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カール・グスタフ・ユング

精神科医であったユングは、ピエール・ジャネウィリアム・ジェームズらの理論を元にした心理理論を模索していた。フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態(1906年 – 1913年)となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになる。

ユングがそのキャリアの前半において発表した「連想実験」は、フロイトの「自由連想」法を応用して、言葉の錯誤と応答時間ずれ等を計測し、無意識のコンプレックスの存在を客観的な形にしたということで、科学的な価値を持ち、フロイトもそのために初めは喜んでユングを迎え入れた。両者の初めての邂逅において交わされた対談は10時間を超し、以後両者は互いに親しく手紙で近況や抱負、意見を伝えあった。しかし数年の交流のうちに、両者の志向性の違いが次第に浮き彫りになってきた。フロイトは無神論を支持したが、ユングは神の存在に関する判断には保留を設けた。またユングはフロイトとアルフレッド・アドラーの心理学を比較・吟味し、両者の心理学は双方の心性の反映であるとし、外的な対象を必要とする「」を掲げるフロイトは「外向的」、自身に関心が集中する「権力」に言及するアドラーは「内向的」であるといった考察をし、別の視点からの判断を考慮に入れた。

ユングは歴史や宗教にも関心を向けるようになり、やがてフロイトが「リビドー」を全て「性」に還元することに異議を唱え、はるかに広大な意味をもつものとして「リビドー」を再定義し、ついに決別することとなった[注 1]。ユングは後に、フロイトの言う「無意識」は個人の意識に抑圧された内容の「ごみ捨て場」のようなものであるが、自分の言う無意識とは「人類の歴史が眠る宝庫」のようなものである、と例えている。

ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点があること、またそれらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多いことを見出したユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。また、晩年、物理学者のウォルフガング・パウリとともに共時性シンクロニシティ=意味のある偶然の一致)に関する共著を発表した。

肉体以外に、エーテル体・アストラル体・メンタル体・コーザル体

肉体以外に、エーテル体・アストラル体・メンタル体・コーザル体

人間の霊的質量は目に見えないだけで、実際は以下の7層から成る。
1.肉体
2.エーテル体(幽体)
3.アストラル体(感情体)
4.メンタル体(精神体)
5.コーザル体(魂の器) → ライトボディ
6.ケーシ体(魂)
7.コアード体(魂の元)
◇エーテル体
物質的な肉体と重なるようにして存在しているのが『エーテル体』で、「気」であり「生命力」であり「エネルギーのネットワーク」。
ツボといわれる「経絡」や「気」という概念は「エーテル体」の治療法である。
肉体の成長は、まずエーテル体が成長し、その後、リアル肉体が出来る。
病気でも、まずエーテル体が破損し、破損した部分の臓器が病になる。
即ち、エーテル体とは物質の構成原料。
植物は「物質」と「エーテル体」で存在している。
エーテル体は、人によっては『気』という言葉でもあらわされ、人間界で生きていくための機能のバランスを整えたり、霊界からのメッセージを取り込んだりする役割を担っている。
体が成長するときも、病気になるときも、このエーテル体が育成、または破損してから、物質的な肉体に影響が出る。

人間が死を迎え、肉体が消滅するとともに、エーテル体も少しずつ消滅していき、魂は二度と肉体に戻ることができなくなる。

◇アストラル体

エーテル体を包むようにして存在し、さらに高い存在なのがアストラル体。
アストラル体は「感情体」とも呼ばれ、私たちの感情の発現の媒体となり、「欲望・気分・感覚・渇望・食欲・性欲・恐怖」などもアストラル・エネルギーであり、感覚や欲望、恐怖などもアストラルからのエネルギーが媒体になっている。
さらに、生霊や幽霊と呼ばれる存在、また、臨死体験や幽体離脱を経験するのが、このアストラル体。
アストラル体は自由に動ける独立した「意識」で、人は眠っている間は肉体からアストラル体を分離させている事が可能なので、それが夢で霊界からのメッセージを受信しやすい理由である。
眠ることは、脳や体を休めるためだけに必要なのではなく、肉体とエーテル体、アストラル体を一度切り離して浄化させるためにも必要。

人間以外の動物は、「肉体」「エーテル体」「アストラル体」で構成されている。

◇メンタル体

メンタル体は、アストラル体よりもさらに高い存在で「精神体」とも呼ばれ、人間の精神的・知的な思考、および自己表現の発現の媒体となる。
メンタル体が正常に機能していれば、より明確な思考をすることができ、アストラル体に感情に左右されること無く望ましい方向へと修正していく。
しかしながら、メンタル界には「主義」で結束し、他者を排除するという欠点がある。
過去の輪廻の因縁や輪廻で蓄積された「天賦の才能」というのはここに蓄積される。
メンタル体の住むメンタル界には「生命体の集合的記憶の貯蔵庫」がある。◇コーザル体

コーザル体は、メンタル体よりもさらに高い存在で「仏性」とか「本来の自己」と呼んでいる存在。
魂というのはコーザル体に存在する。
しかしながら、コーザル界は完全な世界ではない。
輪廻する魂は、コーザル体に包まれて高い次元には行かない。

本当の解脱した魂はコーザル体の殻を破り、さらに上の世界に存在する。

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ひとりの人間が死を迎えると、「肉体」「エーテル体」「アストラル体」は、そのまま現世に置いておきます。
「メンタル体」「コーザル体」はそれぞれの世界に行きます。

通常は「エーテル体」「アストラル体」はすぐに消えてしまうのですが、生前に感情の葛藤(恨みや後悔)のある場合、アストラル体が消滅せず、引きずられるように魂もアストラル界=霊界に留まります。
アストラル界において感情の葛藤を浄化できた後に、魂はやっとメンタル界に行きます。
メンタル界が天国と呼ばれている所ですが、再び転生として新たな「肉体」に戻ります。
何度も繰り返される人生を通じて得られる経験や知識は、コーザル体のレベルに貯蔵されます。
コーザル体は魂の器で、コーザル体と魂は、常にセットで源と3次元を行き来しています。
コーザル体が必要なくなった状態が7次元以上。
7次元以上になると、この3次元への転生の終了を選択出来ます。〈参考資料〉←こちらを参考にわたしの修正加筆にて投稿
http://flatheat177.ning.com/m/blogpost?id=5712408%3ABlogPost%3A13492

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次元について

1次元
+ 地球のコア
重力 愛
2次元
+ 地球のコアの外から地表まで
ガイアの意識
.
� 3〜4次元 = 低位クリエーション界
3次元 * 肉体
4次元 * エーテル体
+ これらの次元においては
善悪の分離ゲームが実演される
想念 感情 高次元への窓
思考現実化の雛形次元
.
� 5〜9次元 = 中位クリエーション界
5次元 * エーテル体
アストラル体
メンタル体
コーザル体
+ 多次元的な存在としての
自己に目覚める次元
ライトワーカーとしての目覚め
幸せ 愛 調和の表現次元
6次元 * ケーシ体
+ 意識が思考を通して創造する次元
シンクロニシティの次元
7次元 * ケーシ体
+ 限りない純化の次元
個人としての認識を持てる最高次元
フォトン領域
神聖の注入
8次元 * ケーシ体
+ 集団意識、グループソウルの次元
自分が誰であるかの根幹に触れる
私という感覚が消え、我を超える次元
集団のゴールに向けて活動する
銀河エネルギー
神聖なる秩序
9次元 * ケーシ体
+ 銀河中心エネルギー
永遠なる歓喜
スピリットの故郷
.
� 10〜12次元 = 高位クリエーション界
10次元 * ケーシ体
+ 光線の源
エロヒム存在次元 (ヘブライ語での神)
私という感覚はあるが
地球レベルで馴染みのある
私とは全く違う感覚
11次元 * ケーシ体
+ 形をなす前の光の次元
創造の一瞬前
大天使存在次元
アカシック・レコード
超弦理論のM(膜)理論から
数学的に想定される最高次元
12次元 * ケーシ体
+ 一なるもの
分離のない次元
.
12次元以上 * ケーシ体
コアード体
+ アセンション最高次元 27次元
神々の次元
.
地球は 2012年より
アセンション(次元上昇)が加速し
2017年現在 16次元との
報告を受けております
現在の地球に転生した
アセンションを望む魂達が
地球の次元上昇に従って
アセンションを始めています
次元とは波動の違いであり
時空間における周波数帯の相違のことで
高振動になる程に意識はアセンション
(次元上昇)します
アセンションには
現代社会により汚染された
心身の浄化が重要であり
浄化が進むほどに
エントロピーが減少し
波動及び次元が上昇します
浄化のプロセスは
タマネギの皮を剥ぐように進み
好転反応を繰り返しながら
一段また一段とより深層の解毒が
行われるようになります
浄化は何か一つやれば
いいという訳ではなく
日々の選択が重要であり
長い目で進める意識が必要です
ご参考になれば幸いです
+ 参考文献 +
「ライトボディの目覚め」
大天使アリエル タシラ・タチーレン著
「宇宙一切を動かす数霊の超メッセージ」
深田剛史 はせくらみゆき 著
「言霊と数霊の暗号解読」
川形寿隆 著
.

 

 

 

覚り

http://add-spot.com/wordpress/category/subconscious/pure_mind/enlightenment

悟りの段階は4つの段階がある  Shika Yohka: There are four stages of enlightenment 

四向四果

 

四向四果(しこうしか)

「四向・しこう」修業する四段階(向かう人)
「四果・しか」悟りの深さの四段階の境地(果たした人)
「四双八輩・しそうはちはい」とも呼ばれています。

ブッタ滅後にさとりの修習に応じて四段階に整備され、
「それに向かう人」「それを果たした人」の八種に分類された思想です。

4、阿羅漢果(あらかんか)

  • 「究極のさとりへ到達した人、供養されるべき人」(無学・むがく)
  • 「五上分結、五下分結を断じた人」
  • 「煩悩を滅した心解脱(しんげだつ)、四諦(したい)をみて解脱した慧解脱(えげだつ)、両方の倶分解脱(ぐぶんげだつ)した人」
  • 「漏尽智(ろじんち)煩悩を滅した人」
  • 「応供・おうぐ」とも呼ばれています。

「五上分結・ごじょうぶんけつ」
色界と無色界に人を結びつけて
解脱させない
上位の束縛のこと。

1、色貪(しきとん)
2、無色貪(むしきとん)
3、掉挙(じょうこ)
4、慢(まん)
5、無明(むみょう)

「五下分結・ごげぶんけつ」
三界(欲界)
に人を結びつける5つの束縛のこと

1、有身見(うしんけん)
2、疑(ぎ)
3、戒禁取(かいごんしゅ)
4、貪欲(とんよく)
5、瞋恚(しんに)

 

3、不還果(ふかんか)

  • 「再びこの世界に戻ることなく、天界でさとりの境地に到達する人」
  • 五下分結を滅ぼし化生者(かせいしゃ)となり色界の浄居天(じょういてん)となり、滅後、涅槃に至る人です。
  • 「阿那含・あなごん」とも呼ばれています。

それに向かう人は「不還向・ふかんこう」です。

生き物の生まれ方の四種類

1、胎生・・・おなかに宿り生まれてくる
2、卵生・・・たまごから生まれてくる
3、湿生・・・苔など湿気からうまれてくる
4、化生・・・何もない所から忽然(こつぜん)として天界や地獄に生まれてくる。

2、一来果 (いちらいか)

  • 「天界と人間界とを一度だけ転生して、さとりの境地に達する人」
  • 三結を滅ぼし貪欲、瞋恚薄い人
  • 「斯陀含・しだごん」とも呼ばれています。

それに向かう人は「一来向・いちらいこう」です。

1、預流果(よるか)

流果(るか)は「さとりの流れに到達する」意味です。

  • 「この境地に到れば、それ以前の俗世の世界に退堕(たいだ)することなく、人間界と天界を7回転生している間に修業が進み、さとりの境地に到達する人」
  • 「極七返有・ごくしちぽんぬ」「極七返生・ごくしちぽんしょう」ともよばれます。

預流果(よるか)は三結(有身見・疑・戒禁取)を完全に断滅した人です。

「三結・さんけつ」は「五下分結・ごげぶんけつ」
の3つの束縛のこと

1、有身見(うしんけん)
2、疑(ぎ)
3、戒禁取(かいごんしゅ)
4、貪欲(とんよく)
5、瞋恚(しんに)

「須陀含・しゅだおん」とも呼ばれています。

目連
預流果以上の俗世の世界を超えた人を「出世間・しゅつせけん」で「聖者・せいじゃ」と呼び、それ以下の人は「世間・せけん」で「凡夫・ぼんぷ」と呼びますよ。ポンッ!

それに向かう人は「預流向・よるこう」です。

サーリプッタ
サーリプッタ
法眼(ほうがん)とは論理的に四諦(したい)の理解を得て、預流向になることじゃ!!!
『四諦』が大事なのがだんだんわかってきたかな?また語るぞ!ニヤリ!

さらに10段階に分けられる

悟りの段階 -10

悟りの段階 -10 純粋な心-8. 阿羅漢果 (アラカンカ)  阿羅漢果 (アラカンカ) とは、無になったもの。無になったものとは、一つを体現して、沈黙へ入ったもの。 I_Am_That-30. You are Free…続きを読む

悟りの段階 -9

悟りの段階 -9 純粋な心-7. 阿羅漢向 (アラカンコウ) I_Am_That-30 より抜粋 マハラジ:生きる存在 (生き物) であることは、究極の状態ではありません。 それ以上のもの、はるかに素晴らしいものがあるの…続きを読む

悟りの段階 -8

悟りの段階 -8 純粋な心-6. 不還果 (フゲンカ)  執着と険悪は、記憶から来ています。 全ては、一つである。自分の意識の中に、すべての個人がいる。と理解します。 私が在るから、この世界がある。と理解します。 「執着…続きを読む

悟りの段階 -7

悟りの段階 -7 純粋な心-5. 不還向 (フゲンコウ)  根本仏教は、「心を浄める」教えであり、実践である。  一来果になると、欲と怒りがなくなります。肉体と心に対して執着が減ると、その分、怒りと欲が減っていきます。不…続きを読む

悟りの段階 -6

悟りの段階 -6 純粋な心-4. 一来果 (イチライカ)-2  一来果でなくなるのは、「欲と怒り」です。一来果は、「執着と険悪がとれたもの」です。自分の「執着と険悪」の動機を探ります。  「あなたが動機の中に入っていけば…続きを読む

悟りの段階 -5

悟りの段階 -5 純粋な心-4. 一来果 (イチライカ)  願望を実現するために、潜在意識を活用する方法は、数多くあります。輪廻転生を止めるための方法は、真我を実現する悟りの段階に入ることです。  「宇宙の覇者 (王) …続きを読む

悟りの段階 -4

悟りの段階 -4 純粋な心-3. 一来向 (イチライコウ)  一来向 (いちらいこう) とは、須陀洹 (預流) から、斯陀含 (一来) へと向かっている者です。  一来 (いちらい、巴: sakadāgāmin サカダー…続きを読む

悟りの段階 -3

悟りの段階 -3 純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)-2  心 (マインド、潜在意識) は、記憶の束です。個我は、記憶の創造物です。  精神的習慣が、その人 (個我) の環境を作っています。その人 (個我) の環境は、す…続きを読む

悟りの段階 -2

悟りの段階 -2 純粋な心-2. 預流果 (ヨルカ)  預流向 (ヨルコウ) は、ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。  知識は、記憶になります。記憶は、体験になります。理解が…続きを読む

悟りの段階 -1

悟りの段階 -1 純粋な心-1. 預流向 (ヨルコウ)  真理は、シンプルです。ジニャーニの知識もシンプルです。ジニャーニの知識を得て、黙想して、熟考します。気付きが起こり、理解が深まります。 預流向 (ヨルコウ) とは…続きを読む

buddh japan

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toshikiyamada

 

 

 

仏教の真髄 釈尊直説の唯一の成仏法「七科三十七道品」

「阿含経」(あごんきょう)に書かれている「七科三十七道品」(しちかさんじゅうしちどうほん)あるいは 「三十七菩提分法」(さんじゅうしちぼだいぶんぽう)あるいは、単に「道品法」(どうぼんほう)と呼ばれている修行法です。

成仏法とは、人が仏陀に成ることができる修行法のことです。他の修行法は、人を高めることはできますが、仏陀にまでは成ることはできません。ここが、単なる修行法と、成仏法の違いです。成仏法は、釈尊直説の唯一の経典「阿含経」(あごんきょう)にしか書かれていません。 「七科三十七道品」は、7科目37種類の修行法があります。詳しくは、阿含宗のこちらのページをご覧下さい。http://www.agon.org/about/about_000012.php

この成仏法が、仏教にとって、最も重要であることは、言うまでもありません。仏陀に成るための法そのものなのですから。ところが、大乗仏教は、この成仏法を隠ぺいし、黙殺してしまったのです。

後世の大乗仏教は、仏教を大衆化するため、その障害となる、真の成仏法が書かれている阿含経を「小乗仏教」とさげすみ、厳しい、難しい修行法は、どんどん削除していきました。そうして、最終的には、菩薩という概念を作り出し、菩薩の慈悲におすがりすれば、修行は不要という他力本願の概念まで作り出してしまったのです。その大乗仏教が、今日の日本仏教の中心となってしまっているのです。もちろん、密教や禅宗は、他力本願ばかりではないので、多少とも違うというご意見がおありかと思いますが、それでも、阿含経を隠ぺい、黙殺し、阿含経に唯一書かれている肝心の成仏法を修行していない点には、変わりは無いのです。こうして大乗仏教は、大衆化のために、成仏法を隠ぺい、黙殺したニセの仏教となっていったのです。

「成仏法」が、どのようにしてできたのか、そのいきさつについても、きちんと阿含経に書かれています。阿含経には、お釈迦様が「成仏法」をお作りになられた状況が、克明に記載されているのです。 ご紹介します。

このお経は、お釈迦さまが、ご自分の成道の経緯をお説きになられた経典です。

<中阿含経 羅摩経>

お釈迦さまは、心機一転して、それまでの六年麻麦(まばく)の苦行を離れ、ネーランジャラー河において、村長の娘スジャータの乳ガユの供養を受け、聖地 ガヤーのピッパラ樹(菩提樹)の下に瞑想の座を定めました。ここでお釈迦さまは、悟りを開き、仏陀と成なれるのですが、その時の、状況が記されたお経です。

『我、すなわち座を解かずして、漏尽を得るに至れり。
我、無病無上安穏涅槃を求めて、すなわち、無病無上安穏涅槃を得、
無老無死無愁憂慼(むしゅううせき)無穢汚(むえわ)無上安穏涅槃を求めて、すなわち、無老無死無愁憂慼無穢汚無上安穏涅槃を得、
知を生じ、見を生じ、「道品法」を定む。

生すでに尽き、 梵行すでに立ち、所作すでに弁じて、更に有を受けずと如真を知りぬ。』

大意

「私は、菩提樹の下で、瞑想を数十日間(50日間近く。)つづけ、ついに、漏尽解脱することができたのである。
涅槃を得ることが出来たのである。
これにより、智慧が生じ、解脱したという自覚(解脱知見)が生じた。
さらに、成仏するための修行方法の体系、 成仏法(七科三十七道品)を決定した。

涅槃を得て、成仏したことにより、私は、この生涯が最後のものとなって、もう二度とこの迷いの世界に生を受けることのないことを、はっきり知ったのである。」

この他に、仏陀が、あとから二つも三つも、成仏法を追加されるわけが無いからです。あるとすれば、間違いなく後世の偽作です。仏教徒は、このことを一番に考えなくてはならないと思います。

この成仏法を修行しない限り、絶対に成仏はできないのです。
パーリ文「中阿含」第百三の kinti sutta につぎのように述べられています。

「 ここに比丘らよ、われによりて法は悟られ、汝らに説かれたり。 すなわち四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道これなり。 それゆえにすべての比丘らは相和し相欣び、争うことなくして、これを学ばざるべからず。」

「学ばざるベからず」とあります。絶対に修行しなさいという意味です。大乗仏教のかたがたは、この意味が分かっていないのです。

「雑阿含経(ぞうあごんぎょう) 応説経(おうせつきょう)」
においては、つぎのようにのべられています。

「釈尊:いろいろな方法を駆使して修行を行っても成就しないものが、もろもろの煩悩が尽き、心に解脱を得たいと思っても、あの修行者たちは、ついに漏尽解脱を得ることはできない。
弟子:それはなぜでしょうか。
釈尊:修行していないからである。
弟子:何を修行していないのでしょうか。
釈尊:いわゆる、七科三十七道品を修行していないからである。
弟子たちよ。七科三十七道品を修行し、成就する者がいたならば、その修行者が、漏尽解脱をしたいと思わなくても自然に漏尽解脱を得るのである。
弟子:それはなぜでしょうか。
釈尊:修行したからである。
弟子:何を修行したのでしょうか。
釈尊:いわゆる七科三十七道品である。(後略)」

いろいろな方法を駆使しても無駄である、 阿含経の七科三十七道品を修行しない限り、絶対に成仏できないと説かれています。

ですから、仏教徒は、全員、七科三十七道品を修行しなければいけないのです。それ以外に、方法はないのです。どんなに厳しくても、何度生まれ変わってでも、七科三十七道品を修行する以外に方法はないのです。

大乗仏教が説くよう に、修行法を捨て、仏の慈悲にすがるだけでは、冥土などにはいけるかもしれませんが、絶対に、成仏はできないのです。

上記のように、成仏法は、七科三十七道品しかありません。しかし、この七科三十七道品は出家者用のプロ用の修行法であり、大乗仏教が言うように、厳しく、難解であることは、事実です。

しかし、お釈迦様は、この成仏法 七科三十七道品へ至るまでの、その橋渡しとなる修行法も、きちんと用意してくださっていたのです。その修行法の一つが、「安那般那念法」(あんなぱんなねんほう)と呼ばれる呼吸法、瞑想法です。この瞑想法は、七科三十七道品の中の瞑想法の一つと考えてよいと思います。

お釈迦様が、「最高の呼吸法・瞑想法」と呼ばれるものです。

この法は、空海弘法大師様が、伝えて下さった、人を天才にする秘法といわれる、密教の「求聞持聡明法」(ぐもんじそうめいほう)とも密接に関係しています。

この法の習得が、成仏法 七科三十七道品への足がかりとなります。安那般那念法とは、「雑阿含経 安那般那念経」に書かれている、初歩から最高奥儀に至るまでの呼吸法・瞑想法のことです。10数種類の呼吸法・瞑想法が説かれています。

さらに、「雑阿含経 止息経」には、「勝止息、奇特止息、上止息、無上止息」の4つの呼吸法が説かれており、「この4つの呼吸法は、すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である。」とお説きになられています。この4つの呼吸法は、安那般那念法の最上のものということです。お釈迦様が、「最上の呼吸法・瞑想法」であるとおっしゃられているのですから、当然のことながら、この呼吸法・瞑想法をマスターしなければ成仏はできないということです。

大乗仏教は、この点も、全く理解していません。単なる呼吸法とは、わけが違うのです。仏教の実践的な修行は、この安那般那念法から始まるといっても過言ではないのだそうです。「息」とは、「生き」なのです。詳しくは、阿含宗管長 故 桐山靖雄大僧正猊下 ご著書「仏陀の法」をご覧ください。実践法は、「求聞持聡明法秘伝」に書かれています。

安那般那念法は、密教の求聞持聡明法、ヨーガのチャクラ覚醒法、道教の導引気功法、そして、神道の呼吸法とも密接に関係しています。また、ノストラダムスは、これらの法が、人類を救う法だと言うことを予言しています。そのこともこの「仏陀の法」に書かれています。
http://www.agon.org/books/books_list_04.php

大乗仏教は、釈尊直説の唯一の経典 阿含経を小乗仏教とけなし、以上のことを隠ぺい、黙殺し、まるで理解していません。これでは、絶対に成仏はできないのです。ノストラダムス氏が言われる通り、これらの法が、人類を救うのです。お釈迦様は、そのために、修行法、成仏法を残して下さったのですから。不老長寿、超人類社会への道は、ここに開かれているのです。すべての実践的な修行は、安那般那念法、求聞持聡明法の習得から始まるのです。

正法を知っていただくため、参考になれば幸いです。
合掌

追記

大乗仏教の特に、法華経系の宗派に、時代によって修行法、成仏法が変化するというような教えを解く教団があります。本尊や、時代(正、像、末の三時)などの違いによって、成仏法が変化するというのです。

しかし、これも全くのでっちあげです。真理は、いつの世も一つであって、その真理を体得するための方法、成仏法も、絶対に変化するはずがないのです。大乗仏教は、いろいろな簡略化した成仏法を作り出しましたが、全て偽作です。

その根拠を示します。釈尊直説の経典は、阿含経しか存在しませんが、阿含経には、上記のとおり、釈尊直説の唯一の成仏法、「七科三十七道品」が書かれています。 さらに、阿含経には、いつの世でも、どんな如来でも、如来は弟子たちを、「七科三十七道品」によって、修行させ、成仏させると書かれた経典が存在するのです。

「雑阿含経 石柱経」 です。

「過去にあらわれた仏も、未来にあらわれる仏も、また、いま現在あらわれている仏も、仏はすべて、五つの煩悩の心を断滅して涅槃を得、仏になったのであり、 仏は真実の智慧をみがく能力弱くして、自ら涅槃を得ることができないものたちをして、七科三十七道品の修行をさせて、阿耨多羅三藐三菩提を得さしめ、それによって成仏させるのである。」

したがって、過去仏も、未来仏も、現在仏も、すべての仏は、「七科三十七道品」を修行して成仏し、また、弟子たちを修行させ、成仏させるのです。本尊や、正、像、末の三時の違いなどによって、成仏法は変化しないのです。正法は、一つしかないのです。

また、次のような阿含経もあります。

「中阿含経・七宝経」 です。

『よく憶えておきなさい。転輪王がこの世に出現するときは、まず七宝がこの世に出現するのである。
七宝とはなにか? それは輪宝・象宝・馬宝・珠宝・女宝・居士宝・主兵臣宝の七つである。
転輪王がこの世に出現するときには、まずこの七宝が出現するのである。

同様に、如来・無所著・等正覚がこの世に出現するときには、 七覚支(法という)宝が、まずこの世に出現するのである。 なにをもって七覚支法とするのか? 念覚支(という)法をはじめとして、択法覚支・精進覚支・喜覚支・息覚支・定覚支・捨覚支(という)宝の七つが七覚支法である。
如来・無所著・等正覚がこの世に出現するときは、この七覚支法がこの世に出現するのである。』

七覚支法とは、七科三十七道品の中の一科目です。如来が出現するときは、必ずあらわれるとされているのです。

準提観世音菩薩

準提観世音菩薩の百字真言】

以下に因縁因果を超脱する力を引き出す観音菩薩の真言(マントラ)をしるす。

できれば準提観音のご尊像をもとめ、開眼して、その仏像を対象に百字の秘呪を念唱するのがよい。

昨日、納め観音のご縁日に、この秘呪を伝授資料の中から再発見した。
(※観音様の縁日は毎月18日であり、12月18日は一年の最後の縁日なので「納め観音」という)

12月18日は、特にこの佛尊の縁日(記念日)であると感得したので、本日は特別に、大々呪の秘伝を記す。


中国密教に伝わる秘伝の絵図

『ナモ・ブッダヤ ナモ・ダルマヤ ナモー・サンガヤー
ナモ・サルバ・ブッダ・ボディサトバヤ ナモ・ラトナ・トラヤーヤ
ナマー・アーリャー・マハー・チュンデイ
ナモ・サプタナム・サンミャクサンブダ・コチナム・タドゥヤター
・オン・チャレ・チュレ・チュンデ・スバーハー
マナー・ビドヤー・アプラチハタ・サーサナー マハーベラ・パラークラミ
アシムサラブラ・シバサ グリヒターサテ・マハークル ダクル・ティスバリ・バクラ・ルビニ
アナンダムケ サハスラ・ブジャ・アジアテ・パラージャテ
アモガ・ナクスメ・サハスラ・アクシ サルバ・タターガタ アディスタナ・アディシチェ
サルバ・バターナーム マンディチャプジテ・プラサーディチェ バジュラ・グニ バジュリ・バジュラバチュ バジュラ・ユデ バジュラ・ゴメデ バジュロ・タメ・リタス
アクシ・サビ・アグリ・グラルビニ・ビクルタ・ダルサン
バジュラ・バイチュラ・ラムクリタサッリ
オン・バガバテ・チュンデ・ドゥ・ドゥ ムル・ムル・ル・ル・スル・スル・ドゥル・ドゥル
グルナ・グラーナ・アービィシャーヤ・アービィシャーヤ グルナバヤ・グルナバヤ
ハラハラ・サラサラ バラーヤ・バラーヤ パンジャ・パンジャ バラーヤ・バラーヤ
パチャ・パチャ ナハナハ・グルナグルナ イダム・ドゥスタ・タグラ・ハム・ジュバラム
エカーヒカム ドバイヒカム トライティヤヒカム・チャートゥルタカム
サプターヒカム・ニディヤ・ジュバラム ムホリティカム グラハー・ブタベターナム
ヤクサ・ラークササ クムバンダナム アーユジジャン・ガリバジャン
サットバラム・ナガマム アーユマムヒ・サムディケチ ドゥスター・ダムサルバム
サーダーヤ・サーダーヤ スサヤ・スサヤ ダバヤ・ダバヤ サラサラ・マラマラ
フン・フン・フン チュル・チュル ドゥル・ドゥル ドゥム・ドゥム・ドゥム
オン・チャレ・チュレ・チュンデ サルバ・サーダーヤ・スバーハー オン・スバーハー
チャレ・チュレ・スバーハー チュンデ・マ・マ サンティム・クル・スバーハー
サルベサム・サーダーヤ・スバーハー』

この佛尊(準提観世音菩薩)は、在家・出家を問わずに因縁因果・悪業から超脱する功徳を与えるものである。
※当然「債主」から逃れるための功徳を与えてくださるのである。

法には、小呪・中呪・大呪とあるが、この百字真言が最奥義の大々呪のご真言である。

「観音経」でいう観音菩薩は、この佛尊であるとも言われており、同経典には「大清浄の願を発せり」とある。準提は梵語の「チュンディ」を音写したもので、「清浄」という意味がある。故に本質は同体の観音菩薩と考えるのである。

「水」に関係しているところから、「清浄」を司り、眷属には二体の竜王が仕える。水であるから安産の佛尊であり、水を以って悪業・悪因縁をすべからく浄めるとされている。

詳しく言うと、チベット密教、中国密教、真言宗醍醐派、天台密教に、この佛尊の法は伝承されている。しかし、日本には、大々呪(最奥真言)の伝承はない。

有名なところでは、高名な密教の師匠・アバヤカラブクタの「五十尊法」の一つとして伝承されている。ゾクチェンなど教えに連なるものでこの尊に関連したものはない。

まあ、とにかくこの呪を大切にして、蘊奥を究めていただきたいと思う。

川島金山 謹んでしるす

七覚支法(しちかくしほう)

七覚支法(しちかくしほう)
択法覚支(ちゃくほうかくし)・精進覚支(しょうじんかくし)・喜覚支(きかくし)・軽安覚支(きょうあんかくし)・捨覚支(しゃかくし)・定覚支(じょうかくし)・念覚支(ねんかくし)の七つをいう。ニルヴァーナへみちびく七つの修行。

 

七覚支(しちかくし、satta bojjhaṅgāサッタ・ボッジャンガー)とは、仏教における修行内容の1つ。悟りの7つの支分をなす項目。「七等覚支」(しちとうがくし)[1]、「七菩提分」(しちぼだいぶん)[2]とも。「三十七道品」の中の1つ。

七覚支の内容は以下の通り[3]

  1. 念覚支(sati-sambojjhaṅga) – 気づき(サティ)。心で今の瞬間の現象を自覚すること
  2. 択法ちゃくほう覚支(dhamma-vicaya–sambojjhaṅga) – 法の中から真実のものを選ぶ
  3. 精進しょうじん覚支(viriya-sambojjhaṅga) – 努力
  4. 喜覚支(pīti-sambojjhaṅga) – 喜びに住する
  5. 軽安きょうあん覚支(passaddhi-sambojjhaṅga) – 心身に軽やかさ・快適さを感じる
  6. 定覚支(samādhi-sambojjhaṅga) – 心が集中して乱れない
  7. 捨覚支(upekkhā-sambojjhaṅga) – 。対象に囚われない