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未分類

ヒトはみな、環境(国や時代、家族等)や性別、容貌、体質、性格等において、それぞれ異なる条件を持って生まれます。
さらに、これらの条件の他に、生涯の流れの中で運命を決定するような条件もあるのです。
それはたとえば必ずガンを発症する、離婚をする、横変死する、といったものです。

このような生まれつき持った人生上の条件を「因縁」と呼びます。

仏陀の法は、これらの「因縁」を断ち切ってヒトを自由にし、同時に最高の運命を創造する究極の力(成仏力)を修行者にもたらします。その究極の状態が「完全なる因縁解脱を成就する=仏陀になる」ことです。

お釈迦さまはまずご自身が修行によって仏陀になられ、その後、八十歳で入滅されるまでの生涯を、人々に仏陀になる教えと方法(成仏法)を布教して歩かれたのです。

 

仏教における信仰は、
仏法僧の「三宝」によって成り立つ

仏教における信仰は、「仏」「法」「僧」の三大要素によって成り立ちます。仏教教団は、この三つの要素が正しいものであると同時に、すべてそろっていなければなりません。

一、仏
その宗旨における信仰の絶対対象である仏を「本尊」と呼びます。阿含宗の本尊は、釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃり)」です。
阿含宗では、これを「真正仏舎利尊(しんせいぶっしゃりそん)」と呼んでいます。
仏教徒にとって、ゴータマ・ブッダ=お釈迦さまのご聖骨である真正仏舎利は「生いける釈迦」そのものであり、仏教では唯一最高の本尊です。
想像や概念上の仏ではなく、木像や図像の仏でもなく、ブッダとして実在した釈迦の聖骨であり、仏教における最高の本尊です。

 

二、法

「成仏法(じょうぶつほう)」
 生者、死者を問わず、カルマ(業)を断ち切り、因縁解脱(成仏)してブッダ(真理に目覚めた人)になる方法です。
釈尊が阿含経の中で説かれている、「七科三十七道品」がその成仏法です。

三、僧

真正仏舎利尊を本尊とする、サンガ(僧伽)、すなわち教団です。
「すべてのカルマを断つ釈迦直説の成仏法

 

All human beings are born under different conditions in terms of environment (country, era, family, etc.), sex, appearance, constitution, personality, etc.
In addition to these conditions, there are also conditions that determine fate in the course of life.
For example, it always causes cancer, divorces, sideways death.

The innate condition of life is called “fate”.

The Buddha’s law cuts off these “causes” and frees humans, and at the same time brings the ultimate power (seibutsu power) to create the ultimate fate for practitioners. The ultimate state is to “become Buddha to achieve complete fate resolution”.

The Buddha first went to Buddha by training himself, and then walked the life until he was destroyed at the age of 80, preaching to people the teachings and methods (Buddha Law) of becoming Buddha.

Faith in Buddhism is
Established by the Buddhist monk’s “three treasures”

Faith in Buddhism consists of three major elements: “Buddha,” “law,” and “monk.” The Buddhist denomination must have all three elements correct and at the same time.

One, Buddha
The Buddha, which is the absolute object of religion in that denomination, is called “honson”. The main priest of the Agō sect is the Shinshinsari, which has long been deeply revered among Buddhists as a sacred object in which the Holy Spirit of Buddha lives.
This is called “Shinsei Bussharison” by the Agō sect.
For Buddhists, the authentic sacred Buddha, which is the sacred bone of Gautama Buddha, is the “living Buddha” and is the only Buddhist highest deity.
It is not an imaginary or conceptual Buddha, not a wooden or iconic Buddha, but the sacred bone of the Buddha, which was the real Buddha, and the highest Buddhist deity.

Two, the law

“Seiji Buddhism”
It is a method of cutting off karma (work) regardless of whether it is a living person or a dead person, and releasing the causal relationship (seibu) to become Buddha (a person who has awakened to the truth).
The Buddha’s law is the “Nanashina Thirty-seven Doshin,” which Buddha is taught in the Akane Sutra.

Three, monk

It is a sangha (monk), or cult, whose main Buddhist image is the Buddhist priest.
“The Buddhist Law of the Buddha, which cuts off all karma

 

A shaka called “Shinsho Buddha”
I received the true bones of I and came to have a true guardian spirit. Authentic Buddha
If you are confident and devoted, you will break spirits and give virtues, as if you are defending
It can be said to be a spirit, and it has a great power.
真正仏舎利”というおシャカさま
の御真骨をいただき、真の守護霊が持てるようになったのです。真正仏舎利を
いただき信心すれば、霊障を断ち、福徳を与えてくれる、まるでそれ自身が守
護霊といっていい、すごいパワーがあるのです。

Everything in this world, anything that has no cause, no life, and cause
Even if it occurs, it does not exist without an edge that facilitates this. Overlapping with the cause, follow the course, the result appears.
There is no discrimination.
It is.
Shaka as a real Buddha who is a real Buddha is almighty under the law,
It is almighty after teaching, and it is almighty as a rescuer.
We call the Shaka’s body with the three powers “Guardian Buddha”
is.
この世の中のものすべて、どんなものでも、原因となるものがなくて生するものはなく、また因あって
生じても、これを助長する縁がなくては存在しない。因と縁か重なって、経過をたどり、結果か現れる。
差別はないのです。
のです。
実在の仏である本尊としてのシャカは法のうえでオールマイティーであり、
教えのうえでオールマイティーであり、救済者としてオールマイティーです。
それら三つの力を持つシャカの法身舎利を私たちは「守護仏」とお呼びするの
です。

「駄都法」「如意宝珠法」 密教最極最奥の秘法

「駄都法」「如意宝珠法」と名づける、密教において最極最奥とされる深秘の法がそ

れである。

つまり、インドの仏教徒たちが得た霊験功徳を、修法としてとり入れたわけだ。それはかたちを変えた仏舎利信仰にほかならないわけで、密教は、こういうかたちで、インドにおける仏教信仰の本流をとり入れたということである。

「如意宝珠法」についてすこしのべると、「如意宝珠法」とは、如意宝珠を本尊として修する法である。

それでは、如意宝珠とはいったいなにかというと、それは仏舎利のことで、『密教大辞典』(法蔵館)に、こうしるされている。

 

如意宝珠

梵に真陀摩尼という。真陀は思惟、摩尼は宝珠なり。宝珠より種々の物を出すこと意の如くなるをもって名づく。

略して如意珠・宝珠摩尼・摩尼珠といい、能作性珠とも名づく。古米、竜王あるいは摩鶏魚の脳中等より出づといい或いは仏舎利変じて宝珠とう。(中

)また、弘法大師空海の。御遺告”に、如意宝珠の製造法が記されており、それによると、仏舎利三十二粒を、純金と数種の香木をもって練って玉とするとあり。

つまり、要するに仏舎利そのものをもって、如意宝珠とするわけである。

この如意宝珠、すなわち仏舎利をもって本尊とし、法を修するのが、「如意宝珠法である。

 

“Dad capital method” “Cintamani method”

The secret method of esoteric Buddhism

..

The secret law, which is said to be the deepest and deepest in esoteric Buddhism, is called “Datoho” and “Cintamani”.

That is.

In other words, the spiritual merit gained by Indian Buddhists was incorporated as a practice. It is nothing but a changed form of Buddhist belief, and esoteric Buddhism has adopted the mainstream of Buddhist beliefs in India in this way.

About the “Cintamani method” The “Cintamani method” is a method of repairing Cintamani as the principal image.

Then, what is Cintamani? It is a Buddhist stupa, and it is described in the “Esoteric Buddhism Dictionary” (Hozokan).

Cintamani

It is called Sanskrit Nun. Shinda is a thought, and a nun is a jewel. It is named with the intention of putting out various things from the jewels.

For short, it is called Cintamani, Hoju Maun, Maunju, and is also called Nousaku pearl. It is good to come out from the brains of old rice, Ryuo, or chicken fish, or the Buddhist shrine is changed to a jewel. (During

) Also, Kobo Daishi Kukai’s. The method of manufacturing Cintamani is described in the “Declaration”, which states that 32 Buddhist shrines are kneaded with pure gold and several kinds of fragrant wood to make a ball.

In other words, the Buddhist priesthood itself is used as a cintamani.

This cintamani jewel, that is, the Buddhist priesthood, is the principal image of the law, and it is the cintamani law.

今日の運勢  12月8日  Today’s fortune December 8th

 

三碧木星の日

望み事を持った人が来訪する。思い掛けない事が起こる。善因善果。神、親、社会、衆生、物のご恩をかみしめ精神本位で行動すべき日 今まで9日間の行動の善悪によって思いがけない吉凶が生じます。

何かを始めるのに適した日。
気分が晴れ、モチベーションもアップするので、リスクのあることや、躊躇していたことにも果敢にチャレンジすることで、良い結果が現れます。
自分に自信をもって、少しオーバーなくらいの気持ちで臨むとよいでしょう

 

Anniversary of Mitsuo Jusei

A person with a desire visits. Something unexpected happens. Good cause and good effect. The day when we should act in a spiritual manner with the grace of God, parents, society, sentient beings, and things. The good and evil of our actions for the past nine days will cause unexpected good and evil.

A good day to start something.
It will make you feel better and motivated, so you can get good results by boldly challenging things that are at risk or hesitant.
It’s a good idea to be confident in yourself and feel a little overkill.

 

今日の運勢 12月6日 Today’s fortune December 6th

 

 

五黄土星の日

小さな自我は破れやすい。絶望的な思いの人の来訪を受けたりする。名利を離れ天を相手にの心境を養え。

趣味や仕事がはかどり、予想以上の成果が得られる日。
溜まったタスクや先送りにしていたことなどは、この日に片付けましょう。
恋愛運が上昇する日なので、意中の人に思い切ってアプローチしましょう。

Five Yellow Saturn Day

The small ego is easy to break. We receive visits from people who are desperate. Leave your name and cultivate your feelings toward heaven.

A day when your hobbies and work progress and you get more results than you expected.
Let’s get rid of the accumulated tasks and postponed tasks on this day.
It’s a day when love luck rises, so let’s take the plunge and approach the person you are interested in.

心理学 フロイト

 

精神分析とは
 

 
オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトが20世紀はじめに創設した、心を分析することで精神疾患を治療する方法です。頭に浮かんだことの全てをそのまま話す「自由連想法」を用いて、無意識の内容を意識化していきます。
フロイトが創始した精神分析療法はその後、弟子や多くの研究者、実践者たちによって理論や実践方法が発展し、「精神分析的心理療法」へと変化していきました。現在では、週4回以上の治療を行うものは「精神分析療法」、それ以下の頻度での治療は「精神分析的心理療法」と呼ばれています。
フロイトが考えた心の構造「心的装置」
フロイトは、「意識」よりも記憶が豊富に蓄積されている「無意識」の働きを重要視していました。フロイトは無意識を「思い出したくない感情や観念の集まり」のことと捉え、意識と無意識の間を「自我」が調整していると考えました。
フロイトは最終的に、心が以下の3層からなるという「心的装置」と呼ばれる理論に辿りつきました。フロイトのこれらの考え方は精神医学だけでなく、心理学や社会学など、広い分野に大きな影響を与えています。
エス(Es)
幼児期から抑圧されてきたものが蓄積されている領域。無意識的で、欲望や原始的な衝動のもととなる。快を求め、不快を避ける「快感原則」が支配する。
自我(Ego)
エスが生む原始的衝動に現実的な思考をはさみ、実際の行動とのバランスをとる領域。
超自我(Super-Ego)
親のしつけや社会のルールを心のなかに取り入れて形成された、道徳的な良心のこと。親が子にするように、超自我は自我を監視して制御する。
 
フロイトの考えた神経症の仕組み
出典:amanaimages
 
人間の健康や正常な精神は、外界における現実からのプレッシャーと、エスの強さとのバランスがとれているときに成立しています。外界で耐えがたい出来事が起こると、自我はその記憶を無意識下へ抑圧することで自分を守ろうとします。
フロイトは、無意識下に抑圧された感情や記憶が神経症などの精神疾患を引き起こすと考えました。このため自由連想法で無意識の内容を意識に戻し、認めて受け入れることで症状が軽減するケースがあることを発見したのです。
現代では、精神疾患の多くは脳の働きの変化により起こると考えられています。
フロイトが扱った症例
両足の痛みにより2年以上前から歩くことができないエリザベートは、ある日自宅に往診に来たフロイトとの精神分析治療中に、亡くなった姉の夫である義兄の話し声が聞こえた瞬間に両足に激痛を覚えました。
このことに着目したフロイトはさらに分析を行い、エリザベートが姉の死を悲しく思うと同時に「これで義兄と結婚できるかもしれない」という思いを抱いたことに罪悪感を感じ、この思いを無意識下に抑圧していたことを突き止めます。葛藤の末この思いをエリザベートが認めて受け入れると、足の痛みは消失しました。
フロイトによる診断は「ヒステリー」です。ヒステリーとは感情や記憶を無意識下に抑圧することで体の機能に支障が現れる神経症の一種で、現代では「解離性(転換性)障害」と呼ばれます。
 
 
精神分析を行う「精神分析家」とは
 
出典:amanaimages
 
精神分析は、精神分析を行う専門家である「精神分析家」によって行われます。精神分析家の資格を得るには、医師や臨床心理士の資格と豊富な臨床経験があり、精神分析の徹底した訓練など、国際精神分析協会と日本精神分析協会が定める厳しい条件を満たす必要があります。
 
このため現在日本にいる精神分析家の数は少なく、40名ほどです。その多くは精神科医や臨床心理士です。
 
 
精神分析の対象疾患
 
出典:amanaimages
 
従来の精神医学では、精神疾患を原因により以下の3種類に分類してきました。
  • 外因性:外傷や疾患、薬物の影響などにより生じるもの
  • 内因性:原因が不明だったり、生まれつきの要因に環境因子が加わったことにより起こるもの。統合失調症や双極性障害(躁うつ病)など
  • 心因性:心そのものの不調により起こるもの。神経症など
 
 
フロイトの患者のほとんどは心因性の精神疾患を持つ患者でした。現在でも精神分析は通常、神経症やパーソナリティー障害など心因性の疾患に対して適用されます。神経症とはストレスから起こる精神疾患の総称で、不安障害や解離性障害、強迫性障害などの種類があります。
心的装置を基盤とし自由連想を利用して解釈を行う精神分析において、特に妄想をともなう内因性疾患は、症状の悪化や分析の続行の困難があり禁忌とされている場合が多くあります。
 
 
 
 
精神分析の対象となる人
精神分析は精神疾患がない場合でも、不安や行き詰まりを感じている人や、小説家や芸術家のような創造的な仕事をしている人など、自分の内面を深く知りたい人にも適用が可能な場合があります。
しかし精神分析では、無意識下に抑圧されていた認めたくない感情や記憶を直視し、受け入れる勇気が必要となります。治療は数年間にわたることが多く、費用もかかります。このため精神分析を希望する人に対しては、治療開始前にまず、精神分析が適していることを確認するための面接が行われます。
 
 
精神分析のやり方
 
出典:amanaimages
 
一般に、精神分析は以下の手順に沿って行われます。
 
1  治療契約を結ぶ
精神分析家と治療を受ける人の間で、精神分析を行う上での約束事「治療契約」を結びます。治療契約では治療の場所や頻度、料金、守秘義務や、治療を受ける人は治療期間中に結婚や就職などの大きな決断をしないこと、治療中に生じた欲求を精神分析家に行動として向けないことなどを確認します。
 
2  自由連想法
治療を受ける人が寝椅子に横たわり、精神分析家は治療を受ける人の頭の後ろの、見えないところに座ります。約45分間、治療を受ける人が、頭に浮かんだことを何でもそのまま話します。
3  治療過程で起こること:抵抗、転移、逆転移
治療を受ける人は、意識化したくない感情や記憶が浮かんできそうになったとき、無意識のうちに治療を妨げる言動をとることがあります。この現象は「抵抗」と呼ばれ、頭に浮かんだことを話さなかったり、治療をキャンセルしたりするなどの行動が挙げられます。
また治療を受ける人が、両親や重要な人物に対する過去の感情を精神分析家に対して抱く現象を「転移」と呼びます。精神分析家も、治療を受ける人との関係性に自分の内面が動かされ、治療を受ける人に対して転移を起こすことがあります。これを「逆転移」と呼びます。
抵抗や転移、逆転移は、精神分析家が治療を受ける人の無意識下で起きていることを理解するための重要な材料となります。
 
4  解釈
治療を受ける人が話す内容や、抵抗、転移や逆転移などを手がかりに、精神分析家は治療を受ける人の無意識下で起きていることについて仮説を立て、治療を受ける人に伝えます。
5  洞察
治療を受ける人は、精神分析家の解釈を聞き、自分の無意識下で起こっていることを直視し受け入れることで、起こっていた問題の本質を理解します。これを「洞察」と呼びます。
6  ワークスルー
解釈や洞察のプロセスにおいても、抵抗や転移、逆転移が起こることがあり、その都度これらの現象を再び解釈して洞察を深めていきます。このプロセスを「ワークスルー」と呼びます。
最終的には、治療を受ける人が無意識下で起こっていた問題について深い洞察を得ることで、現実の生活においても症状の軽減や考え方の変化などの結果が現れることが精神分析のゴールです。
治療の頻度と期間
精神分析は、1回45~50分間の治療を週1回~5回行います。ワークスルーに至るまでの期間は、数年間にわたることもあります。
 
精神分析を受けることができる場所
 
出典:amanaimages
 
精神分析は、東京と福岡にある精神分析センターで受けることができます。
参考文献
日本精神分析協会「精神分析センターのご案内」
 
また、精神分析家が所属する精神科などのある医療機関でも行われています。正規の資格を持った精神分析家を探すには、精神療法を行う、信頼のおける精神科医などに相談し、精神分析家を直接紹介してもらうのもひとつの方法です。
日本精神分析協会に所属する精神分析家は、以下のリンク先で確認できます。
 
参考文献
日本精神分析協会「会員名簿」
 
医療機関によっては、上記で紹介した精神分析の流れとは異なる独自の療法を精神分析と称している場合もあります。まずは医療機関に問い合わせてみましょう。
 
まとめ
 
出典:amanaimages
 
精神分析はフロイトが考案した治療法で、無意識下に抑圧していた感情や記憶を意識化することで、抑圧から起こっていた精神疾患の症状の改善を目指すものです。20世紀はじめに創設された治療法ですが、現在でも世界中で行われています。
自分の心の中に何か引っかかるものがあり、それが自分の人生を妨げているような気がする場合は、精神分析が役に立つ可能性があります。ただし、治療の内容や費用、期間、予想される効果などを医療機関にしっかりと確認し、十分に納得した上で治療を受けることが重要です。
 
参考文献
久能徹「史上最強図解 よくわかるフロイトの精神分析」
長尾博「ヴィジュアル 精神分析ガイダンス:図解による基本エッセンス」

出典:amanaimages
監修
増田史
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心理学 ユング  

カール・グスタフ・ユング
19世紀〜20世紀 スイスで活躍した分析心理学の創始者。三大学者に数えられる。
ペルソナ、影、タイプ論、コンプレックス、集合的無意識等、さまざまな新しい概念を発表する。

 

 

「心理学」が学びやすい日本

心理学。

それは、人の心の中身、人の心の「仕組みや動きの法則」を知ろうとする学問です。つまりは、人の心を研究する「科学の一ジャンル」です。

だから私たちは、心理学によって、「なるほど。『人間の心』とは、元はこういうもので(元型)、こういうふうに育ってきて(過去)、こういうふうにできあがったのか(現在)。そして、これから、こういうふうになっていくのだな(未来)」と、理解できます。それは、取りも直さず、

「なるほど。私の心は、こういうものだったのか。そして、私はこれから、こういうふうになっていく可能性があるのだな」

という「今の自分に対する、より深い理解」と「自分の未来の発見」に、つながります。それは、まさしく「自分にとっての、本当の幸せ」を見つける道標となります。

だから、心理学とは、誰にとっても「知る価値のあるもの」です。そして、誰にとっても「興味深いもの」です。

近代の心理学は、1870年代に、ドイツのヴィルヘルム・ヴント、アメリカのウィリアム・ジェームズという二人の学者がそれぞれ、本格的な研究を始めました。そのため、この二人は「心理学の父」とも呼ばれています。

そして、ほどなく、こんにちに言う「3大心理学者」の登場によって、心理学は大きく発展し、確立したのです。

その「3大心理学者」こそが、

オーストリアのジークムント・フロイト(1856~1939)、
同じくオーストリアのアルフレッド・アドラー(1870~1937)、
そしてスイスのカール・グスタフ・ユング(1875~1961)、

の3人です。

この3人は、20世紀前半から半ばにかけて旺盛な研究活動を続けました。ただし、フロイトとアドラーは当初、共同研究をしていた仲間でしたが、ユングは、初めフロイトに師事していましたので、2人より若干「後輩」扱いになるでしょうか。

3人の心理学は、まさしく三者三様です。それぞれに独自のアプローチで「人の心」を見極めようとし、「人が幸せになるには、人生をどのようにとらえるべきか」を説きました。

そして、それぞれの方法で、「心の病」に苦しんでいる人々の治療に、献身的にあたりました。つまり彼らは、学者であり医者でした。彼らの治療は、それぞれの方法で、患者当人も自覚しきれていない「心の病の原因」を探り、それに合った治療を施すというものです。この「心の病の原因を探る」という医療行為を、「精神分析」と呼びます。

ところで意外なことに、この3人の心理学を、それぞれに詳しく学べる環境にあるのは、全世界でも、日本が一番なのです。

欧米では、ユング心理学に関する良い入門書は、ほとんど見かけられません。

フロイト心理学などは、むしろ否定的にとらえられて、十分な理解がされていない傾向さえ、あります。欧米において、三者の中で比較的広く知られているのは、アドラー心理学くらいでしょうか。それさえも「誰もが知っている」というレベルとは、とても言えません。

日本で、この三大心理学が一様に学びやすいのは、古くから日本人の心理学研究者に優れた人物が多く、彼らの尽力によって、良質の日本語翻訳書や研究書が、数多く生み出されてきたからです。フロイト心理学、アドラー心理学、ユング心理学それぞれの学会・研究会も、日本では、活発な活動がなされています。

私たち日本人は「心理学を知る」という点において、じつはかなり「恵まれた環境」にいるのです。

中でも、古くから日本人に親しまれ、知られてきたのはユング心理学でしょう。

筆者もまた、3人の心理学の中では、ユング心理学が「一番シックリくる」気がします。そこで筆者は、現在の日本のより多くの方に、ユング心理学を、まずは知っていただきたくて、『心のトリセツ「ユング心理学」がよくわかる本』を執筆しました。

 

アドラーとユングの違い

ところで、21世紀も十年以上が過ぎた2010年代のこんにち、それまで私たち日本人にあまり知られていなかったアドラー心理学が、ある意味で「現代日本人への啓蒙の教え」として、にわかに脚光を浴びたのは、誰もが記憶に新しいことでしょう。つい最近、2017年の1月からは、アドラー心理学を解説した名著『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健、共著)のタイトルをそのまま使った刑事ドラマが、テレビで放映される。―─といった「珍現象」まで起きたほどでした(もっとも、このドラマのアドラー心理学に対する理解は、はなはだ浅薄なものでしたが)。

『心のトリセツ「ユング心理学」がよくわかる本』はもちろん、あくまでもユング心理学を説明したものです。したがって、ユングと師弟関係にあったフロイトには若干触れていますが、ユングと直接の接点がほとんどなかったアドラーについては、まったく触れていません。そこで、上掲書の「文庫版まえがき」の中で、アドラー心理学とユング心理学を比較して、少し述べておきました。本項ではそれを紹介しましょう。

じつは、この2つを比べることで、「日本人には、ユング心理学が一番シックリくる」という筆者の考えも、よりよく解っていただけることにつながる。─―と思うのです。

まず、両者の違いを端的に述べると、次のような表現になるでしょう。

アドラー心理学では、「自分の心は、自分だけのものだ」と示す。対してユング心理学では、「自分の心は、自分のものであると同時に、人類すべてのものだ」

と示すのです。

どういうことでしょうか。

アドラー心理学では、「人の心は『その人だけのもの』であり、他の何人からも、他のどんな力からも、振り回されたり左右されたり、ましてや蹂躙されたりしない。過去の経験に縛られることもなければ、周りの人間に心の中へ踏み込まれることも、ない」と述べます。まさしく「個人の尊厳」というものを、高らかに述べるのです。アドラーは、自らの心理学を「個人心理学」と呼んでいましたが、じつに的を得たネーミングでしょう。

そしてアドラーは、「だから人の心は、自分の努力次第で、今、自分が『こうなりたい』と目指せる姿に、きっとなれる」と、強く主張します。人の心の可能性というものを、どこまでも認めます。

アドラーのこの説は、「人の心は、過去に存在した『他者からの影響』によってねじ曲げられたり押しつぶされたりは、しないはずだ」という結論に行き着きます。「現在にまで強く影響している過去の心の傷」を、心理学では「トラウマ(日本語で表現すると『心的外傷』)」と言いますが、アドラー心理学では、この「トラウマ」を完全否定するのです。

対して、ユング心理学は(フロイト心理学と同様)、「トラウマ」の存在を認め、言ってしまえば「人の心は現在も、過去の経験と密接につながっている」と考えます。だから人は、「現在の自分ばかりを見るのではなく、過去の自分も見ることで、自分の心の本当の姿が見えてくる」と、説くのです。

そしてユングは、その考えをさらにダイナミックに、大きなスケールにまで広げました。すなわち、「現在の心に影響を与えている『人の過去』とは、その人個人の過去だけではない。それは『全人類の過去』でもあるのだ。つまり、人の心とは、個人を超えて、過去の全人類、そして現在の全人類の心と、つながっているのだ」とまで、考えを発展させたのです。

この発想は、「個人心理学」と銘打ったアドラー心理学とは、まったく対照的なものです。

このユングの説では、確かに「人は、過去に縛られている」とも言えます。けれど、同時に「人は、過去と、ともにある。過去とは、今の自分の仲間・共同体なのだ」という「無限の味方」を得ることにも、つながります。そんな頼もしさを感じさせてくれる考え方です。

そして、この両者の説では、「人間関係」のとらえ方にも、大きな違いを生みます。

アドラー心理学では「心は自分だけのもの」ですから、他人には理解できません。したがって、人同士が解り合うためには、「相手を理解しようとする努力」と「相手に自分を解ってもらおうとする努力」が、求められます。つまり、互いの思いやり、互いへの「相手の心を大切にする気配り」が、求められるのです。

人間社会は、そうやって「互いを大切にする優しさ」を「意識する」ことで、成立します。

対して、ユング心理学では、そこまで「他人に対する意識」を重視しません。

人の心とは、過去も現在も「全人類で結び合っているもの・共有しているもの」なのですから、「他人を解ろう・他人に解らせよう」としなくとも、ごく自然に解り合えるはずなのです。

それが解らないとしたら、その原因は「他人が解らないから─―なのではなく、自分で自分が解っていないから」なのです。そしてその結果、すれ違いや誤解が生まれ、現実として「自分で自分を苦しめる」ことになってしまいます。

つまり「自分を知れば、他人も知ることができて、人間関係・社会は、すばらしい共同体になれる」というのが、ユング心理学の教えです。

筆者は、私たち日本人の心は、ユング心理学によって、より理解されやすい。―─と、考えます。

私たち日本人の歴史は、欧米の歴史と違い、穏やかで豊かな「日本列島の自然の恵み」の中で、温かく支え合って育まれてきました。ごく自然に、互いに解り合う共同体として、日本人は生きてきました。

私たち日本人の誰もが共感する、あの有名な宮沢賢治の詩「春と修羅・序」の冒頭を、思い起こしてみてください。

「わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です」

「風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です」

まさしく「わたくしの心」とは「みんな」の中の「ひとつ」。その「ひとつ、ひとつ」が集まって「みんな」の心という、大きな灯火になっている。――と、宮沢賢治は述べているのです。

この意味は、ユング心理学の教えにつながるものだ。─―と、筆者は感じずにはいられません。

だからユング心理学は、私たち日本人の心を解いてくれるものだと、筆者は思います。

 

集中(止)と瞑想(観)   Concentration (stop) and meditation (view)

集中(止)と瞑想(観)

 

 

 

 では瞑想に入ろう。

 坐は半珈鉄坐。坐蒲をもちいる。瞑想の手印を組もう。これが初歩的瞑想の

基本姿勢である。(図5参照。ただし、この図では法界定印であるが、後出のアーカー

シャームドラーをもちいる場合もある。瞑想の基本姿勢については『輪廻転生瞑想法

H』に、くわしく解説しているので、かならず読んでいただきたい)

 瞑想の修行は、二つの領域から成り立つ。

 ひとつは精神集中法(・o9~ほ回忌、ひとつは瞑想法(ヨー’且~)である。

心を集中するとは

 これについて少し解説しよう。まず、シャマタ(止)である。

、禅における公案、また、祈りを捧げるとか、経

文を読む、真言を唱えるなども、精神集中法のひとつである。要はひとつのこと

に心を集中し、そこに〃止”まり、動かないことである。

これは、ひとっのことに心を集中するのである。

数息観がそ‘の代表であるが、、とで’‐ ことてことに意識を集申し、他のものに心

を向けない、これを積極的に意識的におこなうのであるひこれは修行のはじめの

過程として、だれでも通るものである。

この精神集中の状態は二つに分けることができる。

ひとつはこ息識的精神集中」で、ひとつのことにw

 つぎの段階が、「無意識的精神集中しの状態である。これは、高度のもので、

意識的精神集中をつづけているうちに、習練によって条件づけられ、ついに、と

くに意識しないでもひとつのことに心を集中することができるようになる。

 これによって無意識の意識層をコットロ’Iルし、2 つうでは絶対に統御でき

ない無意識の意識を、ある特定の対象に向けることができるようになるのである。

心の流れにまかせるとは

 つぎに、ビパシャナ(観)である。

 これは、ひとつのことに注意をとどめない。心の動きのひとつひとつに心を

向けていくが、ひとつのことにとどまっていない。心の流れにまかせるのであ

る。

 これにも、「意識的瞑想」と「無意識的瞑想」がある。

 「意識的瞑想」は、表面意識が心の流れを観ている。

 「無意識的瞑想」は、深層意識の心の流れそのものになっている。

 では、その深層意識の流れを観ているものはなにか? だれが深層意識の流

れを観ているのか? それは「無意識的精神集中」の心である。

 だから、「止」と「観」は密接な関係があるのである。いまおこなわれている

瞑想のほとんどは、「止」か「観」か、どちらかにかたよっている。禅は「止」

にウェイトがかかり、瞑想(としてやっているもの)は、「観」が主である。しか

し、「止」を完成した「観」でなければほんとうの瞑想ではなく、「止」でとど

まって「観」に入らない定は、これまたほんとうの瞑想ではないのである。

 「止」と「観」はおなじように修せられなければならない。そうして、非常に

高度の瞑想(観)をするためには、おなじように非常に高度の巣中(止)が体得

されていなければ不可能なのである。

 では「意識的瞑想」と「無意識的瞑想」とはどうちがうのか?

 ひと口でいうならば、

 意識的瞑想は「個の世界」を観、

 無意識的瞑想は「全の世界」を観る。 ・

 といったらよいであろう。

 意識的瞑想は「自分だけの世界の流れ」を観るのである。

 無意識的瞑想は「人類そのものの(世界の)流れ」を観るのである。いや、

もっと拡大した世界だ。「宇宙そのものの流れを観る」といったらよいであろう。

無意識の意識層には、原初からの人類の記憶がすべておさめられている。い

 

や、人類以前からの記憶がすべて秘められている。

 わたくしは、『輪廻転生瞑想法I』で、このことについてのべている。「個体発

生」と「系統発生」の意識と記憶について語った第二章を、もう一度読み返して

みていただきたい。

 

 

Concentration (stop) and meditation (view)

Let’s get into meditation.

The seat is a half-iron seat. Use zafu. Let’s set up a meditation sign. This is rudimentary meditation

This is the basic posture. (See Fig. 5. However, although it is a legal seal in this figure, the later-mentioned Aker

In some cases, a shahmdler is used. For the basic posture of meditation, see “Reincarnation Meditation Method”.

Please be sure to read it because it is explained in detail in “H”)

Meditation practice consists of two areas.

One is the mental concentration method (・ o9 ~ Holy memorial, one is the meditation method (Yo’and ~).

To concentrate on

Let’s explain this a little. First is Shamata (stop).

, Koan in Zen, prayer, sutra

Reading sentences and chanting mantras are also one of the methods of concentration. The point is one thing

Focus on, stay there, and don’t move.

This focuses on one thing.

The view of a few breaths is the representative of that, but at the same time, I focused on that and focused on other things.

Do not turn to, do this positively and consciously. This is the beginning of training.

As a process, anyone goes through.

This state of mental concentration can be divided into two.

One is “concentration of breath”, and one thing is w

The next stage is “a state of unconscious mental concentration. This is an advanced one.

As I continued to concentrate my consciousness, I was conditioned by practice, and finally

You will be able to concentrate on one thing without being conscious of it.

By doing this, the unconscious consciousness layer can be controlled by Cottro’I, and 2 can be absolutely controlled.

It becomes possible to direct the unconscious consciousness to a specific object.

To leave it to the flow of the heart

Next is Bipashana (view).

This does not pay attention to one thing. Put your heart into each movement of your heart

I’m going, but it’s not just one thing. Leave it to the flow of your heart

To.

There are also “conscious meditation” and “unconscious meditation”.

In “conscious meditation”, surface consciousness is watching the flow of the mind.

“Unconscious meditation” is the flow of the mind of deep consciousness itself.

Then, what is watching the flow of deep consciousness? Who is the flow of deep consciousness

Are you watching this? It is the mind of “unconscious concentration”.

Therefore, “stop” and “view” are closely related. Now being done

Most meditations depend on either “stop” or “view.” Zen is “stop”

The weight is applied to, and meditation (what you are doing as) is mainly “view”. Shika

However, if it is not a “view” that completes the “stop”, it is not a true meditation, but a “stop”.

The fact that it doesn’t fit into the “view” is not really meditation either.

“Stop” and “view” must be mastered in the same way. And very

In order to perform advanced meditation (viewing), you must acquire a very advanced nest (stop) in the same way.

It is impossible if it is not done.

Then, what is the difference between “conscious meditation” and “unconscious meditation”?

In a nutshell,

Conscious meditation sees the “individual world”,

Unconscious meditation sees the “whole world”.・ ・

It would be nice to say.

Conscious meditation sees “the flow of your own world”.

Unconscious meditation sees the “flow of mankind itself (in the world)”. Disagreeable,

It’s a more expanded world. It would be nice to say, “Watch the flow of the universe itself.”

The unconscious conscious layer contains all the memories of humankind from the beginning. I

And all the memories from before humankind are hidden.

I mentioned this in “Reincarnation Meditation I”. “Individual departure

Reread Chapter 2, which talks about the consciousness and memory of “life” and “phylogenetics”

I want you to see it.