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無著(無着 むじゃく / むぢゃく、梵: Asaṅga アサンガ、

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無著無着 むじゃく / むぢゃく、: Asaṅga アサンガ、: thogs med)は、インド大乗仏教唯識派の学者。生没年は不詳である[1]
かつてインド西北に位置したガンダーラ国(現在のパキスタン、ペシャーワル地方)にバラモン階級として誕生。父の名はカウシカ(Kauśika、憍尸迦)、母の名はヴィリンチ(Viriñci、比隣持)であったとされ、弟が2人おり、3人兄弟の長男であったとされる[2]。実弟の内、次男の方は説一切有部から唯識派に転向して大成した世親(ヴァスバンドゥ)。三男の方は説一切有部の阿羅漢ヴィリンチヴァッツァ(比隣持跋娑[3]Viriñcivatsa[3])。兄弟全員が世親(ヴァスバンドゥ)という名前であるが、長男はアサンガ(無著)、三男はヴィリンチヴァッツァという別名で呼ばれるため、「世親」という名は専ら次男のことを指す。初め部派仏教において出家[注 1]瞑想に基づく欲望からの離脱法を修得した。「」の教理が理解できないため自殺しようと悩んでいたとき、東方、ヴィデーハ国(現在のビハール州北部)のピンドーラ(Piṇḍola、賓頭羅)阿羅漢に出会い、ようやく部派の空観をも体得した。

しかし、これに満足できない無著は、インド中部のアヨーディヤー(現在のアウド)に赴き、大乗仏教の修行の一つである瑜伽行に努め、大乗仏教徒となった。伝説によるとこの時彼は神通力で兜率天に向かい、そこで弥勒マイトレーヤ)から大乗仏教の空思想を学んだのだという[5]。また、他の人々にも、弥勒が直接『瑜伽師地論』(『十七地経』)を説くように要請し、無著がその解説をすることにした。これが唯識思想流布の端緒とされる。彼は弥勒から日光三昧を教えられていたので、大乗の教義を容易に理解し、記憶することができたという。晩年には、大乗を誹謗する世親をアヨーディヤーに呼び寄せ、転向させた。世親は兄とともに偉大なる大乗仏教者として知られるようになった。

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