この訓練で、人間ばなれした力が身にそなわりはじめる。 クンダリニー・ヨーガの特殊訓練がはじまる。
慧力法(智力法ともいう) 高度の智慧を身につける訓練である。 私は、求聞持聡明法の修行から始めさせる。
以上の五力法を、基礎訓練とし、この五力法の上に立って、つぎの本格訓練に入ってゆく。

七党支法

七覚支法は、すべて、クンダリニー・ヨーガの訓練と併合しておこなわれる。 これは、私の発見である。 最初、私は、仏陀の成仏法に挑戦して、まったく歯が立たなかった。手も足も出なかった。 なんとか手がかりをつかもうと、四苦八苦しているうちに、阿含の文献の中に、「ゴータマ・ブッダは・*ヨーガの達人”と呼ばれる」という文章を発見した。
この事を考えているうちに、このヨーガ』は、ラージャ・ヨーガと、クンダリニー・ヨ ーガに違いないと、思いあたった。 それを端緒にして、十数年かかって、私は仏陀の成仏法の秘密を解いた。 まさに・仏陀釈尊は、クンダリニー・ヨーガの達人だったのである。 クンダリニー・ヨーガの体得なくして、仏陀の成仏法には一指もふれることができないであろう。
ちゃくほう)
択 法費支
「択」とは「えらぶ」という意味で、あらゆるもの(法)の中から真実のものをえらび出し、 真実ならざるものは捨て去る智慧の獲得である。 さきにのべた「事物の明確な認識と予知」の力は、この択法覚支から得られるのである。
精進覚支 精進力が、倍加する。
喜覚支
精進努力し、能力が増加、あるいはあたらしい能力を身につけることに喜びを感じ、ます ます訓練に精勤するようになる。どんなにきびしい修行でも、喜びをもって受け入れるよう になる。
それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラを動かすことにより、訓練が楽しくなるホルモ ンを湧出させるからである。
軽 安覚支
軽 安覚支 常に、身心を軽快明朗にして、心が惜冥(暗く濁る)したり、渋滞したりしない修行。 喜覚支をさらに進めたもので、クンダリニー・ヨーガと併合した、特殊な訓練で得られる 能力である。 聖者特有の、のびやかな姿体と、平安で穏やかな人相となってくる。京信念をはなれて、なにごとにも心がかたよったり、心の平静が乱されなくなる。
対象へのとりれを捨てる修行である。
車安ろ。つづいて、聖者としての心がそなわってくるのである。
定覚支
定覚支定方法について、超人としての能力が飛躍的に強化される。 宿屋なビ力(精神統一)の強化により、感覚器官が増幅される。 この1極限は、不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を聞くこと 力できるようになる。その結果、天災地変も予知することが可能となる。そこまで到達する ことは容易ではない。この修行によって、聖者たちは、大なり小なり、この能力 るのである。
和心者でも、予感や、予知力が身にそなわる。どんな初心者でも、とにかく えてくることはまちがいない。
念覚支
この修行を完成した超人の力は、ふつうの人の「常識」を越え、常識を破壊してしまうだ ろう。たとえば
これは、一つの例えであるが、かれの思念の力は、他人の内臓の中にできた腫瘍(ガンな ど)を、その念の集中力で、破壊、あるいは溶かしてしまうことも可能である。仏陀やその 弟子たちは、そのようにして、病人を癒したものである。(ただ、この場合、ガンを破壊して も、破壊されたガン細胞が他に転移するおそれがあるので、ガン細胞そのものを死滅させる ほどの念の力が伴わなければ危険であり、軽々しくこれを行うことはできない。それほどの 力は、仏陀ご自身でなければ持てないのかもしれない。一つの可能性の例として、あげたわ けである)
そんな力は例外としても、念力法、念覚支法を修行した場合、中等程度の者でも、常人の 信じられないような念の力を持つようになる。
いかがであろうか? これが、仏陀釈尊の、弟子たちに教えた「仏法」なのである。
れが、真実の仏教なのだ。あなたがこれまで常識として考えていた仏教とは、大分ちが うのではなかろうか?
多くの人が仏教だと思っている『法華経』とか『阿弥陀経』は、仏陀釈尊がお説きになっ たものではないのである。これら「大乗経典」とよばれる経典は、仏陀がお亡くなりになっ て二、三百年もたってから、無名の人たちによって創作されたものである。だから、これら の経典は、学問的には「創作経典」とよばれているのである。
創作経典の中には、「成仏法」は全く欠落している。一行も書かれていない。当然であろう。 「成仏法」は、仏陀釈尊しか教えることが不可能だからだ。無名の人たちが勝手に創作した大 乗経典に「仏陀の成仏法」が全くないのは、当然至極というべきだろう。 日本の仏教は「大乗仏教」である。つまり、「創作仏教」であって、「仏陀の仏教」ではな い。従って、「仏陀の成仏法」は全くない、というわけである。 日本の仏教徒が、仏陀の成仏法を全く知らない、というのは、ここに原因があるのである。 私は、このことが心から残念でならないのだ。
