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未分類

  • 愛染明王
    東洋の恋愛の神様。愛欲を仏の悟りに変える力を持つ
    愛染明王(あいぜんみょうおう)とは?
    仏教では愛欲は煩悩の1つであり、煩悩を捨てることが悟りを開く道であるとされていました。しかし密教では「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という煩悩があるからこそ、人々から悟りを求める心が生まれると考えられています。その教えを象徴したのが愛染明王であり、愛欲・煩悩を悟りを求める心に導き、様々な悩みを救ってくれるとされています。

ちなみに戦国武将・直江兼継の頭兜には「愛」の文字の前立てがあることで有名です。「愛」の1字は愛染明王から取ったとする説があります。
ご利益
良縁、結婚成就、夫婦円満、無病息災、延命、戦勝、染物屋・水商売守護のご利益があるとされています。
愛染明王(あいぜんみょうおう)の像容
全身赤色で、3つの目に6本の手があるのが一般的です。西洋の愛の神・キューピッドと同じで弓矢を持っています。
有名寺院と像
・奈良県:西大寺
・京都府:仁和寺
・和歌山県:金剛峯寺
愛染明王(あいぜんみょうおう)の真言
オン・マカラギャ・バザロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャクウン・バンコク

 

 

 

 

  • 愛染明王
    東洋の恋愛の神様。愛欲を仏の悟りに変える力を持つ
    愛染明王(あいぜんみょうおう)とは?
    仏教では愛欲は煩悩の1つであり、煩悩を捨てることが悟りを開く道であるとされていました。しかし密教では「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という煩悩があるからこそ、人々から悟りを求める心が生まれると考えられています。その教えを象徴したのが愛染明王であり、愛欲・煩悩を悟りを求める心に導き、様々な悩みを救ってくれるとされています。

ちなみに戦国武将・直江兼継の頭兜には「愛」の文字の前立てがあることで有名です。「愛」の1字は愛染明王から取ったとする説があります。
ご利益
良縁、結婚成就、夫婦円満、無病息災、延命、戦勝、染物屋・水商売守護のご利益があるとされています。
愛染明王(あいぜんみょうおう)の像容
全身赤色で、3つの目に6本の手があるのが一般的です。西洋の愛の神・キューピッドと同じで弓矢を持っています。
有名寺院と像
・奈良県:西大寺
・京都府:仁和寺
・和歌山県:金剛峯寺
愛染明王(あいぜんみょうおう)の真言
オン・マカラギャ・バザロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャクウン・バンコク

 

 

 

阿合仏教の歌

 

イントロ:
星が輝く夜空に
心は静かに揺れる
夢が舞うこの世界で
君と歩む未来へ

サビ:
手を取って
空へ飛ぼう
夢を追いかけ
ずっと一緒

https://suno.com/song/f5321dad-9fd4-4dcb-817f-fd0fa753d6c8

 

阿合仏教を分析すると、それは二つの部分から成り立つ。

1 教えとして「縁起の教理」
2 修行法として「七科三十七道品」(三十七菩提分法”とも呼ぶ)
である。

これを、後世の分類法で呼ぶと、「縁起の教理」は「顕教」である。

解脱にいたる四つの階梯

「解脱にいたる四つの階梯」
だれでも、解脱にいたるためには、この四つの段階を経なければならない。
そしてこの四つの階梯を、すぐれたる聖師にしたがって歩んで行くならば、だ
れごも解脱に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもその通りだ。
四つの階梯とは、

一、シュダオン(須陀垣)
二 シダゴン(斯陀含)
三、アナゴン(阿那含)
四、アルハット(阿羅漢)
である。

 

求聞持聡明法の歌

求聞持聡明法の歌

 

オン・アラタンナウサンバンバ・タラク

オン・アラタンナウサンバンバ・タラク

オン・アラタンナウサンバンバ・タラク

 

(イントロ)
未来の扉が開く 知性の光輝く
求聞持聡明の法が広がる

新たなる世界への夢 遥か彼方へと続く
愛と希望の旅路が今始まる

(サビ)
核の脅威 闇が迫る
だが立ち向かう 勇者たちの心

愚行の嵐を止めて 新たな明日を築く
絆を紡ぎ 希望の花を咲かせよう

オン・アラタンナウサンバンバ・タラク

オン・アラタンナウサンバンバ・タラク

オン・アラタンナウサンバンバ・タラク

 

 

 

「求聞持聡明法」が世界中に広まり、人々の知性が飛躍的に向上した未来。しかし、その知性の増加が必ずしも平和をもたらすわけではなかった。ある日、核ボタンを押す危機に直面した世界。主人公はその危機を乗り越え、人々に希望を与えるために行動する。彼らは愚行を阻止し、新たな未来を築くために奮闘する。しかし、その過程で彼ら自身も多くの試練に直面し、苦悩する。果たして彼らは世界を救うことができるのか、それとも愚かさによって滅ぼされてしまうのか。

この文章をの作詩ください。
歌詞はイントロ4行、サビ4行してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サへト・マへト、聖なる地、

サへト・マへト、聖なる地、

オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ

 

(イントロ)
突然やってきた 衝撃の波
白い閃光 目をくらませた
心揺さぶられ 何もかもが
無力な感覚 押し潰された

(サビ)
霊的なバイブレーション この身に宿す
一瞬の奇蹟 心に響く
修行の果てに 学びの果てに
真の導師を ここに見た

オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ

 

 

 

 

その時、突然、衝撃がやってきた。右斜め前方から、まるで頭から襲われるような感覚だった。白い閃光が目の前を舞い、剣道で面を叩かれた時のような光景が頭をよぎった。

息をのむ間もなく、その衝撃は去り、周囲の景色が再び見えるようになった。しかし、その一瞬の間に、私の心は完全に打ちのめされた。修行や学問の成果など、全てが無意味なものに思えた。サへト・マへト、聖なる地、

オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ

 

(イントロ)
突然やってきた 衝撃の波
白い閃光 目をくらませた
心揺さぶられ 何もかもが
無力な感覚 押し潰された

(サビ)
霊的なバイブレーション この身に宿す
一瞬の奇蹟 心に響く
修行の果てに 学びの果てに
真の導師を ここに見た

オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ

「待ってください」と私は声をあげ、師を制した。「何が起こったのですか?」

「あの池、ミラクルの池です」と師がうなずいた。「仏陀が奇蹟を示した場所です」

「奇蹟?どんな奇蹟ですか?」

師は、仏陀が池の上に立ち、身体を火と水に変えたことを語った。

「それはどういうことですか?」と私は尋ねた。

「仏陀の全身のチャクラが、すさまじいエネルギーを放射したのです。それが火と水のように見えたのです」と師が説明した。

私は手元にあったメモ用紙を取り出し、その思考の流れを書き留めた。一瞬の霊的な体験が、修行や学問よりも価値があることを悟り、使命感が心を満たした。

「この霊的なバイブレーションを、全ての人々にもたらさねばならない」と誓った私は、次なる旅に向かう準備を始めた。

それは突然ななめ前方からやってきた。

一瞬、目がくらむほどの衝撃だった。

そんなことなどぜんぜん予期しておらずまったく無防備だった自分は、あっというま その衝撃に叩きのめされてしまったのだ。

修行、学問、そんなものはなんの役にも立たぬものであることを思い知らされた。 こころひそかに誇っていたこれまでの自分の修行も教学も、あっというまに消しとん でしまった。叩きのめされてしまった。

これなんだ、これでなくてはならないのだ。これしかないのだ。目もくらむようなあ

この白銀の輝きにみちたバイブレーション!

一〇〇年の修行も万巻の教学も、ただ一瞬のこの霊的バイブレーションに如かぬこと を思い知らされた。

これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそわたくしはこ こにやってきたのだ。

おお、サイト・マト、聖なる地、

あなたはここに待っていてくださった。

わたくしがいまあなたから受けたものを、これからわたくしはひとびとにあたえねば ならぬ。

いま、わたくしは聖者であることをつよく自覚する。

すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることのできる聖地を、わた くしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたサイト・マトの地を、そ

そうですか。

のまま、日本の国にうつさねばならぬ。 それがわたくしの使命だったのですね。それ をかならずはたすことをわたくしはあなたに誓います。

もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね。だが、そのときなにが 起きるのでしょうか? そのとき起きる或ることを、わたくしは非常なおそれの感情 とともに予感します。

ああ、あの一瞬の霊的バイブレーション!

一〇〇年の苦行も万巻の書物も、このバイブレーションなくしては、路傍の石ころに も劣るのだった。このバイブレーションをあたえることのできる聖者こそ、真の導師 だったのだ。理解できました。

聖師よ、ありがとう!

 

この文章をの作詩ください。
歌詞はイントロ4行、サビ4行してください。

 

 

 

 

 

1

サへト・マへト

1. 「サイト・マヘトでの驚異の出会い」
2. 「密教の奇跡:ミラクルの池の秘密」
3. 「仏陀の神通力:サンガラターナ師の説明」

思念による王者の相承祇園精舎でリンポーチェと再会し、先輩であるサンガラターナ師に案内される。その後、仏陀の奇蹟を説明され、感動する中、突然強烈なバイブレーションに襲われる。これが超常的な体験への入り口であり、密教の修行を通じての脳の変革へとつながる。その後、リンポーチェの提言でサイト・マヘトを訪れ、仏陀の奇蹟の一つであるミラクルの池に触れ、感動と霊的な啓示を得る。

バスから降りた時、周囲には物乞いや物売りの姿が見当たらず、そこが聖地の雰囲気を保っていることに感心した。サンガラターナ師との再会や精舎の案内を受け、神聖な場所への導きを嬉しく思う。サイト・マヘトではミラクルの池を訪れ、その奇蹟に触れることで霊的な感動が訪れた。

その場でサンガラターナ師が語る仏陀の奇蹟に心を打たれる。仏陀が火と水の両方を操り、空中浮揚する姿を目にしたことを思い出す。そのとき、突然強烈なバイブレーションが襲い、体験が始まることを示唆する。その後、リンポーチェの提言でサイト・マヘトに訪れ、ミラクルの池の奇蹟に触れることで霊的な啓示を受ける。

バスから降りた時、周囲には物乞いや物売りの姿が見当たらず、そこが聖地の雰囲気を保っていることに感心した。サンガラターナ師との再会や精舎の案内を受け、神聖な場所への導きを嬉しく思う。サイト・マヘトではミラクルの池を訪れ、その奇蹟に触れることで霊的な感動が訪れた。

その場でサンガラターナ師が語る仏陀の奇蹟に心を打たれる。仏陀が火と水の両方を操り、空中浮揚する姿を目にしたことを思い出す。そのとき、突然強烈なバイブレーションが襲い、体験が始まることを示唆する。その後、リンポーチェの提言でサイト・マヘトに訪れ、ミラクルの池の奇跡に触れることで霊的な啓示を受ける

思念による王者の相承祇園精舎でリンポーチェと再会し、先輩であるサンガラターナ師に案内される。その後、仏陀の奇蹟を説明され、感動する中、突然強烈なバイブレーションに襲われる。これが超常的な体験への入り口であり、密教の修行を通じての脳の変革へとつながる。その後、リンポーチェの提言でサイト・マヘトを訪れ、仏陀の奇蹟の一つであるミラクルの池に触れ、感動と霊的な啓示を得る。

 

サイトマヘトでバスをおりたとき、

「ここはいいな」

とまず思ったのは、もの乞いや、もの売りのすがたがまったくなかった

ことであった。

けんそう

どの仏跡も、もの乞いともの売りが喧噪をきわめ、これがどれだけ聖地 のイメージをそこねていたことか。

アシュラム

サエルラブル

祇園精舎の入り口の前の広場に、二階建て、白塗りの寺院があった。そ の前に数名の人が群れ、その中心に、六十歳なかばと思われるがっしりと した体格の一人の僧が立っていた。バスからおりたリンポーチェをみとめ ると、満面に笑みをたたえ、大きく手をひろげて近づいてきた。二人は手 にぎり合って、なつかしそうに話しはじめた。

やがてひき合わされたところによると、リンポーチェの先輩すじにあた

ある聖師で、 メチワラ・サンガラターナというかたであった。

「スリランカの出身で、非常な学僧です。 去年、ここへ寺院を建てたのだ

そうです。わたしもここへ来るまで知りませんでした」

そう、リンポーチェがいった。

「仏陀が十八年間説法されたこの精舎のそばで、 生涯を終えるのが、わた くしのかねてからの念願でした」

サンガラターナ師は、あたりに響きわたるような大きな声で語った。や やなまりのある英語であった。 がっしりとした頑丈そうな体格で、声が大 きいのは健康なのだろう。八十一歳という年齢を聞いてびっくりした。ど うみても六十歳代としかみえないのである。

師が先に立って、精舎を案内してくださった。われわれが師をガイドに 得たことはじつにしあわせであった。観光会社がつけてくれたガイドも、 この地のことにはあまり知識がなく、リンポーチェにしても、数年前に一 度しか来たことがなかったのである。他の仏跡地のように、サイト・マへ トには案内人がいないのである。もし、サンガラターナ師がおられなかっ たら、われわれは、祇園精舎をただあるきまわるだけで、ひとつひとつの

師はうなずいた。

明して行く

遺跡について、くわしいことはなにひとつ知ることはできなかったであろ う。師はわが家の庭のごとく、愛情をこめて、あれこれと指さしながら説

小高い丘の上に立って、わたくしは師の説明を聞いていた。

そのとき、突然、それがやってきたのだった。

師の大きな声が突然すうっと遠のいたかと思うと、右ななめ前方から、 がぁんと、頭から頬にかけてなぐりつけられたような衝撃を感じたのだ。 目の中を白い光が飛んだ。 剣道で力いっぱい面を打たれたとき、目の 中を走るの閃光に似ていた。わたくしは思わずくらくらとして、額に手 をあてた。一種のバイブレーションであることはわかった。わたくしも密 教の修行者として各地の霊場をあるき、何度か霊的なバイブレーションを うけている。しかし、こんなすさまじい叩きつけるようなバイブレーショ ははじめてであった。しかもまったく無防禦だったので、完全に不意を つかれたという感じだった。どこでも霊場へ入るときには、それなりの心

「待ってください」

がまえをして入る。だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめら れるのだが、ここでは全く無防禦だったので、その衝撃はことにつよかっ たのだ。数秒つづいたように感じたが、それはほんの一瞬のようであっ た。師の大きな声がふたたび耳によみがえってきた。

わたくしは手をあげて師を制した。

「ちょっと待って。わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じ たのです。それはものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からき

ました。あれはなんですか? あの凹地は」

くぼみ

わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。 五十メート ルほど前方に、雑草の生いしげった凹地があった。そこから、それがきた 思われた。

「ああ、あれですか」

大異変が生じたのだ。 その異変により、神経線維が異常分泌をおこした か、それともそこにある分泌液、神経液に変化がおきたのか、そのいずれ であるかはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合し合って、化学反応 をおこしたのだ。あの火は、その化学反応による衝撃が、視床の神経をは げしく打って、網膜に閃光を走らせたのだ。その衝撃はここの神経線維に シナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星を またたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。 求聞持聡明 法の成就である。求聞持聡明法とは、脳の内部の化学反応による脳組織の 変革であったのだ。 (密教・超能力の秘密」 平河出版社)

わたくしのいう練行tapasが、 どのようなものであるか、だいたいおわかりい ただけたことと思う。 いまから考えると、これは「求聞持聡明法」そのものの成 就ではなかったかもしれない。まったく新しい法の開発ではなかったかと思う。 そのいずれであるかは別として、霊視・霊聽、ホトケの現形といった霊的な

超常的パワーをわたくしにあたえてくれたことだけはたしかであった。

ひげぎよう

そしてまたそれは、それだけのことではなかった。つぎの次元への大きな飛 台となるものだったのである。それはおよそ「密教・超能力の秘密』刊行後十 年のちに起きた。

一九八〇年十一月、わたくしはインド仏跡巡拝の旅に出た。その旅行におい それは起こった。

一九八年七月発行の「一九九九年カルマと霊障からの脱出』(平河出版社)よ りの抜粋である。

白銀の輝きにみちたバイブレーション

五日、六日、七日、旅程は順調にすすんでいった。

しかし、日を経るにしたがって、わたくしのこころは沈んでいった。 仏跡のひとつひとつみなすばらしいものではあったが、わたくしのここ ひそかに期待していたような感動はあたえてくれなかったのである。ま

ことに不遜ないいかただが、このわたくしがこうしてインドまできたの だ。なにかあるはずだ、そう気負っていたものが崩れおちていた。

仏跡巡拝さいごの日であった。

仏陀終焉の地、クシナガラ。

仏陀が十八年間説法されたという祇園精舎サイト・マヘト。

これでおわりであった。あとの旅程は、デリーから、エローラ、アジャ ンタの石窟寺院で、仏教にゆかりはあるが、仏跡そのものではない。

わたくしのこころは、もはや仏跡からはなれていた。だから、その朝、 道路事情が非常にわるいため、 クシナガラかサイト・マヘトか、いずれか 一方にしぼらねばならなくなったと聞かされたとき、わたくしは、どちら でもよいと思いながら、なに気なく、

「サヘト・マヘトにしよう」

といったのだ。

それを告げた秘書が

「やはり、そうですか」

といったが、わたくしはべつに気にもとめなかった。

動き出したバスの中で、秘書がこういった。

「前から、リンポーチェがいっておられたんです。 桐山先生には、どこを

おいても、サイト・マヘトにはかならず行っていただきたい、と。ですか さっき先生のご決定を聞いて、やはりそうかと思ったんです」

「ふうむ、リンポーチェがそういっていたの?」

「はい、日本にいるときからそうでした。 カトマンズに出迎えられたとき もくりかえしていっておられました。さっきも、ぜったいにサイト・マ ヘトにするよう、先生に申し上げてくれといっておられました」

わたくしはうなずいたが、べつにふかくは考えなかった。しかし、その サイト・マヘトに、真っ向からわたくしを叩きのめすすさまじい衝撃が待 ちかまえていたのである。

「あれは、ミラクルの池です」

「ミラクルの池?」

「そう、ミラクルの池。仏陀が奇蹟をおあらわしになった。そこであそこ ミラクルの池とよぶのです」

「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」

「それは、仏陀が空中浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半

身を水にかえたのです」

「ほう、それはどういうことですか?」

それはですね、と師の説明によると、こうであった。

スラバスティの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じて ここに土地を求め、大精舎を建立した。 仏陀の名声は四方につたわり、教

きびす

えを乞うもの踵を接した。

しょうょう

この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それ らの寺院の指導者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷、

批難した。中でもとくに、仏陀を口のうまい山師にすぎないといいふらし た。口さきで理論を説くだけで、なに一つ神通力を持っていない、要する に口舌の徒であるという批難であった。当時のインドの宗教界では、指導 者となるためには、なんらかの神通力を持つことが、必須の条件とされて いた。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この 地に来てから一度もその力を示すことがなかったのである。

他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、 これを攻撃したわけである。 仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っ ている高弟たちは、一度、ぜひその力を示されるようおねがいしたが、仏 陀は承知されなかった。いよいよ神通力などないと思いあがった他教団の 指導者たちは、自分たちのパトロンである他の長者や勢力者たちを通じ て、スダッタに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこの地 を去るという条件である。 スダッタもついにことわりきれず、仏陀に試合 を

通した。あるいは、スダッタも仏陀の神通力を見たかったのかも知れ

ない。仏陀もスダッタの立場を考慮され、ついにこれを承諾された。

その日、他の教団の指導者たちが、これみよがしにさまざまな神通力を 競い合ったさいごに、仏陀がすがたをあらわされた。

バルコニー

仏陀は三層の高楼の舞台にそのおすがたをあらわされたのである。いか なる神通力をあらわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと

ぞうさ

仏陀は露台の手すりを無雑作に乗り越えられ、空中に足を踏み出されたの である。一瞬、手をはなされる。仏陀墜落! とみるまに、仏陀はそのま まゆっくりと空中浮揚して、庭園にむらがる大衆の頭上を越え、きよら かな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波をたて

清涼池の水の上に、仏陀はしずかに立っておられるのである。 群衆が思 わずわが目をうたがったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃えあ がり、下半身は玉のような水と化したのである。

目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力 者をはじめ、すべてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかっ

わたくしは、額に手をあてて師の説明を聞いていた。途中からふいに、 やわらかなバイブレーションとともに、ひとつの概念 思考の流れがし ずかにわたくしの脳髄ふかく流れこんでくるのを感じたのである。わたく しは、自分の思念をまったくとめて、それをすなおにうけいれていた。 突 如、さいごに、すさまじい戦慄が走った。 全身の血がいっぺんにひいてゆ くような、名状しがたい恐怖感の襲撃だった。それがおわったとき、師の 説明もおわった。

「先生、 その、上半身が火となって、下半身が水となる、というのは、ど こういうことでしょうか?」

だれかがわたくしに質問した。

「ああ、それはね、全身のチャクラが、すさまじいパワーで、エネルギー 放射したのでしょう。空中浮揚をするために、仏陀は全身のチャクラに すさまじいエネルギーを集中した。池の上に降り立って、そのエネルギー

 

 

 

上の      文章を要点   200文字にして

 

 

 

七科三十七道品  七宝経

中阿含経・王相応品・七宝経・一』(以下『七宝経』)を講義します。これはお釈迦さまが、 成仏法七科三十七道品の中の七覚支法について説かれているお経です。

わたくしはお釈迦さまの教法を世の中に出すこと、なかでも成仏法・七科三十七道品を世に広 めることを誓願に掲げて、活動を展開しております。 これは、現代には成仏法が絶対に必要不可 欠だからです。

それでは「七宝経』を読んでみましょう。

我聞如是。一時仏遊舎衛国。在勝林 給孤独園。爾時世尊告諸比丘。若転 輪王出於世時。当知便有七宝出世。 何為七輪宝象宝馬宝珠宝女宝居 宝主兵臣宝。 是謂為七。若転輪王 出於世時。当知有此七宝出世。

現代語訳

解説

七宝が聞きこと是の如し。一時、仏舎衛国に遊び勝林

とき独園に在しぬ。雨の時世尊 諸比丘に告げたまわ

てんりんおうよ

「若し転輪王世に出ずる時、当に知るべし、彼らせ 有りて世に出ず。云何が七と為す。 輪宝・象宝・馬

しゅう にょほう こじ ほう しゅひょうしんぼう

りんぼう ぞうほう

安堂・居士蜜・主兵臣、是れを請いて七

と為す。 若し転輪王世に出ずる時、当に知るべし、此の 七宝有りて世に出ず」

おんしょうじや

このように私は聞きました。 仏さまがコーサラ国に遊行され、祇園精舎(勝林給孤独園)にご 滞在の時のことです。 ある日、世尊はもろもろの比丘たちに告げられました。

「転輪王がこの世に出現する時には、 七宝がこの世に出現します。 七宝とはなんでしょうか? それは、 輪宝・象宝・馬宝珠宝・女宝・居士宝・主兵臣宝という、七つの宝です。 転輪王が この世に出現する時には、この七宝が出現するのです」

この『仏陀の真実の教えを説く』の上巻でも説明しましたが、舎衛国とは当時のインドの大国 の一つであるコーサラ国です(同書二六五頁参照)。 勝林給孤独園とは祇園精舎のことで、祇樹給 孤独園ともいいます。 この祇園精舎で、お釈迦さまは弟子の比丘たちを集めて説法をされました。 お釈迦さまは最初に、転輪王がこの世に出現される時には、七つの宝がこの世に出現されるの だ、とお説きになられました。 七つの宝とは、輪宝・象宝・馬宝・珠宝・女宝・居士宝・主兵臣 宝のことです。

転輪王とは、どのような王さまでしょうか?

これは武力を用いず、正義と法によって世界を統一支配して、立派な世界を建設するという、 インドの伝説的な帝王の理想像です。 武力や軍事力によるのではなく、正義と法によって世界を

統一するわけです。 したがって当然のことながら、転輪王は立派な世界を建設します。インドに はそのような帝王の理想像が、 伝説として存在していました。

その転輪王は、天から七つの宝を感得するといわれております。 これが七宝です。

こんゃん

七宝の第一は輪宝です。 輪宝とは、金でできた車輪=金輪です。金輪以外にも、銀輪・銅輪・ 鉄輪の場合がありますが、それは時代によって違うようです。 転輪王の現われる時代によって、 銀輪の場合もあれば、銅輪の場合もあるし、また鉄輪の場合もありますが、おおよそは天から金 輪を授けられるとされております。いずれにしても輪宝とは神聖な車輪で、たとえるならば一種 の戦車です。 その戦車がひとりでに動いて転輪王の軍勢を先導し、世界中の悪い軍隊を残らず退 治してしまう。あらゆるものを破砕、降伏せしめる。抵抗するところの悪い軍隊や国王を、全部 この金輪が打ち砕いてしまうのです。そして転輪王の一行は、そのあとを堂々と歩いて行って、 正義と法を説いて世界を治めるわけです。

は さいごうく

第二の象宝とは、すぐれた象のことです。体も大きく、力も強く、しかも頭がすぐれてよい象 です。

第三の馬宝とは、乗馬用のすぐれた馬です。

第四の珠宝とは、如意宝珠のことです。

と答えました。

  • 中阿含経・七宝

第五の女宝は王女宝ともいいます。これは一人という説もありますし、複数の場合もあるよ うですが、いずれにしても転輪王に仕えて、いろいろと内助の功を現わすとされている、 容色麗 しく、また才知のすぐれた女性です。 これが女宝です。

第六の居士宝とは、すぐれた大臣たちのことです。政府を組織すると、いろいろな職務を任せ

大臣が必要です。 転輪王のまわりはすぐれた大臣ばかりで、賄賂を受けとるような、醜聞にま みれる閣僚・官吏は一人もいません。

第七の主兵臣宝とは、すぐれた将軍たちのことです。

転輪王はこの七つの宝を手に入れて、世界を統一し、平和なよい世界を生み出すとされていま す。インドにはバラモン教の時代から、いつの世にか転輪王が出現して、よい世界をつくり出す という伝説があり、今もそれは続いております。

じつをいいますと、ほかならぬお釈迦さまご自身が、転輪王になるといわれたお方でした。 『小部経典・本生「経』(漢訳では、『長”阿含経・大本経』参照)によると、シッダッタ (悉達多、お釈 迦さまのお名前) 太子がマーヤー(摩耶) 王妃のお腹に宿られた時、白い象がお腹の中に入るとい う不思議な夢をご覧になったとされております。 それでマーヤー王妃は、スッドーダナ王(津飯 夢のことを話されました。 スッドーダナ王は心配になって、六十四人の名高いバラモンを

呼び寄せて、夢の内容を占わせたところ、そのバラモンたちは、

お腹に宿られたのは王子です。 王女ではありません。 この王子が在家のままでおられるならば、 転輪王となられるでありましょう。 もしも出家されるならば、世の苦厄を除く仏陀となられるで ありましょう」

さらにご誕生の直後に、それらのバラモンの中から、とくに観相に抜きん出た者を八人選んで 断させたところ、八人中七人が、やはり、

「この王子が在家のままでおられるならば、転輪王となられるでありましょう。 もしも出家され

 

 

 

– お釈迦さまは「七宝経」で、如来が現れる際に七覚支法が出現することを説明しています。
– 七覚支法は念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、息覚支、定覚支、捨覚支の七つの修行法から成り立っています。
– 念覚支は念の力を強化し、空観を体得する修行。択法覚支は真実の教法を選び修行すること。
– 精進覚支は一心の努力精進によって教法を体得する修行。喜覚支は真実の教法を身につける喜びに住む修行。
– 息覚支は心身を軽快にする修行。定覚支は特殊な瞑想法を含む瞑想の修行。捨覚支は執着を捨てる修行。
– お釈迦さまは「阿含経」の中で七覚支法を説明し、それが如来の出現を予言していると考えています。
– 世界が危機的状態にあり、如来の出現が必要であるとし、それが阿含宗によって広まりつつあると主張しています。
– お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品が阿含宗によって広められ、世界を救う手段として存在すると述べています。
– 作者は「阿含経」を通じて、現代において如来が出現する予言であり、それを阿含宗が具現化していると解釈しています。
– 世界を救う役割を果たすのは阿含宗であり、お釈迦さまの成仏法を広める努力が如来の出現に繋がると認識しています。

In the Seven Treasure Sutras, Buddha explains that when the Tathagata appears, the Seven Awakenings will appear.
– The Shichigakushō method consists of seven training methods: Nen Gakusho, Shoho Gakusho, Shojin Gakusho, Kikakusho, Breath Gakusho, Jo Gakusho, and Sakugakusho.
– Nen Gakushu is a training that strengthens the power of Nen and masters the idea of space. Choho-kakushu means choosing the true teaching method and practicing it.
– Shojin Gakusho is a training that involves mastering the teaching method through single-minded effort and dedication. Kikakushi is a practice that dwells in the joy of acquiring the true teaching method.
– Breathing is a practice that lightens the mind and body. Jogakusho is a meditation practice that includes special meditation techniques. Sakukushi is the practice of abandoning attachment.
– Shakyamuni Buddha explained the Seven Kakusho in the Agon Sutra, and believes that it predicts the appearance of the Tathagata.
– He claims that the world is in a state of crisis and that the appearance of the Tathagata is necessary, and that this is being spread by the Agon sect.
– It states that Buddha’s method of attaining Buddhahood, the Thirty-Seven Ways of the Seven Sciences, was spread by the Agon sect and exists as a means to save the world.
– The author interprets this as a prophecy that the Tathagata will appear in modern times through the Agon Sutra, and that the Agon sect is the embodiment of this prophecy.
– It is the Agon sect that plays the role of saving the world, and we recognize that efforts to spread the Buddha’s method of attaining Buddhahood will lead to the emergence of the Tathagata.

 

 

七宝です。 如来・無所著・等正覚がこの世に出現する時には、この七覚支(法という) 宝がこの世 に出現するのです」

以上のように仏さまは説かれました。もろもろの比丘たちは仏さまの説法を承り、歓喜して修 行に励みました。

お釈迦さまは転輪王の七宝になぞらえて、 七覚支法は如来の七宝であるとおっしゃっているわ けです。「是の如く」とは、それと同じようにということです。如来・無所著・等正覚が世に出 現される時も同様に、七覚支法という七宝が出現するわけです。如来とは真如の世界から来られ たお方という意味で、仏さまのことです。無所著も仏さまの別名です。仏さまは一切のものに執著執着しないので、無所著というわけです。あらゆるものの執着から離れたお方ですから、 仏さまのことを無所著といいます。等正覚もやはり仏さまの別名ですが、比類のない最高の正し 悟りを得られたお方という意味です。 如来も無所著も等正覚も、仏さまのことです。

仏さまがこの世に出現される時には、転輪王が七つの宝を得られるように、七つの宝ともいう べき七つの法が世間に出現するのです。

それでは、仏陀の七宝である七覚支法とは、どういう法なのでしょうか?

これは、念覚支択法覚支・精進覚支・喜覚支・息(軽安・猗)覚支・定覚支・捨覚支の七 つからなる修行法です。

七覚支法の詳しい説明は、拙著「輪廻する葦」(平河出版社)で説明しておりますが(二八四 三二四頁参照)、念のために簡単に説明すると、

1念覚支……念の力を強化し、その力によって空観を体得する行

2択法覚支..世の中にたくさんある宗教・信仰・哲学の中から、真実の教法を選ぶ修行

3精定…一心の努力精進によって、自分が選んだ教法を体得する修行

4喜覚覚支・・・・真実の教法を身につける喜びに住する修行

5息覚支・・・・ 心身を軽快にする修行

6定進覚… 「滅尽定」「四禅定」を含む、特殊な瞑想法

7捨覚支・・・・(執著)する心を捨てる修行 ものごとにとらわれて執着

転輪王という偉大な王さまが出現される時には、 輪宝をはじめとした七つの宝が世の中に出て、 転輪王はそれを得て世界を統一し、立派な世の中を建設します。 同様に、如来が出現される時に は七つの法、七覚支法が現われ、如来はその法をもって世の中を救うのだ、とお釈迦さまはおっ しゃっているのです。

わたくしは、このお経は一種の予言であると思います。 このお経を目にした時、これは予言経 だなと直感しました。

どのような予言でしょうか?

現代に、まさに如来が出現するという予言です。わたくしたちが生きている、今この時代に如 来が現われるぞ、という予言であるとわたくしは思うのです。

なぜ、そういうことがいえるのでしょうか?

わたくしは、二つの理由を挙げることができます。

まず第一に、今この時代に如来が現われなければ、この世界は絶滅するということです。もし も今、如来が出現されなかったならば、この世界は壊滅します。 エントロピーの法則というもの がありますが、この法則に照らし合わせても、地球の壊滅は遠くない将来であるといわざるを得 ません。 どうしても今、如来が出現されなければならないのです。

第二の理由は、現在、わたくしたちの手によって、七覚支法が世に出ているからです。 今まで の日本は仏教国とはいいながら、七覚支法など目にしたこともなければ、聞いたこともなかった 人がほとんどでした。 「阿含経」の中にすでに説かれているものの、その「阿含経」自体が小乗 経典とけなされて、まったく顧みられなかったために、七覚支法をはじめとしたお釈迦さまの成 仏法・七科三十七道品のすべてが、だれにも修行されることなく、埋もれたままになっていたの です。

ところが阿含宗が登場して、 七科三十七道品の存在が世の中に広まってきました。七覚支法も わたくしが「輪廻する』を書いて、初めて世に出たといっても過言ではありません。 諸君がお

釈迦さまの成仏法・七科三十七道品の存在を知ったのは、わたくしの本を読んでからか、あるい は阿含宗に入行してからのはずです。

しかし、それは諸君だけではありません。 在家であるあなた方だけではないのです。 非常に著 名な大乗仏教の僧侶や学僧でさえも、わたくしの著書を読んでお釈迦さまの成仏法七科三十七 道品の存在を初めて知った、という人がほとんどです。

阿含宗が登場するまでは、「阿含経」を学んだことのない学者や学僧が大半を占めていました。 彼らの多くは大乗経典の研究者だったのです。大きな書店の宗教書のコーナーに行っても、「阿 「含経」の解説書など、皆無に等しい状態でした。もっとも、「阿含経」の研究書を出版しても、 だれも買わなかったと思いますが。

ところがわたくしが阿含宗を立て、「阿含経」を世の中に広め出してからは、大きな書店の宗 教書のコーナーに、「阿含経」に関する書籍が次々と並ぶようになったわけです。

世界を救う如来の出現

  • 中阿含経・七宝

そこでいえるのは、七覚支法という成仏法は阿含宗が登場して初めて、世の中に出現したとい うことです。それまでも存在はしていましたが、広く世間に知られていませんでした。しかし、 阿含宗の登場によって「阿含経」も、そこに説かれる七覚支法も、世間の知るところとなったの

前述のように、

「如来が出現される時には、七覚支法が世間に現われる」

お釈迦さまは『七宝経』で説かれておりました。阿含宗によって七覚支法が世間に知られる

ようになったのは、決して偶然とは思えません。

それが如来なのです。

今、この世は危機的状態の中にあり、その危機を救うためには、どうしても仏陀が出現されな ければなりません。 如来が現われなければならないのです。そうでなければ、この世界は壊滅す るとわたくしは思います。

しかしながら、この世界がそう簡単に壊滅するとは思えません。 とすると、なにかが出現し、 だれかが現われて、この世界を破滅から救うということになるでしょう。だれがこの世を救うの でしょうか?

それでは、その如来とはだれでしょうか?

その如来とは、阿含宗なのだとわたくしは思います。 如来とは、 わたくしであり、あなた方な のです。お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品を広めているわたくしや諸君が、この世を救う如 来である、とわたくしは考えています。 成仏法を世に出す努力をする人たち、その人たちがすな わち如来なのです。お釈迦さまの成仏法を世に出すということは、お釈迦さまを世に出すことに ほかなりません。さらに、お釈迦さまを世に出すということは、自分自身が如来となることでは ありませんか。

自分自身が如来となり、お釈迦さまの成仏法をこの世に広めることによって、世界は壊滅から 救われる。わたくしはこのお経を、そのような予言経であると解釈しております。

『七宝経』は短いお経でありますが、内容はじつに意味深長です。 わたくしたちは一生懸命に努 力して、この予言を現実のものにしなければいけません。お釈迦さまの成仏法を身につけ、成仏 法を世に出していくのです。その功徳によってわたくしたちも成仏し、名実ともに如来になるの です。お釈迦さまは、

「おまえたちすべてが如来になりなさい。その時、世界は救われるのだ」

というお気持ちを込めて、このお経をお説きになられたのだとわたくしは感じます。

このように大切なことが説かれている「阿含経」が、日本では千数百年以上も顧みられること もなく埋もれていました。そのことを考えますと、心の底からつくづく嘆息せざるを得ません。 しかしながら、考えようによると、これまでの世界は「阿含経」をさほど必要とすることのな い、比較的によい時代であったのかもしれません。昔は、人間の力で地球を破壊することなど、 とうてい不可能でした。ところが今は違います。 地球を何回も破壊して、それでもまだ余りある ほどの核を人類は保有しています。そのような破滅に瀕した地球を救うためにこそ、「阿含経」 は温存されてきたのかもしれません。非常時のために、大切にしまわれてきたとも考えられます。 それをわたくしたちが発見して、世界を救うために世に出しつつあるのです。これ以上の梵行は ありません。

わたくしたちは手を握り合って、この活動を宗教運動というような小さな枠内だけではなく、 大きな大きな社会運動にまで盛り上げていき、この地球の壊滅を救うように努力しなければいけ 中阿含経・七宝

ません。その時期がまさに今、到来したのです。

孤独のあった森林(ジェータヴァナ) の別訳 小部経典 南方上座部の聖典・バーリ五部の一つで、 十五分からなる。 パーリ五部の他の四部「長部経』 中部経典 部経典」 「増支部経典」は、それぞれ漢訳」「中阿含経」「阿含経」 「増一阿含経』にほぼ対応するが、『小部経典」 に含まれるお経のいくつかは単として漢訳され、「小阿含経」というものはされなかった。『小部経典」の集成が他の四部 に比べて遅れたためと考えられるが、このことと経典の内容の新古とは別問題とされる。単として訳された「小部経典』所 収の経典には、「法句経」「法句経」「義経」 などがあるが、いずれもお釈迦さまの口の説法を知るための重要な経典と して、学問的にも重要視される

人のバラモンのうち、いちばん若いバラモンであるアンニャー・コンダンニャだけが、シッダッダ太子が必 出され、仏陀となられることを予言した。また彼は、シャダッタ太子の出家に随行した、いわゆる五比丘の一人で、仏弟子 として最初にを得た人物でもある

*4エントロピーの法則 熱力学第二法則。「物質とエネルギーは一方向のみに変化する。 すなわち使用可能なものから使用不 可能なものへ、あるいは利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた秩序化されたものから無秩序なものへ変化す る」こと。Jリフキン著の『エントロピーの法則』(祥伝社)によって、一般によく知られるようになった

 

 

It’s Shippo. When the Tathagata, Mushosho, and Toshogi Awakening appear in this world, this treasure of the Seven Awakenings (Dharma) will appear in this world.

The Buddha preached as above. The various bhikkhus listened to the Buddha’s sermons, rejoiced, and devoted themselves to their training.

The Buddha compares it to the seven treasures of the wheel-turning king, and says that the Seven Awakenings are the seven treasures of the Tathagata. “As is” means in the same way. Similarly, when the Tathagata, Mushosho, and Toshogaku appear in the world, the Seven Treasures known as the Seven Awakenings will also appear. Tathagata means a person who came from the world of Shinnyo, and is a Buddha. Mushosho is also another name for Buddha. Since the Buddha is not attached to anything, he is said to have no place. The Buddha is said to be free from all attachments because he is free from all attachments. Tosei Awakening is also another name for Buddha, but it means someone who has achieved the unparalleled highest level of righteous enlightenment. The Tathagata, Mushosho, and Toshogaku are all Buddhas.

When the Buddha appears in this world, just as the wheel-turning king obtains the seven treasures, the seven dharma, also known as the seven treasures, will appear in the world.

So, what kind of Dharma is the Buddha’s Seven Treasures, the Seven Gakushu Dharma?

This is a method of training that consists of seven parts: Gakusho Gakusho, Shojin Gakusho, Ki Gakusho, Breathing Gakusho, Jyo Gakusho, and Saku Gakusho.

A detailed explanation of Shichikakushoho is given in my book “Reincarnating Reeds” (Hirakawa Publishing) (see pages 284 and 324), but just in case, I will briefly explain it.

1. Nen Gakusho…The process of strengthening the power of Nen and using that power to gain a sense of space.

Two-choice teaching method…The practice of choosing the true teaching method from among the many religions, beliefs, and philosophies in the world.

3 Seisei…Training to master the teaching method of your choice through single-minded effort and dedication.

4 Kikaku Kakusho: Training to dwell in the joy of acquiring the true teaching method

5 breathing exercises…Training to lighten the mind and body

6 Determined Awakening…Special meditation methods including “extinction” and “four jhanas”

7. Sakukakusho…The practice of letting go of the mind of being obsessed with things and being attached to them.

When a great king called the wheel-turning king appears, seven treasures, including the wheel-treasure, will appear in the world, and the wheel-turning king will use them to unify the world and build a fine world. In the same way, the Buddha said that when the Tathagata appears, the seven dharma, the seven enlightenment laws, will appear, and the Tathagata will save the world with these dharma.

I think this sutra is a kind of prophecy. When I saw this sutra, I had an intuition that it was a prophetic sutra.

What kind of prophecy?

This is a prophecy that the Tathagata will appear in our modern times. I believe that this is a prophecy that the Tathagata will appear in this era in which we live.

Why is this true?

I can give two reasons.

First of all, if the Tathagata does not appear in this era, this world will become extinct. If the Tathagata did not appear now, this world would be destroyed. There is a law of entropy, and even in light of this law, it must be said that the destruction of the earth is in the not-too-distant future. The Tathagata must appear now.

The second reason is that Shichikakusho is now being released into the world through our own hands. Up until now, Japan has been known as a Buddhist country, but most people had never seen or even heard of the Shichikakusho. Although it was already explained in the “Agon Sutra”, the “Agon Sutra” itself was dismissed as a Hinayana sutra and was completely ignored, so the Buddha’s attainment of Buddhism, including the Shichikakusho, was explained. All of the 17 Ways had remained buried, with no one practicing them.

However, with the advent of the Agon sect, the existence of the 37 sects of the Seven Schools spread throughout the world. It is no exaggeration to say that he first appeared in the world after I wrote “Reincarnation.”

He must have learned about the existence of Shakyamuni Buddha’s method of attaining Buddhahood, the Seven Courses and Thirty-Seven Ways, after reading my book, or perhaps after he entered the Agon sect.

But it’s not just you guys. It’s not just you who are laypeople. Even among the very famous Mahayana Buddhist monks and scholars, most of them learned for the first time about the existence of Shakyamuni Buddha’s Seven Courses of Buddhahood after reading my book.

Before the advent of the Agon sect, most of the people were scholars and learned monks who had never studied the Agon Sutra. Many of them were researchers of the Mahayana scriptures. Even when I went to the religious book section of a large bookstore, I found that there were almost no explanatory books on the “A “Sutra.” However, even if I published a research book on the Agon Sutra, I don’t think anyone would buy it.

However, after I established the Agon sect and began to spread the “Agon Sutra” throughout the world, books related to the “Agon Sutra” began to be lined up one after another in the religious books section of large bookstores.

Appearance of Tathagata who saves the world
Nakaagon Sutra/Cloisonné

What we can say is that the method of attaining Buddhahood called Shichikakushoho did not appear in the world until after the appearance of the Agon sect. Although it had existed until then, it was not widely known to the public. However, with the emergence of the Agon sect, both the Agon Sutra and the Shichikakusho taught there became known to the public.

As aforementioned,

“When the Tathagata appears, the Seven Awakenings will appear in the world.”

Buddha preached in the Seven Treasure Sutras. Shichikakusho became known to the world through the Agon sect.

I don’t think it’s a coincidence that this happened.

That is the Tathagata.

The world is currently in a state of crisis, and in order to save it from this crisis, the Buddha must appear. The Tathagata must appear. Otherwise, I believe this world will be destroyed.

However, I don’t think this world will be destroyed so easily. If so, something will appear, someone will appear and save this world from destruction. Who will save this world?

So who is this Tathagata?

I believe that the Tathagata is of the Agon sect. The Tathagata is me and you. I believe that I and all of you who are spreading the Buddha’s method of attaining Buddhahood, the Seven Courses and Thirty-Seven Ways, are the Tathagata who will save this world. Those who strive to bring the Dharma of attaining Buddhahood to the world are the Tathagata. Bringing the Buddha’s method of attaining Buddhahood to the world is nothing less than bringing the Buddha into the world. Moreover, by bringing the Buddha into the world, isn’t he also becoming the Tathagata himself?

The world can be saved from destruction by becoming the Tathagata and spreading the Buddha’s method of attaining Buddhahood to this world. I interpret this sutra as such a prophetic sutra.

Although the “Shippo Sutra” is a short sutra, its content is deeply meaningful. We must work hard to make this prophecy a reality. We must acquire the Buddha’s method of attaining Buddhahood and bring it out into the world. Through these merits, we too can attain Buddhahood and become Tathagata in both name and reality. The Buddha is

“All of you should become the Tathagata. Then the world will be saved.”

I feel that He preached this sutra with these feelings in mind.

The Agon Sutra, which teaches such important things, remained buried in Japan without being looked at for over a thousand years. When I think about this, I can’t help but sigh from the bottom of my heart. However, if you think about it, the world up until now may have been in a relatively good era, where the “Agon Sutra” was not so necessary. In the past, it would have been impossible for humans to destroy the Earth. But now it’s different. Even though we have destroyed the Earth many times, humanity still has as many cores as hers. The Agon Sutra may have been preserved precisely in order to save the earth from such a catastrophe. It is also thought that it was carefully stored away in case of an emergency. We have discovered this and are bringing it into the world to save the world. There is no greater Brahma practice than this for him.

We must join hands and make this movement not only within the small framework of a religious movement, but also a large social movement, and strive to save this earth from destruction. – Tsune NakaAgon ・Shippo

not. That time has now arrived.

Another translation of The Lonely Forest (Jetavana) Small Sutra This is one of the five parts of Bari, the southern Theravada scripture, and consists of 15 minutes. The other four parts of the five Pali parts, “Nagabe Sutra,” Chubu Sutra, Bu Sutra, and “Maso Branch Sutra,” roughly correspond to the Chinese translation, “Naka Agon Sutra,” “Agon Sutra,” and “Masuichi Agon Sutra,” respectively. Some of the sutras included in the “Shobe Sutra” were simply translated into Chinese, and the “Sho Agon Sutra” was not translated. This is thought to be because the collection of the “Small Sutras” was delayed compared to the other four parts, but this is a different matter from whether the contents of the sutras were new or ancient. The sutras included in the “Kobe Sutra”, which have been translated as simple translations, include the “Dharmakaya Sutra”, the “Dharmakaya Sutra”, and the “Yoshitsune”, all of which are important sutras for understanding the Buddha’s oral sermons. and is considered academically important.

Among the human Brahmins, only Anya Kondanya, the youngest Brahmana, prophesied that Prince Siddadda would emerge and become a Buddha. He was also one of the so-called Five Bhikkhus who accompanied Prince Shadatta to his ordination, and was the first person to become a disciple of the Buddha.

*4 Law of entropy Second law of thermodynamics. “Matter and energy change in only one direction: from usable to unusable, or from usable to unusable, or from ordered to disordered. “to change.” It became well known to the general public due to “The Law of Entropy” (Shodensha) written by J. Rifkin.

 

 

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Buddha  Japan Journal

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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 “Kongokai” expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai

 

胎蔵界曼荼羅 たいぞうかい Womb Realm Mandala Taizokai

 

 

 

 

 

仏陀の気道の法

呼吸法、といっているけれども、たんなる呼吸作用のコントロール法ではなく、このあとで説く「チャクラ」「プラーナ」「クンダリニー・エネルギー」(気道) 「ムドラー」「瞑想」「マントラ詠唱」など、すべての技法を綜合しておこなわれるもので、仏陀の成仏法の最終段階のものである。

 

この四つの呼吸法 (繰り返していうが、たんなる呼吸法ではない)で、仏陀の成仏法は完成されるのである。

 

この呼吸法については、またあとで説く。

 

仏陀の気道の法

 

前の節を読まれたら、大体おわかりであろう。
仏陀も、四神足法において、やはり、死道を用いていたのである。

 

「行息」 気息を行らす、

、というからには、めぐらす道」がなければならない。その道が,気道である。

ただし、仏陀の気道は、クンダリニー・ヨーガの気道とはかなり違うものである。

それは、クンダリニー・ヨーガの気道の欠陥――、欠陥というより不十分な部分、を補足したものといってよいだろう。

なぜ、そういうことがいえるのか?

わたくしは、仏陀の行息法が後に中国に渡って、道教の仙道になっていったものと
考えるのである。すなわち、道教の修行の原点は、

仏陀の成仏法

にあるのである。

道教の基本的修行に、「内気の法」というのがある。また、「行気の法」がある。こ
れらは、阿含経に説かれているシャカの「行息の法」に外ならない。

道教が、仏陀の成仏法を受けついでいると断定する一つの証として、つぎのような
ことがあげられる。
いま言った道教の内気の法の気道に、泥丸という部位がある。頭頂にあってクンダリニー・ヨーガでは、サハスラーラ・チャクラにあたる部位で、道教でも最高のさと
りの部位になっている。

 

この泥丸という名称はどこから来たのか?

これは、仏陀が説く「涅槃」すなわちニルヴァーナを音写したものなのである。こ
の部位を目ざめさせると、涅槃に到達するというところから、名づけられたものである。

このことは、仏陀の修行法と、クンダリニー・ヨーガ、そして道教、との関連を語
るものにほかならず、たいへん興味深いものといえよう。このほかにも、いくつか、
これに類した例をあげることが出来る。

 

上の文章を
親しみやすいタイトルを3つ考えてください