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2020年の干支は「庚子」。新スタートに大チャンス!

 

それでは2020年の「庚子」にはどんな未来が待っているのか。干支が指し示す意味を詳しく見てみよう。

「庚」は上手く転身できる年、「子」は賢くスタートが切れる年

まずは十干からひも解いていこう。2020年の十干は「庚」である。十干は太陽の巡りと動物の生命の循環サイクルを「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10種類で示したもので、「庚」は7番目にあたる。季節でいえば秋の初めであり、生命サイクルでは結実や形成という変化転換を表す。

また「庚」という漢字は、杵を両手で持ち上げる象形と植物の成長が止まって新たな形に変化しようとする象形からできた文字で、「かわる」や「つぐ」という意味がある。これらを考え合わせると、「庚」とは結実の後に転身することを意味する。

次は十二支だ。2020年の十二支は「子」である。十二支は月の巡りと作物の発芽から収穫までの生命の循環サイクルを、ご存知の通り「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の12種類で示したもので、「子」は1番目にあたる。

「子」は種子が土中で発芽したまさにその瞬間を意味する。その後、「丑・寅・卯・辰・巳」と徐々に芽が育ち、「午」で陰陽の転換点を迎え、「未・申・酉・戌」と結実する。そして最後の「亥」で地面に落ちた種が土中へ埋まり、次世代の生命へと繋がっていく。

准肌観音

 

 

准胱観音真言
なう まく さ た なん さん みゃく さん ぼ だ く ち なん
た にや た おん しゃ れい しゅ れい じゅん でい そわ か

准服とは、梵名チユンデイ上の呂号の音写で
「清浄無垢」という意味があり、さとりの道を歩
ませる観音です。
別名、准服仏母、七倶服仏母とも呼ばれます。
七倶服とは「無量」を意味しますから、多くの諸
仏の母となります。そのため観音菩薩ではないと
の説もあります。経軌にも観音として説かれてい
ないことから、犬台密教では准肛如来として仏部
の尊としますが、真言密教では観音の一つとして
六観音の中に加えます。
求児・安産の本尊としてもまつられます。もと
は水の神で、その姿は女身といわれています。
なお、胎蔵曼荼羅中台八葉院の観音の種子は、
この准服観音のブ(回)字が記されています。

The end of Mahayana Buddhism Chapter 6 真の「修行法」

大乗仏教の終焉

第六章

4 4貧蔽

 これが、三十七菩提分法の象徴である三十七尊を祈念し、供養する修法なのである。

 すなわち、護摩作法あって、印をむすび、観想に入る。

  『観ぜよ、我が身の九識転じて五智と成る。いわゆる第九蒼摩羅識転じて法界体性智と成る。第

  八識転じて大円鏡智と成る。第七識転じて平等性智と成る。第六識転じて妙観察智と或る。前五

  識転じて成所作智と成る。この五智に五部の諸尊一切聖衆(すなわち三十七尊のこと)を摂入

  す。また、わが身すなわち諸尊なり。善くこれを観ぜよ。』

 これで三十七尊を供養し、三十七尊すなわちわが身なりと観念し、yこれを以て三十七課程の修行が

わが身においてすべて完了するのである。

 これが様式化でなくてなんであろうか。わたくしが、『密教入門・求聞持法の秘密』において、密

教には観念宗とよばれる致命的欠陥があると警告したのはこの点なのである。これでは観念宗どころ

か、御都合主義であり、いい気なものだといわれても、返す言葉がないのではなかろうか。

 これでは密教が左道化し、堕落したのも当然である。修行法がないからだ。ヒンド。-教や土俗信

仰とむすびついて消滅し去るのも当然の成り行きというべきだろう。’

 

 

真の「修行法」

だがI、 誤解しないでいただきたい。わたくしは、真言密教をいたずらに批難し、訥膀しているのではない

のである。

 たとえ「仏さま」として象徴化し、まつり上げてしまったにせよ、仏陀の修行法を前面に打ち出し

たことは、すばらしいことであるといってよいのである。初期大乗以来、捨て去られてしまっていた

仏陀の修行法が、ここに復活したのである。その点において、わたくしは、密教は仏陀の教法にたち

かえることを目ざしたものであるというのである。

 ただ惜しむらくは、この修行法が仏として象徴化されてしまったため、それにつれてなまじいに

 「修行法」として様式化された加持祈祷法ができあがり、それを修することが修行であるということ

になってしまったことである。

 考えてみれば、この三十七尊の象徴化による体系づくりは、まさに天才的偉業というよりほかない

ものである。これを作製、あるいは編成したグループは、実際に三十七課程の修行を実践していたの

である。おそらく、当時のヒンドクーイズムその他の信仰形態などをも勘案して、最も効果的な表現

形式としてこのように編成されたのであろう。この表現の背後には、教学としての実践と理論が裏打

ちされていたのである。

 しかし、時代を経るにしたがって、その真意が失われ、ただその表現のみが残り、祈祷形式の修行

法だけが受けわたしされるようになってしまった。

 実際に戒・定・慧の三学を身におさめ、三十七課程の修行を実践する、あるいは、した、修行者が、時に応じ、三十七尊をまつった金剛界曼荼羅を前にふかい瞑想に入ることはどれほどすばらしい

ことであるか、体験した者にはよくわかるのである。

 だがI、後代、その様式化され、枝葉末節的な作法によって修飾された修行法を、「行法次第Lと称し、そ

の受けわたしを「法の伝授」とよび、それを以て密教の真髄の授受であるとして自他ともに満足して

いるとしたら、もしもそうであるとしたら、それはナンセンス以外のなにものでもなく、そんなもの

はもはや密教ではないといったら過言であろうか?

 しかし、あの、初期・中期の大乗の行きづまりを打開すべく、仏陀の修行法を真向から打ち出して

立ち上がった第一期真言乗創立者たちの理念と情熱を考えたら、密教徒としてだれしも頭を垂れるよ

りほかないのではなかろうか?

 真言密教はその理念と情熱をふたたびとりもどさねばならぬ。

 たとえ仏さまに象徴化されてしまったとしても、仏陀の教法、修行法をいまの世にはっきり示して

いる大乗仏教は、密教をおいて他にないのである。

 三十七尊を仏の座からひきおろし、もとの修行法に立ちかえらせるのだ。

 それこそが、大日如来をはじめとする三十七尊の仏の本懐なのである。

 その上で、礼拝し、供養し、祈願するとき、そのとき三十七尊は最高最上の御利益をあたえてくだ

さるであろう。

 

 

第六章 大乗仏教の終焉

    ”救い”から”さとり″へ

 

 そういうと、それでは仏教は「出家宗教」に立ちかえれというのかヽそういわれるかも知れない・

 そうではないのである。

 時代がちがうのである。

 仏陀の時代には、出家するよりほか修行する道がなかった・二千数百年も前の古代なのである・

 二大根本分裂のときにもヽ一般民衆がヽ道を求めて修行をすることは不可能であった・慈悲を強調

し、布施行を実践させることで、宗教としての役目をはたすよりほかなかったのである。

 日本における鎌倉期の大乗仏教もそうであった。

 自分の名前すらも書くことのできない民衆には、「さとり」よりも、「救い」をまず説き、それによ

って辛うじて民衆を仏陀につなぐよりほかなかったのである。

 それはヽ幕府という封建体制が、その反動勢力を維持する手段として利用するに及んで、明治維

新ヽそして宗教法人法が改正される第二次大戦終了後まで、動かしがたいものとなって固定した。教

団がわもまたヽその反動勢力とむすぶことにより、その勢力を守られて安逸をむさぼった。

 いまや時代がちがうのである。

 民衆の教育程度は高くヽ経済力も比較にならない。情報伝達の機構はとめどなく進歩している。い

くらでも「修行」はできるのである・またヽ一般人ができるように修行を編成することが、仏教の指

導者としての任務ではないのか。自分ができないから一般民衆などなおできないであろうなどと考え

ているとしたら、田心い上がりも甚しいというべきだろう。

 かくも高度に発達した社会において、五百年、千年も前の古代において、便宜的に説かれた「仏さ

まの慈悲Lと「救いLを説くことは、社会と民衆を侮辱することにほかならない。

 いまやわれわれは、仏さまの慈悲による「救いLを求めるのではなく、仏陀の理念による「さと

りLを求めなければならぬのである。仏陀の教法において、慈悲はとこまでも第二義のものであり、

第一義は智慧による「さとり」なのである。それを、いま、われわれは必要とするのである。

 それはもはや、よい、わるいの問題ではない。まさに時代の要請なのである。

 仏さまの慈悲による「救い」や「お助け」ではどうにもならぬところまで、人類社会は追いつめら

れてしまっているのである。逆にいうなら、そこまで追いつめられたのは、いままでの宗教のありか

たがすべてまちがっていたからである。

 今日の新聞(日本経済新聞11/4)の報道によると、アメリカの上院もいよいよ。中性子爆弾”の開

発のための支出法案を可決したという。あの、〃悪魔の爆弾‘といわれるものである。そうして、こ

の国はキリスト教国であり、キリスト教はもっぱら「愛Lを説くのである。

 西洋においてはキリストの「愛Lが説かれ、東洋においては仏さまの「慈悲」が説かれる。

 そしていまや西も東も破滅に瀕しているのである。

 仏陀は、「愛Lと「慈悲」以上のものを説かれたのである。その仏陀の説かれたものがいまこそ必

要なのだ。                               。

 愛も慈悲も必要だが、さらにそれ以上のものが必要なのだ。それを仏陀は二千年来、叫びつづけて

いるのである。それをあなたはどう思うか。

 

 

  仏陀からの再出発

 人類の不幸はなによりもそのおろかなためである。愛か足りないためではない。慈悲が足りないた

めではない。智慧が足りないためである。仏陀が人類を救うために「智慧」の必要を説かれたのはま

さに正しいのである。

 愛も、慈悲も、真実にして高度の智慧の上に立って考えられたとき、はじめて、真実にしてあやま

りなき愛となり、慈悲となるのである。いや、真実にして高度の智慧を得たとき、ひとはおのずから

限りなき慈悲のこころと愛にみたされるのである。、愛と慈悲のこころを持つたからといって人は必ず

しも高い智慧を持つとはかぎらない。しかし、高度の智慧を待ったとき、人は必らず限りなき愛と慈

悲にみたされるのである。かつて仏陀がそうであったようにi。

 だがI、そういう智慧は修行なくしては得られないのである。仏陀は生来賢者であったが、それ

だけでは仏陀になれなかった。血の出るような修行によって仏陀になられたのである。われわれは仏

陀にはなれないかも知れないが、仏陀の残された教法を修行することにより、賢者にはなれる。いかなる場合にも、殺し合い、傷つけ合い、奪い合うような愚行を演じない賢者にII。そうしてまた、

そういう愚行を絶滅させ、かぎりない愛と慈悲にみたされた高度でゆたかな社会をつくりだす賢者にー

The end of Mahayana Buddhism
Chapter 6
4 4 Poverty
This is a practice of praying and memorializing the thirty-seven gods, a symbol of the Thirty-seven Bodhi Method
That is, with the Goma etiquette, conclude the seal and enter into contemplation.
“Look, look at my nine knowledge and become five wise. The so-called ninth somara changed and became the legal physique. No.
Changed into eight senses and became a great circle mirror. The seventh knowledge turns to equality. The sixth knowledge turned and there was a mysterious observation Satoshi. Previous five
Changed into knowledge and became Naruse Sakuchi. Into these five wisdom all five religions and saints (that is, thirty-seven gods)
Pass Also, my body, all gods. Watch this well. 』
で The 37 saints are now sacrifice, and the thirty-seven sons, that is, my dress, are considered.
Everything is completed in my body.
な ん What is this not stylization? In my book, “Introduction to the Secret of the Esoteric Education,
It is at this point that he warned that there is a fatal flaw in the religion known as the Kannon sect. This is the main point of the Kannon sect
Or, even if it is said to be opportunistic and good, there is no word to return.
It is natural that esotericism is left-handed and corrupt. There is no practice. Hind. -Education and folklore
It would be a natural consequence that they would disappear with disappearing from their backs. ’

True “training method”
But I, I hope you do not misunderstand. I criticize Shingon Esoteric Buddhism unnecessarily and I am not blunt
It is.
Even if it was symbolized as the “Buddha” and raised it, the Buddha’s practice was brought to the forefront
That is a wonderful thing. Abandoned since early Mahayana
Buddha’s practice was resurrected here. In that regard, I believe that esotericism has become Buddha’s teaching.
It is intended to frog.
Unfortunately, since this practice was symbolized as a Buddha,
加 A stylized Kayari prayer method has been completed as the “training method”, and training it is training.
It has become.
If you think about it, creating a system by symbolizing the thirty-seven gods is nothing but a genius feat.
Things. The group that created or organized this was actually practicing 37 courses of training
It is. Probably the most effective expression, considering Hinduism and other forms of religion at the time
It may have been organized this way as a form. Behind this expression is pedagogy practice and theory
It had been done.
However, as time passes, the meaning is lost, only the expression remains, and the practice of prayer style
Only the law has been accepted.
Indeed, they learned the three schools of commandment, stipulation, and wisdom, and practiced the thirty-seven courses, or the practitioner sometimes looked in front of the Kongokai mandala, which encircled the thirty-seven gods. How wonderful it is to enter meditation
That’s what the experienced person knows.
However, I, the progeny, the stylized training method that was modified by the stylized and end-of-leaf manner, was called “Let’s depend on the practice method.
Call me the “tradition of the law”, and with it I am satisfied with myself and others as the essence of esoteric teaching
If so, if it were, it was nothing but nonsense,
Is it an exaggeration to say that is no longer esoteric?
However, in order to break the deadlock of the early and middle Mahayana,
Given the philosophies and passions of the founders of the first era of Shingon, everybody as a esoteric hangs his head
Isn’t there anything else?
Shingon Esotericism must restore its philosophy and passion again.
て Even if it is symbolized by the Buddha, clearly show the Buddha’s teachings and practices in the world
There is no other Mahayana Buddhism except esoteric Buddhism.
Pull down the thirty-seven lords from the seat of the Buddha and return to the original practice.
That is the true essence of the 37 Buddhas, including Dainichi Nyorai.
上 When worshiping, memorializing and praying, the thirty-seven gods should give the highest and highest interests.
Will be.

Chapter 6: The End of Mahayana Buddhism
へ From “Salvation” to “Satori”

い う That may mean that Buddhism should be replaced by “exodus religion”.
で は It is not so.
The times are different.
In Buddha’s day, there was no way to practice other than to go home. It was ancient two hundred hundred years ago.
It was impossible for the general public to practice in search of the way even during the two major divisions, emphasizing mercy
However, the practice of cloth enforcement had no other role than religion.
大 The same was true of Mahayana Buddhism during the Kamakura period in Japan.
民 For people who cannot even write their own names, preach “salvation” rather than “satori”
It was almost nothing but connecting the people to Buddha.
The Meiji Restoration began to use the feudal system of the Shogunate as a means of maintaining the reactionary forces.
Until the end of the Second World War, when the Religious Incorporation Law was amended, it became immobile and fixed. Teaching
The group also ヽ と 安 む 反 反 反 に よ り こ と こ と に よ り に よ り に よ り に よ り に よ り.
時代 The times are now different.
The degree of education of the people is high, and the economic power is incomparable. Mechanism of information transmission has advanced endlessly. I
Anyone can do “training”. Also, it is a Buddhist finger that organizes training so that ordinary people can do it.
Isn’t it a mission as a leader? I think that I cannot do it because I cannot do it
If so, it should be a serious rise.
In such a highly developed society, the ancient Buddha, 500 years or 1000 years ago,
“The preaching of salvation L is nothing but an insult to society and the people.
Now, we do not seek the salvation L by the Buddha’s mercy, but by the Buddha’s philosophy
L must be obtained. In Buddha’s teachings, mercy has always been of secondary significance,
The first is the “Satori” by wisdom. We need it now.
It’s no longer a good or bad problem. This is exactly the demand of the times.
人 Human society has caught up to the point where “salvation” and “help” by the Buddha ’s mercy cannot be helped
It has been lost. Conversely, what caught up to that was the religion so far?
For they were all wrong.
According to a report in today’s newspaper (Nihon Keizai Shimbun 11/4), the US Senate is finally coming. Opening of neutron bomb
It is said that it has passed a bill for expiration. That’s what’s called the “devil bomb.” And then
Is a Christian country, and Christianity is exclusively about “Love L.
に お い て In the west, Christ’s “Love L” is preached; in the east, the Buddha’s “mercy” is preached.
And now both the west and the east are on the verge of ruin.
Buddha preached more than “Love L and” Mercy “. The Buddha’s preaching is now a must
It is important. .
You need love and mercy, but you need more. Buddha has been screaming for 2000 years
It is. What do you think of it?

再 Restart from Buddha
The unhappiness of mankind is above all for its neglect. Not because of love or lack. Lack of mercy
It is not. Because of lack of wisdom. It is the Buddha who preached the need for “wisdom” to save humanity.
That’s right.
When love and mercy are considered true and stand on a high level of wisdom, it becomes true for the first time.
It becomes love without love and mercy. No, when you are true and have a high degree of wisdom,
You will be in the heart of endless mercy and in love. But because of the heart of love and mercy,
They do not always have high wisdom. However, when waiting for a high degree of wisdom, a person is inevitably boundless
You will be sad. I as the Buddha once was.
But I, such wisdom cannot be obtained without training. Buddha was naturally a sage, but it
I couldn’t be Buddha alone. He became a Buddha through bloody training. We are Buddha
You may not be a da, but you can become a sage by training Buddha’s remaining teachings. In any case, a sage who does not perform killer, hurt, or rivalry folly II. And then again
A wise man who extinguishes such folly and creates an advanced and generous society with endless love and mercy.

 

 

 

 

 

 

 

星曼荼羅

星曼荼羅(宿曜道)

以前、愛染明王を調べていたとき、愛染さまは暦にも関係があるかもと思っていました。
「天弓(てんきゅう)愛染」さまのお姿を見てその手の弓と矢が真上(天)に向かっています。
それは、北極星を指しているのかもしれませんね。

 高野山 大伽藍 愛染堂 天弓愛染像

 大阪・久米田寺所蔵

星にまつわる仏を調べていますと、もともと道教において北極星を神格化した
妙見菩薩(北辰菩薩)がいます。北方守護の神です。護国・息災の深秘の修法、
尊王王法においては大日如来の化身とされます。

奈良時代に日本に伝わったといわれる宿曜道(密教占星術)と融合して密教の
修法や日蓮宗の祈祷でも重要視されることになったそうです。

今回、節分の日に、高野山南院(浪切り不動)を訪問しました。すると高野山の若い僧たちが、
高野山にあるすべての不動尊(愛染尊)でお護摩をするということです。

星曼荼羅の構成 (松浦 清:大阪市立博物館のお話 引用)

さて、星曼荼羅は北斗曼荼羅ともいわれ、密教の北斗法という延命や除災などを祈願する修法(しゅほう)の本尊ですが、制作の根拠となる経典がなく、日本で創案されたオリジナル作品と考えられています。円形と方形の二種類あり、平安時代後期に制作された奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)所蔵の作品と大阪・久米田寺所蔵(くめだでら)の作品がそれぞれの代表例です。ここでは久米田寺所蔵の作品を見てみましょう。構成は本尊、九曜(くよう)、北斗七星を描く内院、黄道十二宮を描く第二院、二十八宿を描く第三院という三重構造となっており、58個の円形内に諸尊が描かれています。中央の本尊は一字金輪仏頂(いちじきんりんぶっちょう;釈迦金輪)という名前で、世界の中心である須弥山の上に描かれています。その直ぐ下に土星、四方に木、火、金、水星の五惑星を配置するのは陰陽五行説(おんようごぎょうせつ)の影響であり、四隅の太陽、月、食を起こす羅ご(この字は「目」偏に「侯」の旁で、合わせて「らご」と読みます)、彗星の計都(けいと)を合わせて九曜といいます。内院の下の方に横たわる七つの星は北斗七星。第6番目の武曲星(むこくせい)が小さな連星を伴うのは二重星のミザールとアルコルです。曼荼羅とは「真髄を具えたもの」という意味ですから、天文現象の主要ラインナップを描く星曼荼羅は、図様にふさわしい名前といえるでしょう。

諸星の中心に描かれた一字金輪仏頂を北極星=こぐま座のα星とする説がありますが、さて、どうでしょうか。星曼荼羅は記録によれば平安時代中期の10世紀の成立とみられますから、それは約千年前のことです。当時の星空をコンピュータで再現してみると、現在の北極星は天の北極から約6.5度も離れており、天の北極に明るい星はありませんでした。これは歳差運動によるものです。天の北極が宗派や法脈により妙見菩薩(みょうけんぼさつ)、尊星王(そんじょうおう)、熾盛光仏(しじょうこうぶつ)など、さまざまな名前で呼ばれるのも、天の北極に対する解釈の違いを表しているように思われます。星曼荼羅の成立も歳差を考慮する必要があるでしょう。

そこで高野山真言宗の方に、節分の時の星供(ほしく)の法施について聞きました。どうやら、複雑な
ようで、面授で教えていただかないと、難しいようです。

『その時の法施は、心経7巻或いは3巻です。その他にご真言をお唱えします。』と七曜、二十八宿の
仏達を教えてもらいました。

参考として『仏尊の事典』、『印と真言の本』学研から、真言や意味合いを勉強しましたが、
宗派や教えによってずいぶん違うようです。ここでは、基本は真言宗高野山派の方の助言を
受けて、記載しました。

奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)

代表的な円形の曼荼羅を参考に、そこに描かれている諸佛をみることにします。

中心にあるのが、妙見菩薩ですが、もともとが毘る遮那佛であり、時代とともに大日如来と
なったのでしょう。古代から夜空に不動の中心星である北極星の信仰は当然あったのでしょう。
『七仏八菩薩神呪経』には最勝の菩薩とされ、天台宗では、北方守護の神として吉祥天と同体と
して、護国・息災の深秘の修法であったし、尊星王法においては、大日如来の化身とも観念された
といいます。

さらに、奈良時代にはいって、宿曜道(密教占星術)との融合を経て、密教の修法や日蓮宗などの
祈祷でも重視されることになっていきました。

大日如来(胎蔵界) あびらうんけん
(金剛界)おん ばざらだとばん
どちらでもいいそうです。丁寧には、両方。

頂輪王 ナウボサマンダ・ダラダラハシャラウン

天台宗では、一字頂輪王(一字金輪)を本尊にし北斗七星に祈祷する北斗法という
除災の大修法があります。

『行者の生まれによって異なる真言を唱える』とのことです。
(九曜・二十八宿・各北斗全てを一度に唱えるわけではありません)

北斗総呪
おん さった じのうや ばんじゃびじゃや ぜんほだまそら  びのうらきさん ばんばと そわか
『妙見菩薩神呪経』
貪狼星(とんろうしょう)     西南、   赤黒色、  左手に日
巨門星(こもんしょう)      西、    白黄色、  右手に月
禄存星(ろくぞんしょう)     西北、   赤青色、  左手に火珠
文曲星(もんごくしょう)     北、    青黒色、  左掌から水
廉貞星(れんじょうしょう)    東北、   黄色、    右手に珠
武曲星(むごくしょう)      東、    青色、    左手に柳の杖
破軍星(はぐんしょう)      東南、    白赤色、  右手に刀

それぞれ頭髪は、赤。 どうやら本地は、七仏薬師か観音とされる。
『北斗延命経』、『覚禅鈔』

「七星九執十二宮神呪」または「七曜総呪」
(九曜星)のうまく さんまんだ ぼだなん ぎゃらんけいしんばりや はらはた じゅちらまや そわか
星曼荼羅の第二院に描かれる。『宿曜経』、『梵天火羅九曜(ぼんてんからくよう)』

日曜星  おん あにちゃしり そわか                 太陽、日精、丑寅

月曜星  おん そましり そわか                    太陰、月精、戌亥

火曜星  おん あぎゃらかしり そわか けい            惑星、火精、南

水曜星  おん ぼだしり そわか                    彗星、水精、北

木曜星  おん ぼらか さんばちしゅり そわか           歳星、木精、東

金曜星  おん しゅきゃら しゅり そわか              太白、金精、西

土曜星  おん しゃに ししゃら しせいてい しゅり そわか   鎮星、土精、中方

計都星(けいと) おん けいと しり そわか              彗星、西南

羅ご星(らご)  おん らこなしゅり そわか              黄幡星、東北

十二宮
胎蔵界曼荼羅の最外院の四隅や星曼荼羅の第三院に、星座名とともに描かれる。
黄道十二宮(太陽の運行)で、天を十二に分割し12ヶ月とし、人の運命に配して、富貴・博学・多病・短命
など、その吉凶を判断するのにでてくる。

牛密宮(ごみつきゅう) おうし座、      白羊宮(びゃくようきゅう) おひつじ座
夫婦宮(ふうふきゅう) ふたご座、     摩竭宮(まかつきゅう) 山羊座
賢瓶宮(けんびょうきゅう) みずがめ座、 双魚宮(そうぎょきゅう)うお座
秤宮(ひょうきゅう) てんびん座、      弓宮(きゅうきゅう) いて座
蠍虫宮(かつきゅう)さそり座、        少女宮(しょうにょきゅう)おとめ座
ぼう蟹宮(ぼうかいきゅう)かに座、     獅子宮(ししきゅう)しし座

諸宿(二十八宿)
宿とは、星座のこと。月が29.5日で移動し、12月で1年。28宿は、月の軌道を
星座宮に区分して、それぞれの宮を人の運命をつかさどる神としたもの。
胎蔵界曼荼羅の外金剛院の四方に配した。

『宿曜経』、『舎頭諫経(しゃとうかんきょう)』
総呪
のうまく さんまんだ ぼだなん のうきしゃたら  にしだにえい そわか

東方七宿
昴宿(ぼうしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん きりちきゃ のうきしゃたら そわか
畢宿(ひっしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん ろきに のうきしゃたら そわか
觜宿(ししゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん ひりぎゃしら のうきしゃたら そわか
参宿(しんしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん あんだら のうきしゃたら そわか
井宿(せいしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん ぶのうばそ のうきしゃたら そわか
鬼宿(きしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん びじゃや のうきしゃたら そわか
柳宿(りゅうしゅく)のうまく さんまんだ ぼだなん あしゃれいしゃ のうきしゃたら そわか
南方七宿
星宿(せいしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん まぎゃ のうきしゃたら そわか
張宿(ちょうしゅく)のうまく さんまんだ ぼだなん ほらは はらぐ のうきしゃたら そわか
翼宿(よくしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん うったら はらろぐ のうきしゃたら そわか
軫宿(しんしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん かしゅた のうきしゃたら そわか
角宿(かくしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん しったら のうきしゃたら そわか
亢宿(こうしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん そばてい のうきしゃたら そわか
てい宿(ていしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん そしゃきゃ のうきしゃたら そわか
西方七宿
房宿(ぼうしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん あどらだ のうきしゃたら そわか
心宿(しんしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん せいしゅった のうきしゃたら そわか
尾宿(びしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん ぼうら のうきしゃたら そわか
箕宿(きしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん ふるばあしゃだ のうきしゃたら そわか
斗宿(としゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん うったらあしゃだ のうきしゃたら そわか
牛宿(ぎゅうしゅく)のうまく さんまんだ ぼだなん あびしゃ のうきしゃたら そわか
女宿(じょしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん しらまな のうきしゃたら そわか
北方七宿
虚宿(きょしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん だにしゅた のうきしゃたら そわか
危宿(きしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん しゃたびしゃ のうきしゃたら そわか
室宿(しっしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん ほらば ばつだらやち のうきしゃたら そわか
壁宿(へきしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん うたのう ばっだらば のうきしゃたら そわか
奎宿(けいしゅく) のうまく さんまんだ ぼだなん りはち のうきしゃたら そわか
婁宿(ろしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん あしんび のうきしゃたら そわか
胃宿(いしゅく)  のうまく さんまんだ ぼだなん ばらに のうきしゃたら そわか

八字文殊呪  オン・アクビラウンケン・シャラク・マン

妙見菩薩   オン・ソチリシュタ・ソワカ

金剛吉祥  オン・バザラシリ・マカシリ・アニチヤシリ・ソマシリ・アギャラカシリ・ボダシリ・ボラカサンマチシリ・
シュキャラシリ・シャニシシャラシセイテイシリ・マカサンマエイシリエイ・ソワカ

破諸宿曜  オン・サラバ・タキシャタラ・サンマエイ・シリエイ・センチキャラ・コロ・ソワカ

成就一切  オンタタツツ・チチチチ・ツツツツ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バ・コク・キリクカク・ウンパッタ・ウン

閻魔天の真言  オン・エンマヤ・ソワカ
もしくは ナウマクサマンダボダナン・バイバソバタヤ・ソワカ

 竹内白雅 画伯から拝借しています。http://p77g2t8o.web.infoseek.co.jp/

奈良・平安時代の星辰信仰について
「星の伝承関係のHPまとめて全部」
http://astro.ysc.go.jp/izumo/stars.html
以下は、上記サイトの資料を参照しました。

日本は、星の神話や伝説が少ない国と言われていますが、天体自体に興味がなかったわけではなさそうです。 政治をつかさどる人々が、星祭と星占いに明け暮れていた 時期もあるのです。

その時代は平安時代。 大陸では、自然科学・哲学であった陰陽五行思想は、日本 では”星の宗教”陰陽道となり、道教と合体して占い・呪術 として独自の発展をとげました。奈良時代までは、ここぞという時の秘伝であった陰陽道が、 平安時代には、日常のあらゆることの吉凶を占うのに使われる ようになったようです。

さらに9世紀、空海・最澄が密教を伝え、密教の占星術で ある宿曜道も時の占星術ブームにのって盛んになりました。 宿曜道は、インド原産でヨーロッパ色の強い新しい占星術で、たびたび陰陽道と対立し、お互いの要素を吸収しあいながら 最後には民衆にも広まっていきました。

陰陽道と宿曜道。 日本の星の信仰を代表する、2つの文化の流れを追ってみる ことにしましょう。

宿曜道

800年ごろ真言宗を開いた空海は、唐から宿曜道の詳しい教典をもちこんだ。このときから、暦学は陰陽道の独壇場ではなくなり、密教の占星術・宿曜道も参入してきた。

宿曜道は陰陽道が使っている唐の宣明暦を批判し、ヨーロッパ風の出典不明の暦「符天暦」を使って、日蝕予報で正確さをきそった。斎藤国治「古天文学の道」にその 様子が面白く紹介されている。

(符天暦について:宿曜道の暦は、当時イスラム、インドの天文学者の教科書的存在であった、プトレマイオスの「メガレシンタクシス(アルマゲスト)」および星占い書「テトラビブロス」が元になっている。「符天暦」は天体軌道論の原点ともいえるアルマゲストが多くの民族の手をへて日本に伝わった姿ではないのだろうか。)

宿曜道というのは、名前は似ているが、陰陽道とは起源も原理も全然違う。

宿曜道はインド原産の27宿占星術が基本となっており、基本の教典「宿曜経」(本当は長い名前)もインドの教典がもとになっている。インドのホロスコープ占星術は、西洋から伝わったものであるので、宿曜道も西洋風のホロスコープ占星術を行なう。
宿曜道の重要文献の1つにプトレマイオスの占星術書(テトラビブロス)の漢訳本があることから雰囲気がうかがえるであろう。

(テトラビブロスについて:アルマゲストとともに世界に広まったプトレマイオスの著作。何しろ占いの本なので天文学史からはぬけおちているが、7-12世紀ごろのイスラム、インドの天文学者らに大うけしていた本である)

平安後期になると、貴族に星祭りが流行し、密教の方でも道教の神を仏教風にした菩薩が生まれ、北斗七星や北極星などを祭った星曼陀羅が作られ、密教の星祭りが行なわれた。

平安の密教系星祭は天台宗のものが多いが、よく体系化された空海の真言宗に比べ、教義で劣る天台宗が、最澄なきあと生き残りをかけて多くの星祭を生み出していったものと考えられている。

密教の星祭・信仰

・北斗法--北斗曼陀羅を掲げ、祭壇に本命星を中心に四方に本命宿、当年星、生年宮、本命曜を配し息災延命を祈願する。

・尊星王法--北斗七星と妙見菩薩を祭る。

・本命星供--天台宗の属星祭。燭盛光法。

・大曼陀羅供--北斗七星、12宮の神、16天、27宿を祭る、天台宗の祭。

・元辰星供養--自分の干支の方角の逆に相当する干支から求める裏本名星を祭るもの。

・本命日--生まれた年あるいは日の干支、また生まれた年の支の日を本命日とし、忌み慎む。
(961年に、生まれた年の干支か、日の干支かで、陰陽道の賀茂保憲と密教の法蔵法師が争い、保憲が勝利した。しかし、11世紀よりあとでは本命日は生まれた日の干支とするようになった。)

・本命宿--生年月日の日を、27宿の1つにあて、本命宿とする。各月の1日に相当する宿を前もって決めておき、その宿から東-北-西-南の順に数えていく。
(これも保憲と法蔵で争われた。法蔵は生まれた日に月がいた宿を本命宿とするという珍しい説を出し、勝利したが、一般には前記の保憲の決め方が正しい。)

・本命宮--インド経由の西洋占星術がもとになっている宿曜道ならではの信仰。

・年星--年齢により、その年だけの守護星となるもの。

隆蓮房さま(高野山真言宗)の節分(星供)の勤行次第です。

三礼合掌、開経偈などの後に次のご真言をどうぞ。

先 大日  オン バザラダトバン

次 頂輪王  ナウボウサンンマンダ ダラダラハシャラウン

次 招北斗  ナウボウサンマンダ ダラナウエイケイキ ハイカイタイカイライボウラタラキャラ ソワカ

次 北斗總印言  オン サハヂナウヤ バンジャビジャヤ ゼンホダマソバビナウラキサンバンバト ソワカ

次 諸曜總印言  ナウマクサンマンダボダナン ギャラケイジンバリヤ ハラハタジュチラマヤ ソワカ

次 二十八宿總印言  ナウマクサンマンダボダナン タキシャタラニリナダニエイ ソワカ

次 当年星

次 本命星

次 本命曜

次 本命宮

次 本命宿

次 金剛吉祥  オン バザラシリ(金剛吉祥仏眼) マカシリ(大吉祥白衣) アニチヤシリ(日)
ソマシリ(月) アギャラカシリ(火) ボダシリ(水) ボラカサンマチシリ(木)
シュキャラシリ(金) シャニシシャラシセイテイシリ(土) マカサンマエイシリエイ(大吉祥諸大曜)
ソワカ

次 破諸宿曜  サラバタキシャタラ(總宿曜) サンマエイ(平等) シリエイ(吉祥) センチキャラ(息災)
コロ(事) ソワカ

又は 妙吉祥破諸宿曜障明  オン サラバナウキシャタラ サンマエイ シリエイ ソワカ

次 成就一切  オン タター ツツー チチー チチー ツツー ツツー バザラサトバ ジャクウンバンコク
キリクカク ウンパッタ ウン

次 仏慈護  オン ボダマイチリ バザラ アラキシャ カン

次 羅喉  オン ラゴナウ ヤソラ アランジャヤ ソマシャトナウヤ センジキャリ ソワカ

次 炎魔天  オン エンマヤ ソワカ
又は ナウマクサマンダボダナン バイバソバタヤ ソワカ

次 大師明神

次 法施 心経七巻 あるいは三巻

次 回向 願わくはこの功徳をもって 普く一切に及ぼし 悟りの道を成ぜんことを

宿曜道のルーツ

宿曜道の暦法は、符天暦がややこしい暦らしいので詳しい点が不明だが、星の信仰と占星術の実際はだいたいわかっている。宿曜道は仏教の中でも、真言・天台の両密教で行なわれる。密教は、大乗仏教の中でも最も新しい宗派で、 インド原産、広く知られるようになったのはA.D.7世紀ごろと言われる。

インドでできたので、ヒンドゥー教の神々と縁が深い。9曜(9惑星)は、日曜スーリヤ、月曜ソーマ、 火曜アンガラカ、水曜ブダ、木曜プリハスパティ、金曜シュクラ、土用サナイスカラ、羅喉ラーフ、計都ケトゥで構成される。

北斗七星はインドでは7聖仙、すばるは7聖仙の6人の妻だともいう。
7聖仙は、自分の妻と浮気をした軍神インドラの睾丸をとってしまったゴータマ仙、忍耐強い?ヴァシシタ仙、苦行を続けたが天女の色香に 負けて神通力がなくなったヴァシュヴァーミトラ仙、21人の妻をもったブラフマーの子カーシャパ仙、苦行中によってくる女性を追い払うため「私と会えば必ず妊娠する」という呪文をかけたプラスティヤ仙、 目から月(ソーマ)が生まれたアトリ仙、アタルヴァ・ヴェーダのもとアタルタ・アンギラスで祭られたアンギラス仙などで、文献によりメンバーがちがうという。
北極星はインドではドルヴァで、密教の妙見菩薩とは異なる。

27宿占星術(後に28宿となる)はインド独特のもので、中国の28宿とは宿の位置も名称も違う。原点はアーリア人の聖典の1つ、B.C.900ごろのアタルヴァヴェーダという呪術書である。中国28宿よりも古く、また後にインドに伝わるバビロニア風占星術とも違う。(メソポタミアには星宿はない。)

密教でいう宇宙の原理は「胎蔵・金剛の両界曼陀羅」で表わされるらしい。両界曼陀羅は、やはりA.D.7 世紀ごろインドでもとができあがり、それぞれ「大日経」「金剛頂経」にまとめられ、大日経の方はインド僧善無畏が中国にもっていって訳し、金剛頂経は不空三蔵がインドから持ち帰り訳した。
その2つの教典をもとに両界曼陀羅が中国で描かれたらしい。星の尊格はこの曼陀羅にも描かれている。

最も大きい神格は中心仏の大日如来であろう。太陽・光の神で、インド名はヴァイローシャナ、名高い阿修羅 王である。ヴァイローシャナは、びるしゃな仏→大日如来と変化していくようだが、奈良の大仏はまだ大日如来になる前にびるしゃな仏である、というのは有名。

北斗七星、妙見菩薩は他に独自の曼陀羅があるので、部分的にしか描かれていないが、28宿の神というのが女性神格で28人、描かれている。

密教では、ヴェーダの神よりアスラとなった土着の神の方が重視されてきており、曼陀羅に登場する尊格は 多くがアスラ系のヒンドゥー神、または密教で作られた仏(明王など)である。

■仏教の勉強室

肉親血縁相剋の因縁

肉親血縁相剋の因縁
これも、根本は、家運衰退の因縁から出てきているものである。
この因縁は、肉親の者同士、血縁の者同士が、たがいに運気生命力を損ねあい、傷つけあって分散してゆくのである。
毛利元就の「三本の矢」の教訓を逆にいって、おたがいに助けあい、協力しあってゆくべき肉親血縁の者が、離散し、孤立して、次第に没落してゆく。
まさに、家運衰退のあらわれである。
この因縁があると、同居している親子、兄弟など、血縁の噺が、年中不和で詐が絶えない。これは、血縁の者同士でお互いの運気(生命力)を損ねあい、傷つけあっているので、無意識のうちに反発しあって争うのである。この場合、運気を傷つけあうといっても、必ずしも表面立って争いをするとは限らない。ただ同じ屋根の下に住んでいるというだけで、相手の運気(生命力)を損ねるのである。それはちょうど、何か目に見えない光線のようなものを放射しあって、相手の生命力を傷つけるように思われる。人間の生命というものは、自分を守るという自衛本能を持っているから、その本能がはたらいて、無意識のうちに生命力を結集して相手に反発する。その結果として、相手の何でもないような動作や一言一句が非常に気にさわる(神経が立っているので)。そこで静が始まるのである。肉親同士で異常に仲が悪いのぱこのためである。それに加えて財産などの利害関係がからむと、非常に深刻な争いに進展してく。
この因縁のある家庭で、もし、同居の肉親同士が不和でなければ、家族の中に誰か一人、年中病気で苦しむ者か、極端に不運で運の開かぬ不遇の者が必ず出る。
相当の才能、手腕がありながら、常にチャンスを逸したり、チャンスに恵まれない不遇の人、あるいは長年病弱の人は、前記の「中途挫折の因縁」か、または、この「肉親血縁相剋の因縁」によって運気(生命力)を剋害されているのではないかを疑ってみるべきである。どちらかの因縁があったら、それを断ち切らぬ限り、いくら努力しても一生空転するばかりなのだ。
この因縁を持つ人、(あるいはこの因縁のある家系)には、必ず、といっていいほど、霊的な障害がある。つまり、三代か四代前に、その家(またぱ人)を強く恨んで亡くなった怨念のホトヶがいるのである。
また、横変死した人の霊障を受けている場食がほとんどである。

 

Intimacy of relatives
Again, this is basically attributable to the decline of family luck.
The cause of this relationship is that relatives and relatives hurt each other
They are dispersed.
元 Reverse the lessons of Mori Motonari’s “Three Arrows”, help each other and cooperate
Those with close relatives should be separated, isolated, and gradually fall.
This is exactly the appearance of the declining family.
Because of this connection, the story of blood relatives, such as parents and siblings living together, is inconsistent throughout the year and fraud is constant.
No. This is because the relatives lose their fortune (life force) and hurt each other,
They repel each other unconsciously and fight. In this case, it is necessary to
It is not always the case that fights are superficial. Just living under the same roof,
This impairs the opponent’s fortune (life force). It’s just like something invisible rays
It seems to hurt the opponent’s vitality by radiating something unusual. Human life
Have a self-defense instinct to protect themselves,
To rebound against the opponent. As a result, actions or actions
The words are very disturbing (because they are nervous). That is where the quiet begins. Relatives
He is unusually unfriendly with him because of this. In addition, if there are interests such as property,
It is a very serious battle.
家庭 In a family with this connection, if the family members living together do not conflict, there will always be somebody in the family who suffers from illness all year long, or who is extremely unfortunate and unlucky.
な が ら Although you have considerable talent and skill, you always miss a chance,
The person who has been sick for a long time, or the person who has been sick for a long time
You should be suspicious that your fortune (life force) is being harmed by “the cause of conflict”
is there. If you have either kind of connection, you will keep spinning no matter how much effort you make unless you cut it off
It just gets.
人 Everyone who has this connection (or a family with this connection) must be
There is a serious obstacle. In other words, before the third or fourth generation, he died strongly against the house (also ぱ)
There is a photo of a grudge.
場 In addition, most of the eclectic meals are affected by the death of a person who has died sideways.

中途挫折因縁  

中途挫折の因縁

この因縁を持つ人は、何をやっても、一応、七、八分通りまでは順調に進むが、あとも
う一、二分というところで必ずダメになる。決して実らないのである。この因縁を、一名、「虚花の命」というのは、「七重八重、花は咲けども山吹の、実のひとつだになきぞ悲しき」という古歌の山吹の花と同様、花咲けども実らず、すべてムダ花であるというところからきているのである。よそ目には華やかに見えて、内実は空しいのである。苦労した
あげく、さいごの収穫はごっそりと人に持ってゆかれてしまう。
この因縁を持つ人は、わりあい運気(生命力)の強い人が多く、中途で挫折しては、また立ち上って仕事をし、また七、八分通りで挫折して、そのままになるかと思うとまた立ち上って、また挫折する、というように、七転八起の起伏のはげしい人生を送る人が多い。
そうして、結局は、挫折したままで終るのである。
大体、因縁のあらわれ方には二通りあるのであって、その囚縁が、そのままその人の恍格にあらわれている場合と、性格には全然あらわれない場合とがある。
この中途挫折の因縁の場合も、この因縁がそのまま性格にあらわれて、非常に気の弱い意志薄弱の型と、逆に、非常に気のつよい意志強固の型がある。
意志薄弱のタイプは、何をやってもすぐにあきてしまって、ながつづきしない。気うつりがぱげしい。学業、職業、すべてがそうで、転々とする。文字通りの中途挫折、薄志弱行の型である。
もう一つのほうは、これと全く反対で、性格もつよく、意志も強固で、努力家でもある。
然るに、かえってその強さが人と相容れず、上の者と衝突したり、同僚と円満に協調出来なかったりして、失敗し、挫折する。あるいは、ここ一番という大事なところで、きまってつまらぬミスをしたり、人の誤解をうけたり、妨害をうけたりする。また、病気や怪我などで手違いが生ずる、というように、必ずなにかしら障害が発生して、チャンスをつぶ
すのである。

薄志弱行タイプの場合は、すぐにあきたり、気移りしたりして白分から会社を転々とするが、意志強固タイプの場合は、自分でぱ一心に努力をして会社を変わるつもりはさらさらないのだが、他動的に転々と変わらざるを得ないようになってしまうのである。その人の思劣、心構えなどに関係なく、結果は結きょくおなじことになが、因縁というものの、こわいところである。精神一到何小か成さざ‘ら人や、と気胆劣てみたところで、この因縁を持っていては、所詮、ダメなのだ。外的条件が許さないのである。
つねに転々として挫折する。

この中途挫折の因縁が、そのようにして一段と強くなった場合、

運気不定・浮沈の因縁

という因縁になる。

これは、運気に根が生じないので、そのため、浮沈変転してとどまらないのである。
いわば、根無し草の人生である。居住、職業が定まらず、転々とする。一的に幸運を得ることがあっても、永続しない。一生、ホームレスか、それに近い境界となる。
女性の場合、ちゃんとした結婚生活をつづけることが出来ない。再婚、三婚し、しかしいくら結婚を繰り返しても、決して安定した夫婦生活を持つことは出来ない。
「色情の因縁」のある場合は、不倫の関係に陥ったり、あるいは売春をする悲惨な因縁である。

 

The cause of frustration

人 No matter what you do with this connection, no matter what you do, it will go smoothly until seven or eight minutes,
It’s always useless at one or two minutes. It never grows. One of the reasons for this connection is that the life of the imaginary flower is the same as the flower of Yamabuki, an old song that says, “ Nana, Yae, flowers are blooming, but Yamabuki is one of the fruits. Instead, they all come from waste flowers. It looks gorgeous to the eyes, and the inside is empty. Struggled
After all, the harvest of the ladder is secretly brought to the people.
Many people with this connection have strong luck (life force), and if they fail on the way, they will get up and work again, and they will be frustrated on the 7th and 8th streets, Many people live up and down their lives, rising and frustrating.
And in the end, you end up frustrated.
Generally, there are two ways in which the connection can be expressed. There are cases where the prisoner appears in the person’s ecstasy as it is, and cases where it does not appear in the character at all.
も In the case of the cause of this halfway frustration, the character of this cause is manifested in its own character, and there is a very weak-willed and weak-willed type.
薄 The weak-willed type is immediately open to whatever you do and does not continue. I feel sick. Academic, occupation, everything is so and it changes. It is a type of literally frustrated, weakly weak line.
On the other hand, the opposite is completely opposite, with a strong personality, a strong will, and a hard worker.
However, their strength is incompatible with others, they collide with the superiors and cannot cooperate harmoniously with their colleagues, failing and frustrating. Or, in the most important places here, we make mistakes that are always stupid, misunderstood, and hindered. In addition, there will always be some obstacles, such as sickness or injury resulting in a mistake
It is.

In the case of the light-weaker type, the company changes from one company to another immediately because of a sudden change or a change, but in the case of the strong-willed type, it is more likely that you will work hard to change the company yourself. It is not, but it has to be passively changed. Regardless of the person’s inferiority, attitude, etc., the result is almost the same, but it is scary, though related. I’m sorry to be a bit of a spiritual person, and I’m sorry to have this connection. External conditions do not allow.
Always frustrated.

場合 If the cause of this halfway failure is further strengthened in this way,

Causes of uncertainty and ups and downs

It becomes the connection.

This is because there is no root in fortune, so it does not stay up and down.
It is a life of rootless grass. The residence and occupation are not determined, and they change. Even if you get good luck, it is not permanent. Lifelong, homeless or near-boundary.
Women cannot keep a proper marriage. No matter how many remarriages, marriages, or marriages, you can never have a stable married life.
If there is a “kin of emotions”, it is a miserable cause of falling into an affair or prostitution.

maitreya

maitreya

Maitreya is a bodhisattva (practitioner) who has been promised to be the next Buddha after Gautama Buddha (Buddha of Shakyamuni), who is now a Buddha. He appears to be enlightened and saves many people. Until then, it is said that he trained (or preached) at Kabutoten,

脳と心革命瞑想瞑想 

Brain and mind revolution meditation meditation

Ascetic monks. These two are laws belonging to the class of mystery.

な ん What are those two?

Shamata and Vipashyanah. Ascetic monks. If you have completed Shamata,

Will it embody

So, what is the purpose of mere heart training? Any greed can be cut off. If you have studied Bipasjana, it will embody any purpose

Do you?修 Teach wisdom. If you have learned wisdom,

Will it embody? You can be cut off by any dumb.

The training monks. The greedy heart does not break away. Wisdom spent in the unknown

I can’t. Ascetic monks. Thus, leaving the greed can lead to liberation of the mind.

Liberation of wisdom from leaving the dawn

 

脳と心革命瞑想瞑想

 

 

修行僧らよ。これらの二つは明知の部類に属する法である。

 その二つとはなんであるか?

 シャマタとビパシュヤナーである。修行僧らよ。シャマタを修したならば、

いかな体現すであろうか

 では、心  修しかならば、いかなる目的を体現するであろうか? いかなる貪欲でも断ぜられるのである。ビパシュヤナーを修したならば、いかなる目的を体現するであろ

うか? 智慧を修するのである。では、智慧を修したならば、いかなる目的を

体現するであろうか? いかなる無明でも断ぜられるのである。

 修行僧らよ。貪欲によごされた心は解脱しない。無明によごされた智慧は修

せられない。修行僧らよ。このように、貪欲を離れることから心の解脱が起こ

り、無明を離れることから智慧の解脱が起こるのである。(雑阿含経

リサ・ランドール博士  「余剰次元」という5次元の存在を提唱

「我々の世界は3次元と時間(4次元)、そして空間の因子を追加した5次元目が存在している」

というのが彼女の理論です。

それを確かめる為に、スイスのジュネーブにあるLHC(大型ハドロン衝突型加速器)で”7兆電子ボルトの亜光速まで加速された陽子”を衝突させる実験が計画されています。

この衝突実験によって粒子が姿を消したことが確認されたなら、姿を消した先が異次元の世界であると考えられ、異次元の存在が立証されたことになるそうです。