さんのお腹の中にいる胎児のうちに、すなわちまだ男か女かもわからない赤ちゃんの運命すらも予知する術である。それによれば、お腹の赤ちゃんが男か女かはもちろん、その赤ちゃんの人生の大半がわかってしまうので
ある。これはなかなかむつかしい運命学であるけれども、的中率はかなり高いのである。
それから考えると、人間は、生まれた瞬間、あるいはそれ以前から、運命が決まっているとしか考えられない。
運命が決まっているということは、運命を構成する一つ一つの要素というものがすでに決まっているということである。その要素に当たるものが、因縁である。まさに、人は、
因縁によって生まれ、生き、死んでいく、ということである。
その証拠をあげて、実証的に運命の原理、法則を紹介・解説したのが『密教占星術I』ということになる。だから、サブタイトルが「運命とは何かLとなっている
わたくしは、易、九星干支術、紫微斗数、六壬天文学、八門遁甲、淵海子
洋占星術等々、ほとんどすべてを学び、自分自身の運命学を体系化するまで
るから、運命というものを説明すると同時に、運命学の初伝、中伝、奥伝と、一つの教科書としてこれらを書いておいて、奥伝以上の秘伝は、実地の講義で少数の選ばれた弟子に
伝えようと思い、全部で六巻を考えている。先にあげた運命学すべてこの六巻の中に合まれる予定である。
わたくしは運命学が本業や専門ではないので、宗教関係のほうに筆がつい向いてしまって、なかなか続巻が書けない。しかし、余生がある限り、九星干支術・八門遁甲・奇門遁
甲・天源術から、紫微斗数、六壬天文学、淵海子平、密教占星術総論というように書いていきたいと思っている。
このIの中に、香港の名占星術者、黄敏玲女史との出会いが書かれてある。女史はわたくしのことをまったく知らず、ただ日本の宗教家であるということ以外何も知らされずに、わたくしの運命を鑑定してこういった。「先生は宗教家になる前と、なった後と、まったく人生が変わってしまった。性格も一変してしまっている。これは信仰による行と修養によるもので、高い境界のものだから、いまの先生の運命は、単なる運命学などでは推しはかれない。茫洋たるものである。ただいえることは、これから新しい三つの仕事が先生を待っている。それは大きな大きな仕事で、
大変苦労するが、先生はその三つの仕事をそれぞれ成し遂げ、大成功するであろう。一言
でいうならば、先生の運命は、壮大強烈、である。健康長寿である」といった。
そして、先生の将来は運命学などでは推測できない。なぜならば、先生は自分の運命を改善し、創造してしまうからである。世の中の多くの人は、定められた運命の通りに人生を歩んで終わるが、万人に一人、自分で運命を創造していく人があらわれる。それが先生
である。だから、先生の将来を適確にいうことは不可能である。しかし、それだけでは逃げ口上のように思われるから、といって、わたくしの過去のことを二つ、三ついった。言いにくそうに、刑罰をうける運命をもっていることもいった。すべて適中しており、わたくしは舌を巻いたのであった。女史の実力は非凡で、日本に来れば超一流にランクされる
だろうと思った。ちょっと太刀打ちできる占断家はいまの日本にいないのではないかと思われた。
女史は、最後に、
「先生はまことに偉大な人だ。今日は本当に驚いた。先生のような、運命をみずからつくり出していくというような運命をもった人をはじめて見た。先生は運命をもたない人だ」
といった。
過去のことをズバリ適中させたのにも感心したが、それはほかの人でもできる。彼女が、わたくしを、運命のない人といったのは、占断を越えた占断である。一度、日本へ呼びた
いと思って、いまだに果たせずにいる。忘れ難い出会いであった。『密教占星術韮』は、三元九星・掛けの秘伝について書いた。昭和五十三年(一九七八年)の出版である

 

上の文章を小説風して

 

 

 

 

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