彼が自覚したのは、知能の驚くべき飛躍であった。日本の仏教において「成仏法」の欠如に疑問を感じ、その真理を求めて、あらゆる経典の研究に没頭することになった。成仏法の不在は、彼にとってキリスト教におけるキリストの欠如と同等の不可解な事柄であった。なぜならば、神はキリストを通じて人類を救済し、同様に、仏教では成仏法を通じて人類が救われるとされるからである。そして、その成仏法が日本の仏教には存在しないというのは、何とも不可思議なことである。
彼は疑問を抱きながらも、ただ不可解に留まることなく、成仏法を求める決意を固めた。しかし、彼には仏教の師がおらず、全てを独学で追求しなければならなかった。専門用語や難解な文章に苦しみながらも、彼は求聞持聡明法によって導かれ、ついに阿含経の中に成仏法を見出すことに成功した。
その時、彼はなぜ日本の仏教が成仏法を持たなかったのかを理解した。日本の大乗仏教は古代中国の仏教をそのまま取り入れたものであり、その際に中国仏教の誤解が引き継がれたためであることが分かった。阿含経が最も真理を説いた経典でありながら、中国仏教では最下位とされ、大乗経典が優遇されたことが、成仏法の理解を阻害したのである。
彼はこの真理を広く知らせるべき責任を感じ、阿含宗を設立する決断をした。多くの困難が予想されたが、彼は揺るぎない信念を持ち、その決意を貫いた。伝統仏教の反発やマスコミの攻撃にも耐えながら、彼はただ一人の弟子を連れて教団を興し、現在では数十万の信徒を抱えるまでになった。
彼の教団は巨額の資産を持つように見えるが、実際には彼や家族はほとんど無資産であり、信徒こそが彼らの宝であると考えていた。彼は求聞持聡明法と成仏法の修行によって得た力を持ち、日々ブッダ・シャカの知恵と慈悲に満ちた生活を送っていた。
彼にとって、金や物質的な財産よりも、心の豊かさと真理の普及こそが真の幸福であり、彼の人生における最高の財産であった。
