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龍神が跳ぶ

祖霊が守護霊となるってくる。 行者の高まりは、同時に、鑑の境界の高まりである。不成仏霊もしだいに成仏し、霊障をみて、導師に、徳のある祖置をみつけていただいて、この祖霊に、特に守護 霊となる「増益供養」をするのである。

この供養により、祖霊は、守護置となり、修行者と修行者の家族を守る守護霊となるのであ る。守護霊を持つと、以後の修行者の行は、急速に進歩する。そうして、さきの章でのべた龍 尊の「守護神」を持つ段階へとはいってゆくのである。

 

阿含経

 

佛說阿含經(精要)

如是

我聞。一時佛住拘留國雜色牧牛聚落。爾時佛告諸比丘。

我以知見故。得諸漏盡。

云何以知見故。

得諸漏盡。謂此色此色集此色滅。

此受想不修方便隨順成就。行識。

此識集此識滅。若而
用心求令我諸漏盡心得解脫。

當知彼比丘終不能得漏盡解脫。

所以者何。

不修習故。

不修習何等。謂 如是比丘。

不修習念處正勤如意足根力覺道。

善修方便。正復不欲漏盡解脫。盡。心得解脫。所以者何。以勤修習故。

何所修譬如大舶在習。謂修念處正勤如意足根力覺道。

於海邊。經夏六月風飄日暴。藤綴漸斷。如是比丘。精勤修習。

隨順成就。

一切結縛使煩 何所修習。
漸得解脫。所以者何。善修習故。

說是法時六十比修習念處正勤如意足根力覺道。

丘。不起諸漏。心得解脫。佛說此經已。

 

諸比丘

開佛所說。歡喜奉行。

(雜阿含経)

The Buddha’s Religion How is it? I hear you. For a time, he was detained in a country where he lived in a deserted cattle ranch. At that time, the Bhikkhus accused the Buddha. From my own knowledge. What a loss. I don’t know why. What a loss. So-called this color, this color collection, this color extinction. This way of thinking and not practicing is accomplished. Good manners. This collection of knowledge, this ignorance. young age Be careful and understand all omissions. He knows that the bhikkhu is completely free of all obstacles. What is the reason? Due to lack of training. What a lack of training. The so-called Nyoze Bhikkhu. A reminder of non-training, correct attendance, and the power of the feet. Good fix. Correct recovery, desirelessness, omission. Full. Explanation of knowledge. What is the reason? Due to working training. Where is Shubannyo Daisen in training? The so-called practice of spiritual practice is the practice of self-reflection. At the seaside. Summer June wind breeze day raid. Fuji Tsuzuri Kenkai. Nyoze Bhikkhu. Diligent training. Successful completion. All bondage and training. Gradual release. What is the reason? Because of good practice. This is the Dharma time, 60 ratio training, remembrance, correct attendance, and the power of the feet. hill. Mistakes and omissions. Explanation of knowledge. This is what the Buddha says.

Bhikkhu The opening of the Buddha. A happy magistrate. (Shin Agon Sutra)

 

 

 

 

 

 

(

阿含経

ぶっせつあごんぎょう

佛說阿含經(精要) せいよ

如是

我聞。一時佛住拘留國雜色牧牛聚落。

爾時 じ し

とくしょろじん

佛告諸比丘。

我以知見故。

得諸漏盡。

云何以知 ち い が

見故。

得諸漏盡。謂此色此色集此色滅。

此受想

にゃくふしゅうほうべんずいじゅんじょうじゅ 不修方便隨順成就。

行識。

此識集此識滅。若

ようじんくりょうがしょろじんしん 用心求令我諸漏盡

とくげだつ。

しじゅそう

とうちひびく

しゅうふのう

心得解脫。

當知彼比丘終

不能

しょいしゃか

ふしゅうじゅうこ

ふしゅうじゅうかとう

得漏盡解脫。

所以者何。

不修習故。

不修習何等。

いふしゅうじゅうねんじょせいきんによいそくこんりきかくどう 謂

じょしびく 如是比丘。

不修習念處正勤如意足根力覺道。

善修方便。正復不欲漏盡解脫。

いんしゅうじゅう

盡。心得解脫。所以者何。以勤修習故。

何所修 かしょしゅう

ひじょたいはくさい 譬如大舶在

習。謂修念處正勤如意足根力覺道。

於海邊。經夏六月風飄日暴。藤綴漸斷。

如是比

丘。精勤修習。

隨順成就。

一切結縛使煩惱繩。

ぜんしゅうじゅうこ

かしよしゅうじゅう 何所修習。謂

じょしび

漸得解脫。所以者何。善修習故。

せつぜぼうしりくしゅうび 說是法時六十比

修習念處正勤如意足根力覺道。

しょろ 丘。不起諸漏。心得解脫。佛說此經已。

ぶっせつしけい しんとくだつ

しょび

諸比丘

開佛所說。歡喜奉行。

(雜阿含経)

(46)

阿含経

 

善修方便。正復不欲漏盡解脫。而彼比丘自然漏

心得解脫。所以者何。以勤修習故。何所修 習。

謂修念處正勤如意足根力覺道。譬如大舶在 於海邊。經夏六月風飄日暴。藤綴漸斷。如是比丘。

精勤修習。隨順成就。一切結縛使煩惱纒。

漸得解脫。所以者何。善修習故。何所修習。謂

修習念處正勤如意足根力覺道。說是法時六十

丘。不起諸漏。心得解脫。佛說此經已。諸

聞佛所說。歡喜

如是我聞。一時佛住拘留國雜色牡석특濟

がいち 佛告諸比丘。我以知見故。得諸漏盡。云何以知 見故。得諸漏盡。謂此色此色集此色滅。此受想 行識。此識集此識滅。若不修方便隨順成就。

得漏盡解脫。所以者何。不修習故。不修習何等。

謂不修習念處正勤如意足根力覺道。如是比丘。

 

(雜阿含経)

三供養品 1 Three offerings

くらいの能力があろうとも、運が悪かったら絶対にだめなのです。

また、人間というものは、だれもが社長になり、だれもが大将になれるわけではありません。

したがって黒田官兵衛のように、運のよい大将を選んで、あるいは現代ならば運のよい社長を選

び、そこに身を寄せて、自分の能力・才能・運をできるだけ伸ばすようにすべきだ、とわたくし は思うのです。もちろん、ただ運が強いだけではしかたがありません。強い運を基礎にして、必 死の努力を重ねていく。そうすると、必ず大きな成果を得られるわけです。

けれども運が悪かったのでは、死にものぐるいの努力をしても、努力が実ることは少ないわけ です。むしろ努力すればするほど裏目に出て、逆に窮地に立たされることもままあります。企業

でも、 また宗教団体であっても、人は運の強いところに身を寄せて、自分の能力・才能・運を大

いに伸ばす努力をすべきである、とわたくしはかねてからそのように思っています。

しかし、さきにお話ししたとおり、わたくしは最初から運がよかったのではありません。若い ころのわたくしは非常に不運でした。それが今のように運がよくなったのは、いったいどうして でしょうか?

その秘密が『三供養品』に説かれています。仏教の原点ともいえるこのお経をさっそく読んで みましょう。

涅槃とは完全解脱の境地

一時仏在舍衛国祇樹給孤独園。 時世尊告 阿難。 有三善根。 不窮尽。漸至涅槃界。 云何為三。此善根不可窮尽。於聖衆而種功德。此善根不可。窮尽。是曰く阿難。此三善根不可窮尽得到涅槃界。是故阿難。当求方便獲此不可窮尽之福。如是阿難。

学。爾時阿難聞仏所説。歓喜奉行

●現代語訳

增一阿含経・三供品

聞くこと髪の気し。味、舍衛国祇樹給孤独園に在 しき。爾の時世、阿難に告げたまわく、「三善根(三 福道)有り、窮尽す可からずして、着ぐ涅磐界に至る。 云何が三と為すや。所謂如来の所に於て功徳を種う。此 の善根窮尽す可からず。正法に於て功徳を種う。此の 善根窮尽す可からず。聖鬼に於て功徳を種う。此の善 根窮尽す可からず。是れを阿難、此の三善根は窮尽す可 からず、涅槃界に至ることを得と謂うなり。是の故に阿 難、当に方便を求めて、此の窮尽す可からずの撮を獲べ し。是の如く阿難、当に是の学を作すべし」と。雨の時 阿難、仏の所説を聞きて歓喜奉行しね。

このように聞きました。仏さまがコーサラ国の祇園精舎にご滞在の時のことです。ある日、世三供養品

 

●解説

ます。 冒頭でも触れたように、阿含宗では三善根を三福道と呼んでいます。このことについて説明し

経文中に、

尊は、阿難にこのようにお告げになられました。

「三善根(三福道)というものがありますが、その功徳は無限であり、涅槃界に至ることができ るものです。なにをもって三つの善根(福)とするのでしょうか。(第一に)いわゆる如来の所に おいて功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。(第二に)正法において功徳を種える、 この善根(福)の功徳は無限です。(第三に)聖衆において功徳を種える、この善根(福)の功徳 は無限です。阿難よ、この三善根(三福道)の功徳は無限であり、涅槃界に入ることができるの です。したがって阿難よ、三善根(三福道)を修行して、この無限の福を得なさい。このように 阿難よ、この三善根 (三福道)を学びなさい」

この教えを受けて、阿難は心より喜び、修行に励みました。

『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で「三善根」を引くと、

【三善根】さんぜんごん 無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根。一切の善法がこの三つか ら生まれるからである。それらは具体的には施・慈・想となって現われる。三毒の対。

と書かれています。しかし、この『三供養品』に説かれる三善根は、その内容がまったく異な ります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、非常な誤解を生 むもとだとわたくしは考えました。

それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?

「 此の窮尽す可から ざるの福を獲べし」

とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。したがって、わたくしはこれを 「三福道」と命名しました。この名称ならば無貪善根・無職善根・無癡善根の三善根と混同する

ことはありません。

そこで、阿含宗では、三 善根を「三福道」と変えて読誦しているのです。

さて、右の経文を一読すれば、涅槃界に至るためには三善根(三福道)が必要なのだ、という

ことをお釈迦さまが説かれているのが分かると思います。

涅槃界とはなんでしょうか?

增一阿含経・三供養品

普通は涅槃の境地・境界の意味で使われます(ただし本経では違う意味を持っておりますが、それ

については後述します)。『五戒品』でも触れたように(本書三七頁参照)、涅槃とはサンスクリット 語でニルヴァーナといいますが、生死を超越した境界、完全解脱の境地です。完全解脱とは業と 因縁から完全に解放された状態です。

わたくしたちは葉と因縁の塊です。業と因縁によって輸廻転生を続けています。輪廻転生とは 生死の流転がやまず、無限に生死の流転を繰り返すことです。まるで車の輪が廻るように絶え

●解説

ます。 冒頭でも触れたように、阿含宗では三善根を三福道と呼んでいます。このことについて説明し

経文中に、

尊は、阿難にこのようにお告げになられました。

「三善根(三福道)というものがありますが、その功徳は無限であり、涅槃界に至ることができ るものです。なにをもって三つの善根(福)とするのでしょうか。(第一に)いわゆる如来の所に おいて功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。(第二に)正法において功徳を種える、 この善根(福)の功徳は無限です。(第三に)聖衆において功徳を種える、この善根(福)の功徳 は無限です。阿難よ、この三善根(三福道)の功徳は無限であり、涅槃界に入ることができるの です。したがって阿難よ、三善根(三福道)を修行して、この無限の福を得なさい。このように 阿難よ、この三善根 (三福道)を学びなさい」

この教えを受けて、阿難は心より喜び、修行に励みました。

『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で「三善根」を引くと、

【三善根】さんぜんごん 無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根。一切の善法がこの三つか ら生まれるからである。それらは具体的には施・慈・想となって現われる。三毒の対。

と書かれています。しかし、この『三供養品』に説かれる三善根は、その内容がまったく異な ります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、非常な誤解を生 むもとだとわたくしは考えました。

それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?

「 此の窮尽す可から ざるの福を獲べし」

とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。したがって、わたくしはこれを 「三福道」と命名しました。この名称ならば無貪善根・無職善根・無癡善根の三善根と混同する

ことはありません。

そこで、阿含宗では、三 善根を「三福道

運が悪かったら絶対にだめなのです。

くらいの能力があろうとも、運が悪かったら絶対にだめなのです。

 

また、人間というものは、だれもが社長になり、だれもが大将になれるわけではありません。

 

したがって黒田官兵衛のように、運のよい大将を選んで、あるいは現代ならば運のよい社長を選

 

び、そこに身を寄せて、自分の能力・才能・運をできるだけ伸ばすようにすべきだ、とわたくし は思うのです。もちろん、ただ運が強いだけではしかたがありません。強い運を基礎にして、必 死の努力を重ねていく。そうすると、必ず大きな成果を得られるわけです。

 

けれども運が悪かったのでは、死にものぐるいの努力をしても、努力が実ることは少ないわけ です。むしろ努力すればするほど裏目に出て、逆に窮地に立たされることもままあります。企業

 

でも、 また宗教団体であっても、人は運の強いところに身を寄せて、自分の能力・才能・運を大

 

いに伸ばす努力をすべきである、とわたくしはかねてからそのように思っています。

 

しかし、さきにお話ししたとおり、わたくしは最初から運がよかったのではありません。若い ころのわたくしは非常に不運でした。それが今のように運がよくなったのは、いったいどうして でしょうか?

 

その秘密が『三供養品』に説かれています。仏教の原点ともいえるこのお経をさっそく読んで みましょう。

 

涅槃とは完全解脱の境地

 

一時仏在舍衛国祇樹給孤独園。 時世尊告 阿難。 有三善根。 不窮尽。漸至涅槃界。 云何為三。此善根不可窮尽。於聖衆而種功德。此善根不可。窮尽。是曰く阿難。此三善根不可窮尽得到涅槃界。是故阿難。当求方便獲此不可窮尽之福。如是阿難。

 

学。爾時阿難聞仏所説。歓喜奉行

 

  • 現代語訳

 

增一阿含経・三供品

 

聞くこと髪の気し。味、舍衛国祇樹給孤独園に在 しき。爾の時世、阿難に告げたまわく、「三善根(三 福道)有り、窮尽す可からずして、着ぐ涅磐界に至る。 云何が三と為すや。所謂如来の所に於て功徳を種う。此 の善根窮尽す可からず。正法に於て功徳を種う。此の 善根窮尽す可からず。聖鬼に於て功徳を種う。此の善 根窮尽す可からず。是れを阿難、此の三善根は窮尽す可 からず、涅槃界に至ることを得と謂うなり。是の故に阿 難、当に方便を求めて、此の窮尽す可からずの撮を獲べ し。是の如く阿難、当に是の学を作すべし」と。雨の時 阿難、仏の所説を聞きて歓喜奉行しね。

 

このように聞きました。仏さまがコーサラ国の祇園精舎にご滞在の時のことです。ある日、世

光明真言

 

真言は、難陀兄弟のものは、

「オン・ナンダ・バナンダ・エイ・ソワカ」

 

オン  シンタマニ ダト  オン  サワカ

 

オンアビラウンケン

釈迦如来

ナウマク・サマンダ・ボダナン・バク

 

 

光明真言

 

23の梵字から成り、最後の休止符「ダ」を加えて、合計24の梵字を連ねる。

梵字

デーヴァナーガリーによる表記: ओं अमोघ वैरोचन महामुद्रा मणि पद्म ज्वाल प्रवर्त्तय हूं
発音と意味
oṃ amogha vairocana
オーン 不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ
オン アボキャ ベイロシャノウ
唵 阿謨伽 尾盧左曩
mahāmudrā[1][2][3] maṇi padma
偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ
マカボダラ マニ ハンドマ
摩訶母捺囉 麼抳 鉢納麼
jvāla
熾光よ
ジンバラ
入嚩攞
pravarttaya hūṃ
転変せよ)
ハラバリタヤ
鉢囉韈哆野
hūṃ
フーン(種子/聖なる音)
ウン

 

釈迦如来

ナウマク・サマンダ・ボダナン・バク




准胝観音

「ナモサッタナン・サンミャクサンモダクチナン・タニヤタ・オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ

 

降三世明王

  • オン ソンバ ニソンバ ウン バザラ ウン ハッタ

 

  1. 難陀(ナンダ、なんだ – आनंद Ānanda)
    訳:歓喜。難陀と跋難陀は兄弟竜王で娑伽羅(サーガラ:大海)竜王と戦ったことがあった。『不空羂索神変真言経』(T1092)第十六章「広博摩尼香王品」にて。
  2. 跋難陀(ウパナンダ、ばつなんだ – उपनन्द Upananda)
    訳:亜歓喜。難陀の弟。難陀竜王と共にマガダ国を保護

唐の金沙灘の地は、まだ仏教の教えが届かぬ荒野だった。その地に、ある日、ひとりの美しい乙女が現れた。彼女は竹籠に魚を入れ、村から村へと魚を商い歩く。人々はその端麗な容姿と澄んだ眼差しに魅了され、次々と「嫁に来てほしい」と求婚する者が現れた。

だが、乙女は静かに首を横に振り、条件を告げた。
「私は幼い頃より仏の教えを信じ、尊んでおります。もしも仏さまの教えを信じる方のお家であれば考えましょう」

その言葉に、村人たちは「それくらいなら」と胸を張ったが、乙女の条件は次第に厳しくなった。
「では、毎日『普門品』を読んでくださる方」
これには少し尻込みする者もいたが、なお数名の若者が名乗りを上げた。だが、最終的に彼女が口にした条件に、ほとんどの者が諦めざるを得なかった。
「三日間で『法華経』一部八巻を読誦できるようになった方の許へ嫁ぎます」

ただひとり、その挑戦に立ち向かったのは「馬郎」と呼ばれる若者だった。彼は寝る間も惜しんで経を読み、三日目には見事にそれを成し遂げた。

人々の祝福の中、乙女との婚礼の日がやってきた。しかし、その朝、突然の悲劇が村を襲った。乙女は目を覚ますことなく、そのまま冷たくなっていた。馬郎をはじめ村人たちは深く嘆き、涙ながらに乙女を塚に葬った。

それから数日後、一人の老僧が村を訪れた。彼は村人たちの話を静かに聞き終えると、厳かに言った。
「その乙女こそは観音さまが仏法を広めるため、この地に仮の姿で現れたお方だ。埋めた棺を開けてみるがよい」

村人たちは半信半疑ながらも、老僧の言葉に従い、塚を掘り返した。そして棺の蓋を開けたその瞬間、目を見張る光景が広がった。棺の中には乙女の白骨が金色に輝き、ひとつに連なっていたのだ。

村人たちはその姿に平伏し、涙を流しながら観音さまへの感謝と畏敬の念を捧げた。それ以来、金沙灘の地には仏法が広まり、人々は観音さまの教えを深く信じるようになったという。

そしてその後、乙女の姿を象った小さな木像が作られた。その像は「魚籃観世音菩薩」と呼ばれ、千年以上にわたって人々の心の支えとなり続けている。

 

十三仏

十三仏
真言宗では胎蔵・金剛界曼荼羅の大日如来を中心とする多くの仏さまを信仰するところに特長があります。曼荼羅の仏さまのうち、それぞれのすぐれた功徳により、共養する精霊を極楽にお導き下さるよう、亡き人の初七日から三十三回忌までに、それぞれの誓願と徳を持っている仏様が配置されています。
この忌日ごとの守り本尊が「十三仏」です。
※初七日、二七日、三七日と七日ごとを区切りとして七七日で四十九日となります。
WEBお参りでは、故人様の忌日の守り本尊を表示いたしております。
※尚、十一面観世音菩薩様は宝性寺のご本尊様です。

不動明王

(ふどうみょうおう)

 

のうまく さまんだ ばざらだん かん

初七日忌
智慧の剣で迷いの苦を払い、慈悲の絹索で精霊を救う仏さま

釈迦如来

(しゃかにょらい)

 

のうまく さなんだ ぼだのう ばく

二七日忌
仏の教えを説きその苦を除いてくださる仏さま

文殊菩薩

(もんじゅぼさつ)

 

おん あらはしゃ のう

三七日忌
認識の迷いを覚まし、悟りの世界の美しさを教える仏さま

普賢菩薩

(ふげんぼさつ)

 

おん さんまや さとばん

四七日忌
救いを求め、真言を唱えれば罪を滅してくださる仏さま

地蔵菩薩

(じぞうぼさつ)

 

おん か か か びさんまえい そわか

五七日忌
あらゆる手立てで、悟りの境地を持たせてくださる仏さま

 

十一面観世音菩薩様は宝性寺のご本尊様です。 

不動明王

(ふどうみょうおう)

 

のうまく さまんだ ばざらだん かん

初七日忌
智慧の剣で迷いの苦を払い、慈悲の絹索で精霊を救う仏さま

 

釈迦如来

(しゃかにょらい)

 

のうまく さなんだ ぼだのう ばく

二七日忌
仏の教えを説きその苦を除いてくださる仏さま

 

文殊菩薩

(もんじゅぼさつ)

 

おん あらはしゃ のう

三七日忌
認識の迷いを覚まし、悟りの世界の美しさを教える仏さま

 

普賢菩薩

(ふげんぼさつ)

 

おん さんまや さとばん

四七日忌
救いを求め、真言を唱えれば罪を滅してくださる仏さま

 

地蔵菩薩

(じぞうぼさつ)

 

おん か か か びさんまえい そわか

五七日忌
あらゆる手立てで、悟りの境地を持たせてくださる仏さま

 

弥勒菩薩

(みろくぼさつ)

 

おん まい たれいや そわか

六七日忌
仏法僧の三宝に帰依する前に、信心を持たせてくださる仏さま

 

薬師如来

(やくしにょらい)

 

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

七七日忌
身体と心の病を治し、悟りの努力を見守る仏さま

 

観音菩薩

(かんのんぼさつ)

 

おん あろりきゃ そわか

百ヶ日忌
仏の教えを聞かせ、仏の徳を信じれば迷いを除いてくださる仏さま

 

勢至菩薩

(せいしぼさつ)

 

おん さん ざん ざん さく そわか

一周忌
智慧の光をもって衆生の迷いを除いてくださる仏さま

 

阿弥陀如来

(あみだにょらい)

 

おん あみりた ていぜい から うん

三回忌
四十八の誓願を立て西方浄土に導いてくださる仏さま

 

(あしゅくにょらい)

 

おん あきしゅびや うん

七回忌
覚悟を強くし、ゆるぎないものにしてくださる仏さま

 

金剛界大日如来

(こんごうかいだいにちにょらい)

 

おん ばざら だど ばん

十三回忌
信心すれば迷いを除き曼荼羅世界に導いてくださる仏さま

 

虚空蔵菩薩

(こくうぞうぼさつ)

 

おん ばさら あらたんのう おん たらく そわか

三十三回忌
限りない福徳と智慧に導いてくださる仏さま

 

十一面観世音菩薩

(じゅういちめんかんのんぼさつ)

 

おん まか きゃろにきゃ そわか

十一面観世音菩薩様は宝性寺のご本尊様です。10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらしてくださる仏さま

 

 

⑩阿弥陀如来(あみだにょらい)|三回忌

阿弥陀如来

西方の極楽浄土の教主です。極楽の住人を正しく教化するため説法に努めています。
【梵字の読み方】キリーク
【真言】オン アミリタ テイセイ カラ ウン
【十王】五道転輪王(ごどうてんりんおう)

⑪阿閃如来(あしゅくにょらい)|七回忌

阿閃如来

東の浄土におり、「無動如来」ともいわれます。動じない堅固な意志をもち、魔を下す強い力を持っています。
【梵字の読み方】ウン
【真言】オン アキシユビヤ ウン
【十王】蓮上王(れんじょうおう)

⑫大日如来(だいにちにょらい)|十三回忌

大日如来

天地宇宙の中心の仏様です。一切衆生を深い優しさと限りない厳しさに満ちた大いなる懐で抱きます。
【梵字の読み方】バン
【真言】オン バサラ ダドバン
【十王】抜苦王(ばっくおう)

⑬虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)|三十三回忌

虚空蔵菩薩

大空のこころを体現する菩薩様です。平穏に安住することなく菩薩道を実践し続けることを表すため、十三仏のしんがりとして登場します。
【梵字の読み方】タラク
【真言】ノウボウ

 

釈迦三尊

釈迦三尊(しゃかさんぞん)は、仏教における仏像安置の形式のひとつである。飛鳥文化を代表する彫刻で、法隆寺にある本尊、聖徳太子死後の623年に妃や皇子達が鞍作止利に作らさせた。

概要
釈迦如来像を中尊とし、その左右に両脇侍(きょうじ)像を配した造像・安置形式を釈迦三尊と称する。両脇侍として配される尊像の種類は一定ではなく、文殊菩薩と普賢菩薩、梵天と帝釈天、薬王菩薩と薬上菩薩、金剛手菩薩と蓮華手菩薩などの例がある[1]。金剛手菩薩・蓮華手菩薩を配する例は、インドのアジャンター石窟群第1窟などにみられる。日本では左脇侍(向かって右)に騎獅の文殊菩薩、右脇侍(向かって左)に乗象の普賢菩薩を配する例が多い。

法隆寺金堂に安置されている釈迦三尊像(国宝)の脇侍は寺伝では薬王菩薩・薬上菩薩と称している。奈良・興福寺の中金堂の本尊釈迦如来の脇侍像(鎌倉時代、重要文化財)も薬王・薬上菩薩と呼ばれている。興福寺の薬王・薬上菩薩像は、元は同寺西金堂(廃絶)の本尊釈迦如来像の脇侍だったもので、現存像は鎌倉時代の再興像であるが、奈良時代の西金堂創建時から薬王・薬上菩薩像が安置されていた。

宗派による違