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瞑想 結珈践坐と半珈践坐 Meditation Lotus position and semi-lotus position

けっかふざ
結珈践坐と半珈践坐

坐所にむかって合掌してから坐る。結珈践坐と半珈践坐がある。
坐蒲に尻をおろして両方の脚を前にのばし、まず右の足の親指のあたりを持って、これを
左の腿の上にのせる。このときヵカトが下腹につくくらい深くのせるのである。
つぎに、左の手で左の足指を持って、これもまた右の腿の上におなじように深くのせる。
こうして両脚を組み、上ふまずが天井を向くように坐る。これが「結珈践坐」である。
この結珈鉄坐が一番安定したよい坐りかたなのであるが、はじめのうちはなかなか脚が組
めないので、半珈践坐という略式の坐りかたでもよい。片ほうの脚だけをあげて坐るのでこ
の名がある。右足の上ふまずを左の内股にピタリとつけて、左足だけを右の腿の上にあげる。
足が痛くなったら、足をかえてもよい。
ただし、このとき注意しなければならないのは、あげたほうの脚の膝がしらが浮くことで
ある。これでは不安定で正しい坐法の姿勢にならない。そのときは、尻にしいている座ぶと
んをもう一枚重ねて高くしてみる。そうして、少々上体を前に倒して、まず両足の膝がしら
をつけ、それからおもむろに上体をまっすぐに起こしてみる。

 

Lotus position
Lotus position and semi-lotus position

Sit after joining hands toward the sitting area. There are lotus position and semi-lotus position.
Lower your hips on the zafu, extend both legs forward, first hold the area around your right big toe, and hold this
Place it on your left thigh. At this time, put it so deep that Kakato touches the lower abdomen.
Next, hold the left toe with your left hand and place it on the right thigh in the same way.
In this way, fold your legs together and sit with your upper limbs facing the ceiling. This is the “Lotus position”.
This lotus position is the most stable and good way to sit, but at first the legs are quite crossed.
Since it is not possible, you may use the abbreviated sitting method called “half-practice sitting”. Because I sit with only one leg raised
There is a name of. Place the upper thigh of your right foot on your left inner thigh and raise only your left foot on your right thigh.
If your leg hurts, you may change your leg.
However, what you have to be careful about at this time is that the knees of the raised leg float.
is there. This is unstable and does not result in a correct sitting posture. At that time, if you sit down on your hips
Try stacking another one and raising it. Then, tilt your upper body forward a little, and first of all, the knees of both legs
Then, try to raise your upper body straight.

今日の運勢 1月27日 Today’s fortune January 27

 

三碧木星の日

望み事を持った人が来訪する。思い掛けない事が起こる。善因善果。神、親、社会、衆生、物のご恩をかみしめ精神本位で行動すべき日 今まで9日間の行動の善悪によって思いがけない吉凶が生じます

災難が多く、感情も不安定な日。
何かとトラブルに発展しがちです。
何事も冷静に落ち着いて物事に対処することで運気の衰退は免れます。
ただし良い意味での「破壊」を行うには最適な日です。
借金の精算や不要な物の断捨離を進んで行いましょう。

Mitsuo Jusei Day

A person with a desire visits. Something unexpected happens. Good cause and good effect. The day when we should act in a spiritual manner with the grace of God, parents, society, sentient beings, and things. The good and evil of our actions for the past 9 days causes unexpected good and evil.

A day with many disasters and unstable emotions.
It tends to lead to trouble.
By calmly dealing with everything, you can avoid the decline of luck.
However, it is the best day to do “destruction” in a good way.
Be willing to settle your debts and declutter unnecessary things.

梵字 衝撃的事実発覚!?インドで失われた伝統が日本に!?驚きと感動が鳴り止まない!!

梵字とは梵語を書くのに用いる文字のことを言い、吉祥文字と言われています。梵語は古代インド(天竺)の言語のことを言います。

その梵字もインドの各時代、地方によりいろいろ変遷があったようです。梵字は、インドの文字の総称で、地域や時代によって異なる幾つもの書体を含んでいる。

本来、サンスクリット語を表記するために造られた文字であったが、仏教の文字観と結びついて、宗教的レベルまで発達した。 日本へ伝った梵字は「悉曇[しったん]」と呼ばれ、六世紀から九世紀にかけて中央インドを中心に用いられた流行書体である。

この悉曇が密教の教理と密接なかかわりを持つ。書体名のほかに、悉曇文字には、「成就・完成」という言葉の意味がある。密教では、悉曇は大日如来から相承した神聖な文字であると説かれる。成就・完成とは、悉曇文字そのものが持っている機能が完成し成就しているということである。

弘法大師空海は、悉曇を如来の実語として捉え、文字でほとけのさとりの世界をあらわすことができると説く。すなわち、種子[しゅじ]、真言[しんごん]、陀羅尼[だらに]を密教を形成する重要な要素の一つであると位置付ける。このことは、真言宗という宗名にもあらわれている。

準眠観世音菩薩をご本尊 The principal image of the quasi-sleeping Kanzeon Bodhisattva

 

このような次第で、わたくしは、生まれ変わったつもりで、自分自身が救われた観音経にもとづき、準眠観世音菩薩をご本尊として、観音慈恵会をはじめた次第である。
それまでにわたくしは、仏教の本格的な勉強をしたことがない。だから、自分自身でも坊主になったつもりもなければ、宗教家になったつもりもなく、一介の求道者として歩みはじめたのである。この求道生活によって、一人でも多くの人が救われることが、わたくし自身の罪障消滅になり、因縁解脱につながるのだ、という固い信念があった。わたくしは、自分の力で、入を救うなどという大それた気持をもったことは一度もない。自分が救われ、中村語郎さんが救われ、そのまた前の人が救われたという、この救われる一つの系譜というか、その救いの流れの中に、人を入れてあげることによって、入を救うことができるのではないか、あるいはその救いの流れに入るきっかけをつくってあげるだけでも、わたくしの役割を果たすことができるのではないか、それで、人が救われるとしたら、その功徳がわたくしにき、て、因縁が一つ一つ切れていくであろう。そう思って、昭和二十九年の秋口に観音慈恵会をはじめたわけである。

In this way, I thought I was reborn, and I was saved myself.
Based on this, the Kannon Charity Society was started with the quasi-sleeping Kanzeon Bodhisattva as the principal image.
By then, I had never studied Buddhism in earnest. So even myself
I didn’t mean to be a shaven or a religionist, I walked as an investigator
I started. I hope that this life of quest will save as many people as possible.
There was a firm belief that it would eliminate his own sins and lead to the elimination of the cause.
I have never had the great feeling of saving the entrance by myself.
I was saved, Mr. Tokuro Nakamura was saved, and the person in front of me was saved.
Save the entrance by putting people in one genealogy, or in the flow of salvation.
I think I can do it, or I will create an opportunity to enter the flow of salvation.
But maybe I can play my part, and that will save people
Then, the merit will come to me, and the ties will be cut off one by one. With that in mind, I started the Kannon Charity Society in the fall of 1945.

 

日本では「准胝仏母」、「准胝観音菩薩」、「准胝観世音菩薩」、「天人丈夫観音」などさまざまな呼称がある。

 

真言は短呪の「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」(Oṃ cale cule cunde svāhā [21] [15][注 4]などがよく知られている。長咒は「ナモサッタナン・サンミャクサンモダクチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」。

三昧形[

三昧耶形は「寶瓶」(方便)、「金剛杵」(智慧)、「甲冑」(慈悲)。

種子はबु(ボ、buBonjiBu.png

 

准胝観音(じゅんていかんのん)とは?

准胝仏母(じゅんていぶつも)・七倶胝仏母(しちくていぶつも)ともいいます。もとはヒンドゥー教の女神であるドゥルガーで、シヴァ神の妃とされています。とても美しい姿ですが、神々の武器を持って魔族を倒した戦いの女神です。そのため本来は女尊であり、観音ではないという指摘もあります。しかし、ここでは観音として紹介しますね。

 

仏教に取り入れられてからは慈悲深い清浄をもたらす神とされ、七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)ともいわれています。これは遙か過去より多くの仏を誕生させた仏の母という意味です。そのため、真言宗系では人道を救済する六観音(聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音)に数えられますが、天台宗系では准胝仏母といわれ如来に分類されています。不空羂索観音と合わせて七観音と呼ばれることもあります。

ご利益

修道者守護、無病息災、延命のご利益があり、安産や子供が授かるなどの功徳があります。

 

空海の孫弟子にあたる理源大師(りげんだいし)聖宝は修験の僧として知られ、自ら霊木を刻んで祀ったのが准胝観音と如意輪観音でした。経典には、修験者が准胝陀羅尼を唱えれば身が清浄となり成仏できると説かれています。また聖宝は醍醐天皇の皇子誕生を准胝観音に祈願し、のちの朱雀、村上両天皇が誕生したといいます。そのため一般的には子授け、安産としての功徳が知られています。

 

モンゴル

モンゴルの奇蹟(モンゴルの奇跡)

k1.fc2.com/cgi-bin/hp.cgi/bosatsu/

<1996年6月モンゴル国益大護摩修法が阿含宗喜勤修したた。この年のモンゴルは大旱魃で雨があり降我山火事がモンゴル全土で100百よりモンゴルはまた国土領の4倍にするあり広大な山火事にモンゴル人民は頭を聞きました。阿含宗桐山靖雄管長と信徒400名の方達がモンゴルはモンゴル国ガンダン寺を十一面観世音菩薩世界平和応願大護摩法要を勤修した。護摩修法があり18年からモンゴル全土に大雨が謝宣言数あり書射ある。

ゴマの呪文は1996年6月にモンゴルの州でそれを非常に喜ばせました、そしてそれは含意の宗派によって熱心に禁欲主義を実践して行われました。モンゴル全土の100か所以上に山火事が広がり、大雨は大干ばつに見舞われず、今年のモンゴルは数ヶ月間燃え続けました。モンゴルは日本の国土の4倍近くあり、モンゴルの人々は非常に大きな山火事を心配していました。私はそれを喜ばせ、含意宗派の桐山康夫のパイプの長さと400人の信者がモンゴルのモンゴル州の癌ダン寺院で11人の慈悲の女神世界平和の祈りの大きさのゴマ仏教の追悼式を熱心に修行しました。この本には、ゴマの呪文が始まってからモンゴル全土で大雨が降り始め、数ヶ月間続いた山火事が数日間消えたという奇跡の記録が書かれています。/ p>

senokubutsu.sokushinbutsu.com/simpleVC_20100227214300.htm

旅立ち宗教へ信仰の系譜 Genealogy of faith to departure religion

阿含宗のはじまり

旅立ち宗教へ信仰の系譜
その当時のわたくしの信仰というと、準肌観音をご本尊とする観音信仰であった。
なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺
を決意したことがあった。
道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負っ
てしまった。債権者に連日責められる羽目となった。
そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に拵えて
いた、田圃の中の工場跡ヘバッグーつ提げて出かけていった。
二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と
いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。
死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったよう
な気がした。だんだん視野が狭くなってきて、目の前が暗くなる。そのうちに、目の前十
センチくらいしか見えなくなってしまって、死ぬこと以外は何も考えなくなってしまう。
どうやって問題を解決するか、などというようなことには、もう頭が回らないという、
考える気力もなくなって、死ぬしかないという気分に陥り、あとは、どうやって死のうか
と、そればかりを考えるようになる。そうなると、もう死ぬ方法も鉄道自殺など面倒にな
り、とにかく手近にあるもので、と死にたくなる。
そんな状態になっているうちに、明け方になり、いよいよ首を吊ろうという気になっ。
そして、寝ころがったまま、あの戮あたりに縄をかけて、などと考えながら天井を見上げ
ていたところ、棚が目につき、その棚から何か小さなものがちょいとはみ出しているのが
見えた。ふと好奇心がわいて、「あれ、何んだろうな」と思って、ひょいと立ってみた。
これが転機となって、死神がはなれたのであろう。このことがなかったら、わたくしは確
実に首を吊っていたと思う。それまでは、思考が完全に停止し、死んだ後、誰が困るかと
か、そういった死ぬこと以外の、ほかのことは何んにも考えなくなっていた。
とにかく、立ち上がってそこに見たのは真新しい小さな経巻であった。幅二、三センチ
長さ五、六センチ、厚みIセンチ弱、の小さなものであった。
この工場を引き払って、もう三年にもなるのに、どうしてこの棚に経巻が置き去りにな
っていたのかと、いぶかしく思いながら、ふと父から以前聞いたある話を思い出した。
父の収引先に中村語郎さんという方がおられた。父は陸軍から引き取った払下げ品のI
部を製紙原料として、この中村さんの会社に納めていた。
中村さんは製紙原料問屋としては当時日本一といわれた人であったが、道楽もだいぶし
たらしく、若い頃から苦労がたえず、一時は「おけらの語郎」とさえいわれた人であっ。
そのどん底の時に、前途に希望を失った中村さんは「いっそ死んでしまおう」と、冬の木
枯しが吹き荒ぶ時季に、洗い晒しの浴衣一枚を着て、近くの川へ出かけた。橋の上から身
投げしようとしたところ、いまや飛び込もうとした寸前に、通りかかった人に、「お待ち
なさい」と呼びとめられ、
「あなたは死ぬつもりでしょう」
といわれた。
「いや、死ぬつもりじゃない」
「ウソをいいなさいL
「いやあ、実はお察しの通りです。しかし、お情けだから黙ってこのまま死なせてさだい」
といった押し問答の末、
「とにかく、わたくしのところへまずいらっしゃい。それから死んでも遅くないでう」
と、その場はひとまずその人の勧めにしたがい、立派な家に連れてゆかれた。ご飯を食
べさせてもらいながら、事情を話したところ、その人は、
「実は、わたくしもその昔、自殺しようと思ったことがあった。その時、やはりある人に
呼び止められて、『あなたは神仏に対する正しい理解がないから、そういうことになるの
です』と諭され、少しのお金とともにお経をくれた。それで自分も死ぬのを止め、信仰を
もって一生懸命に働いた結果、こうしていっぱしの商売人になった」
と、自分の過去を、中村さんに話して聞かせた。
それ以来、その人は、自分を救ってくれた人への恩返しのつもりで、その時手渡された
ものと同じ経巻をたくさんつくって、多くの人に布施しているということであった。
この話を聞かされた中村さんは、大いに勇気づけられ、その経巻と、とりあえず飢えを
しのげる程度のお金をいただいて、その人の家を去った。その後、一生懸命に働いて、つ
いには、日本一といわれる 紙原料問屋を築いたというのである。
そして、その中村さんもまた、助けてくれた人と同じ道を歩みたいと、一生に何十万巻
かの観音経を布施することを念願された。。ある時、中村さんは父に向かって、
「あなたは何百人もの人を使って陸軍の大きな機械相手の仕事をされているが、非常に危
険な仕事でしょうから、一つこれをお守り代わりにみなさんに差し上げてください」
ということで、この観音経を父に一千巻布施してくださったとのことである。先に述べ
た通り、父は、自分の入れた臨時人夫を指揮して二十四時間作業の機械相手の仕事をしていたのである。
父は特に信仰というものはなかったが、尊敬している人格者の中村さんのお話であった
から、素直にありかたくいただき、全員に配った。それが少し余っていたと思われる。不
思議なことに、その一巻が偶然棚にころがっていたわけである。どう考えてもそんなとこ
ろにあるわけはないのだが、事実あったのである。いまでも不思議に思っている。
このお経には考えてみると、一つの系譜というものがある。この経巻の布施によって、
中村さん、中村さんを助けた人、そしてまたその人を救った人等々、みな自殺を思いとど
まらせている。いままた、自殺寸前のわたくしがこれを手にした。これは本当にただ事で
はない。これは自分を救おうという何か大きな目に見えない意志が働いているのではない
か、この意志に従うべきではないか、その時そう思った。
その刹那、パーツと考えが変わった。ちょうど太陽が昇る瞬間に、開に光が射すかのよ
うに、あるいは夜が朝に変わるかのように、心が生き生きと晴れやかになっていった。
「死ぬのをやめよう」「生きよう」と、わたくしは自分自身に誓った。そして、この観経
によって、わたくしが本当に救われたならば、中村語郎さんと同様に、わたくしもこのお
経を布施しようと決心した。
ちょうどその時、山の向こうに朝日が昇ろうとしていた。わたくしは、その太陽に向か
って合掌した。そして、声を出して誓ったのである。「どうか私に再起の力をあたえて下
さい。もしも、このお経の中に書いてある通り、私が救われたならば、私は生涯にこのお
経を百万巻布施いたします」と。
その後、三年間、わたくしは死にもの狂いで働き、当時の借金は全部返済してしまった
のである。
そこで、このお経の功徳が大変なものであることがわかったので、どのようにして、そ
れを多くの人びとに布施するかということを考えた。要するに、この時考えたことは、う
んと儲けてお寺に寄付するとか、この観音経をもとにして何かのグループを結成し、自分
がスポンサーになって、有能な有徳の士に中心になってもらい、その功徳を広めようとい
うことであった。
観音経に感謝し、誓願も立てていたが、まさか自分自身が宗教家になろうとは、その頃
は夢にも思っていなかった。
いま、阿含宗の信徒に授けている勤行式は、その経巻をそのまま模したものである。
観音慈恵会の設立                     ニ
そうした諸々の経緯を経て、生麦に出てきたわけであるが、その前後から、完全に治っ
ていたと思っていた身体がまた悪くなり、要注意の状態になったが、行で死ぬなら本望だ
という気持もあって、どんどん荒行を実行した。
一方、運命学のほうは、アマチュアではあったが、相当勉強もし、多くの人たちの運命
を実際に見るという経験も積んだ。したがってすごく当たると、一部ではかなり評判にな
うていたので、ちょっと宣伝でもすれば、昔の友人や仕事の関係者などい
てきたと思う。しかし、そういう生き方、やり方では、過去の因縁を切ることにはならな
いと考え、徹底して誰にも知らせなかった。過去とまったく絶縁することが因縁を切る第
一歩であると思った。過去の引っかかりで収入を得たり、飯を食っていたのでは過去の業
は消えぬと思ったのだ。
このような次第で、わたくしは、生まれ変わったつもりで、自分自身が救われた観音経
にもとづき、準眠観世音菩薩をご本尊として、観音慈恵会をはじめた次第である。
それまでにわたくしは、仏教の本格的な勉強をしたことがない。だから、自分自身でも
坊主になったつもりもなければ、宗教家になったつもりもなく、一介の求道者として歩み
はじめたのである。この求道生活によって、一人でも多くの人が救われることが、わたく
し自身の罪障消滅になり、因縁解脱につながるのだ、という固い信念があった。
わたくしは、自分の力で、入を救うなどという大それた気持をもったことは一度もない。
自分が救われ、中村語郎さんが救われ、そのまた前の人が救われたという、この救われる
一つの系譜というか、その救いの流れの中に、人を入れてあげることによって、入を救う
ことができるのではないか、あるいはその救いの流れに入るきっかけをつくってあげるだ
けでも、わたくしの役割を果たすことができるのではないか、それで、人が救われるとし
たら、その功徳がわたくしにき、て、因縁が一つ一つ切れていくであろう。そう思って、昭和二十九年の秋口に観音慈恵会をはじめたわけである。
きっかけが、観音の慈しみと恵みであったから、会の名称を観音慈恵会とし、至極簡単
に名前をつけたわけである。それまで使っていた名刺をひっくり返して、その裏にペンで
「観音慈恵会」と書いて、表札がわりに入口に貼っておいた。
こうして、桐山靖雄という一求道者が、どれだけのことができるか、やれるところまで
やってみよう、ということで観音慈恵会が船出していったわけである。

The beginning of Agon Shu

Genealogy of faith to departure religion
At that time, my belief was Kannon, whose principal image was quasi-skin Kannon.
The reason why I came to have this faith is that when I made a big mistake in my work, I committed suicide.
I had decided.
Although I wasn’t comfortable or lazy, I had a lot of troubles and I had a big debt.
I have. I ended up being blamed by creditors every day.
So, for a few days, I wanted to think about my future, and his father took it during the war.
I went out with a factory ruin in the rice field.
After thinking for a couple of days, it became troublesome to be alive, and I thought I should die.
I have fallen into such a state of mind. So to speak, it means that a god of death has been attached.
At this time, I seemed to understand for the first time what it means to have a god of death.
I felt like. The field of view is getting narrower and it gets darker in front of me. In the meantime, ten in front of me
I can only see about a centimeter and I don’t think about anything other than dying.
I can’t think about how to solve the problem anymore.
I don’t have the motivation to think, I feel like I have to die, and how do I die?
And that’s all I have to think about. In that case, the way to die is troublesome, such as suicide by train.
Anyway, I want to die because it’s something I have at hand.
While in such a state, it was dawn and I was finally motivated to hang my neck.
Then, while lying down, I looked up at the ceiling thinking that I would hang a rope around that sword.
When I was there, I noticed a shelf, and something small was sticking out of the shelf.
Looked. Suddenly, I was curious and wondered, “What’s that?”, So I stood up.
This may have been a turning point, and the god of death may have separated. If this weren’t the case, I would be sure
I think he was really hanging his neck. Until then, thinking completely stopped and who would be in trouble after dying
Or, I didn’t think about anything other than dying.
Anyway, what I stood up and saw there was a brand new small sutra. A few centimeters wide
It was a small one with a length of 5 to 6 cm and a thickness of less than I cm.
It’s been three years since I left this factory, why is the sutra left behind on this shelf?
I wondered if it was, but suddenly I remembered a story I had heard from my father before.
There was a person named Mr. Toro Nakamura as the recipient of his father’s collection. His father was a surplus I took from the Army
The department was used as a raw material for papermaking and was delivered to Mr. Nakamura’s company.
Mr. Nakamura was said to be the number one wholesaler of paper raw materials in Japan at that time, but he also has a lot of hobby.
Apparently, he had been struggling since he was young, and at one point he was even called “Okera no Goro.”
At the bottom, Mr. Nakamura, who lost hope in the future, said, “Let’s die,” the winter tree.
During the dry season, he wore a washed-out yukata and went out to a nearby river. From the top of the bridge
When he tried to throw it, he said to the passing person, “Wait,” just before he tried to jump in.
Called “Please”
“You will die”
It was said.
“No, I’m not going to die”
“Tell me a lie L
“No, you’re right, but it’s a pity, so please shut up and let me die as it is.”
After a question and answer such as
“Anyway, come to me. Then don’t be late if you die.”
And, for the time being, I was taken to a fine house according to the person’s recommendation. Eat rice
When I talked about the situation while letting me know, the person
“Actually, I used to think about committing suicide a long time ago. At that time, I was told by a certain person.
He was stopped and said, “You don’t have the right understanding of God and Buddha, so that’s what happens.
I was told, and he gave me a sutra with a little money. So he stopped dying himself and his faith
As a result of his hard work, he became a business man like this. ”
I told Mr. Nakamura about his past.
Since then, the person was handed over at that time with the intention of giving back to the person who saved him.
He said that he made many sutras that were the same as the ones and applied them to many people.
Mr. Nakamura was greatly encouraged when he heard this story, and he was hungry for the time being with the sutra.
He left the person’s house for a surplus of money. After that, he worked hard
He said that he built the best paper raw material wholesaler in Japan.
And Mr. Nakamura also wanted to follow the same path as the person who helped him, and hundreds of thousands of volumes in his life.
It was hoped that the Kannon Sutra would be applied. .. At one point, Mr. Nakamura turned to his father.
“You have been working with hundreds of people against large Army machines, but it’s very dangerous.
It’s a tough job, so please give this one to everyone as a talisman. ”
So, he gave his father a thousand rolls of this Kannon Sutra. Mentioned earlier
As you can see, his father commanded his temporary laborer to work as a machine partner for twenty-four hours.
My father had no particular faith, but it was the story of Mr. Nakamura, a person with a respected personality.
Therefore, I asked them to be honest and distributed them to everyone. It seems that it was a little left over. Not
Curiously, the volume happened to be on the shelf. No matter how you think about it
It wasn’t there, but it was. I’m still wondering.
If you think about this sutra, there is one genealogy. By applying this sutra,
Mr. Nakamura, the person who helped Mr. Nakamura, and the person who saved that person, all thought of suicide.
I’m letting you go. Now again, I, on the verge of suicide, got this. This is really just a thing
There is no. This is not the work of some big invisible will to save oneself
I thought at that time that I should obey this will.
The moment, I changed my mind about parts. Just as the sun rises, the light shines open
The sea urchin, or as if the night changed to the morning, became lively and radiant.
“Let’s stop dying” and “Let’s live”, I swore to myself. And this Kankei
If I was really saved by this, I would like this, just like Mr. Shiro Nakamura.
I decided to apply the sutra.
At that time, the rising sun was about to rise over the mountain. I’m heading for the sun
I got together. And he swore aloud. “Please give me the power of resurrection.
Sai. If I was saved, as written in this sutra, I would be this one in my lifetime
We will apply a million rolls of sutra. ”
After that, for three years, I worked madly and paid off all my debts at that time.
It is.
Therefore, it turned out that the merit of this sutra was great, so how did you do that?
I wondered if I would apply this to many people. In short, what I thought at this time was
Make a lot of money and donate to the temple, or form a group based on this Kannon sutra and yourself
Will be sponsored by a talented and virtuous person to take the lead and spread the merit.
It was a matter of fact.
He thanked the Kannon Sutra and made a vow, but at that time he never decided to become a religionist.
He never dreamed.
The work ceremony that is currently being given to the members of the Agon Shu is a copy of the sutra.
Establishing the Kannon Jiekai ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
After all these circumstances, it came out in Namamugi, but before and after that, it completely healed.
My body, which I thought I was doing, got worse again and I was in a state of caution, but if I die in the line, I’m hoping for it.
With that feeling, he went on to do more and more rough deeds.
On the other hand, although fate studies were amateurs, they studied a lot and the fate of many people.
I also gained the experience of actually seeing. Therefore, if you hit it very much, it will be quite popular in some parts.
I was talking about it, so if you just advertise it, there are old friends and people involved in work.
I think he has come. However, such a way of life and way of life does not cut off the cause of the past.
I thought that it was, and did not inform anyone thoroughly. No. 1 that completely insulates from the past
I thought it was a step. If you were caught in the past and earned income or ate food, it was a past business
I thought it wouldn’t disappear.
By such a situation, I thought I was reborn, and I was saved myself.
Based on this, the Kannon Charity Society was started with the quasi-sleeping Kanzeon Bodhisattva as the principal image.
By then, I had never studied Buddhism in earnest. So even myself
I didn’t mean to be a shaven or a religionist, I walked as an investigator
I started. I hope that this life of quest will save as many people as possible.
There was a firm belief that it would eliminate his own sins and lead to the elimination of the cause.
I have never had a big feeling of saving the entrance by myself.
I was saved, Mr. Tokuro Nakamura was saved, and the person in front of me was saved.
Save the entrance by putting people in one genealogy, or in the flow of salvation.
I think I can do it, or I will create an opportunity to enter the flow of salvation.
But maybe I can play my part, and that will save people
Then, the merit will come to me, and the ties will be cut off one by one. With that in mind, I started the Kannon Charity Society in the fall of 1945.
Because the reason was the mercy and grace of Kannon, the name of the association was changed to Kannon mercy association, and it was extremely easy.
I gave it a name. Turn over the business card you were using and use a pen on the back
I wrote “Kannon Jiekai” and put it on the entrance instead of the nameplate.
In this way, to the extent that one investigator named Seiyu Kiriyama can do what he can do
The Kannon Jiekai set sail to try it.

今日の運勢 1月25日 Today’s fortune January 25

 

一白水星の日

この日には不遇、失意気味の来訪者が多いものです。自分自身も、憂い事で憂鬱になるものです。 部下や子供の問題も出る。この日は特に陰徳に心がけることが大切です。

吉凶混合の日。
仕事面では能動的に働きかけることで順調な展開となり、周囲からの評価もアップします。
対人面では人の集まる場所で幸運が見つかります。
ただし、思わぬ怪我や事故に巻き込まれる可能性があり、健康面では注意が必要です。
羅刹日
何をやっても効果が出ず、災いを招いてしまう日です。
無理をせず安静に過ごすことを心がけましょう

Ichihaku Mercury Day

There are many unlucky and disappointed visitors on this day. I myself am also depressed by melancholy. There are also problems with subordinates and children. It is especially important to keep in mind the immorality on this day.

A mixed day of good and bad.
In terms of work, by actively working on it, it will develop smoothly and the evaluation from the surroundings will improve.
On the interpersonal side, you can find good luck in places where people gather.
However, you may be involved in an unexpected injury or accident, so you need to be careful about your health.
Rakshasa
No matter what you do, it will not be effective and it will cause disaster.
Try to stay calm without overdoing it

 

りませんよ。結婚する時だって、あなたから、自分は作家になるんだ、貧乏生活は覚悟
していてほしい、といわれて、それでいいと思って結婚しました。おれは必ず芥川賞をと
る、それがあなたのログセでした。あなたが事業をやっている間じゅう、失敗した時はも
とより、成功している時だって、パラパラし通しでした。自分にないものを一生懸命やっ
ているあなたが気の毒に思えたり、腹が立ったりでしたが、あなたの性格で、やるだけや
らなければ気がすまないのだから、いつか気がつくだろうと思って見ていました。お父さ
んとお母さん、それに子どもたちの面倒はわたくしがみますから、悪いことでない限り、
あなたの思う通りに何んでもおやりなさい。ただし、わたくしの収入は当てにしないでく
ださいね」
 そこで、わたくしは、もっていた本や背広などを売り、四万八千円余つくった。そうし
て、横浜の生麦の裏長屋を一軒借りた。六畳と三畳とお勝手という間取りであった。いま
はもうこの家は残っていないと思うが、もしまだ存在しているのなら、阿合宗の発祥の地
として保存しておきたい気持である。
 この長屋は、表通りから入るのに、肩幅ぐらいの狭い路地を通らねばならないから、雨
が降っても傘がさせなかったほどである。
 とにかく、そこでわたくしは、それまで趣味としてやってきた運命学、それに改めて本
格的に取り組み、人びとのために役立てようと決意した。
 円縁解脱の基本は何かといえば、人のためになる、人に喜んでもらう、世の中のために
なる、いうならば、自分が徳を積むということであると思った。いまの自分に人のために
何かできるかと考えると、何もない。しかし、ただ一つあるとすれば、運命学の知識があ
る。これだけは絶対に人に負けないだけの自信があった。一つ、この力を発揮して、人び
とに因縁の何たるかを教えてあげて、悪い因縁を切るための信仰へ道を開いてあげよう。」
人に尽す道はこれしかないと思った。
の旅立ち
宗教へ
信仰の系譜
 その当時のわたくしの信仰というと、準肌観音をご本尊とする観音信仰であった。
 なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺
を決意したことがあった。
 道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負っ
てしまった。債権者に連日責められる羽目となった。
 そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に拵えて
   たんぽ               さ
いた、田圃の中の工場跡ヘバッグーつ提げて出かけていった。
 二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と
いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。
 死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったよう

きる
・逆境に生
な気がした。だんだん視野が狭くなってきて、目の前が暗くなる。そのうちに、目の前十
センチくらいしか見えなくなってしまって、死ぬこと以外は何も考えなくなってしまう。
 どうやって問題を解決するか、などというようなことには、もう頭が回らないというか、
考える気力もなくなって、死ぬしかないという気分に陥り、あとは、どうやって死のうか
と、そればかりを考えるようになる。そうなると、もう死ぬ方法も鉄道自殺など面倒にな
り、とにかく手近にあるもので、パ″と死にたくなる。
 そんな状態になっているうちに、明け方になり、いよいよ首を吊ろうという気になった。
そして、寝ころがったまま、あの戮あたりに縄をかけて、などと考えながら天井を見上げ
ていたところ、棚が目につき、その棚から何か小さなものがちょいとはみ出しているのが
見えた。ふと好奇心がわいて、「あれ、何んだろうな」と思って、ひょいと立ってみた。
これが転機となって、死神がはなれたのであろう。このことがなかったら、わたくしは確
実に首を吊っていたと思う。それまでは、思考が完全に停止し、死んだ後、誰が困るかと
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む一一ノー・―’‐Ij-‐ l l
か、そういった死ぬこと以外の、ほかのことは何んにも考えなくなっていた。
 とにかく、立ち上がってそこに見たのは真新しい小さな経巻であった。幅二、三センチ、
長さ五、六センチ、厚みIセンチ弱、の小さなものであった。
 この工場を引き払って、もう三年にもなるのに、どうしてこの棚に経巻が置き去りにな
っていたのかと、いぶかしく思いながら、ふと父から以前聞いたある話を思い出した。
 父の収引先に中村語郎さんという方がおられた。父は陸軍から引き取った払下げ品のI
・宗教への旅立ち
部を製紙原料として、この中村さんの会社に納めていた。
 中村さんは製紙原料問屋としては当時日本一といわれた人であったが、道楽もだいぶし
たらしく、若い頃から苦労がたえず、一時は「おけらの語郎」とさえいわれた人であった。
そのどん底の時に、前途に希望を失った中村さんは「いっそ死んでしまおう」と、冬の木
枯しが吹き荒ぶ時季に、洗い晒しの浴衣一枚を着て、近くの川へ出かけた。橋の上から身
投げしようとしたところ、いまや飛び込もうとした寸前に、通りかかった人に、「お待ち
なさい」と呼びとめられ、
 「あなたは死ぬつもりでしょう」
 といわれた。
 「いや、死ぬつもりじゃない」
 「ウソをいいなさいL
 「いやあ、実はお察しの通りです。しかし、お情けだから黙ってこのまま死なせて下さい」
 といった押し問答の末、
 「とにかく、わたくしのところへまずいらっしゃい。それから死んでも遅くないでしょう」
 と、その場はひとまずその人の勧めにしたがい、立派な家に連れてゆかれた。ご飯を食
べさせてもらいながら、事情を話したところ、その人は、
「実は、わたくしもその昔、自殺しようと思ったことがあった。その時、やはりある人に
呼び止められて、『あなたは神仏に対する正しい理解がないから、そういうことになるの・逆境に生きる
です』と諭され、少しのお金とともにお経をくれた。それで自分も死ぬのを止め、信仰を
もって一生懸命に働いた結果、こうしていっぱしの商売人になった」
 と、自分の過去を、中村さんに話して聞かせた。
 それ以来、その人は、自分を救ってくれた人への恩返しのつもりで、その時手渡された
ものと同じ経巻をたくさんつくって、多くの人に布施しているということであった。
 この話を聞かされた中村さんは、大いに勇気づけられ、その経巻と、とりあえず飢えを
しのげる程度のお金をいただいて、その人の家を去った。その後、一生懸命に働いて、つ
いには、日本一といわれる1 紙原料問屋を築いたというのである。
 そして、その中村さんもまた、助けてくれた人と同じ道を歩みたいと、一生に何十万巻
かの観音経を布施することを念願された。
。ある時、中村さんは父に向かって、
「あなたは何百人もの人を使って陸軍の大きな機械相手の仕事をされているが、非常に危
険な仕事でしょうから、一つこれをお守り代わりにみなさんに差し上げてください」
 ということで、この観音経を父に一千巻布施してくださったとのことである。先に述べ
た通り、父は、自分の入れた臨時人夫を指揮して二十四時間作業の機械相手の仕事をして
いたのである。
 父は特に信仰というものはなかったが、尊敬している人格者の中村さんのお話であった
から、素直にありかたくいただき、全員に配った。それが少し余っていたと思われる。不

∂2
・宗教への旅立ち
思議なことに、その一巻が偶然棚にころがっていたわけである。どう考えてもそんなとこ
ろにあるわけはないのだが、事実あったのである。いまでも不思議に思っている。
 このお経には考えてみると、一つの系譜というものがある。この経巻の布施によって、
中村さん、中村さんを助けた人、そしてまたその人を救った人等々、みな自殺を思いとど
まらせている。いままた、自殺寸前のわたくしがこれを手にした。これは本当にただ事で
はない。これは自分を救おうという何か大きな目に見えない意志が働いているのではない
か、この意志に従うべきではないか、その時そう思った。
 その刹那、パーツと考えが変わった。ちょうど太陽が昇る瞬間に、開に光が射すかのよ
うに、あるいは夜が朝に変わるかのように、心が生き生きと晴れやかになっていった。
「死ぬのをやめよう」「生きよう」と、わたくしは自分自身に誓った。そして、この観音経
によって、わたくしが本当に救われたならば、中村語郎さんと同様に、わたくしもこのお
経を布施しようと決心した。
 ちょうどその時、山の向こうに朝日が昇ろうとしていた。わたくしは、その太陽に向か
って合掌した。そして、声を出して誓ったのである。「どうか私に再起の力をあたえて下
さい。もしも、このお経の中に書いてある通り、私が救われたならば、私は生涯にこのお
経を百万巻布施いたします」と。
 その後、三年間、わたくしは死にもの狂いで働き、当時の借金は全部返済してしまった
のである。
・逆境に生きる
 そこで、このお経の功徳が大変なものであることがわかったので、どのようにして、そ
れを多くの人びとに布施するかということを考えた。要するに、この時考えたことは、う
んと儲けてお寺に寄付するとか、この観音経をもとにして何かのグループを結成し、自分
がスポンサーになって、有能な有徳の士に中心になってもらい、その功徳を広めようとい
うことであった。
 観音経に感謝し、誓願も立てていたが、まさか自分自身が宗教家になろうとは、その頃
は夢にも思っていなかった。
 いま、阿含宗の信徒に授けている勤行式は、その経巻をそのまま模したものである。
観音慈恵会の設立                     ニ
 そうした諸々の経緯を経て、生麦に出てきたわけであるが、その前後から、完全に治っ
ていたと思っていた身体がまた悪くなり、要注意の状態になったが、行で死ぬなら本望だ
という気持もあって、どんどん荒行を実行した。
 一方、運命学のほうは、アマチュアではあったが、相当勉強もし、多くの人たちの運命
を実際に見るという経験も積んだ。したがってすごく当たると、一部ではかなり評判にな
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うていたので、ちょっと宣伝でもすれば、昔の友人や仕事の関係者などい
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てきたと思う。しかし、そういう生き方、やり方では、過去の因縁を切ることにはならな
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・宗教への旅立ち

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いと考え、徹底して誰にも知らせなかった。過去とまったく絶縁することが因縁を切る第
一歩であると思った。過去の引っかかりで収入を得たり、飯を食っていたのでは過去の業
は消えぬと思ったのだ。
 このような次第で、わたくしは、生まれ変わったつもりで、自分自身が救われた観音経
にもとづき、準眠観世音菩薩をご本尊として、観音慈恵会をはじめた次第である。
 それまでにわたくしは、仏教の本格的な勉強をしたことがない。だから、自分自身でも
坊主になったつもりもなければ、宗教家になったつもりもなく、一介の求道者として歩み
はじめたのである。この求道生活によって、一人でも多くの人が救われることが、わたく
し自身の罪障消滅になり、因縁解脱につながるのだ、という固い信念があった。
 わたくしは、自分の力で、入を救うなどという大それた気持をもったことは一度もない。
自分が救われ、中村語郎さんが救われ、そのまた前の人が救われたという、この救われる
一つの系譜というか、その救いの流れの中に、人を入れてあげることによって、入を救う
ことができるのではないか、あるいはその救いの流れに入るきっかけをつくってあげるだ
けでも、わたくしの役割を果たすことができるのではないか、それで、人が救われるとし
たら、その功徳がわたくしにき、て、因縁が一つ一つ切れていくであろう。そう思って、昭
和二十九年の秋口に観音慈恵会をはじめたわけである。
 きっかけが、観音の慈しみと恵みであったから、会の名称を観音慈恵会とし、至極簡単
に名前をつけたわけである。それまで使っていた名刺をひっくり返して、その裏にペンで、
・逆境に生きる
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「観音慈恵会」と書いて、表札がわりに入口に貼っておいた。
 こうして、桐山靖雄という一求道者が、どれだけのことができるか、やれるところまで
やってみよう、ということで観音慈恵会が船出していったわけである。
 その当時は、二、三年もしたら罪障が消滅し、因縁も切れるであろうから、そうしたら、
自分は念願のもの書きの道に進もうと、多少安直に考えていたところもあったが、悪い因
縁を切るということはそんな安易なものではなかった。そういうわけで、懸命な求道生活
をつづけているうちに、いつのまにか今日まで来てしまったということである。
法名桐山靖雄の由来
桐山靖雄という法名を名乗りはじめたのもこの時であった。桐山というのは、わたくし
の母の実家の姓である。
 そもそも、桐山という家系は、横変死の因縁があった。
 わたくしの叔父、つまり母の弟で、母方の嗣子である長男が、トラ″クの下敷になって
死んだ。この叔父は、一時、真言宗をかじったこともあり、ある程度の信仰をもち、一旦
ujrSMlkLMa1MI~`つ″一りえtLべではあったが、結局、因縁のなせるわざか、坊主になるど
は坊主になることすら考えた人ではあったが
 I欄『一-
ころか、交通事故に遭って、あえなく亡くなってしまった。
  それから、母のいちばん下の妹、すなわち叔母が、婚家先でトラブルがあって、川へ飛

∂δ
・宗教への旅立ち
び込んで投身自殺をしている。
 さらに、母の兄弟の長男、わたくしのいとこであるが、これがまた、自動車事故で死亡
し、そのほかに、もう一人事故で死んだいとこがいる。
 そんなわけで、母方の系統は、母の代だけでも、母のきょうだいとその子どものうち、
四人も横変死している。それに、母の長男であるわたくしが、横変死の因縁はないが、刑
獄の因縁をもっている。本当に血なまぐさい因縁があるわけである。
 その根源は何かと追究してみると、祖父にその原因があることがわかった。祖父は、剣
道の指南番であった。殿様の命により、勤皇派の志士を十数人も斬っている。自分で手を
くだした者は一人か二人であったが、上意討ちの命令を受けて、弟子たちを伴って斬りに
行っている。
 祖父は、藩の剣道指南番であるから、非常に強い。余談だが、藩でいちばん強かったの
は一番家老の息子で、この人は剣の天才であったそうであるが、昔は世襲であるから、指
南番の家柄に生まれたら、やはり指南番になる。いちばん強いのは家老の息子だが、祖父
だって指南番であるから強いことは強い。祖父が出てゆくと、手向かっても無駄だという
ことで、黙って斬られたそうである。桐山さえ来なければ、自分はその場を切り抜けて逃
げられたものを、といった怨みが集まったと思う。そういう恨みは殿様のところへいかな
いで、みんな祖父や、手をくだした祖父の弟子のところへ行ってしまう。
 それが霊障というもので、それによる因縁から、祖父の子どものうち二人、さらにその

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今日の運勢 月24日 Today’s fortune 24th

 

九紫火星の日

金銭問題、女性にかかわる苦労あり。人に背反されることあり。派手な苦労をする日。

心身共に安定した日。
突発的な出来事や急な感情の変化とは無縁の日なので、自然体でリラックスした時間を持つことができるでしょう。
焦らずゆったり構えていれば、幸運は向こうからやってきます

Nine purple Mars day

There are financial problems and difficulties related to women. It may be contrary to people. A day of flashy hardship.

A day when both body and mind are stable.
It’s a day free from sudden events and sudden emotional changes, so you’ll have a natural and relaxing time.
If you don’t rush and hold yourself relaxed, good luck will come from the other side.

准胝観音  Cundi Kannon

 

日本では「准胝仏母」、「准胝観音菩薩」、「准胝観世音菩薩」、「天人丈夫観音」などさまざまな呼称がある。

 

真言は短呪の「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」(Oṃ cale cule cunde svāhā [21] [15][注 4]などがよく知られている。長咒は「ナモサッタナン・サンミャクサンモダクチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」。

三昧形[

三昧耶形は「寶瓶」(方便)、「金剛杵」(智慧)、「甲冑」(慈悲)。

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准胝観音(じゅんていかんのん)とは?

准胝仏母(じゅんていぶつも)・七倶胝仏母(しちくていぶつも)ともいいます。もとはヒンドゥー教の女神であるドゥルガーで、シヴァ神の妃とされています。とても美しい姿ですが、神々の武器を持って魔族を倒した戦いの女神です。そのため本来は女尊であり、観音ではないという指摘もあります。しかし、ここでは観音として紹介しますね。

 

仏教に取り入れられてからは慈悲深い清浄をもたらす神とされ、七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)ともいわれています。これは遙か過去より多くの仏を誕生させた仏の母という意味です。そのため、真言宗系では人道を救済する六観音(聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音)に数えられますが、天台宗系では准胝仏母といわれ如来に分類されています。不空羂索観音と合わせて七観音と呼ばれることもあります。

ご利益

修道者守護、無病息災、延命のご利益があり、安産や子供が授かるなどの功徳があります。

 

空海の孫弟子にあたる理源大師(りげんだいし)聖宝は修験の僧として知られ、自ら霊木を刻んで祀ったのが准胝観音と如意輪観音でした。経典には、修験者が准胝陀羅尼を唱えれば身が清浄となり成仏できると説かれています。また聖宝は醍醐天皇の皇子誕生を准胝観音に祈願し、のちの朱雀、村上両天皇が誕生したといいます。そのため一般的には子授け、安産としての功徳が知られています。