UA-135459055-1

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塔寺の中庭には、静かな風がそよぎ、木々の葉がささやくように揺れていた。青空の下、修行者の僧たちは黙々と歩き、深い瞑想に沈んでいる。若い優婆塞、名をアラカとする彼は、その静寂の中に足を踏み入れた。彼は師から教わった「信・戒・施」の教えを胸に刻みながら、今日も塔寺を訪れ、正法を学び続けていた。

「アラカよ、信仰、戒律、布施――これらは仏道修行の基本である。しかし、それだけでは不十分だ。真の優婆塞となるには、さらに聞・持・観の修行を積まねばならぬ」と師は何度も繰り返した。

アラカは師の言葉を思い出しながら、塔寺の奥へ進む。道場の扉を開けると、中には座禅を組んでいる師、沙門のアジャリがいた。アラカは静かに師の前に座り、一心に耳を傾けた。今日も師から説かれる正法の言葉を、ひとつも漏らさぬよう心を集中させる。

「聞くことが大事だ、アラカよ。しかし、ただ聞くだけでは足りぬ。聞いた教えをしっかりと心に留め、自分のものとしなければならない。それが持だ。」

アラカは頷き、師の言葉を反芻する。彼は、聞いた教えを持ち続け、自分の生活や心の中で生かそうと日々努めていた。だが、師は続ける。

「だが、それだけでもまだ足りぬ。持った教えを深く観察し、その中にある真理を見出さねばならぬ。これが観の修行だ。心を澄ませ、諸法の深い意味に目を向けるのだ。」

アラカは悟る。聞・持・観、この三つが揃って初めて真の修行が成り立つのだと。そして、それが完全な優婆塞への道であることも理解する。仏の教えをただ聞くだけでなく、それを深く心に刻み、さらにその奥に潜む真理を見つけ出す。それこそが修行者の務めであり、彼が目指す道だった。

「精進するのだ、アラカ。信・戒・施だけではなく、聞・持・観を積み重ねて、真の道を歩め」と師の言葉が静かに響いた。

その日、アラカは塔寺を後にし、静かな夕暮れの中、帰路に就いた。だが、彼の心はもう一度塔寺に戻り、師の前で正法を聞く時を待ち望んでいた。聞・持・観――その三つの修行が彼の未来を照らす光となるだろうと信じていた。

 

修行者を進歩させる聞・持・観

しましょう。 しかし、その人がチラシをまくのをやめて、チラシまきをしていた時間だけアルバ イトを行い、それで得たお金の一部を阿含宗に寄付して、残りを自分の懐に入れれば、自分も阿 含宗も得をするのではないだろうかと考えて、そのように実行したとしましょう。それで本当に この人は得をするかといえば、おそらく計算通りにはいきません。たとえうまくいったとしても、 計算で予想できる結果以上のことはできません。 そろばん勘定を離れ、欲得を抜きにして仏さま のために働くことによってのみ、奇蹟的なすばらしい結果が得られるわけです。

チラシまきや護摩木判押し、布教伝道などの時間を商売などに使う方が自分にとってプラスに なるだろう、というようなこざかしいことを考えて行動しても、うまくいくわけがないのです。 嘘だと思うならばやってごらんなさい。 最初はうまくいったように見えても、三年後、五年後、 十年後を見てみると、決してうだつは上がっていません。 わたくしは、何人もそういう人を見て おります。いや、わたくし自身も昔はそうだったのです。けれども仏さまの教えに目覚め、損得 抜きに生きてきたおかげで、ひとかどの成功を得ることができました。

みなさんも損得勘定を捨てなさい。少なくとも、仏さまのお手伝いをする、あるいは仏さまを 礼拝する時は、 そろばん勘定を捨ててやってごらんなさい。そして、本業にも精を出してごらん なさい。そうすれば、必ずすばらしい結果を導き出すことができます。これは、お経に書いてあ るからいっているのではなく、わたくしの経験からお話ししているのです。わたくしを信じて、 そろばん勘定を離れて純真に仏さまのために尽してごらんなさい。 絶対に道は開けるのです。

修行者を進歩させる聞・持・観

不能随時往詣沙門聽受正法。是則不 具。以不具故精勤方便。随時往詣塔 寺見諸沙門。不一心聽受正法。是不 具足。信戒施聞修習満足。聞已不持。 是不具足。以不具足故精勤方便。随 時往詣沙門專心聽法。聞則能持。不 能観察諸法深義。是不具足。不具足 故精勤方便。 信戒施聞。 聞則能持。 持已観察甚深妙義。

  • 現代語訳

ずい

ごんぼうべん

もんしゅじゅうまんぞく

じん かんざ

ちようじゅ

「随時に門に往して正法を愛することわざる は、是れ則ち具せざるなり。具せざるを以ての故に精 動方便し、随時に塔寺に往詣して諸の門に見える。 心に正法をせざるは、是れ具足せざるなり。信戒施

聞修習 満足す。聞きりて持たざるは、是れ具足せざ るなり。 具足せざるを以ての故に精勤方便し、随時に沙

せんしん ちょうほう

すなわ よじ

門にして心に聴法、聞けば則ち能く持す。諸法

の深義を観察することわざるは、是れ具足せざるなり。 具足せざるが故に精勤方便し、信戒し、聞けば則ち じんじん みょうぎ 持して甚深の義を観察す」

「もろもろの都合をつけて、おりあるごとに出家のところへ参詣し、正法を拝聴しなければ、真 の優婆塞とはいえません。 努力と工夫を重ねて出家のいる塔寺に参詣し、 沙門の教えを受けなさ

い。この修行を聞といいます。 一心に正法

しかし、拝聴するだけでその内容を身につけなければ、やはり真の優婆塞とはいえません。で すから、おりあるごとに出家者を訪れ、専心して説法を拝聴し、聞いた内容をよく身につけて保 ちなさい。これが持の修行です。

諸法の深い意味を観察する修行を観といいますが、この観がなければ、やはり真の優婆塞とは いえません。努力と工夫を重ねて、信戒・施・聞の修行を行い、聞で学んだことを持の修行で よく保ち、保った内容の深い意味を観察して、観の修行を実践しなさい」

さて、お釈迦さまは今までのところで、完全な優婆塞になるには信・戒・施が必要である、と 説かれました。信とは仏・法・僧の三宝に対して信仰の心を持つこと、戒とは浄戒を保つこと、 そして施とは布施をすることですが、この三つが仏道修行の根本となる三大原則です。 この三つ のない仏道などあり得ません。この信・戒・施が仏教の核である、といえます。

しかし、お釈迦さまは、この三大原則を備えてもまだ完全な優婆塞とはいえない、とおっしゃ っております。

「沙門に往詣して正法を聴受することわざるは、是れ則ち具せざるなり」とありますが、これ 沙門のいるところ、つまり、道場(精舎)にお参りに行って、お釈迦さまや僧侶から、正しい 仏法を聞かなくては、信・戒・施を備えていても十分とはいえない、ということです。ですから

お釈迦さまは、せっせと道場に足を運んで法を聞きなさい、と説いておられるのです。 これは、みなさんも同じことです。

あなたがたも道場に来て、いろいろな教えを聞かなければいけません。なぜならば信・戒・施 だけでは、いくらやっても進歩しないからです。たしかに信戒・施は仏教の三大原則ですが、 修行者として進歩するためには、教えを聞かなければいけません。 最低でも毎月の例祭には参加 して、わたくしの法話を聞くことが肝心です。 例祭に出られなかったならば平日でも土日でもよ いから時間をつくって道場にお参りし、ビデオでその月の法話を聞くことが必要です。 これをや らなければ進歩しません。

それはなぜでしょうか?

教えを聞かないと独断的になるからです。 ついつい、自分勝手な判断をするようになってしま います。

「これはこうだから、こうに違いない」

てんじょう のぞ

と非常に視野が狭くなってしまうのです。もっと別の角度から大きな視野で見なければいけな いのに、自分の勝手な判断しかできなくなってしまいます。

くだ もつ てんうかが

『荘子』の「管を以て天を窺う」という言葉が元だと思いますが、昔の「いろはがるた」に「葦

の髄から天井を覗く」というものがありました。 葦の髄とは、葦の茎の部分のことで、 これは、 ちょうどストローのように中が空洞です。 その葦の茎の穴から天井を覗いて見るならば、どれほ 広い天井でも、茎の穴の広さだけしか見えないという意味です。 それと同じで、わたくしの法 話も聞かないで、自分勝手に物事を判断して、

「あれがおかしい、これが変だ」

とぶつぶついっている人は、まさにこの「葦の髄から天井を覗く」なのです。

ですから、毎月の法話は必ず聞く。これは修行者として正しく成長する上で非常に大切なこと です。

「精勤方便し、随時に塔寺にして諸の沙門に見える。 一心に正法を受・・・・・」とあるように、 時間の許すかぎり塔寺、つまり道場に足を運び、もろもろの沙門にお会いしてお話を聞きなさい それも一心に聞きなさい、というわけです。

この、道場へお参りに行って法話を聞くことが、 です。 あるいは、「往詣して」 とあります から、参拝するという面を強調して詣と呼ぶ場合もあります。

時々、例祭に出られないからと平日に道場に来て、勤行だけをさっとやって、終わるとすぐに 帰っていく、という人がいます。 行はもとより、ビデオで法話を学ぶことなどまったくしませ ん。ただ、勤行をするだけです。これでは聞にならないだけではなく、本当の意味での詣にもな りません。

そのような人は仕事やなにかで忙しくて、法話を聞く余裕さえないのかもしれませんが、やは 例祭に出られなかった場合には、違う日に道場へお参りして一生懸命に勤行すると同時に、法 話をビデオで学ぶことが大切です。あるいは例祭に出ている人も、もう一度勉強のために道場に ビデオを見ることが大切です。 「随時に塔寺に往詣し」とあるように、道場にお参りするの は時間の許すかぎり何回でもかまいません。 別に、お参りは月一回だけという決まりはないので

すから、余裕があれば何度でもお参りして、できるだけ法話のビデオを観ることが大切です。 次に、お釈迦さまは、「専心に聴法し、聞けば則ち能く持す」、とおっしゃっております。人に よっては耳の痛いことかもしれませんが、これは、法話を聞くと同時にそれを受持しなさい、と いう意味です。早い話が、法話をいくら聞いても、聞いただけで、右の耳から左の耳へ抜けてし まうのではだめですよ、それを常に保たなければいけませんよ、とおっしゃっているわけです。 法話を聞いて、

「なるほど。こうしなければいけないのか。こうなのだな」

と思ったならば、それを受持しなければいけません。お経には持と書いてありますが、要する に聞いたものは落とさずに持っていなさい、ということです。さらに、持は、実行するという意 味でもあります。

わたくしはいつも思うのですが、お釈迦さまはじつにやさしく、誰にでも分かるようにお話を されます。難しいことを難しく説明するのは簡単です。難解なことをやさしく説くというのが、 いちばん難しいのです。お釈迦さまの説法はまさに名説法です。

さて次に、「諸法の深義を観察することわざるは、是れ具足せざるなり」とあります。これ は、法話を聞いたならば、その意味について観察・工夫をしなければいけませんよ、という意味 です。

法話というものは、聞いてただ暗記するだけでは、本当の意味で自分のものにはなりません。 受持すると同時に、たとえば、

「徳を積みなさいといわれたけれども、徳を積むとはどういうことなのか? 自分はどのよう

ゴマ

/16(月・祝)13:30より「9月冥徳祭」が本部・各道場で中継されます。
また、今月は遠軽サテライトでサテライト・ライブビューイングを行います。

ライブ配信アドレス
★9/16(月・祝)13:30開始 「9月冥徳祭」
https://agon-live.com/m811/
※再配信:16日18時から72時間

【お知らせ】
10/13(日) 阿含宗開祖 九回忌 法恩感謝・涅槃会大法要「御仏花」と「御供養料」がスマホからお申し込みできるようになりました。
24時間、いつでもどこでもお申込みいただけます、

すでに阿含宗公式LINEラインを登録されている方は、

修行の根本となる信

修行の根本となる信

摩訶男白仏。世尊。云何為満足一切 優婆塞事。仏告摩訶男。若優婆塞有 信無戒。是則不具。当勤方便具足浄 戒具足信戒。

まんぞく

いつさいうばくじ

摩訶男、仏に白さく、「世尊よ、何が一切優婆塞事を

満足すと為すや」と。仏、摩訶男に告げたまわく、「若

しんみ か

すなわ

優婆塞信有り無くば、是れ則ち具せず。当に勤方

べん じょうかい

しんかい

便浄を具足し信戒を具足すべし」

  • 現代語訳

と。

  • 解説

阿含経

マハーナーマは仏さまに申し上げました。

「世尊よ、完全な優婆塞になるには、どのようにすればよろしいのでしょうか?」

仏さまはマハーナーマに告げられました。

「その者に信があっても戒がなければ真の優婆塞とは呼べませんから、精進して浄戒を守って、 信と戒の両方を身につけなさい」

さて、マハーナーマはお釈迦さまのお答えをうかがってから、「世尊よ、云何が一切優婆塞事 を満足すと為すや」と再び質問しました。

さきほどのマハーナーマの質問に対して、お釈迦さまは、

「仏の前で、私は死ぬまで仏・法・僧の三宝に帰依いたしますから、優婆塞として私をお認めく ださい、といえば優婆塞になる」

とおっしゃいましたが、これは要するに形式上のことです。 深い中身については触れておられ ません。ですから、マハーナーマは優婆塞事を満足するには、どうすればよいか、つまり、 「完全な優婆塞になるには、どのようにすればよろしいのでしょうか?」

と、再び質問したわけです。

すると、お釈迦さまはマハーナーマに、「若し優婆塞信有りて戒無くば、是れ則ち具せず。 当 に勤方便し浄戒を具足し信戒を具足すべし」と答えられました。 これは、

「その者に信があっても戒がなければ、満足な優婆塞と呼べないから、精進して浄戒を守って、 信と戒の両方を身につけなさい」

という意味です。

優婆塞になった以上、必ず信はあるはずです。 もしも、仏さまの教えを信じる気持ちがなけれ ば、なにも仏さまのところへきて、自分は仏・法・僧に一生帰依いたします、と誓うわけがあり ません。ですから、 優婆塞であるからには、仏・法・僧を信じ仰ぐ、という心は必ずあるはずで

 

 

 

宗教においては信がいちばんの根本です。 これがなかったならば、どうしようもありません。 信じたい、信じよう、信じる。 この気持ちがあって初めて、お釈迦さまの教えを実行しよう、と いう気になるのです。 そこで優婆塞になる。

皆さんはこのお経を読んで、二千数百年前にお釈迦さまがマハーナーマに説法しているお経な のだと思うようではいけません。お経というものは、お釈迦さまが今、この自分のために説い てくださっているのだ、と思って読まなければいけないのです。そうして初めて、お経と自分と の間に血が通うわけです。

浄土真宗の開祖である親鸞上人(一一七三-二二六二)は、

「仏は親鸞一人がためにこの経阿弥陀経』)を説き拾う」

というようなことを述べておられます。お釈迦さまは自分一人のために『阿弥陀経』をお説き になられたのだと確信しながら、親鸞上人は「阿弥陀経』をお読みになったとされておりますが、 これが本当のお経の読み方です。

「ははあ、二千数百年前にお釈迦さまがマハーナーマに、こういうふうに説教されているのか

というような読み方では、とてもお経の本質を見抜くことはできません。ましてや、そのお経 に書かれていることを現実に生かすことなど、絶対に不可能です。

「お釈迦さまは、この自分に対してお説きくださっている!」

そのように、心の底から感激して読むのが、正しいお経の読み方です。

はくいんぜんじ

わたくしは臨済宗 中興の祖と謳われる白隠禅師(一六八五一七六八)の施行歌』を初め 読んだ時に、親鸞上人と同じような気持ちになりました。 まだ二十代でしたが、そのころのわ たくしは病気を患って、やりたいと思う仕事もできず、病気が回復しても事業がうまくいかずに、 日々悩み苦しんでいました。 友人たちはどんどん出世し、自分だけが取り残されていく中で、 「才能のあるおれが、どうして世の中に出られないのだ。あいつだって、こいつだって、おれよ りは決して頭はよくない。ああいう連中が世の中にどんどん出ていくのに、おれがうまくいかず に貧乏をするのはどういうわけだ。世の中というものは、本当に目がないやつらばかりがそろっ 「ている」

と考えて、いつも不平不満ばかり言っていたのです。

その「施行歌』の、

こんじゅうふうき

ほどこ

そのような時です、 白隠禅師の『施行歌』を読んだのは。

富貴する人は前世に蒔く種がある

今生せぬ人は 未来はきわめて貧なるぞ

利口で富貴がなるならば純なる人はみな貧か

利口で貧乏するを見よ

此世は前生の種次第 未来は此世のたね次第・・・・・・」

という部分を読んで、頭をガツンと殴られたような気がしました。

 

 

宗教においては信がいちばんの根本です。 これがなかったならば、どうしようもありません。 信じたい、信じよう、信じる。 この気持ちがあって初めて、お釈迦さまの教えを実行しよう、と いう気になるのです。 そこで優婆塞になる。

皆さんはこのお経を読んで、二千数百年前にお釈迦さまがマハーナーマに説法しているお経な のだと思うようではいけません。お経というものは、お釈迦さまが今、この自分のために説い てくださっているのだ、と思って読まなければいけないのです。そうして初めて、お経と自分と の間に血が通うわけです。

浄土真宗の開祖である親鸞上人(一一七三-二二六二)は、

「仏は親鸞一人がためにこの経阿弥陀経』)を説き拾う」

というようなことを述べておられます。お釈迦さまは自分一人のために『阿弥陀経』をお説き になられたのだと確信しながら、親鸞上人は「阿弥陀経』をお読みになったとされておりますが、 これが本当のお経の読み方です。

「ははあ、二千数百年前にお釈迦さまがマハーナーマに、こういうふうに説教されているのか

というような読み方では、とてもお経の本質を見抜くことはできません。ましてや、そのお経 に書かれていることを現実に生かすことなど、絶対に不可能です。

「お釈迦さまは、この自分に対してお説きくださっている!」

そのように、心の底から感激して読むのが、正しいお経の読み方です。

はくいんぜんじ

わたくしは臨済宗 中興の祖と謳われる白隠禅師(一六八五一七六八)の施行歌』を初め 読んだ時に、親鸞上人と同じような気持ちになりました。 まだ二十代でしたが、そのころのわ たくしは病気を患って、やりたいと思う仕事もできず、病気が回復しても事業がうまくいかずに、 日々悩み苦しんでいました。 友人たちはどんどん出世し、自分だけが取り残されていく中で、 「才能のあるおれが、どうして世の中に出られないのだ。あいつだって、こいつだって、おれよ りは決して頭はよくない。ああいう連中が世の中にどんどん出ていくのに、おれがうまくいかず に貧乏をするのはどういうわけだ。世の中というものは、本当に目がないやつらばかりがそろっ 「ている」

と考えて、いつも不平不満ばかり言っていたのです。

その「施行歌』の、

こんじゅうふうき

ほどこ

そのような時です、 白隠禅師の『施行歌』を読んだのは。

富貴する人は前世に蒔く種がある

今生せぬ人は 未来はきわめて貧なるぞ

利口で富貴がなるならば純なる人はみな貧か

利口で貧乏するを見よ

此世は前生の種次第 未来は此世のたね次第・・・・・・」

という部分を読んで、頭をガツンと殴られたような気がしました。

 

 

なるほどたしかに、わたくしは自分が利口で、世の中の人はすべて愚かに見えていましたが、 愚かだと思っている連中がどんどん世の中に出ていって、利口だと思っている自分はうだつが上 がらない。運が悪い。まさに「利口で貧乏する」だったのです。

「お前がチャンスに恵まれない理由が分かるか? それは、徳がないからだ。人が成功をつかむ には才能だけではだめだ。 徳が必要なのだ。徳がなければどれくらい才能にあふれていても、 成 功をつかむことはできない。 では、徳を得るにはどうすればよいのか? 布施をせよ。 布施をす れば徳はいくらでも出てくるのだぞ」

まるで、白隠禅師が語りかけてくるようでした。 そして、白隠禅師は、三百年後に現われるわ たくしのために、この『施行歌』を書いてくださったのだな、と確信しました。

正しく信を育てる戒

ないのです。

あなたがたもこの『一切事経』を、二千数百年前にお釈迦さまがマハーナーマに説いたお経だ、 と考えるようではいけません。「若し優婆塞信有りて戒無くば、是れ則ち具せず。当に勤方便し 浄戒を具足し信戒を具足すべし」とは、

「信があっても我がなければいけないのだよ。おまえは戒を保っているか?」

とお釈迦さまが、今、自分に直接問いかけてくださっている言葉なのだ、と思わなければいけ

阿含宗信徒諸君は解脱宝生行を一生懸命に修行しています。 このような修行をするからには、 信は必ずあるはずです。お釈迦さまの法を信じよう、お釈迦さまの成仏法を信じよう、と考えた からこそ入行したわけです。

ところが、信じただけではだめだぞ、とお釈迦さまは論されていらっしゃる。

入行して三ヶ月あるいは半年経つと、職員や先達のところにいろいろな不平をいってくる人が います。

「こんなに信仰しているのに、全然よくならない。 こんなに信じていて、一生懸命に修行をして いるのに、よいご利益がまったくない」

そういう声を聞きます。

しかし、お釈迦さまは、信じるだけではだめだぞ、とおっしゃっているわけです。たとえば、 阿含宗に入って、毎日、一生懸命にご宝塔に供養を捧げ、お経やご真言を読誦する。 これは信で す。それらを実行するわけですから、たしかに信はあるわけです。 しかし、お釈迦さまは「信」 だけではだめだ、「戒」が必要なのだとおっしゃっています。

「戒」には、二つの意味があります。 一つは修行者としてやってはいけないことの取り決め、も う一つは修行者としてやらなければいけないことです。

ところが、これをひっくり返している人が多い。やらなくてはいけないことをまったくしない で、やってはいけないことをせっせせっせと行う・・・・・・。 それでいて、

「こんなに信じているのに!」

 

 

 

 

 

かれております。

いわん

阿含経

なぜならば、布施によって初めて徳が生じるからです。 信を持ち戒を保つということは、自分 だけのことをやっているにすぎません。 自分にとってプラスになることだけをやっているわけで す。 一方、他の人になにかを施すということは、他の人にプラスを与えることになります。

どのような難行苦行であっても、自分のことばかりを考えていたのでは、徳は生まれません。 他の人になにかを与えてこそ、自分の身に徳が生じるのです。人間というものは、徳がなければ なに一つ成功させることはできません。 これは、仕事でもなんでも同じです。

わたくしはいつも、

「人の不幸の元凶は因縁である。その因縁を切る成仏法を実践することによってのみ、人は本当 の幸福を得ることができる」

と申し上げております。 しかし、不徳の身では、その成仏法でさえやり通すことができないの です。徳があってこそ、修行は順調に進みます。 徳がなければ、因縁を切る修行でさえも途中で だめになるのです。修行に嫌気がさしたり、経済的に不如意になったり、あるいは周囲の者が意 味もなく反対します。 とにかく、うまくいかなくなってしまうわけです。

さきほど、白隠禅師の『施行歌』についてお話ししました。わたくしはこれを読んで、 徳の大 切さを初めて身に染みて感じました。『施行歌』とは、布施の行の大切さを分かりやすく民衆の

ために説いたものですが、その中に、

「富貴に大小ある事は蒔種大小あるゆくぞ

この世はわづかの物なればよい種ゑらんでまきたまへ

たねを惜みてうへざれば 穀物取たる例なし

田畑に麦神ずして麦ひへ取たるためしなし

いっしょう

むぎひへ壱升まきをけば 五升や壱斗はみのるぞや

れば少しの施しも 報は倍あるものぞ

や施し多ければ くわほうも多しとりしれ」

という言葉があります。 わたくしは、これはまさに真理だと思います。

功徳の種をまかずに、徳の実が実るはずはありません。 功徳の種を少しでもまくならば、必ず それよりも大きな徳の実を得ることができるのです。 功徳の種をまく、これこそが布施の行なの です。

 

 

お釈迦さまは、「而も法次法向に随順して知らざる、是れ則ち具せざるなり」とおっしゃって おられますが、法次とは法に近づくことで、法向とは法を追及することです。ですから、仏さま や沙門の法話を聞き、観察・工夫しても常に法に近づき、法を追及しようとする努力がないなら ば満足な優婆塞とはいえない、ということです。

満足な優婆塞となるための条件を最初から挙げると、まず第一が信、そして順番に戒、 施、聞、 持、 観法次、 法向と全部で八つあります。 これを、「優婆塞の八法」と呼びます。

それぞれの意味を箇条書きにすると、次のようになります。

・受持した教法の深い意味をよく観察し工夫する信・・・・・・正しい智慧で信心の心を起こす

・受持した教法の深い意味をよく観察し工夫する戒・・・・・・信の心を元に、やってよいことと悪いことの分別をつけ、仏教徒としてやってはい

・受持した教法の深い意味をよく観察し工夫するけないことはやめ、やらなければいけないことは積極的にやる

・徳を積むために布施の行をする

・道場(精舎)に行って、仏さまや沙門の話を聞く

・聞いた説法の内容を受持し、実行する

・法次・・・法に近づく

・法向・・・法を追及していく

となります。

お釈迦さまは、「而も法次法向に随順して知らざる、是れ則ち具せざるなり」とおっしゃって おられますが、法次とは法に近づくことで、法向とは法を追及することです。ですから、仏さま や沙門の法話を聞き、観察・工夫しても常に法に近づき、法を追及しようとする努力がないなら ば満足な優婆塞とはいえない、ということです。

満足な優婆塞となるための条件を最初から挙げると、まず第一が信、そして順番に戒、 施、聞、 持、 観法次、 法向と全部で八つあります。 これを、「優婆塞の八法」と呼びます。

それぞれの意味を箇条書きにすると、次のようになります。

・受持した教法の深い意味をよく観察し工夫する信・・・・・・正しい智慧で信心の心を起こす

・受持した教法の深い意味をよく観察し工夫する戒・・・・・・信の心を元に、やってよいことと悪いことの分別をつけ、仏教徒としてやってはい

・受持した教法の深い意味をよく観察し工夫するけないことはやめ、やらなければいけないことは積極的にやる

・徳を積むために布施の行をする

・道場(精舎)に行って、仏さまや沙門の話を聞く

・聞いた説法の内容を受持し、実行する

・法次・・・法に近づく

・法向・・・法を追及していく

となります。

 

The Buddha says, “I don’t know in order to the law, and I’m not going to give it a rule.” To pursue. Therefore, it is not a satisfying Yuba block if you listen to the Buddha and Shamon’s tale, observe and devise, and always approach the law and try to pursue the law.

The first thing to be a satisfying Yubutsu fortress is that there are eight things from the beginning, and the first is the religion, the commandments, listening, hearing, kinji, and so on. This is called the “Yubu Fortress’s Eight Law”.

When each meaning is a bullet, it looks like:

 

 

 

 

・ Financially observed and devised the deep meaning of the teaching method … Create the heart of religion with the right wisdom.

・ The commandments of closely observing and devising the deep meaning of the teaching methods … based on the heart of trust, separating what is good and bad, and doing it as a Buddhist.

・ Stop to observe and devise the deep meaning of the teaching methods, and actively do what you have to do.

・ Do the gourd to the virtue

・ Go to the dojo (Seisha) and hear the story of Buddha and Saemon

・ Pick and execute the contents of the preaching you have heard

・ Hoji … approaching the law

・ Law … pursue the law

Will be.

 

The Buddha says, “I don’t know in order to the law, and I’m not going to give it a rule.” To pursue. Therefore, it is not a satisfying Yuba block if you listen to the Buddha and Shamon’s tale, observe and devise, and always approach the law and try to pursue the law.

The first thing to be a satisfying Yubutsu fortress is that there are eight things from the beginning, and the first is the religion, the commandments, listening, hearing, kinji, and so on. This is called the “Yubu Fortress’s Eight Law”.

When each meaning is a bullet, it looks like:

 

 

 

 

・ Financially observed and devised the deep meaning of the teaching method … Create the heart of religion with the right wisdom.

・ The commandments of closely observing and devising the deep meaning of the teaching methods … based on the heart of trust, separating what is good and bad, and doing it as a Buddhist.

・ Stop to observe and devise the deep meaning of the teaching methods, and actively do what you have to do.

・ Do the gourd to the virtue

・ Go to the dojo (Seisha) and hear the story of Buddha and Saemon

・ Pick and execute the contents of the preaching you have heard

・ Hoji … approaching the law

・ Law … pursue the law

Will be.

meisou 輪廻転生瞑想法

自分の思うように自分を変え、

自分の望むもの、願うことは、

かならず実現させずにはおかない、

そして、それは現世だけでなく、

来世さえも思うままに

つくり変える

そういう方法があったら、

どんなによいであろうかと

そういう方法があったら、

どんなによいであろうかと

システム

そういう方法があるならば、

ぜひとも学んで

自分の身につけたいものだと思わないか?

もちろん、思うのにちがいない。

そう思ったら、すぐに、

「輪廻転生瞑想法」をはじめることだ。

「輪廻転生瞑想法」をおこなえば、

だれでも、

もちろん、あなただって、

思うままの人生をつくりだし、

理想の来世を迎えることができるのである。

シャマタとビバシャナ

シャマタとビバシャナ

高度の集中と瞑想の訓練法

瞑想というのは、心を使う訓練である。 心の使い方、心の能力といってもいいが、そ の心の能力の訓練には二つある。

まず一つは集中するということ、つぎに拡大するということ、この二つである。 これはサンスクリット語で、 シャマタとヴィパシュヤナー(漢音写でシャマタとビバ シャナ)という。

このシャマタとビバシャナを中国の僧侶がじつに簡単明瞭に、シャマタを「止」 ビバ 「シャナを「観」と漢訳した。 そして天台宗を開いた天台大師智顗が体系化した。 これは非 常に名訳である。

要するに止というのは、心を集中し一点にとどめる。心を集中していく。たとえば最 初は花全体を見ている。ずーっと見ているうちに、集中してこの花の中心に心をとどめて 動かさない。これがほんとうの集中力である。

心の使い方で、集中力というものは非常に大切なものである。強い集中力、まずこれ を養わなければいけない。

しかし集中だけではだめである。観というものもある。

観というのは、心の中で映像を観るのである。心の中でひとつの映像、イメージを描 いてこれを観る。

止というのは、いうならば、そのイメージに心を集中して動かさない。

観は、観ずるということで、密教では観想ともいう。

想というのは映像だと思えばいい。映像、イメージである。はっきりとイメージを持つ。 そのイメージを描くだけではだめである。イメージを観るのである。だから、親、 想と二 つある。

イメージをして、イメージを持ったうえで、それを観る。強く観る。 深く観察すると いう観方。 そして、観たものに心を集中してとどめる。だから、止と観は別々ではない。 ひとつなのである。

チャクラ開発訓練

からだに火をつける「火の呼吸法」

まず、長出息呼吸法 (反式呼吸法で) 五分ないし一〇分。(以下、すべて反 式呼吸法である かも

つぎに、火の呼吸法 (時間は随意である)。

結跏趺坐して、椅子坐でもよい) 右手の掌をのばし、拇指をもって右の鼻 孔をふさぐ

そうして、左の鼻孔をもって、激しく、フイゴのごとく、呼吸する。 この とき、呼気も吸気も、下腹部の腹腔をもってするのである。つまり、腹腔がフ イゴになるのである。左の鼻孔の呼吸を一分つづけたら、右と交代する。これ

五分ないし一〇分おこなう。

この呼吸法は、胸腔のなかに血圧の差を生ずるのである。 吸気のときに、胸 腔のなかの血圧が落ちると、静脈流は活発となり、逆に呼気のときその血圧が 増すと、静脈流は速度が落ちる。この増減によって、脳をはじめ全身に、著し 代謝増進がみられるのである。

それは特に、交感神経を興奮させ、はたらきを高める作用がある。人間の身 体は、ホメオスタシスという生体機構によって自動的に調節・活動している。 さきにのべた通り、この生体機構は自律神経系によってなされているが、こ の自律神経系は、交感神経と副交感神経から成り立っている。この二つの神経 のはたらきをごく簡単にいうと、交感神経は生体を活動させる場合にはたらき、 副交感神経は生体を休ませ静めるはたらきをする。

いま、チャクラを開発するにあたって、火の呼吸法で交感神経をはたらかせ、 生体の活動を促進するわけである。つまり、アクセルを踏みこみ、急発進する のである。(長出息呼吸は逆の副交感神経に作用する)

同時に、胞宮にしだいに熱が発生し、真赤に

火の呼吸法

チャクラ開発訓練

からだに火をつける「火の呼吸法」

まず、長出息呼吸法 (反式呼吸法で) 五分ないし一〇分。(以下、すべて反 式呼吸法である かも

つぎに、火の呼吸法 (時間は随意である)。

結跏趺坐して、椅子坐でもよい) 右手の掌をのばし、拇指をもって右の鼻 孔をふさぐ

そうして、左の鼻孔をもって、激しく、フイゴのごとく、呼吸する。 この とき、呼気も吸気も、下腹部の腹腔をもってするのである。つまり、腹腔がフ イゴになるのである。左の鼻孔の呼吸を一分つづけたら、右と交代する。これ

五分ないし一〇分おこなう。

この呼吸法は、胸腔のなかに血圧の差を生ずるのである。 吸気のときに、胸 腔のなかの血圧が落ちると、静脈流は活発となり、逆に呼気のときその血圧が 増すと、静脈流は速度が落ちる。この増減によって、脳をはじめ全身に、著し 代謝増進がみられるのである。

それは特に、交感神経を興奮させ、はたらきを高める作用がある。人間の身 体は、ホメオスタシスという生体機構によって自動的に調節・活動している。 さきにのべた通り、この生体機構は自律神経系によってなされているが、こ の自律神経系は、交感神経と副交感神経から成り立っている。この二つの神経 のはたらきをごく簡単にいうと、交感神経は生体を活動させる場合にはたらき、 副交感神経は生体を休ませ静めるはたらきをする。

いま、チャクラを開発するにあたって、火の呼吸法で交感神経をはたらかせ、 生体の活動を促進するわけである。つまり、アクセルを踏みこみ、急発進する のである。(長出息呼吸は逆の副交感神経に作用する)

同時に、胞宮にしだいに熱が発生し、真赤に

未開待取用法変身のカリキュラム

第1課程

求聞持スクール 基礎合宿訓練資料

第一課程

ている。

第二課程(基本)

魔法のク

真珠

火の呼吸法には三種の呼吸法がある。ここにはその内の一つを示す。 あとの 二つは、もっと修行が進まなければ危険なのでここには出さない。

休火山の活動開始

まず、チャクラ開発は、ムーラーダーラとマニプーラからはじまる。 気海と関元は、マニプーラにあたり、これに、ムーラーダーラが少しかかっ

火の呼吸法は、左右交互に、五分ないし一〇分。(特殊な場合を除いて、 こ れ以上は不可)

次長出息呼吸法、三回ないし、五回ののち、そのまま気海(男性) 関元 (女性)の胞宮に心を集中する。 気海、関元にウムと圧を加える力を、 やや強 くする。(鼻からちょっと息を漏らすことを忘れぬように)

同時に、胞宮にしだいに熱が発生し、真赤に灼熱して来ることを観想せよ。

瞑想

イントロ
青い空の彼方に 輝く太陽の光
静かに流れる時間 瞑想の海へと沈む
魂が呼びかける 真理の扉を叩いて
揺るぎない平安へ 心の翼を広げる

サビ
解き放て 束縛の鎖を
真実の光に 今、導かれて
変わらぬ真理を 心に抱いて
人類愛と共に 歩み続けよう