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「霊性の場」

「霊性の場」

イントロ:
古き脳と新しき脳が
統べる力は視床下部に
クンダリニーが目覚めるとき
秘めたる力解き放つ

サビ:
超える時代の求聞持法
大脳の奥深く潜む
導引の気が巡り行く
未知の領域開かれる

 

“The Field of Spirituality”

Intro:
The power that governs the old brain and the new brain is in the hypothalamus
When the kundalini awakens
Hidden power is unleashed

Chorus:
The Gyumonji method of the transcendent era
The energy of guidance lurks deep within the cerebrum
Opens up unknown realms

“灵性的领域”

前奏:
控制旧脑和新脑的力量在下丘脑

当昆达里尼觉醒时

隐藏的力量被释放

合唱:
超越时代的牛文字法
引导的能量潜伏在大脑深处

打开未知的领域

霊性とはなにか

人間が、特殊な生命形態を持っているからである。

特殊な生命形態とはどういうものか?

 

釈尊の「成仏法」を修行すると、それがよくわかるようになるのであるが、ここは、瞑想によって悟を完成し、仏陀になられた大霊覚者ゴータマ・ブッダ、釈尊の語るところによって、 それを知っていただこう。

そのとき、わたしの心は、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動で あった。そしてわたしの心の眼はおのずから前世の光景に向けられていっ た。それは一生だけではなく、二生、三生、十生、二十生、そして無限の生 生きかわり死にかわりした光景が展開してきた。これが第一の智慧で ある。

 

科学でいっている、『リサ・ランドール 異次元は存在する、

『ワープする宇宙』

『リサ・ランドール 異次元は存在する』の方は「未来への提言」を活字に起こしたもので、100ページ足らずである。宇宙飛行士若田光一氏との対談が主となっていて、『ワープする宇宙』の内容を簡潔に伝えるとともに、内気な数学少女だったハイスクール時代からハーバード大学の教授になり、5次元理論で頭角をあらわすまでのライフ・ヒストリーが語られている。
 『ワープする宇宙』は章の頭にアシーナという11歳の少女の物語を置いて、枕にしている。アシーナはタイムマシンで現代にやってきたアイク・ラシュモア42世という未来人に導かれ、『不思議な国のアリス』そこのこけの冒険をして5次元時空の不思議を体験する。ルイス・キャロルが大好きだというランドールらしい趣向である。
 ランドールの5次元理論は余剰次元理論の一種だが、余剰次元理論はひも理論から出てきた。ひも理論では万物は振動する微小なひもだと考えるが、3次元でひもを振動させると振幅が宇宙規模に広がってしまうので、9次元+時間の10次元時空で振動を考える。10次元時空の振動だときれいに振幅がおさまるそうだが、3タイプのひも理論ができてしまった。その後、次元を1増やして11次元時空を考えると、3タイプのひも理論が統一的に理解できることがわかった。これをM理論という。10次元時空の3つのひも理論は、11次元時空のM理論の特殊な場合というわけである。
 10次元でも11次元でもいいが、われわれが知覚できるのは縦・横・高さの3次元だけである。時間をくわえても4次元にすぎない。残りの次元――余剰次元――はどうなっているのか。
 余剰次元はミクロの世界に縮んでいるというのがひも理論の答えである。

 

リサ・ランドールという若き天才物理学者の提唱する新しい宇宙理論

リサ・ランドールという若き天才物理学者の提唱する新しい宇宙理論が、
今全米の注目を浴びています。

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2006年1月11日号のNewsweekでは、
2006年世界のキーパーソンの一人に選ばれています。

彼女は実験によって素粒子を観察している過程で
突然実験空間から姿を消す素粒子を発見し、
その理論的解明に取り組んだ結果、
私たちが住み、知覚しているこの四次元世界(時間と三次元空間)と密接した形で、
時間、空間ともにひとつ次元の高い、五次元宇宙が存在しているのではないか
という理論に到達したのです。

ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く
ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く 塩原 通緒

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Warped Passages: Unraveling The Mysteries Of The Universe's Hidden Dimensions
Warped Passages: Unraveling The Mysteries Of The Universe’s Hidden Dimensions

五次元宇宙には、四次元世界が折り重なるように多層的に存在し、
その間を重力子を通して情報のやり取りをしているとのことです。

2007年には、スイスのジュネーブに建設中である
世界最大規模の衝突型加速器「大型ハドロンコライダー(LHC)」が完成し、
7兆電子ボルトで加速された陽子同士が正面衝突することにより、
彼女の想像した「五次元宇宙」証明への扉が開かれるかもしれません。

 

『ワープする宇宙』

『リサ・ランドール 異次元は存在する』の方は「未来への提言」を活字に起こしたもので、100ページ足らずである。宇宙飛行士若田光一氏との対談が主となっていて、『ワープする宇宙』の内容を簡潔に伝えるとともに、内気な数学少女だったハイスクール時代からハーバード大学の教授になり、5次元理論で頭角をあらわすまでのライフ・ヒストリーが語られている。
 『ワープする宇宙』は章の頭にアシーナという11歳の少女の物語を置いて、枕にしている。アシーナはタイムマシンで現代にやってきたアイク・ラシュモア42世という未来人に導かれ、『不思議な国のアリス』そこのこけの冒険をして5次元時空の不思議を体験する。ルイス・キャロルが大好きだというランドールらしい趣向である。
 ランドールの5次元理論は余剰次元理論の一種だが、余剰次元理論はひも理論から出てきた。ひも理論では万物は振動する微小なひもだと考えるが、3次元でひもを振動させると振幅が宇宙規模に広がってしまうので、9次元+時間の10次元時空で振動を考える。10次元時空の振動だときれいに振幅がおさまるそうだが、3タイプのひも理論ができてしまった。その後、次元を1増やして11次元時空を考えると、3タイプのひも理論が統一的に理解できることがわかった。これをM理論という。10次元時空の3つのひも理論は、11次元時空のM理論の特殊な場合というわけである。
 10次元でも11次元でもいいが、われわれが知覚できるのは縦・横・高さの3次元だけである。時間をくわえても4次元にすぎない。残りの次元――余剰次元――はどうなっているのか。
 余剰次元はミクロの世界に縮んでいるというのがひも理論の答えである。
 ストローを考えてほしい。ストローは離すと一本の線に見えるが、目に近づけてよくよく見るると円筒形をしており、長さにくわえて円周というもう一つの次元をもっている。余剰次元はストローの円周方向のように隠れているというのだ。
 余剰次元が本当にあるのかどうかはわからない。10次元にしろ、11次元にしろ、そう考えると式がきれいにまとまるという数学の都合の話であって、実証されたわけではない。だからひも理論でノーベル賞をとった学者はまだいない。
 縮んだ余剰次元を説明した条はみごとである。9次元+時間、もしくは10次元+時間であっても、3次元+時間と見なせることを、ランドールはニュートン万有引力の法則を例に説明する。引力は距離の二乗に反比例して弱まっていくが、これはホースで水をまくと、距離の二乗に反比例して水がまばらになっていくようなものだという。距離の二乗になるのは、水のまかれる面積が二乗で増えていくからである。水のまかれる面積が増えれば増えるほど、水はまばらになっていく。それと同じように、重力も距離の二乗に反比例して弱まっていく。
 もし余剰次元が縮んでいなかったら、重力は距離の8乗とか9乗で急激に弱まっていただろう。
 こんな説明はこれまで読んだことがなかった。しかもこの記述は重力が他の3つの力に較べて桁違いに弱い理由を解明した5次元理論の伏線となっている。
 『ワープする宇宙』が長いにはそれだけの理由があるのである。生クリームに砂糖をまぶしたような啓蒙書に物足りなくなっている人には、本書は打ってつけの本といえる。ランドールは先生として第一級にちがいない。

ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く

 

 

 

霊性とはなにか

霊性とはなにか

 

霊性(れいせい、れいしょう[1])は、非常にすぐれた性質や超人的な力能をもつ不思議な性質[1]、天賦の聡明さ[2]といった意味の漢語であり、肉体に対する[1][注釈 1]の意味でも用いられる。また、英語: spiritualityスピリチュアリティラテン語: spiritualitas の訳語でもあり[3]スピリチュアリティとも訳され、宗教心のあり方、特にカトリック教会などでの敬虔信仰などの内実やその伝統を指す[4]。カトリック神学用語としての霊性の起源は5世紀に遡るが[3]、神学用語として積極的に用いられるようになったのは20世紀初めのことである[5]。その後、キリスト教用語の枠を越えて広く宗教用語や一般文化用語として用いられている[3]

わたくしは、人間は霊的存在だと考えている。

なぜならば、人間が、特殊な生命形態を持っているからである。

特殊な生命形態とはどういうものか?

 

釈尊の「成仏法」を修行すると、それがよくわかるようになるのであるが、ここは、瞑想によって悟を完成し、仏陀になられた大霊覚者ゴータマ・ブッダ、釈尊の語るところによって、 それを知っていただこう。

中阿含経という釈尊直説の経典で、釈尊はこう語るのである。

中阿含経「黄蘆園経」

しょうじょう

 

我已に是の如き定心を得、清浄にして穢無く煩無く柔軟にして書く

 

不動心を得、宿命 智通を覚りて作証しぬ。我行 有り相貌 有り、本

 

無量の経歴せる所を憶うに、謂く一生・二生・百生・千生・成劫・

 

・無量の成敗劫なり。 彼の衆生某と名づけ、彼昔更に歴ぬ。我曾て彼に

 

生じ、是の如き姓、 是の如き字にして、 是の如く生じ是の如く飲食し、 是の

 

如く苦楽を受け、是の如く長寿し是の如く久しく住し是の如く寿り、此に死して彼に生じ、彼に死して此に生じ、 我生じて此に在り、 是の如き姓、 是の如き字にして是の如く生じ是の如く飲食し、 是の如く苦楽を受け、 是の 如く長寿しの如く久しく住し是の如く寿りぬと。これを我その時初夜に

この第一明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠離に楽住し、修行し精懃

謂く無智滅しても智生じ、闇壊れて而も明成り、無明滅して而も明生

じ謂く宿命 智を作証明達しぬ。 また次に梵志、我巳に是の如き定

心を得、清浄にして穢無く煩無く、柔軟にして善く住し不動心を得、 生死智

通を学び作証し、我清浄の天眼の人〔眼」を出過せるを以て、この衆生の

死時生時、 好色悪色、妙と不妙と、善処及び不善処に往来するを見、この衆 ぜんしょ

生の所作業に随いてその如真を見、若しこの衆生身悪 [行)、口・意悪行を

成就し聖人を誹謗し、邪見にして邪見業を成就すれば、彼これに因命終りて必ず悪処に至り地獄の中に生ぜん。 若しこの衆生身妙行、

意妙行を成就し、聖人を誹謗せず、正見にして正見業を成就すれば、 彼 これに因縁して身壊れ、命終りて必ず善処に昇り天中に上生せんと見 る]。 これを我その時中夜にこの第二明達を得と謂い、本放逸無きを以て遠 離に楽し修行精動し、謂く無智滅して而も智生じ、闇壊れて面も明成り、 無明滅して而も明生じ、謂く生死智を作証し明達しぬ。 また次に梵志、 我巳 にの如き心を得、清浄にして穢無く煩無く、柔軟にして善く住し不動心 を得、漏尽智通を学び作証し、我この苦の如真を知り、この苦の習を知り、 この苦滅を知り、この苦滅道の如真を知り、この漏の如真を知り、この漏 習を知り、この滅を知り、この滅道の如真を知り、 我是の如く知 是の如く見、欲漏心解脱し、有漏・無明漏心解脱し、解脱し巳りてすな わち解脱を知り、生巳に尽き梵行巳に立ち所作巳に弁じ、更に有を受けずと 真を知る。これを我その時後夜にこの第三明達を得と謂い、本放逸無きを 以て遠離に住し修行精勤し、謂く無智滅しても智生じ、闇壊れて而も明成り、無明滅して而も明生じ、謂く漏尽智を作証し明達しぬ。

(読下しは「国訳一切経」を参照させていただいた)

わたし(釈尊は、つねに努力精進し、その想いは確立してすこしもみだ れず、体は安楽で動揺せず、心は禅定に入って静かである。 そのわたしがあ るとき、瞑想に入ってしだいに禅定が深まってきた。 第一禅定から第二、第 三、第四禅定まで深まるにつれて、心に想い浮かぶなにものもなくなり、喜 びや楽しみだけとなり、そして遂にはそれもなくなって、ただ清浄な想いだ けとなった。

そのとき、わたしの心は、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動で あった。そしてわたしの心の眼はおのずから前世の光景に向けられていっ た。それは一生だけではなく、二生、三生、十生、二十生、そして無限の生 生きかわり死にかわりした光景が展開してきた。これが第一の智慧で ある。上の      文章を箇条書き   にして

 

ヒトを大事にする求聞持明法

この駄都如意求聞持聡明法は、真言密教につたわる求聞持法とはまったくちがうも
二つの特徴がある。
それは、
一、 クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的エネルギーを発生させる。
どうきよう
その超人的エネルギーを、中国・道教につたわる導引・気功の持つ生気ルー
トにのせて、体の要所要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に、大脳の中
枢である間脳・視床下部に送りこむ。
この二つの方法を、独特の方法で完成したのである。これは、前人未踏の領域であ
るといってよいであろう。
わたくしは、半生を、というより、一生をこの法の完成に注いだ。いまから約二〇
年前に発行した「変身の原理こよのののこ」以来、わたくしの著書はこの本で四〇冊になるが、そ
れらの著書のすべてが、この法の完成に至る道のりをあらわしたものであるといってう

これまでの大脳生理学が全く気づいていないが一つあったのだ。
これまでの大脳生理学は、古い皮質(旧皮質・古皮質)と、新しい皮質(新成質
しか知らなかった。ところが、このほかに、重要な脳がもう一つあったのであ
それは、他の二つの脳を統合し、コントロールする最も重要な脳であった。
そういう機能を持った脳のあることを、これまでの大脳生理学は知らなかった。
それは「間脳」と呼ぶ脳である。 大脳生理学、生理学としてこの脳のあるこ
とを知っていたけれども、その機能についてはほとんど知ることがなかったの
である。
わたくしは、この脳を、「霊性の場」と呼んで、『間脳思考』(一九八四年一月
刊行、河出版社)の中で、対談者の質問に対し、つぎのように答えている。

その第三の目がつまり、部位というわけです
ちゃちゃっとちがいます。
第三の目は、ラドクリフのいうように、
関係はある。ちょっとちがいます。
です。わたくしのいう霊性の
それよりすこし深部の視床下部のそばです」
「それはどうちがうのです乱を
「それはひどいうと、第三のというのは、霊的元のさまざ
愛を覚し、閉する能力を持つ。といったらよいでしょう。下の
どどの運常にあると思ったらし

間脳の視床下部が他の二つの脳を統合し、コントロールする最も重要な脳であった。

 

この文章をの作詩ください。
歌詞はイントロ4行、サビ4行してください

Agama Sutra 阿含経  4

Agama Sutra

 

**イントロ:**

縁起の教理、心に染み渡る
七科三十七道、修行の道しるべ
顕教の教え、解脱へと誘う
聖師の導き、魂を解き放つ

**サビ:**

シュダオン、初めの一歩
シダゴン、深まる瞑想
アナゴン、欲望を越えて
アルハット、解脱の彼方へ

 

 

Agama Sutra

**Intro:**

The doctrine of dependent origination penetrates into the heart
The seven branches and the thirty-seven paths are guideposts for training
The teachings of exoteric Buddhism lead to liberation
The guidance of the holy master liberates the soul

**Chorus:**

Sudaon, the first step
Sidagon, deepening meditation
Anagon, beyond desire
Arhat, beyond liberation

 

阿含经

**引言:**

缘起法深入人心
七支三十七道是修行的路标
显宗教法通向解脱
圣师指导解脱灵魂

**副歌:**

素达翁,第一步
西达贡,深化冥想
阿那贡,超越欲望
阿罗汉,超越解脱

ヒトを大事にする求聞持明法

ヒトを大事にする求聞持明法
求開待嘉明法は、ヒトを明にし、天才にするという真言密教に伝わる法である。
若くしてこれを修し、大人事となったということで、風に知られ
ている。また、新義貞言宗の開祖、興教大師定義(一〇九五―一一四が、七度
決して成功せず、八度目に悪を成し、成功したと伝えられる。常人の
のこされた業績をみれば、主人もまた天才であったことは疑いない。ただ残念なこと
四十八歳で亡くなられている。
教の求開待明法には、一種の法がある

と名づけた
のである。
おくわろう
この駄都如意求聞持聡明法は、真言密教につたわる求聞持法とはまったくちがうも
二つの特徴がある。
それは、
かくせい
一、 クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的エネルギーを発生させる。
どうきよう
その超人的エネルギーを、中国・道教につたわる導引・気功の持つ生気ルー
トにのせて、体の要所要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に、大脳の中
枢である間脳・視床下部に送りこむ。
この二つの方法を、独特の方法で完成したのである。これは、前人未踏の領域であ
るといってよいであろう。
わたくしは、半生を、というより、一生をこの法の完成に注いだ。いまから約二〇
年前に発行した「変身の原理」以来、わたくしの著書はこの本で四〇冊になるが、そ
れらの著書のすべてが、この法の完成に至る道のりをあらわしたものであるといってう

 

 

これが早くわがうのだ。
これまでの大脳生理学が全く気づいていないが一つあったのだ。
これまでの大脳生理学は、古い皮質(旧皮質・古皮質)と、新しい皮質(新成質
しか知らなかった。ところが、このほかに、重要な脳がもう一つあったのであ
それは、他の二つの脳を統合し、コントロールする最も重要な脳であった。
そういう機能を持った脳のあることを、これまでの大脳生理学は知らなかった。
それは「電話」と呼ぶ脳である。 大脳生理学、生理学としてこの脳のあるこ
とを知っていたけれども、その機能についてはほとんど知ることがなかったの
である。
わたくしは、この脳を、「霊性の場」と呼んで、『間脳思考』(一九八四年一月
刊行、河出版社)の中で、対談者の質問に対し、つぎのように答えている。

 

その第三の目がつまり、先生のおっしゃる霊性の部位というわけです
ちゃちゃっとちがいます。
第三の目は、ラドクリフのいうように、
関係はある。ちょっとちがいます。
です。わたくしのいう霊性の
それよりすこし深部の視床下部のそばです」
「それはどうちがうのです乱を
「それはひどいうと、第三のというのは、霊的元のさまざ
愛を覚し、閉する能力を持つ。といったらよいでしょう。下の
どどの運常にあると思ったらし
ood

 

 

 

 

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「20240815」に変更になります。

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仏陀の超能力 サヘト マヘトへ(地名)

仏陀の超能力

サヘト マヘトへ(地名)

 

スラバスティの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じてここに土地を求め、大精舎を建立した。 仏陀の名声は四方につたわり、教えを乞うもの踵を接した。 この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それらの寺院の指 導者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷した。 中でもとくに、 仏陀を口のうまい山師にすぎないといいふらした。口さきで理論を説くだけで、なに一 神通力を持っていない、要するに口舌の徒であるという批難であった。当時のインド の宗教界では、指導者となるためには、なんらかの神通力を持つことが必須の条件と されていた。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この地に来 てから一度もその力を示すことがなかったのである。

他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、これを攻撃し たわけである。仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っている高弟たちは、一度、 ぜひその力を示されるようおねがいしたが、仏陀は承知されなかった。いよいよ神通力 などないと思いあがった他教団の指導者たちは、自分たちのパトロンである他の長者や 勢力者たちを通じて、スダックに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこ の地を去るという条件である。 スダックもついにことわりきれず、仏陀に試合をし

た。あるいは、スダッタも仏陀の神通力を見たかったのかも知れない。仏陀もスダッタ の立場を考慮され、ついにこれを承諾された。

その日、他の教団の指導者たちが、これみよがしにさまざまな神通力を競い合ったさ いごに、仏陀がすがたをあらわされた。

仏陀は三層の高楼の露台にそのおすがたをあらわされたのである。いかなる神通力を あらわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと仏陀は露台の手すりを無 作に乗り越えられ、空中に足を踏み出されたのである。一瞬、手をはなされる。仏陀墜 落! とみるまに、仏陀はそのままゆっくりと空中浮揚して、庭園にむらがる大衆の 頭上を越え、 きよらかな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波 をたてる清涼池の水の上に、仏陀はしずかに立っておられるのである。 群衆が思わずわ が目をうたがったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃えあがり、下半身は玉の ような水と化したのである。

目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力者をはじめ、 すべてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかった。

Buddha’s supernatural powers

Sahet Mahete (place name)

The great elder Sudatta of Sravasti invested a large sum of money in order to acquire land for the Buddha, and built a large temple here. The fame of the Buddha spread in all directions, and those who sought his teachings came to him. There were many temples of Jainism and other heretical religions in the vicinity. The leaders of these temples were jealous of the Buddha’s fame and slandered him in various ways. In particular, they spread the word that the Buddha was nothing more than a smooth-talking charlatan. They criticized him for only preaching theories with his mouth and not having any supernatural powers, in other words, for being a man of words. In the religious world of India at that time, it was considered essential to have some kind of supernatural power in order to become a leader. However, the Buddha was reluctant to show his supernatural powers unnecessarily, and he never showed them since coming to this place.

The leaders of other religious orders thought that this was because the Buddha did not have the power, and attacked him. The disciples, who knew that the Buddha possessed great supernatural powers, asked him to demonstrate his powers once, but the Buddha refused. The leaders of other religious orders, who were increasingly arrogant and believed that the Buddha did not have supernatural powers, asked Sudhak, through their patrons, other wealthy people and powerful people, to challenge the Buddha to a supernatural contest. The condition was that the loser would have to leave the land. Sudhak could not refuse at last, and challenged the Buddha to a contest. Perhaps Sudatta also wanted to see the supernatural powers of the Buddha. The Buddha, taking Sudatta’s position into consideration, finally agreed.

That day, after the leaders of other religious orders had ostentatiously competed against each other in various supernatural powers, the Buddha appeared.

The Buddha appeared on the terrace of a three-story building. While the crowd watched with bated breath, wondering what supernatural powers he would display, the Buddha suddenly climbed over the railing of the terrace and stepped into the air. In an instant, his hands were released. “Buddha falls!” they thought. The Buddha then slowly rose into the air, flying over the heads of the crowd gathered in the garden, and stood on the garden’s pond, which was filled with pure, clear water. The Buddha stood quietly on the refreshing water of the pond, which rippled in the gentle breeze. The crowd was dumbfounded, and in that moment, the upper half of the Buddha’s body burst into flames and the lower half turned into a ball of water. The great supernatural power they witnessed caused all the people, including the leaders of other religious groups and local powerful people, to kneel down on the spot and be unable to lift their heads.

愛のために智恵のために 仏陀が奇蹟

愛のために智恵のために

目の中を白い光が飛んだ。剣道で力いっぱい面を打たれたとき、目の中を走るあの 閃光に似ていた。わたくしは思わずくらくらとして、額に手をあてた。一種のバイブレ ーションであることはわかった。わたくしも密教の修行者として各地の霊場とあるき 何度か霊的なバイブレーションをうけている。しかし、こんなすさまじい叩きつけるよ うなバイブレーションははじめてであった。 しかもまったく無防禦だったので、完全に 不意をつかれたという感じだった。どこでも霊場へ入るときは、それなりの心がまえを して入る。だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめられるのだが、ここでは 全く無だったので、その衝撃はことにつよかったのだ。数秒つづいたように感じた が、それはほんの一瞬のようであった。師の大きな声がふたたび耳によみがえってきた。 「待ってください」

わたくしは手をあげて師を制した。

「ちょっと待って。 わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じたのです。そ れはものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からきました。 あれはなんです か? あの地は―」

わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。五十メートルほど前方に、

雑草の生いしげった凹地があった。そこから、それがきたと思われた。

ああ、あれですか」

と師はうなずいた。

「あれは、ミラクルの池です」

「ミラクルの池?」

の池とよぶのです」

たのです」

そう、 ミラクルの池。 仏陀が奇蹟をおあらわしになった。そこであそこを、ミラクル

「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」

「それは、仏陀が空中浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半身を水に変え

「ほう、それはどういうことですか?」

それはですね、と師の説明によると、こうであった。

サイトマトからバチカンベル

スラバスティの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じてここに土地

を求め、大精舎を建立した。 仏陀の名声は四方につたわり、教えを乞うもの踵を接した。 この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それらの寺院の指 導者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷した。 中でもとくに、 仏陀を口のうまい山師にすぎないといいふらした。口さきで理論を説くだけで、なに一 神通力を持っていない、要するに口舌の徒であるという批難であった。当時のインド の宗教界では、指導者となるためには、なんらかの神通力を持つことが必須の条件と されていた。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この地に来 てから一度もその力を示すことがなかったのである。

他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、これを攻撃し たわけである。仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っている高弟たちは、一度、 ぜひその力を示されるようおねがいしたが、仏陀は承知されなかった。いよいよ神通力 などないと思いあがった他教団の指導者たちは、自分たちのパトロンである他の長者や 勢力者たちを通じて、スダックに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこ の地を去るという条件である。 スダックもついにことわりきれず、仏陀に試合をし

た。あるいは、スダッタも仏陀の神通力を見たかったのかも知れない。仏陀もスダッタ の立場を考慮され、ついにこれを承諾された。

その日、他の教団の指導者たちが、これみよがしにさまざまな神通力を競い合ったさ いごに、仏陀がすがたをあらわされた。

アルコー

仏陀は三層の高楼の露台にそのおすがたをあらわされたのである。いかなる神通力を あらわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと仏陀は露台の手すりを無 作に乗り越えられ、空中に足を踏み出されたのである。一瞬、手をはなされる。仏陀墜 落! とみるまに、仏陀はそのままゆっくりと空中浮揚して、庭園にむらがる大衆の 頭上を越え、 きよらかな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波 をたてる清涼池の水の上に、仏陀はしずかに立っておられるのである。 群衆が思わずわ が目をうたがったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃えあがり、下半身は玉の ような水と化したのである。

目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力者をはじめ、 すべてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかった。

わたくしは、額に手をあてて師の説明を聞いていた。途中からふいに、やわらかなバ イブレーションとともに、ひとつの概念思考の流れがしずかにわたくしの脳髄ふか くれこんでくるのを感じたのである。わたくしは、自分の思念をまったくとめて、そ れをすなおにうけいれていた。突如、さいごに、すさまじい戦慄が走った。全身の血が いっぺんにひいてゆくような、 名状しがたい恐怖感の襲撃だった。それがおわったとき、 師の説明もおわった。

「先生、その上半身が火となって、下半身が水となる、というのは、どういうことで しょうか?」

だれかがわたくしに質問した

ナベトベトからバチカンペ

「ああ、それはね、全身のチャクラが、すさまじいパワーで、エネルギーを放射したの でしょう。空中浮揚をするために、仏陀は全身のチャクラにすさまじいエネルギーを集 中した。池の上に降り立って、そのエネルギーを放射したのでしょう。そのエネルギー の放射が、炎のように見えたのだね。 チャクラがエネルギーを放射すると、全身が炎に つつまれたようになって見えます。 これは、ヨーガ・スートラなどにも書いてある。そ

ういうとき、しばしば、からだが透明状になることがある。 下半身が水になったという のは、仏陀のおすがたがそのとき、透明になったので、池の水が反映して、水のように 見えたのでしょう。このミラクルは、クンダリニー・ヨーガの最高の技術をみせられ たものと、わたくしは考えます。そういえば、わたくしは、以前、仏陀は、クンダリニ ヨーガの熟達者だった、と本に書いたことがあります」

そう、わたくしは説明しながら、はやく、ひとりになって思考をまとめたいと思って いた。さきほど流れこんできたあの思念の流れあれはいったいなんであったのか? 必死に、わたくしは、それを散らすまいとしてみつめつづけていた。はやく、ひとつの ものにまとめたいと思っていた。

それができたのは、それから数時間後、ラクノウという都市に着いて、ホテルに入っ たときであった。

わたくしは、あわただしく自分の室に入って、シャワーを浴びると、すぐに定にはい った。ミラクルの池でのあの体験を、もう一度再現しようと思ったのである。

定にはいると、すぐに手がはげしく動いた。「自動書記だな」と直感した。 これは、

霊的状態になって手が無意識に動き、文字を書くのである。 すぐ、ノートを、と思った が、あいにく、このホテルは、宿泊するのではなく、午後九時発の夜行列車に乗るまで 三、四時間を、休息と食事のために入ったので、トランクその他、筆記用具を入れた 鞄はすべて、みんなの荷物といっしょに、下のロビーに預けてしまっていた。手もとに は何もない。 しかし、とりにいっているひまはない。時期を逸したら、もう二度とこの 手の動きはもどって来ないかも知れぬのだ。

わたくしはあわただしく座を立って、机のひき出しをさがした。あった! さいわい、 ホテルのメモ用紙が数枚あった。 ボールペンもある。むしゃぶりつくようにペンをにぎ ると、それは勢いよくメモの上を走った。

最初、それは脈絡のない単語や名詞の羅列であった。しかし、それは、ミラクルの池 あの思念の流れと一致していた。わたくしは、食事もとらず、出発までの時間を挙げ これに傾注した。整理して、さいごに書きあげたのがつぎの文章であった。

それは突然ななめ前方からやってきた。

一瞬、目がくらむほどの衝撃だった。

そんなことなどぜんぜん予期しておらずまったく無防備だった自分は、あっという まにその衝撃に叩きのめされてしまったのだ。

修行、学問、そんなものはなんの役にも立たぬものであることを思い知らされた。 こころひそかに誇っていたこれまでの自分の修行も教学も、あっというまに消しと んでしまった。叩きのめされてしまった。

これなんだ、これでなくてはならないのだ。これしかないのだ。目もくらむような あの白銀の輝きにみちたバイブレーション

〇〇年の修行も万巻の教学も、ただ一瞬のこの霊的バイブレーションに如かぬこ とを思い知らされた。

これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそわたくしは ここにやってきたのだ。

おお、サイト・マイト、聖なる地

そうですか。

あなたはここに待っていてくださった。

わたくしがいまあなたから受けたものを、これからわたくしはひとびとにあたえね ばならぬ。

いま、わたくしは聖者であることをつよく自覚する。

すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることのできる聖地を、わ たくしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたサイト・マヘトの地を、 そのまま、日本の国にうつさねばならぬ。それがわたくしの使命だったのですね。 それをかならずはたすことをわたくしはあなたに誓います。

もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね。だが、そのときなに が起きるのでしょうか? そのとき起きることを、わたしは非常なおそれの 感情とともに予感します。

一瞬の霊的バイブレーション!

一〇〇年の苦行も万巻の書物も、このバイブレーションなくしては、路傍の石ころ にも劣るのだった。このバイブレーションをあたえることのできる聖者こそ、真の 導師だったのだ。理解できました。

聖師よ、ありがとう!

サト・アウトからバチカン

書き終えて、わたくしは虚脱状態になった。

昭和五十五年十一月八日

ラクノウのホテルにて るす。

その虚脱状態は、帰国するまでつづいたといってよい。デリーでのパーティー、アジ キャンタ エローラ石窟寺院と、その後の旅程はつづいたが、わたくしのこころはつ ねにあのミラクルの池の思念の流れに向けられていた。ホテルで一応ああいうかたちに