日が暮れかけた静かな寺院の庭には、風に揺れる竹林の音が心地よく響いていた。老僧は瞑想の姿勢を崩さず、目を閉じたまま弟子たちに語りかける。
「まず、身見について話そう。これは、何かが”我”という実体を持って永遠に存在するという誤った考えのことだ。私たちはしばしば、自分の身体や感覚を”自分”だと思い込む。だが、それはあくまで仮の姿にすぎない。この体も心も、因縁によって一時的に存在しているものなのだ。」
弟子の一人が眉をひそめて問う。「師匠、それは”我執”と同じですか?」
老僧は軽くうなずく。「そうだ、身見にはもう一つの意味がある。それは我執、つまり自分自身を中心にすべてを考え、行動する自己中心的な心だ。この執着を断たなければ、真の解脱は得られない。」
風が一瞬強まり、竹林の葉が激しく揺れる。老僧の声はその風の音に負けぬよう、続けて語った。
「次は疑だ。これは、仏陀の教えに対して心の中に生まれる迷いや疑念を指す。正しい道を歩んでいても、疑いがあるとその進みは鈍る。この疑いを断ち切らねばならない。」
弟子たちは一斉に静まり返った。その中の一人が小さくつぶやく。「信じることが難しいのです。」
老僧はそれを聞き逃さなかった。「そうだ。信じるのは難しい。しかし、疑いを捨てなければ道は開かれぬ。疑いは重い鎖となって、進むべき道を遮るのだ。」
老僧は手を軽く振り上げ、次に語るべきことを指し示すかのように竹林を指した。
「そして戒禁取だ。これは、仏教以外の戒律や教えに固執し、それを正しいと信じることを指す。真の解脱は仏陀の教法にのみ存在するのに、他の教えに迷い込む者は多い。この執着を断ち切らねば、涅槃に至ることはできない。」
弟子たちの中に、一人目を伏せたまま黙り込む者がいた。老僧はその姿を見つめながら続けた。
「欲愛。五欲への執着、すなわち感覚的な快楽を追い求める心だ。これもまた、私たちの心を縛る鎖だ。物欲や肉体的な欲望に囚われては、清浄な心を持つことはできない。」
そして最後に、老僧はその穏やかな目を開き、弟子たちを見渡した。「最後は瞋恚。これはただの怒りではない。自分の思い通りにならないことに対して、すべてに怒りを抱く愚かな心のことだ。因縁因果の道理を理解すれば、無闇に怒りを抱くことなどできないはずだ。」
静寂が戻り、竹林の音だけが再び響き渡る。弟子たちはそれぞれ、心の中で老僧の言葉を反芻し、瞑想の深みに沈んでいった。彼らは、欲や怒り、そして自己への執着を乗り越えるための長い道のりを歩み始めていた。
