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求聞持法

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4 =並人誕生
だんじ上うだいしゃく
とうこうざ
火龍は目ざめた。
あかあかとひときわ高く燃えあがった火焰に蘇油をそそごうと、壇上の大杓に手をさしのべた
とたん、私は、背中に、力いっぱい鉄のかたまりでも、たたきつけられたような衝撃を感じて、
声もなく、うしろにのけぞった。つぎの瞬間、私は虚空をつかんで登高座からころげ落ちてい
た。息つくひまもなく苦痛がたてつづけに襲い、私は、胸をかきむしり、身をよじり、息も絶え
絶えにあえぎにあえいだ。いったいなにごとが起きたのか考えるいとまもなく、私の全身は暴風
に吹きさらされる一本の草草のごとくうちふるえ、わななき、崩れた。全身の血管は膨張し、苦
に大きく見ひらかれた腫は血を噴いて飛び出すのかと思われ、息がつまってあえぎにあえぐ私
は、ささくれだった堂内の板敷きを腹ばいっっ拳で乱打し、私の拳は血にまみれた。
「食中」
あしぐさ
こぶし
しかし、私はこの山奥の壁にこもったこの三日間、断食をつづけていた。
「だれかに港を盛られたか?」
しかし、湧き出る泉のきよらかな水以外、ほかのなにものも私は口にしていない。

仏動か?政法!」
のどとをかきむしりながら、頭のなかをきれぎれに声にならない言葉が走った。
私は、深夜の護摩行に入っていたのだった。定に入って、護摩の火を凝視つつ、私はチャクラ
のトレーニングに入っていた。そのころ、私は、定に入ると、自然に手指が動き、あたらしい手
印がつぎつぎと生まれ、いうならば「ムドラー三昧」に入っていた。その夜、三つのあたらしい
ムドラーが生まれていた。パドマ・ムドラー (と今は名づけられている)と、バザラ・ムドラー
を組んだ瞬間、例の「明星」が、ふっと、護摩の火焰の上に浮かんだ。それが、いつもとちがっ
て、2のようにまたたかず、静止したまま、しだいに明るさを増しつつ大きくなってゆくのだ。
ついにそれは学大になった。つぎの瞬間、それはしずかに回転しはじめた。ゆっくりと、それ
は回転する。はやからず、おそからず、おなじテンポ、かわらぬリズムでそれはまわる。それは
いいさ
頭のなかではない。明白に、護摩の火の真上の空間である。ただし、それは、頭の角度によるの
であった。その角度を変えるとそれは消える。消えてから、目を閉じて、閉じたまま眼球をある
角度に向けると、ふたたび明星は目のなかに生ずる。私は、目をひらき、火焰の上の廻転する
「明星」を避視しつづけた。
だんぼく
そのとき、高く組んでいた瓦木が焼け落ち、ひときわ高く火が燃えあがった。蘇油をそそごう
として、私は息上の大判に手をさしのべた。その刹那、私は背中に、鉄のかたまりを力いっぱい
たたきつけられたような衝撃を感じて、うしろにのけぞり倒れていたのである。

 

ました
まう。
「越法罪か!
私は、なんとか姿勢を正そうと、次のような心中 う、懸命に身を立てなおそうとした。
服装を正し、なんとか金高座によじのぼり,越法消滅の行法を修さんものと必死になった。
ようやく登高座に手がかかった瞬間、じーんと強い電流が背骨を走りぬけた。
私はふたたびのけぞった。それは、廣ムの奥から白熱のようにひらめいて、私の不在を下につ
きぬけた。電撃のようであった。日がくらんだ。つぎの瞬間、全身に悪寒が走った。突然、急接
た寒さが全身を襲った。寒い。深山とはいえ四月の上旬であるのに、体じゅう氷づけにされたよ
うな寒さだ。ガチガチと歯の根が合わない。戦標と奏、凍死するぞ、と思った瞬間、展の
底から、かあっと燃えるように熱くなった。助かった!と思う間もなく、ふたたび金なき
がくる。交互に、これが数回おこった。私はもはや死生であった。
「もう死ぬ!」
とに江らない謎多きあげた瞬間であった。居統倍のあたりに、ふいに焼きゴテをあてられた
ようた熱意を感じた。尾監督が、ぐうッと動き、肉ばなれしたようなはげしい痛覚!
そのとき、ばっと頭のなかにひらめいた。
「ダンダリニーだ!」
私は書んだ。
「ダンダリニーの覚だ!」

 

 

そうか、そうだったのか。これがクンダリニーの目ざめなのか!
私は苦痛に顔をゆがめながら、味突した。
それからあと、ただ、私は苦痛に身をまかせた。あえぎながら耐えた。身をよじりつつ静止を
待った。それはおよそ二時間ほどつづいた。
立ち上って堂の戸をあけると、しらじらと夜は明けそめていた。すべてがおわって、われにか
えった私は、ふうっと大きく吐息をついて、すべて夢のなかの出来事のように感じた。しかし、
それはけっして夢のなかの出来事ではなかった明白な証拠が私の全身をとらえていた。
この、いまだかつてない爽快感! 私は生まれかわっていた。私の内なるなにかが目ざめてい
た。すべてのものが、明るいかがやきにみちていた。光がながれていた。木も草も、石ころさ
えもが、私にむかってかがやきながら殺到してきた。私は彼らとはなしが交せそうであった。彼
らの考えが、ひとつひとつ私の魂のなかに流れこんできた。なにもかも、かがやいていた。私自
身の全身からも、うすい青と黄色と白のかがやきが霧のように流れ出、たゆたっていた。ごくう
すいヴェールが風に吹かれて舞うように私のからだをめぐりつつ、それは光らずにかがやいた。
そのとき私の耳は地球の発する巨大な轟音を聞いた。その一瞬、私は時間も空間も超えていた。
いまこの瞬間、私は一冊のうちに万里を飛翔することができる。またたくうちにヒマラヤの奥
地に飛び、つぎの瞬間、身を転じてパリの喧騒のなかに身をおくこともできる。私はそのまま消
することもたかった。私はそのとき欲するならば光に化身することも可能であった。満目、光しこるのかに、無意のある、ル。
私のタンパニー常時あった。
とを明かそう。漢線をチャクラをまとイングに進を教のeme察部)。ク
ンダラー要選。過給た開発の最の原典だったのである。ただし。この漫線は。施気の。類
普察にある。ある本作は透撃。で磁場、オクラの開発を主とした瞬美線,三線があ
類語変義の寒性 死とは
をはきまでいくとし、道しながクンニをまく
なるんであったまま正慶のであった。敵の出演して
いると、下。義
今だにダンプリーツがある動でい発。まず、タンニードなお、応務
ご機のなかめカジュールアーを直して、サバカスタを、き度が年、建築、アク
リーダーランドランに発送して、選定がある。学を出ている。思いが残念、さきに、大
ステティックデ察用されていた。とに非並外出が期で、成、金髪で後、日を
バンダナラーンバスアライアンクカヒ理にして。
でも、バラに関・小城

 

 


常)の『明星』から、クンダリニーにむかって光が一瞬し、その電撃によって、クンダリニーが
よびさまされたという感じであった。たしかに、薬品から脊柱の中心を通って思武骨に光ととも
に指覚が走った。そして足概骨に灼けつくような激痛が生じたのである。
まさに正反対である。
これはいったいどういうわけであろうか。
思うに、これは、私の特殊な修行法によるものではなかろうか?
私の特異なところは、密教からヨーガに入っていったということである。つまり、密教の立場
で古代ヨーガを修行したということである。今まで、クンダリニーを覚醒した偉大なヨーギー
(ローガ修行者のことたちの体験を読むと(日本において、今までにクンダリニーをほんとうに
覚した人はひとりもいない。したがって、その体験を書きしるされたものを読むしかない)す
べて、最初からヨーガに入り、ヨーガを修行した人びとばかりである。そうして、ヨーガの定石
通り、まずクンダリニーの覚醒に力を集中した。
私はちがう。
私は、まず密教に人り、真言宗密教のカベにつきあたり、転じて古代インドのヨーガにむかっ
た。
ヨーガに入っても、私はほかのヨーギーたちのようにクンダリニーの覚醒を求めず、なにより
まず「求聞持惑明法」を完成するための技法を求めた。むしろ、私は、「求聞持法」を完成するために古代ヨーガに道を求めたといったほうがほんとうであった。私は、拙著「変身の原理」
に書いたように、弘法大師空海にならって、真の密教修行は「求聞持法」からはじめられねばな
らぬと思った。すべての秘密を解くカギは、「求聞持法」のなかに秘められていると信じた。そ
うして私の命がけの「求聞持法」修行がはじまったのだが、様式化された真言宗の「求聞持法」
は私の大脳皮質になんの変革もあたえてくれず、私は絶望にうちのめされた。力を失った行法
は、たんなる儀式のひとつに過ぎない。私は、身を転じ、法の源泉をもとめて古代インドのヨー
ガに入っていった。そこで、私は、ヨーガを完成しようなどとはさらさら思わず、ひたすら求め
たのは「求聞持法」の完成と、そこからはじまる密教の法』への探求であった。
そうして私は「求聞持法」を完成した。だれも知らなかった『明星』の秘密を私は解いた。
それがそのままョーガの奥義、クンダリニーの覚醒につながっていようとは-
求聞持法とは、サハスララ・チャクラの開発システムにほかならなかったのである。空海の天
がはたしてそれを意識していたかどうかはべつとして、そこから密教の法』がはじまること
にまちがいはなかったのである。そうして、私が、密教の立場をはなれずに、古代ヨーガの技法
を摂取しようとしたことは、期せずしてその法に合致したのであった。求聞持法こそ、密教
と茶戦の派宗である古代ヨーガとをむすぶ唯一のかけ橋だったのだ。それは何千年ものあかし、
ひそかにわけわたされて、そのままだれからも忘れられてしまった客の橋であった。この橋を
449~超人生

 

かっ
発見してわたるものこそ、密教とヨーガと、その二つの原点にもどってこの二つの秘密の力を体
得することができるのだった。それは、古代のむかし、二つに割符された暗号文であったのだ。
もしも、私が、最初からヨーガに入り、ヨーガの修行のみに終始していたとしたら、はたしてク
ンダリニーの覚醒が得られたかどうかわからぬのである。おそらくは不可能だったのではあるま
いか。もしもにして可能だったとしても、たいへん長い年月を要したことであろうと思われ
る。いやいや、それはやっぱり不可能であったろう。なぜならば、ヨーガはクンダリニーの覚醒
を説くけれども、それをどのようにしてなすのかという技術については、明確な方法を示していな
いのである。結局は天分のある者の、それぞれ独自の修練と工夫によるよりほかないのである。
指導者も、もちろん指導し協力するけれども、行法”としてのシステムは明らかにされていな
い。呼吸法とある種の体操によって得られると説く派もあるが、私の体験によれば、それだけで
は不可能に近い。それだけでクンダリニー覚醒を成就した偉大なヨーギーもたしかにおられる
が、それはけっして一般的な行法とはいい難い。
ヨーガの行法』に欠けたものを埋めるものが真言密教にあった。
たとえば、サハスララ・チャクラの開発技術に、求開持法の九紙の印明がある効果を発揮する
のである。真言密教の求聞持法の九の印明は、ヨーガの技術といっしょになって、大脳皮質の
開発に非常によいはたらきをする。
同録に、軍茶利明王の五種の印明と観想が、クンダリニー覚醒こ、

 

する。
このことは、ヨーガの修行者、指導者のだれも知らず、真言密教の修行者、指導者のだれも知
らなかった。数千年来、この橋はかけられたまま、だれも渡るものがなかったということであ
100
私は、この体験をもとに、古代ョーガの技術を真言密教にとり入れて、(あるいはその反対に、
真言密教の行法を古代ヨーガの技術にとり入れて)独自の密教システムをつくりあげた。そのも
っともいちじるしい例のひとつに「開発護摩」がある。
真言宗密教の護摩法は、いうなれば「祈警護康」である。ホトケ、ボサツ、明王等をまねいて
代表し、つづいて悉地成就(道順の達成)を祈願する。
私はこの護摩法のほかに「超能力(法力開発の護摩法」を創成した。
考えてみれば、諸願達成の護摩の以前に、法力(超能力開発の護摩があるべきはずである。こ
れが無いのはおかしい。もっとも、その前に金剛界、胎蔵界の修行をするから、それで法力がつ
いているはずだというかも知れないが、それだけでは十分でないことくらい、密教の指導者自
身、だれよりもよく知っているはずだ。
とにかく、供養法、祈籍法としての護摩のほかに、能力開発法、修行法としての護摩法がなけ
ればならぬ。
私は、護摩法を以て、チャクラの開発システムを編成した。護摩法は、チャクラの開発、ここ
451人生

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