満足な優婆塞となるための条件を最初から挙げると、まず第一が信、そして順番に信、戒、施、聞、 持、観、法次、法向と全部で八つあります。 これを、「優婆塞の八法」と呼びます。
それぞれの意味を箇条書きにすると、次のようになります。
信・・・・・正しい智慧で信心の心を起こす
戎・・・・・信の心を元に、やってよいことと悪いことの分別をつけ、仏教徒としてやってはいけないことはやめ、やらなければいけないことは積極的にやる
を積むために布施の行をする
布施・・・・・・道場(精舎)に行って、仏さまや沙門の話を聞く
持・・・・・・聞いた説法の内容を受持し、実行する
観・・・・・・受持した教法の深い意味をよく観察し工夫する
法次・・・法に近づく
法向・・・法を追及していく
なのです。
お釈迦さまは、この八法を行うならば優婆塞事を満足する、とおっしゃいました。
ところがそれにもかかわらず、マハーナーマはさらに、
「世尊、 何が優婆塞能く自ら安慰し他を安慰せずと名づくるや」
と質問をしました。 これは、自分を安慰させても、人を安慰させることのできない優婆塞とい うのは、どういう優婆塞でしょうか、という意味です。
それに対してお釈迦さまは、次のような優婆塞は自分を安慰させることができても、人を安慰
させることはできない、とおっしゃっております。
○自分が信を持っても、他の者に信心を起こさせない
○自分が戒を保っても、他の者が戒を保つように努めない
○自分が布施をしても、他の者が布施をするように努めない
○自分が道場に参詣して法話を聞いても、他の者に参詣と法話の拝聴を勧めない
○自分が正法を受持しても、他の者に正法を受持するように勧めない
○自分が教法の深い意味を観察しても、他の者が教法の深い意味を観察するように勧めない
○自分が教法の深い意味を知り、法に近づこうとしても、他の者が教法の深い意味を知り、 法に近づこうとするように勧めない
自分が教法の深い意味を知り、法を追及しても、他の者が教法の深い意味を知り、法を追 及するように勧めない
要するに、八法を自分で実践するだけでは人を救うところまではいかない、ということです。 自分だけが修行をするだけで、それを人に勧めないようでは真の仏道とはいえない、ということ
