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思念の相承と四神足法 2

思念の相承と四神足法

いよいよ、釈尊の成仏法の中心の法である、四神足法の解説に入る。 これが

「輪廻転生瞑想法」の根幹となる法である。

釈尊の成仏法の中でも、最高難度の法である。

いままでの訓練をこなしてきた修行者であれば、なんとか歯が立つのではな いかとは思うが、決して容易ではない。いままでの訓練でさえ、むずかしいの に、これ以上の訓練はできるだろうかと、不安に思う方も多いのではないだろ

わたくしは、第二章で、

霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)が常恒に法を説 いている。 「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や

ばいかい

象徴という媒介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。

この場合、心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたも と思うべきである。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成 するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。 「王者 」という所以である。

とのべた。つまり、仏陀となって成仏するためには、この「思念による王者 相承」を受けることが、理想とされているのである。

しかし、これには条件があるのだ。

どのような条件か?

わたくしは、つぎのようにのべている。

だが、そういうと、一「思念による王者の相承」)は最高理想のものなので

あるから、他のなにものも必要ないのではないかといわれるかもしれな い。そうではないのである。その最高理想のものを受けるために、tapas は 必要なのである。

また、同章で、インドのサヘート・マヘートにおける強烈な霊的バイブレー ションについて、つぎのようにものべている。

賢明な読者はすでにお気づきであったろう。 これが、チベット密教のい う「思念による王者の相承」であることを 思念による王者の相承と

かいてい

は、じつに、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。 わたくしは、これによって、解説に至る四つの階梯のうちの、第三の境 地に達したことを自覚したのであるが、これは、 間脳開発の練行tapasを成 就していなかったら、絶対に得られなかったものである。 内なる受容の態 勢がととのって初めて、外よりの王者の相承が発せられるのである。

つまり、仏陀となる、あるいは仏陀の境界に近づくためには、「思念による王 者の相承」が必要なのであるが、その王者の相承を受けるためには、 間脳開発 の練行 tapas を成就していることが必須なのである。

あなごん

わたくしは、この王者の相承を受けて、阿含の境地に達し、このとき、死ぬ までにかならず仏陀になると強く自覚したが、それはわたくしが、 tapasを成就 した上で、インドのサベート・マヘート、ミラクルの池に行ったからこそ、白 銀のバイブレーションを受けることができたのである。

したがって、「思念による王者の相承」を受けるためには、 tapasを成就して いることが、絶対条件なのである。

では、その銀行tapas とはなにか?

この tapas こそが、四神足法なのである。

いい換えれば、四神足法を成就していなければ、仏陀になるために必要な

「思念による王者の相承」を受けられないのである。しかしながら、四神足法

は、釈尊の成仏法の中でも最高度にむずかしい法である。だれでも容易に修行 できる内容ではない。

れいせいかいけん

釈尊のむずかしい成仏法を修行しなければ、いつまでたっても思念の相承を 受けられず、 間脳が開かず、霊性開顕が不可能であるならば、いったいどれほ どの人が、霊性開顕をすることができるであろうか?

ごく限られた、わずかなエリートしか、到達することができないであろう。 当然のことながら、釈尊の成仏法を発展させた輪廻転生瞑想法も成就できない ことになるのだ。

だが、そうではないのである。

わたくしは、永年の修行により、この問題点を解決し、だれでも比較的容易 に成仏法の修行を進めていける法を完成することができたからである。

すいしょうりゅうじん

それは、「水晶龍 神瞑想法」という法である。

この瞑想法は単なる瞑想法ではない。

じつは、この水晶龍神瞑想法は、釈尊の成仏法の真髄である、

「四神足法そのもの」

なのである。

そして、この水晶龍神瞑想法の最大の特長は、

「瞑想法自体が思念の相承である」

ということなのである。

修行者は、この法にのっとって修行を進めていくことにより、本来であれ ば、 tapasである四神足法を成就しないかぎり、絶対に受けられない思念の相承 を、修行をはじめる最初の段階から受けながら、四神足法に必要な、チャクラ の開発訓練を進めていくことができるのである。ことに、クンダリニー・ヨー ガでは、最も危険とされる脳内のチャクラの開発を、安全に、おだやかに進め ていくことができるのだ。

あなたは、この水晶龍神瞑想法 (四神足法)を修行することによって、神通力 を得ることができるであろう。

ただし、この法は、最極秘伝に属する法なので、すべてを筆にすることはで

きない。本書では、ごく初歩の段階にとどめる。

誤解しないでいただきたいが、決して法を惜しんでいるわけではない。これ 以上の段階は、どうしても、わたくしの直接の指導を受けておこなう必要があ

わたくしの主宰する阿含宗の瞑想道場にて、この「王者による思念の相承」 すなわち、「仏陀の思念」 が受けられるので、そこで、わたくしや、わたくしの 弟子の指導を受けて修行を進めていただきたいのである。

水晶の中に龍神のお姿を見る

まず、水晶龍神瞑想法 (四神足法)の前段階である瞑想法について解説しよ

前段階とはいえ、たいへん高度な瞑想法で、これを習得しないと、釈尊の成 仏法の真髄・四神足法に進むことができない。

この法は水晶を使って深層意識を活用する瞑想法である。

まず、水晶を準備する。けがれのない天然の水晶が理想である。(わたくしの 想道場では、わたくしが成仏法によって浄め、龍神のお霊をこめた水晶龍神御尊像を使 う)

この水晶に心を集中して凝視していると、いろいろなモヤモヤが見える。 そ のモヤモヤを、心を静めて凝視していると龍神のお姿が見えてくる。 このお姿 がはっきりと見えてくるようにならなくてはいけない。

そのお姿には二つのタイプがある。

コブラ (母蛇)型

頭と顔が平たくなっている龍神。

ボア(大蛇

毒を持たない大型の龍神。

この二つの系統がある。

また、見えてきた龍神が男神である場合は「ナンダ龍王」、 女神の龍神の場合

は 「ウパナンダ龍王」という名前で念じる。

水晶の向こう側に白い紙を立てて凝視していると、モヤモヤの中にお顔やお 体が見えてくる。それには三日ほどかかる。観想もこのお姿をよく観察して瞑 想しなくてはならない。

この瞑想を深く進めていくと、その修行者は龍神型の性格を持つようにな り、さらに進めていくと体も似てきて龍体になってくる。そして体の一部がウ ロコになってくる。そこまでいくのは容易ではないが、そうなると龍神の力が そなわってくる。

龍神のタイプがたとえばコブラ型であれば毒を持つとか、ボア型だから相手 絞め殺して食べてしまうというようなことはない。タイプを知るだけで、あ とは自然にまかせておけばよい。

せんじょう

最初に教える瞑想法は、「水晶龍神洗浄 瞑想法」である。

まず心身を浄める「洗浄法」から入る。 龍神に雨を降らしていただいて、そ 龍雨によって心身の不浄不快がすべて洗い流され、病気の根もすべて洗い流

毎朝一回、十五分ほどかけてこの瞑想をおこなう。

この洗浄瞑想を毎日重ねて実行していると、一日中体が元気で爽快になり、 さらに龍神に好意を持っていただけるようになる。

いつかい

澄み渡った青空に突然一塊の雲が沸き起こり、たちまち空一面が黒い雲に覆 われてしまう。

その黒い雲の中心に金色の龍王を観想する。 この龍王は水晶で見ているお姿 である。この金色の龍王が大神通力をもって暴風を起こしている。さらに大雨 が降ってくる。滝のように降ってくる大雨を頭から受けている。 それはあたか も滝行のごとくである。

この大雨によって心身の不浄不快がことごとく洗い流される。 病気の根もす

べて洗い流す。 そう観じて、般若心経 五反

つぎに、観想。

「わが心身爽快なり。わが身の不浄不快悉く消滅す」

そして、準小呪。

「オン・シャレイ・シュレイ・ジェンテイ・ソワカ」

五唱し、 よびかける。

けんぞく

準胝如来は龍神をしたがえておられる。 龍神は準胝如来の眷属であるから、 この真言を唱えると非常にお喜びになる。

最後に、

りんびょうとうしゃかいちんれつざいせん。

「臨兵闘者皆陳列在前、エイッ」

九字を三回切って終わる。

すると龍王は喜び勇んで姿を消すが、つねに行者の身辺にあって守護してく

ださっている。そして行者がよぶのを待っておられる。なにかつらいことや 困ったことがあるとサーッと姿をあらわして助けてくださる。

およびするときには、左手親指を右拳でつつむ「如来拳印」で、あなたの水 品で感得した「ナンダ龍王」あるいは「ウパナンダ龍王」をおよびし、

「来たってわれを救いたまえ」

と心の中でつぶやけば、たちまち姿をあらわして助けてくださる。

水晶龍神瞑想法(四神足法)

つぎに、いよいよ、釈尊の成仏法の真髄である四神足法の瞑想法である。

これが、さきほど大極秘伝といった、八科四十一道品の中の一科四道品、四 安那般那念法となる法で、 「水晶龍神瞑想法」という。

ただし、さきほどもいったように、これ以上は筆にすることができない。

法を惜しんでいるわけではないが、この法に関しては、わたくしが導師と なって、あなたを弟子として受け入れ、その修行の進み具合を見ながら直接指

導しなければ、絶対に法を成就することができない。

だが、熱心な修行者のために、少しだけヒントをさしあげよう。

この瞑想法では、さきほどの水晶龍神御尊像と、「輪廻転生瞑想法II」で紹介 した準胝尊秘密光明曼荼羅を使うのである。

そして、水晶と曼荼羅を組み合わせ、ある特殊な観想と真言読誦によって、 脳内のチャクラに仏陀の思念、すなわち、「王者による思念の相承」を受けるの である。さらに、この瞑想法とあわせて、護摩行(火界定)と滝行(水想観)を 修することが、最も望ましい。

ごまぎようか

たきるよう すいそうかん

阿含宗の瞑想道場には、水晶龍神御尊像と準胝尊秘密光明曼荼羅をそなえて あり、護摩行、滝行ができる設備をそなえた道場もある。

ぜひ、わたくしの瞑想道場に来て、わたくしか、わたくしの直弟子から指導 を受けることを強くお勧めする。

輪廻転生瞑想法のカリキュラム

転生想 286

その夜、星空はまるで無数の瞑想者たちの目が見下ろしているかのように輝いていた。彼は深く息を吸い込み、静かに座禅を組む。彼の心は、目の前に広がる未知の世界へと向けられていた。

師匠の声が静かに響いた。「アージュニャー・チャクラを見つめよ。それが真の道の始まりだ。」

彼は目を閉じ、師の言葉に従った。頭頂から眉間にかけて、熱が走るような感覚が広がる。まるで脳の奥深くで何かが動き出すようだった。その瞬間、彼ははっきりと感じた――この旅は、精神だけではなく、体と魂をも巻き込むものだということを。

師は続けた。「思念による伝達、それが王者の相承だ。我らが進む道は、ただ単に知識を得るものではない。霊的バイブレーションによって、真理を直接心に刻むのだ。」

その言葉が彼の心に深く響いた。まるで見えない力が彼の内なる存在を震わせているようだった。彼の前には四つの階梯が待っている。srota-āpanna、sakrd-agamin、anāgamin、そしてarhat。それらすべてを超えなければ、彼の旅は完結しない。

「第三の境地に至るには、問脳を開発しなければならない」と師が告げた。

「問脳?」彼はその言葉の響きに引き寄せられるように尋ねた。

「そうだ。大脳辺縁系と新皮質を一時的に閉ざし、霊的開花のために内なる力を集中するのだ。それは苦行とも言える。だが、tapasi、練行を積み重ねることで、次第に新たな光が見えるようになる。」

彼は師の言葉に従い、日々の修行を続けた。その過程で彼は、自らの肉体と精神がどれほど密接に結びついているかを知った。そして、その結びつきを超えて、より高次の存在へと向かう道が開かれることを実感した。

だが、最も重要なのは、師の存在だった。彼にとって、師はただの指導者ではなかった。師は、仏陀そのものだった。彼は師に対する畏敬の念を深め、心からの憧憬を抱くようになった。師がいなければ、彼の霊性の旅は始まらなかっただろう。

「受け入れの秘儀は、仏教における入門得度に等しい」と師は告げた。その儀式の中で、彼は凝視の方法を学び、アージュニャー・チャクラへのメッセージを受け取った。

最後に、「霊感伝授の秘儀」が彼の前に待ち受けていた。それは単なる儀式ではなかった。脳の深部に眠る霊性の場へ、強力な霊力を送り込む究極の儀式だった。

「これは成仏法を完全に受け入れるためのものだ」と師は言った。「思念の力を完全に掌握し、あなた自身が光そのものとなるのだ。」

彼は深く息を吸い、目を閉じた。そして、その霊的な光が彼の内側から広がり、彼はついに悟りの道を歩み始めた。

 

釈尊の教えは、常に深遠で、修行者たちを圧倒するほどの難度を誇っていた。だが、その中でも「輪廻転生瞑想法」は、極限に達した修行法のひとつだった。思念の力と、四神足と呼ばれる神秘の法を駆使し、最も高次の境地へと導く。この法こそ、仏陀としての完成を目指す道の根幹を成すものだった。

その場にいる修行者たちは、静かに息を飲む。これまでの訓練でも、彼らは幾度も己の限界に挑んできた。だが、この新たな法は、まさに次元を超える挑戦のように思えた。果たして自分たちに、それを乗り越える力があるのだろうか?不安が胸に広がる。しかし、その一方で、法の奥深さと真理への憧れが、彼らを進ませる力でもあった。

「霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ――すなわち如来は、常に法を説いている」と、師は続けた。修行者たちはその言葉に耳を傾けた。「思念による王者の相承」とは、タターガタの心が、言葉や象徴を介さず、直接相手の心に伝えられるものだ。その心は、ただの思念ではなく、強大なパワーによって満たされている。それを受けた者は、瞬時にして仏陀として完成するのだ。

「だが、それを得るには条件がある」と師は厳しい表情で告げた。

「最高のものを受け取るには、他に何も必要ないのではないか?」と、ある弟子が疑問を口にした。だが、師は首を振った。

「そうではない。その理想を受けるためには、tapas――すなわち厳しい修行が不可欠だ」と。

その言葉は、修行者たちの胸に深く響いた。彼らは、サヘート・マヘートの地で感じた強烈な霊的バイブレーションを思い出す。それは、まさに「思念による王者の相承」そのものであり、霊的な力が直接、心に伝達された瞬間だったのだ。

「私は、この相承を通じて、解脱の四階梯のうち、第三の境地に達した」と師は語った。「だが、それは間脳の開発と、練行tapasを成し遂げなければ絶対に得られなかったものである。内なる受容の姿勢が整ったとき、初めて外なる王者の相承が発せられるのだ。」

その瞬間、修行者たちの間に静かな決意が生まれた。彼らは、己を鍛え、さらに深い瞑想へと挑む覚悟を決めた。仏陀となるための道は、今、彼らの前に開かれたのだ。

 

思念の相承と四神足法

いよいよ、釈尊の成仏法の中心の法である、四神足法の解説に入る。これが

「輪廻転生瞑想法」の根幹となる法である。

釈尊の成仏法の中でも、最高難度の法である。

いままでの訓練をこなしてきた修行者であれば、なんとか歯が立つのではな いかとは思うが、決して容易ではない。いままでの訓練でさえ、むずかしいの に、これ以上の訓練はできるだろうかと、不安に思う方も多いのではないだろ うか?

わたくしは、第二章で、

 

霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)が常に法を説 いている。 「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や
象徴という媒介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。

この場合、心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたも と思うべきである。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成 するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。 「王者 ゆえん

の」という所以である。

とのべた。つまり、仏陀となって成仏するためには、この「思念による王者

相承」を受けることが、理想とされているのである。

しかし、これには条件があるのだ。

どのような条件か?

わたくしは、つぎのようにのべている。

だが、そういうと、「思念による王者の相承」は最高理想のものなので

あるから、他のなにものも必要ないのではないかといわれるかもしれな い。そうではないのである。その最高理想のものを受けるために、tapas は 必要なのである。

また、同章で、インドのサヘート・マヘートにおける強烈な霊的バイブレー ションについて、つぎのようにものべている。

賢明な読者はすでにお気づきであったろう。これが、チベット密教のい う「思念による王者の相承」であることを。 思念による王者の相承と は、じつに、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。

わたくしは、これによって、解脱に至る四つの階梯のうちの、第三の境 地に達したことを自覚したのであるが、これは、 間脳開発の練行tapas を成 就していなかったら、絶対に得られなかったものである。 内なる受容の態 勢がととのって初めて、外よりの王者の相承が発せられるのである。

バイブレーション

つまり、仏陀となる、あるいは仏陀の境界に近づくためには、「思念による王 相承」が必要なのであるが、その王者の相承を受けるためには、 間脳開発 の練行 tapas を成就していることが必須なのである。

わたくしは、この王者の相承を受けて、阿含の境地に達し、このとき、死ぬ までにかならず仏陀になると強く自覚したが、それはわたくしが、 tapasを成就 した上で、インドのサヘート・マヘート、ミラクルの池に行ったからこそ、白 銀のバイブレーションを受けることができたのである。

したがって、「思念による王者の相承」を受けるためには、 tapasを成就して いることが絶対条件なのである。

では、その練行 tapas とはなにか?

この tapas こそが、 四神足法なのである。

いい換えれば、四神足法を成就していなければ、仏陀になるために必要な

「思念による王者の相承」を受けられないのである。しかしながら、四神足法

は、釈尊の成仏法の中でも最高度にむずかしい法である。だれでも容易に修行 できる内容ではない。

「釈尊のむずかしい成仏法を修行しなければ、いつまでたっても思念の相承を 受けられず、 間脳が開かず、霊性開頭が不可能であるならば、いったいどれほ どの人が、霊性開顕をすることができるであろうか?

ごく限られた、わずかなエリートしか、到達することができないであろう。 当然のことながら、釈尊の成仏法を発展させた輪廻転生瞑想法も成就できない ことになるのだ。

だが、そうではないのである。

わたくしは、永年の修行により、この問題点を解決し、だれでも比較的容易 に成仏法の修行を進めていける法を完成することができたからであ

それは、「水晶龍 神瞑想法」という法である。

この瞑想法は単なる瞑想法ではない。

じつは、この水晶龍神瞑想法は、釈尊の成仏法の真髄である、

「四神足法そのもの」

なのである。

そして、この水晶龍神瞑想法の最大の特長は、

「瞑想法自体が思念の相承である」

ということなのである。

修行者は、この法にのっとって修行を進めていくことにより、本来であれ ば、 tapasである四神足法を成就しないかぎり、絶対に受けられない思念の相承 修行をはじめる最初の段階から受けながら、四神足法に必要な、チャクラ の開発訓練を進めていくことができるのである。ことに、クンダリニー・ヨー ガでは、最も危険とされる脳内のチャクラの開発を、安全に、おだやかに進め ていくことができるのだ。

あなたは、この水晶龍神瞑想法 (四神足法)を修行することによって、神通力 “を得ることができるであろう。

ただし、この法は、最極秘伝に属する法なので、すべてを筆にすることはで

きない。本書では、ごく初歩の段階にとどめる。

誤解しないでいただきたいが、決して法を惜しんでいるわけではない。これ 以上の段階は、どうしても、わたくしの直接の指導を受けておこなう必要があ るのだ。

わたくしの主宰する阿含宗の瞑想道場にて、この「王者による思念の相承」 すなわち、「仏陀の思念」が受けられるので、 そこで、わたくしや、わたくしの 弟子の指導を受けて修行を進めていただきたいのである。

水晶の中に龍神のお姿を見る

まず、水晶龍神瞑想法 (四神足法)の前段階である瞑想法について解説しよ

前段階とはいえ、たいへん高度な瞑想法で、これを習得しないと、釈尊の成 仏法の真髄四神足法に進むことができない。

この法は水晶を使って深層意識を活用する瞑想法である。

「みたままず、水晶を準備する。けがれのない天然の水晶が理想である。(わたくしの瞑 想道場では、わたくしが成仏法によって浄め、龍神のお霊をこめた水晶龍神御尊像を使 う)

この水晶に心を集中して凝視していると、いろいろなモヤモヤが見える。 そ のモヤモヤを、心を静めて凝視していると龍神のお姿が見えてくる。 このお姿 がはっきりと見えてくるようにならなくてはいけない。

そのお姿には二つのタイプがある。

コブラ (母)型 ポア(大蛇

頭と顔が平たくなっている龍神。

毒を持たない大型の龍神。

この二つの系統がある。

また、見えてきた龍神が男神である場合は「ナンダ龍王」、

は「ウパナンダ龍王」という名前で念じる。

水晶の向こう側に白い紙を立てて凝視していると、モヤモヤの中にお顔やお 体が見えてくる。それには三日ほどかかる。観想もこのお姿をよく観察して瞑 想しなくてはならない。

この瞑想を深く進めていくと、その修行者は龍神型の性格を持つようにな り、さらに進めていくと体も似てきて龍体になってくる。そして体の一部がウ ロコになってくる。そこまでいくのは容易ではないが、そうなると龍神の力が そなわってくる。

龍神のタイプがたとえばコブラ型であれば毒を持つとか、ボア型だから相手 絞め殺して食べてしまうというようなことはない。タイプを知るだけで、あ 自然にまかせておけばよい。

最初に教える瞑想法は、 「水晶龍神洗浄 瞑想法」である。

まず心身を浄める 「洗浄法」から入る。 龍神に雨を降らしていただいて、そ 龍雨によって心身の不浄不快がすべて洗い流され、病気の根もすべて洗い流

毎朝一回、十五分ほどかけてこの瞑想をおこなう。

 

この洗浄瞑想を毎日重ねて実行していると、一日中体が元気で爽快になり、 さらに龍神に好意を持っていただけるようになる。

いつかい

澄み渡った青空に突然一塊の雲が沸き起こり、たちまち空一面が黒い雲に覆 われてしまう。

その黒い雲の中心に金色の龍王を観想する。 この龍王は水晶で見ているお姿 である。この金色の龍王が大神通力をもって暴風を起こしている。さらに大雨 が降ってくる。滝のように降ってくる大雨を頭から受けている。それはあたか 滝行のごとくである。

この大雨によって心身の不浄不快がことごとく洗い流される。 病気の根もす

べて洗い流す。 そう観じて、般若心経 五反

つぎに、観想。

「わが心身爽快なり。わが身の不浄不快悉く消滅す」

そして、準小呪。

「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」 五唱し、 よびかける。

準如来は龍神をしたがえておられる。 龍神は準胝如来の眷属であるから、 この真言を唱えると非常にお喜びになる。

最後に、

「臨兵闘者皆陳列在前、エイッ」

九字を三回切って終わる。

すると龍王は喜び勇んで姿を消すが、つねに行者の身辺にあって守護してく

ださっている。そして行者がよぶのを待っておられる。なにかつらいことや 困ったことがあるとサーッと姿をあらわして助けてくださる。

およびするときには、左手親指を右拳でつつむ 「如来拳印」で、あなたの水 晶で感得した「ナンダ龍王」あるいは「ウパナンダ龍王」をおよびし、

「来たってわれを救いたまえ」

と心の中でつぶやけば、たちまち姿をあらわして助けてくださる。

水晶龍神瞑想法(四神足法)

つぎに、いよいよ、釈尊の成仏法の真髄である四神足法の瞑想法である。

これが、さきほど大極秘伝といった、八科四十一道品の中の一科四道品、四 安那般那念法となる法で、「水晶龍神瞑想法」という。

ただし、さきほどもいったように、これ以上は筆にすることができない。

法を惜しんでいるわけではないが、この法に関しては、わたくしが導師と なって、あなたを弟子として受け入れ、その修行の進み具合を見ながら直接指

 

思念の相承と四神足法

思念の相承と四神足法

いよいよ、釈尊の成仏法の中心の法である、四神足法の解説に入る。これが

「輪廻転生瞑想法」の根幹となる法である。

釈尊の成仏法の中でも、最高難度の法である。

いままでの訓練をこなしてきた修行者であれば、なんとか歯が立つのではな いかとは思うが、決して容易ではない。いままでの訓練でさえ、むずかしいの に、これ以上の訓練はできるだろうかと、不安に思う方も多いのではないだろ うか?

わたくしは、第二章で、

つね

霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)が常に法を説 いている。 「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や

ぱいかい。

象徴という媒介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。

この場合、心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたも と思うべきである。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成 するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。 「王者 ゆえん

の」という所以である。

とのべた。つまり、仏陀となって成仏するためには、この「思念による王者

相承」を受けることが、理想とされているのである。

しかし、これには条件があるのだ。

どのような条件か?

わたくしは、つぎのようにのべている。

だが、そういうと、「思念による王者の相承」は最高理想のものなので

 

あるから、他のなにものも必要ないのではないかといわれるかもしれな い。そうではないのである。その最高理想のものを受けるために、tapas は 必要なのである。

また、同章で、インドのサヘート・マヘートにおける強烈な霊的バイブレー ションについて、つぎのようにものべている。

賢明な読者はすでにお気づきであったろう。これが、チベット密教のい う「思念による王者の相承」であることを。 思念による王者の相承と は、じつに、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。

かいてい

わたくしは、これによって、解脱に至る四つの階梯のうちの、第三の境 地に達したことを自覚したのであるが、これは、 間脳開発の練行tapas を成 就していなかったら、絶対に得られなかったものである。 内なる受容の態 勢がととのって初めて、外よりの王者の相承が発せられるのである。

バイブレーション

つまり、仏陀となる、あるいは仏陀の境界に近づくためには、「思念による王 相承」が必要なのであるが、その王者の相承を受けるためには、 間脳開発 の練行 tapas を成就していることが必須なのである。

わたくしは、この王者の相承を受けて、阿含の境地に達し、このとき、死ぬ までにかならず仏陀になると強く自覚したが、それはわたくしが、 tapasを成就 した上で、インドのサヘート・マヘート、ミラクルの池に行ったからこそ、白 銀のバイブレーションを受けることができたのである。

したがって、「思念による王者の相承」を受けるためには、 tapasを成就して いることが絶対条件なのである。

では、その練行 tapas とはなにか?

この tapas こそが、 四神足法なのである。

いい換えれば、四神足法を成就していなければ、仏陀になるために必要な

「思念による王者の相承」を受けられないのである。しかしながら、四神足法

は、釈尊の成仏法の中でも最高度にむずかしい法である。だれでも容易に修行 できる内容ではない。

れいせいかいけん

「釈尊のむずかしい成仏法を修行しなければ、いつまでたっても思念の相承を 受けられず、 間脳が開かず、霊性開頭が不可能であるならば、いったいどれほ どの人が、霊性開顕をすることができるであろうか?

ごく限られた、わずかなエリートしか、到達することができないであろう。 当然のことながら、釈尊の成仏法を発展させた輪廻転生瞑想法も成就できない ことになるのだ。

だが、そうではないのである。

わたくしは、永年の修行により、この問題点を解決し、だれでも比較的容易 に成仏法の修行を進めていける法を完成することができたからである。

すいしょうりゅうじん

それは、「水晶龍 神瞑想法」という法である。

この瞑想法は単なる瞑想法ではない。

じつは、この水晶龍神瞑想法は、釈尊の成仏法の真髄である、

「四神足法そのもの」

なのである。

そして、この水晶龍神瞑想法の最大の特長は、

「瞑想法自体が思念の相承である」

ということなのである。

修行者は、この法にのっとって修行を進めていくことにより、本来であれ ば、 tapasである四神足法を成就しないかぎり、絶対に受けられない思念の相承 修行をはじめる最初の段階から受けながら、四神足法に必要な、チャクラ の開発訓練を進めていくことができるのである。ことに、クンダリニー・ヨー ガでは、最も危険とされる脳内のチャクラの開発を、安全に、おだやかに進め ていくことができるのだ。

あなたは、この水晶龍神瞑想法 (四神足法)を修行することによって、神通力 “を得ることができるであろう。

ただし、この法は、最極秘伝に属する法なので、すべてを筆にすることはで

きない。本書では、ごく初歩の段階にとどめる。

誤解しないでいただきたいが、決して法を惜しんでいるわけではない。これ 以上の段階は、どうしても、わたくしの直接の指導を受けておこなう必要があ るのだ。

わたくしの主宰する阿含宗の瞑想道場にて、この「王者による思念の相承」 すなわち、「仏陀の思念」が受けられるので、 そこで、わたくしや、わたくしの 弟子の指導を受けて修行を進めていただきたいのである。

水晶の中に龍神のお姿を見る

まず、水晶龍神瞑想法 (四神足法)の前段階である瞑想法について解説しよ

前段階とはいえ、たいへん高度な瞑想法で、これを習得しないと、釈尊の成 仏法の真髄四神足法に進むことができない。

この法は水晶を使って深層意識を活用する瞑想法である。

「みたま

まず、水晶を準備する。けがれのない天然の水晶が理想である。(わたくしの瞑 想道場では、わたくしが成仏法によって浄め、龍神のお霊をこめた水晶龍神御尊像を使 う)

この水晶に心を集中して凝視していると、いろいろなモヤモヤが見える。 そ のモヤモヤを、心を静めて凝視していると龍神のお姿が見えてくる。 このお姿 がはっきりと見えてくるようにならなくてはいけない。

そのお姿には二つのタイプがある。

コブラ (母)型 ポア(大蛇

頭と顔が平たくなっている龍神。

毒を持たない大型の龍神。

この二つの系統がある。

また、見えてきた龍神が男神である場合は「ナンダ龍王」、

は「ウパナンダ龍王」という名前で念じる。

水晶の向こう側に白い紙を立てて凝視していると、モヤモヤの中にお顔やお 体が見えてくる。それには三日ほどかかる。観想もこのお姿をよく観察して瞑 想しなくてはならない。

この瞑想を深く進めていくと、その修行者は龍神型の性格を持つようにな り、さらに進めていくと体も似てきて龍体になってくる。そして体の一部がウ ロコになってくる。そこまでいくのは容易ではないが、そうなると龍神の力が そなわってくる。

龍神のタイプがたとえばコブラ型であれば毒を持つとか、ボア型だから相手 絞め殺して食べてしまうというようなことはない。タイプを知るだけで、あ 自然にまかせておけばよい。

せんじょう

最初に教える瞑想法は、 「水晶龍神洗浄 瞑想法」である。

まず心身を浄める 「洗浄法」から入る。 龍神に雨を降らしていただいて、そ 龍雨によって心身の不浄不快がすべて洗い流され、病気の根もすべて洗い流

毎朝一回、十五分ほどかけてこの瞑想をおこなう。

そうかい

この洗浄瞑想を毎日重ねて実行していると、一日中体が元気で爽快になり、 さらに龍神に好意を持っていただけるようになる。

いつかい

澄み渡った青空に突然一塊の雲が沸き起こり、たちまち空一面が黒い雲に覆 われてしまう。

その黒い雲の中心に金色の龍王を観想する。 この龍王は水晶で見ているお姿 である。この金色の龍王が大神通力をもって暴風を起こしている。さらに大雨 が降ってくる。滝のように降ってくる大雨を頭から受けている。それはあたか 滝行のごとくである。

この大雨によって心身の不浄不快がことごとく洗い流される。 病気の根もす

べて洗い流す。 そう観じて、般若心経 五反

つぎに、観想。

「わが心身爽快なり。わが身の不浄不快悉く消滅す」

そして、準小呪。

「オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ」 五唱し、 よびかける。

けんぞく

準如来は龍神をしたがえておられる。 龍神は準胝如来の眷属であるから、 この真言を唱えると非常にお喜びになる。

りんびょうとうしゃかいちんれつぱいぜん

最後に、

「臨兵闘者皆陳列在前、エイッ」

九字を三回切って終わる。

すると龍王は喜び勇んで姿を消すが、つねに行者の身辺にあって守護してく

ださっている。そして行者がよぶのを待っておられる。なにかつらいことや 困ったことがあるとサーッと姿をあらわして助けてくださる。

およびするときには、左手親指を右拳でつつむ 「如来拳印」で、あなたの水 晶で感得した「ナンダ龍王」あるいは「ウパナンダ龍王」をおよびし、

「来たってわれを救いたまえ」

と心の中でつぶやけば、たちまち姿をあらわして助けてくださる。

水晶龍神瞑想法(四神足法)

つぎに、いよいよ、釈尊の成仏法の真髄である四神足法の瞑想法である。

これが、さきほど大極秘伝といった、八科四十一道品の中の一科四道品、四 安那般那念法となる法で、「水晶龍神瞑想法」という。

ただし、さきほどもいったように、これ以上は筆にすることができない。

法を惜しんでいるわけではないが、この法に関しては、わたくしが導師と なって、あなたを弟子として受け入れ、その修行の進み具合を見ながら直接指

 

 

クンダリニー・ヨーガの修行は、深淵なる旅路の一歩から始まった。

その始まりは、体内に眠る「パドマ・マツガ」を目覚めさせることだった。長い間、静かに隠れていたその存在が、一度光を帯びると、世界は一変する。瞑想に入ると、パドマ・マツガは内なる光を放ち始め、まるで暗闇の中に突如現れた星のように、修行者の意識を導く。修行者が思念を強めれば強めるほど、その光もまた強烈になり、内側から全身を照らし出す。

光が強まるとともに、パドマ・マツガは静かにチャクラへと移動する。その動きは、修行者の意思によって慎重に導かれ、各チャクラに到達するたびに、ホルモンが分泌され、身体が覚醒していくのを修行者は感じ取った。それは、ただの身体的な反応ではなく、クンダリニーの力が徐々に目覚め、全身を貫くエネルギーとして流れ始める瞬間だった。

目を閉じた修行者は、深く静かな呼吸の中で、内なる光が次第に広がり、肉体の隅々まで満ちていくのを感じ取る。外界の音や光は遠のき、ただ自分とパドマ・マツガとの対話が続く。静かに輝くその光が、修行者の精神を次第に高みに引き上げ、クンダリニーの覚醒への道を示していくのだった。

これはまだ始まりに過ぎない。クンダリニーの目覚めは、長きにわたる修行の中で、少しずつ、しかし確実に近づいていた。

 

ヨーガ秘伝珠の発光”

ヨーガ秘伝珠の発光”

つぎに、ヨーガ秘伝として伝わる明珠の発光〟を伝授しよう。

まず、火の呼吸法を適宜。

火の呼吸法が終わったら、基本姿勢をとって、心と呼吸を調える。

つぎに、眼を閉じ、眉間の、アージュニャー・チャクラの部分に心を集中す る。心をしだいに内部に移す。

聖語「オーム・オン」を心にくり返し、集中をつづける。

やがて、頭蓋の内部のアージュニャー・チャクラの部分に、半透明のピンポ 玉よりやや小さい球体があらわれるようになる。

それは最初、その部分に固定しているが、やがて、そこから離れて、(頭蓋の 中で) 浮揚するようになる。 浮揚するようになったら、それを徐々に眼窩の奥に

移動させていく。眼窩の奥に移動させ終わったら、眼球をぐるりと後方に旋回 させて、(心眼を体の内部に向ける。

以後、この眼は、浮揚している球体といっしょに移動するのである。

浮揚する球体が眼窩の奥に達したら、ごく静かに吸収しつつ、これを頭蓋骨 の底に移す。 頭蓋骨の底に達したら、背柱の中にあるスシュムナー管にそっ て、静かに垂直に下降させていく。そして、最後に臍と一線上にある体の中心 に到達させる。

臍の裏側に到達したら、 聖語を約百唱する間そこに置き、それから、二横指 上のところに移す。 ここに球を置いたら、そこに心を集中し、聖語をくり返し

そうしていると、ついに、半透明であった球体が、しだいに光を発するよう

これが「パドマ・マツガの発光」である。

Q(パドマ・マツガとは、じつは「○○○」 である。極秘伝のため、ここでは秘すが、賢

明な読者であれば、お気づきであろう)

光が見えはじめたら、それをたもつために、呼吸も心もごく静かにしていな ければならない。

もし光のほかに、花とか、葉とか、雲のようなもの、また生物の姿などがあ らわれても、それはそのまま静かにながめておればよい。 それがあらわれても 消えても、自然に、ただなにげなくながめているという気持ちで見ているこ と、また、なにも見えなくても、強いて見たいと思ってはならない。

クンダリニー・ヨーガの第一歩は、修行者の体内にあるパドマ・マツガに光 しめるところからはじまるのである。

パドマ・マツガが一度目ざめて発光すると、瞑想に入るやすぐにパドマ・マ ツガは光を放ちはじめる。それは、 思念を強めると、光も強く放たれる。

修行者は必要に応じて、パドマ・マツガを各チャクラに移動させ、光を強 め、ホルモンの分泌をうながすのである。 それは、クンダリニーの覚醒にも欠

くことのできない力を持つ。

求聞持聡明法

ヨーガの修行をしてある程度の力を持った者が、この定に入っている修行者 の体を見ると、発光体が修行者の体内を移動するさまを外部からはっきり見る ことができる。それは決して修行者の観想による主観だけのものではないので ある。神智学協会には、インドの熟達した導師による実験写真が数枚ある。 パドマ・マツガの発光は、熱心な修行者で、およそ一、二年かかるとされる。

発光したパドマ・マツガを、もう一度、アージュニャー・チャクラに引き戻 し、そこでさらに集中の度を強める。

光度を増したパドマ・マツガを、松果腺・松果体視床下部へと静かに移動 させてい

これは、やさしいことのように思われるかもしれないが、そうではない。 あ る理由により、これは非常に困難な作業なのである。

その大きな理由のひとつは、大脳の中の錯綜した神経群である。 この境界に 達した修行者にとって、パドマ・マツガは「実在」なのである。このパドマ・ マツガを、正しい 「道すじ」のとおりに通過させて、誤りなく目的の場所に到 達させるのは、非常に困難な仕事である。 導師の助けなく独力でこれをなしと げることはほとんど不可能なこととされている。

視床下部の正しい箇所に到達すると、その瞬間、目のくらむような閃光が頭 蓋の中を走る。視神経がスパークした感じである。

おうぎしょ

クンダリニー・ヨーガの奥義書が、「このチャクラを目ざめさせると、この部

さんぜん

位に光明があらわれて、燦然と輝く」といっているのは、これである。

わたくしは、これが、人を天才にする 「求聞持聡明法」であるとしている。 なぜならば、この閃光が走った以後、修行者の脳細胞は、それまでと一変した はたらきを示すようになるからである。 一度、見聞きしたことは、どんなこと でも、必要に応じて記憶によみがえらせるし、独創的・天才的なアイデアが、 つぎつぎと泉の湧き出るように、尽きることを知らないようになる。むしろ、

異常といってよいほどのはたらきをするようになるのである。

サハスラーラ・チャクラの真の成就は、 クンダリニーの覚醒、上昇を待たね ばならないが、この「求聞持聡明法」の成就が、その第一歩なのであろう。

このパドマ・マツガの修行は、クンダリニー・ヨーガの極秘の秘伝であっ これ以上のべることはできない。いくつかの口伝もあるけれども、それを 筆にすることは禁ぜられているのである。 しかし、読者が、自分で工夫しなが 自修することのできる程度にまでは公開したつもりである。読者の懸命な工 夫・自修を切に願うものである。

求聞持聡明法

私は求聞持聡明法の修行に取り組んでいた。すでに三度目の挑戦だった。

最初の試みは、真言宗の行法に依拠した。しかし、それは完全な失敗に終わった。集中力を高める効果はあったが、それ以上のものは得られなかった。求聞持聡明法を詳細に分析し、私は結論を出した。――真言宗の伝統的な行法だけでは、脳の構造を一変させるような力は持ち合わせていない。少なくとも、従来のままの修行では、それは実現し得ないという確信に至った。

それではなぜ、弘法大師空海はこの行法を通じて成就し、悉地(すべての能力を獲得すること)を得たとされているのか。彼は、おそらくこの行法の背後に隠された何か――秘密技術を体得していたのだろう。彼が残した求聞持法は、その秘密技術へのヒントに過ぎず、本当の技術は自身の努力で発見せよ、という暗示であったのだろう。だからこそ、この法を修した多くの天才たちが、成功までに何度も失敗を繰り返したのだ。

二度目の修行では、私は古代ヨーガの技術を取り入れた。初めての試みよりも確かな感覚を得ることができた。50日間の修行を経ても求聞持法の成就には至らなかったが、私は確信を深めた。この方法で進めば、求聞持法は必ず成就する。さらなる確信を得た私は、この技術をさらに積み重ね、延長してゆくことを決意した。

そして、三度目の修行に入った。今回は、求聞持法に伝わる九種の印明に加え、古代ヨーガの特殊な呼吸法、そして私が創案した手印とポーズを組み合わせた特別なトレーニングを続けた。100日目に達し、ついに私は感じた――体と脳が微妙に変化しているのを。

まどろみのような感覚の中で、それは突然訪れた。苦痛の叫びを上げたその瞬間、脳髄の一角に稲妻のような電流が走り、私の視野は真っ暗になった。失明――一瞬、そんな考えが脳裏をよぎった。だがその時、脳の深部にポッカリと光が灯ったのだ。脈打つように、ゆっくりと、黄ばんだ冷たい白い光が瞬き

 

日の国の法、金星の法  Law of the Sun, Law of Venus

日の国の法

遥かな時代に響く声
神々の息吹きが伝う空
ピンガラとイダーの道を開き
永遠の風が人々を包む

日の国の法よ、目覚めよ今

熱と冷が舞う調べの中で

仏陀の光が導く息吹き永世、

我らを救う

 

金星の法

 

金星の光、脳奥深く
求聞持の法、賢者を呼ぶ
未知の力、間脳を照らし
輝く未来を今、導く

金星の法よ、目覚めよ今
闇を払い、怨念を浄化せよ
脳に輝く救世の光
すべてを救う、その力

 

Law of the Land of the Sun

A voice that resonates in a distant time
The sky where the breath of the gods travels
Open the path of Pingala and Ida
The wind of eternity envelops the people

Law of the Land of the Sun, awaken now

Amid the melody of dancing heat and cold

The breath of the light of the Buddha guides us to eternal life

Save us

Law of Venus

The light of Venus, deep in the brain
The law of Gyumonji, calling the wise
An unknown power, illuminating the diencephalon
Guiding us to a bright future now

Law of Venus, awaken now
Dispel the darkness and purify your grudges
The light of salvation shining in the brain
The power that saves all

 

日の国の法

 

それが、「日の国の法」だったのである。 ノストラダムスがその予言詩で、 – 日の国の法と金星の法が競い合う といった「日の国の法」がこれだったのである。 わたくしは、さきに、「日の国の法」とは、日本の古代神法「息吹き永世の法」で あるとのべた。

仏陀の法のピンガラ、イダーを開発形成する法は、日本の古代神法 「息吹き永世」 の中にあったのである。

わたくしは、いまから一九年も前の一九七二年に刊行した『密教・超能力の秘密』 の中で、このことをいっている。さきに抜粋したものをもう一度のせてみよう。

 

私も以前、修行中に、これが息吹き長世の法であるという二、三の法に接したが、 世にいうほどの秘法とも思われず、さりとて、私にもそれが本当のものであるか、 そうでないかを見きわめるほどの古神道の素養もなく、そのまま過ごしてきたこと であった。

ところが、クンダリニーの覚醒に際して、私は、まったく思いがけず、この息吹 き長世の呼吸法を発見したのである。

息吹き長世の法の特長は、この法成就するや、寒熱自在の息を長嘯す、とあるよ うに、定に入ると、凍るように冷たい息と、熱風のように熱い息とを交互に、自在 に吐くのである。この、寒熱自在の息は不思議な力があって、法の通りにこれを息 吹くと、いかなる病気も、怪我もたちどころに痛みが去り、快癒におもむくとされ ている。瀕死の病人にむかい息吹くとき、神の新鮮な生命力を吹きこまれて、たち どころによみがえり、元気充実す、という。おかしたる罪けがれも一切浄化される。 天地四方にむかって息吹くときは、悪霊、怨念、低級の霊、すべての障害が消滅す る。「是レ、神ノ息吹キ也」とある。修行者が常時これを修すると、神人合一して

三○○歳の長寿を得るという。

私が、クンダリニー覚醒に際して、痛烈なショックをうけたときに、もっともい ちじるしいことは、急激な寒さと、燃えるような熱さとが、交互に全身を襲ったこ とであった。そうして、寒さにおそわれたときには、吐く息も、氷のように冷たい 息であった。腹の底からかあッと熱いものがこみあげてきたときには、息もたえだ えに熱風のような息を吐いた。二、三〇秒おきにこの寒熱が全身をおそうのである から、たまったものではないのだ。からだ中の細胞がバラバラになってしまうので はないかと思われ、大の男が思わず悲鳴をあげてしまう。

このときは気がつかなかった。のちになって、このときの呼吸のしかたが異常だ ったことに気がつき、何度もそれをくりかえしてみた。最初はできなかったが、定 に入り、腹部と胸部のチャクラを使うと、次第にこの特殊な呼吸法ができるように なった。寒熱自在の息を吐く呼吸法のコツが体得できた。はなしに聞く息吹き長世 の呼吸法がこれであると合点された。 息吹き長世の原点は、古代ヨーガのなかにあったのである。この呼吸の技術は、

 

古代ヨーガ独特のものである。息吹き長世の秘法は、この技術によるものであるこ とは疑いない。

この古代ヨーガの技術がどのようにしてわが国の古代神道にとり入れられたもの か、私にも判然としない。おそらくは、神代とよばれる古い時代に、古代ヨーガを 体得した超人が、大陸から渡来してこれをつたえたものであろう。あるいは、それ が、この国で神とよばれるこの国の始祖になったのかも知れない。 「たしかに、この特殊な呼吸法は、肺と心臓の機能をいちじるしく強化して、全身 の血流を浄化し、体力を異常にたかめると同時に精神をふかく鎮静させ、頭脳を新 鮮な思考力でみたしてくれる。また、それは心のおくふかくわかわかしいロマンを かきたててくれるようである。それは古代の神への回帰であろうか。ふかい定に入 ると、たくましい古代の神々が、果てしなく深い青空にむかって、厚い胸をそらし、 声をかぎりに神叫びにおらぶ、ゆたかな声量がわが胸に躍動してくる思いだ。この 刹那の悠揚たる充実を持ちつづけるならば、人はたしかに三○○歳を生きつづける ことも難事ではあるまい。私はいま、この呼吸法を、だれでも容易に体得できるよ

う、あたらしい古代神法、息吹き長世、の復元をはかりつつある。古神道の行法 にのっとり、クンダリニー・ヨーガのチャクラをとり入れたピンガラ、イダーの開 発法はすでにほとんど完成している。ただ、この法は、ごくデリケートな呼吸の操 作を必要とし、もし間違えるとよくない影響もあると考えられるので、ペンだけの 表現でつたえることは不可能である。実地の指導なくしては体得し得ない。読者は ベつな機会を持ってほしいのである。

(『密教・超能力の秘密』平河出版社刊)

一九年の昔の、まだ修行途上時代の筆であるから、いまから見ると、思い違いをし ている部分もあり、完全に把握していない部分もある。しかし、大筋において間違っ てはいない。

以来、十数年の間、わたくしは、わき目もふらず、ひとすじに、この法を追求しつ づけてきた。そして、結局、これが、仏陀の法につながっていたことをさとったので ある。

右の文章中、「古代ヨーガ」とあるのは、「仏陀の法」だったわけである。当時のわ たくしには、そこまでの眼がなかったのである。勉強不足であった。十数年間の一筋 の修行が、その目をひらかせてくれたわけである。 (阿含経に深くふれたのは、この あとのことであった)

前の節にのべたピンガラ・イダーを開発する「秘密マントラ特殊詠唱法」の呼吸法 が、じつは古代神法 「息吹き永世」の呼吸法なのである。

というのは、息吹き永世の法では、〝寒熱自在の息を吐く。のであるが、これは、 ピンガラ、イダーのはたらきによるものと思われるからだ。 クンダリニー・ヨーガでは、 ピンガラは「太陽の気道」と呼ばれ、高い熱気を伴う とされ、 イダーは、「月の軌道」と呼ばれ、冷寒を伴う とされる。

仏陀の法では、ピンガラが発する熱を、「発動・昂揚」のエネルギーに変え、イダ

ーが発する寒冷を「沈静・凝縮」のエネルギーに変えたのであろう。

息吹き永世では、このエネルギーを「神の息吹き」として、人びとの救済に用いた のである。

こういうかたちで、仏陀の法が古代神法の中に生きていたのだと思うと、一九年の 昔も今も、わたくしの胸は、古代の神々への限りない回帰の念にうちふるえるのである。

この法の伝授については、一九年の昔の文章をそのままのせるしかないであろう。 即ち、この法は、ごくデリケートな呼吸の操作を必要とし、もし間違えるとよくな い影響もあると考えられるので、ペンだけの表現でつたえることは不可能である。実 地の指導なくしては体得し得ない。読者はべつな機会を持ってほしいのである。と。

 

 

ヴェニュー 金星の法

ノストラダムスの予言詩にある「金星の法」とは、求聞持聡明法のことであると、

さきにのべた。

求聞持聡明法は、「明星」すなわち金星を祀って観想を凝らし、マントラを唱えて、 修行をする。これ以上に、「金星の法」というのにふさわしい法はないであろう。し かも、この法は、人の脳を改造し、すぐれた賢人にする法とされている。まさに、救 世主の法とするに足る法ではないか。

しかし、わたくしが、この求聞持聡明法を以て、金星の法と断定するのは、それだ けのことではないのである。もっと深い理由があるのである。 それはなにか? そのことについて、わたくしは、一九年前のむかし、『密教・超能力の秘密』で、 ~求聞持聡明法・明星の秘密』と題して、つぎのようにのべているのである。

まず、最初、真言密教の求聞持法をのべてみる。 「この法を修するには、東南西三方の晴れたるところを最上とする。東方のみでも 悪くはない。道場の東壁に小窓をつくる。これは虚空蔵の化現である明星(金星)

の光を道場にさし入れるためである。また、朝日夕月の光を本尊にあてる意もあり、 あるいは小窓に網を張り、黄色の種字の字を書いて、そこから、明星の光をとおし て本尊にあてるためでもある」

とまず場所を制定し、つぎに、さだめられた本尊の印明を百万べん、五十日ある いは百日に読誦するのであるが、日蝕または月蝕の時に結願するよう開 白(はじ めること)しなければならぬとある。

弘法大師空海は、求聞持聡明法成就の体験を、 「 阿国大滝の国にのぼりよじ、土州室戸の崎に勤念す。谷響を惜しまず、明星 影す。云々」 と語っている。阿波の大滝岳にのぼり、土佐の室戸岬でこの法の修行にはげんだ ところ、谷はこだまし、明星があらわれるなど、法にいわれている通りの現証があ り、法が成就した―――、というのであるが、これは、このまま鵜呑みにすると間違 ってしまう。 真言密教の求聞持聡明法秘伝に、こうある。

というのは、結願に際して、香に火を置き、明星を拝したとき、四 方が暗く明星が見えなければ、修行が成功せず、失敗したのである。暗くても明星 が現われれば下品の成功であり、四方が少々晴れて明星が現われれば中品、ことご とく晴れて明星現われれば成就、明星が眼前に現われ遊曳するのが、最高の成功で ある。四方が晴れても明星が現われなければ、失敗である」

と。 これがちがうのである。全くちがう。 こういう口伝や奥伝を頼りにいくら修行しても、気の毒だが、求聞持聡明法は成 就しない。 なぜか? 明星は、天空には現われないのである。 では、どこにあらわれるのか?

それについて、わたくしは、別のページで、つぎのように修行体験をのべている。

脳のチャクラが開発されたとき、間脳、視床下部の辺で、光を感ずるような刺激が 生ずるのである。神経経路がスパークするのであろうか。

わたくしがここでいいたいのは、ノストラダムスが予言した「金星の法」は、真言 密教の求聞持聡明法ではなく、仏陀の求聞持聡明法であったということである。

なぜならば、脳底にきらめくこの金星は、仏陀の法でない限り、ぜったいにあらわ れないからである。 ノストラダムスは見たのである。四五〇年の昔、未来の世にあらわれる仏陀の脳の 奥ふかく然ときらめく金星の光を。 そして名づけたのだ。「金星の法」と

救世主の法は、他のものが持たぬ二つの力を持たねばならない。 それは、第一に、これまで説いてきたように、人間の脳の致命的な欠陥を、根本的 に改造する力である。

第二に、メシアの法は、生者を救うだけではなく、死者をも救済する力を持ってい なければならない。全地球上にみなぎる死者の怨念を消滅させる力である。

霊的な力を持つ聖者ならばだれでも、地球を覆う死者の悲泣呻吟の声を耳にして、 心痛の限りを尽くさぬものはない。

この死者の怨念のバイブレーションが、すべての人の深層意識を動かしている。こ とにおそろしいのは、もの心つかぬ幼少年の心に深い傷や亀裂をあたえていることだ。

フロイトによると、ヒトが生まれてからの数年は、一種の催眠に似ており、その数 年間に幼児はさまざまな影響と暗示をうける。それらの影響と暗示が、のちになって

 

上の      文章を箇条書き   にして