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システムとしての求聞持法 脳と記憶の仕組み:わかりやすく解説 Messiah’s Law 1 Inquisition Law as a System

1. “脳と記憶の仕組み:わかりやすく解説”
2. “メカニズムと奥深さ:覗いてみる脳の中”
3. “求聞持法の舞台裏:記憶と意識のダンス”

 

1. 意識されない情報と刺激経験知覚情報は記憶の基本要素である。
2. 意識されない情報も記憶に取り込まれる例として、スキーや水泳の練習が挙げられる。
3. 脳は外部情報と内部情報を組み合わせて事態を判断し、感覚器官の訓練が重要である。
4. 記憶は主に大脳の側頭葉と海馬を中心とした領域にたくわえられる。
5. 側頭葉と海馬は記憶の貯蔵所であると同時に、解釈や判断にも関与している。
6. 記憶は大脳全体に分布し、側頭葉と海馬はその中心的な機能を果たす場所である。
7. 第一信号系(第一情報)と第二信号系(第二情報)に基づく条件反射の理論が存在し、記憶の場所が異なる。
8. 第一信号系は意識されない情報が大脳辺縁系に、第二信号系は意識された情報が新皮質の側頭葉にたくわえられる。
9. 脳の出力は過去の経験に基づいて判断や行動を行い、条件反射の理論により記憶の材料が利用される。
10. 密教は第三の信号系を持ち、求聞持法を通じて頭のよさを訓練できるとされている。

システムとしての求聞持法

「変身の原理」で、私は、カナダの著名な神経外科学の大家、W・ペンフィールドの発見 密教の持つすぐれた知能開発法寺聴法」のメカニズムの一端を解説した。 私はそのとき、「ひとたび修身するや、目はカメラになり、耳はテープレコーダーに変化し て、ひとたび目にし、ひとたび耳にしたことは永久に忘れなくなる技術である」と説明した。 たしかにその通りであるが、そのためにこの法を、一種の記憶力増強法、いわゆる記憶術の一 のようにうけとったひともあるようである。ページ数の関係その他の事情から十分に説明でき ず、それも無理のないことであったが、この技法が単なる記憶術のようなものであるのなら、た いした価値のないつまらないものといわればならない。なぜならば、ただ単に記憶がよくものお ぼえがよいというだけでは、ひとはよい仕事をすることができない。 ただたんにもの知りだけで はすぐれた業績をのこすことはできない。問題は、多量に持っている知識(情報)を、いかに活 用してあたらしいものを生み出すかというところにある。

い子とのよい子のちがい

ギャラップは、そるべき技術である。 知能とはなにか。 ごく大ざっぱに分けるならば、二つの

であろう。記憶と創造である。 特聡明法は、この二つのはたらきをするメカニズムに、あた らしいメカニズムをつけくわえて、あたらしい力と効果を発揮する。

この技法が、ジョージ・ギャラップや、オルダス・ハックスリーのいうように教育にとり入れ られたならば、人類のうける利益は想像することもできないほどのものである。 ギャラップのい うように、ヒトは、まさに、未来に向かって数百年の飛躍をすることができるであろう。 そういうと、そんなすばらしい技術がどうして今まで世のなかにあらわれなかったのかと、あな たは疑問に思うかも知れない。

これほどの技術が、なぜ密教寺院の片すみに埋没してしまったのか、いくつかの理由があげら れるだろうが、その最大の理由はこうである。

すぐれた古い方法がまったく見落とされてきたということは奇妙なことだ。 それに、あと になって全く忘れ去られてしまっている非常に重要な技術を発達させた個人、あるいは文化がよ くあるのだ。しかし、それらはやはり大きな価値を持ちつづけているのだ』(

といっているが、この大きな価値を持ちつづけているすぐれた方法が忘れられてしまったわけ は、それにつづくギャラップのおなじ文章のなかに見出すことができる。

システムとしての間あって、思い出される記憶と、思い出せない記憶の二つがあることを、私は、「変身の原理」 で説明した。脳の記憶のメカニズムはたいへん複雑で、それはまだ脳生理学でも十分に解明され ていないのだが、一応、その仕組みを見てみよう。

経験というのはひとつの刺激である。その刺激が記憶になるまでには、だいたいつぎのような 段階を経る刺激を感じるのは、俗にいう「五感」である。 五感とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚をい うが、こまかくかぞえればまだ多くの「感覚」があり、おなかが空いたとか、なんとなくけだ るく気分がよくない、とか、そういう身体の内部におこっていることを知ることもできる。つま り、われわれの身体の内部、外部におきていることがわれわれ自身にひとつの影響をおよぼす。 これが、「刺激」である。

こういう刺激があると、身体にある「感覚器」または「受容器」というものがこれに反応し電気的パルスを送り出す。 たとえば、 赤い花があれば、そこから反射された光が目のレンズ を通して受容器としての視神経を刺激し、視神経がパルスを送り出す。 これはパルスであって、 刺激の強さが大きければその数がふえるだけで、電圧が大きくなるわけではない。おなじよう に、皮膚になにかが触れれば、皮膚にある受容器が圧力を感じ、その圧力に応ずる数のパルスを 神経に送りこむ 次頁の上図は、このような受容器のいくつかの例である。

さて、このようにして受容器にあたえられた

 

 

れる。脳はその働きによって、それがなんであるかを知ることになる。これを「知覚」したとい う。つまり、赤い花の場合には、視神経をつたわって脳の後頭葉にある視覚野に達したパルス は、そこではじめて「赤い花」ということを知覚するわけである。 「聞く」という場合は、ひと つの空気振動があって、それが、鼓膜ふきんの受容器からのパルスとなって脳に達し、側頭葉の つけ根のあたりの聴覚と名づけられる部分によって、「音」としての知覚を持つということに なるのである。現在までにわかっていることは、受容器からのパルスは、それ以後の神経伝達機 構においては受容器の種類にはぜんぜん関係がなく、純粋に、パルスだけの問題になってしま う。つまり、パルスがいくつ出ているか、または出ていないか、というだけによるので、もし も、なんらかの方法で、聴覚神経と視神経とを結びかえてしまうと、われわれは光を聞き、音を 見ることができるということになるわけである。 さて、 そこで、この「知覚」されたものが、わ れわれにとって、ひとつの「情報」ということになる。

刺激(経験)→知覚→情報

と、つまり、ここまですすんできたわけである。

こういうことになる。

ところが、ここでひとつたいへん重要なことがおきる。

それは、その知覚が「意識」されない場合もある、ということである。 受容器がパルスを送り 出してそれが届いて知覚されてもそれが必ずしも、かならず意識されるとはかぎらないという とである。「見れども見えず、聞けど いったがあん、しない。 つまり、知覚しても意識していないということである。

では、そういう意識されない信号は、情報にはならないのか?

刺激 経験ということばは、意識がともなう必要があるように思われる。つまり、意識されな 刺激は経験にならないのではないかということである。 どうであろうか。しかし考えてみると われわれは日常の行動において、 それがありふれた動作の場合、意識をはたらかせることは非常 にすくない。手なれた動作や作業の場合、ほとんど無意識でおこなっている。たとえば「道を歩 「く」というようなごくありふれた動作をする場合に、われわれはほとんど意識せずに歩くという 動作をおこなっている。いちいち足のウラの感覚器官からの情報を意識していたら、たまったも のではない。しかし、足がなにかにつまずくというような、異常な状態が起きると、間髪をいれ ず意識がはたらきだす。 ということは、それまでわれわれは異常なしという情報をうけとりつづ けていたのであるが、意識はそれに注意をはらわずにおり、異常が起きた瞬間、ただちにそちら へ意識を向け直したということであろう。

そこで考えられることは、われわれがうけとる情報は、常に一時にひとつということでなく、 いつも多数の情報が同時にかさなって入ってくるので、われわれの意識はそのなかでももっとも 大きな、ということはもっとも注意をひく情報に向けられているということであろう。 電子計算 機の父といわれる故ノイマン博士の計算によれば、人間が一秒間に受けとる情報の量は一四〇〇ビットぐらいだといわれる。一ピッドというのは、イエスかノーかという情報単位であるが、 これは、われわれが知っているもっとも大きな電子計算機の記憶一〇〇万ビッドの十四万倍と いう大量のものである。これだけ大量の情報をいちいち意識することはとうてい不可能であり、 そこでわれわれの意識は、そのなかから注意を要する情報にだけ意識を向けているというわけで ある。だから、意識されなくても情報はつねに入っており、意識されない情報もあるということ になる。

そこでいままでのところをとりまとめると、こういうことになる。

 

 

1意識されない情報

2刺激経験知覚情報 2意識された情報

さて、つぎに、これらの情報が「記憶」になるわけだが、われわれは、たとえ知覚したり、感 じたりすることができても、これが記憶に残らなかったら、 「情報」として活用することはでき ない。つまり、ほんとうの情報にはなり得ないということである。 そこで問題になるのは、意識 された情報は論外として、意識されない情報はどうなのか、それも記憶になるものかということ である。しかし、これも考えてみると、スキーや水泳のように、いちいち意識しない動作でも、 練習による繰り返しを肉体がおぼえていて、これの積み重なりが熟練になるわけだから、つまり は、意識されない情報も、記憶のなかにくりこまれるということになる。そこでもっとも簡単な いい方をすれば、見たり、聞いたり、さらにそのほかのあらゆるかわ

によって感知され、これらを

新しい事態が発生すると、われわれの感覚器官は、その事によってひきされた

送り、脳はこれらの信号を感知することによって情報を得る。 これは、いうなれば「外部情報」 というべきだろう。

つぎに、脳は、以前から持っていた記憶を「内部情報」としてひきだし、外部情報と照らしあ わせることによって、はじめてこの事態を判断することになる。だから、もし、われわれが 生まれてからこのかた、ずっと感覚器官のはたらきが不完全であったら、われわれの脳のなかに ある記憶は非常に貧弱なものとなり、したがってわれわれの判断は正確を欠くことになる。だか ら、感覚器官の錬磨洗練ということは非常に大切なことであり、このことはあとになって関連す ることが出てくるから、よく記憶しておいてほしい。

さて、そこで、今までのところを総括すると、こういうことになる。

刺激(経験) 知覚情報

意識されない情報」 意識された情報

記憶

前世の記憶

では、記憶は脳のどこにたくわえられるのであろうか?

それは、大脳の側頭葉と、海馬を中心とした領域でなされるようである。

そこで、

実際に、海馬や側頭葉がこわされると、いろいろな型の記憶障害がおこることが、動物や人間 についてたしかめられている。また、側頭葉の電気刺激で過去の体験を再現することに成功した ペンフィールド博士の実験(旧)や、ネズミの海馬をこわすと判別能力がわるくなるという 条件行動の実験も、側頭葉や海馬が記憶やそれにもとづく判断のはたらきに直接関係しているこ とを示している。ただし、それは、側頭葉と海馬だけが記憶の貯蔵所という意味ではなく、記憶 はある程度、脳全体に分布しており、側頭葉と海馬は、その中心としてはたらく機能を持ってい る場所であるというように考えられている。

側頭葉は記憶の機能に密接な関連をもつ。記憶に、海馬を中心とした辺縁系が重要であること は前にものべたが、それを含む側頭葉切除では、古くたくわえられた記憶は失われないが、新し い情報を記憶に組みこみ、早期にそれを固定し、必要に応じてそれを引き出して用いるはたらき <記銘と回想)に重要な障害をきたすことが、脳外科的手術の経験の増すとともに確かめられた。 前頭葉の破壊によって古い記憶障害されにくいところをみると、記憶は広く全脳にたくわえら れるものであって、側頭葉はその出し入れと照合(解釈)に主役を演ずるものらしい』(脳のはた らき・島崎敏樹 宮坂松術著) そしてそれは海馬もおなじようなはたらきをするものと考えられる。 『記憶は多分、視床の連合や、大脳皮質では第二次運動野、第二次知覚野および連合野でたく わえられる。 触覚性の行動の 身体の部分に対応した 、

また、側頭葉表面の刺激で、短期記憶がさまたげられることや、見れているものが自覚的 初めて見るごとく感じ(未体験)、または反対に、これまでに見たことのないものが、以前に 見たごとく感じる(既視体験など、側頭葉と記憶との密接な関係はよく知られているところで あるが、刺激によって長期記憶を再生するのも側頭葉であるが、それは多分、側頭葉深部の 海馬が刺激されて、記憶貯蔵所を興奮させ、記憶されたときと同様な型の興奮を生じ、記憶が再 生されるのである。海馬を中心とする大脳辺縁系のニューロンは、知覚系、 運動系、覚醒系、動 制御系その他の機能系を連合して記憶と結合する道であり、記憶をたくわえ、または再 生する有力な道である』(脳のはたらき・吉井直三郎著)

記憶の所在は、粗大な分類にしたがえば、大脳皮質と間脳との間の広汎な領域にある。 その領 城の神経連鎖にニューロンの活動の型が記憶として残されるのであろうが、これを細胞レベルで 考えると、運動系、知覚系、覚醒系、睡眠系、動因系、制御系のいずれにあっても、その主回路 他にあると考えられる多数の副回路のなかに反射化された学習回路が残されるのであろう。 そ 故、大脳にひろく記憶が保持されているといえるであろう』(脳のはたらき 吉井直三郎著) 以上の専門学者の説明を参照した上で、私の求聞持法の体験をあわせ判断すると、記憶の場 半球内側面で間をかこむ部分、つまり「帯状回」のあたりであると私は思う。

 

 

私は、海馬それ自体の奥ふかくに、ごく古い記憶(深層記憶がたくわえられているものと信ず る。 それは、動物実験で、人間におこなわれた側頭葉表面の刺激(ペンフィールド博士の実験)と おなじ効果が得られることから、 それは、間違いないものと思われるのである。

すなわち、電極針を動物の頭のなかに入れて、海馬を刺激したとき、注意を集中する注意 集中反応 なにかを探索する探求反応が顕著にあらわれる。

これは何物かの記憶がよび起こされ、 “幻覚が起こったのだともいわれる」(脳のはたらき・島 敏樹宮松術著)のである。それはちょうど、 ペンフィールド博士の実験で側頭葉の表面に電 針をあてられた被験者が、なん年ものまえの出来事をそのまま想起してびっくりしている状態 そのものである。 そこで、この実験を動物ではなく、 なんらかの方法で生きている人間の海馬の 中心を刺激すれば、彼の前世、前々世の記憶がよみがえるのではないか?(教は特殊な方法で それをやるのである)

第一信号系と第二信号系

さてそこで、話は前にもどるのであるが、記憶のもとになる 「情報」に、二種類あることをさ きに述べた。

すなわち、意識された情報と、意識されない情報である。 これから、意識されない情報を第一情報”意識された情報を第二情報” とよぶことにする。 第一情報も第二情報も、ともに記憶 の で、この二つが記憶になるわけである。

ただし、第一情報と第二情報とでは、その記憶の場所がちがうのである。

第一情報は古い皮質の海馬の表面あたりに記憶される。これはどうしてかというと、海馬には 大脳辺縁系の中心で、本能行動、情動行動を支配する。 本龍行動というのはほとんど意識されな 行動である自律的なはたらきの領分であって、痛みや痒みなどの感覚にたいして、パッと無 意識のうちになされる動作のたぐいである。だから、情報も、無意識の情報はここに集まって、 それに対する反応も無意識のうちに対応されるように準備されるのだと考えればよい。

これに対して、第二情報は新しい皮質の側頭葉にたくわえられる。

脳の「解釈上の錯覚」について実験をくりかえしたウィリアム博士の実験により、側頭葉の全 領域が、ものの解釈をする部分であることがわかった。 この領域を刺激することにより現実のも の事の解釈のまちがいが生じ、この領域以外ではそういうことが見られぬことがあきらかになっ た。脳は、その一連の情報をまとめながら、過去の経験の記憶をひき出して適切な照合を行な 現在の経験を解釈して、状況に応じた適切な行動をおこさねばならない。この、記憶をひき 出し、現実を解釈する機能に側頭葉がもっとも重要な役わりをはたすわけで、ペンフィールド博 「解釈する質」とよんでいる。

一種の解釈であるのだ。 そこで第二情報は解釈する皮質である頭にされ、そこでに、多くくりかえされた記憶は旧古皮質の奥の海馬のほうに移っていってそこにたくわえられる ようである。ペンフィールド博士の実験でも、電気刺激をあたえた側頭葉表面の皮質を削除して も、そういう記憶はなくならなかったという報告があるから、上部(表面)の新皮質のほうに入 った記憶も次第に辺縁系のほうにしまいこまれてゆくのであろう。 それは、たとえば、タイプラ イターの練習などでもよくわかる。タイプの練習に際して、「上手になろうと思ったら、 キーボ ートは見ないほうがよい」といわれる。 最初、それにしたがって、「Aの字は? あれは下から 二段目の、一番左の端だったな。 小指で打つこと」などとアタマで考えながら打とうとす る。アタマというのは「新しい皮質」であるから意志的である。そして運動の皮質がはたらいて 小指を動かす。目は印字をよみ、その形を見て「たしかにAの字だ」 と判断する。 こういうこと

ん回もくりかえして練習していると、そのうちに、いちいちこんなことを考えなくても打 てるようになる。このことは、つまり、「新しい皮質」にたん回もん回もくり返して入れ たことは、だんだん「古い皮質」に入りこんでゆく。 そして 「本能的」にできるようになる、と いうことだ。自動車の運転などもそのよい例のひとつである。

この第一情報、第二情報を、脳の重要なはたらきである「条件反射」の理論に基づき、脳の第 一信号系、第二信号系として発表したのが、ロシアの有名な生理学者I・P・パブロフである。 つまり、第一信号系とは、第一情報のことで、意識されない情報を主にした、感覚器官からの そのままの情報である。だから、これは動物でも人間でもおなじである。

それがそのままのかたちで記憶されてゆく感覚そのままの旅の情報で、

れるものもあるが、多くは意識されないまま送りこまれる。 それに対する反応もまた無意識のま 反射的に送り出されることが多い。まぶしいという感覚にただちにクシャミが反応するという などその典型的なものである。 そしてそのとき、まぶしくてクシャミをしたという経験(情報) は、そのまま記憶になる。

これに対し、第二信号系は、人間にしかない。なぜかというと、この信号系はコトバによって 成り立つものだからである。 第二信号系は、感覚器官からの情報をいったん意識を通してコトバ でひとつのかたちにまとめた情報である。ナマの情報ではない。そういうかたちにして記憶領域 におくりこんだり、論理的判断、思考をする機能である。

人間の知的進歩は、コトバの発見によるこの第二信号系の発達によるもので、 これあるがため に、人間は、外部のあらゆる雑然たる情報を、自分の内部で、論理的、系列的、抽象的におきか えたり、積み重ねたり、他にそれをつたえたりすることができるようになったわけである。

しかし、もちろん、こういったからといって、この二つのものは、おのおのべつべつに動いて いるのではなく、この両者がそれぞれ独立しているというのは、相対的な意味においてであっ で、第二信号系はコトバ、第一信号系は感覚として、両者は結局第二信号系にみちびかれる完全 にひとつのものとして一緒に活動しているのである。そこで今までのところを総括すると、こう

いうことになる。

刺激(経験)―知覚情報 1意識されない情報第一信号系旧古皮質の大脳辺縁系 意識された情報第二信号系新皮質の側頭葉

海馬(記憶)

密教は第三の信号系を持つ

さて、今までは、もっぱら、「大」の面を考えてきたわけであるが、今度は入ったものをも とにしておこなわれる「出る」のほうを考えてみなければならない。

われわれがひとつの出来事に直面して、 それに対し、判断したり、計画を立てたり、行動をお こしたりするのがアウトプットであるが、それはどのようにしておこなわれるか?

今までにうけ入れてあるすべての情報、できるだけして、それをもとに、判 断 決定 行動の材料にするわけである。だから、このいちばん重要なことは、その材料が豊 富であることである。判断はそれが貧弱なほどあやまりをおかしやすいし、豊富なほど正しい判 断をする率が高い。ちょうど、むずかしい局面に直面した棋士が、過去に記憶(経験したすべ

定石や変化を思い浮かべて、それをもとに、もっとも有利で正確な手を打とうとするのと同 じことで、そういう場合、力の弱い者ほど経験(記憶)が少ないということである。この場合、 経験というのは、長年たくさん数を打っているというだけのことではなく、どれだけ定石やそ の変化が頭に入っていて、必要に応じてそれがきれるかということである。

いせつなことは、できるだけくのをき

信号系の記憶を可能なかぎりひき出す、 つまり思い出すという作業である。 ところがこの作 の難点は、第一信号系の再生である。 第二信号系のコトバによる記憶は比較的 (比較的であ 容易であるが、第一信号系の記憶は非常にひき出しにくい。というのは、第二信号系の記憶 は、一応、コトバによって整理されたり統合されたりしているから、それに対するテーマが決定 すれば、それに関連して系統的に、論理的に出してくる可能性がつよい。 中山正和教授によれ ば、それは「線の記憶」 カンの構造・中山正和)であって、連絡しているからである。 これに対 し、第一信号系の記憶は点の記憶で、脈絡なしに断続的に入ってきたものであるから、つながり がない。 しかし、情報源としては第一信号系の方が圧倒的に多いし、また、昼だけではなく、質 的にも非常に役に立つ場合が少なくないのである。

ことに、なにか新しい事物を創造するという場合にそのことがいえる。 創造には飛躍が必要で あるが、飛躍とは論理や論理的思考の積み重ねだけでは得られないもので、論理や説明をはなれ たところから生ずることが多い。ただし、論理をはなれたといっても全くはなれてしまうのでは なく、ひとつの主要目的はたえず追いつづけながら、一方でそれに関連するなにかのすべてを模 してゆくということであり、それがどこかで交接触した刹那、ひらめきが飛んで、それがつ まり、ひとつの創造か、創造の種子が芽生えたということなのだ。これは、記憶再生の場におき かえていうと、第二信号系が絶えず第一信号系の記憶をまさぐりつつ、からみ合いつつ創造を目ざして進んでゆくすがただということである。

よく、直感とかインスピレーションとかいうけれども、それはよくしらべてみると、第一信号 系の情報記憶とむすびついて生じたことが多いのである。 第一信号系は、脈絡がなく、意識され ていないから気がつかないだけのことなのだ。もっとも、このことは、あえて創造に関すること だけにかぎらず、すべての発想に際してあてはめられることといわねばならない。

ところで、この発想の作業は、考えてみると、すべての記憶を思い出そうという意志が、第二 信号系とむすんで、第一信号系の記憶、ならびに全脳にわたる記憶の領域を、その表面から深部 にいたるまで掘りおこそうというのである。それは新皮質である側頭葉の表面から次第に内部 におよんで間脳、帯状回の中間皮質から、 旧古皮質の中心、海馬にいたるまでの全領域にわたっ ての作業ではないか。まことに気の遠くなるようなこの作業が、 それではいったい通常どのよう にしてなされているのかというと、それはまったくその人の脳の自動的な機能にまかせておくよ りほかないのである。

ということは、それがうまくゆくかどうかの決定は、そのときそのときの運次第か、または、 そういう作業が先天的にすぐれているか、おとっているかという、つまり「素質」の問題になっ てしまい、最後はその人間の頭がよいか悪いかというところに帰着してしまうということではな いか。おそらくは最終的には運と素質だということになるのだろうが、しかし、まるでツルギの わたりのようなこ とができて、第一を自由自在にコントロール

第二信号系がコトバを使って第一信号系を自由に構築するごとく、ある力をつかって、一 号系、第二信号系の記憶を、海のふかい奥から発掘してきて、自由に構築することができた としたら、その力に属するあたらしい系は、いったいなんと呼ばれるべきであろうか? それは まさしく「第三の信号系」と呼ばれるべきものではなかろうか?

だが、ひとは、そんなことは不可能だというであろう。

が、宗教はそれをやるのである。それをやる”ある力を持っているのである。すなわち、密 教は「第三の信号系」を持つ。

頭のよいことが、 ぜったいに「素質」だけによるもので、ほかになんのなすべき方法がな いというのであったら、求聞持法の出る幕はない。しかし密教は求聞持法を持つ。頭のよいのは 「質」だけではなく、この技法によって訓練すれば、それは得られるということである。

その技法の原理を知るためには、もうひとつの記憶のメカニズムを知ることが必要である。 そ れを説こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年1月11日 九星  無料 今日の運命

二黒土星の日

仕事の事、旅行の事、病人の事、などが出やすい日。こみいった事が多い。いそがしい割に成果は少ない。 短慮は禁物。いやな仕事も進んで引き受ける位の気持ちが大切。

凌犯期間 同の日

周囲との調和を心がける日

本来であれば繁栄の日ですが、凌犯期間の影響で吉凶逆転し運勢は落ち込みます。この日は特に家族や親族間で問題が起こりやすい日です。家族間の金銭の貸し借りや、意見の対立など、この日の出来事が原因で後に大きな遺恨を残しかねません。関わらなくてもすむ問題であれば、極力首を突っ込むことは避けましょう。また、結納、入籍、結婚式などもこの日は避けてください。

 

 

阿弥陀如来

 

命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

 

 

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。

 

阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

ご利益

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。

 

特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。

人間の条件 人はどんな因縁を持つか   運命の舞台裏:家庭、仕事、お金―なぜ私たちは異なる因縁を持つのか   Behind the scenes of destiny: Family, work, money – why we have different fates

 

 

中途挫折の因縁は必ずしも薄志弱行型の性格を持っているわけではなく、逆に逆恩の因縁では一心に恩義にむくいようとする心が努力しながら結果的には仇に返すことがある。

– 恩のある人に対して無意識に損害を与えることは自分で自分の手足をもぎ切ることであり、注意が必要。

– 夫の運気を害する因縁は女性が持つことが多く、その影響で夫が病弱になったり仕事がうまくいかなくなることがある。

– 夫婦縁障害の因縁ではお互いの性格が合わず不満が絶えず、愛情の有無にかかわらず夫婦仲がうまくいかない。

– 夫婦縁破れる因縁を持つ人は生別か死別をまぬがれない。結婚生活に障害があり、生命力の強弱で生別か死別が決まる。

– 獄の因縁を持つ人は凶運の時に刑事事件を起こし、刑務所につながれることがあり、他の悪い因縁とからみ合って凶悪犯になることが一般的。

 

– **癌の因縁**
– 胃ガン、子宮ガンなど、特定の因縁を持つ人は癌になる可能性がある。

– **循環器系統障害の因縁**
– 心臓、腎臓、肝臓などの循環器系統に故障を起こす因縁であり、大人のトラブルも含まれる。

– **色情の因縁**
– 異性や同性によって苦しんだり傷ついたりする因縁で、家運衰退の要因となる。

– **ぺんぎょう**
– 異性関係や家庭のトラブルに関連する。

– **業の因縁**
– 職業に関する因縁で、宗教家、芸術家、裁判官などが適する。

– **財運・水の因縁**
– お金が流れ出てしまい、無理に溜めようとすると病気や不幸が生じる。

– **領の因縁**
– 人の上に立つ因縁で、頭領運があり成功するが、孤独運と家庭的な不幸が伴う可能性がある。

– **子縁うすい因縁**
– 子供との縁が薄く、子供が生まれないか早くに死んでしまう可能性がある。

– **産厄の因縁**
– 出産時の難産や苦しむ因縁で、生命力が弱る時期に注意が必要。

 

中途挫折の因縁は必ずしも薄志弱行型の性格を持っているわけではなく、逆に逆恩の因縁では一心に恩義にむくいようとする心が努力しながら結果的には仇に返すことがある。

– 恩のある人に対して無意識に損害を与えることは自分で自分の手足をもぎ切ることであり、注意が必要。

– 夫の運気を害する因縁は女性が持つことが多く、その影響で夫が病弱になったり仕事がうまくいかなくなることがある。

– 夫婦縁障害の因縁ではお互いの性格が合わず不満が絶えず、愛情の有無にかかわらず夫婦仲がうまくいかない。

– 夫婦縁破れる因縁を持つ人は生別か死別をまぬがれない。結婚生活に障害があり、生命力の強弱で生別か死別が決まる。

– 獄の因縁を持つ人は凶運の時に刑事事件を起こし、刑務所につながれることがあり、他の悪い因縁とからみ合って凶悪犯になることが一般的。

 

– **癌の因縁**
– 胃ガン、子宮ガンなど、特定の因縁を持つ人は癌になる可能性がある。

– **循環器系統障害の因縁**
– 心臓、腎臓、肝臓などの循環器系統に故障を起こす因縁であり、大人のトラブルも含まれる。

– **色情の因縁**
– 異性や同性によって苦しんだり傷ついたりする因縁で、家運衰退の要因となる。

– **ぺんぎょう**
– 異性関係や家庭のトラブルに関連する。

– **業の因縁**
– 職業に関する因縁で、宗教家、芸術家、裁判官などが適する。

– **財運・水の因縁**
– お金が流れ出てしまい、無理に溜めようとすると病気や不幸が生じる。

– **領の因縁**
– 人の上に立つ因縁で、頭領運があり成功するが、孤独運と家庭的な不幸が伴う可能性がある。

– **子縁うすい因縁**
– 子供との縁が薄く、子供が生まれないか早くに死んでしまう可能性がある。

– **産厄の因縁**
– 出産時の難産や苦しむ因縁で、生命力が弱る時期に注意が必要。

癌の因縁

胃ガン、子宮ガンなど、この因縁を持つ人は必ず癌になる。

  • 循環器系統障害の因縁

色情の因縁

ぺんぎょう

心臓、腎臓、肝臓等の循環器系に故障を起こす因縁である。

男女が、異性(同性の場合もある) によって苦しんだり傷ついたりする因縁である。これ は、家運衰退の因縁のもととなる因縁である。

大人のトラブルでられるがある ということになる。

  • 業の因縁

職業の上にあらわれる因縁である。

この因縁を持つ人は、宗教家、芸術家、芸能人、裁判官、水商売などが適する。 そのどれ がよいかは、別の因縁とも照らしあわせてみる必要があるが、とにかくこの因縁のある人は、

これらの職業以外につくと絶対に芽が出ない。つまり、適性ということに関係してくるわけ だが、そういうことをふくんだ上で、運命的にその職業以外では伸びない、ということである。 職業の適性ということは非常に重大なことで、それゆえに、いろいろな適性検査などが考

案されているわけだが、適業、適性、というものは、因縁的に決定されているのである。

人の職業は、大づかみにいって、技術系(生産事業、技術者)、営業系(販売事業、営業、商人)、 組織系(官公吏、政治家)の三種に分けられるが、人はみな、それぞれの系列に向く因縁と

向か因縁を持っており、向かぬ職業に就いた場合、絶対に芽が出ぬものであるから、注意 して選択しないと生涯の不幸となる。

  • 財運・水の因縁

財運があって、お金は人より何倍も多く入ってくるが、木のように流れ出してしまって、 身につかない。

無理に溜めようとすると、自分が病気になったり、家族が病気になったりする。これは、 木の財運で、水というものは、流動しているかぎり腐敗せず、きれいである。溜まり水は必 ず濁り、腐敗する。それと同じで、この因縁を持つ人は、常にお金が流れ動いて身につかぬ のである。無理にお金を溜めると、腐敗現象が起きて、家族に病人やケガ人が出たり、人に だまされたりして、全部、お金が出て行ってしまう。

  • 領の因縁

人の上に立つ因縁である。この因縁をもつ人は、必ず、大なり小なり人の上に立って、人 の頭領となる。但し、この頭領運に二種類あって、純然たる頭領運と、組織内の頭領運とに 分けられる。純然たる頭領運は、だいたい創業者として成功する。 組織内の頭領運は、専務、 一部長という一分野の首長で終わる。

頭領運はよい因縁の部類に入るが、反面、孤独運を持ち、晩年は家庭的に不幸になりやすい。 頭領運のない人は、自ら頭領になると必ず失敗する。よき頭領運の人をえらんで、次位に 甘んじ、よく補佐をすることに専念するがよい。 それが、自分の才能、手腕を十二分に発揮 し得る最良の道である。野心を持って自分がその位置に就くと、物事渋滞して苦労ばかり多 必ず失敗するのである。

子縁うすい因縁

さんやく

子供との縁がうすい因縁である。

ここの因縁があると、子供が生まれないか、生まれても、五、六歳になるまでに死んでしまう。 また、自分の実子と縁がうすいだけではなく、養子をもらっても、この因縁ある限りうまく いかない。その養子の運気 (生命力が強ければ衝突して出て行ってしまうし、生命力が弱 ければ死んでしまうのである。

産厄の因縁

出産に際して、難産で苦しむ因縁である。衰運の時期で生命力が弱っている時にあたると、

死ぬ恐れがある。 水子の霊障や、難産で死んだ縁者の霊障のあることが多い。

五タテの因縁とヨコの因縁

以上、人間の持つ

あなたも、これらの因縁の中のいくつかを 体を述べてきた。

必ず持っているはずである。

では、これらの因縁は、いったい、どこから生じたのであろうか?

仏陀は、経典の中で、

「種の差別は業に由る」

とおっしゃっておられる。

ているのである。

つまり、「業」によって、人それぞれちがう因縁を持って生まれるのである、とおっしゃっ

では、業は、因縁に対してどのようにはたらくのか?

阿含宗では、基本的には「タテの因縁」と「ヨコの因縁」となってあらわれると説く。

タテの因縁とはなにか?

祖先から受けついである。

 

 

 

人間の条件

「因」

この人間の持つ「運命的条件」は、二つのものから成り立つ。

「内的条件」と「外的条件」である。

人の運命、人生というものは、その人の内的条件と外的条件の総合結果である。

つまり、内的条件とはその人自身の持つ条件で、健康、才能、性格、運気、などをいう。 外的条件は、その人をとりまく環境、人間関係、 運期等である。だから、人の運命、人生 というものは、その人の内的条件と外的条件の総合結果なのである。

この内的条件を、

とよぶ。

「縁」

外的条件を

という。

内的条件と外的条件は表裏一体であるから、これを初めて、「線」とひと口にいうので ある。

よく、因縁というと、

「因縁なんて迷信だ。因縁などというものはない」

などという人がいるが、これは、無知な人のいうことといってよい。 因縁ということばの 本来の意味をまったく知らずに、ただ、迷信呼ばわりをしているのである。 因縁の総合結 果が「果」である。因縁といい、因果という、古めかしいものを感じさせるが、内的条件、 外的条件、総合結果、などというより、はるかにピッタリした表現である。ゆえに、われわ れは、「因縁」という表現を用いるのである。

 

主体的価値+(その人の内的条件+外的条件=客体的価値、

前章の「価値の原則」にこれをあてはめると、こういう公式が出来る。

(因)

(果)

すなわち、(因)(縁)(果)

ということになる。

いんねん

さて、そこで、われわれは、自分の持つ条件がどんなものであるか、ということを究明し

なければならなくなってくる。

 

四人はどんな因縁を持つか

これから、人の持つ因縁について解説するが、それでは、そういう因縁というものが、ど うして人間にあるのか、ここでは、あるからある、というよりほかない。強いて聞かれるな らば、それならあなたはどうしてそういう顔をしているのであるかと聞かれた場合、あなた は何と答えるか? こういう顔をして生まれてきたのだから、こういう顔をしているのであ とでも答えるほかないではないか。 原因はともあれ、人間は、それぞれ様々な因縁を持っ 生まれて来、様々な因縁を持って生きているのである。その因縁という現象を分析、解説 してみよう。理屈は抜きにして、一読するならば、必ず、思いあたることがあろう。卵が先 に生じたのか、鶏が先に生じたのか、それを知らなくても、卵を食べ、鶏肉を賞味するには こと欠かぬのである。 詳しくはあとの方で説明する。 ここでは、まず、人間が誰でも持って いる「因縁」の種類についてのべよう。

家運衰退の因縁

この因縁は、家運、つまり家の運気が次第におとろえてきている家系に生まれている人が 持つ因縁である。

こういう人は、父、あるいは祖父の代までは、かなりの生活をした家に生まれている人が 多い。 祖父か父の代あたりから、次第に家運が傾いてきている。そうして、自分の代になっ てからは、なお一層はっきりと運が悪くなっている。相当の力量、才能、手腕があるのだが、 それを発揮する場を持つことが出来ない。そういうチャンスを持つことが出来ない。そうして、 自分よりも劣った者が追い越してゆくのを、みすみす歯ぎしりしながら見送ることになる。 たまにチャンスがめぐって来そうになると、人の妨害、邪魔に遭ったり、或いは自分の思

わぬミスや病気などで、せっかくのチャンスを失ってしまう。 要するに、一言でいうと運が 悪いのである。実力がありながら、妙にめぐり合わせが悪く、ウダツがあがらない。 年をと

るほど運気がおとろえ、生活が悪くなっていく。

この因縁から出てくるのが、次に掲げる、

中途挫折の因縁

という因縁である。

この因縁を持つ人は、何をやっても、一応、七、八分通りまでは順調に進むが、あともう 一、二分というところで必ずダメになる。 決して実らないのである。この因縁を、一名、「虚」 花の」というのは、「七重八重、花は咲けども山吹の、実のひとつだになぞ悲しき」と いう古歌の山吹の花と同様、花咲けども実らず、すべてムダ花であるというところからきて いるのである。よそ目には華やかに見えて、内実は空しいのである。苦労したあげく、さい ごの収穫はごっそりと人に持ってゆかれてしまう。

この因縁を持つ人は、わりあい運気 (生命力の強い人が多く、中途で挫折しては、また 立ち上がって仕事をし、また七、八分通りで挫折して、そのままになるかと思うとまた立ち 上がって、また挫折する、というように、七転八起の起伏のはげしい人生を送る人が多い。 そうして、結局は、挫折したままで終わるのである。

大体、因縁のあらわれ方には二通りあるのであって、その因縁が、そのままその人の性格

にあらわれている場合と、性格にはあらわれない場合とがある。

この中挫折の因縁の場合も、この因縁がそのまま性格にあらわれて、非常に気の弱い意 志薄弱の型と逆に、非常に気のつよい意志強の型がある。

意志薄弱のタイプは、何をやってもすぐにあきてしまって、 ながつづきしない。気うつり がはげしい。学業、職業、すべてがそうで、転々とする。 文字通りの中途挫折 志弱行の 型である。

 

もう一つのほうは、これと全く反対で、性格もつよく、意志も強固で、努力家でもある。 然るに、かえってその強さが人と相容れず、上の者と衝突したり、同僚と円満に協調出来な かったりして、失敗し、挫折する。あるいは、ここ一番という大事なところで、きまってつ まらぬミスをしたり、人の誤解をうけたり、妨害をうけたりする。また、病気や怪我などで 手違いが生ずる、というように、必ずなにかしら障害が発生して、チャンスをつぶすのである。 先日、わたくしを訪ねて来た人に、そういう人があった。

四十七、八歳の会社員で、立派な人物であったが、この人に、この因縁があったのである。

聞いてみると、今までに八回も勤め先を変えているという。意志強固の努力家型だが、と思っ て聞いてみると、この人は、一流の財閥会社に勤めているのだが、系列の子会社に出向させ

られると、その会社は、きまって、他に合併したり、業績不振で閉鎖させられてしまうので ある。本社にもどると、同期の社員で本社に居たままの者はかなり上の方に進んでおり、処 週に困るので、また傍系の会社に出向重役として出される。するとまた、その会社がおかし くなる、というわけで、今までがその繰り返しだったというのだ。

念のためにいうが、それは、この人の経営の腕が悪いために、この人が行った会社がみん なダメになるというのではないのである(手腕という点からいえば、むしろ人並み以上の手 腕を持っているのである)。この人が行っても行かなくても、その会社はダメになるのである。 そういう会社に、この人は行かねばならぬような廻り合わせになってしまうのだ。 今度の会 社もおかしくなってきているので、相談に来たのです、というのだが、典型的な中途挫折の 因縁のあらわれかたであった。

薄弱行タイプの場合は、すぐにあきたり、気移りしたりして自分から会社を転々とする が、意志強固タイプの場合は、自分では一心に努力をして会社を変わるつもりはさらさらな いのだが、他動的に転々と変わらざるを得ないようになってしまうのである。その人の意志、 思考 心構えなどに関係なく、結果は結局おなじことになってしまう。 それが、因縁という ものの、こわいところである。精神一到何事か成さざらんや、と気張ってみたところで、こ

待っていては、ダメなのだ。外がないのである。つねに転々とし 挫折する。

昔からよく、「人間には誰でも一生に三度はチャンスがある」といわれているが、運の ない者でも三度はチャンスがあるかわり、運のある者でも、三度以上そう何回もあるもので はない。人生ここ一番というチャンスを二、三度この因縁でつぶされてしまったら、もうそ の人間は一生芽が出ないものと思わねばなるまい。そうして、この因縁のこわいところは、 この因縁は必ずその子に遺伝し、 その場合、きまって親よりその子のほうが一段と因縁の度 を深めて悪くなってゆくことにあるのだ。

この中途挫折の因縁が、そのようにして一段と強くなった場合、

運気不定・浮沈の因縁

という因縁になる。

これは、運気に根が生じないので、 そのため、浮沈変転してとどまらないのである。

いわば、根無し草の人生である。 居住、職業が定まらず、転々とする。 一時的に幸運を得

ることがあっても、永続しない。 一生、ホームレスか、それに近い境界となる。

女性の場合、ちゃんとした結婚生活をつづけることが出来ない。再婚、三婚し、しかしい くら結婚を繰り返しても、決して安定した夫婦生活を持つことは出来ない。

「色情の因縁」のある場合は、不倫の関係に陥ったり、あるいは売春をする悲惨な因縁である。

そうこく

肉親血縁相剋の因縁

こんばん

これも、根本は、家運衰退の因縁から出てきているものである。

この因縁は、肉親の者同士、血縁者同士が、たがいに運気生命力を損ねあい、傷つけあっ 分散してゆくのである。

毛利元就の「三本の矢」の教訓を逆にいって、おたがいに助けあい、協力しあってゆくべ 肉親血縁者が、離散し、孤立して、次第に没落してゆく。

まさに、家運衰退のあらわれである。

に進展してゆく。

この因縁があると、同居している親子、兄弟など、血縁者が、年中和でが絶えない。 これは、血縁者同士でお互いの運気 生命力を損ねあい、傷つけあっているので、無意 識のうちに反発しあって争うのである。この場合、運気を傷つけあうといっても、必ずしも 表面立って争いをするとは限らない。ただ同じ屋根の下に住んでいるというだけで、相手の 運気(生命力)を損ねるのである。それはちょうど、何か目に見えない光線のようなものを 放射しあって、相手の生命力を傷つけるように思われる。 人間の生命というものは、自分を 守るという自衛本能を持っているから、その本能がはたらいて、無意識のうちに生命力を結 集して相手に反発する。 その結果として、相手の何でもないような動作や一言一句が非常に 気にさわる (神経が立っているので)。そこで諍が始まるのである。肉親同士で異常に仲が 悪いのはこのためである。それに加えて財産などの利害関係がからむと、非常に深刻な争い

この因縁のある家庭で、もし、同居の肉親同士が不和でなければ、家族の中に誰か一人、 年中病気で苦しむ者か、極端に不運で運の開かぬ不遇の者が必ず出る。

相当の才能、手腕がありながら、常にチャンスを逸したり、チャンスに恵まれない不遇の人、 あるいは長年病弱の人は、前記の「中途挫折の因縁」か、または、この「肉親血縁相剋の因縁」

によって運気(生命力)を害されているのではないかを疑ってみるべきである。どちらか

の因縁があったら、それを断ち切らぬ限り、いくら努力しても一生空転するばかりなのだ。 この因縁を持つ人、(あるいはこの因縁のある家系)には、必ずといっていいほど、霊 的な障害がある。つまり、三代か四代前に、その家(または人)を強く恨んで亡くなった怨 念のホトケがいるのである。

また、横変死した人の霊障を受けている場合がほとんどである。

前に述べた「家運衰退の因縁」、「中途挫折の因縁」、「運気不定・浮沈の因縁」は、いずれ も霊障のホトケより生じていることが多い。

この霊障を解かぬかぎり、この因縁は、何代でもつづく。

成仏法によって、霊障のホトケを解脱成仏させる以外に方法がないのである。

我が子の運気剋する因縁

これは、肉親血縁相剋の因縁の変形で、親がわが子の生命力を害するのである。そのため、

子供は年中となる。あるいは不具者として生まれたり、不具者となったりする。たいて いは十歳くらいまでに死亡する。

もし、その子が非常に生命力が強ければ、素行が乱れるようになって、幼少にして、家を 飛び出す。これは親のそばにいると生命力を削られて、危険なので親のもとを飛び出すよう になるのである(もちろん、本人はそのことを知らないが)。

最近、 少年少女の非行問題についていろいろと対策が練られようとしているが、世の親は、 こういう因縁のあることに気がついて欲しい。

因縁なんて迷信じゃないかなどとバカげたことをいっていないで、自分自身にそういうも のがないかどうか、よくよく考えてもらいたい。

父親にしても母親にしても、この因縁があると、子供が必ず異常に反抗する。もちろん、

子供の成長期間中に反抗期という一時期があることは事実だが、この因縁による反抗は異常 なのである。これは、前記の肉親血縁相剋の因縁の場合と同じように、自分の生命力を侵害 してくるものに対して自衛本能がはたらき、 我が生命力を結集して反撃しようとするゆえに 一言一句、ことごとく反抗反発するのだ。 わが身を守るかわいそうな姿なのである。 私は、いつも、この因縁をもつ親と子を見ると、毛をさか立てキバをむき出して、敵に噛

みつこうと必死になっている仔犬の姿を思い出す。

成功者の家庭に素行不良の子がわりに多いのは、他に原因はあるけれども、運気のつよい 親はえてしてその運気のつよさが同時に子をする因縁をも伴ないやすいため、そういう結 果を生じやすいのである。

素行不良の子を持つ親、異常に親の言うことをきかぬ子を持つ親は、根本的な対策の一つ としてこの因縁の有無をまず調べてみよ。この因縁がなければ比較的容易に直るが、この因 縁あるかぎり、絶対に直らぬのである。

この因縁は水子の霊障から生じていることが多い。

逆恩の因縁

これは恩を仇で返す因縁である。

これも家運衰退の因縁に根ざすものである。

要するに、恩を受けた人 (主人、師、 上長、 取引先、先輩など) をだましたり、傷つけた

とにかく相手に何かしら損害をあたえる。だしいのは もしその者の 持っていたなら殺して金品を奪ったりする。そこまでいかなくとも必ず思のある人 裏切りそなく

因縁というものは、必ずしも性格的なものとは限っておらぬので、「恩を仇で返す因縁」 を持った者が必ずしも恩を仇で返すような性格を持っているとは限らない。中途挫折の因縁 を持っている者が必ずしも薄志弱行型の性格を持っているとは限らぬ、と先に書いた通りで ある(もちろん、持っている因縁がそのままその人の性格になっている人もかず多いが)。 この逆恩の因縁の場合も、性格としては、恩を仇で返すというようなものと反対に、一心 に恩義にむくいようとする心がけを持っていて、そのように努力をしながら、かえって結果 的には、その恩義を仇にして返すようなことになってしまうことがよくある。例えば、主人(会 忠実で一心に尽くすのだが、それがかえって主人(会社)のためにならぬような結果 を生む努力してお得意や取引先をつくると、その取引先が何千万、何億円という不渡り手 形を出したり、倒産してしまったりして、主人(会社)に大きな迷惑をかけてしまう、とい うようなことになる。

大体、自分にとって恩のある人というのは、自分に好意を持ち、あるいは信用して、自

分を引き立て、力になってくれる人である。こういう相手に、無意識とはいえそういう損害

をあたえたり、そむいたりするということは、自分で自分の手足をもぐことである。 自分の 有力な味方を失うことになる。そこで孤立無援となり、人生の失敗者となってゆく。 人を使う人、使われる人も、ともにこの因縁には注意が必要である。

こくがい

夫の運気を害する因縁

女性が持つ因縁である。

夫の運気(生命力)を目に見えぬ力で損ね、削る。 といっても、必ずしも、日常生活にお いて夫を尻の下に敷いたり、夫を虐待するというのではない。もちろん、そういう場合もな いことはないが、前にも書いたように、因縁というものは性格にあらわれる場合と性格にまっ たくあらわれぬ場合とがある。この因縁の場合もその通りで、むしろこの因縁を持つ女性は マメマメしく夫につかえる良妻賢母型に多いので始末に困る。 江戸川柳に、

「次の間で毒が薬を煎じてる」

めなのである。

という旬があるが、これは、まさにこのパリにしているもの 心させられる。

この旬の意味は、王が年中病弱で寝ている、その家をたずねてみると、王の寝ている 次の部屋で、若い美しい細君が、甲斐々々しく薬を煎じている。 しかし実際は、この美しい 細君が病身の亭主にとっては毒なのだ、というところから、細君が薬を煎じているのを、 毒 が薬を、と皮肉っているわけである。

この因縁を持つ女性を妻に持つと、その夫は年中病弱となるか、または仕事がうまくいかず、年中失敗したり、渋滞しがちとなる。 生命力を削られるところから、運が非常に悪くな

るのである。いかに才能、手腕があろうとも、必ず何か一つの不運につきまとわれる。 細君 が一心につかえればつかえるほど、夫の運気が悪くなるのであるから厄介である。

やっかい

世間によくあることだが、立派な細君を持った夫が、 他に女性を作り、その女性よりも 細君のほうがはるかに容色も頭もすぐれているので人が不思議がる例がある。これは、細

君のほうに、この、夫の運気を翹害する因縁があるために、夫が、生命力自衛の本能から、 無意識に細君に反発して、そういう因縁のない運気のおだやかな女性を求め、逃避するたになる。

中年になってそういうことがよく起こるのは、もちろん、中年代で経済的に余裕が出来た り、細君の容色が衰えてきたということも理由の一つにはなるが、根本的には、若いうちは、 夫のほうも生命力がつよいので妻の運気害にも平気で耐えられているから、それほど感じ ないが、年をとるにつれて生命力が弱り、憩いの場が欲しくなってくるのである。

この因縁の強いものをもつ女性が、いわゆる「後家運」と呼ばれるもので、色情の因縁の ある夫は、前記したように他の女性に逃避し、色情の因縁のない夫は、趣味に逃避したり、 仕事に没頭したりして、冷たい家庭となる。

もし、生命力の弱い夫であったら、死んでしまう。 すなわち、 後家運と呼ばれる所以であ 女性としてしあわせな家庭を持とうと思ったら、まず切らねばならぬ因縁である。

夫婦縁障害の因縁

夫婦縁、結婚生活に障害が起きる因縁である。

なんとなくお互いに性格が合わず、年中不満を持ちあってゴタゴタが絶えず、冷たい家庭

または、お互いに愛情はあるのだが、どちらかが気になって居 仕事の関係で別れ別れに住むことになる。シュウトなどの関係で夫婦仲がうまくいかね、 など、とにかく、愛情の有無にかかわらず、結果的に夫婦仲がうまくいかない。離婚してし まうというところまではいかぬが、とにかく、年中その一歩手前までいってゴタゴタしてい るのである。

夫婦縁破れる因縁

この因縁を持っている人は、男女とも、必ず生別か死別をまぬがれない。生別となるか死 別となるかは、相手方の生命力の強弱による。

刑獄の因縁

凶運の時に、必ず刑事事件を起こして、刑務所につながれることになる因縁である。 たいてい他の悪い因縁をあわせ持っていて、それらの悪い因縁とからみ合って起きるのが ふつうである。

ごく悪い因縁が他にあると、殺人強盗の凶悪犯となり、軽い場合には業務上の過失、 選挙 違反などで刑罰にふれる。

この因縁があると、心がけの良い悪いにかかわらず、必ず罪にふれることになる。 先日相 談に来た人で、こんな例があった。立派な人格者で、某大学の助教授であるが、ほんの僅か

交際の酒を呑んで帰りの車を運転し、暗がりで人をひいて重傷を負わせてしまった。飲酒運 転の罪に問われ、裁判中である。

これも、霊障によって起きることが多い。

目を失い、手足を断つ肉体障害の因縁

目がつぶれて失明したり、手足を断つ、というように、肉体に傷害を受ける因縁である。 つまり怪我の因縁で、自動車、汽車、電車等の事故に遭うのはみなこの因縁を持っている人 である。人から傷害を受けるのもこの因縁である。べつに、病気の因縁を持っている人は、 その因縁と結びついて、手術、という形になってあらわれる場合も少なくない。

事故で手足を失う、ということに出る場合のほか、神経痛、リウマチ等で手足が痛んだり、 足腰が立たなくなったりする。

脳障害の因縁をあわせ持つ人は、脳溢血、または脳軟化症などから中気になって、長年寝

この因縁が内臓にあらわれた場合、肺結核、気管支炎、喘息などの呼吸器疾患を病む。

幼児でこの因縁を持った子が、 年中この因縁に体を責められるため、発育不良になったり、 病質になったり、強度の神経質、夜泣きなどをするようなことがある(幼児、少年の神経 〈カン症は、脳障害の因縁からくる場合と、この肉体障害の因縁に責められてなる場合

二通りあるのである)。

横変死の因縁

肉体障害の因縁が更に強くなり、悪化したもので、必ず、横死、変死をする。 自殺、他殺、 事故死のいずれかをまぬがれることができない。多く、三代以内の血縁中に、同じ因縁で亡 くなった縁者を持っているのが特徴である。このホトケをさがし出して解脱成仏させなけれ ば、必ずこの因縁の結果通りとなる。 縁者でなく、他人のホトケであることも少なからずある。

脳障害の因縁

この因縁は、精神病の場合と、精神病でない頭部の障害の二種に分けられる。

すなわち、精神病 (ノイローゼ 脳梅毒など)と、頭部の怪我、または脳溢血、脳軟化症の軽いの人は

肩こり、

まされる。

手がきかな

肉体障害のをあわせ持つ人は、脳から気になったり、 くなったりする。 脳性マヒなどもこの因縁のあらわれである。

二重人格の因縁

前記の脳障害の因縁の系列に入る因縁に、この二重人格の因縁がある。

酒を呑むと、ガラリと人が変わってしまって、全く別人のようになってしまう。

酒乱はこの因縁である。表面意識がアルコールで麻痺すると、遺伝している潜在意識や深

層意識が浮かび出て、別の性格が入れかわって出て来るのである。 異常性格・同性愛なども この因縁である。

この因縁は、家運衰退の因縁にも深い関連があり、二、三代前の縁者で、非常に不幸な、

うるみ いだ

恵まれない死に方をした人か、あるいは、他人で、その家に非常な怨念を抱いて死んだ者の

いることが特徴である。

癌の因縁

胃ガン、子宮ガンなど、この因縁を持つ人は必ず癌になる。

循環器系統障害の因縁

色情の因縁

心臓、腎臓、肝臓等の循環器系に故障を起こす因縁である。

男女が、異性(同性の場合もある) によって苦しんだり傷ついたりする因縁である。これ は、家運衰退の因縁のもととなる因縁である。

大人のトラブルでられるがある ということになる。

編業の因縁

職業の上にあらわれる因縁である。

この因縁を持つ人は、宗教家、芸術家、芸能人、裁判官、水商売などが適する。 そのどれ がよいかは、別の因縁とも照らしあわせてみる必要があるが、とにかくこの因縁のある人は、

これらの職業以外につくと絶対に芽が出ない。つまり、適性ということに関係してくるわけ だが、そういうことをふくんだ上で、運命的にその職業以外では伸びない、ということである。 職業の適性ということは非常に重大なことで、それゆえに、いろいろな適性検査などが考

案されているわけだが、適業、適性、というものは、因縁的に決定されているのである。

人の職業は、大づかみにいって、技術系(生産事業、技術者)、営業系(販売事業、営業、商人)、 組織系(官公吏、政治家)の三種に分けられるが、人はみな、それぞれの系列に向く因縁と

向か因縁を持っており、向かぬ職業に就いた場合、絶対に芽が出ぬものであるから、注意 して選択しないと生涯の不幸となる。

財運・水の因縁

財運があって、お金は人より何倍も多く入ってくるが、木のように流れ出してしまって、 身につかない。

無理に溜めようとすると、自分が病気になったり、家族が病気になったりする。これは、 木の財運で、水というものは、流動しているかぎり腐敗せず、きれいである。溜まり水は必 ず濁り、腐敗する。それと同じで、この因縁を持つ人は、常にお金が流れ動いて身につかぬ のである。無理にお金を溜めると、腐敗現象が起きて、家族に病人やケガ人が出たり、人に だまされたりして、全部、お金が出て行ってしまう。

頭領運の因縁

人の上に立つ因縁である。この因縁をもつ人は、必ず、大なり小なり人の上に立って、人 の頭領となる。但し、この頭領運に二種類あって、純然たる頭領運と、組織内の頭領運とに 分けられる。純然たる頭領運は、だいたい創業者として成功する。 組織内の頭領運は、専務、 一部長という一分野の首長で終わる。

頭領運はよい因縁の部類に入るが、反面、孤独運を持ち、晩年は家庭的に不幸になりやすい。 頭領運のない人は、自ら頭領になると必ず失敗する。よき頭領運の人をえらんで、次位に 甘んじ、よく補佐をすることに専念するがよい。 それが、自分の才能、手腕を十二分に発揮 し得る最良の道である。野心を持って自分がその位置に就くと、物事渋滞して苦労ばかり多 必ず失敗するのである。

子縁うすい因縁

子供との縁がうすい因縁である。

ここの因縁があると、子供が生まれないか、生まれても、五、六歳になるまでに死んでしまう。 また、自分の実子と縁がうすいだけではなく、養子をもらっても、この因縁ある限りうまく いかない。その養子の運気 (生命力が強ければ衝突して出て行ってしまうし、生命力が弱 ければ死んでしまうのである。

産厄の因縁

出産に際して、難産で苦しむ因縁である。衰運の時期で生命力が弱っている時にあたると、

死ぬ恐れがある。 水子の霊障や、難産で死んだ縁者の霊障のあることが多い。

五タテの因縁とヨコの因縁

以上、人間の持つ

あなたも、これらの因縁の中のいくつかを 体を述べてきた。

必ず持っているはずである。

では、これらの因縁は、いったい、どこから生じたのであろうか?

仏陀は、経典の中で、

「種の差別は業に由る」

とおっしゃっておられる。

ているのである。

つまり、「業」によって、人それぞれちがう因縁を持って生まれるのである、とおっしゃっ

では、業は、因縁に対してどのようにはたらくのか?

阿含宗では、基本的には「タテの因縁」と「ヨコの因縁」となってあらわれると説く。

タテの因縁とはなにか?

祖先から受けついである。

 

The fate of a mid-way failure does not necessarily have the character of a weak-willed, weak-willed person; on the contrary, in a fate of inverse kindness, the heart may try hard to return the favor but end up repaying the enemy. .

– You need to be careful because unconsciously causing damage to someone you are indebted to is like tearing off your own limbs.

-Women often have relationships that harm their husband’s fortunes, and as a result of this, their husbands may become sickly or have trouble working.

– In cases of marital disorder, the characters do not match each other’s personalities and there is constant dissatisfaction, and the relationship between husband and wife does not go well regardless of the presence or absence of love.

– People who have a relationship that breaks up their marriage cannot avoid being separated or bereaved. There is an obstacle in the marriage, and life or death is determined by the strength of the life force.

– People with a connection to prison may commit a criminal incident when they have bad luck and end up in prison, and it is common for people to become tangled with other bad connections and become violent criminals.

 

– **Cause of cancer**
– People with certain predispositions, such as stomach cancer or uterine cancer, are at risk of developing cancer.

– **Cause of circulatory system disorder**
– It is a cause of failure in the circulatory system such as the heart, kidneys, and liver, and also includes problems in adults.

– **Fate of lust**
– It is a cause of suffering or being hurt by the opposite sex or the same sex, which is a factor in the decline of family fortunes.

– **Pengyō**
– Related to opposite sex relationships and family troubles.

– **Karma’s fate**
– Religious people, artists, judges, etc. are suitable because of their occupation.

– **Financial luck/water fate**
– Money flows out, and if you try to save it by force, illness and misfortune will occur.

– **Fate of the territory**
– Due to your destiny of being on top of others, you will have the luck of being a leader and will be successful, but there is a possibility that you will be lonely and have unhappiness at home.

– **Weak connection**
– They have a weak relationship with their children, and there is a possibility that they will not have children or die early.

– **Cause of childbirth**
– Be careful when your life force weakens due to difficult childbirth or painful circumstances.

connection with cancer

People who have this connection will definitely develop cancer, such as stomach cancer or uterine cancer.

Causes of circulatory system disorders

relationship of lust

Penguin

It is a cause of failure in the circulatory system such as the heart, kidneys, and liver.

It is a fate in which a man and a woman suffer or are hurt by someone of the opposite sex (sometimes of the same sex). This is the cause of the decline in family fortunes.

This means that they can get into trouble with adults.

karma’s fate

It is a fate that appears in one’s occupation.

People with this fate are suitable for religious people, artists, entertainers, judges, merchants, etc. To decide which one is better, it is necessary to compare it with other fates, but in any case, people with this fate,

If you take up any occupation other than these, your potential will never grow. In other words, it has something to do with aptitude, but even with that in mind, it is fateful that he will not develop in any other profession. Occupational aptitude is very important, and therefore various aptitude tests are considered.

Although it is planned, suitability and aptitude are determined by fate.

Broadly speaking, people’s occupations can be divided into three types: technical (production business, engineers), business (sales business, sales, merchants), and organizational (government officials, politicians). Everyone has a fate that points towards each lineage.

If you have an unfavorable fate and choose a profession for which you are not suited, you will never succeed, so if you do not choose carefully, you will be unhappy throughout your life.

Fortune and water fate

We have good financial fortune, and money comes in many times more than other people, but it flows out like a tree and we don’t get used to it.

If you try to save up too much, you might get sick or your family might get sick. This is the fortune of trees, and as long as water is flowing, it does not rot and is clean. Stagnant water always becomes cloudy and rots. In the same way, a person with this fate is one who has money constantly flowing and is unable to acquire it. If you force yourself to save money, corruption will occur, your family will become sick or injured, people will deceive you, and all your money will be lost.

The fate of the territory

It is a fate that stands above people. A person who has this connection will always stand above others and become the leader of others, to a greater or lesser extent. However, there are two types of leader luck: pure leader luck and leader luck within an organization. Pure leadership luck usually leads to success as a founder. Leadership within an organization ends with the head of a field, such as a managing director or department head.

Head luck falls into the category of good luck, but on the other hand, one has lonely luck and is likely to be unhappy at home in later years. People who don’t have the luck of being a leader will always fail if they become a leader themselves. Choose a person with good luck as a leader, settle for second place, and concentrate on assisting him or her. That is the best way to make the most of your talents and skills. When you get into a position with ambition, things get complicated, you struggle a lot, and you are bound to fail.

A weak connection between children

Sanyaku

He has a weak connection to his child.

If you have this kind of fate, your child will not be born, or even if you do have a child, you will die before the age of 5 or 6. Also, not only does he have a weak connection to his own biological child, but even if he is adopted, he will not be able to do well as long as this connection exists. If the adopted child’s life force is strong, they will collide and leave; if their life force is weak, they will die.

The fate of childbirth

This is due to the fact that she suffers from difficult labor during childbirth. When you are in a period of decline and your vitality is weak,

There is a risk of death. There are many cases where Mizuko has a spiritual disability or a relative who died due to difficult childbirth.

Five vertical connections and horizontal connections

The above is what humans have

You have also described some of these connections.

You must have it.

So where exactly did these connections come from?

In the sutras, Buddha said,

“Discrimination by species is based on karma”

He says.

-ing

In other words, he said that each person is born with a different fate depending on their “karma.”

So, how does karma work on karma?

The Agon sect basically teaches that it appears as “vertical fate” and “horizontal fate.”

What is the vertical connection?

It is inherited from our ancestors.

 

 

 

 

human condition

“cause”

This “fateful condition” that humans have is made up of two things.

They are “internal conditions” and “external conditions.”

A person’s destiny and life are the total result of that person’s internal and external conditions.

In other words, internal conditions are conditions that a person has, such as health, talent, personality, luck, etc. External conditions include the environment surrounding the person, human relationships, and the season of fortune. Therefore, a person’s destiny and life are the total result of that person’s internal and external conditions.

This internal condition

It’s called.

“edge”

external conditions

That’s what it means.

Since internal conditions and external conditions are two sides of the same coin, he was the first to call them “lines.”

When we talk about fate,

“Fate is a superstition. There is no such thing as fate.”

There are people who say such things, but this can be said to be the words of an ignorant person. They simply call it a superstition without knowing the true meaning of the word fate. The overall result of karma is “kae.” Although it sounds old-fashioned, it is a much more appropriate expression than internal conditions, external conditions, or comprehensive results. Therefore, we use the expression “fate.”

 

Subjective value + (internal conditions + external conditions = objective value of the person,

Applying this to the “principle of value” from the previous chapter, we get the following formula.

(Cause)

(fruit)

In other words, (cause) (related) (effect)

It turns out that.

Innen

Now, we need to find out what our conditions are.

It becomes necessary.

 

What kind of connection do the four have?

From now on, I will explain the connections that humans have, but how do humans have such connections?In this article, I can only say that they exist because they exist. Don’t be forced to ask him.If he were to ask you why you look like that, what would you say?Because you were born with this kind of face, because you have this kind of face. Oh, he has no choice but to answer that. Regardless of the cause, each human being is born with various fates and lives with various fates. Let’s analyze and explain the phenomenon of fate. If you read it without thinking too much about logic, you’re sure to come up with something. Even if he doesn’t know whether the egg or the chicken came first, he never fails to eat eggs and enjoy chicken. The details will be explained later. First, let’s talk about the types of “fate” that every human being has.

Cause of decline in family fortune

This fate is the fate of people who are born into families whose family luck is gradually declining.

Many of these people were born into families where their fathers or grandfathers had a good life. Since my grandfather’s or father’s generation, my family’s fortunes have been gradually declining. Then, after he took over, my luck became even more unlucky. He has considerable ability, talent, and skills, but he cannot find a place to demonstrate them. I can’t have that chance. And so, with gnashing of teeth, we watch as those inferior to us pass us by. Occasionally, when an opportunity comes along, I am faced with interference or interference from other people, or my thoughts are blocked.

A precious opportunity is lost due to a mistake or illness. In other words, it’s bad luck. Although he has the ability, he has strangely bad luck and doesn’t get excited. year old

The more you go, the worse your luck becomes, and the worse your life becomes.

The following results emerge from this relationship:

Cause of midway failure

This is a fate.

For people with this kind of fate, no matter what they do, things will go smoothly up to 7 or 8 minutes, but they will always fail at the 1 or 2 minute mark. It will never come to fruition. This fate is described by one person as the “imaginary” flower, which is similar to the old Japanese poem Yamabuki no Hana, in which he says, “Nanae-yae, the flower blooms, but it is one of the fruits of Yamabuki, but it is mysteriously sad.” However, it does not bear any fruit, and it comes from the fact that all the flowers are wasted. It may look glamorous to outsiders, but in reality it is empty. After all his hard work, his last harvest is taken away by others.

People with this fate tend to have relatively good luck (many people have strong vitality, and if they give up halfway through their work, they get back up and work again, and if they give up after seven or eight minutes and think they’ll stay that way, they get back up again). There are many people who lead a life full of ups and downs, going up and then failing again.

Generally speaking, there are two ways in which fate manifests itself, and that fate is directly related to the person’s personality.

There are cases where it appears in the character and cases where it does not appear in the personality.

Even in the case of a setback, this fate is directly reflected in one’s personality, and there are those who are extremely weak-willed and weak-willed, and those who are extremely strong-willed and strong-willed.

People with weak willpower quickly get tired of whatever they do and don’t stick with it for long. I have a lot of anxiety. It’s the same with my studies, my profession, and everything else, and I move around a lot. This is a literal failure in the middle of the journey.

 

The other person is the complete opposite; he has a good personality, strong will, and is a hard worker. However, his strength is incompatible with others, causing him to clash with his superiors and his inability to cooperate harmoniously with his co-workers, resulting in failure and frustration. Or, at this most important point, he invariably makes a stupid mistake, is misunderstood, or is interfered with. Moreover, some kind of obstacle always occurs, such as mistakes made due to illness or injury, which destroy opportunities. The other day, I said something to someone who came to visit me.

 

 

 

 

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超越の道:仏陀の秘められた修行法   The Path of Transcendence: The Buddha’s Secret Training Method

仏陀の教え:成仏への三学と修行法

1. 仏陀は弟子たちに「三学」を教え、それは「戒」「定」「慧」で構成されている。
2. 三学の中心は「定」であり、戒と慧は定を補助する修行法である。
3. 仏陀の修行法は「成仏法」であり、七つの科目と三十七種類の教程に分かれる。
4. これを「成仏のための七つのシステム・三十七種のカリキュラム」と呼ばれる。
5. 特殊訓練として「クンダリニー・ヨーガ」が取り入れられ、慧力法や七覚支法が進む。
6. 七覚支法はクンダリニー・ヨーガの訓練と併合され、仏陀はクンダリニー・ヨーガの達人だったとされる。
7. 七覚支法には「択法」「精進覚支」「喜覚支」「軽安覚支」「定覚支」「念覚支」が含まれる。
8. 念覚支法を修行すると、超人の力が身につき、例えば思念の力で病気を癒すことが可能とされる。
9. これが仏陀釈尊が弟子たちに教えた「仏法」であり、一般的な仏教と異なると主張されている。

Buddha’s teachings: Three learnings and training methods for attaining Buddhahood
1.The Buddha taught his disciples the “Three Sciences”, which consist of “Precepts”, “Consideration”, and “Wisdom”.
2. The center of the three sciences is “contemplation,” and precepts and wisdom are training methods that support contemplation.
3. The Buddha’s training method is “the method of attaining Buddhahood,” which is divided into seven subjects and 37 types of teachings.
4. This is called “Seven systems/37 types of curriculum for attaining Buddhahood.”
5. “Kundalini Yoga” was introduced as a special training, and the wisdom method and the seven enlightenment methods were advanced.
6. The Seven Awakening Dharma was combined with the training of Kundalini Yoga, and Buddha is said to have been a master of Kundalini Yoga.
7. The seven Gakusho methods include “Choice method”, “Shojin Gakusho”, “Kikakusho”, “Kingan Gakusho”, “Jōgakusho”, and “Nen Gakusho”.
8. It is said that by practicing Nen Gakushoho, you will acquire superhuman powers, and for example, be able to heal illnesses with the power of your thoughts.
9.This is the “Buddha Dharma” that Buddha Shakyamuni taught to his disciples, and it is claimed that it is different from general Buddhism.

仏陀は弟子たちに何を教えたか?

仏陀が弟子たちに教えたことは、三つのものに集約することができる。 これを「三学」という。

 

「成・定・慧」である。

戒は、仏弟子として守らなければならぬ「戒律」である。 定は、特殊な練行や瞑想法で、要するに、仏陀となるための修行法である。 慧は、教学によって真理を学び、智慧をみがくことである。 この三学は、いうならば、三位一体であって、一つといえども欠かしてはならぬものであ

 

しかし、強いていえば、その中心は「定」ということになろう。戒と慧は、定を完成させ るための補助の行である。 そこで、「定」についてかんたんにのべることにする。 定 (samadhi) は、定慮、三摩地、などと訳され、ふつうには、精神を統一し、集中して瞑 想などをすること、というように解説されているが、仏陀の教えた「三学」の中では、成仏 法の修行を意味することになる。

仏陀の修行法は、整然とした体系を持っている。それは、七つの科目と三十七種類の教程 に分けられる。ゆえに、「七科三十七道品」あるいは、「三十七菩提分法」と呼ばれる。 これは、菩提を成就する修行の構成部分であるから、菩提分法というわけで、アビダルマ

在家の誇師たちによって、名づけられたものである。

私は、これを、わかりやすく、「成仏のための七つのシステム・三十七種のカリキュラム」 と呼んでいる。 それは、つぎの通りである。

[システム]

[カリキュラム]

四念処法 | 四正 断法

身念処法・受念処法・心念処法・法念処法 断断法・側儀断法・随護断法・修断法

ししょうだんほう

見日

し じんそくほう 四神足法 ご こんほう)

五根法

ご りきほう 五力法 しちかく し ほう 七覚 支法

よくじんそくほうごんじんそくほうしんじんそくほうかんじんそくほう 欲神足法・勤神足 法・心神足法 觀神足法 しんこんほうしょうじんこんほうねんこんほうじょうこんほう え こんほう 信根法・

念根法・定 根法・慧根法 しんりきほうしょうじんりきほうねんりきほうじょうりきほうえ りきほう 信力法・ 進力法・念力法・定 力法・慧力法 ちゃくほうかく しほうしょうじんかく しほうき かく し ほうきょうあんかく し ほうしゃかく しほうじょうかく し

全天竜之去・吉見支 択 法覚支法・ 法・喜覚支法・軽 安覚支党支 ほうねんかく し ほう 法・念覚支法覚

 

What did the Buddha teach his disciples?

What the Buddha taught his disciples can be summarized in three things. This is called “threefold training”.

 

It is “Naru, Sada, Kei”.

The commandments are the “commandments” that must be observed as a Buddhist disciple. Sada is a special practice or meditation method, in short, a practice method for becoming a Buddha. Kei is to learn the truth through theology and to polish wisdom. These three studies are, so to speak, a trinity, and even one must not be missed.

 

However, if it is strong, the center will be “fixed”. Kai and Kei are auxiliary lines to complete the decision. Therefore, I will briefly talk about “fixed”. Samadhi is translated as samadhi, samadhi, etc., and is usually explained as unifying the spirit and concentrating on meditating, but the Buddha taught. In “Samadhi”, it means the practice of the Buddhahood method.

The Buddha’s practice has an orderly system. It is divided into seven subjects and thirty-seven types of lessons. Therefore, it is called “Seven departments thirty-seven dojos” or “thirty-seven bodhipakkhi method”. Since this is a component of the training to fulfill the bodhipakkkki, it is a bodhipakkkaku method, and Abhidharma

It was named by the lay masters.

I call this “seven systems for the Buddhahood, thirty-seven curriculums” in an easy-to-understand manner. It is as follows.

[system]

[curriculum]

Satipatthana Law | Four Right Exertions Law

Satipatthana, Satipatthana, Satipatthana, Satipatthana, Satipatthana, Satipatthana, Satipatthana, and Satipatthana

Shishodanho

Seeing day

Shijinsokuho Iddhipada Gokonho)

Indriya method

Gorikiho Five Strengths Shichikaku Shiho Seven Factors of Awakening

Frequently Jin-soku-ho-gon-jin-soku-ho-shin-jin-soku-ho-kan-jin-soku-ho

Psychokinesis method, Psychokinesis method, Psychokinesis method, Psychokinesis method, Psychokinesis method, Psychokinesis method, Psychokinesis method, Psychokinesis method Psychokinesis Psychokinesis Psychokinesis Psychokinesis Psychokinesis

Seven Factors of Awakening, Yoshimi Support Law, Law, Kikyo Support Law, Light Ankaku Branch Party Support Law, Memorial Support Law

 

 

この訓練で、人間ばなれした力が身にそなわりはじめる。 クンダリニー・ヨーガの特殊訓練がはじまる。

慧力法(智力法ともいう) 高度の智慧を身につける訓練である。 私は、求聞持聡明法の修行から始めさせる。

以上の五力法を、基礎訓練とし、この五力法の上に立って、つぎの本格訓練に入ってゆく。

七党支法

 

 

七覚支法は、すべて、クンダリニー・ヨーガの訓練と併合しておこなわれる。 これは、私の発見である。 最初、私は、仏陀の成仏法に挑戦して、まったく歯が立たなかった。手も足も出なかった。 なんとか手がかりをつかもうと、四苦八苦しているうちに、阿含の文献の中に、「ゴータマ・ブッダは・*ヨーガの達人”と呼ばれる」という文章を発見した。

この事を考えているうちに、このヨーガ』は、ラージャ・ヨーガと、クンダリニー・ヨ ーガに違いないと、思いあたった。 それを端緒にして、十数年かかって、私は仏陀の成仏法の秘密を解いた。 まさに・仏陀釈尊は、クンダリニー・ヨーガの達人だったのである。 クンダリニー・ヨーガの体得なくして、仏陀の成仏法には一指もふれることができないであろう。

 

ちゃくほう)

択 法費支

 

「択」とは「えらぶ」という意味で、あらゆるもの(法)の中から真実のものをえらび出し、 真実ならざるものは捨て去る智慧の獲得である。 さきにのべた「事物の明確な認識と予知」の力は、この択法覚支から得られるのである。

精進覚支 精進力が、倍加する。

 

喜覚支

 

精進努力し、能力が増加、あるいはあたらしい能力を身につけることに喜びを感じ、ます ます訓練に精勤するようになる。どんなにきびしい修行でも、喜びをもって受け入れるよう になる。

それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラを動かすことにより、訓練が楽しくなるホルモ ンを湧出させるからである。

 

 

きょうあん 軽 安覚支

 

軽 安覚支 常に、身心を軽快明朗にして、心が惜冥(暗く濁る)したり、渋滞したりしない修行。 喜覚支をさらに進めたもので、クンダリニー・ヨーガと併合した、特殊な訓練で得られる 能力である。 聖者特有の、のびやかな姿体と、平安で穏やかな人相となってくる。京信念をはなれて、なにごとにも心がかたよったり、心の平静が乱されなくなる。

対象へのとりれを捨てる修行である。

車安ろ。つづいて、聖者としての心がそなわってくるのである。

 

定覚支

 

 

定覚支定方法について、超人としての能力が飛躍的に強化される。 宿屋なビ力(精神統一)の強化により、感覚器官が増幅される。 この1極限は、不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を聞くこと 力できるようになる。その結果、天災地変も予知することが可能となる。そこまで到達する ことは容易ではない。この修行によって、聖者たちは、大なり小なり、この能力 るのである。

和心者でも、予感や、予知力が身にそなわる。どんな初心者でも、とにかく えてくることはまちがいない。

念覚支

この修行を完成した超人の力は、ふつうの人の「常識」を越え、常識を破壊してしまうだ ろう。たとえば

これは、一つの例えであるが、かれの思念の力は、他人の内臓の中にできた腫瘍(ガンな ど)を、その念の集中力で、破壊、あるいは溶かしてしまうことも可能である。仏陀やその 弟子たちは、そのようにして、病人を癒したものである。(ただ、この場合、ガンを破壊して も、破壊されたガン細胞が他に転移するおそれがあるので、ガン細胞そのものを死滅させる ほどの念の力が伴わなければ危険であり、軽々しくこれを行うことはできない。それほどの 力は、仏陀ご自身でなければ持てないのかもしれない。一つの可能性の例として、あげたわ けである)

そんな力は例外としても、念力法、念覚支法を修行した場合、中等程度の者でも、常人の 信じられないような念の力を持つようになる。

いかがであろうか? これが、仏陀釈尊の、弟子たちに教えた「仏法」なのである。

れが、真実の仏教なのだ。あなたがこれまで常識として考えていた仏教とは、大分ちが うのではなかろうか?

多くの人が仏教だと思っている『法華経』とか『阿弥陀経』は、仏陀釈尊がお説きになっ たものではないのである。これら「大乗経典」とよばれる経典は、仏陀がお亡くなりになっ て二、三百年もたってから、無名の人たちによって創作されたものである。だから、これら の経典は、学問的には「創作経典」とよばれているのである。

創作経典の中には、「成仏法」は全く欠落している。一行も書かれていない。当然であろう。 「成仏法」は、仏陀釈尊しか教えることが不可能だからだ。無名の人たちが勝手に創作した大 乗経典に「仏陀の成仏法」が全くないのは、当然至極というべきだろう。 日本の仏教は「大乗仏教」である。つまり、「創作仏教」であって、「仏陀の仏教」ではな い。従って、「仏陀の成仏法」は全くない、というわけである。 日本の仏教徒が、仏陀の成仏法を全く知らない、というのは、ここに原因があるのである。 私は、このことが心から残念でならないのだ。

 

With this training, the power of being human begins to be acquired. Special training for Kundalini Yoga begins.

Wisdom method (also called intelligence method) This is a training to acquire a high degree of wisdom. I will start by practicing the method of sagacity.

The above five strengths method is used as the basic training, and based on this five strengths method, the next full-scale training will be started.

 

Seven Party Branch Law

 

 

 

The Seven Factors of Awakening are all combined with the training of Kundalini Yoga. This is my discovery. At first, I challenged the Buddha’s Buddhahood method and was completely sick. I couldn’t get my hands or legs out. While struggling to get a clue, I found the sentence “Gautama Buddha is called * Yoga Master” in Agama’s literature.

While thinking about this, I realized that this yoga must be Raja Yoga and Kundalini Yoga. With that as a starting point, it took me more than a dozen years to unlock the secret of Buddha’s Buddhahood. Indeed, Buddha Shaka was a master of Kundalini yoga. Without the knowledge of Kundalini Yoga, one would not be able to touch the Buddha’s Buddhahood.

 

Chakuho)
Choice of legal expenses

 

“Choice” means “selection”, and is the acquisition of wisdom to select the true one from all things (laws) and to throw away the untrue one. The power of “clear recognition and prediction of things” mentioned earlier can be obtained from this alternative sense.

Devotion support The devotion power doubles.

 

Awakening

 

I am delighted to work hard, increase my abilities, or acquire new abilities, and I become more and more devoted to training. No matter how hard the training is, you will be happy to accept it.

This is because moving the Kundalini Yoga chakra creates a form that makes training fun.

 

 

 

Today’s light safety support

 

Light and secure training Always keep your body and mind light and clear, and practice so that your mind does not become lonely (dark and muddy) or traffic jams. It is a further advancement of the joyous sensation, and is an ability obtained by special training combined with Kundalini Yoga. The laid-back figure peculiar to the saint and the peaceful and calm face. Beyond the Kyo belief, everything will be stiff and the calmness of the mind will not be disturbed.

It is a practice to abandon the obsession with the subject.

Car cheap. Then, the heart as a saint comes to me.

 

Jokaku support

 

 

 

The ability as a superhuman will be dramatically strengthened with regard to the method of determining the decency. The sensory organs are amplified by strengthening the inn’s power (unification of mind). In this one limit, invisible light (infrared rays, ultraviolet rays) can be seen, and ultrasonic waves can be heard. As a result, it becomes possible to predict natural disasters. It’s not easy for him to get there. By this practice, the saints, more or less, have this ability.

Even a Japanese-minded person has a sense of precognition and precognition. There is no doubt that any beginner will come back.

Seven Factors of Awakening

The power of the superhuman who completed this training will exceed the “common sense” of ordinary people and destroy the common sense. for example

This is an analogy, but the power of his thoughts can destroy or dissolve the tumor (his cancerous throat) that has formed in the internal organs of another person with his concentration. Is. The Buddha and his disciples thus healed the sick. (However, in this case, even if the cancer is destroyed, the destroyed cancer cells may metastasize to other cancer cells, so it is dangerous unless the cancer cells themselves are killed. You can’t do that. You may not have that much power unless you are the Buddha himself. I’ve given it as an example of one possibility.)

With the exception of such powers, if you practice the Psychokinesis Law and the Seven Factors of Awakening Law, even moderate people will have the unbelievable power of psychokinesis of ordinary people.

How about this? This is the “Buddhism” that Buddha Shakuson taught his disciples.

This is true Buddhism. Isn’t he Oita different from the Buddhism you used to think of as common sense?

The “Lotus Sutra” and “Amida Sutra”, which many people consider to be Buddhism, are not hiss, as Buddha Shaka Nyorai preached. These “Mahayana scriptures” were created by unknown people a few hundred years after the death of the Buddha. Therefore, these scriptures are academically called “creative scriptures”.

The “Buddhahood Law” is completely missing in the creative scriptures. No line is written. Naturally. This is because the “Buddhahood Law” can only be taught by Shaka Nyorai. Naturally, it should be said that there is no “Buddha’s Buddhahood Law” in the Daijo scriptures created by anonymous people. Buddhism in Japan is “Mahayana Buddhism”. In other words, it is “creative Buddhism”, not “Buddha Buddhism”. Therefore, there is no “Buddha’s Buddhahood Law”. This is the reason why Japanese Buddhists do not know the Buddha’s Buddhahood method at all. I’m really sorry for this.

 

 

 

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