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輪廻する葦   桐山靖雄 著

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輪廻する葦―阿含経講義

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「滅亡の論理」を創成した天才たち

 現代社会は、「迷信」ともいうべきあやまったひとつの世界観のもとに、滅亡と破局にむ・か’

て、すさまじい予不ルギーで驀進をつづけているI            一”’

 まちがった世界観とはなにか。

 それは「知識と技術によって世界はつねに価値ある状態に前進する。」考いう考えかたである・。。

 これは、現代における先進国のひとびとにとって、もはや「考え」というよりもむしろ、「信

念」となっており、「希望Lにすらなっている。

 この世界観は、機械と技術が万能であるという考えが基盤となっており、それが、現代社会を

構成する基本概念となっている。それがっくり出した現代人の生活をみてみよう。

 遊びは電子技術によってつくられた機械-電子ゲームをい七ぐりまわすことであり、、娯楽は

テレビであり電子音楽である。仕事はモニターと微調整機械を調整することであり、さらには口

ボ″トに代行させること‘が理想となりつつある。日々の活動は時計で規定され、通信手段は電話であり、家事は電子技術による調理器、洗濯機その他の操作である。勉強にしても、計算器、コ

ンピューター、テレビの手助けを借り、ワードプロセッサーが文字を書くことを不要にしている。

旅行は自動車やジエ″ト機がスピードを競う、というように、すべて機械にとりまかれた生活

である。

 その基本観念は、機械と技術が進歩すればするほど、われわれの生活が進歩し、改善され、繁

栄する、というものである。そして、それは、人間の知識と技術の向上により、無限に上昇しつ

つ、つづくものと考えられているのである。

『エントロピーの法則』の著者J・リフキンは、この世界観をつくりあげ、決定づけたのは、三

人の思想家であるとして、つぎのようにのべている。

  『それぞれの世界観には、その構築者がいる。機械的世界観の肌がを築いたのは三人の人

  間、すなわちフランシス・ベーコン、ルネーデカルト、そしてアイザックーニュートンであ

  る。しかも、当時から約四〇〇年後にいるわれわれは、今なお、彼らの考え方を基盤にして

  生活している』

 それまでの、古代ギリシアの世界観を排斥して、機械体系のための原理をうちたてたのは、フ

ランシス・ベーコンで、かれは、「人間の生活は、つねに新たな発見と潜在力に満ちていなくて

はならない。いまや学問の真の目標はその方法の法則化以外のなにものでもない」といい、その

あたらしい方法とは「科学的方法論」であるとした。科学万能論の萌芽である。

 つづいて数学者のルネーデカルトが数学的方法論によって、べ1・コンの科学万能論を延長し

た。ついで、アイザ″クーニュートンが、数学的方法によって、物理的機械体系の世界を構築し

た。ここにおいて、機械と科学の方能論が完全、かつゆるぎないものとなったのである。

 この機械的世界観を、社会学と経済学に移入したのが、イギリスの哲学者であり政治学者であ

るジョンーロック(一六三二-一七〇四)と、おなじくイギリスの経済学者であるアダムースミ

ス(一七二三-一七九〇)であった。

 ジョンーロックは、「個人が富むことはすなわち社会が富むことであるLとして、自己の利益

を純粋に追求することが、よりよき国家を形成するための唯一無二の方法であるとした。人間は、

本来、物質欲が強いように生まれついてはいるか、社会の富を増加しさえすれば問題はないので

あって、そうすれば、社会は調和され、改善されて、人間どうしで戦う必要のない社会が到来す

る、とかれは断言する。「なぜなら、自然は十分に恵み深く、さらに開発されるべき余力をうん

と残しているLからだと説く。したがって、口ご

た自然にたいする支配力(科学と技術)によって富を生産する自由を、国民にあたえることであった。

つた。

 かれは、ニュートン体系の一般概念を反映するようなかたちで、経済理論をうち立てようとし

た。スミスは『国富論』のなかで、自然法則にしたがって運動する天体とおなじように、経済も

また同様の行為を示すとのべ、したがって、経済組織にとって最も効率のよい方法とは、自由放

任主義であり、現象をそのまま放っておき、人間の行動をたにものも阻害しないようにすること

だ、とした。ロご

満足であると信じた。そして、それが自然である以上、個人の欲望を批判したり、個人の利益の

追求をさまたげるような社会的障壁を設けることは、社会に害悪をもたらすものとした。

 つまり、あるがままに自己を満足させようとする欲望は、結局、社会の利益をもたらすことに・

なるのであるか・ら、その欲望から生ずる効率的活動をさまたげるべきでなく、むしろ最良の経済

原則であるとし、不足を克服するためには、個人個人が利己的に活動すべきである、と主張した

のである。

  『各個人は、常に自らが支配できるいかなる資本に対しても、最大限有利な雇用を見いだす

  べく努力している。これは、まさしく個人の利益であって、その個人が属する社会の利益で

  はない。しかし、自己の利益を追い求めることは、当然のごとく、あるいはむしろ必然的に、

  社会にとって最も最利な雇用をもたらすことにつながるのである』(アダムースミス『国富論』)

 このアダムースミスに代表される世界観は、いまもなおそのままうけつがれ、現代社会を大き

く動かしているのであるが、それは、二つの基盤から成り立つ、まず、

‐1、ジョンーロックがいったように、「自然は十分に恵み深く、ざ。らに開発されるべき余力をケ

  んと残している」と考えていることである。いや、現代人は、jJ限に”残していると信じ

  ているのではないか。そう信じているがゆえに、力学の科学的原理を応用して機械と技術を

  発展しさえすれば、この世界は無限に進歩改善ざれ、繁栄してゆくと考え各わけであ・る。そ

 してその動力となるものは、ロ″クや、スミスが説いたように、人間の物質的利己心を最大

限に発展させる、という思想である。

2いより多くの物質的豊かさを追求し、実現することが進歩であるとし、それが人間の理想世

-。界であるど考え、科学技術はそれを完全に実現してくれる。と確信している。

この二つである。

 あなたもまた、この考えとおなじか、あるいはそれに近い考えを持っているのではないだろう

 

 ところが、この考えはまったくの「迷信」であり、「誤謬」であったのである。

 人類を進歩と繁栄の世界に到達させるはずのこの世界観は、じつは、人類を滅亡と破局に追い

こむ「地獄の思想」だったのである。

 

それをあきらかにしたのが、「エントロピーの法則」であった。

エントロピーの法則

「エントロピーの法則」とは、「熱力学の法則」であるが、この熱力学の法則には、「第一の法

則」と「第二の法則」がある。

 第一の法則は「宇宙における物質と予不ルギーの総和は一定で、けっして創成したり、消滅す

るようなことはない。また、物質が変化するのは、その形態だけで、本質が変わることはない」

という、有名な「千不ルギー保存の法則」である。

 そして熱力学の第二法則、というのが、つまり「エントロピーの法則」で、つぎのように表現

される。’

 「物質とエネルギーは一つの方向のみに変化する。すなわち、使用可能なものから使用不可能な

ものへ、あるいは、利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた、秩序化されたもの

から、無秩序化されたものへと変化する」というものである。

 この「エントロピーの法則」について、アルバートーアインシュタイッは『エントロピーは、

すべての科学にとって第一の法則である』といっている。すべての科学法則のなかで、絶対法則

としてみとめられているが、この「エントロピーの法則」なのである。

 エントロピーというのは、一種の測定法であって、それによって利用可能な予不ルギーが利用

不可能な形態に変換してゆく度合いを測ることができるものである。そこで、エントロピーの増

大とは、使えない予不ルギーの増加を示すものなのである。この法則で示す二つの重大なポイン

トがある。一つは、二度使用された予不ルギーはもう使用できなくなる”ということと、もう

一つは”地球もしくは宇宙のどこかで秩序らしきものが創成される場合、その周辺環境にはいっ

そう大きな無秩序が生じる”とされていることである。

 このエントロピーの法則に照らし合わせてみたとき、いままでの世界観はまったくの迷信であ

り、誤謬であったことがあきらかになったのである。

 まず第一に、との世界における自然の資源は有限であり、いまのように科学と技術が資源を利

用しつづけてゆくと、遠からずこの地球上には、利用すべき資源はなにもなくなってしまうとい

うことである。

 どのような科学と技術も、エネルギーを使い果たさずに何度も何度も于不ルギーを使用する方

法など持つことは不可能である。たとえば、石炭を燃やす。エネルギーは得られても、二酸化硫

黄やその他のガスが発生して、空気中に拡散する。その過程においてエネルギーが失われること

はないものの、一度燃やした石炭をまた燃やすことはできないし、ましてや同量の仕事を得るこ

とはできない。

 このことについて、J・リフキンは、『エントロピーの法則』の中で、つぎのように説明する。

 上『われわれは、自分たちが使っているほとんどすべての物が、適切な技術を開発しさえすれ

  ば、まず完全に再生し、利用できるものと思いこんでいる。だが、・これは間違いだ。将来~三

  この世界が経済的に生き残っていくには、吼サイクリング(再生利用)をさらに効率的に推。

  進していくことは不可欠であり、これは言うまでもないことだが、一〇〇パーセント再処理

  できる方法などないのも事実である。

   たとえば、清涼飲料の空耀を考えればよく拉かるように、大部分の使用済み金属を見た場

  合、平均的な再生利用効率は、現在三〇八Iセントとなっている。さらにリサイクリックの

  ためには、使用された素材の収集・運搬・処理というように、別のエネルギーが必要となっ

  て、環境の全エントロピーが増える結果になる。したがって何かを再生利用するには、新た

  に使用可能なエネルギーの出費と、環境の全エントロピーの増大という犠牲が必ずつきまと

  うわけである』

 『一一度使用した物質はリサイクリングすることが可能であるけれども、そのたびに変化して変え

てゆくという”目減り’は覚悟しなければならないし、また、そのリサイクリングするために別

なエネルギー・物質が消費されるから、結局、全体としてはなんにもならないということである。

   『たとえば、地表下から金属をとり出して、それからなにか道具を作ると仮定してみよう。

  この道具が存在している間、金属の分子は摩擦、疲労、傷などのために、絶えず飛び去り、

  また、これら遊離した金属分子は、けっして消滅することはなく、最終的には土の中に舞い

  戻ってしまう。

   ところが、土の中に舞い戻るといっても、今度は土壌中に散在してしまうわけで、元の金

  属鉱石の塊りのように、もはや有益な仕事を行なえるようなかたちにはなりえない。。また、‘y

  これら土壌中にばらばらに散った金属分子を、すべてリサイクリングする方法が、将来発見

  されるかもしれないが、それには、やはりこの全過程において、他の于不ルギーの使用とい

  う別の次元でのエントロピーの増大を必ず伴う』

 ところが、現代社会は、科学と技術がいくらでも、自分たちの便利と繁栄のための道具を無際限につくり出してくれるものと盲信しているのである。     

 

 今日の新聞(昭57・朝日新聞)は、ソ連の農業が、四年連続の不作であると報じ、そ

の主な原因の一つとして、「地力の低下Lをあげている。ほかにもいくつかの原因をあげている

が、これが最大の原因であることは、疑う余地がない。要するに「収奪農業Lによる地力低下で

ある。土地から収奪するばかりの農業がまねく必然の結果である。いつかは破産する。

 農民なら、だれでも知っていることだが、いくら再生利用に努め、つねに日照が不足しないよ

うにしたとしても、同一の場所で毎年毎年おなじ収穫を得ることは不可能である。エントロピー

の法則では、今日一葉の草が包えたということは、将来おなじ場所で生える草の葉が一枚減ると

いうことを意味するのであり、これは、ニコラスーレーゲンの理論で、かれは『閉ざされた系に

おいて、物質的エントロピーは、究極的に必ず最大に向かう』と表現している。

 四年連続して不作となっているソ連の農業が、そのままいまのわれわれの世界のすがたであろ

う。人類は、その起源からいまに至るまで、ずうっと、地球上においてストご

ルギーを収奪し、食いつぶしつづけているのである。

 人類が誕生して以来、いままでに、なに一つとして、地球上にストックされた資源を使わずに

あらたな物質を創造したということはない。すべて、ストご

食いつぶしだ。それは、要するに、或るエネルギーを使用可能な状態から使用不可能な状態にと

変換してきただけである。そして、人類が進化し進歩するにつれて、エネルギー利用の能力が高

められてきた、ということは、使用不可能な状態の予不ルギーを増加させる能力が高められてき

たということにほかならない。これを「エントロピーの法則」によってみれば、地球上の生命に

とって、進歩とは、使用可能な予不ルギりをすべて食いつぶし、消費してしまうということにほ

かならないのである。

 現代社会の発展ど繁栄は、この地球上にストックされた資源のうち、主として、石油と石炭に

依存している’。ところか、われわれは、いま、現実に、この石油、石炭をはじめとする再生不可能

な予不ルギーのストックを、ほとんど使い果たしているのである。これをいったいどう考えるか。”コロンビア大学の経済学者エミールーブノワは『原子力科学者会報』の中で、石油の世界消費

が現在のペースで増えつづければ、今後二五年以内に石油は枯渇してしまう、とのべている。か

りにヽ、ご現在の石油埋蔵量の四倍に匹敵する新たな石油層が発見されたとしても(多くの専門家は

夢物語としているが)それでも枯渇までの期間が、せいぜい二五年延びるにすぎないのである。

 また、一五ヶ国にわたる産業界、政府の要人、それに学界の専門家を加え、マサチューセ、ノツー

エ科大学の後援で実施された最近の調査では、世界の石油供給は、西暦二〇〇〇年以前に、増加

する需要を満たしきれなくなるであろう、と結論している。また、一九八五年から一九九五年に

かけ。て、エネルギー価格が現在より五〇%上昇するようなことがあると、世界は大規模な石油危

機に見まわれることがあるかも知れない、とものべているぐ

 日米欧委員会(日本、アメリカ、西欧の政治・経済のリーダーが参加している国際的な組織)

がおこなった調査をみても、同様な予測がなされており、一九九〇年代の中頃までには、世界の

石油需要は、その供給を完全に上回るだろうとされている。

 これにたいし、新たな于不ルギー生産の技術研究がすすめられている。

 まず、石炭液化であるが、これは、わずか三-四バーレル(てバーレルは四二ガロッ)の液化

油を得るのに、一トン以上の石炭を採掘し、それを高温に熟し、さらに高圧処理しなければなら

ない。それに要する干不ルギーの量は、まさに気も遠くなるばかりの数字である。

 だれでもわかるように、エネルギーを変換するためには、べつのエネルギーが必要である。だ

から、正味のエネルギーとは、新たに干不ルギーをつくり出すために要した于不ルギーを差引い

た残りの総計である。その点からいうと、シェールーオイル(頁岩油)は論外である。たったI

バーレルのシェー・ルーオイルを生産するのにIトン半ものオイルーシェー・ル(油母頁岩)が必要

で、それと同時に、製造過程において水をニバーレル必要とする。しかも、シェールーオイルは

毒性のガスを発生するので、その処理がたいへんである。タールーサッド(粘性の高い炭化水素

を含む砂または砂岩)はどうかといえば、わずかIバーレルの石油を得るのに、約ニトッのクー

ルーサンドを採掘して加熟しなければならない。いずれも、へたをすると、一〇のエネルギーを

得るために、二〇、三〇の干不ルギーを消費しなければならないおそれがあるわけである。とて

も実用できるものではないのだ。

 原子力発電は危険きわまりなく、いま最も注目されている太陽エネルギーの利用は、どのように

高度の技術を結集したとしても、現在の産業構造を支えるエネルギー源にはなり得ないのである。

 太陽子不ルギーの持つ流れの性質、および現在の技術からみて、太陽子不ルギーが最適なのは、

小規模のシステム、たとえば各家庭に熱と湯を供給するといった装置にたいしてである。多くの

太陽子不ルギーの推進者らの間で一致している意見は、現在の技術水準や、将来の技術水準をで

きるかぎり考慮しても、いまの個人住宅を太陽子不ルギー用に改造した場合、住宅の子不ルギー

需要の六〇%をまかなうにすぎないだろうという。また、もし、将来、太陽子不ルギー利用のす

ばらしい新技術が開発されたとしても、それは、現在の子不ルギー利用構造とまったく異なった

ものであるから、あらたな資源を使って、まったく新しい構造をつくり出さなければならない。

その手不ルギー消費は考えられないほどの数字になることは必然である。それに現在の、あるい

は将来の地球資源は耐えられるかどうかであるフ

 J・リフキンは、結局、

  『このまま進むと、われわれがこの地球を去るときは、自分たちのためだけに、将来人類が

  必要とするすべての資源を使いはたし、次の世代の人間は、何一つ使用できるエネルギーを

  持たない惑星に取り残されてしまうことになる。なんというエゴ、なんという視野狭窄症  だろう6

 といっているが、わたくしは、このリフキンの言葉にたいし、(ふかい恐れをもって)

「そんな心配は不要にな・るのではないか」

 と思うのである。

 つまり、リフキンのいうような次の世代まで、この世界は持ちこたえられまい、ということで

ある。もっとはっきり言うと、地球上につぎの世代は存在しない、ということだ。

物質世界の法則からの超越

 考えてごらんなさい。数年まえに起こったトイレット・ペーパー買い溜めさわぎを。

 トイレット・ペーパーで、あのさわぎである。これが、生活にぜったい必要な燃料や食料とい

うことになったら、いったい、どんなさわぎになるか。

 一九七九年、アメリカの各地で起きたガスライン(ガソリンを買うための自動車の行列)で。、

わずかのガソリンをめぐって殺人事件まで発生した。。             ▽

 これがなにを意味するか。いままでの人類の歴史をみてみれば、すぐにわかることである。

 国家はつねに、使川可能な新たな手不ルギー源を求めて、地理的領土欲を強め、既存予不ルギ

ー源の枯渇をおぎなおうとしてきた。帝国主義的ないし植民主義的拡大は、すべて、新しい予不

ルギー源を確保するために生まれたものである。かつての日本もそうであった。

 石油資源が枯渇し、エネルギ~危機が悪化するならば、それが頂点に達する前に、世界の強大

国は、いずれも、この歴史の例にならうことになろう。いまの世界観のままで推移すれば、必ず、

そうなる。ソ連の中東進出、アメリカの軍事介入、そして全面核戦争、地球の滅亡、というコー

スは、その一つの例である。

 もちろん、これに反対の意見もすくなくはない。

 その代表の一例として、たとえば、鮎川信夫氏は、週刊文春の書評欄(57年11月11日号)で、’

ジョナサンーシェル『地球の運命』を論評して、

   『核戦争は、十年前にも、二十年前にも起らなかったのである。十年後にも、二十年後にも

  起らないと考えて、何か不都合な理由でもあるのだろうか。過去において、核戦争を防止し

  た抑止力が、今後とも有効に働くと判断しても、少しもおかしくないはずである』

 といい、

   『ハーマンーカーンが、「人類の絶滅」は、最もありそうもないことだと否定したのはよく

  知られている。また最近ではエドワードーテラーが、放射性降下物は洗い流すだけで症状を  ち仏教の理想とする、すべての煩悩を滅した境地)、あるいは「道」という真理に到達する

  ことができるというものである』

 といっているのは、仏教徒を自任しているこの国のひとたちすべてが、襟をただして聞くべき

言葉ではないか。

 われわれが、物質的欲望の充足を目標としているかぎり、物質を支配する法則、「エントロピ

ーの法則」から脱出することはできない。

 シャカは「霊性の獲得」という方法により、物質世界の法則からの脱出を説き、その方法をわ

れわれに示した。それにより、人間は、物質世界の法則から超越し、霊的世界という高次元の世

界に生き、高次元の世界を創造することができることを教えられたのである。それが、シャカの

「成仏法」である。

 このシャカの「成仏法Lは、いろいろな事情から、千数百年の間、日本の仏教界において抹殺

されつづけ、ついに今日にいたるまで陽の目をみることがなかった。

 いま、このシャカの成仏法が、世に出でんとしているのは、この世界を救おうとするみ仏の意

志と、無意識のうちにこの聖なる教法を求めている人類の願いが、まさにいま合致したのである

と思われてならない。その使命をはたすことのできるよろこびに、わたくしはうちふるえている

のである。

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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