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求聞持聡明法

世界の疾患の根源は、ただ一つ――無知故の愚かさ。

「求聞持聡明法」は、人類の知性を三倍にも増やすという謳い文句が掲げられるが、その半分でさえも足りるという。もし、人々の知性が現在の水準よりも1.5倍も向上すれば、この地上から犯罪や戦争は一掃されるだろう。その理由は、人類が愚かであるが故にある。知性指数が倍増すれば、愚かな行為が如何に無益であるか、大人が子供のけんかを見るように理解できるだろう。

私はこの法を実践し、偉大なる聖者と称される力を手に入れて。しかし、その価値は一体何だろうか? 私が賢明になろうとも、どこかの愚か者が核ボタンを押せば、全てが終わる。世界は砕け散り、偉大なる聖者もまたその中に含まれる。もちろん、聖者であれば事前に察知し、安全な場所に避難するだろう。しかし、世界が壊滅し、生き残った者たちが核の灰に覆われる未来に希望はない。

このままでは、世界は必ず崩壊する。人類の大愚行を阻止するには、求聞持聡明法を世界中に広めねばならない。知性の向上こそが、愚かさによる悲劇を防ぐ唯一の方法なのだ。私は決意した。どんな困難が待ち受けようとも、この法を広めるために全力を尽くすのだ、と

 

 

 

 

The root of all the world’s ills is one thing – stupidity due to ignorance.

The Gyumonji Soumyoho claims to triple the intelligence of humanity, but even half of that would be enough. If people’s intelligence were 1.5 times higher than the current level, crime and war would be wiped out from the earth. The reason is that humanity is stupid. If the intelligence quotient doubles, adults will be able to understand how useless foolish actions are, just as adults do when children fight.

I practice this law and gain the power to be called a great saint. But what is its value? No matter how wise I become, if some fool presses the nuclear button, everything will be over. The world will shatter, including the great saints. Of course, a saint would know this in advance and evacuate to a safe place. But there is no hope for a future where the world is destroyed and the survivors are covered in nuclear ash.

If things continue like this, the world will surely collapse. To prevent the great folly of mankind, we must spread the Gyumonji Somyoh method throughout the world. The improvement of intelligence is the only way to prevent the tragedies caused by stupidity. I resolved that no matter what difficulties await me, I will do my utmost to spread this method.

 

世界上所有弊病的根源只有一件事——无知造成的愚蠢。

Gyumonji Soumyoho声称可以将人类的智力提高三倍,但如果人类的智力比现在高1.5倍,犯罪和战争就会从地球上消失,因为人类是愚蠢的。如果智商翻倍,成年人就会明白愚蠢的行为是多么无用,就像孩子打架时成年人会明白的那样。

我修行了这条法则,获得了被称为大圣的力量,但无论我变得多么聪明,如果有傻瓜按下核按钮,一切都会崩溃,包括大圣。当然,圣人会提前知道这一点并撤离到安全的地方,但世界被毁灭、幸存者被核火山灰覆盖的未来是没有希望的。

如果再这样下去,世界一定会崩溃。为了防止人类的巨大愚蠢,我们必须在全世界传播“牛文字小妙法”,这是防止愚蠢造成的悲剧的唯一方法。无论有什么困难等待着我,我都会尽我最大的努力去传播这个方法。

成仏法 成仏のための七つのシステム、三十七のカリキュラム

釈尊は成仏を目指して難行苦行を行い、その修行法を弟子たちに教えた。
– 釈尊の成仏法は「阿含経」にのみ記されており、創作経典には含まれていない。
– 中国仏教が阿含経を小乗経典として判定し、誤解が広まった。
– 日本仏教もこれを受け入れ、釈尊の成仏法を知らない状態が続いた。
– 成仏法は「七科三十七遺品」であり、「成仏のための七つのシステム、三十七のカリキュラム」とも呼ばれる。
– 七科三十七道品には四念住、四正断、四神足、五根、五力、七覚支、八正道が含まれている。
– これらは釈尊の悟りに至る修行法であり、明確な指針とされている。
– 具体的な修行法には身念住、四正断、四神足、五根、五力、七覚支、八正道が含まれている。
– 例えば四念住では身体、感受、心、法に対する不浄、苦、無常、無我の観念が行われる。
– 四正断では悪を断じてなくし、善を増大させる修行が説かれている。
– 五根や五力、七覚支、八正道もそれぞれ具体的な修行法を示している。
– これらの修行法を通じて、釈尊は悟りに至り、それを弟子たちに教えた。

成仏のための七つのシステム、三十七のカリキュラム

釈尊の成仏法

 

### 歌詞

**イントロ:**

釈尊は成仏を目指して難行苦行を行い

釈尊の道を 歩むために
七科三十七の 道しるべ
悟りの光 目指し進む
心清らかに 修行の日々

**サビ:**
四念住の瞑想 心を澄まし
四正断で悪を 断ち切る力
五根五力を 養いながら
八正道の道 真理を求めて

水晶龍神瞑想法(四神足法)

一、まず、瞑想法の基本を習得し、同時に、解脱宝生行、先祖供養、如意宝  珠敬愛法によって、抑圧意識を除去していく。また、初歩のチャクラ開発  の基礎訓練を開始するとともに、徳を高める積徳行もおこなう。

 

二、つぎに、本格的なチャクラ開発訓練と輪廻転生曼荼羅瞑想法によって、 肉体的および精神的な能力を高める。同時に、現世成仏息災成仏法によっ て、ソンディ型の抑圧意識を完全に除去していく。さらに火界定(護摩 行)、水想観(滝行)の瞑想法の訓練に入る。

 

三、水晶龍神瞑想法(四神足法)の訓練に入る。その上で、四神足法による、 火界定、水想観の瞑想訓練をおこなう。

 

水晶龍神瞑想法(四神足法)

 

 

 理想の来世どころか、苦しみの人生となりいそのうえ横変死の因縁などを 持っていたら、天寿を全うすることすらむずかしい。

 まず、現世でこれらの悪因縁を完全に消滅させ、聖者の境界になっておく必 要があるのである。

 須陀逼とは別名、七来とよばれ、七度(二、三回のこともある)生まれ変わって 成仏する。しかしながら、三悪趣とよばれる境界には堕ちることはない聖者で ある。斯陀含とは別名、一来とよばれ、一度だけ現世に生まれ変わって成仏す

る。

阿那含は別名、不還とよばれ、もう現世には戻ってこないので、輪廻転生 瞑想法の領域からは離れ、釈尊の成仏法の範躊となる。阿羅漢は仏陀である。

 

つまり、輪廻転生瞑想法とは、少なくとも須陀逼(七来)、できれば斯陀含二 来)になり、瞑想法により転生を制御する修行法なのである。

 

わたくしの輪廻転生瞑想法の修行システムは、だいたいつぎのとおりである。

 

一、まず、瞑想法の基本を習得し、同時に、解脱宝生行、先祖供養、如意宝  珠敬愛法によって、抑圧意識を除去していく。また、初歩のチャクラ開発  の基礎訓練を開始するとともに、徳を高める積徳行もおこなう。

 

二、つぎに、本格的なチャクラ開発訓練と輪廻転生曼荼羅瞑想法によって、 肉体的および精神的な能力を高める。同時に、現世成仏息災成仏法によっ て、ソンディ型の抑圧意識を完全に除去していく。さらに火界定(護摩 行)、水想観(滝行)の瞑想法の訓練に入る。

 

三、水晶龍神瞑想法(四神足法)の訓練に入る。その上で、四神足法による、 火界定、水想観の瞑想訓練をおこなう。

 

以上により、須陀逼、ないしは、斯陀含の聖者に至らしめるのである。

第八章輪廻転生瞑想法のカリキュラム

 

Far from the ideal afterlife, it is difficult to complete the natural life if you have a life of suffering and a cause of suspicious death.

First of all, it is necessary to completely eliminate these evil causes in this world and to become the boundary of the saints.

Suda 逼 is also known as Nanarai, and is reborn seven times (sometimes two or three times) and becomes a Buddhahood. However, he is a saint who never falls into the boundary called the three bad tastes. Sakadagami is also known as Sakadagami, and is reborn as a Buddhahood only once in this world.

To.

Anuruddha is also known as non-return, and since it does not return to this world anymore, it is separated from the realm of reincarnation meditation and becomes a category of Buddha’s Buddhahood. Arhat is a Buddha.

 

In other words, the reincarnation meditation method is at least Sudagami (Nanarai), preferably Sadagami Nirai), and is a training method that controls reincarnation by the meditation method.

 

The training system of my reincarnation meditation method is as follows.

 

First of all, learn the basics of the meditation method, and at the same time, remove the oppressive consciousness by the liberation treasure life, the ancestor memorial service, and the pearl respect method. In addition, while starting basic training for elementary chakra development, we will also carry out a virtue-enhancing act.

 

Second, improve physical and mental abilities through full-scale chakra development training and reincarnation mandala meditation. At the same time, the consciousness of oppression of the Sondy type will be completely removed by the Buddhahood Law of the Buddhahood of the Buddhahood. In addition, he started training in the meditation method of Fire World Sada (Goma) and Mizusokan (Takiyuki).

 

Third, begin training in the Crystal Dragon God Meditation Method (Iddhipada Method). On top of that, we will conduct meditation training on the fire world and the view of water using the Iddhipada method.

 

From the above, it becomes a saint of Sudagami or Sadagami.

Chapter 8 Reincarnation Meditation Curriculum

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水晶龍神瞑想法(四神足法)

 
 

 

水晶龍神瞑想法の詩

### イントロ
霊界の深奥、如来の声が響く
王者の相承、心の力を示す
厳しき道を行く者たちよ、心を強く持て
四神足法、成仏への鍵を握る

### サビ
瞑想の彼方に、水晶の龍が舞う
心の思念を繋ぎ、如来の光を受ける
四神足の道を歩む者よ、力を尽くせ
瞑想の炎が、魂を導く

大舶の比喩  The Allegory of the Great Ship

### イントロ
波の彼方に船浮かべ
六月の嵐に立ち向かう
結ぶ藤蔓断たれても
精進の道は続くのさ

### サビ
四念処法を修めて
正しき道を歩みゆく
結縛煩悩解き放ち
心に光が満ちるまで

その秘密が『三供養品』に説かれています。仏教の原点ともいえるこのお経をさっそく読んで

聞如是。一時仏在舎衛国祇樹給孤独

園。爾時世尊告阿難。有三善根。不

可窮尽。漸至涅槃界。云何為三。所

謂於如来所而種功徳。此善根不可窮

尽。於正法。而種功徳。此善根不可

窮尽。於聖衆而種功徳。此善根不可

窮尽。是謂阿難。此三善根不可窮尽

得至涅槃界。是故阿難。当求方便獲

此不可窮尽之福。如是阿難。当作是

学。爾時阿難聞仏所説。歓喜奉行

 

聞くこと是の如し。一時、仏、舎衛国祇樹給孤独園に在

しき。爾の時世尊、阿難に告げたまわく、「三善根(三

福遺)有り、窮尽す可からずして、漸く涅槃界に至る。

云何が三ど為すや。所謂如来の所に於て功徳を種う。此

の善根窮尽す可からず。正法に於て功徳を種う。此の

善根窮尽す可からず。聖衆に於て功徳を種う。此の善

根窮尽す可からず。是れを阿難、此の三善根は窮尽す可

か6 ず、涅槃界に至ることを得と謂うなり。是の故に阿

難、当に方便を求めて、此の窮尽す可からずの福を獲べ

し。是の如く阿難、当に是の学を作すべし」と。爾の時

阿難、仏の所説を聞きて歓喜奉行しぬ。

このように聞きました。仏さまがコーサラ国の祇園精舎にご滞在の時のことです。ある日、世尊は、阿難にこのようにお告げになられました。

「三善根(三福道)というものがありますが、その功徳は無限であり、涅槃界に至ることができ

るものです。なにをもって三つの善根(福)とするのでしょうか。(第一に)いわゆる如来の所に

おいて功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。(第二に)正法において功徳を種える、

この善根(福)の功徳は無限です。(第三に)聖衆において功徳を種える、この善根(福)の功徳

は無限です。阿難よ、この三善根(三福道)の功徳は無限であり、涅槃界に入ることができるの

です。したがって阿難よ、三善根(三福道)を修行して、この無限の福を得なさい。このように

阿難よ、この三善根(三福道)を学びなさい」

この教えを受けて、阿難は心より喜び、修行に励みました。

三善根を三福道と呼んでいます。このことについて説明し

ます。

『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で「三善根」を引くと、

【三善根】さんぜんごん 無貪善根・無限善根・無療善根の三根。一切の善法がこの三つか

ら生まれるからである。それらは具体的には施・慈・慧となって現われる。三毒の対。

と書かれています。しかし、この『三供養品』に説かれる三善根は、その内容がまったく異な

ります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、非常な誤解を生むもとだとわたくしは考えました。

それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?

経文中に、

「此の窮尽す可からざるの福を獲べし」

とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。したがって、わたくしはこれを「三福道」と命名しました。この名称ならば無貪善根・無職善根・無療善根の三善根と混同する

ことはありません。

 

三善根を「三福道」と変えて読誦しているのです。

さて、右の経文を一読すれば、涅槃界に至るためには三善根(三福道)が必要なのだ、という

ことをお釈迦さまが説かれているのが分かると思います。

涅槃界とはなんでしょうか?

普通は涅槃の境地・境界の意味で使われます(ただし本経では違う意味を持っておりますが、それについては後述します)。『五戒品』でも触れたように(本書三七頁参照)、涅槃とはサンスクリット語でニルヴァーナといいますが、生死を超越した境界、完全解脱の境地です。完全解説とは業と因縁から完全に解放された状態です。

わたくしたちは業と因縁の塊です。業と因縁によって輪廻転生を続けています。輪廻転生とは生死の流転がやまず、無限に生死の流転を繰り返すことです。まるで車の輪が廻るように絶え間なく、生と死を繰り返していくので輪廻転生といいます。また、生死流転、生々流転とも呼ばれます。直線ならば、いつかは終点にたどり着くでしょう。ところが輪というのは終わりがありません。終点がないわけです。輪が廻るから無限なのです。ただただ、グルグルグルグルと生死を繰り返すのです。

そういいますと、

「はてしなく廻ってもいいんじゃないですか。いろいろなものに生まれ変わって、さまざまな人生を味わうことができるわけでしょう。男になったり、女になったり、偉くなったりというよう

に、いろいろな人生を味わうことができるのだから、むしろ楽しいじゃないですか」そういう人もいるかもしれません。一度限りの人生ではなく、輪廻転生する方が楽しいという人もいるでしょう。

ところが、輪廻転生は決して楽しいことではありません。むしろ苦しいことです。輪廻転生が苦しいことだから、お釈迦さまは輪廻からの解脱を願って修行したわけです。

なぜ、輪廻転生は苦である、とお釈迦さまは説かれるのでしょうか?

それを理解するためには、まず、仏教の人生観を知る必要があります。

仏教では、まず、人生イコール苦であると見ます。人生は、すなわち苦しみであると考えるのです。わたくしもそのとおりだと思います。たしかに人生には楽しみもあります。けれども、一生のうちに体験する苦と楽を一つずつ相殺していくならば、苦しみの方が多く残るでしょう。にある苦しみの中に、ときどき喜びがあるというようなものではありませんか?

さらには、その喜びが、次なる苦しみの原因になることが多いのです。

仏執でロ人問の々[しみな分類してヽ匯即刻帽と呼んでおります。四苦とは人間の基本的な苦しみです。さらに四苦に付随した苦しみが四つ出てきます。これを最初の四苦と合わせて八苦といいます。通常はそれらを総称して四苦八苦というわけです。

仏教の基本教義として大切なことですから、もう一度復習しましょう。

まず、四苦というのは、生・老・病・死の苦です。これが人間の基本的な苦しみです。さらにその四苦に付随した苦しみが出てきます。それが愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四つです。これらの苦を総称して、四苦八苦といいます。こうしてみると、人間というのは本当に苦の塊です。

四苦の第一は生の苦です。実際に自分の人生を振り返ってみればよく分かると思いますが、生きていくこと自体が苦しみです。生まれたこと自体が苦しみです。生きているからこそ楽しいこともあるけれども、その楽しいことが次の瞬間に苦の種となっています。ですから生は苦であるというしかありません。

第二は老の苦しみです。生きている以上は、だれもが年をとります。必ず老いていきます。これもやはり愉快なことではありません。老いた人ならではの喜びもありましょう。けれども老いれば体力・気力・智力も落ちていくわけですから、「老い」は決して愉快なことではありません。

朝起きて、ひげを剃るために鏡を見ると、

「ああ、我、老いたり」

という感をしばしば抱きます。自分では若い気でいても、若い時のような強い体力を発揮することはどうしてもできません。老いる苦しみというものは、だれしも味わうものです。

第三は病の苦です。生きているかぎりは、病気をすることもあります。だれが考えても、病気は楽しいものではありません。病気によって得るものもありますが、相対的に見れば病気は苦しいものです。

第四は死の苦しみです。人間だれしも死を迎えます。悟りきった人でないかぎり、死は寂しいし、つらいし、苦しいものです。

以上が四苦です。この四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四つを加えて八苦になります。

愛別離苦とは、自分が愛しているものと離別しなければならない苦しみです。どれほど愛し合っている恋人同士、あるいは夫婦、親子、兄弟、友人であっても、いつかは離別しなければなりません。生き別れもあれば死に別れもあります。いずれにしても愛する人と離別することは、本当に苦しく、つらいことですが、絶対に避けられません。

しかも、それは人間関係だけではありません。愛するものとは、必ずしも人間だけではありまけん。たとえば、お金をこよなく愛している人がいます。

『おわはわ金だりが恋人だ。ほかにはなにもいらない』

また、地位を愛している人もいます。内閣総理大臣、会社の社長、重役、それぞれのポストをこよなく愛しています。

けれども、お金であろうと、地位であろうと、いつかはそれらとおさらばしなければならない時が必ずやってきます。いくら、

「いやだ!」

と叫んでみたところで、どうなるものでもないわけです。

次の怨憎会苦とは、怨んだり憎んだりしている相手と会わなければならない苦しみですが、これもまた愛別離苦に勝るとも劣らない苦しみです。

「憎んだり怨んだりしているような、それほど嫌なヤッならば、会わなきゃいいじゃないか」そういうかもしれませんが、因縁によって離れることができなくなっているから、非常に苦し

いのです。その一つが「夫婦縁障害の因縁」です。最初は愛し合って結婚したとしても、怨憎会苦のもとになる「夫婦縁障害の因縁」があれば、夫婦お互いが憎しみ合うことになります。ま

るで親の仇のように憎み合って、朝から晩までけんかぽかりしています。

「それならば、別れてしまえばいいじゃないですか」

理屈ではそのとおりです。ところが、それが別れられないのです。いろいろな人間関係・経済的理由、その他さまざまな事情があって、とても離婚できません。これが因縁の恐ろしいところです。しかたがないから我慢をしようと思うのだけれども、我慢しきれなくて、毎日けんかを繰り返すのですから、日々地獄です。

 

 

 

その秘密が『三供養品』に説かれています。仏教の原点ともいえるこのお経をさっそく読んで

聞如是。一時仏在舎衛国祇樹給孤独

園。爾時世尊告阿難。有三善根。不

可窮尽。漸至涅槃界。云何為三。所

謂於如来所而種功徳。此善根不可窮

尽。於正法。而種功徳。此善根不可

窮尽。於聖衆而種功徳。此善根不可

窮尽。是謂阿難。此三善根不可窮尽

得至涅槃界。是故阿難。当求方便獲

此不可窮尽之福。如是阿難。当作是

学。爾時阿難聞仏所説。歓喜奉行

 

聞くこと是の如し。一時、仏、舎衛国祇樹給孤独園に在

しき。爾の時世尊、阿難に告げたまわく、「三善根(三

福遺)有り、窮尽す可からずして、漸く涅槃界に至る。

云何が三ど為すや。所謂如来の所に於て功徳を種う。此

の善根窮尽す可からず。正法に於て功徳を種う。此の

善根窮尽す可からず。聖衆に於て功徳を種う。此の善

根窮尽す可からず。是れを阿難、此の三善根は窮尽す可

か6 ず、涅槃界に至ることを得と謂うなり。是の故に阿

難、当に方便を求めて、此の窮尽す可からずの福を獲べ

し。是の如く阿難、当に是の学を作すべし」と。爾の時

阿難、仏の所説を聞きて歓喜奉行しぬ。

このように聞きました。仏さまがコーサラ国の祇園精舎にご滞在の時のことです。ある日、世尊は、阿難にこのようにお告げになられました。

「三善根(三福道)というものがありますが、その功徳は無限であり、涅槃界に至ることができ

るものです。なにをもって三つの善根(福)とするのでしょうか。(第一に)いわゆる如来の所に

おいて功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。(第二に)正法において功徳を種える、

この善根(福)の功徳は無限です。(第三に)聖衆において功徳を種える、この善根(福)の功徳

は無限です。阿難よ、この三善根(三福道)の功徳は無限であり、涅槃界に入ることができるの

です。したがって阿難よ、三善根(三福道)を修行して、この無限の福を得なさい。このように

阿難よ、この三善根(三福道)を学びなさい」

この教えを受けて、阿難は心より喜び、修行に励みました。

三善根を三福道と呼んでいます。このことについて説明し

ます。

『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で「三善根」を引くと、

【三善根】さんぜんごん 無貪善根・無限善根・無療善根の三根。一切の善法がこの三つから生まれるからである。それらは具体的には施・慈・慧となって現われる。三毒の対。と書かれています。しかし、この『三供養品』に説かれる三善根は、その内容がまったく異なります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、非常な誤解を生むもとだとわたくしは考えました。

それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?

経文中に、

「此の窮尽す可からざるの福を獲べし」

とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。したがって、わたくしはこれを「三福道」と命名しました。この名称ならば無貪善根・無職善根・無療善根の三善根と混同する

ことはありません。

 

三善根を「三福道」と変えて読誦しているのです。

さて、右の経文を一読すれば、涅槃界に至るためには三善根(三福道)が必要なのだ、という

ことをお釈迦さまが説かれているのが分かると思います。

涅槃界とはなんでしょうか?

普通は涅槃の境地・境界の意味で使われます(ただし本経では違う意味を持っておりますが、それについては後述します)。『五戒品』でも触れたように(本書三七頁参照)、涅槃とはサンスクリット語でニルヴァーナといいますが、生死を超越した境界、完全解脱の境地です。完全解説とは業と因縁から完全に解放された状態です。

わたくしたちは業と因縁の塊です。業と因縁によって輪廻転生を続けています。輪廻転生とは生死の流転がやまず、無限に生死の流転を繰り返すことです。まるで車の輪が廻るように絶え間なく、生と死を繰り返していくので輪廻転生といいます。また、生死流転、生々流転とも呼ばれます。直線ならば、いつかは終点にたどり着くでしょう。ところが輪というのは終わりがありません。終点がないわけです。輪が廻るから無限なのです。ただただ、グルグルグルグルと生死を繰り返すのです。

 

 

 

聞如是一時仏在舎衛国樹給孤独 園爾時世尊阿難。有三善根。 不 可窮尽。 至涅槃界。 何為三所 謂於如来所而種功德。此善根不可窮 尽於正法 而種功徳。 此善根不可 尽於聖衆而種功徳。 此善根不可 窮尽是謂阿難。此三善根不可窮尽 得至涅槃界。是故阿難。当求方便獲 此不可窮尽之福。如是阿難。当作是 学爾時阿難関仏所説。 喜奉行

 

聞くことの歌 舎衛国祇給孤独園に在 しきの時世尊、阿難に告げたまわく、「三善根(三 福道)有り、窮尽す可からずして、漸く涅槃界に至る。

 

何が三とすや。所謂如来の所に於て功徳を使う。 此 善 善根尽す可からず。 聖に於て功徳を種う。此の善此の す可からず。正法に於て功徳を種う。

尽す可からず。 是れを阿難、此の三善根は窮尽す可 からず、涅槃界に至ることを得と謂うなり。是故に 難当に方便を求めて、此の窮す可からずの福を獲べ 是の如く阿難当に是の学を作すべし」と。雨の時 阿難、仏の所説を聞きて喜奉行しぬ。

このように聞きました。仏さまがコーサラ国の祇園精舎にご滞在の時のことです。ある日、世尊は、阿難にこのようにお告げになられました。

「三善根(三福道)というものがありますが、その功徳は無限であり、涅槃界に至ることができ るものです。 なにをもって三つの善根 (福)とするのでしょうか。 (第一に) いわゆる如来の所に おいて功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。 (第二に) 正法において功徳を種える、 この根(福)の功徳は無限です。(第三に) 聖衆において功徳を種える、この善根 (福)の功徳 は無限です。 阿難よ、この三善根(三福道)の功徳は無限であり、涅槃界に入ることができるの です。したがって阿難よ、三善根(三福道)を修行して、この無限の福を得なさい。このように 阿難よ、この三善根 (三福道)を学びなさい」

この教えを受けて、阿難は心より喜び、修行に励みました。

冒頭でも触れたように、 阿含宗では三善根を三福道と呼んでいます。このことについて説明し

『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で「三善根」を引くと、

【三善根】さんぜんごん 無善根・無瞋善根・無癡善根の三根。 一切の善法がこの三つか ら生まれるからである。 それらは具体的には施・・慧となって現われる。 三毒の対

と書かれています。 しかし、この「三供養品」に説かれる三善根は、その内容がまったく異な ります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、非常な誤解を生 むもとだとわたくしは考えました。

それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?

「此の窮尽す可からざるの福を獲べし」

とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。 したがって、わたくしはこれを 「三福道」と命名しました。 この名称ならば無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三善根と混同する ことはありません。

そこで、阿含宗では、三善根を「三福道」と変えて読誦しているのです。

さて、右の経文を一読すれば、涅槃界に至るためには三善根 (三福道)が必要なのだ、という ことをお釈迦さまが説かれているのが分かると思います。

涅槃界とはなんでしょうか?

阿含経・三供品

普通は涅槃の境地境界の意味で使われます(ただし本経では違う意味を持っておりますが、それ については後述します)。 『五戒品』 でも触れたように(本書三七頁参照)、涅槃とはサンスクリット 語でニルヴァーナといいますが、生死を超越した境界、完全解脱の境地です。 完全解脱とは業と 因縁から完全に解放された状態です。

めんね てんしよう

わたくしたちは業と因縁の塊です。 業と因縁によって輪廻転生を続けています。 輪廻転生とは 生死の流転がやまず、無限に生死の流転を繰り返すことです。まるで車の輪が廻るように絶え

〇九三

五蘊の瞑想法 Meditation on the Five Aggregates

五蘊の瞑想法

### イントロ


仏の教え、雨の中語られぬ。
知恵の光に尽きる漏れ、
修習なき者、安穏得ず。

### サビ

勤めて修せば自然に解脱、
心に喜び、結蝶解く。
母鶏の子育てのごとく、
正しく修行で安穏得ん。

### イントロ

大舶の海辺に立ち、夏の風よ、
六月を過ぎ、藤の枝も断つ。
比丘よ、精勤の修行で、
悩みの結蝶、漸く解く。

### サビ

善く修習すれば心安らぎ、
自然に漏尽、解脱の道。
仏の教え、六十の比丘、
喜びの中、奉行しき。