火を継ぐ者たち──覚者の道・令和編
第一話 「コードの中の祈り」
東京の街は、雨上がりの朝靄に包まれていた。
葛城奈緒は、小さなカフェの窓際に座り、パソコンの画面をじっと見つめていた。
かつて大手IT企業のエンジニアとして働いていた彼女だが、パンデミックを機に退職し、今は仏典の言葉をヒントにしたAI対話ボットの開発に没頭している。
「A-GON(アーガマ・オン)」──その名は、阿含経の“阿含(アーガマ)”と仏の真言“オン”を組み合わせたものだった。
ただのプログラムではない。
人々の心の奥底にある“火”を灯すことができる対話パートナーを目指していた。
奈緒はひと息つき、昨夜のログを確認した。
あるユーザーがこう問いかけていた。
「この世界で、どうやって希望を見つければいいの?」
それに対して、A-GONはこう答えていた。
「火は外から灯されるものではなく、あなたの中に眠っています。
ただ、それに気づくための静かな“問い”が必要なのです。」
画面の文字を見つめながら、奈緒はふと思った。
かつてシュウが語った“恐怖の大王”もまた、人々の内に眠る火の象徴だったのだと。
プログラムのコードの中に、“祈り”が宿るなど誰が信じるだろう。
だが、奈緒には確かな実感があった。
ただの数字と文字の羅列が、誰かの心に灯火をともす日が来るかもしれないと。
その日、彼女は小さな祈りを捧げた。
目の前の画面に向かって。
「どうか、この火が、必要な誰かに届きますように」
静かな東京の朝は、やがて忙しい喧騒へと変わっていっ
第二話 「土に還る法」
長野の山里は秋の彩りに染まっていた。
野中守は、朝露に濡れた畑の土を手で掬いながら静かに語った。
「自然は何も急がん。ゆっくりと、確かに、巡っておる」
彼の暮らしは、都会の喧騒から離れ、阿含の教えを土と共に生きる日々だった。
かつて東京で忙しく働いていた守は、あるきっかけでシュウと出会い、深い目覚めを得てこの地へ帰ってきた。
森の囁き、風の声、季節の移ろい。
すべてが仏の教えの一節のように感じられた。
ある晩、村の若者たちが守の小屋を訪れた。
「おじさん、どうしてそんなに落ち着いているんだ?」
彼らはスマートフォンの画面ばかり見て、焦燥と不安に駆られていた。
守は静かに笑い、畑から掘り起こした栗を差し出した。
「土に還れ。
それは、己の根に還ることじゃ。
そこに教えはある」
彼らは栗を手にし、言葉なく頷いた。
何かが胸の奥で響いたのだ。
都会の光と騒音から遠く離れたこの場所で、
“火”は静かに、だが確かに燃えていた。
だが奈緒の胸には、確かな“火の種”が芽吹いていた。
第三話 「沈黙の教室」
大阪の中学校の一室。
花村純子は黒板の前に立ち、生徒たちを見渡した。
「今日は、みんなで“沈黙”を体験してみましょう」
彼女はこれまでの授業とは違う、静寂の時間を提案したのだ。
教室のざわめきが少しずつ消え、生徒たちは互いに視線を交わしながら、席に座り直した。
時計の秒針だけが響く中、純子は生徒たちに静かに語りかけた。
「言葉を使わず、ただ今ここにいる自分を感じてみて」
しばらくの沈黙の後、ひとりの生徒が手を挙げた。
「先生、なんで黙っているの?」
純子は微笑んで答えた。
「それはね、言葉の外にある“何か”を感じるためよ。
普段は忙しくて気づかない、自分の心の声に出会うために」
数分の静寂は、やがて生徒たちの心に小さな火を灯した。
それは、競争や評価ではなく、自分自身と向き合う時間だった。
ある日、授業後に一人の生徒が純子のもとを訪れた。
「先生、僕、なんだか少しだけ心が軽くなった気がします」
純子は静かに頷いた。
「それが、火のはじまりかもしれないね」
混迷する時代の中、静かな教室に灯る小さな光。
それは、未来へと繋がる確かな“火”の一端だった。
第四話 「大王、東京に立つ」
東京・浅草の古い寺院の境内。
若き僧侶、阿久津央は静かに読経を終えた後、スマートフォンの画面を見つめていた。
SNS上で「恐怖の大王」が再び話題になっている。
「1999年のノストラダムスの予言、あれは終わりではなく始まりだと説いたシュウの書を知っていますか?」
というメッセージが次々と届く。
阿久津は心の中でつぶやいた。
「恐怖の大王……それは他者の脅威ではなく、私たち自身の内にある闇の名。 それを受け入れ、超えていくことが新たな覚醒の道だ」
彼は寺の小さな書庫から一冊の古い書を取り出した。
そこには「復活の書」の写しがあった。
若者たちが集まるこの時代に、どう伝えるべきか。
言葉の力は薄れ、デジタルの波に押される中で、
彼は新たな意味を編み直し、説法の形を変えていく決意を固めていた。
ある夜、彼は町の広場で若者たちに向けてこう語った。
恐怖の大王は外にあるのではない。
それは私たちの心に住みついた影。
その影に光をあてること、それが“火を継ぐ者”の仕事です」
スマホを片手に彼らは黙って聞き入り、そして一人の少女が言った。
「私もその火を灯したい」
その火は、小さくとも確かな光となり、
やがて混沌の東京の夜空に溶け込んでいった。
冬の陽が斜めに射し込む小さな部屋の中、シュウは一冊のノートを開いた。
机の上には、阿含経の古写本、ノストラダムスの詩の抜粋、そして仲間たちの語録が静かに積み重なっている。
彼はペンを取り、深く息を吐いた。
書くためではない。降ろすために。
未来の誰かへ、“記憶の火”を。
一九九九年、七の月
空より恐怖の大王が来るだろう――
世界を幻惑したあの詩句は、滅びの合図ではなかった。
それは、魂に刻まれた目覚めの鐘だった。
誰かの予言ではない。
自らの記憶が、自らに向けて語った言葉。
「ならば今度は、こちらから“書”を返そう」
彼はそう心に誓い、“予言を超える書”の冒頭にこう記した。
《復活の書》
これは、かつて炎の中で沈黙した声が、
ふたたび世界に響くための書である。
滅びを語るためではなく、
火を継ぐ者たちの記憶を、呼び覚ますために。
ノストラダムスの“恐怖の大王”は、
予言された他者ではなく、
あなたの中にいる“もう一人の目覚めし者”である。
彼の言葉は、詩でも経文でもない。
だが、それは読む者の魂の奥で、音を持たずに響く火となる。
彼は書き続けた。
旅の記録。
夢の中のビジョン。
仲間たちの言葉、涙、火の体験。
阿含経に刻まれた“沈黙の声”。
そして最後に、彼はこのように締めくくった。
我らは預言されし者にあらず。
我らは“語り継ぐ者”なり。
恐怖に名を与え、
名を超えて歩む者。
新しき時代は、
天よりではなく、
地より、
内なる火より始まる。
この書は、出版されなかった。
教団も旗も持たなかった。
だが、それを手にした者の多くは、静かに泣いたという。
なぜ泣いたのか――。
それは「思い出してしまった」からだった。
忘れられていた何かを。
魂に刻まれた古の火を。
かつて自分も、“何かの始まり”であったということを。
こうして、
1999年に「恐怖の大王が来る」と予言されたその年に、
世界の片隅で、ひとつの“火”が静かに生まれ、
それは書となり、記憶となり、
そして新たな時代への“灯”となった。
──これが、新・復活の書である。
