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身口意  仏陀の技

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サンスクリット

 

サンスクリット( 梵 :   संस्कृत 、 saṃskṛta 、 英 :   Sanskrit )は、 古代 インド・アーリア語 に属する 言語 。 インド など 南アジア および 東南アジア において用いられた古代語。 文学 、 哲学 、 学術 、 宗教 などの分野で広く用いられた。 ヒンドゥー教 の 礼拝用言語 でもあり、 大乗仏教 でも多くの経典がこの言語で記された

漢字表記の 梵語 (ぼんご)は、中国や日本など、 漢字文化圏 でのサンスクリットの異称。 日本 では近代以前から、 般若心経 など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神 ブラフマン (梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。

 

サンスクリットはインド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派インド語群に属する古代語である。

リグ・ヴェーダ(最古部は紀元前1500年頃)をはじめとするヴェーダ文献に用いられていたヴェーダ語をその祖とする。ヴェーダ語の最古層は、インド・イラン語派イラン語群に属する古典語であるアヴェスター語のガーサーの言語(古アヴェスター語)と非常に近い。

サンスクリットは本来文字を持たない言語であり、その後も近代までは書記よりも読誦を主とする文化が続いていた。このことが逆に、時代・地域によって異なる様々な表記法をサンスクリットにもたらした。サンスクリットが文字表記されるようになるのは4世紀ごろにインド系文字の祖であるブラーフミー文字がサンスクリット表記に使用されるようになってからであるが、この文字は本来より新しい言語であるプラークリットの表記のために開発された文字であり、正確な表記のために新たな表記法が開発された。さらにブラーフミー文字表記のサンスクリットはインド文化とともに東南アジア諸国に伝播し、この地に多様なブラーフミー系文字を生み出すこととなった[42]。日本では伝統的に悉曇文字(シッダマートリカー文字の一種、いわゆる「梵字」)が使われてきたし、南インドではグランタ文字による筆記が、その使用者は少なくなったものの現在も伝えられている。

現在では、地域をとわずインド全般にデーヴァナーガリーを使ってサンスクリットを書くことが行われているが、このようになったのは最近のことである[。ラテン文字による翻字方式としてはIASTが一般的である。

 

仏教では最初、日常言語であるプラークリットを用いて布教を行っており、経典もまたプラークリットでパーリ語経典として書かれていた。しかし4世紀に入り、グプタ朝が学術振興を行うとともにサンスクリットを公用語とすると、他宗教との論争や教理の整備の関係上、仏教でもサンスクリットが使用されるようになり]、また仏典がサンスクリットに翻訳されるようになった。この動きは特に大乗仏教において盛んとなり、以後大乗仏教はサンスクリット経典が主流となっていった。この過程で、一時的に言語の混淆が起き、仏教混淆サンスクリットと呼ばれるサンスクリットとプラークリットの混合体が出現して仏典に一時期用いられた[。

上座部仏教がプラークリット(パーリ語)の経典を保持したまま東南アジア方面へ教線を伸ばしていったのに対し、大乗仏教は北のシルクロード回りで東アジアへと到達し、仏教の伝播とともにサンスクリットはこれら諸国に伝えられていった。ただし初期の漢訳仏典の原典はかならずしもサンスクリットではなかったと考えられており、ガンダーラ語のようなプラークリットに由来する可能性もある]。しかし中国で仏教が広まるに従い、巡礼や経典を求めて仏教発祥の地であるインドへと赴く、いわゆる入竺求法僧が現われはじめた。この時期にはインドの大乗仏教の仏典はほぼサンスクリット化されており、このため彼らによって持ち帰られた仏典の大半はサンスクリットによるものだった[。5世紀の法顕や7世紀の義浄などが入竺求法僧として知られるが、なかでもこうした僧の中で最も著名なものは7世紀、唐の玄奘であり、持ち帰った膨大なサンスクリット仏典の漢訳を行って訳経史に画期をなした。彼以降の仏典訳は訳経史区分上新訳と呼ばれ[57]、それ以前の鳩摩羅什らによる古い、しばしばサンスクリットからではない]旧訳と区分されている。

日本へは中国経由で、仏教、仏典とともにサンスクリットにまつわる知識や単語などを取り入れてきた。その時期は遅くとも真言宗の開祖空海まではさかのぼることができる。仏教用語の多くはサンスクリットの漢字による音訳であり、”僧”、”盂蘭盆”、”卒塔婆”、”南無・阿弥陀・仏[60]”などがある。”檀那(旦那)”など日常語化しているものもある。また、陀羅尼(だらに、ダーラニー)、真言(マントラ)は漢訳されず、サンスクリットを音写した漢字で表記され、直接読誦される。陀羅尼は現代日本のいくつかの文学作品にも登場する(泉鏡花「高野聖」など)。卒塔婆や護符などに描かれる文字については梵字を参照。日本語の五十音図の配列は、サンスクリットの伝統的な音韻表の配列に影響を受けていると考えられ、サンスクリット音韻学である悉曇学に由来するとされる。

 

梵字

梵字(ぼんじ)は、 インド で使用される ブラーフミー系文字 ( 英 :   Brahmic script )の総称的な漢訳名である。ブラーフミーは「 ブラフマー ( 梵天 )の創造した 文字 」を意味する。また、単に「梵語( サンスクリット )を表記するための文字」とも解される。日本では、歴史的・伝統的に 悉曇文字 (しったんもじ、 英 :   Siddhaṃ script )を指すことが多い。

梵字(ぼんじ)は、 インド で使用される ブラーフミー系文字 ( 英 :   Brahmic script )の総称的な漢訳名である。ブラーフミーは「 ブラフマー ( 梵天 )の創造した 文字 」を意味する。また、単に「梵語( サンスクリット )を表記するための文字」とも解される。日本では、歴史的・伝統的に 悉曇文字 (しったんもじ、 英 :   Siddhaṃ script )を指すことが多い。

 

梵字(悉曇文字)は一字一字が諸仏諸尊をあらわしており、ひとつの梵字が複数の仏を表すことがほとんどである。これを 種子 (しゅじ)または種字という。一つの仏でも 金剛界 、 胎蔵界 で違う文字を使う場合もある(例:大日如来:胎蔵界: a /金剛界: vaṃ

 

 

印相

 

印相(いんそう、いんぞう、 梵 :   mudrā )は、 仏教 において、手の 指 で様々な形を作り、 仏 ・ 菩薩 ・ 諸尊 の 内証 を標示するもの [1] 。 印 (いん)、 印契 (いんげい) [ 、 密印 、 契印 ともいう [1] 。修行者が 本尊 と渉入し融合するために、その本尊の印相を結ぶこともある  。もともとは、印相に関する定まった軌則は無かったが、 密教 の発達に伴って相が定まり、意味が説かれるようになった [

 

サンスクリットの ムドラー ( मुद्रा 、 mudrā )の漢訳であり 、本来は「封印」「印章」などを意味する。主に仏像が両手で示す象徴的なジェスチャーのことを指す。

 

主な印相 [ 編集 ] 施無畏印(せむいいん)(Abhaya Mudrā アバヤ・ムドラー) 手を上げて手の平を前に向けた印相。漢字の示す意味通り「恐れなくてよい」と相手を励ますサインである。 不空成就如来 が結ぶ。 与願印(よがんいん)(Varada Mudrā) 手を下げて手の平を前に向けた印相。坐像の場合などでは手の平を上に向ける場合もあるが、その場合も指先側を下げるように傾けて相手に手の平が見えるようにする。相手に何かを与える仕草を模したもので 宝生如来 などが結ぶ。 施無畏与願印(せむい よがんいん) 右手を施無畏印にし、左手を与願印にした印。坐像の場合は左手の平を上に向け、膝上に乗せる。これは信者の願いを叶えようというサインである。施無畏与願印は、如来像の示す印相として一般的なものの1つで、 釈迦如来 にこの印相を示すものが多い。与願印を示す左手の上に薬壷が載っていれば 薬師如来 である。ただし、薬師如来像には、本来あった薬壷の失われたものや、薬箱に乗るなど、もともと薬壺を持たない像もある。また、 阿弥陀如来 像の中にも施無畏与願印を表すものがあり、この印相のみで何仏かを判別することは不可能な場合が多い。図1は香港・ランタオ島の天壇大仏で、施無畏与願印を結ぶ。 図1 施無畏与願印 (香港・天壇大仏) 転法輪印(てんぽうりんいん)(Dharmachakra Mudrā) 釈迦如来の印相の1つで、両手を胸の高さまで上げ、親指と他の指の先を合わせて輪を作る。手振りで相手に何かを説明している仕草を模したもので「説法印」ともいう。「転法輪」(法輪を転ずる)とは、「真理を説く」ことの比喩である。 親指とどの指を合わせるか、手の平を前に向けるか自分に向けるか上に向けるかなどによってさまざまなバリエーションがある。例えば 胎蔵界曼荼羅 釈迦院の釈迦如来の場合、両手の指先を上に向け、右手は前に、左手は自分側に向ける。この場合、右手は聴衆への説法を意味し左手は自分への説法を意味する。 定印(じょういん)(Dhyāna Mudrā) 坐像で、両手の手のひらを上にして腹前(膝上)で上下に重ね合わせた形である。これは仏が思惟( 瞑想 )に入っていることを指す印相である。 釈迦如来、 大日如来 (胎蔵界)の定印は左手の上に右手を重ね、両手の親指の先を合わせて他の指は伸ばす。これを法界定印(ほっかいじょういん)という [注釈 2] 。阿弥陀如来の定印は密教では法界定印とされるが、浄土教などでの場合は同じように両手を重ねて親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作るものもある。阿弥陀如来の印相には沢山のバリエーションがあるので、後に詳述する。 触地印(そくちいん)(Bhūmisparśa Mudrā) 降魔印ともいう。坐像で、手の平を下に伏せて指先で地面に触れる。伝説によると、釈迦は修行中に悪魔の妨害を受けた。その時釈迦は指先で地面に触れて大地の神を出現させ、それによって悪魔を退けたという。このため触地印は、誘惑や障害に負けずに真理を求める強い心を象徴する。釈迦如来のほか、 阿閦如来 や 天鼓雷音如来 が結ぶ。 智拳印(ちけんいん)(Vajra Mudrā) 左手は人差し指を伸ばし、中指、薬指、小指は親指を握る。右手は左手人指し指を握り、右親指の先と左人指し指の先を合わせる。大日如来(金剛界)、 一字金輪仏頂 、 多宝如来 が結ぶ。 降三世印(こうざんぜいん) 小指を絡めて胸の前で交差させる印。

 

施無畏印

 

 

与願印

 

 

転法輪印

 

 

禅定印

 

 

降魔印

阿弥陀如来の印相 [ 編集 ] 図2 定印 (鎌倉大仏)

阿弥陀如来の印相には数種類あるが、いずれの場合も親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作るのが原則である。

定印(じょういん)前述の通り。阿弥陀如来の場合は、両手を胸の高さまで上げ親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作るものもある。日本での作例としては、宇治の平等院鳳凰堂本尊像、図2の鎌倉・高徳院本尊像(鎌倉大仏)などがある。説法印(せっぽういん)転法輪印のこと。両手を胸の高さまで上げ、親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作る。日本での作例としては、京都・広隆寺講堂本尊像、法華寺像などがあるが、比較的珍しい印相である。当麻曼荼羅の中尊像もこの印相である。来迎印(らいごういん)施無畏与願印に似て、右手を上げて左手を下げてともに手の平を前に向け、それぞれの手の親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作る。信者の臨終に際して、阿弥陀如来が西方極楽浄土から迎えに来る時の印相である。日本での作例としては、京都・三千院の阿弥陀三尊の中尊像などがある。浄土宗、浄土真宗の本尊像は基本的にこの印相である。図3は茨城県の牛久大仏で、来迎印を結んでいる。 九品往生に基づく印相 

東京都 世田谷区 の 九品仏浄真寺 (通称九品仏)には9体の阿弥陀如来像が安置され、それぞれが異なった9通りの印相を示している。これは『 観無量寿経 』に説く 九品往生 (くほんおうじょう)の思想に基づくものである。極楽往生の仕方には、信仰の篤い者から極悪人まで9通りの段階があるとされ、「上品上生」(じょうぼんじょうしょう)から始まって「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」に至る。浄真寺の九品仏の場合、阿弥陀如来の印相の内、定印を「上生印」、説法印を「中生印」、来迎印を「下生印」とし、親指と人差し指(中指、薬指)を接するものをそれぞれ「上品」「中品」「下品」に充てる

 

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