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道教

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老子は先秦時代の学者とされるが、その経歴については不明な点が多く、その思想を記した書である『老子道徳経』の成立時期もさまざまな説がある[9]。道教は中国古来の宗教的な諸観念をもとに長い期間を経て醸成されたもので、一人の教祖によって始められたものではないから、老子が道教の教祖であるとはいえない[9]

しかし、『老子』に説かれる「」の概念が道教思想の根本であることは確かである[9]。道教においては、不老長生を得て「道」と合一することが究極の理想として掲げられ、道徳の教理を記した書の冒頭には『老子』の「道」または「道徳」について説明がなされるのが通例である[9]

『老子』の冒頭には以下のようにある[10]

道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。名無し、天地の始めには。名有り、万物の母には。故に常に無欲にしてその妙(深遠な根源世界)を観て、常に有欲にしてその徼(明らかな現象世界)を観る。この両者は同じきより出でて名を異にし、同じくこれを玄(奥深い神秘)と謂う。玄のまた玄、衆妙の門。— 『老子』第一章

『老子』では、世間で普通に「道」と言われているような道は本当の道ではないとして否定し、目に見える現象世界を超えた根源世界、天地万物が現れた神秘の世界に目を向ける[10]。「道」は超越的で人間にはとらえがたいものだが、天地万物を生じるという偉大な働きをし、気という形で天地万物の中に普遍的に内在している[11]

老子』に見られる「道」「徳」「柔」「無為」といった思想は、20世紀後半に発掘された馬王堆帛書郭店楚簡から推測すると、戦国時代後期には知られていたと考えられる[12]。「道」を世界万物の根源と定める思想もこの頃に発生し、やがて老子の思想と同じ道家という学派で解釈されるようになった[13]。一方、『老子道徳経』の政治思想は、古代の帝王である黄帝が説く無為の政治と結びつきを強め、道家と法家を交えた黄老思想が成立した。前漢時代まで大きく広まり実際の政治にも影響を与えたが[14]武帝が儒教を国教とすると民間に深く浸透するようになった。その過程で老荘思想的原理考究の面が廃れ、黄帝に付随していた神仙的性質が強まっていった。そして老子もまた不老不死の仙人と考えられ、信仰の対象になった[15]

道教においては、不老長生を得て「道」と合一することを理想とするが、その際には精神的な悟脱だけを問題とするのではなく、身体的な側面も極めて重視する[16]。そのため、形而上の「道」の具体的な発現である「気」もクローズアップされるようになった[16]

神仙道編集

健康で長生きしたいという人々の共通の願いが、永遠の生命を得るという超現実的なところまでふくらませたものが神仙という観念であり、道教では理念的には神仙になることを最終目標としている[17]。神仙は、東の海の遠くにある蓬萊山や西の果てにある崑崙山に棲み、不老不死などの能力を持っている[18]。また、戦国時代から漢代にかけては、神仙は羽の生えた人としてイメージされることが多く[17]、神仙は天へと飛翔する存在とされる[19]。神仙は、『荘子』においては「真人」「神人」「至人」などとも呼称される[20]

外丹編集

清代に出版された煉金術の書。

神仙への憧れは様々な伝説を生み、『列仙伝』や『神仙伝』といった仙人の伝承が生まれた[21]。仙人になるための修行理論や方法は葛洪の『抱朴子』に整理されている[22]葛洪は、人は学んで仙人になることができると主張し、そのための方法として行気(呼吸法)や導引、守一(身体の「一」を守り育てること)などを挙げる。葛洪が特に重視するのは「還丹」(硫化水素からなる鉱物を熟して作ったもの)と「金液」(金を液状にしたもの)の服用である[23]。このように、金石草木を調合して不老不死の薬物を錬成することを「外丹」(練丹術、金丹)と呼ぶ[24]。葛洪は、神仙になる方法を知りながらも経済的理由で必要な金属鉱物を入手できないため実践に至らないとも述べている[25]

実際には、水銀化合物を含む丹薬は毒薬であり、唐代には丹薬の服用による中毒で死に至った皇帝が何人も出た[26]。煉丹術の研究は丹砂や鉛といった鉱物に対する科学的知識を多く蓄積し、唐代の道士が煉丹の過程で事故を起こしたことがきっかけとなって火薬の発明に至った。また、道士は中毒死を防ぐために医学について研究したため、漢方医学の発展を促し、煉丹術の成果は医学に吸収されて外科の薬物として用いられている[27]

宋代以後は、金丹といった「外物」(自己の身体の外にある物質)の力を借りるのではなく、修練によって自己の体内に丹を作り出すという「内丹」の法が盛んになることとなり、外丹は下火になった[26]

内丹編集

内丹とは、人間の肉体そのものを一つの反応釜とし、体内の「気」を薬材とみなして、丹薬を体内に作り出そうとするもので、それによって不老長生が実現するとされた瞑想法・身体技法である[28]。呼吸法には「吐故納新」、瞑想法には五臓を意識して行う「化色五倉の術」、ほかにの歩みを真似て様々な効用を求めた「禹歩」などがある[29]。また、道教においては身体と精神は密接につながっていると考えられるため、感情を調和のとれた穏やかな状態に保つ精神的な修養も不老不死のために必要であるとされた[28]

唐代までは外丹が盛んであったが、宋代以後には不老長生法の主流は内丹に移り、『周易参同契』と張伯端の『悟真篇』が内丹の根本経典とされた[30]。『悟真篇』の内丹法は、「金丹」を体内で練成する段階と、それを体内に巡らせる「金液還丹」の段階に分かれている。前者の段階は、腎臓の部位に感じられる陽気の「真陽」と、心臓の部位に感じられる陰気の「真陰」を交合させると、丹田に金丹が生じるというもの。後者の段階は、体内の金丹を育成し、身体の精気を金液に変化させる。この時、金液は督脈と任脈のルートに沿って体内を還流し、十ヶ月続けると神仙になる[30]。ただし、これと同時に心性・精神の修養も必要であるとされ、これは「性命兼修」また「性命双修」と呼ばれのちの全真教で重視された[30]

羽化仙と尸解仙編集

以上のように、道教においてはさまざまな方法によって不老長生の仙人になることが目指されたが、現実には死は避けがたいものであった[31]。そこで、形の上では死ぬという手続きを経た上で、のちに仙人になるという考え方が生まれ、これを「尸解」という[31]尸解仙の伝説にはさまざまなものがあり、死んだ人が生き返った、棺の中の遺体が消えて服だけになっていた、遺体がセミの抜け殻のように皮だけになっていたといった逸話が語られた[31]。また、丹薬によって中毒死した場合も、それは本当の死ではなく、尸解仙になったものと考えられた[27]

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