ヨーガにとってどんな意味があるのか? 註釈家によれば、これらの地は、覚と真我との弁別
も含めてすべてが、サットヴァ浄化のためであった、ということがこの経文で明らかにさ れたのだという。しかし、わたしは、この解釈に多少の異論がある。なるほど、多くの悉地(超 自然的能力のなかには、たしかに覚を浄化し、三昧を成就するのに役立つものもあるけれど も、例えば空中を飛行するとか、身体を縮小して岩壁を通過するなどということが覚の浄化にど ういう利益をもたらすというのか? わたしの考えるところでは、悉地とか自在力とかいわれる ものの意味は、ヨーガに於ては、いわゆる絵制の心理操作の錬成と、その進歩の試金石たるにあ ると思われる。雑念動の心境を抑えて、 三味の心境が深まり、対象をより鮮明に、より不動に 直観することができるにつれて、対象支配の力が発現する。 だから、対象を支配する超自然的な 力は、ヨーガ修行の途中における景品であると同時に、その地がいかに錬成されたかの証拠に なる。これによって行者は励まされ、自信を高めるであろう。事実、これ程の三味力がなけれ ば、解脱の直接原因たる真智を得ることはできないのである。 かような考え方はサーンキア学派 仏教の場合にもあてはまる。
中略仏教でも、禅定の段階のなかのひとつとして神通(三六通)が説かれている。 このように、インドの諸宗教に於て、神通や自在力が取り上げられているのは、それが経験的事 実として認められていたということに基づいているのであろうが、
である。霊的宗教に於ては、雪はただ神
する道具に過ぎない。
は問題にならないのである。ところが、インドの宗教では、教祖は覚者でなければ
であって、神と人間との仲介者たる霊媒ではない。キリスト教や回教と仏教やヨーガとの根本 相違はここにあるのである」
この見解はたしかに、岸本博士よりも一段とふかい理解と洞察の上に立っている。 佐保田博 士は “” や “” ではなく それは当然の過程だといっている。りっぱな見識であると いわねばならない。
しかし、私をしていわしむれば、ヨーガの修行者が修行の各段階にあらわす超能力は、けっし 修行中の試金石”でもなければ品”でもないのである。それは、持たなければならな い能力なのだ。 ヨーガの超能力は、けっして超能力のための超能力ではなく、超ヒト、ホモ・ エクセレンスの生活体系を形成してゆくのに必要欠くべからざる能力なのである。 高い次元の 神生活をささえてゆくためには、おなじように高い次元の感覚能力を必要とする。
あなたはおぼえておいでであろうか。(頁)において、私は、
「だから、 もしわれわれが生まれてからこのかた、ずっと感覚器官のはたらきが不完全であ ったら、われわれの脳のなかにある記憶は、非常に貧弱なものとなり、したがってわれわれの判 正確を欠くことになる。だから、感覚器官の練磨洗練ということは非常に大切なことであ
高度の感覚器官を持たなければ、 高度の精神生活を持つことは不可能なのである。精神の高度 この飛躍は、感覚器官の高度の飛躍なくしては望めないのだ。そのために、密教は、まず、感覚器 官の錬磨からはじめるのである。感覚器官の増幅なくして「さとり」は得られないのである。 そ こに、天耳通、他心通、透視力という一連の能力が生まれてくる。あるいはテレパシー能力が生 ずる。 そういうものがなければ、精神の飛躍拡大は不可能なのだ。バカみたいに鈍感なやつに、 「さとり」は永久に無縁である。禅宗
にもあるではないか。
テテヲ見テ便チ是レ牛ナルコトヲ知
「山ヲテテヲ見テ早クコレ火ナルコトヲ知り、 ル。第一明三、目機鉄画、コレ納僧家尋常ノ茶飯、東津ヲ裁断スルコ至ッテの東西没、順逆 横、写自在、正当時、且ラク道へ是レ代人ノノ処ゾ
(第一則、第一義)と。
ノ葛藤ヲ取セヨ」
多くの人たちは、ヨーガや禅や仏教の最高の境地である精神の高度の飛躍をみとめ、それを尊 重しながら、そこに至る過程においてぜひとも必要とする各種の神通力”を呪術や奇術のよ うに低く軽く考えるということは、まったく理解できない不合理のことである。ところで、 超能力の過程を仔にながめるなら、それは三つに分けられる
物質の本質をとる力を持つ
小なるものはの原子から、大なるものは天体の生成からも さとる力を持つ。
この世界は多次元的であり、われわれは、普通、 三次元までしか知らない。それでは、こ の世界をほんとうに知ったということはできない。感覚器官を増幅して脳に直結し、物質の 四次元性質を理解するのである。
つぎに、第二段階として、
2 物質を自由に制御する力を持つ。
最後の段階として、
第一段階で物質のエネルギーの秘密がわかった結果、この力が生じ、この力を訓練す
3物質も肉体も超えてしまう力を持つ。
この段階は、いまの私にはくわしく説明することができない。 私はそこまで至っていないの で、ただ、推察するのみである。いえることは、かれはここで万物を動かす根本のエネルギーの 秘密を体得するということである。この段階では、時間と空間を超越してしまうということで ある。
だが、ここで私は思うのだが、あなたはここで、大きな戸まどいを感じているのではなか ろうか? ふかい疑惑とつよい疑問を感じているのではなかろうか?
そのものの
