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阿弥陀の光に呼ばれて ―

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阿弥陀の光に呼ばれて ―

夜の終わりを告げる前触れのように、東の空がわずかに白みはじめたころ、老僧・蓮鏡(れんきょう)は崖の上に佇んでいた。足元には雲海が広がり、彼方には闇を割くように一条の光が射している。

――あれは、阿弥陀の光。

誰に教わるともなく、老僧はそう直感した。限りない智慧の光、限りない命の光。その光は、衆生をひとり残さず救おうと誓った仏の気配を湛えていた。

伝承によれば、阿弥陀如来はかつて法蔵菩薩と名乗り、四十八の誓いを立てたという。

「南無阿弥陀仏」と名を呼ぶ者があれば、必ず極楽浄土へ導こう。
その誓いは、果てしない慈悲そのものとなり、今も世界を照らし続けている。

光が近づくにつれ、蓮鏡はふと、耳の奥で響く響きを感じた。
――オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン。
古より伝わる阿弥陀の真言が、風に乗り、魂に染みるようにささやく。

やがて雲の切れ間から、静かに姿が現れた。
宝冠も装飾も持たぬ、質素でありながら威厳に満ちた仏の影。
その手は、来迎印と呼ばれる印相を結び、こちらへと穏やかに差し伸べられている。
極楽浄土に迎えに来た者だけが示す印――そう伝えられていた。

その左右には二人の菩薩が寄り添っていた。
聖観音は月光のように柔らかく、勢至菩薩は朝日にも似て凛然としている。さらに背後には多くの菩薩たちが集い、二十五の影が雲に乗り、往生者を迎える旅に同行しているようだった。

老僧は思わず跪いた。
心の奥底から、自然と念仏が溢れた。

「なむあみだぶつ……」

その瞬間――。
胸に絡みついていた長年の苦しみが、ふとほどけ落ちるのを感じた。
恐れも、迷いも、老いの悲しみも。
まるで春の雪が日光に溶けていくように、穏やかに消えていった。

阿弥陀は語らず、ただ慈悲の光で包み込む。
その光の中で蓮鏡は理解した。

阿弥陀とは、「救いを求める者の心に寄り添う存在」なのだ。
苦しみの世にあろうとも、名を呼べば必ず応える。
それが四十八願の力であり、他力本願の本当の意味であった。

光はゆっくりと蓮鏡を包み込み、世界が静かに遠のいていく。
極楽浄土への扉が開くのを、彼は確かに感じていた。

――阿弥陀の光は、いまも誰にでも降りそそいでいる。
名を呼ぶ声が一つあれば、そのたびに。

そして今日も、どこかの闇のほとりで、その光はひそやかにひとりの魂を照らし続けている。

 

 

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