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人はどんな因縁をもつか 1

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人はどんな因縁をもつか

因は種子、原因であり、縁はそれを育て進める環境であり、条件であり、果はその結果、 報はそ の結果が周囲の事物、人にあたえる影響で、この報が次の「因」となっていく。 「因縁果

因縁果報」とどこまでも続いていくわけであり、この因縁、 果 報 の展開が、 「運 命」という名でよばれるものなのである。そうして、この因縁、 果 報の展開を予測し、 予知 する技術体系が運命学とよばれるものだということになる。

それでは、この因縁、 果 報の展開は、予測することができるのかどうかというと、それはそ れをなす技法があるわけで、密教占星術はその技法を持っているのである。

いま述べたように、運命展開の最も根本的なものは、業が生み出した「因」と、この「因」と結 びつく「縁」のありかたである。 因縁の結合が最も重要なものであり、因縁が把握できれば、 その「結果」を想定することはそう困難なものではない。最も重要なことは、因縁の把握であ る。 教占星術では、この人間の因縁が「星」として割される。それを割り出す一定の公式 があり、その公式によって算出された因縁の星を見て、その人の運命を計測し、予測するという 作業をするわけである。

そういう因縁の星は数十種類あり、表に算出された因縁の星をたどっていくと、おのずから そこにひとりの人間の運命の道がありありとえがき出されていく。

それは、レーダーにうつし出された飛行

人はどんな因縁をもつか

因縁の結びつきが人生をかたちづくる。

人生とは因縁のあらわれである。 運命とは因縁のえがくだ。

人間を動かす代表的な因縁の星をあげてみよう。(カッコ内は密教占星術によって算出される星 名称である

の因縁(佐理加量)

この因縁は、家運、つまり家の運気が次第に衰えてきている家系に生まれている人が持つ因縁で ある。こういう人は、父、あるいは祖父の代までは、かなりの生活をした家に生まれている。祖父 父の代あたりから、次第に家運が傾いてきている。そうして、自分の代になってからは、なお一 層はっきりと運が悪くなっている。相当の力量、才能、手腕があるのだが、それを発揮する場を持 つことができない。そういうチャンスを持つことができない。そうして、みすみす自分より劣った 者が自分を追い越していくのを、歯ぎしりしながら見おくることになる。たまにチャンスがまわっ て来そうになると、人の妨害、邪魔に逢ったり、あるいは自分の思わぬミスや病気などで、せっか という そのためにいうが、それは、この人の経営

この人が行った会社がみなダメになるというのではないのである。(手腕とい

くのチャンスを失ってしまう。

要するにひと言でいうと運が悪いのである。 実力がありながら、妙にまわり合わせが悪く、ウダ ツがあがらぬのである。

この因縁から出てくるのが、次にあげる中の因縁である。

この因縁を持つ人は、なにをやっても、一応七、八分どおりまでは順調に進むが、あともう一、 二分というところで必ずダメになる。 決して実らないのである。

この因縁を一名、 「花の星」というのは、山吹の花と同様、花咲けども実らず、すべてムダ 花であるというところからきているのである。よそ目には華やかに見えて、実は空しいのであ

しゅうかく

苦労したあげく、最後の収穫はごっそりと人に持っていかれてしまうのである。

この因縁を持つ人は、わりあい運気(生命力の強い人が多く、中途で挫折しては、また立ち上 って仕事をし、また七、八分どおりで挫折して、そのままになるかと思うとまた立ち上がって、 また挫折するというように、七転八起の起伏はげしい人生を送る人が多い。そうして、結局は、 挫折したままで終わる。

だいたい、因縁のあらわれかたには二とおりあるのであって、その因縁が、そのままその人の性 格にあらわれている場合と、性格には全然あらわれない場合がある。

この中途挫折の因縁の場合も、この因縁がそのまま性格にあらわれて、非常に気の弱い意志 弱の型と、逆に、非常に気の強い意志強固の型がある。意志薄弱のタイプは、なにをやってもすぐ にあきてしまって、長続きしない。 気うつりがはげしい。学業職、すべてがそうで、転々とす る。文字どおりの中途挫折、志弱の型である。

もう一つのほうは、これと全く反対で、性格も強く、意志も強固で、努力家でもある。しかる に、かえってその強さが人と相容れられず、上の者といおうとしたり、同僚と円満に協調できな かったりして、失敗し、挫折する。 あるいは、ここ一番という大事なところで、決まってつまらぬ ミスをしたり、人の誤解をうけたり、妨害をうけたりする。 また、病気や怪我などで手違いが生ず というように、必ずなにかしら障害が発生して、チャンスをつぶすのである。

先日来た人に、そういう人があった。四十七、八歳の会社員で、立派な人物であったが、この人 この因縁があった。聞いてみると、いままでに八回も会社を変っているという。意志強固の努

力家型だが、と思って聞くと、この人は、一流の財閥会社に勤めているのだが、系列の子会社に出 向させられると、その会社は、決まって、他に合併したり、業績不良で閉鎖させられてしまうので ある。 本社にもどると、同期の社員で本社にいたままの者は相当上のほうに進んでおり、処遇に困 るので、また傍系の会社に出向重役として出される。するとまたその会社がおかしくなる、という ので、いままでがそのくり返しだったというのである。念のためにいうが、それは、この人の経営 腕が悪いために、この人が行った会社がみなダメになるというのではないのである。手腕とい

う点からいったら、この人は、むしろ人並以上の手腕を持っている人である) この人が行っても行 かなくても、その会社はダメになるのである。そういう会社に、この人は行かねばならぬようなま わり合わせになってしまうのだ。 今度の会社もおかしくなってきているので、相談に来たのです、 というのだが、典型的な中途挫折の因縁のあらわれかたである。 薄弱行タイプの場合は、すぐに あきたり、気うつりしたりして自分から会社を転々とするが、意志強タイプの場合は、自分では 一心に努力をして会社を変るつもりはさらさらないのだが、他動的に転々と変らざるを得ないよう になってしまうのである。その人の意志、思考、心構えなどに関係なく、結果は結局同じことにな ってしまうのである。それが、因縁というものの、こわいところである。 精神一到何事か成らざら んや、と気ばってみたところで、この因縁を持っていては、しょせん、ダメである。外的条件が許 さないのである。

昔から、よく、「人間にはだれでも、一生に三度はチャンスがある」といわれているが、運のな い者でも三度はチャンスがあるかわり、運のある者でも、三度以上そう何回もあるものではない。 人生ここ一番というチャンスを二、三度この因縁でつぶされてしまったら、もうその人間は一生 芽が出ないものと思わねばなるまい。そうして、この因縁のこわいところは、この因縁は必ずその 子に遺伝し、その場合、決まって親よりその子のほうが一段と因縁を深めていくのである。 この中途挫折の因縁が、そのようにして一段と強くなった場合、次の、

3 運気不定浮沈の因縁(阿

という因縁になる。

これは、運気に根が生じないで、 そのため、浮沈変転してとどまらないのである。いわば、根な 草の人生である、住居、職業が定まらず、転々とする。 一時的に幸運を得ることがあっても、 しない。一生、ドヤ街の住人か、浮浪者である。

女性の場合、ちゃんとした結婚生活を続けることができない。再婚、三姫、あるいは妾となる。 はなはだしい場合は娼婦となる悲惨な因縁である。

4 肉親血縁相剋の因縁 (布哩

のあらわれである。

これも、根本は、家運衰退の因縁から出てきているものである。

この因縁は、肉親の者同士、血縁者同士が、たがいに運気 (生命力)をね合い、傷つけ合 って、分散していくのである。 毛利元就の「三本の矢」の教訓を逆にいって、おたがいに助け合い 協力し合っていくべき肉親血縁の者が、離散し、孤立して、次第に没落していく。まさに家運衰退

この因縁があると、親子、兄弟等、血縁の者が同居していると年中不和で争いが絶えないのであ る。これは、血縁者同士でおたがいの運気 (生命力)を害ね合い、傷つけ合っているので、無意

識のうちに反発し合って争うのである。この場合、運気を傷つけ合うといっても、必ずしも表面立

って争いをするとはかぎらない。ただ同じ屋根の下に住んでいるというだけで、 相手の運気(生命 力をねるのである。 それは、ちょうどなにか目に見えない光線のようなものを放射し合って相 手の生命力を傷つけるように思われる。人間の生命というものは、自分を守るという自衛本能を持 っているからその本能が働いて、無意識のうちに生命力を結集して相手に反発する。その結果とし 相手のなんでもないような動作や一言一句が非常に気にさわる神経がたっているので)。 そこ で争いがはじまるのである。 肉親同士で異常に仲が悪いのはこのためである。それに加えて財産な どの利害関係がからむと、非常に深刻な争いに進展していく。

この因縁のある家庭で、もし、同居の肉親同士が不和でなければ、家族の中にだれか一人、年中 病弱で苦しむ者か、極端に不運で運の開かぬ不遇の者が必ず出る。

相当の才能、手腕がありながら、 常にチャンスを逸したり、チャンスに恵まれない不遇の人、 あ るいは長年弱の人は、前記の「中途挫折の因縁」か、または、この「肉親血縁相剋の因縁」によ って運気(生命力)を害されているのではないかを疑ってみるべきである。どちらかの因縁があ ったら、これを断ち切らぬかぎり、いくら努力しても一生空転するばかりである。

5 わが子の運気剋する因縁(

これは、肉親血縁相剋の因縁の変型で、親がわが子の生命力を害するのである。そのため、子ど

中病弱となる。あるいは不具者として生まれたり、不具者となったりする。 たいてい十歳ぐ らいまでに死亡するものである。

もし、その子が非常に生命力が強ければ、素行が乱れるようになって、若年、家を飛び出す。 こ れは、親のそばにいると生命力を削られて危険なので、親のもとを飛び出すようになるのである。 (もちろん、本人はそのことを知らないが)

最近少年少女の非行問題についていろいろと対策が練られようとしているが、世の親は、こう いう因縁のあることに気がついて欲しいのである。因縁なんて迷信じゃないかなどとバカげたこと いっていないで、自分自身にそういうものがないかどうか、よくよく考えてもらいたい。 父親に しても母親にしても、この因縁があると、子どもが必ず異常に反抗するのである。もちろん子どもの 成長期間中に反抗期という一時期があることは事実だが、この因縁による反抗は異常なのである。 これは、前記の肉親血縁相剋の因縁の場合と同じように、自分の生命力を侵害してくるものに対し 自衛本能が働き、わが生命力を結集して反撃しようとするゆえに一言一句ことごとく反抗反発す るのである。かわいそうな姿なのである。私は、いつも、この因縁を持つ親と子を見ると、その子 に、毛をさか立てキバをむき出して敵にかみつこうと必死になっている仔犬の姿を思い出す。

成功者の家庭に素行不良の子が多いのも、他にも原因はあるけれども、運気の強い親はえてし その運気の強さが同時に子を剋する因縁をも伴いやすいため、そういう結果を生じやすいのであ

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