的洗礼を浴びた。(『一九九九年カル
マと霊障からの脱出』平河出版社参照)
帰国して、最初の護摩を修したとき、わたくしは、修法壇の上で、それとおなじバイ
プレーションを感じたのである。その刹那、なんの脈絡もなく、ぱっと念頭に浮かんだ
のが、十年も前に捨て去り忘れ去っていたあの三供養品の経典であった。
「そうか
わたくしは、護摩を修しつつ、心の中で叫んでいた。
このほとけだ。この如来が、三供養品の、生ける如来であったのだ。あの三供養品の
釈尊のおことばは真実であり、いまここに出現した如来のみもとにおいて功徳を積むこ
とが、末法の世である現代唯一の成仏法であることをお示しになったのだ、そのために
この如来は出現されたのだ、一瞬のうちに、それがわかったのである。
ただたんに奇蹟をあらわすために如来は出現されたのではないのだ。末世成仏の本尊
として出現されたのだ。
キリスト教では、「キリストの復活という奇蹟があった。
この如来の出現は、決して単なる現形ではないのだ。これは「仏陀の復活」-いなのだ。
キリストの復活に比すべき現代の奇蹟である。仏界において、時間と空間を越えて仏陀
は生きつづけている。そしていま、仏教の危機、世界の危機に際して復活されたのであ
