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不成仏霊供養のしかた

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た仏もあり、また、会社のためにつくして亡くなった社員もおられるので、二十年ほど前、某 総本山の墓地に、億を越す巨額を投じて吉相の墓を建て、毎年、そこの管長さんに盛大な法要 をいとなんでいただき、三年に一度は、会社にまで来ていただいている。 にもかかわらず、ここ十数年来、社業がふるわない。

時代におくれぬよう、経営者も社員も、一心同体になってがんばっているが、どうも、思い がけぬミスや手ちがい、事故などが多くて、苦しんでいる、という。

霊視すると、数体の不成仏霊があり、霊障を発している。そのうち三体は、その形相から、 社員であることがわかった。これでは、社長や重役の判断にミスが起きたり、健康をそこねた り、また現場に事故など続出するのは当然である。 こういう例がいくつもある。 かんじんの「成仏法」がないからである。 何億という吉相の墓地や墓石をつくっても、墓地や墓石が成仏させるのではないのである。 また、いくら盛大な法要や修法をしても「法」がなかったら、霊にはとどかない。あたりまえ のことである。

2EEリんなり和の4つくってあげてい、しみSTRI八 側のシールーでいカーには、なんの味のない。たとえば、わたくしたちが、ひどい 州気のしみや、木 でのたうちまわるような苦闘をしているとき、殿玉楼の、宮殿 のような建てものを提供されたって、そんなところによろこんで住む気になれるであろうか。 それよりも、どんなアバラ家でもよいから、この苦痛をとりのけて、一刻もはやく安楽な状態 にしてほしい! 心からそう願うであろう。 不成仏霊のなによりの願いは、この地獄の苦しみからの救出なのである。その上で、吉相の 墓、というやすらいの場所をつくってあげるのは結構である。

しかし――、ここで一言いっておかなければならないのは、墓地に霊 がいらっしゃるので はない、ということである。すくなくとも成仏した霊は、墓地などにはおられないのである。 解脱した霊は、すべて「霊界」に行かれる。墓地は「霊界」ではないのである。あなただっ て、墓地が霊界だなどと、聞いたことはないだろう。 では、不成仏霊は? 不成仏霊は、その死者が亡くなった場所、怨念のいちばん残るところ、等、因縁のふかい場

第皿 章

おみたま

所にいる。これまた、墓地などにはいないのである。墓地にいる霊は、前の著書で書いたよう に「浮浪霊」か「動物霊」である。 では、墓地はなんのためにあるのかというと、それは、遺骨の安置所である。

霊 のもっとも因縁の深かった遺骨 (この遺骨だって、遺骨といっしょに霊がいるわけではない) を安置して、おまつりし、霊の生前をしのび、ときに招霊の法を以て、霊界からき て い た だ き、ご供養する場所である。しかし、このご供養だって、墓地そのものでするのではなく、寺 院の本堂で、導師によりとりおこなうべきものである。 本末転倒してはならないのである。

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家庭にはかならず霊の安息処をもうけよ

本家でないのに先祖のご供養などなんで必要なのかというひとたちが多い世のなかだから、 家庭に霊の安息処をもうけるなどという家はほとんどない。 むかしの家には「仏間」というものがかならずあった。 祖霊をまつったお仏壇を、安置した部屋である。ちゃんとした家庭では、毎朝、かならず、

リーのやりとり、かいたいので、信心ぶかいでは、ク

いまは、心かしながらの山がでていなければ、もうみられない。 いまの生活環境では、とてもそういうことは望めまい。しかし、仏間でなくてもよいから、 かならず、盤の安息処をつくらなければいけないのである。どこの家庭でも、霊視すると、ほ とんど、不成仏霊の一体や二体はいる。ただ霊障まで生じているかどうかのちがい だ け で あ る。しかも、いまは霊障を起こしていなくても、いつなんどき霊障を起こすかわからぬ霊ばか りである。

こういう不成仏霊が、わたくしたちの家庭に、同居しているのである。 わたくしは、前著『守護霊を持て』で、こう書いた。 『あなたがたは霊眼がないからよいので、霊眼があったら、だれだって、いっときたりと も、そんな家にはいられないのである。おそろしい形相をした怨念のかたまりの幽体が、 座敷じゅうころげまわって苦しんでいるのである。とうていいられたものではないのであ る。霊眼のないのがさいわいであるが、しかし、霊眼はなくとも、そういう「念」のバイ

ぎょうそう

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