億年の進化の経験と記憶を秘めたこの部分を解明することにより、その多くが明らかになる ものと私は信ずる。
が、まあ、いずれにしても、人間にとってかけがえのない人である。
その人の縁皮質が、なにゆえあって、今日はあんな大あばれをしたのか、ひとつその 言い分を聞いてやらねばならぬ。
お説教はやめてくれ
「今日はどうもうちの若い者たちがとんださわぎを起こしまして、申しわけございません」 口をきったのは、辺縁皮質の代表者、海馬氏である。中年ながら、たくましいかっぷく、 浅ぐろい顔に目がするどい。
「ここのところたいへんなオーバーワークで、みんな気が立っておりまして。 いらいらし ているところへ、新皮質の連中の騒動を耳にしたものですから、いっぺんにわあっというこ ことになってしまった。
けれども、私はね、あれてよかったと思っている。 あればあっと発散してしまったから
よかったので、あれを我慢して、 いらいらが高ずると、御存知の欲求不満で、あなた方み んな病気になってしまう。
いまさかんにいわれている「心因性の病気」ですよ。
いわゆる精神身体医学で、発病や経過に、心理的要因が重要な意味を持つ身体疾患」と いわれるものです。専門医によれば、人間の全肉体疾患のおよそ八〇パーセントはこの部類 に属するといわれていますな。
ストレス説で有名なハンス・セリエ博士あたりになると、伝染性の疾患もふくめた事実上 (あらゆる疾患が、心因性によるものだと断言しておりますよ。
そこまでいかなくとも、現代医学で確実に心因性の疾患としてあつかわれ、治療されるよ うになった肉体疾患の種類を言ってみましょうか」
さすがに記憶のベテランだけあって、海馬氏はメモも見ずに、おちついた口調で、すらす 病名をあげはじめた。
「結核、枯草熱、気管支炎、 ぜんそく、静脈洞炎、胃カイヨウ、大腸炎、便秘、下痢、痔、
心臓病、流産、パーキンソン病、各種硬化症、テンカン、ジンマシン、湿疹など、以上があ げられますな。 さいさんでは、関節炎、 滑液囊炎、弱視、ある種の禿頭なども、この部類に
かぞえられるようになりました。禿頭もですよ」
海馬氏は、こちらのうすくなった頭のあたりをじろりと見て、
「まさか禿頭までとお思いかしらんが、アメリカの臨床医S・J・パン・ペルト博士の研究 報告 心因治療をうけた男性患者の禿頭に、すこしずつ頭髪が生えはじめたと報告されて います。
いかがです。 これらの病気が、みな、私たちの調子一つて起きてくるんですぞ」
「おじさん、そんなアタリのやわらかいことを言っていたんじゃあ、いつまでたっても、ラ チがあきませんよ」
たまりかねたように、いらいらした口調で言葉をはさんだのはG・Iカットのせいか んな面がまえ、旧皮質の兄さんだ。
「あたしたちにはね、なんといっても十億年間のキャリアというものがあるんだ。 人間がこ うしてなんとかかんとかやっているのは、みんな、あたしたちのおかげですぜ。 それを、昨 今日出てきた新皮質あたりの連中に大きな顔をされて、はい、さいですかとひっこんでい られるかっていうんだ。
もとをただせば、このあたりだって、みんなあたしたちの領域だった。それを、なんとか
かんとかいって、だんだん手をひろげて、今じゃあほとんど表通りのいいところはみんなあ の中に占められて、あたしたちは、ろくに日の目を見ない隅っこのほうで、 手足かがめて 暮らしている始末だ。 それじゃあ、あたしたちが役立たずの能なしなのかというと、そうじ あない。あたしたちが協力しなければ、あの連中だってなに一つできないんじゃあないか。 しかしまあ、それも時世時節で、人間一家の発展のためと思って胸をさすって我慢をして いると、どうですか、今日のざまは。
ふだんから、あたしたちにお説教して、人間には理性知性が大切だ。 暴力はイカン、ケン 力はいかんと、しょっちゅうえらそうなことばかり言っているくせに、衆人環視の真ん中で、 手前たちがなぐり合いをはじめるとは、なんですか。
言いたいことなら、こっちの方が山ほどあるんだ。
今日という今日は黙っていられなくなって、 とび出したんだが、このおさまりは、どうつ けてくれるんです?」
ぐいとにらんだところは、さすがに十億年のかんろく十分といったところ。
「まあまあ、いいから、いいから」
海馬氏は、大きな手をあげて、
「今日のところは私に万事まかせておくんだ。それでなくとも、私たちは、本能族ですぐに
感情的になって暴力をふるうなどと誤解をされているんだ。冷静に、今日はじっくり私たち の言い分を聞いてもらわなくちゃならんのだ」
となだめてから、こちらを向いて、
では申しましょう。
「なにしろ、このごろひどい過労で、みんな気が立っておりましてな。御承知の通り、私た ちは二十四時間フル勤務で、一分一秒も休みというものがない。あなた方が、一杯、やって、 いい気持ちでぐっすり眠っているときでも、私たちは休んじゃいられない。 四方八方、体の 内外に気をくばって、あなた方を守っていなければならん。
そこへもってきて、このごろは、複雑になった人間関係とか、公害からくるいろいろな障 とか、心身ともに気を使うことばかりで、年じゅう、いらいら、むらむらの連続なんです。 え?ところで私たちがなんで腹を立てたのか、とおっしゃるのですか?
新皮質の中に、よけいなおせっかいはやめてほしいということです。
うちの若い連中の一番がまんできないのは、あの人たちが、えらそうな顔をして、お説教 理屈をこねることなのです。 私たちを教育しようとするあの考えかたです。 年じゅう、こ
ごとを言ったり、干渉したり、抑えつけたりする、そいつをやめてほしいのです。 あの人たちの考えかたはこうです。
自分たちは知性、理性のかたまりの文化人で、私たちは本能のかたまりの野蛮人ばかりだ。 ちょっとでも目をはなしたら、なにをしでかすかわからん。だから、いつも自分たちが看視 していて、きびしく教育してやらにゃあいかん、とこう考えている。
だいたい、これはね、学者の先生がたがいかんのです。
やつらを、文明文化の恩人にしたてて、知性、理性、創造性のかたまりだなんておだてあ げる。そうして私たちは古い記憶や本能のかたまりだから、自由にさせておいたらなにをし てかすかわからん。君たち、よく見はって、勝手なことをさせちゃあいかん、なんというも だから、連中、すっかりその気になっちゃった。
そこへもってきて、宗教や教育の先生たちが、こういうように教えろ、ああいうように仕 込めとけしかける。そういうわけで、やつら、ハシの上げ下ろしにまで目を光らせて、イチ ャモンつけるというわけです。
アメリカの脳生理学の先生で、マックリンなんて先生は、私たちを競馬ウマにたとえ、新
皮質の連中がそれを御す騎手だなんていう説を発表して、新皮質の知性や理性で、あばれ馬
である私たちを調教しなければいかんなんてことをおっしゃったものだから、どうです、 あ の連中といそうな顔。
牧師さんやら、坊さんやら、新興宗教やら、倫理道徳の先生やら、つぎからつぎへとえら そうな顔をして、小理屈をこね、お説教をたれる。 中には、原罪 法だ、法罰だなんて、 愚にもつかないおどかしをかけたりする先生もいる。 みんな、新皮質の連中がつれてくるん です。
ところが、これがまったくの見当ちがい。 笑うべき愚行なんですよ。 いや、われわれに とっては笑って過ごせることではないので、おそるべき愚行と訂正しましょうか。
なぜならば、私たちに、そういう教えや信仰はぜんぜん役に立たんです。 いや、役に立たないだけならまだいいのですが、 害になるから困るのです。 つまり、有害無益なんだな。
その証拠に、うちの若い連中は、ちかごろ、うるささのあまり神経障害を起こして、みん もうやる気をなくしてしまっています。 それでなくても、さきほど申し上げた通り、忙し くて忙しくて、いらいら、むらむらの連続なんですからなあ」
超能力をひき出せ
海馬氏は、首をふって、目の前のコップをとりあげると、つめたい水をグッとあけた。
「どうしてか? とおっしゃるのですか?」
海馬氏は、しずかにコップをおいて、
「わかっちゃいないんだなあ、あなた方も、それから、牧師さんも、坊さんも、新興宗教の 先生、倫理道徳の先生、それから生理学の先生も、わかっちゃいないんだなあ。
そういう、教育とか、宗教とか、理論とか、そういうものが必要なのは、新皮質の連中な んで、私たちに、そういうものは、不要というよりも、通じないのです。
通じないものをむりにおしつけるのは、むだだけじゃない、有害です。
そういうものをむりにおしつけられると、私たちは、いや気がさしてきて、はたらきたく なくなるのです。それをさらにおしつけると。フロイト氏が言ったでしょう。 <抑圧> 葛藤が生じて、さっき述べた心因性の病気にかかる。それだけではなく、精神のはた らきの上にもいろいろな障害が起こって、人間はメチャメチャになってしまうのです。 え? なぜそんなけっこうな教えがおまえたちには通じないのか、とおっしゃるのです
