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三供養品 1 Three offerings

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くらいの能力があろうとも、運が悪かったら絶対にだめなのです。

また、人間というものは、だれもが社長になり、だれもが大将になれるわけではありません。

したがって黒田官兵衛のように、運のよい大将を選んで、あるいは現代ならば運のよい社長を選

び、そこに身を寄せて、自分の能力・才能・運をできるだけ伸ばすようにすべきだ、とわたくし は思うのです。もちろん、ただ運が強いだけではしかたがありません。強い運を基礎にして、必 死の努力を重ねていく。そうすると、必ず大きな成果を得られるわけです。

けれども運が悪かったのでは、死にものぐるいの努力をしても、努力が実ることは少ないわけ です。むしろ努力すればするほど裏目に出て、逆に窮地に立たされることもままあります。企業

でも、 また宗教団体であっても、人は運の強いところに身を寄せて、自分の能力・才能・運を大

いに伸ばす努力をすべきである、とわたくしはかねてからそのように思っています。

しかし、さきにお話ししたとおり、わたくしは最初から運がよかったのではありません。若い ころのわたくしは非常に不運でした。それが今のように運がよくなったのは、いったいどうして でしょうか?

その秘密が『三供養品』に説かれています。仏教の原点ともいえるこのお経をさっそく読んで みましょう。

涅槃とは完全解脱の境地

一時仏在舍衛国祇樹給孤独園。 時世尊告 阿難。 有三善根。 不窮尽。漸至涅槃界。 云何為三。此善根不可窮尽。於聖衆而種功德。此善根不可。窮尽。是曰く阿難。此三善根不可窮尽得到涅槃界。是故阿難。当求方便獲此不可窮尽之福。如是阿難。

学。爾時阿難聞仏所説。歓喜奉行

●現代語訳

增一阿含経・三供品

聞くこと髪の気し。味、舍衛国祇樹給孤独園に在 しき。爾の時世、阿難に告げたまわく、「三善根(三 福道)有り、窮尽す可からずして、着ぐ涅磐界に至る。 云何が三と為すや。所謂如来の所に於て功徳を種う。此 の善根窮尽す可からず。正法に於て功徳を種う。此の 善根窮尽す可からず。聖鬼に於て功徳を種う。此の善 根窮尽す可からず。是れを阿難、此の三善根は窮尽す可 からず、涅槃界に至ることを得と謂うなり。是の故に阿 難、当に方便を求めて、此の窮尽す可からずの撮を獲べ し。是の如く阿難、当に是の学を作すべし」と。雨の時 阿難、仏の所説を聞きて歓喜奉行しね。

このように聞きました。仏さまがコーサラ国の祇園精舎にご滞在の時のことです。ある日、世三供養品

 

●解説

ます。 冒頭でも触れたように、阿含宗では三善根を三福道と呼んでいます。このことについて説明し

経文中に、

尊は、阿難にこのようにお告げになられました。

「三善根(三福道)というものがありますが、その功徳は無限であり、涅槃界に至ることができ るものです。なにをもって三つの善根(福)とするのでしょうか。(第一に)いわゆる如来の所に おいて功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。(第二に)正法において功徳を種える、 この善根(福)の功徳は無限です。(第三に)聖衆において功徳を種える、この善根(福)の功徳 は無限です。阿難よ、この三善根(三福道)の功徳は無限であり、涅槃界に入ることができるの です。したがって阿難よ、三善根(三福道)を修行して、この無限の福を得なさい。このように 阿難よ、この三善根 (三福道)を学びなさい」

この教えを受けて、阿難は心より喜び、修行に励みました。

『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で「三善根」を引くと、

【三善根】さんぜんごん 無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根。一切の善法がこの三つか ら生まれるからである。それらは具体的には施・慈・想となって現われる。三毒の対。

と書かれています。しかし、この『三供養品』に説かれる三善根は、その内容がまったく異な ります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、非常な誤解を生 むもとだとわたくしは考えました。

それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?

「 此の窮尽す可から ざるの福を獲べし」

とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。したがって、わたくしはこれを 「三福道」と命名しました。この名称ならば無貪善根・無職善根・無癡善根の三善根と混同する

ことはありません。

そこで、阿含宗では、三 善根を「三福道」と変えて読誦しているのです。

さて、右の経文を一読すれば、涅槃界に至るためには三善根(三福道)が必要なのだ、という

ことをお釈迦さまが説かれているのが分かると思います。

涅槃界とはなんでしょうか?

增一阿含経・三供養品

普通は涅槃の境地・境界の意味で使われます(ただし本経では違う意味を持っておりますが、それ

については後述します)。『五戒品』でも触れたように(本書三七頁参照)、涅槃とはサンスクリット 語でニルヴァーナといいますが、生死を超越した境界、完全解脱の境地です。完全解脱とは業と 因縁から完全に解放された状態です。

わたくしたちは葉と因縁の塊です。業と因縁によって輸廻転生を続けています。輪廻転生とは 生死の流転がやまず、無限に生死の流転を繰り返すことです。まるで車の輪が廻るように絶え

●解説

ます。 冒頭でも触れたように、阿含宗では三善根を三福道と呼んでいます。このことについて説明し

経文中に、

尊は、阿難にこのようにお告げになられました。

「三善根(三福道)というものがありますが、その功徳は無限であり、涅槃界に至ることができ るものです。なにをもって三つの善根(福)とするのでしょうか。(第一に)いわゆる如来の所に おいて功徳を種える、この善根(福)の功徳は無限です。(第二に)正法において功徳を種える、 この善根(福)の功徳は無限です。(第三に)聖衆において功徳を種える、この善根(福)の功徳 は無限です。阿難よ、この三善根(三福道)の功徳は無限であり、涅槃界に入ることができるの です。したがって阿難よ、三善根(三福道)を修行して、この無限の福を得なさい。このように 阿難よ、この三善根 (三福道)を学びなさい」

この教えを受けて、阿難は心より喜び、修行に励みました。

『仏教語大辞典』(中村元著、東京書籍)で「三善根」を引くと、

【三善根】さんぜんごん 無貪善根・無瞋善根・無癡善根の三根。一切の善法がこの三つか ら生まれるからである。それらは具体的には施・慈・想となって現われる。三毒の対。

と書かれています。しかし、この『三供養品』に説かれる三善根は、その内容がまったく異な ります。それなのに、これを三善根という名称のままで弟子たちに教えるのは、非常な誤解を生 むもとだとわたくしは考えました。

それでは、この修行法は、どのように呼ぶべきなのでしょうか?

「 此の窮尽す可から ざるの福を獲べし」

とあるように、この修行法は無尽蔵の福を得る三つの道です。したがって、わたくしはこれを 「三福道」と命名しました。この名称ならば無貪善根・無職善根・無癡善根の三善根と混同する

ことはありません。

そこで、阿含宗では、三 善根を「三福道

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