二種類の経典には、それぞれ、まったく違った別の特徴がある
からなのです。内容的に見ても、まったく別種の経典なのです。これを、同一人の
釈迦が説いたと見る方がおかしいのです。内容がまったく違う。
だから、さきに述べた智顎は、そこのところを合理的に説明するために、苦心し
て、いろいろな説を立てています。それが有名な「五時教判」という説で、それが
誤りであることが、最近、学問的に明らかになりましたが、それは、本日、省略し
ます。
要するに、釈迦真説の経典と、そうでない経典とは、まったく別種の経典だとい
そこで、お話を進める上で、釈迦真説の経典による仏教を、「阿合仏教」と呼ぶこ
とにいたします。というのは、釈迦の真説ぱ、すべて、『阿合経』という経典におさ
められているからです
その『阿合9 』というのは、「漢訳四阿含」といって、インドから中国に伝来し、
中国に於て翻訳されたもので、長阿合、中阿合、雑阿含、増一阿含、四部合わせて、
大小二千八十余巻の経典群から成り立っています。この阿合経典群を、わたくしは、
「阿介仏教Lと呼びます。
・うして、そうでない仏教を、従来通り、「大乗仏教」と呼ぶことにいたします
阿合仏教と、大乗仏教は、どこが違うか?
端的にいうと、大乗仏教は、
慈.悲
を説きます。
阿含仏教は、
智 慧
を説きます。
もっと説明すると、大乗仏教は、仏の慈悲による救済を説きます。仏の慈悲に依
って、仏の慈悲を受けることによって、自分が救われる、ということです。
タ
これに対し、阿合仏教は、自分が智慧を獲得し、智慧を磨いて、自分自身を救済
するという方法を教えます。
阿合仏教の特徴は、「方法を持っている」ということです。その方法を自分が実践
することにより、自分を救うということです。ですから、その点は、「教育」と同じ
であ・るといえましょう。
もっとも、阿含仏教も宗教でありますから、仏の慈悲による救済も説きますが、
主体は、どこまでも、智慧の獲得による「自己救済」です。そうして、その智慧の
lよって与えられるのではなく、自分が学んで修得するのです。
獲得ぱヽ仏の慈悲によ
そのために、阿含仏教は、特殊なシステムを持っています。
これは、宗教としては、非常に際立った特質であるといえましょう。おそらく
世界の如何なる宗教にも見られぬ特徴であろうと思います。
たとえば、キリスト教は、「愛」を説きます。神の愛による救いです。
ごしよう。そして、大乗仏教の仏
しかし、神の愛右ソステム化することは不可能でし
わりくし実践の系化のでないものは、科学い。たり得ないと考えます。
わたくしは今、大乗仏教は慈悲を説き、キリスト教は愛を説き、阿含仏教は智慧
を説く、と申しました。
それでは、阿含仏教は、愛も慈悲も不要だと考えるのでしょうか?
いいえ、そうではありません。愛も、慈悲も、倫理も、道徳も、みんな必要だと
考えます。
しかし、阿含仏教は、こう考えるのです。
最高度の智慧を持つに至った人間は、当然の帰結として、正しい愛の心と、深い
慈悲の心、高い道徳性を持つものであると考えるのです。
最高度の智慧を持つに至った人間に、今さら、愛や、慈悲や、道徳などを教える
必要はないではありませんか。
正しい愛の心と、深い慈悲の心が、必ずしも最高度の智慧をもたらすとは限らな
