制御パターンの一つとみてそんなに大きな見当違いを犯していることはないと思っているので あります」 ということであるから、そうすると、 平安、鎌倉時代は、ヒトの持つ生産出力が馬一頭 分、すなわち一馬力程度のものだったのだから、一億六千万馬力から原子力時代にまで突入した現 代社会の制御はとうてい不可能だということになる。この点からだけでも、古代および中世期時代 のパターンをくりかえしている現在の仏教では、現代社会および現代人の制御や救済など、及びも つかないことであることがわかるであろう。
それは、市川氏が、「主権在民をかかげて出現した近代デモクラシーの社会におきましては、 富の生産のため”だとか、“大衆のため”だとか、あるいは、ある種の思想(イデオロギー)とか の権威が、それ(宗教)に代わっているのであり、それまでの長い人類の社会システム史に強度の
を発揮してきましたアブソリューティズム(絶対制)としての神観念というものは、ふたたび その社会システム史的な意味を表わすことは、おそらくないだろうと思います」という通りなので ある。これまでのようなパターンの) 神仏の観念は、さまざまなスローガンやイデオロギーに とってかわられてしまっており、もはやふたたび現代社会の指導原理とそして制御的役割り)は 果たし得ないということなのである。
荒廃する現代社会に、現代の宗教がほとんど無力であるかのごとくに見えるのは、まったくこの ためなのである。現代社会において、宗教がわずかにささえとなっているのは、宗教そのものの力 ではなく、すぐれた宗教家たちの個人的パーソナリティによるものであることを、われわれは直視 しなければならない。
五抑圧意識を強める情報洪水
ところで、生産出力の増大とはなんであろうか?
それは、コミュニケーションの面からみた場合、「情報」の増大を意味するであろう。
市川教授は、生産出力の増大による変革を、社会機構の面からとらえたのであるが、わたくしは、 それを、ヒトの精神機構の面からみてみようと思うのだ。
すなわち、生産出力の増大ということを、コミュニケーションの面からみた場合、 それは、「情 報」の質量の増大を意味する。馬一頭分・一馬力の出力時代から、 一億六千万馬力 原子力とい 驚異的なパワーへの飛躍は、そのまま、情報量の飛躍的増大にほかならない。これが、ヒトの精 神機構にどのような影響をもたらすか。
先年、アメリカの「外交政策協会」が刊行した『西暦二〇一八年』に、このことにふれた文章が
コンピューターシステムでは、一個の情報を bit という単位であらわす。 現代社会に生きるわれ われは、いま、平均、一分間に三〇万ビットから五〇万ビットの情報を受けとり、 それを、意識的、 無意識的に処理しているという。これが二十一世紀の前半になると、人類は一〇〇万ビットの百万 倍という、じつに想像を絶した情報量を処理しなければならなくなるであろうとこの書物は警告し ている。こういう想像もできないような厖大な情報量にさらされたとき、人間はどうなるであろう
か? ヒトの知的能力ではとうてい処理しきれず、 そこにいたるまでに、ヒトの大半は、抑圧によ
って生ずる心理的ヒズミで神経的に崩壊してしまうであろうという。 情報エネルギーの抑圧にたえ かねて、人になってしまうのだ。 だから、その頃、生きのこった人類は、脳にコンピューターを 直結して、増大する情報に対処するよりほかないという。
ヒトと機械の共同生体を「キメラ」という。つまり、キメラ人間になることによってのみ、二十 一世紀を生きぬくことができるであろうというのだが、わたくしは、かれらがたいへん重大なこと を見落していると思うのだ。かれらはあまりに安易に考えすぎているようである。そうかんたんに はいかないのである。いくつかの越えがたい問題が残るのだ。 それはなにかというと、人間の「こ ころ」の問題である。かれらは、殺到する情報の処理だけを考えて、人間のこころのはたらきを無 視している。脳とコンピューターを直結することにより、表面的に情報は処理されるであろうが、 潜在的に残る心理的抑圧をどうするかということである。心理的抑圧は、処理されない、あるいは 処理できないという場合にだけ生ずるのではないのである。処理されても生する場合がある。い や、そのほうがむしろ多いといっていいだろう。というのは、われわれは、社会的通念や道徳的慣 習のために、 こころの奥底ではなっとくできなくてもやむを得ず、そういったものに従って処理す ることが少なからずある。そういう場合、表面的には一応処理されても、 こころの奥底に残るもの がある。つまり、心情的に、未解決、未消化のまま、意識層の下部に沈滅してゆくものがあるので ある。それは抑圧意識としてあとに残る。抑圧意識の程度のものは時間の経過につれて、「忘れる」 というかたちで消化されるが、つよいものはしだいに堆積して、やがて「ストレス」となり、心因
性の病気をひき起こす。ストレスは、抑圧意識のごく一部が肉体を通じて外にあふれ出てきたもの に過ぎず、それがさらに内部でじると、「葛藤」を生ずる葛藤はヒトの神と肉体を破壊して しまう。人にしてしまうか、あるいはそのヒトを暴走させて、破滅的行動に走らせる。 その 在意識下の抑圧と葛藤をどう解決するかというのである。
そういうと、化学薬品による一種の記憶忘却剤のようなものか、物理的な電気ショックのような もので、潜在意識に増大する抑圧意識を消滅させたらどうかという論が出てくるかも知れない。た とえば、LSDのようなドラッグが考えられるが、それは要するに現実逃避であり、さらには現実 無視であり、ついには現実と夢との区別がなくなり、やがて人格崩壊にいたるだろう。あるいは、 かえって抑圧を深くし、やしがたい」となって狂的状態をひき起こすだろう。 どんな薬品、
を使っても、記憶は消すことができるであろうが抑圧や傷を消すことはできない。なぜなら ば、そういうこと自体がかえって抑圧や傷痕を深め、あるいは新たな抑圧・傷をつくり出すこと になるからである。記憶と抑圧はちがうのである。 それは傷なのである。記憶は(表面的に消え ても傷は残る。残った傷痕は、深層意識の中の、本人自身でさえも意識されない無意識の意識層 にひそんで、思いがけないときに飛び出してきて、そのヒトに精神的・肉体的にダメージをあたえ たり、あるいはそのヒトを動かして、思いがけない行動に走らせたりする。これはすでに近代心理 学の常識である。
そういうと、 それでは、潜在意識も深層意識もひっくるめて、いっさい消去してしまったらどう なんだというひとが出てくるかも知れない。 冗談ではない、深層意識を消したら人間ではなくなっ
てしまう。それは人間を人間として立せしめている根本的な要素である。 深層意識には、 人間が 生物として発生したアメーバー以来の記憶がインプットされ、きざみこまれているのである。そ を消失させることは、人間を消失させることにほかならない。
というと、それは二十一世紀の問題ではないか、いまからクヨクヨ心配したってしょうがないと いわれるかも知れない。そうではない。 これは決して二十一世紀の問題ではない。現在、すでにわ れわれ自身の上に起きはじめていることなのだ。 西暦二〇一八年の未来世界のできごとではないの である。いま、われわれの上に起きつつあることなのだ。 いま、われわれが解決しなけれ ばならない問題なのだ。
六脳細胞活動の限界要因
わたくしは思うのだが、現代人は、現在、ほとんどその知的能力の限界にまで達してしまってい るのではないかと思うのだ。
人間の脳の中には約百四十億個の神経細胞があると考えられている。一個の神経細胞には、二 千万個以上のRNA分子 (遺伝因子のDNAを伝達する分子)があって、一個のRNA分子は数百 ビットの情報を処理することができる。その結果、平均して人間の脳は一生のあいだに、約一千 ビットの情報をとり入れることができると推定されている。 そこで、アメリカの著名な科学評論
家兼生化学者兼SF作家のアイザック・アシモフはつぎのように述べるのだ。
「そういうわけで、RNAは、人間が行なうどんな膨大な学習や記憶でもさらにはその十億 倍もの作業でも、完全に処理できるファイリングシステムの役をはたしていることは疑いない」
だが、そうはいかないのである。 それは前の節で述べた通りだ。 その前に、ヒトは抑圧と葛藤で パニック状態をひき起こしているだろう。
わたくしが、ヒトは現在知的能力の限界に達していると考えるのは、つぎのようなデーターから だ。
いま、ヒトは平均して一分間に三〇万ビットから五〇万ビットの情報を受けとり、これを処理し ている。間もなくそう、あと十年のちには間違いなくヒトは毎分一〇〇万ビットの情報を処理 しなければならなくなるだろう。ヒトの平均寿命を六十年として、一生におよそ三〇兆ビットにな る。これがヒトの限界なのだ。
そういうと、脳生理学者はヒトの一生に約一〇〇〇兆ビットの情報を処理できるといった、と、 いま述べたばかりではないかといわれるかも知れない。その通りである。だが、それは、一四〇億 個の脳細胞がフルに動いた場合のことである。ところが、ヒトは、平均、持っている脳細胞の二な いし三%しか活用していないのである。いや、活用できないのである。 なぜできないのか? それ 人体のナゾとされている。なぜだかわからない。 しかしわたくしにはわかっている。 それは、ヒ 「こころ」がそのへんを限界としているからだ。脳は一〇〇〇兆ビット処理できるであろう。
