UA-135459055-1

未分類

准胝観音

 

 

 


仏像の作例
経典や儀軌には二臂、四臂、六臂、十八臂、五十四臂、八十四臂を説くが、日本では『七倶胝仏母所説准提陀羅尼経』(唐・不空 訳)が広まり、そこで詳述された像容・一面三目十八臂とするものが最も多い。『仏説持明蔵瑜伽大教尊那菩薩大明成就儀軌経』(宋・法賢 訳)には、四臂は赤色(蓮華部)、六臂は黄色(宝生部)、十八臂は白色(仏部)と述べられている。また、その手の本数が多いことから、その尊像は時に千手観音と混同される場合もあるが、正面の左右の二手が「説法印」 を結んでいるのが准胝観音で、「合掌」をしているのが千手観音である。なお、醍醐寺准胝観音坐像のように、蓮華座の下に難陀・跋難陀の眷属二大龍王がいる造例が多い。

 

 

禅と准胝観音

『無門関』第三則 【倶胝竪指】(ぐていじゅし)より
  • 倶胝和尚(ぐていおしょう)は禅における馬祖の法嗣の大梅禅法常三世の法孫にあたる。この人の正確な名前は伝わっていないが、准胝観音を一心に信仰し修行前も、修行をなし終えてからも准胝観音の真言を口ずさむのが常であったため、准胝観音の別名である「七倶胝仏母」から名前を取り、倶胝和尚と呼ばれた。この人が寺を構えてそこの住職をしていたところ、尼僧が旅姿のまま土足で上がり込んで来て問答を挑み、「あなたが悟りにかなった言葉を言えば笠を取りましょう」と迫ったが、倶胝和尚が何も答えられずにいると、尼僧は吐き捨てるようにして袖を払って出て行ってしまった。倶胝和尚は一山の住職がこれではと情けなくなり悔しさのあまり涙して寝たところ、「准胝法」の特徴の一つでもある夢告によって夢に神人が現れて、もうすぐこの寺に生きた菩薩が現れると告げられた。その十日後に天龍老師という人が現れて、その人にわけを話して教えを請うたところ、天龍老師はただ黙って指を一本立てられた。その指を見たとたんに、倶胝和尚は落雷に打たれたようになってしまい、瞬時に執着に固まっていた心の底が抜け、無上の覚りを得ることが出来た。
  • それ以来、倶胝和尚は生涯にわたって准胝観音の真言を唱えるかたわら、ただ指を立てるだけで弟子や信徒らを教化したとされている。この第三則の物語を編集者の無門慧開は、「覚りは指先のことではない、しかし、そこが分かれば皆が釈迦牟尼仏となることができる」と批評している。いわゆる中国では、説法印を正面で結んで指を立てる姿の准胝観音の仏像が好まれる理由の一つでもある。

また、明代には浙江省嘉善镸の出身である袁黄(1533-1606)という人物が、当時、占いの名人とされた孔先生に「三式」という運命学を学び、師の孔先生より科挙を受けることを勧められて合格すると共に、その番号までを言い当てられた。その後の占いも一字一句が孔先生の言う通りであり、すっかり宿命論者となっていた。自身の一生を占ってもらったところ相応の出世はするが前世の(カルマ)により壽命は53歳で、結婚はするが子供は無く、薄徳少福の身で失意のうちにその一生を終えると予言されていた。やがて、仏縁により禅密双修の禅僧の雲谷禅師に出会い自身の運命を語ったところ、『七佛倶胝佛母心准提陀羅尼法』の呪法を授かり、正しく戒律を守り善行を積むための『功過格』による指導を受けたことによって運命の呪縛を脱した。壽命が尽きるとされた53歳の時に袁了凡(えんりょうぼん)と改名し、更に出世して高官となって交易と漁民に被害をなす倭寇を平定し、豊臣秀吉による朝鮮出兵の軍を退けた。准胝観音への信仰により願わずして子供にも恵まれ、その寿命も准提観音の延命の功徳と、『功過格』の積善の効果により74歳まで長生きすることができた。

 

准胝観音

仏の母といわれ母性を象徴する安産・子授けの観音菩薩

准胝観音(じゅんていかんのん)とは?

准胝仏母(じゅんていぶつも)・七倶胝仏母(しちくていぶつも)ともいいます。もとはヒンドゥー教の女神であるドゥルガーで、シヴァ神の妃とされています。とても美しい姿ですが、神々の武器を持って魔族を倒した戦いの女神です。そのため本来は女尊であり、観音ではないという指摘もあります。しかし、ここでは観音として紹介しますね。

 

仏教に取り入れられてからは慈悲深い清浄をもたらす神とされ、七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)ともいわれています。これは遙か過去より多くの仏を誕生させた仏の母という意味です。そのため、真言宗系では人道を救済する六観音(聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音)に数えられますが、天台宗系では准胝仏母といわれ如来に分類されています。不空羂索観音と合わせて七観音と呼ばれることもあります。

ご利益

修道者守護、無病息災、延命のご利益があり、安産や子供が授かるなどの功徳があります。

 

空海の孫弟子にあたる理源大師(りげんだいし)聖宝は修験の僧として知られ、自ら霊木を刻んで祀ったのが准胝観音と如意輪観音でした。経典には、修験者が准胝陀羅尼を唱えれば身が清浄となり成仏できると説かれています。また聖宝は醍醐天皇の皇子誕生を准胝観音に祈願し、のちの朱雀、村上両天皇が誕生したといいます。そのため一般的には子授け、安産としての功徳が知られています。

准胝観音(じゅんていかんのん)の像容

手は18本で3つ目の姿であることが多いです。中央の手は説法印と施無畏印をとります。また持ち物は武器や数珠、蓮華などを持っています。

Buddha statue example
Sutras and ceremonies prescribe two, four, six, eighteen, fifty-four, and eighty-four arms. In “Bussetsu Jimyozo Yuga Daikyona Bodhisattva Daimyo Jutsu Gikyo” (translated by Song and Faxen), it is stated that the four arms are red (lotus part), the six arms are yellow (hosho part), and the eighteen arms are white (buddha part). Also, due to the large number of hands, the statue is sometimes confused with Senju Kannon, but the one with two hands on the left and right in front of it is the Juntei Kannon, and the one with the palms joined together is the Senju Kannon. In addition, like the seated statue of Juntei Kannon of Daigo-ji Temple, there are many examples where the two major dragon kings, Nando and Hakunda, are under the lotus seat.

 

 

 

Zen and Juntei Kannon
“Mumonkan” 3rd Law [Guteijushi]
Gutei Osho is the descendant of Daibai Zen Hojo III, the successor to Matsu in Zen. The exact name of this person is not known, but because he devoted himself to Juntei Kannon and always sang the mantra of Juntei Kannon before and after the training, he was called Kutetsu Osho, taking his name from the other name of Juntei Kannon, ‘Shichikutsubutsumo’. When this person set up a temple and was the chief priest there, a nun came in wearing her travel clothes and challenged him to a question and answer, saying, “If you speak words that are enlightened, I will take off your hat.” The chief priest of Ichizan was so pitiful that this was not the case, and when he fell asleep with tears of frustration, he was told that a divine person had appeared in his dream, and that a living Bodhisattva would soon appear in this temple. Ten days later, a man named Tenryu Roshi appeared, and when I explained the reason to him and asked him to teach me, Tenryu Roshi remained silent and raised his finger. As soon as he saw his finger, Kutshou felt as if he had been struck by lightning.
Since then, Kutshou is said to have chanted Juntei Kannon’s mantra for the rest of his life while he edified his disciples and followers simply by raising his finger. Ekai Mumon, the editor, criticized this story of the third law, saying, “Awakening is not about fingertips, but if you understand that, everyone can become Shakyamuni Buddha.” This is one of the reasons why the so-called Juntei Kannon Buddha statue, which has a preaching seal tied in front and a finger pointing up, is so popular in China.

In the Ming dynasty, Yuan Huang (1533-1606), who was born in Jiashan County, Zhejiang Province, learned the study of destiny called “three formulas” from Mr. Kong, who was considered a master of fortune-telling at the time. After that, every word and phrase of the fortune-telling was exactly as Mr. Kong said, and he became a fatalist. When he had his life foretold, it was predicted that he would succeed in life, but due to the karma of his previous life, his life expectancy would be 53 years old, he would marry but have no children, and that he would end his life in disappointment as a poor man. Before long, he met Unkoku Zenji, a Zen monk who practiced Zenmitsu and practiced zenmitsu, and told him about his own fate. At the age of fifty-three, when his life was about to expire, he changed his name to Enryobon, and furthermore, he became a high-ranking official, suppressed the Japanese invasion that caused damage to trade and fishermen, and repelled the troops dispatched to Korea by Hideyoshi TOYOTOMI. Due to his faith in Juntei Kannon, he was blessed with a child without wishing for it, and his life expectancy was extended to 74 years old due to the merit of prolonging the life of Juntei Kannon and the effect of ‘Kokakaku’.

 

Juntei Kannon

Known as the mother of Buddha, the Kannon Bodhisattva of easy delivery and child-giving symbolizes motherhood

What is Juntei Kannon?

It is also called Junteibutsumo or Shichikuteibutsumo. She is originally the Hindu goddess Durga, the consort of Lord Shiva. She has a very beautiful appearance, but she is a goddess of battle who has defeated demons with the weapons of the gods. Therefore, it is pointed out that she was originally a female deity and not Kannon. However, I will introduce it as Kannon here.

 

Since it was introduced into Buddhism, it has been regarded as a god of mercy and purity, and is also known as Shichiguteibutsubo. It means the mother of Buddha who gave birth to more Buddhas than in the distant past. Therefore, in the Shingon sect, it is counted as one of the six Kannons that save humanity (Sho Kannon, Senju Kannon, Eleven-Faced Kannon, Nyoirin Kannon, Bato Kannon, and Juntei Kannon), but in the Tendai sect, it is called Juntei Butsumo and is classified as a Nyorai. She is sometimes called the Seven Kannons together with Fukyu Kannon.

benefit

There are benefits such as protection for monks, good health, life extension, and merits such as easy delivery and children.

 

Rigen Daishi, a disciple of Kukai, was known as a monk of Shugen, and enshrined Juntei Kannon and Nyoirin Kannon by carving sacred trees himself. In the sutra, it is said that if a monk chants Juntei Dharani, his body will become pure and he will be able to attain Buddhahood. In addition, Shobo prayed to Juntei Kannon for the birth of Emperor Daigo’s son, and it is said that later Emperor Suzaku and Murakami were born. Therefore, it is generally known for its merits as child-bearing and safe delivery.

Appearance of Juntei Kannon

She has 18 hands and is often in the third form. The central hand takes the sermon seal and the shimui seal. Her belongings include weapons, prayer beads, and lotus flowers.

普賢菩薩 あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

 

普賢菩薩(ふげんぼさつ、 samantabhadra [サマンタバドラ]、: ཀུན་ཏུ་བཟང་པོ་ [kun tu bzang po])は、大乗仏教における崇拝の対象である菩薩の一尊。文殊菩薩とともに釈迦如来脇侍として祀られることが多い[1](参照:釈迦三尊)。法要では四七日の仏とされる。

 

普賢菩薩

あらゆる場所に現れ、命あるものを救う慈悲を司る菩薩

普賢菩薩(ふげんぼさつ)とは?

普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩です。

 

文殊菩薩とともに釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られる場合もあります。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされています。また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多く信仰を集めました。

 

ちなみに普賢菩薩から派生した仏に延命のご利益のある普賢延命菩薩があります。

ご利益

女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされています。また、辰・巳年の守り本尊です。

普賢菩薩(ふげんぼさつ)の像容

白象に乗っている姿が一般的です。3つや4つの頭の象に乗っている場合は普賢延命菩薩像の可能性が高いです。

文殊菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ、mañjuśrī〈マンジュシュリー〉、mañjughoṣa[1]〈マンジュゴーシャ〉、‘jam dpal〈ジャンペル〉)は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。一般に智慧を司る仏とされる[2]。その他、非人救済などの慈善事業を司るほか、日本真言律宗では慈母供養の象徴としての一面も重視された。

 

文殊菩薩

智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)とは?

正式名称は文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)といいます。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として学業向上や合格祈願に有名な菩薩です。モデルとなった人物が存在し、古代インドにあるコーサラ国の首都・舎衛国(しゃえこく)のバラモン階級の者だったといわれています。仏教の経典を書物にまとめる作業などに関わったといわれていますよ。ただし、本来は学問などの知恵を司るのは虚空蔵菩薩であり、文殊菩薩は物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「智慧」を司っています。

 

釈迦如来の左脇侍として普賢菩薩と共に三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られることもあります。

ご利益

智慧明瞭、学業成就のご利益があるとされています。また、卯年の守り本尊です。卯年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の像容

左手に剣と右手に経巻を持ち、獅子の上に置かれた蓮華台の上に座るのが一般的です。梵篋、金剛杵を立てた蓮台などを持つこともあります。

如是我聞と阿含経 Nyoze Gamon and Agon Sutra

如是我聞と「阿含経」

如是我聞。一時仏住迦毘羅衛国尼拘 律園中。爾時釈氏摩訶男来詣仏所。 稽首仏足退坐一面。 白仏言。世尊。 何名優婆塞。仏告摩訶男。 優婆塞 在家清白。乃至尽寿帰依三宝為優 婆塞証知我。

  • 現代語訳
  • 一切

 

是の如く現れ聞きぬ。一時、仏、逆毘羅衛国狗律園

中に住まりたまえり。雨の時釈 氏摩訶男、仏の所に来 し、私の足にしたてまつり退いて一面に坐し、仏 に白してさく、「世尊よ、何が優婆塞と名づくるや」と仏、摩訶男に告げたまわく、「優婆塞とは在家清白乃至「寿尽くるまで三宝に帰依し、優婆塞と為らん 我れを証知したまえ』」 と。

 

 

 

このように私は聞きました。ある時、仏さまがカピラヴァットゥ (迦毘羅衛国)のニグローダ (拘律)園におとどまりになっておられました。そこへ、在家の弟子であり、仏さまの従兄弟 でもあるマハーナーマ (摩訶男)が、数人の在家信者を引き連れて現われ、仏足頂礼の礼をして 仏さまの前に座り、質問いたしました。

「世尊よ、優婆塞 (在家仏教徒) とは、どのような人に対して名づけられたものでありましょう

仏さまはマハーナーマに、

「在家の者が仏や師となる僧侶のもとに行き、「自分が生きているかぎり、死ぬまでの今後一生 を通して三宝に帰依いたします。 私を優婆塞としてお認めください」と申し出て、仏や僧侶がそ れを認めるならば、その者は優婆塞となります」

と告げられました。

解説

まず、最初に「姫是我(是の如く我れ聞きぬ)」という言葉があります。ほとんどのお経がこ の言葉で始まっておりますが、「私はこのように仏さまからうかがいました」という意味です。 この「私」とはだれか?

これは、お釈迦さまの十大弟子の一人で、記憶力第一といわれたアーナンダ(阿難であると されております。 アーナンダという方は、二十五年間にわたってお釈迦さまのおそば近くに仕え、 その説法の一言一句を残らず記憶していました。 お釈迦さまがお亡くなりになった直後、このア ナンダや大長老のマハーカッサパ(摩迦葉)を含めた五百人の仏弟子たちがラージャガハマハーカッサパが座長になり、アーナンダが自分の聞き覚えていたものを口述し、それを弟子たち全員で議論していくという形で、教法はまとめられていきました。

(王舎城)の七葉窟に集結し、お釈迦さまの教法の編纂を始めたわけです。

たとえばアーナンダが、

「私は祇園精舎でこのような教えを拝聴しました」

と話すと、それに異論のある者は手を挙げて、

「それは私の記憶とは違う・・・・・・」

と自分の記憶している内容を述べたわけです。すると座長のマハーカッサパが、

「みなさんはどのように記憶しておられますか?」

と、他の弟子たちに語り、それぞれが記憶をたどりながら、正しい答えを導き出してまとめて いったわけです(『南伝律」「小品」 十一秒)。そのようにして編纂されていった経典が「阿含経」 です。ですから、「阿含経」に「如是我聞」という言葉が使われているのは当然です。 ところが、仏 滅後数百年経ってから創作された経典、たとえば『法華経』や『華厳経』などの大乗経典も、 「阿含経」の形式をまねて「如是我聞」の四文字から始まっています。 これは言語道断です。 ほ とんどの経典がこの「如是我聞」から始まるために、後世の人たちはすべてのお経はお釈迦さま 一代の教説である、と思い込んでしまったのです。さらには、間違った教相判釈が立てられ、 「阿含経」は小乗経典という、まったく見当違いの評価を受けるようになってしまいました。

「如是我聞」 はたった四文字の言葉ですが、これほど重要な意味を持っています。わたくしたち は、「如是我聞」 を使うことのできるお経は「阿含経」だけなのだという真実をよく理解すると 共に、それを世間に広めていかなければなりません。

優婆塞とはなにか

それでは、お経の内容を解説いたしましょう。

ある時、お釈迦さまがカピラヴァットゥ (迦羅衛国)のニグローダ(尼拘律)園におられまし た。カピラヴァットゥというのはお釈迦さまの故郷で、現在のネパールのタライ地方付近である といわれております。そのカピラヴァットゥにニグローダ(サンスクリット語ではニヤグローダ。 バニヤンの樹)という樹木がたくさん生えている林があり、その中の精舎、つまり道場にお釈迦 さまは滞在されておられました。

そこへ、在家の弟子であり、またお釈迦さまの従兄弟でもあるマハーナーマ(摩訶男)が、数 人の在家信者を引き連れて現われ、仏足頂礼の礼をしてお釈迦さまの前に座り、質問いたしまし

仏門に帰依した者はすべてお釈迦さまの子であるという考えから、仏教徒を釈子あるいは釈氏 といいます。しかし、ここに登場するマハーナーマはお釈迦さまと同じ釈迦族の人ですから、こ ここでいう釈氏は「仏教徒の」と訳すだけではなく、 「釈迦族の」と訳してもよいでしょう。

「仏の足に稽首したてまつり」とは仏足頂礼といい、五体を地につけてお釈迦さまのおみ足を 額にいただく礼拝のことです。インドではこれがいちばん丁寧で、心からの帰依を表す礼とされ ております。仏足頂礼は五体を地につけて礼拝するので、五体投地とも呼びます。 スリランカな どの南伝仏教の国では、パーリ語で「ブッダム サラナム ガッチャーミ(われ、仏に帰依したてまつる)」と唱えて仏足頂礼の礼をします。 わたくしたちは勤行の時に膝をかがめて、

オサラバタタギャタ ハンナマンナノウ キャロミ」

礼拝いたしますが、これは五体投地を簡略化したものです。

しかし、形の上では簡略化してありますが、心の中では五体を地につけてお釈迦さまのおみ足をいただいてる、と観想して礼拝しなければいけません。

と質問したわけです。

マハーナーマもこの時、仏足を頂礼してお釈迦さまにご挨拶し、

「世尊よ、優婆塞とは、どのような人に対して名づけられたものでありましょうか?」

優婆塞とはパーリ語・サンスクリット語のウバーサカを漢字に音写したもので、普通は男性の 在家信者を指します。 これに対して女性の在家信者は優婆夷と呼び、同じくパーリ語・サンスク リット語でウバーシカーといいます。

それでは、マハーナーマはそのようなことも知らなかったのか、というとそうではありません。 逆に、彼は優婆塞の深い意味をよく知った上で、質問しているのです。それは、なぜでしょう か?

マハーナーマ自身は優婆塞についてよく知っているけれども、自分が連れてきた者たちはまだ よく分かっていない。 そこで、優婆塞の心構えを知ってもらうために、わざと自分自身も知らな ふりをしてお釈迦さまに質問しているわけです。このような質問の仕方を赴機間と呼びます。 仏教経典の中には、時々こういう赴機間が出てきます。

 

Nyoze Gamon and Agon Sutra

Just ask me. Temporarily resides in the Kabira Ekokuni Prison. This is the Buddhist temple where Mr. Jishakuji Makoto visited. One side of the practice head Buddha foot retreat. White Buddhism. World Honored One. What a good old lady. Buddhist monk. Yubasai is a layperson. From life to devotion to the three treasures, the mother knows me.

modern language translation
nothing at all

 

He appears and does not hear. Temporary Buddha

Maeri lived inside. When it rains, Ujimakao comes to the Buddha, puts his feet on my feet, recedes, sits down on one side, and bows to the Buddha, saying, “World-Honored One, what is the name of Yubasa?” Buddha said to Makoto, “A yubasai is a pure layman.

 

 

 

 

This is how I heard. Once upon a time, the Buddha was residing in the Nigroda Garden in Kapilavattu. There, a mahanama, a lay disciple and a cousin of the Buddha, appeared with several lay followers, and sat down in front of the Buddha, asking a question. did.
“World-Honored One, to what kind of person is the name ‘Yubasai’ (layout Buddhist)?
Buddha to Mahanama
“A layperson would go to a Buddhist monk who would become a Buddha or a teacher, and say, ‘As long as I live, I will devote myself to the Three Jewels throughout my life, until I die. If a Buddha or a monk recognizes this, he or she becomes a Yuwasai.”
I was told.

Commentary

First of all, there is the phrase, “Hime no kore ga”. Most of the sutras begin with this word, and it means, “I heard from the Buddha in this way.” Who is this “I”?

This is said to be Ananda, one of the ten great disciples of the Buddha and said to have the best memory. Immediately after Buddha passed away, 500 disciples of the Buddha, including this Ananda and the great elder Mahakassapa, were led by Rajagahamahakassapa. , Ananda dictated what he had heard, and all the disciples discussed it, and the teaching was summarized.

They gathered at the Seven Leaves Grotto (royal castle) and began to compile the Buddha’s teachings.

For example, Ananda

“I heard such teachings at Gion Shosha.”

and those who objected to it raised their hands,

“That’s not what I remember…”

I said what I remembered. Then the chairman, Mahakassapa, said,

“How do you all remember?”

He told the other disciples, and while each of them traced their memories, they all came up with the correct answer and summed it up (“Nandenritsu”, “Small Piece”, 11 seconds). The sutra compiled in this way is the Agon Sutra. Therefore, it is natural that the word “Nyoze Gamon” is used in “Agon Sutra”. However, the scriptures created several hundred years after the death of Buddhism, such as the Lotus Sutra and the Kegon Sutra, also imitate the format of the Agon Sutra and begin with the four characters “Nyozegamon”. . This is outrageous. Since most of his sutras begin with this “Nyoze Gamon”, people of later generations have been under the impression that all sutras are the teachings of the Buddha’s lifetime. In addition, the erroneous teaching interpretation was made, and the ‘Agon Sutra’ came to be evaluated as the Hinayana Sutra, which was completely misplaced.

“Nyoze Gamon” is only a four-letter word, but it has such an important meaning. We must understand the truth that the only sutra that can use ‘Nyoze Gamon’ is the ‘Agon Sutra’, and we must spread it to the world.

What is Yubasa

Now, let me explain the contents of the sutra.

One day, the Buddha was in the Nigroda Garden in Kapilavattu. Kapilavattu is said to be the hometown of Buddha, near present-day Tarai region of Nepal. In Kapilavattu, there is a forest with many trees called Nigroda (Niyagroda in Sanskrit, banyan tree).

There, a mahanama, a lay disciple and a cousin of the Buddha, appeared with several lay followers, bowed before the Buddha, and asked him a question. Better

Buddhists are called Shashi or Shashi because of the belief that all those who follow Buddhism are the children of Shakyamuni Buddha. However, since the Mahanama who appears here is a member of the Shakyamuni clan, like Shakyamuni, the Shakyamuni here can be translated not only as “of the Buddhists” but also as “of the Shakya clan.”

“Buddha’s Foot Training Festival” is called “Buddha Foot Chorei,” and it is a worship service in which all five bodies are placed on the ground and the Buddha’s foot is placed on the forehead. In India, this is the most polite and sincere gesture of devotion, he says. Buddha’s feet are worshiped with all five bodies on the ground, so it is also called five-body throwing. Sri Lankan, in any southern Buddhist country, he does the Buddha foot bow by chanting “Buddha Saranam Gatchami” in Pali. We bend our knees during the religious service,

Osarabatatagata Hannamannano Caromi”

I salute you, but this is an abbreviated form of prostration.

However, although the form is simplified, in your heart you must put your five bodies on the ground and worship while contemplating that you are receiving the feet of the Buddha.

I asked.

At this time, the mahanama also bowed to the Buddha and greeted the Buddha,

“World Honored One, what kind of person is Yubasa named for?”

Yubasa is a transcription of the Pali/Sanskrit word ubaasaka and usually refers to male lay believers. On the other hand, the female lay believer is called Yubai, and is also called Ubasika in her Lit language, which is Pali and Sansk.

So, did Mahanama not know such things? On the contrary, he asks the question after knowing the deep meaning of Yubasai. Why?

The Mahanama himself is well acquainted with Yubasai, but those whom he has brought with him still do not know him well. So, in order to let you know Yubasa’s attitude, he deliberately pretends to be ignorant of himself and asks the Buddha a question. This type of questioning is called sukikan. In the Buddhist scriptures, there are occasional statements like this.

不動明王 破壊と再生を司り、悪を滅する

不動明王(ふどうみょうおう、: अचलनाथacalanātha[2])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。

不動明王

破壊と再生を司り、悪を滅する

不動明王(ふどうみょうおう)とは?

語源は「動かない守護者」を意味し、インド神話のシヴァ神の別名です。シヴァは暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす半面、雨によって植物を育てます。その破壊と恵みの相反する面は不動明王にも受け継がれているのです。不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守ります。

 

大日如来の化身として、どんな悪人でも仏道に導くという心の決意をあらわした姿だとされています。特に日本で信仰が広がり、お不動様の名前で親しまれています。そして、五大明王の中心的存在です。五大明王とは、不動明王を中心に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の5体のことを指し、不動を中心に東西南北に配されます。不動明王の脇侍として八大童子のうちの矜迦羅(こんがら)・制多迦(せいたか)の2童子が配されることも多いです。ちなみに不動明王の持っている龍が巻きついている炎の剣が単独で祀られている場合があります。不動明王の化身とされ、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)などと呼ばれています。

ご利益

除災招福、戦勝、悪魔退散、修行者守護、厄除災難、国家安泰、現世利益のご利益があるとされる。また、酉年生まれ守り本尊です。酉年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

不動明王(ふどうみょうおう)の像容

背の低い、ちょっと太めの童子型の造形が多く、怒りの表情をしています。目は天地眼(てんちげん)といって右目を天に向けて左目を地に向けていますよ。口は牙上下出といって右の牙を上に出して左の牙を下に出しています。炎の光背を背にし、手には剣と羂索(けんじゃく)を持っています。剣は大日如来の智慧の鋭さを表現しています。羂索とは煩悩を縛り悪の心を改心させる捕縛用の縄のことです。

微細会(法曼荼羅) 成身会の37尊を、大日如来の堅固にして微細な智慧のシンボルである金剛杵(三鈷杵)によって表した集会図。

微細会(みさいえ)
成身会の内容を、三鈷杵(さんこしょ)の光背をもつ尊像の姿で描く。

微細会(法曼荼羅)
成身会の37尊を、大日如来の堅固にして微細な智慧のシンボルである金剛杵(三鈷杵)によって表した集会図。
●成身会の37尊を、大日如来の堅固にして微細な智慧の一一(いちいち)として(堅固にして微細な智慧のシンボルである)金剛杵(三鈷杵)のなかに表現した集会。
●四神は蓮華に、外郭内の四神・四摂の間に賢劫十六尊

 

 

 

 

微細会=ムドラー・チャクラの開発訓練

ここから超能力の完成の課程に入る。 クンダリニー覚醒のトレーニングが開始される。

念力の護摩の訓練も開始される。

このチャクラは、グルの念力を弟子の念力の場にそそいで、まだ未完成の弟子の念力の発動を うながす。 それは、もっぱら、手印によってなされる。

開発がすすむと、グルの思念のままに、修行者のムドラーが流れ出す。次いで、修行者自身の ムドラーが出るようになる。 霊波ともいうべき微妙な振動波が手指のさきに感じられるようにな る。さらにすすむと、自分の手指の先端から振動が発するようになり、定に入って障子の紙など 指さきを近づけると、微妙な音、共鳴音を発するようになる。偉大なヨーギーになると、水 面に指さきを近づけ、 飛沫をあげることすらできるようになる。この境にいたると、手術も 自在になる。しかし、これは最後の手段であり、最初はムドラーの発現からはじまるので、金剛 界曼荼羅ではこう説いている。

すなわち、この曼荼羅はつぶさには細というのである。なにゆえにこれを金剛 微細というかというと、釈迦 の説くところによると、金剛微細とは金剛の如くに破壊すべ

からざるもので、且つ眼に見ることのできない微細なことである”という。つまり、この 微細徴のの発動がムドラーとなって微妙に表現されることになるのである。

導師は、この課程で、三〇数種のムドラーをさずけて、修行者の手の超能力を開発させる。 念 力の注入とともにムドラーの力を発現させるのである。超能力の完成課程であり、 いよいよ法力 そなえる段階である。

凖諦観音の因縁

 

 

 


仏像の作例
経典や儀軌には二臂、四臂、六臂、十八臂、五十四臂、八十四臂を説くが、日本では『七倶胝仏母所説准提陀羅尼経』(唐・不空 訳)が広まり、そこで詳述された像容・一面三目十八臂とするものが最も多い。『仏説持明蔵瑜伽大教尊那菩薩大明成就儀軌経』(宋・法賢 訳)には、四臂は赤色(蓮華部)、六臂は黄色(宝生部)、十八臂は白色(仏部)と述べられている。また、その手の本数が多いことから、その尊像は時に千手観音と混同される場合もあるが、正面の左右の二手が「説法印」 を結んでいるのが准胝観音で、「合掌」をしているのが千手観音である。なお、醍醐寺准胝観音坐像のように、蓮華座の下に難陀・跋難陀の眷属二大龍王がいる造例が多い。

 

 

禅と准胝観音

『無門関』第三則 【倶胝竪指】(ぐていじゅし)より
  • 倶胝和尚(ぐていおしょう)は禅における馬祖の法嗣の大梅禅法常三世の法孫にあたる。この人の正確な名前は伝わっていないが、准胝観音を一心に信仰し修行前も、修行をなし終えてからも准胝観音の真言を口ずさむのが常であったため、准胝観音の別名である「七倶胝仏母」から名前を取り、倶胝和尚と呼ばれた。この人が寺を構えてそこの住職をしていたところ、尼僧が旅姿のまま土足で上がり込んで来て問答を挑み、「あなたが悟りにかなった言葉を言えば笠を取りましょう」と迫ったが、倶胝和尚が何も答えられずにいると、尼僧は吐き捨てるようにして袖を払って出て行ってしまった。倶胝和尚は一山の住職がこれではと情けなくなり悔しさのあまり涙して寝たところ、「准胝法」の特徴の一つでもある夢告によって夢に神人が現れて、もうすぐこの寺に生きた菩薩が現れると告げられた。その十日後に天龍老師という人が現れて、その人にわけを話して教えを請うたところ、天龍老師はただ黙って指を一本立てられた。その指を見たとたんに、倶胝和尚は落雷に打たれたようになってしまい、瞬時に執着に固まっていた心の底が抜け、無上の覚りを得ることが出来た。
  • それ以来、倶胝和尚は生涯にわたって准胝観音の真言を唱えるかたわら、ただ指を立てるだけで弟子や信徒らを教化したとされている。この第三則の物語を編集者の無門慧開は、「覚りは指先のことではない、しかし、そこが分かれば皆が釈迦牟尼仏となることができる」と批評している。いわゆる中国では、説法印を正面で結んで指を立てる姿の准胝観音の仏像が好まれる理由の一つでもある。

また、明代には浙江省嘉善镸の出身である袁黄(1533-1606)という人物が、当時、占いの名人とされた孔先生に「三式」という運命学を学び、師の孔先生より科挙を受けることを勧められて合格すると共に、その番号までを言い当てられた。その後の占いも一字一句が孔先生の言う通りであり、すっかり宿命論者となっていた。自身の一生を占ってもらったところ相応の出世はするが前世の(カルマ)により壽命は53歳で、結婚はするが子供は無く、薄徳少福の身で失意のうちにその一生を終えると予言されていた。やがて、仏縁により禅密双修の禅僧の雲谷禅師に出会い自身の運命を語ったところ、『七佛倶胝佛母心准提陀羅尼法』の呪法を授かり、正しく戒律を守り善行を積むための『功過格』による指導を受けたことによって運命の呪縛を脱した。壽命が尽きるとされた53歳の時に袁了凡(えんりょうぼん)と改名し、更に出世して高官となって交易と漁民に被害をなす倭寇を平定し、豊臣秀吉による朝鮮出兵の軍を退けた。准胝観音への信仰により願わずして子供にも恵まれ、その寿命も准提観音の延命の功徳と、『功過格』の積善の効果により74歳まで長生きすることができた。

 

准胝観音

仏の母といわれ母性を象徴する安産・子授けの観音菩薩

准胝観音(じゅんていかんのん)とは?

准胝仏母(じゅんていぶつも)・七倶胝仏母(しちくていぶつも)ともいいます。もとはヒンドゥー教の女神であるドゥルガーで、シヴァ神の妃とされています。とても美しい姿ですが、神々の武器を持って魔族を倒した戦いの女神です。そのため本来は女尊であり、観音ではないという指摘もあります。しかし、ここでは観音として紹介しますね。

 

仏教に取り入れられてからは慈悲深い清浄をもたらす神とされ、七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)ともいわれています。これは遙か過去より多くの仏を誕生させた仏の母という意味です。そのため、真言宗系では人道を救済する六観音(聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音)に数えられますが、天台宗系では准胝仏母といわれ如来に分類されています。不空羂索観音と合わせて七観音と呼ばれることもあります。

ご利益

修道者守護、無病息災、延命のご利益があり、安産や子供が授かるなどの功徳があります。

 

空海の孫弟子にあたる理源大師(りげんだいし)聖宝は修験の僧として知られ、自ら霊木を刻んで祀ったのが准胝観音と如意輪観音でした。経典には、修験者が准胝陀羅尼を唱えれば身が清浄となり成仏できると説かれています。また聖宝は醍醐天皇の皇子誕生を准胝観音に祈願し、のちの朱雀、村上両天皇が誕生したといいます。そのため一般的には子授け、安産としての功徳が知られています。

准胝観音(じゅんていかんのん)の像容

手は18本で3つ目の姿であることが多いです。中央の手は説法印と施無畏印をとります。また持ち物は武器や数珠、蓮華などを持っています。

 

虚空蔵菩薩

 

虚空蔵菩薩

無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?

虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。

 

真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の像容

1つの顔に2本の腕を持つ、菩薩形の像です。右手に剣、左手に如意宝珠を持っているのが一般的です。五仏宝冠を戴いた坐像として表現されます。

  大黒天 

大黒天

 

 

 

元来ヒンドゥー教の主神の一つで、青黒い身体をもつ破壊神としてのシバ神(大自在天)の別名であり、教に入ったもの。サンスクリット語のマハーカーラMahākālaの訳で、摩訶迦羅(まかから)と音写。マハーカーラは偉大な黒い神、偉大な時間(=破壊者)を意味する。密教では大自在天の眷属(けんぞく)で三宝(さんぼう)を愛し、飲食を豊かにする神で黒色忿怒(ふんぬ)相を示し、胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の外金剛部に入れられている。七福神の一つ。

中国南部では床几(しょうぎ)に腰を掛け金袋を持つ姿になり、諸寺の厨房(ちゅうぼう)に祀(まつ)られた。わが国の大黒天はこの系統で、最澄(さいちょう)によってもたらされ、天台宗の寺院を中心に祀られたのがその始まりといわれる。その後、台所の守護神から福の神としての色彩を強め、七福神の一つとなり、頭巾(ずきん)をかぶり左肩に大袋を背負い、右手に小槌(こづち)を持って米俵を踏まえるといった現在よくみられる姿になる。商売繁盛を願う商家はもとより、農家においても田の神として信仰を集めている。民間に流布するには天台宗などの働きかけもあったが、音韻や容姿の類似から大国主命(おおくにぬしのみこと)と重ねて受け入れられたことが大きな要因といえよう。また、近世に隆盛をみた大黒舞いの芸人も大きな役割を果たしたようである。大黒柱などの名とともに親しまれており、東北地方では大黒の年取りと称して、12月に二股(ふたまた)大根を供える行事が営まれている。

 

日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗天台宗で信仰された。インドでも厨房・食堂の神ともされていたが、日本においては最澄が毘沙門天弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。後に大国主神と習合した。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。「大黒さん」として親しまれている。

大黒天

大黒天(摩利支天と同一種子)梵名をマハーカーラといい、「大いなる暗黒」との意味があります。
わが国では七福神の一つに数えられ、頭巾をかぶり、大きな袋を背負い、右手に打出の小槌を待
った姿で親しまれています。

しかし、本来は、シヴア神の化身とされ、戦闘をつかさどるほか、冥府の神ともされています。仏教では施福の神として寺院の台所にまつられ、僧侶たちが食べ物の心配をしないで修行に励かことができように、必要なものが手にはいるように寺院を守護します。

大黒天を食厨の柱にまつったところから、家をささえる最も太い柱や一家のあるじを「大黒柱」というようになりました。一般には福徳の神として、商売繁昌などを祈念します。
おん ま ら か きや や そわ か

Daikokuten

 

 

 

Originally one of the main gods of Hinduism, it is another name for Shiva (Daijuten) as a destructive god with a dark blue body, and it entered Buddhism. Translated from the Sanskrit word Mahākāla, it is a transcription of Mahakala. Mahakala means great black god, great time (= destroyer). In esoteric Buddhism, he loves Sanbo in the genus of the heavens, and is a god who enriches food and drink. It is put in the department. One of the Seven Lucky Gods.

In southern China, he sat on a shogi and had a gold bag, and was enshrined in the kitchens of various temples. Daikokuten in Japan is of this lineage, and it is said that it was brought about by Saicho and was enshrined around the temple of the Tendai sect. After that, he became one of the Seven Lucky Gods from the guardian deity of the kitchen, wearing a hood, carrying a large bag on his left shoulder, and holding a gavel in his right hand. Become a figure. Not only merchants who wish for prosperous business, but also farmers are worshiped as the god of rice fields. The Tendai sect and others worked to disseminate it to the private sector, but it can be said that the major factor was that it was accepted together with Okuninushi no Mikoto because of its similar phonology and appearance. In addition, it seems that the entertainer of Daikoku Mai, who saw prosperity in the early modern period, also played a major role. It is popular with names such as Daikoku Pillar, and in the Tohoku region, an event is held in December to offer bifurcated radishes, which is called the old age of Daikoku.

 

It was introduced to Japan with the introduction of esoteric Buddhism, and was one of the guardian gods of Buddhism called Tenbe. What was emphasized and enshrined was passed on to Japan. Since it was introduced through esoteric Buddhism, it was worshiped mainly in the Shingon sect and Tendai sect in the early days. In India, it was also regarded as the god of the kitchen and dining room, but in Japan, Saicho enshrined the three-sided Daikoku, which was combined with Bishamonten and Benzaiten, as the guardian deity of the kitchen of Enryakuji Temple on Mt. Hiei. Later, he learned from Okuninushi. In the Muromachi period, it was actively worshiped in the Nichiren sect. It is popular as “Mr. Daikoku”.

Daikokuten

Daikokuten (the same seed as Marici) is called Mahakala, which means “great darkness”.
Counted as one of the Seven Lucky Gods in Japan, he wears a hood, carries a large bag on his back, and waits for a gavel to launch in his right hand.
It is familiar with its appearance.

However, originally, it is considered to be an incarnation of the god Shivaa, and in addition to being in charge of battle, it is also regarded as the god of the Netherworld. In Buddhism, the god of blessing is enshrined in the temple kitchen and protects the temple so that the monks can practice without worrying about food and have what they need.

From the place where Daikokuten was enshrined in the pillars of the food kitchen, the thickest pillars that support the house and the pillars of the family came to be called “Daikokuten”. Generally, as a god of good fortune, we pray for business prosperity.
Onmaraka Kiya or Sowaka

千手観音(せんじゅかんのん)

千手観音(せんじゅかんのん、: सहस्रभुज、[sahasrabhuja]、サハスラブジャ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。

 

「サハスラブジャ」とは「千の手」あるいは「千の手を持つもの」の意味である。

 

 

千手観音

千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩

千手観音(せんじゅかんのん)とは?

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

 

観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。

ご利益

災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。子年の守り本尊でもあり、子年生まれの人の開運、厄除け、祈願成就を助けるとされます。

千手観音(せんじゅかんのん)の像容

十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが二十五の世界を救うことを示します。手には宝剣、髑髏杖、水瓶など実に様ざまな持物(じもつ)を持ち、多種多様な徳を表しています。