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密教入門

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念力の原子炉

にすぐれた潜在意識の用い方をしても、自分だけの力はタカが知れている。 法のシステムに

乗せてこそ、それは人間の力の何十倍という力を発揮するのだ。

このことを、弘法大師空海の師、恵果阿闍梨はこう表現している。

「顕教は長い道中を自分の足でトコトコ歩いてゆく。密教は法という大変な力と速度 を持つ乗り物に乗って忽ちのうちに目的地に着いてしまう。この法の乗り物を金剛 「乗”と言う」

といっている。密教の修行者が人間ばなれのした能力を発揮するのは、法のきびしい鍛練 によるものであることもちろんであるが、それ以上に、その秘密はここにあるのであって、 個人の能力を法というシステムで何倍にも拡大するのである。個人の力だけでは、磨り減り 消耗してしまうのだ。

まあ、そこで、クリスチャン・サイエンスや、「○○の家」では、全知全能のカミを想定 し、それをイノルことにより、それをまぬがれようとするのであろうが、それもまた漠然と したものであり、とうていシステムというようなものではない。密教における整然として 密に構成された近代的技法には較ぶべくもない。

とはいうものの、私は、けっして、クリスチャン・サイエンスや「○○の家」をけなして

いるのではない。低級なものだといっているのではないのである。むしろ、それは、心の使 い方の重要性をとり、それを説いているだけ、従来のどの宗教よりも密教に近く、すぐれ 教えだと思っている。それだけに、クリスチャン・サイエンスや「○○の家」で学んだ 人々は、普通の人々よりも心の使い方について理解があり、ある程度その力を身につけてい るものと思われるので、ねがわくば、密教の行法を修得して、その力をより高度に、より拡 大して、システムに乗せ、大いに発現してもらいたいものだと思うのである。

このことは、潜在意識だけではない。

深層意識の場合にも、そっくりそのままあてはまる。

深層意識を動かし、大随求法を修することにより、強烈な念力が生じてくる。

だが、その念力も、ただそれだけでは、それだけのものである。しょせん、限られたもの

また、大随求法の修行によらず、他の方法なり、あるいは先天的な素質などによってある

を終わろう。

程度の念力を持つようになった人もいる。だが、これもまた、それだけでは、ただ単なる強

念力の持ち主というだけにとどまったり、あるいは、せっかくの念力の使い方を知らず、 「念写」をしたり、物品引き寄せという手品みたいなことをしてみせるのにとどまってしま う。さらにまた、いたずらに執念、我執のつよい人間をつくり出すというマイナスの結果を 生じやすい。

密教は、大随求法というシステムで正しい念力を持たせると同時に、それで得た念力を 「念力の護摩法」というシステムでさらに十数倍も拡大強化し、その上で、 願望成就の行法 をおこなうのである。 いくら強い念力でも、それだけではタカが知れている。 そこで、金剛 乗という乗りものに便乗して活用するわけである。

念力の護摩は、火のエネルギーによって「個」の念力を拡大するのである。念のエネルギ 燃えあがる火のエネルギーに同化同調させて、無限に拡大させてゆく。

私は、念力の護摩は一種の原子炉だと思っている。 いや原子炉そのものに相違ない。 密教の学匠たちは、護摩法を、このようには説かない。それは、バラモン教のカーリー神 供養の秘儀から伝承したもので、仏教は、それを、加を焼きつくす法儀に変えたと説明す たしかにそれはその通りであるが、それはどこまでも、歴史的・学問的解釈で、修法の

上ではまったくべつな深い意義を持つのである。

ぼんのう

第一に、それは、いまいったように、念力を無限に拡大する機能を持つ。

第二に、護摩によって深層意識の開発をする。

さきの章で述べたごとく、護摩の火は、人々の深層記憶にひそむ太古原始の火と同調して、 深層意識をひき出すヒキガネの役を果たす。 護摩の大以外、深層意識に手をかける方法手段 はおそらく無いと私は思うのだ。大随求法の護摩は、まさに、そういうシステムの上に立っ て組まれている。みごとな条件反射の応用である。 パブロフが知ったら、色を失うにちがい ないのである。

指導霊・守護霊を持つ

そこで、これから密教修得に乗り出すあなたに、最良のアドバイスを二、三して、 この節

まず、念の使い方を体得することであるが、そのもっともよい方法として、導師の護摩行 には必ず参加して、導師の念力、念の波動をできるだけ吸収するように心がけることである。

法力ある導師は、護摩行によって念力を高め、法力を強める。その方法として、いま述べ たように、護摩の火の中に自分の力をたたきこみ、火のエネルギーが念力を高め、 拡 大 拡大した念力をわが念の中にとり入れ、それをまた火に投げこみ、さらに拡大してふ たたびわが念の中にとり入れる。これを数回くりかえすのである。

念力さかんな導師の修法中は、道場内が、念のエネルギーと火のエネルギーで震撼する。 法のなんたるかをまったく知らぬはじめての者でも、敏感な人は、その強烈な波動に圧倒さ

茫然自失、しばらくはバカみたいに立ちすくんでしまうことがよくあるのである。ガ アーンと頭を打ちのめされたようになって、軽い目まいをおこす者は毎度のことである。 道

おし

場内が、轟々たる心の波動の大暴風なのである。

最初は、師のできるだけそばにあって、波を吸収する。 ピリピリと全身で感ずる。その うちに、念の強弱、種類がわかってくるようになり、最後に、念力の使い方がだんだん呑み こめてくる。これは、修行者だけでなく、なにかの願望成就を願う者は、導師のそばに座し、 導師の念力を受けるようにするのがよい。 導師の念力念波に便乗するわけである。

つぎに、法力のある導師が修法をはじめると、最初に、導師の指導霊、あるいは守護霊が 火焔になってあらわれる。 火焔がその形になるのである。指導神・守護神といってもよい。

つづいて、そのつぎに、導師がその修法の時に召請でいる本尊のすがたが火焔になってあら われる。

スピリット

これは気のせいとか、目のせいでそのように見えるというようなものではなく、その瞬間 カメラを向ければチャンと写るだけの客観性を持っている。一種の精霊である。

ろうぎんぎょう

天台宗の高僧方が、籠山行でホトケを見る修行を一心にする話を読んだことがあるが、 自分ひとりホトケを見奉るのもたいへん結構あるが、密教には、自分だけがホトケを見る だけでなく、他の第三者にもホトケを見せるだけの法と力があるのである。

その導師の指導霊・守護霊の分身をいただくように心がけるのである。もちろん、ただボ カンと見とれていただけては、分身、分霊はいただけない。火焰にあらわれる精霊が見え るようになったら、導師におねがいして分身をいただく行法を教えてもらうのである。 そう すれば、あなたも、背後にあって指導してくれる精霊を持つことができ、その後の進歩は目 ざましいものになる。

時には、導師が、自分の指導霊ではなく、あなた自身にもっとも縁のある、 というのはあ なたに適応したということであるが、そういう菩薩の精霊をさずけてくれることもある。

指導の精霊を持つようになると、護摩行のとき、(自分がかずに脇導師の場合でも)火焰

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