仏するのである。わが死せることを知り、五蘊のすでに空に帰してすでに現世に存在せぬこと
さとり、霊界に往生してゆくわけである。
その2 悪業を解く追善供養法
しんやくいつ
「七分一」
という。
ところが、そういかないことがある。
それは、「死」をさとり、わが五蘊のすでに解けたのはさとったものの、生前、悪業を多く なしたために、その悪業のカルマが解けず、霊界に行くことができない、という霊の場合であ る。これが非常に多いのである。
五蘊の解けたことをさとったので、肉体的な苦痛は無くなる。 諸法皆空の理をさとったか ら、執着、執念もうすらいだ。 そして、行くべき霊界のあることもわかった。 しかし、悪業の カルマのために、そのよきところ(霊界)に行くことができない。あらたな苦しみである。 そう なると、いったんさとった諸法空の真理も迷いを生じ、肉体的苦痛もよみがえってくる。こ れが、「地獄に落ちる」ということなのである。
これを救うのが、遺族、子孫の「追善供養」なのである。
追善とは、「追福修善」を略したもので、亡きひとが成仏するための福を得られるよう、善 業をして、その功徳を追送してあげるのである。 亡きひとが、生前、福をなすことがすくな かった。そのために成仏できずにいる。亡きひとにかわって、福をなすわけである。
ただし、ただやたらによいと思われることをすればいいというものではない。霊視の力を持 った導師に、その霊の生前欠けていた徳を教えてもらって、その徳を積み、おかした悪業を解 消することのできる善行を指導してもらって、おこなうことがもっとも大切である。
追善供養によって不成仏霊の得る福を
これは、『地蔵菩薩本順経』の下、「利益存亡品」に、
もし、男子、女人あって、生に因を修せず、もろもろの罪をつくる。命ののち、この 人のために、家族の者)小大の福利(仏さまの供養とか、他の人びとのために業を積むこと) をなすに、一切の聖の七分の中すなわち一を獲るなり。 六分の功徳は生者みずから利す」
た祖先の霊である。
仏、昔に云ってく、この人(亡者)のために追福を修す。七分の中、一を獲るなり。なん
のゆえに怒る。その生前に道徳(仏道徳)を信ぜざる因縁のゆえに、福徳七分の一を痩せし む』
家族、子孫が、一生けんめいに不成仏霊のために追善供養してあげても、わずかにその七分 のしかとどかない、というのである。まことになさけないはなしで、それくらい、不成仏霊 は不徳の存在なのである。わたくしたちは、生きているこんにちただいま、ブッダの教えを信 死してのち行くべき世界のあることをよく認識して、その心がまえを持って生きるべきで
つぎに、この追善供養をさらにすすめたご供養がある。
その3 祖霊に守護霊」になっていただくための増益供養法
不成仏霊がないのに、家運が衰退して、いろいろな災難があいつぎ、ものごとがはかばかし く進まず、子孫が苦しみ悩むとき、これを防ぎってくださるのが、成仏して高い境界に入っ
しかし、これは、ただ成仏したというだけの祖霊では、それだけの力も徳もないのである。 りっぱな徳と力を持った高い境界の祖霊のみが、子孫の家の守護霊となって、家運をつよく し、子孫を災難から護ってくださるのである。
一家に守護霊があるのとないのとでは、天地雲泥の差がある。
守護霊がおられると、すべての災難を未然に防ぎ、学業、事業、商売、家庭の問題等、なん でも、やることなすこと、すべて、守護霊が道をひらく手配をしてくださるのである。 「運が いい」とか、「ついている」などといった表現ではあらわしきれない幸運に恵まれるのである。 もちろん、その守護霊の境界の高さ、力の大小によりちがいはあるけれども、とにかく、守護 霊のおられる家は、ぐんぐん家運が上昇して行く。 これはもう、じつに顕著である。
では、どうしたら守護霊を持つことができるかというと、生前によき力を持ちよき徳を残し 成された祖霊を霊視力のある導師に見つけていただいて、その祖霊を法の通りおまつり し、守護霊となられるよう、ご供養申しあげるのである。 わたくしの経験からいうと、どんな 家にでも、無数の祖霊のなかには、かならず、一体や二体の徳力あるかたがおられるのであ
る。そういう祖霊を、法式にしたがっておまつりし、高い守護霊となる徳と力をそなえるよ う、家じゅうで善業を積んで、その福をその霊に追送するのである。だから、これは、さきに 述べた「追善供養」の一種ともいえるが、わたくしの教団では、これを、「守護霊増益供養」と 名づけているのである。
~お墓にはいない不成仏霊
ぶっせ
以上でおわかりのように、仏事においていちばん大切なことは、成仏していない霊の一体も ないようにするということである。それには、まず、 かず多くのご先祖の霊のなかに、不成仏 霊がいないかを知ることである。万一、一体でもあったら、ただちに、「解脱供養法」を修し ていただいて、すみやかに成仏していただかなければならない。
前にも述べたように、不幸な不成仏霊の苦しみなやむすがたが、そのまま、その家の状態に なるからである。
ふつう一般のひとたちは、霊視能力がないからさいわいで、不成仏霊は、わが家のなかで、 正視するにたえないすさまじいすがたで、七転八倒して苦しんでいるのである。いくら見えな
くても、その家の住人が、 こころにからだに影響をうけて、判断力を失い、知能を低下させ、 あるいは病気をしたりケガをしたりするようになるのは当然である。 知らぬがホトケというけ れども、よくそういう亡霊体といっしょに住んでおられるなあ、とわたくしはいつも思う のである。
そういうと、うちではお骨をはじめ、なにもかも、墓地へほうむり、あるいはお寺へあずけ てしまっている。そういう体がいるはずない、というかも知れないが、はっきりいって、不 成仏霊に、お寺や墓地は関係ないのである。
たいへん矛盾したはなしであるが、不成仏霊というのは、お寺や墓地には行かないのであ る。というのは、不成仏霊は自分の死んだことを知らずにのたうちまわっているのだから、死者 行く墓地やお寺へ行くはずがないのである。(もしお寺へ行っていたら、すでに不成仏霊ではない) おわかりであろうか? この悲惨なナンセンスが、
いくらりっぱな大吉相墓でも、これではなんにもならぬのである。ちょうど、超豪華な別荘 をつくったが、そこに入ってもらう主人が重病で苦しんでいて、家をはなれることができな いとでもたとえたらいいであろうか。