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彼が自覚したのは、知能の驚くべき飛躍であった。日本の仏教において「成仏法」の欠如に疑問を感じ、その真理を求めて、あらゆる経典の研究に没頭することになった。成仏法の不在は、彼にとってキリスト教におけるキリストの欠如と同等の不可解な事柄であった。なぜならば、神はキリストを通じて人類を救済し、同様に、仏教では成仏法を通じて人類が救われるとされるからである。そして、その成仏法が日本の仏教には存在しないというのは、何とも不可思議なことである。

彼は疑問を抱きながらも、ただ不可解に留まることなく、成仏法を求める決意を固めた。しかし、彼には仏教の師がおらず、全てを独学で追求しなければならなかった。専門用語や難解な文章に苦しみながらも、彼は求聞持聡明法によって導かれ、ついに阿含経の中に成仏法を見出すことに成功した。

その時、彼はなぜ日本の仏教が成仏法を持たなかったのかを理解した。日本の大乗仏教は古代中国の仏教をそのまま取り入れたものであり、その際に中国仏教の誤解が引き継がれたためであることが分かった。阿含経が最も真理を説いた経典でありながら、中国仏教では最下位とされ、大乗経典が優遇されたことが、成仏法の理解を阻害したのである。

彼はこの真理を広く知らせるべき責任を感じ、阿含宗を設立する決断をした。多くの困難が予想されたが、彼は揺るぎない信念を持ち、その決意を貫いた。伝統仏教の反発やマスコミの攻撃にも耐えながら、彼はただ一人の弟子を連れて教団を興し、現在では数十万の信徒を抱えるまでになった。

彼の教団は巨額の資産を持つように見えるが、実際には彼や家族はほとんど無資産であり、信徒こそが彼らの宝であると考えていた。彼は求聞持聡明法と成仏法の修行によって得た力を持ち、日々ブッダ・シャカの知恵と慈悲に満ちた生活を送っていた。

彼にとって、金や物質的な財産よりも、心の豊かさと真理の普及こそが真の幸福であり、彼の人生における最高の財産であった。

愛のために智慧を

愛のために智慧を

Wisdom for Love

爱的智慧

智慧こためにい愛を

Love for Wisdom

对智慧的热爱]

 

 

現代に降り立つ予言の声

A prophetic voice descends upon the modern world

预言之声降临到今天

 

 

 

 

賢者たちの道、今目覚める

The path of the sages is now awakened

智者之道现已苏醒

 

 

 

千仏の光が導く時

When the Light of a Thousand Buddhas Guides

当千佛光明指引我们

 

混沌を越えて、希望を抱き

Beyond chaos, with hope

超越混乱,拥抱希望

火の洗礼をせよ

火の洗礼をせよ

預言者

愛のために智慧を
智慧こためにい愛を

 

### 歌詞: 賢劫の千仏
#### イントロ

愛のために智慧を
智慧こためにい愛を

現代に降り立つ予言の声
賢者たちの道、今目覚める
千仏の光が導く時
混沌を越えて、希望を抱き

#### サビ
賢劫の千仏、奇跡の光
壊滅の危機を救うために
神仏の叡智、我らに宿り
新たな時代へ、導いてゆく
火の洗礼をせよ

神を動かす
仏を動かす
天地を動かす
世界平和に実現して

地球に平和

国に平和

 

煌めく星々 輝く未来へと
祈りを捧げ 心を重ねる

闇を照らす 光の導きで
永遠の愛で 平和を紡ぐ

千劫の千仏 祈り続けて
世界を包む 愛の渦へ

光り輝く 地球に平和
共に歩もう 未来へと続く

求聞持聡明法  Gyomonji Somyoh method  行文字法

世界の疾患の根源は、ただ一つ――無知故の愚かさ。

「求聞持聡明法」は、人類の知性を三倍にも増やすという謳い文句が掲げられるが、その半分でさえも足りるという。もし、人々の知性が現在の水準よりも1.5倍も向上すれば、この地上から犯罪や戦争は一掃されるだろう。その理由は、人類が愚かであるが故にある。知性指数が倍増すれば、愚かな行為が如何に無益であるか、大人が子供のけんかを見るように理解できるだろう。

私はこの法を実践し、偉大なる聖者と称される力を手に入れて。しかし、その価値は一体何だろうか? 私が賢明になろうとも、どこかの愚か者が核ボタンを押せば、全てが終わる。世界は砕け散り、偉大なる聖者もまたその中に含まれる。もちろん、聖者であれば事前に察知し、安全な場所に避難するだろう。しかし、世界が壊滅し、生き残った者たちが核の灰に覆われる未来に希望はない。

このままでは、世界は必ず崩壊する。人類の大愚行を阻止するには、求聞持聡明法を世界中に広めねばならない。知性の向上こそが、愚かさによる悲劇を防ぐ唯一の方法なのだ。私は決意した。どんな困難が待ち受けようとも、この法を広めるために全力を尽くすのだ、と

 

 

 

The root of all the world’s ills is one thing – stupidity due to ignorance.

The Gyumonji Soumyoho claims to triple the intelligence of humanity, but even half of that would be enough. If people’s intelligence were 1.5 times higher than the current level, crime and war would be wiped out from the earth. The reason is that humanity is stupid. If the intelligence quotient doubles, adults will be able to understand how useless foolish actions are, just as adults do when children fight.

I practice this law and gain the power to be called a great saint. But what is its value? No matter how wise I become, if some fool presses the nuclear button, everything will be over. The world will shatter, including the great saints. Of course, a saint would know this in advance and evacuate to a safe place. But there is no hope for a future where the world is destroyed and the survivors are covered in nuclear ash.

If things continue like this, the world will surely collapse. To prevent the great folly of mankind, we must spread the Gyumonji Somyoh method throughout the world. The improvement of intelligence is the only way to prevent the tragedies caused by stupidity. I resolved that no matter what difficulties await me, I will do my utmost to spread this method.

 

世界上所有弊病的根源只有一件事——无知造成的愚蠢。

Gyumonji Soumyoho声称可以将人类的智力提高三倍,但如果人类的智力比现在高1.5倍,犯罪和战争就会从地球上消失,因为人类是愚蠢的。如果智商翻倍,成年人就会明白愚蠢的行为是多么无用,就像孩子打架时成年人会明白的那样。

我修行了这条法则,获得了被称为大圣的力量,但无论我变得多么聪明,如果有傻瓜按下核按钮,一切都会崩溃,包括大圣。当然,圣人会提前知道这一点并撤离到安全的地方,但世界被毁灭、幸存者被核火山灰覆盖的未来是没有希望的。

如果再这样下去,世界一定会崩溃。为了防止人类的巨大愚蠢,我们必须在全世界传播“牛文字小妙法”,这是防止愚蠢造成的悲剧的唯一方法。无论有什么困难等待着我,我都会尽我最大的努力去传播这个方法。

 

私の体験を語ろう。

私の体験を語ろう。

「ああっ!」

私は三度目の必死の修行に入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニン

グのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨ ガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘伝から私が創案した特殊な印契 とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、 微妙な変化を起こしつつあることが感じられていた。 チャクラの開発も順調 にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

夜明けなさい まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。 しびれの 感覚であった。 かるい失神、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その 刹那、

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流が流れる感覚が走った。

落雷かと感じ、瞼の裏を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをた かれたように、私の視野は真っ暗になった。 失明! という考えがチラリと

脳裡をよぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリと明

「そうか!」

かりがともったのだ。 そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、 しずか にしずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる一〇〇日前、 山にこもって凝っと見つめたあのときの明星 暁けの明星のように、それ はつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

明星とは現実の明星ではなかったのである。

大脳の或る部分を或る方法で刺激すると、目の前に光が見えるようになる のである。その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を 記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色にな って、しずかに眼の奥でまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるの である。

これが明星なのだ!

或る特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)への 刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目を或る角度に向けると、目 開いていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

この光が見えるようになると、大脳の記憶の座が自由にあやつれるように なるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力が出てくる。 す なわち、 求聞持聡明法の成就である。

これが、求聞持法、明星の秘密である。 大空を一〇〇年ながめて空中の明 星を見つめていてもムダだ。 明星はわが大脳の奥にあるのだから。

このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてつかんだ秘密である。 私以外にこれを知る者はついになかった。 求聞持法の秘密を私はついにつか んだ。私はそれを誇りに思う。

私は先に、求聞持聡明法の口伝は間違っていると言った。しかし、この口

伝は決して間違っていたのではなかったのである。修行が成就すればたしか

ヒトを改造する技術

私の体験を語ろう。

「ああっ!」

私は三度目の必死の修行に入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニン

グのときであった。真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨ ガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨーガの秘伝から私が創案した特殊な印契 とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだと大脳皮質と脳髄は、 微妙な変化を起こしつつあることが感じられていた。 チャクラの開発も順調 にすすんでいた。機が熟しつつあることを、私の六感は感じていた。

夜明けなさい まどろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。 しびれの 感覚であった。 かるい失神、めまいに似ていた。忘我の一瞬であった。その 刹那、

と私は苦痛の叫びをあげていた。脳髄の一角に電流が流れる感覚が走った。

落雷かと感じ、瞼の裏を紫電が走った。つぎの瞬間、眼前でフラッシュをた かれたように、私の視野は真っ暗になった。 失明! という考えがチラリと

脳裡をよぎった。と、そのときであった。頭の内奥、深部に、ポッカリと明

「そうか!」

かりがともったのだ。 そして、それは、私の脈搏とおなじリズムで、 しずか にしずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる一〇〇日前、 山にこもって凝っと見つめたあのときの明星 暁けの明星のように、それ はつめたく、黄ばんだ白さでまたたいた。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

明星とは現実の明星ではなかったのである。

大脳の或る部分を或る方法で刺激すると、目の前に光が見えるようになる のである。その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を 記憶の座に向けて沈静させると、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色にな って、しずかに眼の奥でまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるの である。

これが明星なのだ!

或る特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)への 刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目を或る角度に向けると、目 開いていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。

この光が見えるようになると、大脳の記憶の座が自由にあやつれるように なるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力が出てくる。 す なわち、 求聞持聡明法の成就である。

これが、求聞持法、明星の秘密である。 大空を一〇〇年ながめて空中の明 星を見つめていてもムダだ。 明星はわが大脳の奥にあるのだから。

このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてつかんだ秘密である。 私以外にこれを知る者はついになかった。 求聞持法の秘密を私はついにつか んだ。私はそれを誇りに思う。

私は先に、求聞持聡明法の口伝は間違っていると言った。しかし、この口

伝は決して間違っていたのではなかったのである。修行が成就すればたしか

ヒトを改造する技術

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仏教の革新者:成仏法を求める旅

1. 「成仏法の追求者:日本の仏教改革者の物語」
2. 「真実の探求者:阿含宗の創設者の挑戦」
3. 「仏教の革新者:成仏法を求める旅」

彼が自覚したのは、知能の驚くべき飛躍であった。日本の仏教において「成仏法」の欠如に疑問を感じ、その真理を求めて、あらゆる経典の研究に没頭することになった。成仏法の不在は、彼にとってキリスト教におけるキリストの欠如と同等の不可解な事柄であった。なぜならば、神はキリストを通じて人類を救済し、同様に、仏教では成仏法を通じて人類が救われるとされるからである。そして、その成仏法が日本の仏教には存在しないというのは、何とも不可思議なことである。

彼は疑問を抱きながらも、ただ不可解に留まることなく、成仏法を求める決意を固めた。しかし、彼には仏教の師がおらず、全てを独学で追求しなければならなかった。専門用語や難解な文章に苦しみながらも、彼は求聞持聡明法によって導かれ、ついに阿含経の中に成仏法を見出すことに成功した。

その時、彼はなぜ日本の仏教が成仏法を持たなかったのかを理解した。日本の大乗仏教は古代中国の仏教をそのまま取り入れたものであり、その際に中国仏教の誤解が引き継がれたためであることが分かった。阿含経が最も真理を説いた経典でありながら、中国仏教では最下位とされ、大乗経典が優遇されたことが、成仏法の理解を阻害したのである。

彼はこの真理を広く知らせるべき責任を感じ、阿含宗を設立する決断をした。多くの困難が予想されたが、彼は揺るぎない信念を持ち、その決意を貫いた。伝統仏教の反発やマスコミの攻撃にも耐えながら、彼はただ一人の弟子を連れて教団を興し、現在では数十万の信徒を抱えるまでになった。

彼の教団は巨額の資産を持つように見えるが、実際には彼や家族はほとんど無資産であり、信徒こそが彼らの宝であると考えていた。彼は求聞持聡明法と成仏法の修行によって得た力を持ち、日々ブッダ・シャカの知恵と慈悲に満ちた生活を送っていた。

彼にとって、金や物質的な財産よりも、心の豊かさと真理の普及こそが真の幸福であり、彼の人生における最高の財産であった。

1. “Seeker of the Law of Attainment: The Story of a Japanese Buddhist Reformer”
2. “Seeker of Truth: The Challenge of the Founder of the Agon Sect”
3. “Innovator of Buddhism: A Journey in Search of the Law of Attainment”

What he realized was an astonishing leap in intelligence. He was intrigued by the lack of “the law of attainment” in Japanese Buddhism, and in his search for the truth, he devoted himself to the study of all scriptures. The absence of the law of attainment was as puzzling to him as the absence of Christ in Christianity. This is because God saves humanity through Christ, and similarly, in Buddhism, humanity is saved through the law of attainment. And it is extremely puzzling that the law of attainment does not exist in Japanese Buddhism.

Although he had doubts, he did not remain in the mystery, but instead resolved to seek the law of attainment. However, he had no Buddhist teacher and had to pursue everything on his own. Although he struggled with technical terms and difficult texts, he was guided by the Gumonji Somyoh method and finally succeeded in finding the law of attainment in the Agon Sutras.

At that moment, he understood why Japanese Buddhism did not have a method for attaining enlightenment. He realized that this was because Japanese Mahayana Buddhism was a direct adoption of ancient Chinese Buddhism, and that misunderstandings from Chinese Buddhism were inherited at that time. Although the Agama Sutra is the scripture that most clearly teaches the truth, it was considered the lowest in Chinese Buddhism, and the fact that Mahayana sutras were given preferential treatment hindered understanding of the method for attaining enlightenment.

He felt a responsibility to spread this truth widely, and decided to establish the Agama Sect. He foresaw many difficulties, but he had unwavering conviction and stuck to his resolve. Enduring opposition from traditional Buddhism and attacks from the media, he founded a religious organization with just one disciple, and it now has hundreds of thousands of followers.

His religious organization appears to have huge assets, but in reality he and his family had almost no assets, and he considered his followers to be their treasure. With the power he gained from practicing the Gumonji Somyoh method and the Attainment Method, he lived a life full of the wisdom and compassion of Buddha Shaka every day.

For him, true happiness was found in spiritual richness and the spread of truth, rather than in money or material possessions, and this was the greatest asset in his life.

五蘊の瞑想法

ごんぎようおうせつき

『阿含経応説経』(以下、『応説経』)の講義を行います。まずは経文を読み、現代語に訳し ながら解説します。

しび くつ

是の如く現れ聞きぬ。一時、 国の くぎゅうにゅ 拘留国の雑色牧牛聚 落に住まりたまえり。雨の時、仏、諸比丘に告げたまわ く、「我れ知恵を見てのに諸の尽きることを得たり。 知見にざるなり。何が知見を以ての故に諸漏の尽

いかん

如是我聞。一時仏住拘留国雜色牧牛 聚落。爾時仏告諸比丘。 我以知見故 諸漏尽。 非不知見。 何以知見故。 得諸漏尽。非不知見。謂此色此色集 此色滅。此受想行識。此識集此識滅。此れは色の集なり、此れは色の滅なり、此れは・・

  • 現代語訳

と。

解説

阿含経・応説

きることを得、不知見に非ざるや。 ゆる此れは色なり、

行識なり、此れは識の集なり、此れは識の減なりと」

このように私は聞きました。 ある時、仏さまはクル (拘留) 国の雑色牧牛聚落におとどまりに なっておられました。 その時、仏さまはもろもろの比丘に、次のようにお話しされました。

「私は知見を得たことによって、もろもろの煩悩がなくなりました。不知見ではないからである。 なぜ、私は知見によって、もろもろの煩悩がなくなったのでしょうか? 不知見ではないからで ある。

それはどういうことかというと、これは色である、これは色の集である、これは色の滅である、 これは受想行識である、(これは受の集である。 これは受の滅である、 これは想の集である、こ れは想の滅である、これは行の集である、これは行の滅である) これは識の集である、これは識の滅 である」

知見とは、真の智慧によって物事を見ることで、換言すれば悟りを得たということです。この 悟りの力によってすべての煩悩をなくすことができた、とお釈迦さまはここでおっしゃっておら れます。漏とは煩悩の異名です。煩悩は心の中にいつの間にか漏れ出てきますから、 と呼びま す。

うんかんぼう

「此れは色なり、此れは色の集なり、此れは色の滅なり、此れは受想行識なり、此れは (受想行識の集なり、此れは(受想行識の滅なり」は、五蘊観法という瞑想です。 人間は色(物質的現象)・受(感覚)・想 (表象)・行(意志)・識(意識)の五つの構成要素からでき ていると仏教では考えますが、この五つの構成要素のことを五蘊(五)と呼びます。五蘊観

法とは、この五蘊のそれぞれが無常・空・無我であると観想していく瞑想法のことです。

お釈迦さまはここで、自分は五蘊観法を修行して悟りを得、完全解脱したのだとおっしゃって おられます。

続きを見ましょう。

成仏できない僧侶たち

不修方便随順成就。而用心求令我諸 漏尽心得解脱。当知彼比丘終不能得 漏尽解脱。所以者何。 不修習故。 不 修習何等。謂不修習念处正勤如意足 根力覚道。

  • 現代語訳
  • 解説

ずいじゅんじょうじゅ

だっ

「方便を修し随順 成就せずして而も心を用いて、我れ をして諸尽き、心に解脱するを得せしめんと求むるも 当に知るべし、彼の比丘は終に漏尽解説を得ること能わ

ゆえん いか

しゅじゅう

なんら

ず。所以は何ん。修習せざるが故なり。何等か修習せざ いわねんじょ しょうごん によい そく こん わき かく どう る。謂ゆる念処正勤・如意足・根・カ・覚・道を修 習せざるなり」

「いろいろな方法を駆使して修行を行っても成就しない者が、もろもろの煩悩が尽き、心に解脱 を得たいと思っても、あの僧侶(修行者)たちは、ついに漏尽解脱を得ることはできません。

それはなぜでしょうか?

修行していないからです。

阿含経

なにを修行していないのでしょうか?

それは、いわゆる四認処法(四矩戦)・四正法(西武)宮姫意足法(四神足法)五根

ほっしょうどう

方法覚支法・八正道を修行していないのです」

ここは、『応説経』の中でも特に重要なことが、説かれているところです。

たいへんなことが書かれているわけですが、諸君はそれに気づいたでしょうか?

解脱とは、漏 (煩悩がすべて尽きた状態ですから、完全解脱、つまり成仏したというこ とです。その完全成仏を心から願って修行しているのに、それができない僧侶たちがいる、とお 釈迦さまがおっしゃっておられるわけです。これは大問題です。

なぜ、その僧侶たちは成仏できないのか? それは、四念処法・四正法・四如意足法・五根 法・五方法・七覚支法・八正道を修行しないからだ、とお釈迦さまは説かれているわけです。

この四念処法・四正動法・四如意足法・五根法・五方法・七覚支法・八正道というのが、わた くしがいつもお話ししているお釈迦さまの成仏法、「七神三十七道品」です。わたくしはこれを、 成仏のための七つの科目(システム)、三十七の修行法(カリキュラム)であると申し上げており ます。 念処・正勤・如意足・根・力・覚・道で七科目。そして、それぞれが四・四・四・五・ 五・七・八からなる修行によって成り立っておりますから、全部を合わせて三十七になるわけで す。

お釈迦さまは、この修行を行わない者はたとえそれが僧侶であっても、その人がどのように成 仏を望んでも、絶対に成仏することはできない、とおっしゃっています。

わたくしは法話でしばしば、

「仏教の伝来以来、大乗仏教のお坊さんは、誰一人として成仏していない」

とお話ししています。 みなさんの中には、

「管はずいぶん思い切ったことをいうなあ」

と考えている人がいるでしょう。しかし、それはわたくしの独断や偏見ではありません。 仏教 の開祖のお釈迦さまご自身が、七科三十七道品を修行しない者はいくら他の修行をしても、絶対 に成仏しないと説かれているわけです。

日本にも数々の名僧知識が登場しましたが、 この七科三十七道品を修行した人は皆無といって もよいでしょう。

しかし、お釈迦さまは、

彼の比丘はついに成仏することができない」

とおっしゃっておられます。 「彼比丘」というこの三文字の中に、日本の大乗仏教の僧侶が 全部入っているわけです。きっと、「阿含経」以外のお経を信仰し、それを広める僧侶たちが出 現することを予見しておられたのでしょう。

ですから、わたくしはこのお釈迦さまのお言葉に基づいて、

「仏教の伝来以来、大乗仏教のお坊さんは誰一人として、成仏していない」

と説いているのです。

くどく

阿含経

じろとうぜん

しんごんしゅう こうぼうだ

ただし、わたくしは、曹洞禅の祖である道元禅師(一二〇〇一二五三)と真言宗の開祖弘法大

師空海(七七四八三五)だけは、ひょっとするとこの成仏法をご存知だったのかもしれない、 と考えております。 と申しますのは、道元禅師は『正法眼蔵』の第七十三で、

さんじゅうしちばんぼだいぶんぼう

こってい しゅくんもく

ほうぼう

しようぼうげんぞう

「この三十七品菩提分法(七科三十七道品の別名著者注)、すなわち仏祖の眼睛鼻孔、

骨髄、手足面目なり。仏祖一枚、これを三十七品菩提分法と参学しきたれり」

しんけんみつに きょうろん

成仏法を讃嘆しておられます。また、弘法大師空海は『弁顕二教論」で、

「第一の宝とは即ち是れ摩訶般若解脱法身なり。 第二の法宝とは開く戒定 智慧の諸の妙

功徳なり。いわゆる三十七菩提分法なり」

と記しておられます。 ですから、このお二人が成仏法を知識として知っているだけでなく、 実

際にそれを修行しておられたとしたならば、このお二人だけは、ひょっとすると成仏しているか もしれません。しかし、それ以外の僧侶は絶対に成仏していない。僧侶が成仏していなかったな らば、それに導かれる弟子も在家信者も成仏していないのは当然でしょう。また、自分を成仏さ せることができないのだから、先祖のお霊たちも成仏するはずはありません。

仏教を信仰する人は皆、その宗旨の教えや修行で成仏できると思うから、そこで一生懸命に信 仰・修行に励むわけです。 成仏できると信じればこそ、布教して歩きます。

昔の日本の僧侶たちは、お釈迦さまの教法を知ることができるのは「阿含経」だけだ、という 真実を知りませんでした。 しかし、今の僧侶たちは、みな知っているのです。

しかし、伝統的仏教は従来の教説の上に立ったままです。

わたくしは、少なくとも宗教家だけはこの世の中がどんなに悪くなっても、真実をいわなけれ ばいけないと考えます。だからこそ、宗教家は尊敬に値する存在なのです。もちろん、宗教家と いえども、たまには方便を使うこともあるでしょう。しかし、ここ一番、これこそ大切なことな のだということについては、たとえ八つ裂きにされても、本当のことをいわなければならないと わたくしは思うのです。 その宗教家が嘘であることを重々承知の上で、信者に真実ではないこと 真実であるかのように説教をする。 これは絶対に許されないことです。

続きを説明いたしましょう。

成仏法と伏鶏

譬如伏鷄生子衆多。不能随時蔭餾消 息冷暖。而欲令子以指以爪啄卵自生 安穩出殼。当知彼子無有自力堪能方 便以觜以爪安穩出殼。所以者何。以 彼鶏母不能随時蔭餾冷暖長養子故。 如是比丘。不勤修習随順成就。而欲 得漏尽解脱。無有是処。 所以者何。 不修習故。不修何等。 謂不修念処正 勤如意足根力觉道。

  • 現代語訳

ちょうだん

ちょうよう

しゅた

譬えば伏の生める子衆多にして、随時に消息 冷暖すること能わずして、而も子をしてを以てを 以て卵を稼き、自ら生まれ安穏に殻を出てしめんと欲す も当に知るべし、彼の子自力も能く方便して嘴を以 爪を以て安に殻を出づるに堪ゆること有ること無き が如し。所以は何ん。彼の母随時に冷して 長養することわざるを以ての故なり。是の如く比丘 勤めて修習し随順成就せずして、而も漏尽解脱を得し

ことわり

めんと欲するもの有ること無し。所以は何ん。 修 習せざるが故なり。何等をせざる。謂ゆる念処・正 ・如意足・・・覚・道を修せざるなり」

「たとえば鶏が卵を産みすぎて、親鶏が随時に温めたり、風を送って冷やしたりする、というよ

うな世話が十分にできなかった卵があれば、その世話が十分に行き届かなかった) 卵の中のヒナ が孵化をしようと、くちばしや爪で卵の殻を内側からつついたとしても、そのヒナは自力で殻を 破って孵化することができません。

なぜでしょうか?

親鶏が随時に卵を温めたり、風を送って冷やしたりするというような世話が、十分にできなか ったからです。

小島 それと同じように、仏道修行者が(七科三十七道品以外の) さまざまな修行に励んだとしても、

仏道修行は成就しませんし、 漏尽解脱は得られません。

なぜでしょうか?

解説

修行しないからです。

なにを修行しないのでしょうか?

いわゆる、四念処法 四正勤法 四如意足法 五根法 五力法 七覚支法、八正道を修行しな いのです」

ここでお釈迦さまは、成仏法と修行の関係を、鶏のヒナが孵化することにたとえておられます。 親鶏がいくつかの卵を産んだ後、親鶏は冷暖、つまり温めたり、冷ましたり、あるいは空気 の流通をよくしたりというような努力を一生懸命に行います。 一方、ヒナの方を見てみると、ヒ

自身もくちばしや爪で一生懸命に殻を破ろうとする努力を行います。 親鶏の努力とヒナの努力 が相まって初めて、ヒナは殻を破って生まれることができるのです。

お釈迦さまは、この親の努力とヒナの努力の関係は、ちょうど成仏法と修行者の関係と同じ である、とおっしゃっているわけです。

たとえば、親鶏があまりにも卵を多く産み過ぎると、当然のことながら全部の卵に目が行き届 きません。そうすると、風を送ってもらったり、温めてもらったりできない卵も出てきます。 そ のように十分に面倒を見てもらえない卵は、中でヒナがいくら外に出ようとくちばしでつついた 足の爪で引っ掻いたりしても、絶対に生まれることはできません。

続きを読みます。

阿含経応説

それと同じで、七科三十七道品の成仏法が得られなかったならば、どれほど他の修行を死にも のぐるいで行ったとしても、決して成仏することはできないのだ、とお釈迦さまはおっしゃって おられるわけです。

成仏するには、正しい成仏法と修行者の努力、この二つが絶対に必要なのです。

わたくしはいつも思うのですが、お釈迦さまという方は、本当に比喩が巧みです。 誰にでも分 かるようにお話をされる、希有の名説法家だといえるでしょう。