「うん」
「そうだ」
「うーん」
「どうしていままで話してくれなかったんです。いつごろそのかたは入店したのですか」
「おぬしがこの円照寺にくる半年くらいまえだった。もう、二年になるな」
「いつごろお帰りになるんですか?」
「それはわからん。 かの地に無事に渡ったことだけはわかった。 しかし、いつ帰国するかはわか らん。 十年、二十年、あるいは」
といいさして、ちょっと躊躇したが、
「あるいは、帰国の海上において万一ということだって無いことじゃない。 しかし、われわれ はかれほどの不世出の大天才は、必ず仏天の加護があるものと確信している。かれは遠からず 所を果たして帰ってくる」
「われわれ、というと、康安さん、ひょっとすると、そのかたは、あなたの例の仲間のひとじゃ ないですか?」
いま所といわれましたが、 所志とは、どんな所志ですか?」
と康安は、ごしごしと頭をかいていたが、
「べつに、おぬしにことさらかくしていたわけではない。 あまりにおしかの人とそっくり
の道をたどるので、はたして今後どのようであろうと、律師と申し合わせて、じっとおぬしの 長をみていようということにしたのだ」
「そのかたのことを、康安さん、もっと聞かせて下さい」
「うーん、そうだな」
と康安は腕を組むと、
「どこから話そうか」
とちょっと小首をかしげた。
求聞持法の兄弟弟子
そのまましばらく窓の外をながめていたが、やがて低い声でかたりはじめた。
かのお人とは、いちばん最初、木の山奥で出合うた。こちらもひとり、向うもひとりであっ た。たがいにちらりと顔を見合わせたまますれちがった程度の出合いであったが、一目見て心に 好きついた。どちらも荒行の山歩きの最中で、ともまぎらう相だったが、世の つねの人ではないことが一目でわかった。あとで知己になってのはなしでは、かのお人も、その ときのおれが印象に残ったといってくれたよ。 二度目は、律師のもとで出合うた。百年の知己に 再会した思いで話しかけると、向うも喜んでくれて、その日一日かたり合うた。話し合ってみる
と、律師から求聞持法を伝授されて修行中とのことだ。おれも、律師から求聞持法を受法してい る。 いうならば、求聞持法では兄弟弟子なんだ。おれのほうが年長だが、求聞持法はかれのほう が一年はやく受けていた。三度失敗して、これから四度目の行に入るのだといっていた。おれは いっぺんでかれに魅せられてしまった。 それは、おれだけじゃない。それまでに、おれには、 木、吉野、比蘇山寺と、心のおもむくまま、行場を移して修行する仲間が十数人いた。みな、す ぐれた個性を持った、えりぬきの秀才たちであった。いままでの仏法を学び尽くし、それにあき たらず、あたらしいものを求めて林に散り、深山に籠って、血の出るような苦行をつづけて いる真の求道者ばかりであった。もしもかれらが名利を求めて世に出たなら、すぐにでも一山の 持となるべき器量才識をそなえた者たちばかりであった。それだけにことごとく わ れのみがわれを知ると、容易に人に屈せず、人に譲らず、傲然と胸を張る者のみであった。し かし、ひとたびかれに接するや、暗黙のうちにみな頭を垂れた。 おのずから兄事するようになっ た。かれの赴くところ、かれの行なうところにしたがい、かれはおれたちの中心になった。かれ は、大学で群を抜いた秀才であったが、世の虚なるを感じ、道心を発してついに名利の念を断 ち、林に籠るにいたっただけに、われわれのように仏陀の教説一途ではなく、ひろく儒教そ の他の漢籍にも造詣が深く、その上に、なんともいわれぬ人間味があった。おれたちの仲間は、 心からかれに心服した。かれは、またたくうちに、唯識、三論、華厳、天台、御舎、成実の諸経 論にしてしまった。 一を聞いて十をさとるというのがかれのだった。なにを聞いても、
こうぜん
にんげんみ
たちどころに袋の中からものをさぐってとり出すように答えた。自分では口にしなかったが、 を成就したただ一人だとうわさされたが、まことにさもあろうと思われる博覧強記ぶりであ った。しかも、そういう頭脳の持ちぬしにかぎって、とかく書斎の人、言説辞句の人となり勝ち なのに、行の上においても、かれは、不抜の意志と卓越した肉体の力を示した。岩窟にこも り、山野をし、滝に打たれ、まさに人間とは思われぬ苦修棟行であった」
円は息をするのも忘れたように聞き入っていた。
「十七地論について、おぬしとおなじような見解を持っていた。おれがさっきびっくりしたの は、十七地論の弥勒説法について、おぬしと全く同様のことをいったのだ。あれは無着の現身成 仏にちがいないといい、それからわずか一ヵ月あまりであの一〇〇巻という大部の論書を読破 現身成仏についての技法をのべているところが七ヵ所あるといってそれを指摘した」
そうだ、七ヵ所だ。しかし、これはふつうに読んでいたのではだれも気づくまいといった。お れたちも、かれに指摘されて読んで、はじめて、その章句が現身成仏の技法を説いたものである ことを理解したんだが、これはおれたちが、自己流ながら山林にこもって修行していたからのこ とで、たしかに、これを学理として読んでいたら、とうていそれと知ることはできなかったろ
康円は、ふとい吐息をついて、腕を組んだ。
その上で、かれはこういうことをいいはじめた。この十七地論よりもっと進んだ瑜伽の教法を
いた経論があるはずだというのだ。なぜか? と聞くと、伽の教法を説いた解深密とこの 伽師地論が世に出て以来、何年経つと思うか、というのだ。いわれて調べてみると、およそ 四百年ちかく経っている。それをいうと、いまから四百年むかしにこれだけ高度の瑜伽の教法が かれているのだ、それから現在にいたるまでの四百年間に、どれだけあらたな進んだ行法が開 発されているか、思い半ばに過ぎるものがあろう、というのだ。なるほど、 いわれてみるとたし かにその通りだ。教・法ともに非常な進歩をしているのにちがいない。あるいは全くあたらしい ものが生まれているかも知れぬ。とすると、われわれは、四百年むかしの古い教説にしがみつい ているわけで、これはなんとか考えてみなければならんぞということになった。が、しかし、そ うはいってもなんともしようのないことで、われわれはその非凡なかれの着眼に感心しただけだ が、かれは、この四百年間の歳月と、この国と天竺をへだてる空間に歯ぎしりする思いだったの だ」
康安はそこでちょっと言葉をとめた。かれの胸にそのころの空海のすがたが去来しているよう であった。
「そのうちに、かれはまたこういうことをいい出したのだ。この解密 十七地論のあとに出 てくる伽の教法は、中の空の理に、唯識伽の行法を融合させたものにちがいないという のだ。かれは、そういう教法がすでに完成されて世に出ているはずだというのだな。 どうして
れがわかるのかというと、それが歴史的必然だというのだ。 仏滅以来の教 るに、二百年から三百年の周期を以て、新しい教説が出現しているという。そうして、このつぎ に出てくるものはそれしかないというのだ。どう考えてもそこにいくはずで、それしかない。そ うしてそれはもう出ているというのだ。だから、天竺まではとにかくとして、唐に行けば必ずそ の消息にふれられるはずだというのだ。そうして、それは、無着が十七地論の講述にあたってや ってみせ、またその著書の中において説いている現身成仏の法を、より高度に、より詳密に説 いたものにちがいないというのだな。 十七地論は、現身成仏の理論と技法を説きながら、はじめ それにふれた書であるだけに、そこまでに至る過程を説くのに大部をついやし、かんじんの法 を明白に説きつくすことはできなかった。しかし、百年、二百年の歳月ののちに今度出てきた論 書は、そのものずばりを説いているはずだというのだ。おれたちも、よくはわからぬながら、か れのいうことがまんざら首できぬことはなかった。が、おれたちの理解はその程度のも のだったんだが、かれの知能では、それがすでに眼前に存在するごとき思いがするのだな。いて も立ってもいられぬという様子で、その悶々とするさまは、われわれのはたで見る目もいた ましいほどであった。二日、三日と夜もねず、ろくに食事もとらずにじっと想いをこらしてい るところは、まさに鬼気せまるといった様子で、思うに、かれはかれなりにその教法の工夫をこ らしているのではないかと思われた。が、そのようなありさまで、このままでは、やがてはかれ の身がどうかなってしまいやせぬかと、しだいに先きが案じられるようなことになってきた。 こ
りゃあなんとかしなけりゃならんぞと、みんなが真剣にひたいをよせあつめて相談をするように
なった矢先きだ。じつに奇っ怪な経典が手に入ったのだ」
康安は、言葉を切って康を見た。
奇怪な経典
「奇怪な経典?」
「………..?」
「ふうむ」
「そうだ、じつに奇々怪々な文言でみちている」
「へええ、安さん、なんだか気味がわるくなってきましたよ。いったいどんな経典ですか?」 「それは、動操律師の先師の、議僧正の遺品の中にあった。被見を禁ず、と朱書された一つの が、大安寺に秘蔵されていた。律師は、この管に関して善議僧正が生前ふと洩らされた言 葉を脳裏にとどめていたが、空海のいうことを聞いているうちに、ふと、ひらめくように思い たることがあったのだな。思いきってそれをひらいてみたのだ。律師は、師命にそむく行為とい うので、それこそ地獄の決心をしての挙であったが、をひらくと、中に僧正の手蹟で、 いたらばおのずからひらかれることあらんとあったそうだ。いささか安堵の思いをしなが ら、ひらいていくと、出てきたのは一部の写本で、表書を一覧して、 これが、 先師 の道律師の遺品であることがわかった。 中に写した成る経典の一部であるらしい。 この
中に、じつに奇怪な章句があったのだ」
まず、経典の甘めのほうに、朱線を引いた部分があった。おそらく、道慈律師が手づから引か れたものと思われるが、それにはこうあった。 初発心乃至十地。次第此生満足い わゆる初発心より万十地に至るまで、次第にこの生に満足す)というのだ」
「十地とは、あの十地ですか?」
「そうだ、 十地経の十地、華厳経十地品の十地だ。おれたちは、これがこの経典の主題だと見 た。初発心より十地に至るまでとは、おぬしも知る通り、 正覚成仏を志してより、 十地等覚の位 にいたるまで、ということで、凡夫が仏道に入って成仏するまでの過程をさす。 次第に、とは、 順次に修行昇進して行くという意だが、問題は最後の一句だ。この生に満足す、とある。この生 とは、いまのこの父母の肉身において、という意で、満足す、 とは、完全に成就するという ことだ。すなわち、この肉身の生涯において、十地・十段階の階梯をすべて完全になし終え、成 仏を完成 成就する、というのだ」
「なるほど、三論においては一念成覚、華厳においては“覚成仏を説く。ともに速疾成 仏だが、これはどこまでも理”であって、実際には、具体的な目的達成の手段方法が明らかで ない。 あくまでも、十心・十・十・十回向 十地の五十段階を経て、 等覚位、妙覚位にいた
